3階エレベーターホール
 
上り、下りの表示ランプ
時計針式の階数表示
アカンサスのモチーフがあちこちに
大理石は、山口県産の黄更紗や岐阜県産の美濃黒など
今では採れない貴重なものだとか
アールデコ調のモダンなデザイン
 
エレベーターだけで4枚も載せてしまいました…
 
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10月下旬に開催された
生きた建築ミュージアムフェスティバル大阪2024で見学した建物を、紹介していきます。写真多めなので、説明は簡単にするつもり…です。
堺筋に面して建っている高島屋東別館。
もともとは、大正12年(1923)松坂屋大阪店の仮営業所としてスタート。
現在の姿になったのは昭和12年(1937)、北館・南館と増設した3つの建物がひとつになって、国内最大級の百貨店になりました。
 
北側にある店舗の看板で、ちょっと残念な景観になってました。
 
 
設計は鈴木禎次(1870-1941)
夏目漱石の義理の弟だった。1903年、イギリス・フランスへ留学し、名古屋市内に多くの建築物を残しているそうです。
 
古典様式にアールデコ調の装飾デザインをとりいれ、華やかかつエレガント。

 

 

当時、堺筋には三越・白木屋・高島屋・松坂屋が並ぶ、百貨店通りだったとか。

 

 

長いアーケードや幾何学模様の床は、斬新だったそうです。

 

 

入口周辺も、大理石で豪華!

天井の装飾、通気口のグリルもおしゃれ。

 

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1968年、その2年前に松坂屋が天満橋へ移転し、現在の高島屋東別館となった。

2020年にリノベーション・オープンし、翌年、国の重要文化財となった。

 

3階に高島屋資料館があり、入館無料で入場できます。(火・水休館)

 

この日は、ガイドツアーに参加できたので、普段見られない地下なども見学しました。

 

 

入口横に保存されている階段。

ここは普段、誰でも見られます。

 

ここから地下へ。

普段は入場できない場所です。

 

 

 

 

大理石ふんだんに使ってますね。

丸いデザイン、その上は照明が付いたのかな?

「地一階」の文字が時代を感じさせます。

 

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ここも、普段は未公開の別階段。

左の四角い部分は、おそらくショーウインドーだったというお話でした。

階段手すりなどは、外されたと思われる跡があり、戦時中の金属供出のためと考えられるそうです。

 

 

品物などをゴンドラ(?)で地下まで運ぶ仕組みの取り出し口。

中をのぞくと、カゴ状のものが見えました。

 

 

地下のエレベーターまわりは、シンプルな装飾でした。

それでも大理石。

 
 
当時の人々には、地下は暗いとか怖いイメージがあったようで、それを払しょくするために、なるべく明るくしようという試みがこの白いタイルです。
 
天井部にプリズムガラスを入れ光を取り込み(現在は覆われている)、白いタイルで反射させて室内を明るくする。電気はあったけれど、心理的なものでしょうか。
 
ちなみに、この場所にいると「ゴーッ!!」と音が響いてきました。
地下鉄堺筋線が真横を走っているからで、かつては御堂筋より堺筋が栄えていたので駅と百貨店をつなげる通路を作る予定だったのかも…という想像もできそうです。
 
 
建物を東側から見ると、増築してきた痕跡があり、統一感はなかったです。
百貨店はオモテとウラがまったく違うと聞きますが、外観もそんな感じでした。
 
なんばという立地から、現在はホテルやフードホールなどが入り、人の出入りも多かったです。
 
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せっかくなので、資料館もぐるりとまわりました。

 

 

 

おなじみバラの包み。

ほとんど知らないデザインなんやけど…

 

 

時代を表わす洋装人形。

 

 

《玉虫厨子模造》北村大通

 

あると思わなかったものが突然あるからびっくりしました。

玉虫色も間近で見ました。

 

 
開催中の企画展で、山口晃さんの絵を初めて間近でみたけど、細かすぎてよく見えなかったー
単眼鏡が要りますね。
 
山口晃《日本橋南詰盛況乃圖》一部 リーフレットより
 

 

こんな調子で書いてたら、イケフェスレポ終わらへん気がしてきました笑い泣き