鎌倉後期の久我家の娘のあかこ(二条)が後深草院のもとでの奔放すぎる男女関係やその後の仏道修行をしながら思い出に浸る記録『とはずがたり』について
とはずがたり(上) (講談社学術文庫 795) Amazon
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作品について
この作品は、具平親王から続く公家源氏(村上源氏嫡流)の久我雅忠の娘・あかこ(二条)が、1271(文永8)年~1306(嘉元4)年の14歳~49歳までの30数年間に及ぶ自伝的日記文学と言われる作品です。といっても、30年間をこまめにつけたものではなく、その中での印象的なところをまとめたものです。
作者が活動する時代は、鎌倉後期で1221の承久の乱で後鳥羽上皇らの公家方が敗北し、後嵯峨院は承久の乱に加担しなかった系統の皇子であったことから幕府により天皇に擁立され、この後嵯峨院の皇統が続いていく流れとなります。
後嵯峨院は皇位継承を示さずに亡くなってしまったので、ここで後深草院と亀山院兄弟での争いが起こり、幕府の介入により後深草院系の持明院統と亀山院系の大覚寺統に分かれる両統迭立が成立するときのことでした。
(本書より、皇室系図)
後深草院は、作者の二条の母を愛人としていました。その母は作者が幼い時に亡くなり、後深草院は作者を4歳の頃からその形見として面倒を見て狙っていました。14歳になり、後深草院と父・久我雅忠の黙契により院の愛人になります。
その頃、作者は、関東申次として権勢を誇る西園寺家の実兼(作品では”雪の曙”)と恋文を交わしていたのですが、望まぬ院との愛人生活がスタートします。院との間に子をなし、”雪の曙”とも子をなし、院には流産したとうそをつきなんてことをします。
また院の弟で僧の性助法親王(作品では”有明の月”)までもが、作者の魅力に仏道修行の身であることも忘れて、宮中で祈祷の合間に熱烈に言い寄り男女関係となり、ここで二人も子どもを成してしまいます。そのうちの一人はなんと後深草院が自分の子どもとして育てるなんてことも
更には、後深草院と皇統で争っていた弟の亀山院も作者の魅了されます。後深草院は作者に亀山院と関係を持つことを指示します。また、”雪の曙”実兼と作者との関係も知り、あえて実兼に自分との関係を見せつけてその心をへし折るようなことをします、
後深草院が作者を自分のものとして、他の男性が手を出してくるのを見て優越感に浸っているような感が作者の記録で伝わってきます。
それだけなく、後深草院は、作者に自分が興味を持った女性たちとの関係の取り持ち役をさせるなど、その倒錯のすさまじさをこれでもかと作者が記録しています。
作者も後深草院の自分の扱いや女癖などに不満を鬱積させながら、奔放な男性関係を持った結果、ついに後深草院により追放されてしまうことになりますが、それを乗り越えて仏道修行をしていくのが後半の作品のトーンが大きく変わる巻4・巻5となります。
巻1~巻3のぶっとんだ男女関係や、後深草院や作者の入り組んだ倒錯した感情の記録からすると大きく変わります。
巻4では、遊行の僧であり歌人としても名高い西行にあこがれた作者は、追放後からいきなり数年飛ばして、尼になった経緯やどこでそうなったのかという話もなく尼として登場して話が始まります。全国各地の皇室に関係の強いところを訪れながら、京で培った和歌・絵画などの教養を生かして、地方で武士や豪族や遊女などとの交流しながら納経などの仏道修行に励んでいきます。鎌倉にも訪れて親王将軍の姿を見るといったこともします。
この遊行の過程でも、因縁深き後深草院が登場し、自分から離れて各地を女一人で遊行できるのは、各地で男がいるからだなどと言う難癖をつけたりして、相変わらずの作者への支配欲を露します。そんな後深草院らの死を知り、あれだけ苦しめられた存在のはずですが、院の死後は院を偲んですごす姿が描かれ、喧騒の世界から離れるといろんなことがいい形に昇華されるものなのだろうかという感を抱いた作品でした。
前半のぶっ飛び振りと後半のそのぶっ飛び人生の原因の人を偲ぶというコントラスト激しい作品でした。
『とはずがたり』を知ることとなった本のレビュー