<映画 古山子 王朝に背いた男>

 

6 朝鮮の人物-46 近世30

キムジョンホ金正浩

 

 

 

 実学者繋がりで今回は我が国の宝キムジョンホ金正浩に眼を向けましょう。

キムジョンホ金正浩は朝鮮後期の地理学者で有り、「テードンヨチド大東輿地図」など我が国の至宝を数多く著した著名な実学者です。

 

生年は大体1804年頃から1866年頃までと推測されて居ます。

 

しかし彼の記録は、「チョングド青丘図」に収録されたチェハンギ崔漢綺の「靑邱図題」やイギュギョンの著作など断片的な記録のみで、その記録すべてを合わせても現在のA4用紙一枚前後の非常に少ない量しか有りません。

 

彼が黄海道出身とかソウルの南大門の外、マンリジェかヤクヒョン付近に住んでいたなどの説が有りますが、生没年、身分、故郷、住居、家系などについてどれも正確な記録が残りません。

 

<キムジョンホの標準影幀>
 

彼の作品の大多数が現在まで貴重な文化財として伝えられて居る事実に照らすとここまで記録がない事が理解し難いです。

 

世界的に類を見ないほど族譜が発達した朝鮮で家系記録さえ見つけられないということは彼が両班や中人で無い事を物語ります。

 

また、優れた業績を残した身分の低い人を記録した柳在建の「異郷見聞録」にキムジョンホの伝記が掲載された事や著作での彫刻に優れて居た事実に鑑(かんが)み、平民の職人出身だと見ることも出来ます。

 

結局、キムジョンホの記録があまり残っていないのは彼が平民もしくは残班잔반と呼ばれる没落両班だった為と見られ、前近代文明圏では良く散見される現象です。

 

ともあれ、キムジョンホが残した業績は我が国に於いて今も燦然と輝いて居ます。

キムジョンホ金正浩は日本で言えば伊能忠敬の様な人物と言えますが、単純に地図を作ったと言う事で評価されて居るのでは有りません。

それは彼の業績を辿って行くと一目瞭然です。

 

<チョングド靑邱図>

 

彼が初めて残した業績は1834年に完成した「チョングド靑邱図」出版でした。

靑邱図は約16万分の1の地図で、近代的な大縮尺地図の性格を持つ図書です。

これは、以前のどんな地図よりも精密な地図でしたが、彼は初版本から1840年代まで6年間で3回もの改訂版を出して居ます。

出す事よりも、より正確に、より使いやすい様にと追い求めた彼の思想がこの段階で既に表れて居ます。

 

 

靑邱図を完成した27年後の1861年に彼は、朝鮮王朝時代に作成された地図の中で最も優れた地図で有る「テードンヨチド大東輿地図」を作りました。

 

「大東輿地図」の特徴を簡単にまとめると

❶木版で刷って製作した木版本で、

❷全部で22冊の屏風式全国地図帖です。

1冊の本のサイズは縦30cm、横21cmとおよそ今のA4サイズ、

1冊は屏風型の19ページ、

22冊全部を南北につなぎ合わせると縦7m、横4.0mに及ぶ超大型朝鮮全図になります。

 

<大東輿地図>
 

とても大きな地図なので、持ち運び閲覧しやすい様に全国を東西南北それぞれ等間隔で分け、最北端の1冊目から最南端の22冊目まで22冊に分離収録して、屏風のように折って必要な部分だけ広げて使える様にしたのです。

 

今で言うポータブル地図と言えますが、本に製本された、以前の地図帖と異なり地図帳を広げ、必要に応じて上下・左右に連結させて見ることができるように設計、考案された所に大きな特徴と独創性があります。

これは正にコロンブスの卵と言える非常に奇抜なアイデアです。

彼に発明特許を上げても良いかも知れません。

 

現在20冊前後が伝わりますが、アメリカの図書館などでも何冊か発見されており、今後増えて行くと見られます。

 

彼は「テードンヨチド大東輿地図」作成の準備としてまず写本の「東輿図」を製作し、既存のあらゆる地図や地理誌に収録された情報を長期間に渡り比較・検討、最も正しいと思われる情報を選択して順次校正して行きました。

 

 

キム・ジョンホ自らも自分の地図を全体的な流れで理解すべきで、100%合ってると思ってはいけないというメッセージを書いて利用者に地図の限界をあらかじめ教えてくれて居ます。

実際に全体としてはかなり正確ですが、細かい部分では多少間違いを発見出来ます。

 

1861年に製作された「大東輿地図」は写本の「トンヨド東輿図」の発展改良版ですが、多く印刷してより多くの人が利用できるように木版本で作られており、次のような変更点が有ります。

 

<簡略な記号を使用>
 

①写本に比べ木版は細かい所が彫りにくいので、東輿図よりも地図情報を減らしました。

 

②白黒印刷だったので、現代の地図の凡例にあたる地図標の記号も減らしました。

 

③水流・山脈・海岸線が木版でも彫りやすいように簡略化しており、山図を引用し、彫りやすい形で山脈を表しました。

 

<漢城(ソウル)付近図>
 

改良変更された特徴(優れている点)を述べると次の通りです。

①「青丘図」が地図と地誌の組み合わせを追求したのに対し「大東輿地図」は徹底的に地図と言う面に焦点を合わせて製作されて居ます。

 

キムジョンホは全国の情報を体系的に理解するために、地図と地理誌を同時に使用しなければならないと主張し、地図と地理誌を同時に製作して来ました。

 

<全部広げるとかなり大きな地図に>

 

なので、徹底的に地図としての性格が強い「大東輿地図」を使用する為に、一緒に利用できる「テードンチジ大東地誌」15冊を同時に製作しました。

 

②直線距離を表した「青丘図」とは違い、地図の道路上に10里毎に短い斜線を引いて、地図平面上の距離ではなく、実際に歩く距離を表しました。

 

遠い大まかな距離を知りたい場合には「チョングド青丘図」が簡単ですが、実際に歩く為の短い距離を知りたい場合には、「大東輿地図」を使用した方がはるかに便利です。

 

キムジョンホの究極の目標は、多くの人々がいかに便利に地図を利用できるかと言う事でした。

これは、彼の根本的な思想と言え、地図の製作、利用、校正と細かく考慮した「青丘図」で既に片鱗が見えますが、一度にたくさん印刷して出版できる「大東輿地図」で最大限に表現しました。

 

<A4サイズの本が22 冊>
 

彼の学者魂(だましい)と言うよりは根本的な「民衆愛」がそこに有ると言えるでしょう。

 

この様にキムジョンホにとっては、地図の精度よりも常時利用にあたっての便利さが一番重要だったので、近代的な三角測量や経緯測定に基づいて製作された近代地図の精度には及びません。

 

しかし、彼の地図には現在の10万:1の道路地図など多く利用されている近・現代の大衆地図書に盛られているアイデアがほとんどすべて含まれています。

利用の問題だけを見れば「大東輿地図」は地図史的価値から見て、すでに近代を超えて現代的な地図であるとの評価を受けています。

 

<大東輿地全図>


他に「大東輿地図」を縮小して1枚の地図にしたポスターサイズの「大東輿地全図テードンヨジチョンド」も残って居ます。

 

尚、従来植民地時代に流布した説として、地図の製作により大院君テウォングンの怒りを買い、板木を焼却され牢獄で獄死したと言われていました(私も若い頃、彼の人物伝でそう書きました)

 

しかし、版木が崇実学校博物館に1枚、国立中央博物館に11枚残っており、板木の焼却は間違いで、現在の研究により獄死説は日本が流布した誤った言論操作で有る事が明らかになって居ます。

 

また以前通説だった、20数年間歩き回ったり全国を隈(くま)なく3回も廻ったと言う説も、当時の交通事情、自然環境から見て不可能で有り、現在では否定されて居ます。

 

<国宝の版木>

 

収蔵してある様々な地図を利用し、あくまで当時我が国が達していた地図製作技術の基盤の上に、集大成として作成された事が今では分かって来て居るのです。

 

これらは彼の実績を何ら貶める物では有りません。それを以ってしても偉大さは余り有ると言えるでしょう。

 

「大東輿地図」 1985年大韓民国の宝物第850号に指定され、2008年には大東輿地図木版が大韓民国宝物第1581号に指定されました。

 

エンタメ劇では計3回描かれて居ます。

1995KBSで放映されたドラマ「地ひびき」땅울림では彼の役をキムヨンチョルが熱演しました。

 

<キムヨンチョル>
 

チャスンウォン主演映画「古山子 王朝に背いた男」でキムジョンホと「大東輿地図」が描かれましたが、ストーリーが荒唐無稽で批判も多く、興業的にも奮いませんでした。

しかし、「大東輿地図」の意義とダイナミックさは充分伝わるので、彼とこの地図の価値を知るには映画鑑賞が有効です。

 

<世界に類を見ない形態と内容>

 

尚、朝鮮王朝時代の地図の歴史については

コチラをご覧下さい↓↓↓↓↓

 

<参考文献>

한국민족문화대백과사전


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