恐れていたはずのこと | 突然旦那が亡くなった…その後の私の人生の記録。ずっと主人と共に
恐れていたはずのこと | 突然旦那が亡くなった…その後の私の人生の記録。ずっと主人と共に

突然旦那が亡くなった…その後の私の人生の記録。ずっと主人と共に

2,018年6月
54歳で主人が突然亡くなりました。
私はその時45でした。

同じような経験や思いを持つ方、そしてそうでない方もこの突然の出来事、この思い、何よりもこの世で54年生きていた主人の事と、その後の私の人生を知って頂けたら幸いです。

私がここまでの年月ブログを書く中で、

当時からある繋がり、いる方たちよりも(当然のようにも)後から後から加わる方たちが増えて来ました。

いつもブログを読ませてもらってるとそれはまるでかつての私をとても感じます。

コメントを寄せたくても皆さんの気持ちが本当にかつての自分過ぎてコメントするにはどの方のブログも…くらいに思えてしまい、皆さんに共感出来るんだと思えて来ることが本当にたくさんあります。



主人との死別後5年と5ヶ月の時間が経ったから、その分の想い、気持ちの変化みたいなものは自らが経験して、苦しいながらもそこを通り受け止めながらも生きて来ました。


その中でずっと思ってたし、ずっと書いて来たことがあります。

今こうして苦しい事もあまりに辛いけど、
そこをそう思わなくなっていく自分、それも悲しくて怖いなって。


本当に矛盾してるような気持ちなんだけど、
ずっとこの悲しみや全ての思いに支配されているような自分?それも辛く思えるのに、

そこを少しずつ感じなくもなるような、
気持ち(記憶)が薄らいでくような自分も絶対に嫌だと、ここまで来る中でどれほど思ったかわからないです、、

結局は、
辛いのはイヤだけどずっと主人を想っていたい。
これが願い、私のこれからを生きる上での希望と言うか、理想?だったのかな。


今、ここまでを生きて来て思うんです。

時間と共に少しずつ、良い形の気持ち、想いにも(自然とも)変わっていくものなんだなぁ…って。


絶対に嫌だと思っていたこと、
怖いなって恐れていたようなことがあったはずなのに、

そんなふうにはならない、なってないと言うのか、
時間と共に全てのぐちゃぐちゃした気持ち、迷い、答えが出なかった問題と思える部分さえも時間と共に少しずつ落ち着いて心に納まっていくような、

もちろんそれは「楽になる」とまではいかないけど、
でもどうにかこうにか過ごしている自分の心を考えるとちゃんと少しずつ(何とか良い形で)折り合いが付けて来られてるのかと、
そんな気もしている私です。


でも、
結局私は何もかもミディアムシップとの出会い


ここがあったから今の私がいる。こんな気持ちになれてる。

これは全てにおいて間違いないと思う。




今日の職場近くの風景。


なんだか芸術的な景色。


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