正確には、3年と9か月。前回の一時帰国は、コロナによるロックダウン前夜ともなる2020年の1月後半でした。
ワクチンが出来て、ある程度落ち着いて、人の行き来も再開したけれど、日本はいつまでも水際だけは厳戒態勢だったし、実際に、イタリアと日本という距離を考えると、どこで何があっても困るのは自分だから、本当に大丈夫、と確信できるまで待って待って、満を持しての一時帰国してました~!
とはいっても、帰国直前に日本の友人から、「とうとうやられた!」という不穏な連絡が入ったりして、決して100%大丈夫なんて言えない状態だから、イタリアでは忘れ切っているマスクも、なるべく着用してましたけど、幸い何事もなく、無事に戻ることが出来ました。
イタリアに暮らして、30年超なんですが、ほぼ毎年、年末年始の時期に一時帰国していて、数少ない例外は、90年代後半に、貧乏生活でもなんとか手が届きそうなパソコンを買ってしまって、金欠で帰れなかったことかなぁ。当時は、航空券も高くて、確か20万円くらいしたし、イタリアの通過はリラで、両替率も悪かったし、そんな時代だったよねぇ。その後は、乳がんの治療スケジュールの関係で、帰国の時期がずれたりとかはあったけど、一方で、仕事の関係とか親の介護の関係で年に複数帰国することもあったから、つまり、2年以上日本に行かないことはなかったんですよねぇ…。
コロナは勿論として、何度か書いているけれども、ついてないことも多数あり、極めつけは交通事故だったと思うんだけども、普通だったら、そのいちいちを、こんなことがあってね、とさほど時間が経過していない段階で話していたんだろうに、四年もスパンがあると、そういう出来事が多すぎて、すべてについて、さらりとした話になっちゃうもんなんだね。思い出話だもんな、結局。
自分の生活だって、色々変わってきたし、世の中もさらに変化が激しいし、具体的には、生まれ育った東京の町についていけなくなってたさ。
乗り換えとか分からないの。東京駅や新宿駅で、行ったり来たりうろうろしていたのは、私です、笑。
そんな色々を、備忘として、しばらく書いていきたいと思います。
(ミラノからウィーンは窓側だったので、久しぶりに景色を楽しめた~。)
ちなみに、今回ANAのコードシェア便で、行はウィーン経由のオーストリア航空、帰りはミュンヘン経由のルフトハンザ航空でした。もうね、お値段でスケジュールを決めました。他の日程だと1500ユーロを下ることはなかったのだけど、1200ユーロ台で、今となっては破格のお値段でした。
(オーストリア航空の乗務員、男子女子問わずの全身赤…。センスがねぇ…。エコノミークラスに、一人日本人男子がいたけど、すっごく感じよかったなぁ。でも赤いジャケットとか、痛い…。)
びっくりしたのは、ウィーンから成田が、12時間かからず、ウクライナの戦争以前と変わらなかったんだけど、どういうことかな?帰りのミュンヘンは、14時間半かかったし、位置的にはほとんど変わらないと思うんだけど、謎でした。
そして、四年の間に、座席のビデオシステムも、とても進化しているのね。結構びっくりしました。今はきっと、チームの航空会社全社で共同開発するんだろうね。オーストリア航空もルフトハンザもまったく同じ仕様で、映画の選択肢が多すぎて、逆に何を見たらよいのだろうってなる感じ、笑。
(これ、ミラノのマルペンサ空港の書店店頭にあったんだけど、誰?聞いたこともなくてびっくりして凝視してしまったけど、売れてるのかいね?)
それにしてもさ、日本好きな人、多すぎだろ?
ウィーン成田便は、満席で、その大多数(少なくともエコノミークラスでは)は、非日本人の個人旅行者だったと思う。帰りの、羽田ミュンヘン便も、やはり非日本人率が、めっちゃ高かった。
そんで、日本に行くような人たちだから?なんかね、外国人が多いと、トイレが汚れるってのが定番だったけど、汚れないのよ、笑。乗務員が、マメに掃除するようになったのかもしれないし、外国人は日本人ほどトイレに行かないっていうのはあるかもだけどね。
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