主人が亡くなった時に22だった長女が、今日で29歳になりました。
この時の流れ…そこに信じられない気持ちと、何よりそこまでの年月には主人は居なかったということ、これが本当に悲しく思えます。
主人が亡くなった時に娘は既に関西、大阪に住んでいて、
主人が亡くなるピッタリ1ヶ月前の日、それは5月の連休終わりで、主人と共に帰省していた娘を✈️まで送って行った日でした。
これが、長女と主人の最後の日でした。
そこから1ヶ月経った日に、まさかこんな形で長女が急遽呼び戻されることになるなんて…
まして、主人が亡くなる前々日まで私自身もまた娘の所に行ってたので、バイバイして別れたはずなのにその二日後にまた私と再会することにこんな事でなるなんて、
そこの情景は今思っても、残酷という言葉、それ以外は浮かびません。
古くからお付き合いのあるブロ友さんはご存知かと思いますが、娘の職場の配慮で、まさかの『四十九日』までを私と共に過ごしてくれた長女でした。
こんな事、こんなありがたいことも通常は無いですよね。
私は、ここがあったから自分を少し立て直せた…
今もそう思ってます。
今はもう関西の人。
何事も無ければ、普通に考えるなら家族が出来たのだから向こうに永住です。
我が家は次女に過去いろいろあったので💦💦この頃からどれほど長女に助けられたか、支えてもらったかわからない。
だから私の中でひどく頼りにしていた、いやかなり甘えていたのだと思ってます。
その分、主人を突然に亡くして、そして長くも居てくれた娘が帰って行ってしまうこと、あの時は本当に寂しい自分だったと思い出します。
こんな類稀なる経験、もちろんこれは無かった方が良かったけれど、結果的にそこの娘と密着して過ごせた期間、それは今も忘れる事の出来ない、(悲しみが伴いながらも)濃い時間となりました🥹
誰でもそうだと思うけれど、
ここ(ブログ)に書いてある事が全てなんかでは無く、そうではない部分、常日頃の娘への心配なんかも絶え間なく持っている今の私です。
娘に望むものなんて、もう何も何もない。
ただこれからも元気に、笑って生きてくれて居たならそれでいい。
本当に、そこだけを思う私です。
主人がいた時は独身だった娘なのに、ここまでの年月で二児の母ともなりました。
まるで知らない土地、知らない人たちに囲まれて本当によくやってると私なんかには出来ないとも考えるところです。
これは娘の当時住んでいた所の近くにあったメロンパン専門店。
珍しくて、北海道にはなかなか無いからよく買ったものでした。
そしてこれは、娘の住んでたマンションの玄関を出たところの景色。
なんでこんなのを撮ったかと言うと、北海道民の私には、屋根が全っ然違うなーって、そこが毎回毎回印象深く、そこを見て「大阪」を感じていたものでした。
これを撮った時には当然主人は普通に元気に生きていたわけで…
本当に、本当に幸せだったのだと、今となって思います😢
長女へ、
お誕生日おめでとう。
元気に今を生きててくれてありがとう。
何かあったら、全力で、全てを投げ打ってでもサポートするからね。
今日1日、新しい歳の一年が素晴らしいものとなりますように。