本質では蕩減が無い現在でも聖徳太子時代の蕩減復帰がサンクチュアリで進展しているのです! | 聖霊のもとにーメシヤの涙
本質では蕩減が無い現在でも聖徳太子時代の蕩減復帰がサンクチュアリで進展しているのです! | 聖霊のもとにーメシヤの涙

聖霊のもとにーメシヤの涙

心の中に神様が入ってこられ、いらっしゃれば心が分かります。
神様が心の中に入ってこられれば、壁も突き通して見ることができ、
じっと座りながら何千年前に死んだ聖人たちを運行させることもできます。

先回記事重要部分より

 

舒明天皇没後、舒明天皇の皇后が即位し皇極天皇となる。皇極天皇のもとでは蘇我蝦夷にかわって、その息子・入鹿が力を持つようになる。この頃、統制を失って混迷する政治に対して、聖徳太子の執政期を懐かしむ声が起こり始める。そのような人々は太子の息子・山背大兄王が政治を担当することを望むようになる。皇極天皇にとっても敏達系の皇族と結びついた有力豪族たちにとっても、今さら山背大兄王に登場されてはたまらない。

 

ついに皇極二年(六四三)十一月、天皇の弟の軽皇子は敏達系の皇族と蘇我、巨勢、大伴、中臣、士師といった有力豪族を糾合して山背大兄王を攻撃せしめる。入鹿が首謀者にまつりあげられたが、実際攻撃に向かったのは軽皇子の側近である巨勢徳太であった。巨勢徳太を中心とした軍隊が突然、斑鳩の山背大兄王の宮を襲った。山背大兄王は一計を案じて宮に火をつけ、生駒山に逃げた。

 

しかし、山背大兄王は太子の情念を受け継いだ平和主義者であった。彼は戦いが百姓を巻き添えにしてしまうことを思い計って、再び寺院に帰る。兵たちは寺を包囲した。山背大兄王は「我が身を入鹿に賜う。」と言う言葉を残して一族とともに自害する。

 

山背大兄王自害事件の主役を演じた蘇我入鹿も軽王子も、彼らを躍らせている影の魔手に気付いてはいなかった。やがて二人はそれぞれに、その魔手によって悲惨な姿で葬り去られていく。日本の歴史は形の上では律令国家をとりながら、聖徳太子の描いた理想とはまったく相反する方向へと動き始めたのだ。

 

先回記事最重要部分より

 

真のお父様は2011年初頭に、「徳川家康と西郷隆盛」の名前を挙げながら、「日本の歴史を紐解きなさい。」と誰にでもなく命じられたのです。私は2004年3月から6月まで、神様が歴史をかけて日本を愛し教育してきた事を教えられました。その時期は、霊界の興進様の修練所で、日本の歴史的人物が原理講義を受けていた期間と重なります。ですから、誰よりも真のお父様の「日本の歴史を紐解きなさい。」というみ言を、真剣に受け止めたと自負しています。

 

  *****

 

この記事を「本質では蕩減が無い現在でも聖徳太子時代の蕩減復帰がサンクチュアリで進展しているのです!」と題しました。ここで表現するサンクチュアリとは、母国日本における王王妃全員を含みます。全ての聖殿ということになります。

 

蕩減復帰摂理路程の闘いは、キリストを中心とする霊界システムと、サタンを中心とするサタンシステムの条件闘争として現れます。

 

2022年6月25日の「文亨進二代王帰還歓迎勝利報告大会」において、二代王様は母国日本が摂理を勝利へと導く為の指示を明確に出されています。

 

  **2022年6月25日二代王巡回東京大会御言より抜粋引用**

 

 日本の文化では仏教の信徒が多いので、誰がより多くの罪を報告できるか、そういうコンテスト(笑)したら駄目でしょう。神様は既に知っておられます。あなたが言わなかった万個の罪を知っておられます。そうでしょう?それは悔い改めではありません。

 

 悔い改めはメタノイヤ。心の転換。心の中にある、偽りの偶像を崇拝している物を抜いて、キリストを、心を開いてキリストが臨在される様にする事。これが悔い改めです。

 

 理解できますか?寝ていますか? (笑)その様な大きな差があります。大きな差。

 

 ですから、そのような心で私たちは聖霊を受けなければなりません。私と信俊はただ、お父様の手足です。お父様の聖霊を受けた時、お父様を考えていなければなりません。どういうことか分かりますね?

 

 日本の豊臣秀吉、信長、誰誰が、このよう神社を作って、お寺も作って、このように手を合わせて祈りますね。これはキリスト教の文化では(日本語で)「絶対ダメ。絶対、絶対ダメ。」

 

  **引用終了**

 

二代王様は、ただ偶像崇拝と語られたのではなく、日本民族の現状について、また日本食口の現状において明確にしています。

 

「日本の豊臣秀吉、信長、誰誰が、このよう神社を作って、お寺も作って、このように手を合わせて祈りますね。これはキリスト教の文化では(日本語で)『絶対ダメ。絶対、絶対ダメ。』」

 

豊臣秀吉も織田信長も徳川家康も、その人物を御祭神として祀る神社が建立されています。時代をさかのぼって藤原鎌足、蘇我馬子、聖徳太子を祀る神社もあるのです。

 

日本を律令国家として立てようとした、最初の人物こそ聖徳太子です。律令国家を簡単に言えば、法によって政治を行う仕組みを持つ国という意味になります。聖徳太子は国の法として「十七条憲法」を制定しました。それは、「和をもって尊しとなす。」で知られていますが、十四条目に次のように記されています。

 

第十四条

「十四にいう。官吏たちは、嫉妬の気持ちをもってはならない。自分がまず相手を嫉妬すれば、相手もまた自分を嫉妬する。嫉妬の憂いははてしない。それゆえに、自分より英知がすぐれている人がいるとよろこばず、才能がまさっていると思えば嫉妬する。それでは500年たっても賢者にあうことはできず、1000年の間に1人の聖人の出現を期待することすら困難である。聖人・賢者といわれるすぐれた人材がなくては国をおさめることはできない。」

 

ここで注目するべきは、聖徳太子が期待したのは、「聖人」その人ではなく、その聖人が思想の基とする「真理」であることです。人間を神として従う事ではなく、真理によって治められる国を期待したのです。

 

しかし、自分の権力欲を先立てる蘇我氏、次に現れる藤原氏の謀略を切っ掛けに、歴史は戦国時代に向かい、神にとって代わろうとする人間同士の争いとなっていくのです。そして民衆は、その権力者を「神」として崇める民族性を我知らずに身に付けてしまい、拭い去れない日本民族の性質となってしまったという事です。

 

統一教会、そして家庭連合と、この民族性によって、アベルを真のお父様の代身として従う原理観を身に付けてしまったのです。そしてまた、真のお父様を「人間メシヤ」として信じることが、民族性により定着し抜け出せないままに今に至っているのです。

 

二代王様が私たち日本の王王妃に対して、「偽りの偶像を崇拝している物を抜いて」と語られたのは、「真のお父様を人間メシヤとして信じてきた過去を悔い改めなさい」という意味になるのです。また、「一人の人間を中心者として、真のお父様の代身として付き従う事をやめなさい」という意味でもあるのです。

 

私たちの中心者は、キリストである真のお父様以外にありません。一人一人が心の中心にキリストを立てることにより、王王妃の一人一人が中心者となるのです。そうなれば、全ての王王妃の心の中心に立つキリストによって、全ての王王妃が氏族メシヤとして心情一体となれるのです。

 

それこそが、三代王権が理想とする、分散型でありながら完全心情一体化した霊連世協会となるのです。

 

そのような理想の心情組織となるために、現在、母国日本の各聖殿の動きは、聖徳太子時代からの日本民族の背負うサタンからの讒訴を、蕩減復帰するものとなっているのです。

 

またその蕩減復帰が、統一教会・家庭連合時代の蕩減復帰ともなっており、そのことは二代王様もご存じであるがゆえに、2022年6月25日の「文亨進二代王帰還歓迎勝利報告大会」において語られた御言となっているのです。

 

それでは次回の記事で、聖徳太子の律令国家への夢が、藤原氏にとって代わられ、聖徳太子の真理による律令国家ではなく、権威を笠に権力をふるう中央集権制律令国家となっていく経緯を解説します。

 

 

 

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