『進撃の巨人』―― 囚われたエレン・イェーガー
〔25〕 『進撃の巨人』(原作コミック版)
――第31巻までのあらすじ
まず、第31巻時点までの《あらすじ》を述べますが、最初の行からネタバレです。時間の飛躍が多く、回想場面の挿入が多いので、「31巻」以後に明らかになることに触れないでは「31巻」までの《あらすじ》を書けない。…ネタバレは避けられません。31巻「時点まで」と言ったのも、そのためです。
‥‥というより、このファンタジー世界そのものが、「始祖ユミル」の創った天上世界まで行くと、過去も未来も時間もない世界になってしまうので、時間の前後ということが、われわれの考えているような通常のものではないのです。「過去」も、通常の意味での「過去」ではない。というのは、この世界では、各国の支配者が、それぞれ都合の良いように歴史を書き変えて、支配下の民を洗脳(歴史教育)してしまうからです。そこで、「パラディ島のエルディア人」と、大陸の多数民族「マーレ人」とでは、信じている歴史が違う。
そのために、「エルディア人」と「マーレ人」は、たがいに相手は「自分たちを殺戮する悪魔」「巨人になって人を喰う悪魔」だと信じて恐れ憎んでいます。「エルディア人」は少数民族として大陸にもいて、彼らは多数派の「マーレ人」によって、ゲットーのような狭い居住区に押し込められている。彼ら大陸「エルディア人」の一部――「エルディア復権派」――は、内密に入手した古文書と王家の伝承から、「マーレ」公認の歴史とは異なる・自分たちの「歴史」を掘り起こして信ずるようになります。
《あらすじ》① 「マーレ」と「エルディア」
――仇敵の歴史 ネタバレ注意
2千年前、エルディア初代フリッツ王の女奴隷だった「始祖ユミル」は、豚を逃がしたという罪で仲間の奴隷たちに指弾され、大樹の根元から地下に下降した。地底で有機生物の「始祖」と交わったユミルは、「道」と呼ばれる天上界を創造する。彼女は、時間の無い天上界での作業によって人間を、強大な力を持つ「巨人」にする術を身につけた。初代フリッツ王は、ユミルに3人の王女を産ませ、「始祖の巨人」はじめ計9種の「巨人」の能力が、王家の一族に伝えられた。なかでも「始祖の巨人」は、すべての巨人を自分の意志のままに動かす能力を持つ。王家の血脈はエルディア人全体に拡散し、「ユミルの民」と称されるようになった。
エルディア王家は、巨人の力を利用して世界を征服し「エルディア帝国」を樹立して諸国を支配した。やがて帝国は分裂し、それぞれが巨人の力を利用して争い合う「巨人大戦」に突入。最終的な勝利者「マーレ」が新たな帝国を樹立した。
そのさい、(マーレ公認の歴史によれば)エルディア第145代フリッツ王カールは、エルディア人の大部分を率いて、大洋に浮かぶ「パラディ島」に敗走し、高さ 50m の「三重の城壁」を築いて引き籠った。(他方、「エルディア復権派」の歴史によれば)フリッツ王カールは大戦を終らせるために「始祖ユミル」と「不戦の契 ちぎ り」を交わしてパラディ島に引き籠った。こうしてエルディア人は、島の民と、大陸に残った人々に分かれた。
パラディ島の「三重の城壁」は、巨人を並べて塗り込めたもので、有事には「始祖の巨人」の命令によって、巨人たちは壁を崩して進軍し、大陸諸国を蹂躙し焦土化する(壁の巨人の「地均 ぢなら し」)。この抑止力と、エルディア自身の「不戦の契り」によって平和を維持しようというのが、フリッツ王の意図であったが、その結果は、エルディアと他民族との・相互の憎悪と差別意識を著しく高めることとなった。
しかし、「パラディ島」ではそれは秘密にされており、島のエルディア人はそのことを知らない。島のエルディア人は、「三重の壁」の外は「巨人」だけが住む世界であり、「壁」の外の人類は、巨人に捕食されて絶滅したと、長いあいだ信じさせられてきた。
「巨人大戦」のいまわしい記憶から、「マーレ帝国」では、エルディア人は、巨人化して殺戮を行なう「悪魔」として恐れられ、ゲットーのような狭い居住区に集められ、外出時には腕章の着用を義務づけられるなど、厳しい差別を受けた。「マーレ」以外の諸国でも同様で、大陸のエルディア人はそれぞれの居住区に隔離されて生存した。彼らのなかには、たまたま親の浮気相手がエルディアの血を持っていたというだけの・マーレ人家庭の子もいた。血液検査の技術が発達したため、そういう者も「エルディア人」として割り出され、親と引き離されてエルディア人居住区に隔離されたのだ。
「マーレ」は、居住区からの無断外出者や、反抗を企てたエルディア人を捕え、「無垢の巨人」にしてパラディ島に追放した。その結果、「三重の城壁」の外は「巨人の世界」となったのだった。
「マーレ」の科学者たちは、エルディア人の「巨人化」のしくみを研究し、巨人の脊髄液がエルディア人の体内に入ると、人間の意識がなくなり巨人化して人間を捕食すること、その巨人(「無垢の巨人」)に、エルディア伝来の「9種の巨人」能力者を捕食させると、人間の意識と知能を回復して戦闘できるようになる(巨人⇔人間に変身もできる)ことを解明した。そこで、「マーレ」は、居住地エルディア人のなかから「マーレ」に忠誠を誓う者を選りすぐって「エルディア人戦士隊」に編成し、マーレが確保している「7種の巨人」に改造してパラディ島に潜入させる。任務を果たして帰還したら、「名誉マーレ人」に認定してやるというのだ。
こうして、「パラディ島」の「三重の城壁」の外側には、巨人(じつは、マーレから追放されたエルディア人)が闊歩し、壁が破損すると巨人が入ってきてエルディア人たちを捕食するようになった。
壁内のエルディア王家は、この事態を逆に、みずからの壁内での支配を固めるために利用した。
「マーレ」はパラディ島に「エルディア人戦士隊」を潜入させ、「始祖の巨人」を獲得して、すべての巨人を統御する力を得ようと試み、同時にそれによって「地均し」を無力化することを企てた。潜入した「戦士隊」は「壁」の一部を何度か破壊して、壁外の巨人を乱入させたので、壁内のエルディア人は甚大な被害をこうむり、巨人に対する恐怖を新たにした。
マーレからの潜入「戦士隊」はエルディア側に発覚し、島内での巨人戦ののちに壊滅した。
そこで、エルディア軍事政権は、この機会に、「壁」の外にも人類がいることを島民に公表し、「マーレ」に対する敵愾心を煽 あお った。それによって、パラディ島エルディア人の巨人に対する恐怖は、外部の人類に対する憎悪に変わり、マーレ人と同様の差別意識を、大陸の人びとに対して向けるようになった。
「道」の中心に立つ「始祖ユミル」
《あらすじ》② ガビ、ニコロ、カヤ
――仇敵の遭遇と衝突 ネタバレ注意
潜入者を撃退された「マーレ」は、「エルディア人戦士隊」をふくむ部隊を「パラディ島」に派遣するが、派遣部隊に潜入していた「反マーレ派義勇兵」が、「島」上陸時に姿を現わして実権を握り、エルディア側に投降する。
他方、「パラディ島」エルディアの「調査兵団」は、「マーレ」の「エルディア人居住区」で行なわれた「対パラディ島宣戦布告」の会場を襲撃し、列席した各国名士および居住区エルディア人に多大の犠牲を払わせた。この遠征攻撃は、戦果を挙げる以上に、居住区エルディア人を含む「マーレ」の人びとの・「島」に対する復仇心を高めさせる結果となった。
マーレ陸軍「エルディア人戦士隊」所属の少女ガビは、「マーレ」の忠良な兵士であり、「パラディ島」エルディア人を「悪魔」と信じて憎しみを燃やしていた。ガビは、「マーレ」対中東戦争でめざましく活躍し、「居住区」エルディア人の希望の人となった。
「対パラディ島宣戦布告」会場が襲撃を受けたさい、ガビの同僚たちも死傷者を出した。彼らは、崩れた建物の下敷きとなったり、混乱する群衆に踏み潰されたのだが、ガビは、来襲した「パラディ島」兵団による犠牲と受け止めて復讐心を燃やした。そして、撤収しようとする「調査兵団」の飛行船に侵入して銃撃する。たまたま侵入口の近くにいた少女兵士サシャが犠牲となった。
捕えられたガビらは、捕虜として「パラディ島」に護送されるが、島内で脱獄して逃亡し、カヤのいるブラウス牧場に紛れ込み、身分と事情を隠して働くこととなる。
パラディ島エルディア人であるカヤは、少女の時に眼の前で母を巨人に捕食され、姉がみずから犠牲となって彼女を逃がした原体験を持っていた。そのため、「壁」を破壊して巨人を乱入させた「マーレ」とその「戦士隊」に対しては、恐怖と憎悪の情を忘れることができないのだった。カヤは、ガビらが「マーレ」の兵士で、捕虜であることを立ち聞きして知ってしまうが、牧場主ブラウス氏にはそのことを秘し、ガビらを迎え入れて匿う。
他方、ニコロは、エルディア人ではない純マーレ人で、「マーレ」陸軍派遣部隊の一員としてパラディ島に上陸した。上陸のさい、先述の「反マーレ派義勇軍」の反乱によって「パラディ島」側の捕虜となったが、マーレ料理の才能を買われ、「パラディ島」エルディア軍のレストランで、チーフとして働くこととなる。
ニコロのレストランで、とくにマーレ料理に感激したのは、「調査兵団」の少女兵士サシャだった。サシャは牧場主ブラウス氏の娘だった。ニコロはサシャに好意を寄せ、愛するようになった。ところが、その矢先、サシャが「マーレ」遠征中に、「マーレ」側兵士(ガビ)の銃撃を受けて死亡したことから、銃撃したテロル犯に対して、ニコロは復讐心をつのらせることとなる。
〔26〕 エルディア人――同胞どうしの仇敵と復讐
『もともと2人〔カヤとガビ――ギトン註〕の善悪をめぐる見解は真っ向から対立していました。カヤにとっては、島のエルディア人を悪魔と呼んで虐げるマーレ人も、その手先となってサシャの命を奪ったガビも許しがたい「悪」です。一方のガビにとっては、親友や叔父〔マーレ「エルディア人戦士隊」の同僚たち。「叔父」は誤読――ギトン註〕を殺した島のエルディア人こそが「悪」であり、サシャの殺害は当然の「正義」でした。』
斎藤幸平『ヘーゲル「精神現象学」――100分de名著』,2023,NHK出版,p.125.
ある日、牧場のブラウス一家が、亡き娘サシャと仲の良かったニコロのレストランを訪ねます。牧場のカヤとガビらもついていきます。カヤから、チーフのニコロはマーレ人の捕虜だと聞いたガビは、物陰にニコロを呼んで、自分たちの身元を明かし、エルディア軍に侵入して兵士を殺害した戦歴を語ります。ところが、ニコロはそれによって、恋人サシャを殺害したテロリストがガビであったことを知り、包丁でガビを刺してサシャの仇 かたき を討とうとします。そこに、騒ぎを聞きつけたブラウス氏とカヤが現れると、ニコロはブラウス氏に包丁を渡して仇討ちを促します。
しかし、ブラウス氏は仇討ちを思いとどまって言うのです:
「サシャは狩人やった。こめぇ頃から弓を教えて森ん獣を射て殺して食ってきた。それがおれらの生き方やったからや。けど同じ生き方が続けられん時代が来ることはわかっとったから、サシャを森から外に行かした…。んで…兵士んなったサシャは、よそん土地に攻め入り、人を撃ち、人に撃たれた。結局…森を出たつもりが、世界は命ん奪い合いを続ける巨大な森ん中やったんや…。サシャが殺されたんは…森をさまよったからやと思っとる。せめて子供たちは森から出してやらんといかん。そうやないと、また同じところをぐるぐる回るだけやろう…。
だから過去の罪や憎しみを背負うのは、われわれ大人の責任や」
ニコロはブラウス氏に制止されますが、カヤは、友達と思っていたガビに裏切られたと知って憤激し、ガビを刺そうとし、兵士らに制止されます。
その後、「始祖ユミル」の決意によって「不戦の契り」が解かれ、「壁」に塗り込められた無数の巨人が動き出して世界の「地均し」が開始されます。人びとが逃げ惑う混乱の中で、巨人に喰われようとしたカヤを、そこに遭遇したガビが助けます。
しかし、ガビは、逃走中の捕虜なのです。カヤを助けるため、マーレのライフル銃で巨人を撃ったので、エルディア軍の兵士に見つかってしまいます。ガビは逮捕されそうになりますが、カヤと、いっしょにいたニコロが嘘の証言をして庇 かば ったので、ガビは事なきをえます。
『サシャの父親の「自分たち大人が悪かった」という「告白」を聞いたガビは、自分に刃を向けたカヤを許し、これまでの考え方を捨てて、危機に瀕していたカヤを助けます。この命懸けの行為は、カヤにとってはガビからの「告白」であったと解釈できるでしょう。』
斎藤幸平『ヘーゲル「精神現象学」――100分de名著』,p.125.
ただし、↑傍線部には斎藤さんの誤読があります。上に引用したセリフから明らかなように、ブラウス氏は、「大人が悪かった」などという陳腐な決まり文句は言っていません。憎しみ合い報復し合う世界に「良い」も「悪い」もないのです。そうした世界の重荷を「子供たちにまで負わせてはならない」。だから、自分たち・今の「大人」が、「過去の憎しみや罪」の全責任を負って(償 つぐな いと赦しによって)片付けておかなければならない、と言っているのです。微妙な相違と思うかもしれませんが、これは重大な違いです。
『これに対してカヤも、エルディア兵に見つかりそうになっていたガビを守ることで、ガビの「告白」に応答している。「私…悪魔なんでしょ?」「違う。悪魔は私」という二人のやりとりは、とても象徴的です。』
斎藤幸平『ヘーゲル「精神現象学」――100分de名著』,p.125.
『ここでは、双方が相手の善悪をめぐる価値判断を踏まえて、自己批判し、相手を赦すという、対称的な相互承認が成立しています。その結果、二人は憎しみ殺し合う関係から、助け合う関係となり、社会の共同性が回復されるのです。〔…〕
私の中には悪魔がいるというガビに対して、ニコロは「みんなの中に悪魔がいる」といいます。〔…〕みんなの中に悪魔がいるから、世界は殺戮と憎しみにおおわれてしまったけれど、〔…〕私たちは人間が有限であるという事実を受け入れたうえで、混迷した森から「出られなくても…出ようとし続けるんだ」――つまり、〔…〕共存の道を探し続けることが重要だと、サシャの父親〔ブラウス氏――ギトン註〕の言葉を引きながら述べています。』
斎藤幸平『ヘーゲル「精神現象学」――100分de名著』,pp.125-126.
『こうしてガビとカヤ、そしてニコロのあいだに相互承認が成り立ち、何が正しいのかを共に考えていくことができるようになりました。〔…〕
相互承認の過程では、対立する見解をもつ人々が、自分の考えを相手に押しつけたり、力で押し切ったりといったことが起きません。各人が自分の主張を擁護しながらも、相手と協働し、正しさの基準が変わっていく。そして社会的規範も変容していきます。〔…〕
相互承認によって社会からコンフリクトそのものがなくなるわけではありません。あくまでも、コンフリクトの適切な処理を可能にする態度が相互承認だということです。
そのような到達点を、ヘーゲルは〔…〕「絶対知」と呼びました。』
斎藤幸平『ヘーゲル「精神現象学」――100分de名著』,pp.126-127.
つまり、「絶対知」とは、絶対的に正しい知識とか、絶対的真理、あるいは、全知全能の神の知力、……というような意味ではありません。ヘーゲルによれば人間はどこまでも有限なのですから、絶対的な知識に到達することはありえません。そもそも、絶対的な知識などは存在しないのです。
有限な人間は、「知」のコンフリクトと、「相互承認」によるその調停を繰り返しつつ、「問い直し」のプロセスを永久に続けてゆくのです。そのことを、人間たちは、長い紆余曲折の後に自覚し、意識的なプロセスとして開始する。それが、「近代の到達点」であり「絶対知」にほかならないのです。
「絶対精神」とは、このような「絶対知」のうえに立ち、つねに新たな「知」に向かって開かれている「自由」な精神のありようにほかなりません。
〔27〕 「絶対知」と「相互承認」
――「自由」の扉を開く鍵
しかしながら、人間はついに「絶対知」に到達したとは言いながら、その実践は決して容易ではありません。というのは、「相互承認」は、強制することができないからです。いかにすばらしい民主主義のシステムを打ち立てようと、罰則付きの法律で管理しようと、ひとりひとりの個人が自分から「告白」や「赦し」の態度に向かわないかぎり「相互承認」は成立しません。
『相互承認は「自分も間違っていた」と認める態度なので、自分から進んで疑い、絶望し、学ばなければいけません。これは難しい。〔…〕
資本主義のもとでの格差が広がると、金持ちは「社会に依存しているわけじゃないから、自分の好き勝手にやらせてもらうよ」と主張しはじめ〔ジャニー喜多川のように――ギトン註〕、貧しい人たちも「こんな社会はぶっ壊れてしまえばいい」と共同性を軽視するようになってしまうかもしれません。
〔…〕根気強く協働していくことの負担から目をそむけるということは、結果的に〔…〕分断と対立を加速させるだけです。〔…〕
ヘーゲルは、相互承認を放棄すれば、社会の自由は消失してしまうと警告していました。いま私たちが享受している自由も安泰ではないのです。』
斎藤幸平『ヘーゲル「精神現象学」――100分de名著』,pp.129-131.
哲学は、「自由」の概念を明らかにするかもしれません。「自由」は、これこれの条件のもとで実現される、という論理的推論を述べるかもしれません。しかし、「哲学が自由を実現する」とは、ヘーゲルはどこにも書いてはいないのです。
私たち人類が「自由」を放棄して、二度と手にすることのできないものにしてしまうのは、たやすいことです。とくに、近代という時代においてはきわめて容易です。なぜなら、「相互承認」なくして「自由」はありえないからです。コンフリクトの無解決による分断と対立の激化は、「主・奴」の関係が支配する社会へと導き、さらには人類の「再動物化」をもたらすことになります。
『ヘーゲルは〔…〕『世界史の哲学講義』のなかで、近代に人類が手にしたのは「自由の意識における進歩」だと述べています。
つまり、人類の意識が進歩して自由が〈実現〉され〔…〕たのではなく、〔…〕フランス革命といった「現実の歴史」を通して「自由とは何か」を〈理解〉できるようになったのです。こうした精神の歴史的歩みの一つの到達点が相互承認であり、それこそが自由の扉を開く鍵だと認識できるようになったのです。
〔…〕現実の社会で自由が〈実現〉するかどうかは、私たちの選択にかかっている。〔…〕「自由の意識における進歩」という精神の「労働」がもたらした成果をひきうけて、他者と共に生きていく未来を築くことができるかどうか――それこそが、現代を生きる私たちに突きつけられている課題なのです。』
斎藤幸平『ヘーゲル「精神現象学」――100分de名著』,p.131.
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