真のお父様が「天国に行くならば女性が心情の天国に行くでしょう」と語られた真意! | 聖霊のもとにーメシヤの涙
真のお父様が「天国に行くならば女性が心情の天国に行くでしょう」と語られた真意! | 聖霊のもとにーメシヤの涙

聖霊のもとにーメシヤの涙

心の中に神様が入ってこられ、いらっしゃれば心が分かります。
神様が心の中に入ってこられれば、壁も突き通して見ることができ、
じっと座りながら何千年前に死んだ聖人たちを運行させることもできます。

先々回記事末部より

 

創造以前のさらに前、神様が愛によって生まれるさらに前の神様の様相について語られたのです。その重要なみ言こそ、次の内容なのです。

 

「人であると同時に神であり、三位一体で創造以前から父と共にしていた存在であるということです。三位一体のシステムそのものから「愛」を相互間応答しているわけです。」

 

この三位一体のシステムの様相を原型として、「聖父・聖子・聖霊の三位一体」の真の愛の発動体としてのキリストの様相と、「神様を中心とする真の父母の実体的三位一体」の生命と血統を原点となる構想理想が立てられたのです。キリストとは、夜の神様と真のお父様が一体となった「一人でも真の父母」の真のお父様の事であり、その相対となる真の母は神様とキリストの妻なのだということです。さらに、全女性が聖霊を迎えることによって、神様と真のお父様の妻になるのです。

 

次回の記事において、その事を次の天聖経のみ言から説明します。

 

真の愛 第2章 愛の実際 6)子女の愛 ①子女は父母の愛の結集体

 子供の愛と幸福の基地は、父母の愛です。子供は、真の愛によって和合一体となった父母を通して生命が生まれ、そのような愛の中で養育されることを願います。子供に対する最も貴い責任は、外的な養育だけではなく霊性を完全なものにしてあげる、真の愛の生命的な要素を提供することです。(277-201, 1996.4.16)

            

 父親がいくら子供を愛するといっても、母親の愛にはかないません。母親は、精誠を捧げたとすれば誰よりも精誠を捧げたし、苦労をしたとすれば誰よりも苦労したし、愛したとすれば誰よりも愛したと見るしかありません。そのような意味でも、女性が情緒的な分野において高く貴い位置を所有しているのであって、父親がいくら子供を愛するといっても母親ほどに子供に対する愛は分かりません。

ですから天国に行くならば、女性が心情の天国に行くでしょう。そのような観点から見れば、女性として生まれたことは悪くありません。また、神様は公平だということも分かります。(85-167, 1976.3.3)

 

  *****

 

私たち祝福家庭は統一教会時代及び家庭連合時代において、キリスト教神学よりも原理講論が優れているものとして、キリスト教を見下してきたようなところがありました。

 

そのキリスト教神学の教理のなかでも、「父と子と聖霊の三位一体」の様相は、真の父母様が立ったことによって「神様を中心とする真の父母の実体的三位一体」が成就したので、不必要なものとされて来ました。

 

聖霊が「霊的真の母」と呼ばれ、イエス様の相対となる女性的なものと考えられて来たのです。真のお父様も「霊的真の母」と呼ばれていましたが、本来、聖霊とは息子娘である人間を導く役割を担うものであり、あくまでも神様御自身から発動される男性格の霊的作用なのです。

 

神様は聖霊の働きにおける人間との関係性を構想するにあたって、聖霊には真の愛への絶対服従性そのものの性質を組み込まなければならなかったのです。

 

なぜなら聖霊には神様の親の心情を充満させ、息子娘を主体に立てて絶対服従の心情を込めて導く霊としなければならなかったからです。

 

ですから、たった一人の神様から息子娘を愛する親となるためには、新たな生命を孕んで誕生させる個性真理体が必要になるのです。そこで、永遠普遍の神様には実感することが出来ない、生命を孕んで誕生させる母性を体恤できる女性を、新たな個性真理体として顕現させなければならなかったのです。

 

その女性に育まれる母性を、神様の体となるアダムと共にエバから相続することによって、神様とアダムは一人でも「真の父母」の親となるのです。その親としての働き、父母としての働きとして神様の手足となって息子娘を導くことが聖霊の役割となるのです。

 

ここに、真の愛を顕現するために、たった一人の神様に必要なものが構想されるようになるのです。その個性真理体こそが、自らの相対となり自らの息子娘を誕生させることのできる女性なのです。

 

ですから私たちは、神様にとっての女性の尊さを、ここで理解しなければなりません。

 

真のお父様が、2007年2月23日真の父母様御聖誕日に語られたみ言から抜粋引用します。

 

  **引用開始**

 

 そうであるならば、真の愛とは、どのような愛でしょうか。真の愛の本質は、受けようという愛ではなく、人のために、全体のために先に与え、ために生きようという愛です。与えても、与えたという事実自体を記憶せず、絶えず与える愛です。喜んで与える愛です。母親が赤ちゃんを胸に抱いてお乳を飲ませる、喜びと愛の心情です。子女が父母に孝行して喜びを感じる、そのような犠牲的な愛です。

 

 真の愛で結ばれると、永遠に一緒にいても、ただうれしく、宇宙はもちろん、神様までも引っ張れば付いてくる愛です。堕落の末裔である人間がつくった国境の壁、人種の壁、さらには宗教の壁までも、永遠に終わらせる力が、真の愛の価値です。

 

 神様の真の愛の主流属性は、絶対、唯一、不変、永遠なものなので、誰でもこの真の愛を率先して実践するとき、神様と同居して共に楽しむことができ、同参権、相続権までも享受するようになるのです。このように、天国に入る絶対必要条件が、正に「ために生きる人生」、すなわち真の愛の人生なのです。

 

  皆様、天国はどのような所だと思いますか。一言で言えば、天国とは、神様の真の愛が充満し、真の愛が軸となって立てられた世界です。真の愛がすべての環境圏の外形であり内容の世界です。人生の始まりと終わりが真の愛で一貫している世界です。誰もが真の愛によって生まれ、真の愛の中で生き、真の愛の懐に抱かれ、真の愛の軌道に沿って次の世界の霊界に移っていく人生を生きる人たちの世界です。

 

 したがって、その世界には、反目や蔑視があり得ず、お互いがお互いのために生き合うことが自然な世界です。お金や名誉、あるいは権力が支配する、そのような世界ではありません。一人が成功するのは全体を代表して成功することであり、一人がうれしく思うのは全体のためにうれしく思うことであり、一人が喜ぶことは全体が共に喜ぶ、そのような姿の世界です。

 

 天国は、真の愛の空気でいっぱいに満ちている世界です。真の愛を呼吸して暮らす世界です。いつも、どこでも生命が躍動する世界です。すべての構成員が、真なる神様の血縁として因縁を結んでいる世界です。全世界が私たちの体の細胞のように、不可分の関係で結ばれている所です。天国は、神様の本質的愛である真の愛だけが支配する世界です。したがって、神様も、真の愛のために存在されるのです。

 

  **引用終了**

 

真の愛とは、主体から発動される主体自身の愛ではないのです。それは、単なる「愛」です。

 

神様でさえ、真の愛に絶対服従して生きたいと願っているのです。絶対主体の神様が、絶対服従したいと願う真の愛を顕現させるために、アダムとエバを誕生させ、アダムの生心に臨在して自分自身も成長できるようにしたのです。夜の神様と真の父が互いに絶対服従し完全一体となってこそ、そこに真の愛が顕現し聖霊となって息子娘を導き、永遠に共にあるようになるのです。

 

真の愛とは主体と対象が一体となって、初めて発動される愛なのです。だからこそ、四大心情圏を成就してこそ、初めて神様は真の愛の発動体となれるのです。その発動体こそが「聖父・聖子・聖霊の三位一体」の神様になのです。

 

そこで私たちは家庭連合時代の、人間メシヤとして真のお父様を仰ぎ見ていた頃の神観・原理観・信仰観・アベルカイン観を心底悔い改めて、新しく生まれ変わらなければならないのです。

 

 

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