ワンポイントコラム
<韓国朝鮮 歴史のトリビア>
270. クンニョ宮女について
現在ドラマ『袖先赤いクットン』を観ていますが、クンニョ宮女に対して聴き慣れない「ハンア姮娥ニム」と呼び掛ける言葉が頻出して耳を引きました。
最初は「ハナニム」と聞こえましたが、キリスト教でも有るまいし「神さまハヌニム」などと言う筈ないと思い、良く耳を澄ますと「ハンアニム」と呼んでいます。
字幕でも「ハンア=姮娥」と出ました。
結論から述べるとこの「ハンアニム」とは年下の宮女クンニョを呼ぶ言葉です。
元々ハンア姮娥とは中国の神話に出て来る女神を指しました。
そこから仙女を指す言葉に転嫁した模様です。
宮女がまるで仙女の様だとハンア姮娥ニムと呼ばれたのです。
これらを調べて居て興味が湧いたので、今回は朝鮮王朝時代のクンニョ宮女について述べたいと思います。
『クンニョ宮女』とは王族を除いた宮中全ての女性たちの総称です。
クンニョ宮女には『ナイン内人나인』とその下役を任された『ムスリ水賜무수리』『カクシミ각심이(パンアイ방아이)』『パンジャ房子방자』『ウィニョ医女의녀』『ソンニム손님』と呼ばれる女性たちも含まれました。
しかし、普通「クンニョ宮女」と言う場合、その中で『サングン尙宮상궁』と『ナイン内人』に分けられる宮廷内の女性たちを指します。
宮女クンニョは幾つかの種類に分類出来ました。
下のランクから簡単に述べます。
❶ムスリ:무수리モンゴル語ですが、宮廷内の各所で下働きをする女性を言いました。
ドラマ『トンイ』でも有名なヨンジョ英祖の母親「スクピン叔嬪チェ崔氏」がこの卑しいムスリ出身だった事は有名です。
❷カクシミ(각심이 ペジャ婢子패자、またはパンジャ房子방자):サングン尚宮の居所で家政婦の役目をする女性を指しました。
彼女らの給料を国家から支給したのでバンジャとも言いましたが、「チュニャン春香伝」で出て来るバンジャと同義語です。
❸ソンニム:손님高貴な女性の家で家事を務める家政婦のような女性です。
宮の外から来た人という意味で、ソンニム(お客さま)と呼びました。
❹ウィニョ医女:의녀ヤクパン薬房キセン妓生とも呼びました。
ドラマ『チャングム』でイ・ヨンエがなる事で有名です。
❺見習ナイン内人:견습나인ナイン内人の下に存在する見習いナインでした。
彼女らは『エギ(赤ちゃん)ナイン』または『センカクシ생 각시』などと呼ばれましたが、他にも『エギ(赤ちゃん)ハンア姮娥ニム』とも呼びました。
通常宮女クンニョを『ママニム』と呼びましたが、年下の宮女クンニョをハンア姮娥ニムと呼んだのでそう呼ばれたのです。
普通4歳から17歳くらいまでの間の少女のナイン内人です。
❻ナイン内人:나인サングン尙宮の下の位です。
宮女たちは必ず自分たちを『サングン尙宮』と『ナイン内人』に厳格に区分しました。
彼女らの世界では「天と地」程に、地位に差が有ったからです。
彼女たちを主に「ハンアニム」と呼びました。
❼サングン尚宮: 상궁正5品から正7品の地位の高い宮女クンニョで、「ママニム」と呼ばれました。
ドラマ『チャングム』で「ハンサングン尚宮」を始め彼女らの生活が生き生きと描かれました。
この様にクンニョ宮女の身分等級は主に❶「見習ナイン」❷「ナイン内人」❸「サングン尚宮」の三種類に分かれて居たと言えるでしょう。
実際にクンニョ宮女は王族の私生活のための一種の召使いだったので、王宮の衣食住を賄(まかな)う各所に配置され働きました。
「チミル至密」「チムバン針房」「スバン繡房」「ネソチュバン内燒廚房」「ウェソジュバン外所厨房」「センクァバン生果房」「セタプパン洗踏房」の七つの部署と、「セスカン洗水間」「テソンガン退膳間」「ポクイチョ僕伊處」「トゥンチョクパン灯燭房」の四部署が有りました。
ここで「チミル至密」とは王族の身の周りの世話を焼く係で、格が一番高い部署でした。
宮女の数は中国の漢の時代には約600人ほどだったと言われて居ます。
朝鮮王朝時代は前期には200人〜300人ほど、17世紀には600人に膨れ上がり、朝鮮王朝後期には200人位まで減ったと有ります。
通して大体200人〜300人位だったと思えば良さそうです。
こうした宮女社会にも幹部が居ました。
「チェジョ提調サングン尙宮(クンパン큰방尚宮とも)」が最も位(くらい)が高く、彼女らは王命を奉(ほう)ずるなどと共に、宮廷の財産管理を担当しました。
「クァンチャル監察サングン尙宮」と言う役職も有りましたが、彼女らはクンニョ宮女の賞罰を担当したので怖い存在でした。
宮内のすべてのクンニョ宮女は入宮から退出まで原則として終身制でした。
そして、王の家系以外は宮中で死ぬ事が出来ないので、老いて病気になるとクンニョ宮女は宮廷を出なければなりませんでした。
宮女の選出は原則として10年に一度で、大体コネと世襲、叔母が姪っ子を入れるなどしました。
宮廷に入る年齢は「チミル至密」が4~8歳、「チムバン針房」「スバン繡房」が6~13歳、その他は12~13歳が慣例でした。
宮女は入宮後15年になると『ケレ笄礼』と言う成人式を受けて正式な「ナイン内人」となりました。
良く時代劇で観る紺色のスカートにライトブルーのチョゴリの制服が一生彼女らの服装でした。
ナイン内人になってから更に15年経ち「サングン尚宮」に昇格します。
早くても35歳になってやっと「サングン尚宮」になれたと言えます。
彼女らは名目上「王の女」でしたが、実際に見初められ王の後宮になる事も有りました。
これを「スンウン承恩サングン尙宮」と呼びました。
彼女らが王の子供を産むと従2品スグィ淑儀以上に封じられて、独立した世帯を営みました。
クンニョ宮女の報酬は「アギナイン内人」の場合で1ヶ月に白米4斗、生地を1年に絹と綿各1匹、夏には麻と苧麻(からもし)が下賜品で降りるなどでしたが、食生活は宮廷で解決されたので、上記の報酬は実家の親兄弟たちの足しになりました。
日帝期には月給制になり、長官級の待遇を受けたと言います。
しかしながら彼女らは一生結婚も出来ず宮廷内で生涯過ごし老いて行きました。
この様なクンニョ宮女制度は絶対君主国家時代の犠牲物だったと言えます。
<ソンオクヨム尚宮>
朝鮮王朝・大韓帝国時代のクンニョ宮女の中で最後の生存者は15歳(1920年生)で昌徳宮のチムバン針房ナインとして宮廷に入って、朝鮮王朝最後の皇帝スンジョン純宗の継妃(後妻)になったスンジョンヒョ純貞孝ファンフ皇后を仕えたソン・オクヨム成玉艶サングン尚宮で、2001年5月に82歳で死亡したと有ります。
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<参考文献>
한국민족문화대백과사전
우리 역사넷
나무위키