基本情報
神社名:高家神社
御祭神:磐鹿六雁命・天照皇大神・稲荷大神
社格等:延喜式内社(小社)・郷社
鎮座地:千葉県南房総市千倉町南朝夷164
最寄駅:千倉駅
公式サイト:https://takabejinja.com/
御由緒
「日本書紀」の第十二代景行天皇五三年冬十月の条に祭神・磐鹿六雁命について記されているが、延暦八年(789)に磐鹿六雁命の子孫である高橋氏が朝廷に奉ったとされる「高橋氏文」にさらに詳細に記述されている。
景行天皇が皇子日本武尊の東国平定の事績を偲び、安房の浮島の宮に行幸された折、侍臣の磐鹿六雁命が弓の弦をとり海に入れた所堅魚を釣りあげ、また砂浜を歩いている時、足に触れられたものを白蛤(=はまぐり)がとれた。磐鹿六雁命はこの堅魚と白蛤を膾にして差し上げたところ、天皇は大いに賞味され、その料理の技を厚く賞せられ、膳大伴部を賜った。
この功により若狭の国、安房の国の長と定められ、以後代々子孫は膳の職を継ぎ、もし世継ぎの無いときは、天皇の皇子を継がせ、他の氏を交えず、皇室の食事を司るよう賜った。
また、大いなる瓶(かめ=べ)に例え、高倍さまとして宮中醤院で醤油醸造・調味料の神として祀られている。醤には、野菜を発酵させた草醤、穀物を発酵させた穀醤、魚などを発酵させた肉醤があった。今でいう漬物・味噌醤油・塩辛の三種だが、これらは日本料理の基礎をなすものであり、磐鹿六雁命が料理の祖神とされる由縁である。
高家神社は延喜式神名帳に登載される小社の一つである。現在の所に祀られたのは江戸時代の初頭にさかのぼる。
元和六年(1620)、現在の宮司の祖先となる高木吉右衛門が桜の木の下から、木像と二面の御神鏡をを発見し、社を建てて祀る。
二百年余りの後、この鏡面に御食津神、磐鹿六雁命と記されていたことがわかり、当時所在があきらかではなかった高家神社の御神体であるとして、文政二年(1819)に京都御所に証を願い、御幣帛をいただく。神社拝殿内正面の御神号額はこの時のもので、神祇道管領卜部朝臣良長の銘が刻まれている。
江戸時代以降、醤油沿革史の著者・田中直太郎(金銚子)氏、料理法大全の石井治兵衛氏、さらには日本料理研究会初代理事長・三宅孤軒氏等の労により、祭神の御神徳が発揚され今日に到っている。
頒布のリーフレットより
御朱印
御朱印帳
木による装丁で表紙には当社の社殿が描かれたオリジナル御朱印帳を用意。サイズは16cm×11cmで初穂料は2,220円。
※筆者は拝受していないため、情報のみ記載。
境内案内
参拝を終えて
日本で唯一、料理の神・磐鹿六雁命を主祭神として祀る当社。そのため料理の上達などを祈願しに全国各地から参拝者が訪れる。境内には竹細工が多く並び、夜に訪れたら違った姿を見せてくれるのではと感じた。また、料理の神と千葉という立地の特徴から、頒布品として限定醸造の「高倍」醤油もあり、地元の特徴を存分に出した神社であると云えよう。
地図