興福寺阿修羅像は、圧巻だった。 別物だった。
この像のお陰で、普通の仏像を見て退屈する理由が、分かったような気がする。
奈良に都が移ったのが、710年。 (奈良は、唐にならって、都を作る)
今は、2010年だから、1300年経った。
今年いっぱい、平城遷都1300年祭が行われている。
大仏を見に行った。(撮影が、可能と思われたので)
近鉄の奈良駅から歩いた。
京都との違いは、土地にゆとりがある。 歩道も広いし、芝生の公園が、あちこちに。
奈良公園に入っている。 真っ直ぐ行くと南大門。
南大門。 鎌倉時代の正治元年(1199年)のもの。 国宝。
一目、古いと感じた。 柱が折れて、落ちてきそう。
金剛力士立像。 国宝。 高さ8.4メートル。
解体修理したら、中から、いろんなものが出てきた。
その中の書きものに、運慶が中心になって作ったことが書いてあった。
大仏殿。 江戸時代に再建。 国宝。
大きさは、東本願寺の御影堂にかなわないが、形が美しい。
大きさが実感できる。
大仏。 奈良時代、国の平安を願って、聖武天皇がつくった。 ※ 中の撮影は、大丈夫だった。
でも、貴族や寺院は富み栄えたが、農民の負担は激増し、浮浪者や餓死者が後を絶たなかったそうだ。
何度も火事で焼けた。
台座と袖、脚などの一部に、当初の部分が残っているだけ。 でも、それがあるため、国宝。
頭部は江戸時代の作。
大仏の下の方にある、蓮弁の模型。 仏教に関わる物が、書かさっている。
虚空蔵菩薩像。 大仏の左側に。 江戸時代の物。 これでも大きい。
大仏の高さは、14.7メートル。
左奥に、広目天像。 この像はいつも、本尊の左側にあって、本尊を守っている。
こんな表情。
像は、何段にも分けて作られた。 像が先で、建物は後に。
柱に穴があって、みんな通ってた。 昔、私も通った。 この穴に柱を入れ、太い柱を少し回転させるための穴。
多聞天像。 大仏の右側に。
こんな表情。
右、前方から。
如意輪観音菩薩像。
顔は、芸術的には、高く評価されていない。
昭和55年に、大仏殿の大修理が終わった。 その時の、落慶法要。 なお、東大寺も世界遺産。
東大寺の後、興福寺を見た。
五重塔は、1426年ころの物。 高さ50.8メートル。 木造塔としては東寺五重塔に次ぎ、日本で2番目に高い。
国宝。
国宝館にあった、阿修羅像。
日本でもっとも有名な仏像の一つと聞いていたが、存在感が違った。
他にも、仏像はたくさんあって、その説明を読んだ。 表情の意味が知りたかった。
あることが、分かった。
仏像の表情は、悟りの境地とか、弟子に何かを訴えているとか、仏教の世界の中の、表情だった。
人間が生きる中での、喜びや悲しみや希望など、自由に表現したものではなかった。
仏像を見て、今まで、少し退屈していた理由が、これで分かった。
※ 仏像に興味を持って、どういう種類の仏像だとか、研究心を持って見たら、もちろん退屈することはないと思うが。
阿修羅像の表情は、説明は読まなくても、仏像としての表情の他に、人間としての表情があった。
魅力の大きさは、そこにあると思った。
今まで仏像をたくさん見たが、感動したものがあったろうか。
広隆寺の半跏思惟像。 法隆寺の百済から伝わった像。
でも、これらは、仏像として、いいなと思ったレベルだったように思う、
興福寺の阿修羅像は、人間の像として見ても美しく、他の仏像とは比べられない、質の高いものに感じた。
五重塔で例えれば、室生寺や、瑠璃光寺の塔のような、存在だった。
東金堂の中も見た。 こんな像が。
近くの、猿沢池。 カメがいっぱい。
小路を歩いた。 普通のお土産屋さんは、のぞいても、楽しくはない。
こう言う所は、隠れた穴場。
ここのお店も、個性的なものがいっぱい。 値段は高いが、欲しい物が見つかる。
息子に、水筒をプレゼントした。
私が先日買ったものに、似ている。 絵は、ここのオリジナル。 奈良公園の鹿の絵。 全て質の高いデザイン。
春鹿酒造で、酒を飲んだ。 400円で、お猪口1杯ずつ、5種類。 おまけの1杯と、奈良漬けも。
泡の出るお酒が、美味しかった。
この人がいる間と思って、いそいでシャッターを切った。
楽しめる店が、あちこちに隠れている。
せんとくん。 可愛くないとかで、もめた。 それが、大きな宣伝効果になった。
私も好きでない。
決める過程で、市民が参加できなかった。 そこに大きな問題。
マスコット・キャラクターを決めるのに、どうして、彫刻家に依頼したかが分からない。
当然、デザインの専門家になると思うが。 (競作には、なっているが)
※ 見えないところで、何かが決まって行くと、知られては困ることがあるのではと、疑いたくなる。
今日は、大仏殿の中を、自由に撮影できたことが、うれしかった。
そして、阿修羅像を見て、いろいろ考えることが出来た。
それが、良かったでしょうか。
【道の駅】 同じです。
【明日の予定】 道の駅は動きますが、明日からの準備をしたい。
見る時間は、無いかもしれない。
【ブログランキング】 国内旅行3位、旅行全体で8位です。
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この像のお陰で、普通の仏像を見て退屈する理由が、分かったような気がする。
奈良に都が移ったのが、710年。 (奈良は、唐にならって、都を作る)
今は、2010年だから、1300年経った。
今年いっぱい、平城遷都1300年祭が行われている。
大仏を見に行った。(撮影が、可能と思われたので)
近鉄の奈良駅から歩いた。
京都との違いは、土地にゆとりがある。 歩道も広いし、芝生の公園が、あちこちに。
奈良公園に入っている。 真っ直ぐ行くと南大門。

南大門。 鎌倉時代の正治元年(1199年)のもの。 国宝。
一目、古いと感じた。 柱が折れて、落ちてきそう。

金剛力士立像。 国宝。 高さ8.4メートル。
解体修理したら、中から、いろんなものが出てきた。
その中の書きものに、運慶が中心になって作ったことが書いてあった。

大仏殿。 江戸時代に再建。 国宝。
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大きさは、東本願寺の御影堂にかなわないが、形が美しい。
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大きさが実感できる。
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大仏。 奈良時代、国の平安を願って、聖武天皇がつくった。 ※ 中の撮影は、大丈夫だった。
でも、貴族や寺院は富み栄えたが、農民の負担は激増し、浮浪者や餓死者が後を絶たなかったそうだ。

何度も火事で焼けた。
台座と袖、脚などの一部に、当初の部分が残っているだけ。 でも、それがあるため、国宝。
頭部は江戸時代の作。
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大仏の下の方にある、蓮弁の模型。 仏教に関わる物が、書かさっている。
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虚空蔵菩薩像。 大仏の左側に。 江戸時代の物。 これでも大きい。
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大仏の高さは、14.7メートル。
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左奥に、広目天像。 この像はいつも、本尊の左側にあって、本尊を守っている。

こんな表情。
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像は、何段にも分けて作られた。 像が先で、建物は後に。

柱に穴があって、みんな通ってた。 昔、私も通った。 この穴に柱を入れ、太い柱を少し回転させるための穴。

多聞天像。 大仏の右側に。
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こんな表情。
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右、前方から。

如意輪観音菩薩像。
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顔は、芸術的には、高く評価されていない。

昭和55年に、大仏殿の大修理が終わった。 その時の、落慶法要。 なお、東大寺も世界遺産。

東大寺の後、興福寺を見た。
五重塔は、1426年ころの物。 高さ50.8メートル。 木造塔としては東寺五重塔に次ぎ、日本で2番目に高い。
国宝。

国宝館にあった、阿修羅像。
日本でもっとも有名な仏像の一つと聞いていたが、存在感が違った。

他にも、仏像はたくさんあって、その説明を読んだ。 表情の意味が知りたかった。
あることが、分かった。
仏像の表情は、悟りの境地とか、弟子に何かを訴えているとか、仏教の世界の中の、表情だった。
人間が生きる中での、喜びや悲しみや希望など、自由に表現したものではなかった。
仏像を見て、今まで、少し退屈していた理由が、これで分かった。
※ 仏像に興味を持って、どういう種類の仏像だとか、研究心を持って見たら、もちろん退屈することはないと思うが。
阿修羅像の表情は、説明は読まなくても、仏像としての表情の他に、人間としての表情があった。
魅力の大きさは、そこにあると思った。
今まで仏像をたくさん見たが、感動したものがあったろうか。
広隆寺の半跏思惟像。 法隆寺の百済から伝わった像。
でも、これらは、仏像として、いいなと思ったレベルだったように思う、
興福寺の阿修羅像は、人間の像として見ても美しく、他の仏像とは比べられない、質の高いものに感じた。
五重塔で例えれば、室生寺や、瑠璃光寺の塔のような、存在だった。
東金堂の中も見た。 こんな像が。

近くの、猿沢池。 カメがいっぱい。

小路を歩いた。 普通のお土産屋さんは、のぞいても、楽しくはない。
こう言う所は、隠れた穴場。
ここのお店も、個性的なものがいっぱい。 値段は高いが、欲しい物が見つかる。
息子に、水筒をプレゼントした。
私が先日買ったものに、似ている。 絵は、ここのオリジナル。 奈良公園の鹿の絵。 全て質の高いデザイン。

春鹿酒造で、酒を飲んだ。 400円で、お猪口1杯ずつ、5種類。 おまけの1杯と、奈良漬けも。
泡の出るお酒が、美味しかった。

この人がいる間と思って、いそいでシャッターを切った。

楽しめる店が、あちこちに隠れている。

せんとくん。 可愛くないとかで、もめた。 それが、大きな宣伝効果になった。
私も好きでない。
決める過程で、市民が参加できなかった。 そこに大きな問題。
マスコット・キャラクターを決めるのに、どうして、彫刻家に依頼したかが分からない。
当然、デザインの専門家になると思うが。 (競作には、なっているが)
※ 見えないところで、何かが決まって行くと、知られては困ることがあるのではと、疑いたくなる。

今日は、大仏殿の中を、自由に撮影できたことが、うれしかった。
そして、阿修羅像を見て、いろいろ考えることが出来た。
それが、良かったでしょうか。
【道の駅】 同じです。
【明日の予定】 道の駅は動きますが、明日からの準備をしたい。
見る時間は、無いかもしれない。
【ブログランキング】 国内旅行3位、旅行全体で8位です。
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京都を離れたら、大きな都市には入らない。
必要なものは、今のうちに準備と思うので、見学の時間がなくなる。
駅のそばのビッグカメラに行ってきた。
気付いたら、午後の2時だった。
鞍馬寺は無理なので、帰る途中にある、太秦の映画村に寄った。
旅人さんのコメントを読んで、はたと、自分も考えた。
この10日ほど、有名な所をたくさん見た。
感動はどうだったのか、振り返ってみた。
考えてみたら、京都に入る前の、生野の道の方が面白かったようにも思う。
これは、何なんだろう。
京都は、第一級の観光地なのに。
明日は奈良に行くが、明後日から、元の旅に戻る感じがする。
誰も行かない所を歩いているのが、自分の旅かなとも思う。
今日は、映画村で、遊んできた。 京都の見学の最後。
映画村の中の、どこででも、映画の撮影はできる。
平日だが、人はいた。 映画の撮影を期待したが、今日は予定がなかった。
ここの中村座では、いろんな催しがある。 この後、2つ見る。
幕末に関わるものがあった。 近江屋で、龍馬は襲われた。
伏見の池田屋ですね。 ここでも龍馬は襲われたが、お龍の機転で助かった。
※ 数年前に行ってきた。 京都市が、当時の物ではないと言ってるのに、まだ建物を展示している。
いろんな小路がある。 中も、それなりの雰囲気。
吉原通り。
花魁(おいらん)。
お化け屋敷の中を撮りたかったが、それはできなかった。
このような、説明のツアーも。
中村座での忍者ショー。 空中を忍者が飛んだ。
この人が客席に来て、一人の女性に、突然刀を突き付けた。
舞台の上の敵は、「そのお姉さんは、関係ない」と叫んだ。
下の人は、こう怒って、笑わせた。
「何だと、この人がお姉さんだと。 どこがお姉さんだ」
「昔は、お姉さんだったかも知れないが」
衣装を身に着けた、子供さん。 何千円かで、昔の格好が出来る。 そして、村の中を歩く。
映画の撮影の手順を、実際にやっていた。
戦いの場面は、刀の使い方を、ゆっくりやって確認する。 その後、スピードをつけてやる。
本番では、負ける方が勝ってしまい、大笑い。
中村座。
南京玉簾をやっていた。 隣の人は、お母さんかと思っていた。
可愛い子供さんだったので、この母さんからこの子か、とか思っていたら、お母さんではなかった。
さらに、この人は、男だった。
先日こんなことがあった。
東山に行く時、京都駅からバスに乗った。 満員だった。
途中のバス停から、お年寄りが乗った。
一人の高校生が席を立った。 甘いマスクをした、身長170㌢位の男の子だ。
席を譲った。
いい風景を見たと思って、うれしくなった。
※ 今の高校生の悪口は、いくらでも言える。
どれだけ言っても、誰にも反撃されない。 楽な、人の批判だ。
その子らを育てたのは、自分も含めた今の社会であることを忘れて。
そうして、しばらくして、気付いた。
通路に立っている、さっきの男の子を見た。 スカートをはいていた。
男の子でなく、女の子だった。 心の中で、謝った。
最近、女の人と男の人を、時々間違う。
上手だなあと思った。 こんなの書きたい。
大岡越前や、遠山の金さんを撮影するところ。
座ってる女の人は、ここに座っていたら、その気になっちゃう、と言った。
テレビや写真で見るより、実際は狭い。
去年の春に来た時も、写した。 さらし首。
遠山の金さんをやった人達。
日本橋を半分過ぎたら、こうだった。
映画の撮影ごとに、塗り替えると言う。
今、こんなのを撮影。 ここで働いている人たちも、映画の中に出てくる。
5時少し前。 間もなく、終わり。
出口で撮影。
こういう所に来て、一番面白いのは、芝居です。
今日は、伊賀忍者ショー。
自分とは違う誰かになりきって演じるのは、面白いかもしれないと、思います。
子どもの時の劇しか、自分はやったことがない。 チャンスがあったら、やってみたいですね。
そう言えば、わらび座を思い出しました。
今年の講演の情報を、知りたいです。
過去に、小野小町もやった。天草四郎、鶴姫もやった。
大きな夢に向かって生きた人間って、誰でしょう。
きっと、そう言う人を選ぶと思います。
すぐに、思いつかない。
【道の駅】 同じです。 ガレリアかめおか
【明日の予定】 奈良に行ってきます。
【今日の歌】 久しぶりに、鶴姫伝説(YouTube) いい曲です。
必要なものは、今のうちに準備と思うので、見学の時間がなくなる。
駅のそばのビッグカメラに行ってきた。
気付いたら、午後の2時だった。
鞍馬寺は無理なので、帰る途中にある、太秦の映画村に寄った。
旅人さんのコメントを読んで、はたと、自分も考えた。
この10日ほど、有名な所をたくさん見た。
感動はどうだったのか、振り返ってみた。
考えてみたら、京都に入る前の、生野の道の方が面白かったようにも思う。
これは、何なんだろう。
京都は、第一級の観光地なのに。
明日は奈良に行くが、明後日から、元の旅に戻る感じがする。
誰も行かない所を歩いているのが、自分の旅かなとも思う。
今日は、映画村で、遊んできた。 京都の見学の最後。
映画村の中の、どこででも、映画の撮影はできる。

平日だが、人はいた。 映画の撮影を期待したが、今日は予定がなかった。

ここの中村座では、いろんな催しがある。 この後、2つ見る。

幕末に関わるものがあった。 近江屋で、龍馬は襲われた。
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伏見の池田屋ですね。 ここでも龍馬は襲われたが、お龍の機転で助かった。
※ 数年前に行ってきた。 京都市が、当時の物ではないと言ってるのに、まだ建物を展示している。
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いろんな小路がある。 中も、それなりの雰囲気。
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吉原通り。
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花魁(おいらん)。
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お化け屋敷の中を撮りたかったが、それはできなかった。
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このような、説明のツアーも。
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中村座での忍者ショー。 空中を忍者が飛んだ。
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この人が客席に来て、一人の女性に、突然刀を突き付けた。
舞台の上の敵は、「そのお姉さんは、関係ない」と叫んだ。
下の人は、こう怒って、笑わせた。
「何だと、この人がお姉さんだと。 どこがお姉さんだ」
「昔は、お姉さんだったかも知れないが」
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衣装を身に着けた、子供さん。 何千円かで、昔の格好が出来る。 そして、村の中を歩く。
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映画の撮影の手順を、実際にやっていた。
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戦いの場面は、刀の使い方を、ゆっくりやって確認する。 その後、スピードをつけてやる。
本番では、負ける方が勝ってしまい、大笑い。
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中村座。
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南京玉簾をやっていた。 隣の人は、お母さんかと思っていた。
可愛い子供さんだったので、この母さんからこの子か、とか思っていたら、お母さんではなかった。
さらに、この人は、男だった。
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先日こんなことがあった。
東山に行く時、京都駅からバスに乗った。 満員だった。
途中のバス停から、お年寄りが乗った。
一人の高校生が席を立った。 甘いマスクをした、身長170㌢位の男の子だ。
席を譲った。
いい風景を見たと思って、うれしくなった。
※ 今の高校生の悪口は、いくらでも言える。
どれだけ言っても、誰にも反撃されない。 楽な、人の批判だ。
その子らを育てたのは、自分も含めた今の社会であることを忘れて。
そうして、しばらくして、気付いた。
通路に立っている、さっきの男の子を見た。 スカートをはいていた。
男の子でなく、女の子だった。 心の中で、謝った。
最近、女の人と男の人を、時々間違う。
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上手だなあと思った。 こんなの書きたい。
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大岡越前や、遠山の金さんを撮影するところ。
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座ってる女の人は、ここに座っていたら、その気になっちゃう、と言った。
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テレビや写真で見るより、実際は狭い。
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去年の春に来た時も、写した。 さらし首。
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遠山の金さんをやった人達。
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日本橋を半分過ぎたら、こうだった。
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映画の撮影ごとに、塗り替えると言う。
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今、こんなのを撮影。 ここで働いている人たちも、映画の中に出てくる。
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5時少し前。 間もなく、終わり。
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出口で撮影。
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こういう所に来て、一番面白いのは、芝居です。
今日は、伊賀忍者ショー。
自分とは違う誰かになりきって演じるのは、面白いかもしれないと、思います。
子どもの時の劇しか、自分はやったことがない。 チャンスがあったら、やってみたいですね。
そう言えば、わらび座を思い出しました。
今年の講演の情報を、知りたいです。
過去に、小野小町もやった。天草四郎、鶴姫もやった。
大きな夢に向かって生きた人間って、誰でしょう。
きっと、そう言う人を選ぶと思います。
すぐに、思いつかない。
【道の駅】 同じです。 ガレリアかめおか
【明日の予定】 奈良に行ってきます。
【今日の歌】 久しぶりに、鶴姫伝説(YouTube) いい曲です。
東寺がなぜ、世界遺産なのか。
行って分かった。 国宝や重要文化財の数が、生半可なものではなかった。
※ 数はメモしなかった。 千の単位。
建物3つが国宝。 これも、理由でしょうか。
最初に見えたのは、食堂(じきどう)。 ここは、無料で見られる。
※ 東寺は、全体の半分の建物が、無料で見られる。
お参りは、無料の所で出来るので、近所の人もやってくる。
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中に入っての撮影は、どこも出来なかった。 これは、食堂の中。 外から撮影。
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平安京に都が移った時に、この寺は出来た。 歴史のある、古い寺。
それで、国宝や文化財が多い。
これが、目指す五重塔。 美しいと言えるでしょうか。
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高さ、55㍍。 木造の塔で、日本最大。 人が小さく見えるくらい、大きい。
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東寺の少し西に、昔、羅城門があった。 ※ 羅生門とも。
それは、京都の入り口だった。 その東に出来たので、東寺と言われる。 別名は、教王護国寺。
平安京が出来た時、都を守るために作られた。
昔は、西寺もあったが、今はない。 西寺跡だけ。
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東寺の辺りが、京都の左右の中心の場所。
でも、寺などの多くは、東寄りにある。 東山の方が、栄えたからか。
五重塔は、雷火や不審火で4回焼失している。
現在の塔は5代目で。 寛永21年(1644年)、徳川家光の寄進で建てられた。
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傷みが少ない。
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修学旅行生が多かった。 清水寺のような、賑やかさではないが。
境内が、すべて平面だから、寺の魅力には限界があるように思うかな。
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大きいことは、分かったが、特徴がはっきりしない。
一つ分かるのは、上と下の屋根の大きさが、余り変わらない。 ※ 上は、一番下の半分の塔もある。
2階以上には、全部、手すりのようなのがある。 これも、普通。
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悪い塔ではないので、何とか美しく撮りたい。 難しい。
最後に、木を一緒に撮ってみた。 それが、下の写真。
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手前が講堂。 奥が、金堂。
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講堂の中には、仏像が、集団であった。 別世界に来た感じだった。 ※ 写真は、パンフレット。
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国宝、帝釈天。
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堂内全体を、立体曼荼羅と呼んでいた。
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ここは、無料で見られる太子堂。 弘法大師住んだとされる建物。
建物は、1390年の物。
中に、太子像が祀られている。 どちらも、国宝。
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空海は、ここから高野山に行く。 こんな歌があった。
「身は高野 心は東寺に おさめおく」
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歩いて、東本願寺に向かった。 十分歩ける距離。(30分くらいか)
これが、東本願寺の御影堂。 明治28年に完成している。
平成16年から、5年間をかけて、大修理がおこなわれた。
とにかく大きな建物。 木造の建築物で世界最大とあった。
幅(間口)、76㍍。 ※ 大仏殿は、57.5㍍。 知恩院本堂、44㍍。
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この寺は、新しいため、国宝や重要文化財は少ない。
そのため、世界遺産にはなっていない。
隣の、西本願寺派、世界遺産。 東本願寺派、悔しいと思う。
この建物が世界一の大きさなので、やっと面目が保たれてるかもしれない。
新しいのが分かる。 美しい。
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駅前の、広い敷地にある。
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御影堂門。 これも、大きい。
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この寺は、「善人なおもて 往生をとぐ いわんや 悪人をや」と言った、親鸞の寺。
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阿弥陀堂へ行く。
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毛綱というのがあった。
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女の人の髪の毛と麻を寄り合わせて作った。 寺を建てるための木材を引くために、寄進された。
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個々の寺のマスコットは、蓮(れん)ちゃん。
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今日は、大きい物2つをみた。
大きさは、驚きはあっても、美しさとは、別でしょうか。
どちらも、声が出る感動ではありませんでしたが、悪くはなかったですよ。
今日は、歩きやすい靴を探した。 見つかった。
春に靴を変えていた。
7,8㌔歩いたら、足が痛くなった。
クッションのいいのを買った。 10㌔歩いても、きっと大丈夫。 (買った時から、はいた)
カメラのレンズも一つ買ってしまった。
タムロンから、マクロレンズの小型のが出たので。
※ タムロンから派遣された人に、たくさん撮影のことを聞いた。
以前使っていた、キスにちょうどいい大きさ。
どっちのカメラでも、使うことになりそう。
小さな花や、昆虫を撮るのに便利。 近々、いい写真を。
【道の駅】 同じです。
【明日の予定】 時間があれば、鞍馬寺と、鞍馬山。
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行って分かった。 国宝や重要文化財の数が、生半可なものではなかった。
※ 数はメモしなかった。 千の単位。
建物3つが国宝。 これも、理由でしょうか。
最初に見えたのは、食堂(じきどう)。 ここは、無料で見られる。
※ 東寺は、全体の半分の建物が、無料で見られる。
お参りは、無料の所で出来るので、近所の人もやってくる。
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中に入っての撮影は、どこも出来なかった。 これは、食堂の中。 外から撮影。
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平安京に都が移った時に、この寺は出来た。 歴史のある、古い寺。
それで、国宝や文化財が多い。
これが、目指す五重塔。 美しいと言えるでしょうか。
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高さ、55㍍。 木造の塔で、日本最大。 人が小さく見えるくらい、大きい。
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東寺の少し西に、昔、羅城門があった。 ※ 羅生門とも。
それは、京都の入り口だった。 その東に出来たので、東寺と言われる。 別名は、教王護国寺。
平安京が出来た時、都を守るために作られた。
昔は、西寺もあったが、今はない。 西寺跡だけ。
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東寺の辺りが、京都の左右の中心の場所。
でも、寺などの多くは、東寄りにある。 東山の方が、栄えたからか。
五重塔は、雷火や不審火で4回焼失している。
現在の塔は5代目で。 寛永21年(1644年)、徳川家光の寄進で建てられた。
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傷みが少ない。
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修学旅行生が多かった。 清水寺のような、賑やかさではないが。
境内が、すべて平面だから、寺の魅力には限界があるように思うかな。
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大きいことは、分かったが、特徴がはっきりしない。
一つ分かるのは、上と下の屋根の大きさが、余り変わらない。 ※ 上は、一番下の半分の塔もある。
2階以上には、全部、手すりのようなのがある。 これも、普通。
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悪い塔ではないので、何とか美しく撮りたい。 難しい。
最後に、木を一緒に撮ってみた。 それが、下の写真。
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手前が講堂。 奥が、金堂。
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講堂の中には、仏像が、集団であった。 別世界に来た感じだった。 ※ 写真は、パンフレット。
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国宝、帝釈天。
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堂内全体を、立体曼荼羅と呼んでいた。
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ここは、無料で見られる太子堂。 弘法大師住んだとされる建物。
建物は、1390年の物。
中に、太子像が祀られている。 どちらも、国宝。
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空海は、ここから高野山に行く。 こんな歌があった。
「身は高野 心は東寺に おさめおく」
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歩いて、東本願寺に向かった。 十分歩ける距離。(30分くらいか)
これが、東本願寺の御影堂。 明治28年に完成している。
平成16年から、5年間をかけて、大修理がおこなわれた。
とにかく大きな建物。 木造の建築物で世界最大とあった。
幅(間口)、76㍍。 ※ 大仏殿は、57.5㍍。 知恩院本堂、44㍍。
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この寺は、新しいため、国宝や重要文化財は少ない。
そのため、世界遺産にはなっていない。
隣の、西本願寺派、世界遺産。 東本願寺派、悔しいと思う。
この建物が世界一の大きさなので、やっと面目が保たれてるかもしれない。
新しいのが分かる。 美しい。
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駅前の、広い敷地にある。
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御影堂門。 これも、大きい。
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この寺は、「善人なおもて 往生をとぐ いわんや 悪人をや」と言った、親鸞の寺。
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阿弥陀堂へ行く。
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毛綱というのがあった。
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女の人の髪の毛と麻を寄り合わせて作った。 寺を建てるための木材を引くために、寄進された。
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個々の寺のマスコットは、蓮(れん)ちゃん。
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今日は、大きい物2つをみた。
大きさは、驚きはあっても、美しさとは、別でしょうか。
どちらも、声が出る感動ではありませんでしたが、悪くはなかったですよ。
今日は、歩きやすい靴を探した。 見つかった。
春に靴を変えていた。
7,8㌔歩いたら、足が痛くなった。
クッションのいいのを買った。 10㌔歩いても、きっと大丈夫。 (買った時から、はいた)
カメラのレンズも一つ買ってしまった。
タムロンから、マクロレンズの小型のが出たので。
※ タムロンから派遣された人に、たくさん撮影のことを聞いた。
以前使っていた、キスにちょうどいい大きさ。
どっちのカメラでも、使うことになりそう。
小さな花や、昆虫を撮るのに便利。 近々、いい写真を。
【道の駅】 同じです。
【明日の予定】 時間があれば、鞍馬寺と、鞍馬山。
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先に、東寺ヘ行くんだった。
後回しにしたため、行った時は、門は閉まっていた。
五重の塔は、三重とちょっとしか見られなかった。
今日は、何か、小さな事を書きますね。 思いついたこと。
【朝、バスの中で】
11時前、道の駅から、いつもの小さなバスに乗った。
途中のバス停で、お母さんと1歳くらいの男の子が乗った。
お母さんに抱っこしてもらってる男の子は、バスを停めるブザーが押したい。
手が、そ~っと、ブザーに向かう。 お母さんは、ダ~メって、手を押さえる。
でも、男の子は、また手を伸ばす。 お母さんは、押さえる。
それを、ずっと繰り返した。 他の、4,5人のお客さんは、それを見て楽しむ。
途中から、男の子の気持ちは、変わった。
ブザーを押したいから、そうするのではなく、お母さんがダメって言うのを、楽しみにするようになった。
駅が近づいた時、男の子は押そうとした。 今度は、押していい。
でも、男の子の動きを見ていなかった人が、押してしまった。
ちょっぴり残念そうだったけど、お母さんと楽しく遊んだので、泣かなかった。
【国際会館の近くの、アウトドアの店】
電車の終点で降りて、探した。
道を間違ったのか、見つからない。
歩いている、女性の方がいた。 私より若い。 ※ ジョギング中かもしれない。
お店を聞いたら、店の側まで、500㍍ほど歩いて、連れて行ってくれた。
昨年、北海道に行ったという。 旭山動物園や、小樽から大沼までなど。
旅をしていると、このように、人のお世話になり、また、色んな人に出会う。
相手に与える自分の印象は、服装を含めた、全体と思う。
そんなことで、今回、夏に向けた服装を探している。
ここのアウトドアの店は、デザインやサイズが、豊富になかった。 買えなかった。
新京極の店に向かった。
先日見た、錦天満宮があったので、寄った。
からくり人形は、ふたつあった。 二つとも、動いていた。
狭い敷地の中に、神社の他に、小さな祠も、3つ程ある。 いい雰囲気。
見えるのは、人形。
これが、湧水。 喉が渇いた人も、ここに来る。
都会の中に神社を作る時、ここの神社は、参考になる。
【買い物に着いて】
昨日やっと見つけたのが、袖のない夏に着る上着。 ポケットが多め。
新しい、バッグとリュックも、気に入ったのがあった。
上着と、それに会う服を身に着け、バッグとカメラをぶら下げて、買い物。
ズボンと、シャツと、Tシャツを探した。
上着やバッグに会わせて選ぶから、疲れない。
店の人のアドバイスも参考にして、5点ほど買った。
新京極のこの店は、登山用の店だから、商品は、汗を逃がすという面で優れたものが多い。
夏は、これで乗り切れそう。 足りないものは、適当な店でいい。
デパートをブラついたら、服装のデザインや色の勉強ができますね。
マネキンに着せてるのが、そこの店のセンスですね。
昔と比べて、色の合わせ方は、複雑になっている。
そのセンスは、訓練しなければ、身に付かないように思う。
自分で気に入ったのが、はたから見て、「お子様ランチ」に見えないようにしなければならない。
近鉄の京都駅から、1駅乗ったら、東寺。
5時を過ぎていたので、塀の外からしか見えない。
五重塔だけど、三重とちょっと。
この五重塔は、京都のシンボルとなっている。
高さ54.8メートル。 木造塔としては日本一の高さ。
今の塔は、5代目で、1644年に建った。 徳川家光の寄進で建てられたそう。
こんなのを見た。 後ろに子供が載っている。 日本人でなく、東南アジアの感じ。
塀の周りを、1周した。
ここの東寺はバカにできない。 いくつかの建物しかないのに、世界遺産だ。
何があって世界遺産なのか、この目で確認したい。
あらためて、行って来ますね。
昔、空海がいたこともあるそうだ。
ここは、南大門。 一番大きな入り口。
建物が傷んでいるのか、写真を撮った。 そうでもなかった。
こんなことが、書いてあった。 少し不満。
弘法大師は、相手を染めることのできた人なのに、どうしてこう言うのだろう。
これだったら、悪いと見られたら、いつまでも仲間外れだ。
以前のブログに、こう書いた。
花の木村と盗人たち、という話がある。
盗人たちが、花に木村に、どろぼうに入った。
でも、村の人たちは、あなた方はいい人たちだと迎えた。
盗人は、うれしくなって、改心してしまった。
これが、新美南吉の考え。 人の生き方として、これが好き。
※ 関連ブログ ごんぎつねの舞台、何吉のふるさとを歩く。 上の文は、このブログに。
雨が止んで、涼しい1日でした。
日曜日、奈良に息子と行きます。 その後、京都を離れます。
【道の駅】 同じです。
【明日の予定】 五重塔と、何かかな。 分からない。
【今日の歌】
北の岬。 画面をクリックしたら、歌が流れます。
久しぶりに、コメントが入りました。 ※ YouTubeが、教えてくれます。 メールで。
Besame mucho(YouTube) ベッサメ・ムーチョ。 昨日4条大橋で聞きました。 これは、 プレスリーです。
たたみかけるように歌う所が好きかな。
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後回しにしたため、行った時は、門は閉まっていた。
五重の塔は、三重とちょっとしか見られなかった。
今日は、何か、小さな事を書きますね。 思いついたこと。
【朝、バスの中で】
11時前、道の駅から、いつもの小さなバスに乗った。
途中のバス停で、お母さんと1歳くらいの男の子が乗った。
お母さんに抱っこしてもらってる男の子は、バスを停めるブザーが押したい。
手が、そ~っと、ブザーに向かう。 お母さんは、ダ~メって、手を押さえる。
でも、男の子は、また手を伸ばす。 お母さんは、押さえる。
それを、ずっと繰り返した。 他の、4,5人のお客さんは、それを見て楽しむ。
途中から、男の子の気持ちは、変わった。
ブザーを押したいから、そうするのではなく、お母さんがダメって言うのを、楽しみにするようになった。
駅が近づいた時、男の子は押そうとした。 今度は、押していい。
でも、男の子の動きを見ていなかった人が、押してしまった。
ちょっぴり残念そうだったけど、お母さんと楽しく遊んだので、泣かなかった。
【国際会館の近くの、アウトドアの店】
電車の終点で降りて、探した。
道を間違ったのか、見つからない。
歩いている、女性の方がいた。 私より若い。 ※ ジョギング中かもしれない。
お店を聞いたら、店の側まで、500㍍ほど歩いて、連れて行ってくれた。
昨年、北海道に行ったという。 旭山動物園や、小樽から大沼までなど。
旅をしていると、このように、人のお世話になり、また、色んな人に出会う。
相手に与える自分の印象は、服装を含めた、全体と思う。
そんなことで、今回、夏に向けた服装を探している。
ここのアウトドアの店は、デザインやサイズが、豊富になかった。 買えなかった。
新京極の店に向かった。
先日見た、錦天満宮があったので、寄った。
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からくり人形は、ふたつあった。 二つとも、動いていた。
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狭い敷地の中に、神社の他に、小さな祠も、3つ程ある。 いい雰囲気。
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見えるのは、人形。
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これが、湧水。 喉が渇いた人も、ここに来る。
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都会の中に神社を作る時、ここの神社は、参考になる。
【買い物に着いて】
昨日やっと見つけたのが、袖のない夏に着る上着。 ポケットが多め。
新しい、バッグとリュックも、気に入ったのがあった。
上着と、それに会う服を身に着け、バッグとカメラをぶら下げて、買い物。
ズボンと、シャツと、Tシャツを探した。
上着やバッグに会わせて選ぶから、疲れない。
店の人のアドバイスも参考にして、5点ほど買った。
新京極のこの店は、登山用の店だから、商品は、汗を逃がすという面で優れたものが多い。
夏は、これで乗り切れそう。 足りないものは、適当な店でいい。
デパートをブラついたら、服装のデザインや色の勉強ができますね。
マネキンに着せてるのが、そこの店のセンスですね。
昔と比べて、色の合わせ方は、複雑になっている。
そのセンスは、訓練しなければ、身に付かないように思う。
自分で気に入ったのが、はたから見て、「お子様ランチ」に見えないようにしなければならない。
近鉄の京都駅から、1駅乗ったら、東寺。
5時を過ぎていたので、塀の外からしか見えない。
五重塔だけど、三重とちょっと。
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この五重塔は、京都のシンボルとなっている。
高さ54.8メートル。 木造塔としては日本一の高さ。
今の塔は、5代目で、1644年に建った。 徳川家光の寄進で建てられたそう。
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こんなのを見た。 後ろに子供が載っている。 日本人でなく、東南アジアの感じ。
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塀の周りを、1周した。
ここの東寺はバカにできない。 いくつかの建物しかないのに、世界遺産だ。
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何があって世界遺産なのか、この目で確認したい。
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あらためて、行って来ますね。
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昔、空海がいたこともあるそうだ。
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ここは、南大門。 一番大きな入り口。
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建物が傷んでいるのか、写真を撮った。 そうでもなかった。
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こんなことが、書いてあった。 少し不満。
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弘法大師は、相手を染めることのできた人なのに、どうしてこう言うのだろう。
これだったら、悪いと見られたら、いつまでも仲間外れだ。
以前のブログに、こう書いた。
花の木村と盗人たち、という話がある。
盗人たちが、花に木村に、どろぼうに入った。
でも、村の人たちは、あなた方はいい人たちだと迎えた。
盗人は、うれしくなって、改心してしまった。
これが、新美南吉の考え。 人の生き方として、これが好き。
※ 関連ブログ ごんぎつねの舞台、何吉のふるさとを歩く。 上の文は、このブログに。
雨が止んで、涼しい1日でした。
日曜日、奈良に息子と行きます。 その後、京都を離れます。
【道の駅】 同じです。
【明日の予定】 五重塔と、何かかな。 分からない。
【今日の歌】
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久しぶりに、コメントが入りました。 ※ YouTubeが、教えてくれます。 メールで。
Besame mucho(YouTube) ベッサメ・ムーチョ。 昨日4条大橋で聞きました。 これは、 プレスリーです。
たたみかけるように歌う所が好きかな。
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4条の河原町にお店が多いので、買い物をすることに。
夏に向けての物。
高台寺が近いので、行くことにした。
石塀小路を通ってみた。 場所はここ。 地図に、高台院が見える。
ここは、伝建地区に指定されているため、昔の風情が残っている。
高台寺の下の通りで、ねねの道と言われている。
人通りが絶えない。 八坂神社、知恩院、遠く平安神宮や南禅寺もこの道。
高台寺の地図。
石段を登ると、ここに出る。 この建物は、庫裡。 高台寺の顔のように、まず見える。
※ 庫裡~食事を作る所
高台寺は、豊臣秀吉の正室である北政所(高台院)が、秀吉の冥福を祈るため建てた寺ですね。
遺芳庵という茶室。 田舎屋風の茶室。
昔京都に、吉野大夫という人がいた。 その人を忍んで、夫が建てたとあった。
小堀遠州作と伝わる庭。
紅葉の時期、夜間、ライトアップされる。 昨年秋見ようとしたが、並ぶ人が多く、入れなかった。
こういう庭も。 毎年変わるそう。
ここは、方丈という建物。 本堂の役割を担っている。 お参りしている人が多かった。
右は、上の写真の庭。
方丈の中。 ※ 仏像は、撮影禁止。
方丈から、庭と、上の方の建物。 いい庭に感じた。
ねねは、こんな人。 北政所(きたのまんどころ)と言われ、寺に入って、高台院と言われた。
それで、高台寺と呼ばれる。
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ねねは、おね、ともよばれる。 どっちも使われる。 ねねが、やさしそうで、好きかな。
正面に見えるのは開山堂。 ねねの兄の像などが、あった。
霊屋(重要文化財)という建物があった。 1605年の物で古い。 そこに、ねねの像があった。
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臥龍廊という廊下。 傷みが激しく、通行禁止。
傘亭(重要文化財)。 一番高い所に。 伏見城から移築したものとされ、千利休の作。
秀吉好みの茶室と伝えられている。
中が竹で作ってあり、めずらしいそう。 あとで気付いたので、写真は無い。
臥龍廊を、下から撮影。
途中、小さな建物で、人形展があった。 ねねの姿などを表現していた。
また、人形が集団で並んでおり、ストーリーを感じるものだった。 ※ 撮影はできない。
作者は、成田順子と言う人。
小さな掌(てのひら)美術館があった。 上の方の、ねねの肖像画は、ここに。
蒔絵が多く展示されていた。
高台寺を建てたのはねね。 財政面で援助したのは、家康だった。
家康は、ある時期、秀吉の部下だった。
豊臣家と、西と東に分かれて戦うが、ねねに対しては、悪く思っていなかったようだ。
最後まで面倒を見た。
八坂神社に行く途中、芭蕉堂(右)と、西行庵があった。 初めて知った。
西行の後を追って、芭蕉は旅をした。 西行を心の師としていた。
西行は、この地で亡くなったとあった。
芭蕉が、この地に寄ったのは、寛文六年か七年頃のよう。(1667年か8年)
「しばの戸の月や そのまま あみだ坊」という句を詠んでいる。
八坂神社の南側の門。
祇園の花見小路から、和服姿の女性が出てきた。
京都駅に、京都タワーが写った。 今晩は、月夜。
家康は、決して人の恩を忘れる人ではなかった。
若いころ、きっとねねの世話になっていた。
高台寺を建てることの支援によって、恩を、100倍にして返したと思う。
【道の駅】 同じです。
【明日の予定】 車検の書類が明日出来るよてい。 まだ京都に。
大きなアウトドアの店を、息子に聞いた。
そこに行ってきます。 どこかで、何かを見ます。
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夏に向けての物。
高台寺が近いので、行くことにした。
石塀小路を通ってみた。 場所はここ。 地図に、高台院が見える。
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ここは、伝建地区に指定されているため、昔の風情が残っている。
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高台寺の下の通りで、ねねの道と言われている。
人通りが絶えない。 八坂神社、知恩院、遠く平安神宮や南禅寺もこの道。
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高台寺の地図。
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石段を登ると、ここに出る。 この建物は、庫裡。 高台寺の顔のように、まず見える。
※ 庫裡~食事を作る所
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高台寺は、豊臣秀吉の正室である北政所(高台院)が、秀吉の冥福を祈るため建てた寺ですね。
遺芳庵という茶室。 田舎屋風の茶室。
昔京都に、吉野大夫という人がいた。 その人を忍んで、夫が建てたとあった。
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小堀遠州作と伝わる庭。
紅葉の時期、夜間、ライトアップされる。 昨年秋見ようとしたが、並ぶ人が多く、入れなかった。
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こういう庭も。 毎年変わるそう。
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ここは、方丈という建物。 本堂の役割を担っている。 お参りしている人が多かった。
右は、上の写真の庭。
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方丈の中。 ※ 仏像は、撮影禁止。
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方丈から、庭と、上の方の建物。 いい庭に感じた。
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ねねは、こんな人。 北政所(きたのまんどころ)と言われ、寺に入って、高台院と言われた。
それで、高台寺と呼ばれる。
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ねねは、おね、ともよばれる。 どっちも使われる。 ねねが、やさしそうで、好きかな。
正面に見えるのは開山堂。 ねねの兄の像などが、あった。
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霊屋(重要文化財)という建物があった。 1605年の物で古い。 そこに、ねねの像があった。
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臥龍廊という廊下。 傷みが激しく、通行禁止。
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傘亭(重要文化財)。 一番高い所に。 伏見城から移築したものとされ、千利休の作。
秀吉好みの茶室と伝えられている。
中が竹で作ってあり、めずらしいそう。 あとで気付いたので、写真は無い。
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臥龍廊を、下から撮影。
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途中、小さな建物で、人形展があった。 ねねの姿などを表現していた。
また、人形が集団で並んでおり、ストーリーを感じるものだった。 ※ 撮影はできない。
作者は、成田順子と言う人。
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小さな掌(てのひら)美術館があった。 上の方の、ねねの肖像画は、ここに。
蒔絵が多く展示されていた。
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高台寺を建てたのはねね。 財政面で援助したのは、家康だった。
家康は、ある時期、秀吉の部下だった。
豊臣家と、西と東に分かれて戦うが、ねねに対しては、悪く思っていなかったようだ。
最後まで面倒を見た。
八坂神社に行く途中、芭蕉堂(右)と、西行庵があった。 初めて知った。
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西行の後を追って、芭蕉は旅をした。 西行を心の師としていた。
西行は、この地で亡くなったとあった。
芭蕉が、この地に寄ったのは、寛文六年か七年頃のよう。(1667年か8年)
「しばの戸の月や そのまま あみだ坊」という句を詠んでいる。
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八坂神社の南側の門。
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祇園の花見小路から、和服姿の女性が出てきた。

京都駅に、京都タワーが写った。 今晩は、月夜。
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家康は、決して人の恩を忘れる人ではなかった。
若いころ、きっとねねの世話になっていた。
高台寺を建てることの支援によって、恩を、100倍にして返したと思う。
【道の駅】 同じです。
【明日の予定】 車検の書類が明日出来るよてい。 まだ京都に。
大きなアウトドアの店を、息子に聞いた。
そこに行ってきます。 どこかで、何かを見ます。
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アウトドア商品の店を探した。
新京極通りにあった。 この前行った、祇園の近く。
小さな神社のお祭りを見て、幕末スポットを歩いた。
時間がなくなったので、東寺の五重塔は、別の日に行くことに。
4条通りを、東山に向かって歩いている。 鴨川の橋を渡ったら祇園。
高島屋の手前で、左に曲がった。 新京極通り。 観光客が多く来る通り。
目指す、アウトドアの店は見つかったが、一つのブランドだけの店だった。
戻る時、太鼓の音がするので覗いたら、舞が始まっていた。
錦天満宮。 今日はお祭り。
場所はここ。 錦天満宮の西に、錦小路がのびている。
おごそかに、事は、進んでいた。 ※ 円いのは、レンズフードと言うのかな。 それが写った。
水が出ていた。 こんな街の中なのに。 みんな飲んでいた。
菅原道真の父が住んでいた所に、寺が出来た。 それを守る鎮守社として、この神社はスタートした。
秀吉の時代に、この場所に移った。 学問と商売の神様。
神楽の踊りと思うが、意味は分からない。
私は気付かなかったが、ここの神社のおみくじ自販機が面白いそうだ。
神楽を踊るそう。 この動画は、獅子舞。 お金を入れたら、踊りだす。 ゆかいなおみくじ自販機(YouTube)
笙(しょう)という楽器ですね。 生で初めて聞いた。 うなりを上げてる感じの音かな。
観光客と、地元の人の、両方。
別のお面になった。
軽やかに舞った。
出る時に、入り口を撮影。 入る時は、何気なく入ったので、撮らなかった。
庶民に親しまれている神社。そんな感じだった。
上の神社の、少し祇園寄り。 下から。上に上がって行く。
ここが、坂本龍馬と中岡慎太郎の遭難の地。
この場所に、醤油商を営む、近江屋があった。
大政奉還の1ヶ月後の、1867年11月15日のこと。
その近江屋の2階で、午後8時頃、坂本龍馬と中岡慎太郎が話していた。
そこへ、十津川郷士と名乗る男達数人が来訪し、面会を求めて来た。
有無を言わず、2階に押し入ってきた。
龍馬は、額を深く切られた。 床の間の刀を取りに行こうとしたが、そこで、2の太刀を受けた。
反撃は出来なかった。 とどめを刺され、直ぐに死んだと言われている。
中岡は、2日後まで生きていたので、その時のことを証言している。
小さな神社が見えてきた。
土佐稲荷・岬神社。 昔は、近くにある、土佐藩邸の中にあったいう。
この辺りに土佐藩邸があった。 もし龍馬たちが、ここにいたら、殺されることはなかったと書いてあった。
酢屋。 龍馬が隠れ住んだ所。 海援隊の本部もここに置かれた。
ここは、池田屋騒動の跡。
池田屋騒動は、幕末の元治元年6月5日(1864年7月8日)に、ここで起きた。
新撰組が、潜伏していた長州藩・土佐藩などの尊皇攘夷派を襲撃した事件。
この事件の後、新撰組の名前は轟き渡るのだが、事件の記録は、新撰組の証言によって書かれたものが多い。
だから、事実は、違う可能性がある。
ホテルオークラの敷地内に、桂小五郎の像があった。 ここに、長州藩邸があった。
新しい時代を作ってくれたことに、感謝すると書いてあった。(そんな内容)
この人は、明治に入っても活躍した。
池田屋騒動では、どういう形かで、避難できたようだ。
久しぶりの都会なので、デパートに入った。 高島屋と、阪急。
夏物のシャツで、これはいい、と思うのがあった。 値段を見たら、16000円だった。 ラルフローレンだった。
買わなくても、見て歩くのは楽しい。
道の駅の、夜のバラの花。
新撰組は、なぜ人気があるのだろう。
何か夢を持って生きていたのだろうか。
幕府を守るために集まった、ただの武士の集まりにしか、見えないのだが。
何なんでしょうね。
今日調べていて分かったのですが、日本刀の威力は、すごい。
龍馬も即死に近い。
池田屋騒動の中でも、即死と言う言葉が、たくさん出てきた。
それから、「小手」を受けて、手の指などを怪我したら、それは致命傷で、戦えないんですね。
幕末のこの時代、熱い気持ちの人間がいて、日本の将来を動かしていた。
そんな感じがします。
【道の駅】 おなじです。
【明日の予定】 京都市内です。 息子と食事します。
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新京極通りにあった。 この前行った、祇園の近く。
小さな神社のお祭りを見て、幕末スポットを歩いた。
時間がなくなったので、東寺の五重塔は、別の日に行くことに。
4条通りを、東山に向かって歩いている。 鴨川の橋を渡ったら祇園。

高島屋の手前で、左に曲がった。 新京極通り。 観光客が多く来る通り。
目指す、アウトドアの店は見つかったが、一つのブランドだけの店だった。

戻る時、太鼓の音がするので覗いたら、舞が始まっていた。
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錦天満宮。 今日はお祭り。
場所はここ。 錦天満宮の西に、錦小路がのびている。
おごそかに、事は、進んでいた。 ※ 円いのは、レンズフードと言うのかな。 それが写った。
水が出ていた。 こんな街の中なのに。 みんな飲んでいた。

菅原道真の父が住んでいた所に、寺が出来た。 それを守る鎮守社として、この神社はスタートした。
秀吉の時代に、この場所に移った。 学問と商売の神様。
神楽の踊りと思うが、意味は分からない。

私は気付かなかったが、ここの神社のおみくじ自販機が面白いそうだ。
神楽を踊るそう。 この動画は、獅子舞。 お金を入れたら、踊りだす。 ゆかいなおみくじ自販機(YouTube)
笙(しょう)という楽器ですね。 生で初めて聞いた。 うなりを上げてる感じの音かな。

観光客と、地元の人の、両方。
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別のお面になった。

軽やかに舞った。
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出る時に、入り口を撮影。 入る時は、何気なく入ったので、撮らなかった。
庶民に親しまれている神社。そんな感じだった。
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上の神社の、少し祇園寄り。 下から。上に上がって行く。
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ここが、坂本龍馬と中岡慎太郎の遭難の地。
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この場所に、醤油商を営む、近江屋があった。
大政奉還の1ヶ月後の、1867年11月15日のこと。
その近江屋の2階で、午後8時頃、坂本龍馬と中岡慎太郎が話していた。
そこへ、十津川郷士と名乗る男達数人が来訪し、面会を求めて来た。
有無を言わず、2階に押し入ってきた。
龍馬は、額を深く切られた。 床の間の刀を取りに行こうとしたが、そこで、2の太刀を受けた。
反撃は出来なかった。 とどめを刺され、直ぐに死んだと言われている。
中岡は、2日後まで生きていたので、その時のことを証言している。

小さな神社が見えてきた。
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土佐稲荷・岬神社。 昔は、近くにある、土佐藩邸の中にあったいう。

この辺りに土佐藩邸があった。 もし龍馬たちが、ここにいたら、殺されることはなかったと書いてあった。

酢屋。 龍馬が隠れ住んだ所。 海援隊の本部もここに置かれた。
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ここは、池田屋騒動の跡。
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池田屋騒動は、幕末の元治元年6月5日(1864年7月8日)に、ここで起きた。
新撰組が、潜伏していた長州藩・土佐藩などの尊皇攘夷派を襲撃した事件。
この事件の後、新撰組の名前は轟き渡るのだが、事件の記録は、新撰組の証言によって書かれたものが多い。
だから、事実は、違う可能性がある。

ホテルオークラの敷地内に、桂小五郎の像があった。 ここに、長州藩邸があった。
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新しい時代を作ってくれたことに、感謝すると書いてあった。(そんな内容)
この人は、明治に入っても活躍した。
池田屋騒動では、どういう形かで、避難できたようだ。

久しぶりの都会なので、デパートに入った。 高島屋と、阪急。
夏物のシャツで、これはいい、と思うのがあった。 値段を見たら、16000円だった。 ラルフローレンだった。
買わなくても、見て歩くのは楽しい。
道の駅の、夜のバラの花。

新撰組は、なぜ人気があるのだろう。
何か夢を持って生きていたのだろうか。
幕府を守るために集まった、ただの武士の集まりにしか、見えないのだが。
何なんでしょうね。
今日調べていて分かったのですが、日本刀の威力は、すごい。
龍馬も即死に近い。
池田屋騒動の中でも、即死と言う言葉が、たくさん出てきた。
それから、「小手」を受けて、手の指などを怪我したら、それは致命傷で、戦えないんですね。
幕末のこの時代、熱い気持ちの人間がいて、日本の将来を動かしていた。
そんな感じがします。
【道の駅】 おなじです。
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雨は止まないので、知恩院の広いお堂で、のんびりすることにした。
法然の力なのか、雨は止んだ。
千姫のお墓にお参り。
※ ここに、千姫のお墓があることは、情報誌には載っていない。
(寺でも、宣伝しないと言っていた。 お寺の人とお話し)
千姫は、昨日のブログの、お江(ごう)の娘。 父は秀忠。
豊臣秀頼と結婚する。 大阪城炎上の中、助け出される。
母も、娘も、同じような経験をする。
ラッシャー木村は、昔相撲取り。
小学生の頃、夢中で応援していた。 理由は、後ほど。
車を、お昼に京都トヨタの亀岡店に持って行った。
大井駅まで、会社の人が送ってくれた。
知恩院は、山門(三文)もお堂も、とにかく大きい。 それが、知恩院の特徴。 場所はここ。
これは、三門。 日本最大。 人が小さい。 まだ、雨は強い。
門から、この階段を登ると、本堂などが見える。
これが本堂。 法然上人の像があるので、御影堂(みえいどう)とも呼ばれる。
本堂でのんびりした。 一人のお坊さんが、お経を唱えていた。
広い堂内に響いた。 聞いてて心地いい。 声の響きは、ホーミーに似ている。 ※ ホーミー(YouTube)
そのうちに、雨が止んだ。 30時間以上降り続いた。 うれしい。
本堂右前の天井に、傘があった。 左甚五郎が、置き忘れたという。
知恩院を火災から守っていると、信じられている。
日光東照宮の、眠り猫が、左甚五郎作。
これが、傘。
この場所の真上に、傘があった。
今日は、工事で歩けなかったが、うぐいす張りの廊下もある。
歩いたら、キュッ・キュッっと鳴る。
こんなのを含めて、この寺には、7不思議がある。
ここだけでなく、寺や神社は、参拝者が退屈しないように、いろんな伝説を作っている。
この床は、人が歩いて、木の柔らかい所が減った。 でこぼこになった。
そう言えば、本堂の中に、法然の子どもの時の像があった。 良かったですよ。
撮影はできない。 ネットで探したが、写真は無かった。
目の表情が、誰かに似ていた。 どこかで見た、天草四郎の像だったか。(確認できたら追記)
ここを登って、千姫の墓に。
見える建物は、勢至堂。 この辺りに、法然は住んでいたとされる。
千姫の墓は、この建物の向こう。
ここを通って行く。 去年も来た。
これが、千姫の墓。 墓は他にもあるが、分骨してここに。
※ 宙太さんのコメントで知ったんですが、来年の大河ドラマは、お江なんですね。
主役を調べてみたら、上野樹里だった。 そう言えば、ネットのニュースで、一度見た。
千姫は、祖母のお市の方(信長の妹)に似ており、美人だったと言われていますね。
ここを登って行くと、法然上人のお墓がある。 法然上人御廟。
奥に見える建物が、御廟。 知恩院で、最も大事な所。 祈りの空間の雰囲気。
若い男の人が、数珠を持って座っていた。
こんな所に、目が行く。
これらは、どういう意味があるんだろう。
奥の雰囲気。
小さなお堂の前を、右下に下りていく。
上の所を下りたら、お寺の人に会った。 挨拶して、少しお話し。
その方は、私と同じカメラを使っていた。 レンズも、ほぼ同じ。
秋の紅葉の時期は、みなさんこの辺りから撮影するんですよ、と教えて頂いた場所から撮影。
下に行く、石段。 見える屋根は、本堂。
線香を立てる所から、本堂を撮影。
知恩院は、本堂や境内の散歩は無料。 心が広い感じがする。 ※ 庭園とかを見るのは、お金がかかるが。
三門を、雨でちゃんと撮ってなかったので、撮影。
門の前が閉まったので、だれも歩いていない。 さみしい。
この門の2階には、釈迦如来像と十六羅漢像を安置している。
バス停に戻る途中、こんな看板が。
どんなバランス感覚で、赤の部分を決めたのかな、と考えていた。
良く見たら、そうではなかった。 な~んだ、となった。
プロレスラーの、ラッシャー木村と言う人が、亡くなった。
この人は、ずっと昔、相撲取りだった。 こんな人。
佐久中学校を経て天塩高等学校を卒業後、夢であるプロレスラーになるための基礎体力作りとして、
大相撲の宮城野部屋に入門し、1958年3月場所初土俵。
四股名は木ノ村(きのむら)、最高位は幕下20枚目。幕下上位まで昇進したが、
「十両に上がったら辞められなくなる」という理由で、
1964年9月場所限りに親方の慰留を振り切り脱走して廃業した。(Wikipediaより)
この人は、北海道の北の方の、中川町の出身。 生まれは、歌内と聞いていた。 歌内は、ここです。
私は、初土俵の1958年頃、歌内から少し離れた、国府に住んでいた。 ※ 関連ブログ 忘れられない別れの思い出
四股名は、荒馬だった。 37年に改名して、木ノ村。
昭和37年の、番付表の一部。
昭和37年秋場所場所 東京、蔵前国技館
幕内
東横綱1 大鵬 北海道 二所ノ関 29.05.1940 187 124
西横綱1 柏戸 山形県 伊勢ノ海 29.11.1938 188 139
東大関1 栃光 熊本県 春日野 29.08.1933 176 128
西大関1 琴ヶ濱 香川県 佐渡ヶ嶽 10.10.1927 177 117
東大関2張出 佐田の山 長崎県 出羽海 18.02.1938 182 129
西大関2張出 北葉山 北海道 時津風 17.05.1935 173 119
東大関3張出 栃ノ海 青森県 春日野 13.03.1938 177 110
東関脇1 出羽錦 東京都 出羽海 15.07.1925 181 143
西関脇1 鶴ヶ嶺 鹿児島県 井筒 26.04.1929 177 114
東小結1 若秩父 埼玉県 花籠 16.03.1939 175 150
東三9 北の海 - - ー NaN NaN
西三9 川上 - - ー NaN NaN
東三10 木ノ村 - - 30.06.1941 NaN NaN
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改名力士一覧
東三10 木ノ村、荒馬改名
毎日、新聞の星取表を眺めていた。
改名したのは、6年生の時かな。
木ノ村になった時、分からなくなって、応援はできなくなった。
ラッシャー木村が、昔、相撲取りと知ったのは、大人になってからだった。
【道の駅】 同じ。 ガレリアかめおか
【明日の予定】 東寺の五重塔を見るかも。 大きいと言うので。
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法然の力なのか、雨は止んだ。
千姫のお墓にお参り。
※ ここに、千姫のお墓があることは、情報誌には載っていない。
(寺でも、宣伝しないと言っていた。 お寺の人とお話し)
千姫は、昨日のブログの、お江(ごう)の娘。 父は秀忠。
豊臣秀頼と結婚する。 大阪城炎上の中、助け出される。
母も、娘も、同じような経験をする。
ラッシャー木村は、昔相撲取り。
小学生の頃、夢中で応援していた。 理由は、後ほど。
車を、お昼に京都トヨタの亀岡店に持って行った。
大井駅まで、会社の人が送ってくれた。
知恩院は、山門(三文)もお堂も、とにかく大きい。 それが、知恩院の特徴。 場所はここ。
これは、三門。 日本最大。 人が小さい。 まだ、雨は強い。
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門から、この階段を登ると、本堂などが見える。
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これが本堂。 法然上人の像があるので、御影堂(みえいどう)とも呼ばれる。
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本堂でのんびりした。 一人のお坊さんが、お経を唱えていた。
広い堂内に響いた。 聞いてて心地いい。 声の響きは、ホーミーに似ている。 ※ ホーミー(YouTube)
そのうちに、雨が止んだ。 30時間以上降り続いた。 うれしい。
本堂右前の天井に、傘があった。 左甚五郎が、置き忘れたという。
知恩院を火災から守っていると、信じられている。
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日光東照宮の、眠り猫が、左甚五郎作。
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これが、傘。
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この場所の真上に、傘があった。
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今日は、工事で歩けなかったが、うぐいす張りの廊下もある。
歩いたら、キュッ・キュッっと鳴る。
こんなのを含めて、この寺には、7不思議がある。
ここだけでなく、寺や神社は、参拝者が退屈しないように、いろんな伝説を作っている。
この床は、人が歩いて、木の柔らかい所が減った。 でこぼこになった。
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そう言えば、本堂の中に、法然の子どもの時の像があった。 良かったですよ。
撮影はできない。 ネットで探したが、写真は無かった。
目の表情が、誰かに似ていた。 どこかで見た、天草四郎の像だったか。(確認できたら追記)
ここを登って、千姫の墓に。
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見える建物は、勢至堂。 この辺りに、法然は住んでいたとされる。
千姫の墓は、この建物の向こう。
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ここを通って行く。 去年も来た。
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これが、千姫の墓。 墓は他にもあるが、分骨してここに。
※ 宙太さんのコメントで知ったんですが、来年の大河ドラマは、お江なんですね。
主役を調べてみたら、上野樹里だった。 そう言えば、ネットのニュースで、一度見た。
千姫は、祖母のお市の方(信長の妹)に似ており、美人だったと言われていますね。
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ここを登って行くと、法然上人のお墓がある。 法然上人御廟。
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奥に見える建物が、御廟。 知恩院で、最も大事な所。 祈りの空間の雰囲気。
若い男の人が、数珠を持って座っていた。
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こんな所に、目が行く。
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これらは、どういう意味があるんだろう。
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奥の雰囲気。
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小さなお堂の前を、右下に下りていく。
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上の所を下りたら、お寺の人に会った。 挨拶して、少しお話し。
その方は、私と同じカメラを使っていた。 レンズも、ほぼ同じ。
秋の紅葉の時期は、みなさんこの辺りから撮影するんですよ、と教えて頂いた場所から撮影。
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下に行く、石段。 見える屋根は、本堂。
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線香を立てる所から、本堂を撮影。
知恩院は、本堂や境内の散歩は無料。 心が広い感じがする。 ※ 庭園とかを見るのは、お金がかかるが。
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三門を、雨でちゃんと撮ってなかったので、撮影。
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門の前が閉まったので、だれも歩いていない。 さみしい。
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この門の2階には、釈迦如来像と十六羅漢像を安置している。
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バス停に戻る途中、こんな看板が。
どんなバランス感覚で、赤の部分を決めたのかな、と考えていた。
良く見たら、そうではなかった。 な~んだ、となった。

プロレスラーの、ラッシャー木村と言う人が、亡くなった。
この人は、ずっと昔、相撲取りだった。 こんな人。
佐久中学校を経て天塩高等学校を卒業後、夢であるプロレスラーになるための基礎体力作りとして、
大相撲の宮城野部屋に入門し、1958年3月場所初土俵。
四股名は木ノ村(きのむら)、最高位は幕下20枚目。幕下上位まで昇進したが、
「十両に上がったら辞められなくなる」という理由で、
1964年9月場所限りに親方の慰留を振り切り脱走して廃業した。(Wikipediaより)
この人は、北海道の北の方の、中川町の出身。 生まれは、歌内と聞いていた。 歌内は、ここです。
私は、初土俵の1958年頃、歌内から少し離れた、国府に住んでいた。 ※ 関連ブログ 忘れられない別れの思い出
四股名は、荒馬だった。 37年に改名して、木ノ村。
昭和37年の、番付表の一部。
昭和37年秋場所場所 東京、蔵前国技館
幕内
東横綱1 大鵬 北海道 二所ノ関 29.05.1940 187 124
西横綱1 柏戸 山形県 伊勢ノ海 29.11.1938 188 139
東大関1 栃光 熊本県 春日野 29.08.1933 176 128
西大関1 琴ヶ濱 香川県 佐渡ヶ嶽 10.10.1927 177 117
東大関2張出 佐田の山 長崎県 出羽海 18.02.1938 182 129
西大関2張出 北葉山 北海道 時津風 17.05.1935 173 119
東大関3張出 栃ノ海 青森県 春日野 13.03.1938 177 110
東関脇1 出羽錦 東京都 出羽海 15.07.1925 181 143
西関脇1 鶴ヶ嶺 鹿児島県 井筒 26.04.1929 177 114
東小結1 若秩父 埼玉県 花籠 16.03.1939 175 150
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改名力士一覧
東三10 木ノ村、荒馬改名
毎日、新聞の星取表を眺めていた。
改名したのは、6年生の時かな。
木ノ村になった時、分からなくなって、応援はできなくなった。
ラッシャー木村が、昔、相撲取りと知ったのは、大人になってからだった。
【道の駅】 同じ。 ガレリアかめおか
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小野小町は、小野吉子でないか、という考えに出会った。
これで3回目。
※ 最初は、昔、山村美紗が言った。(ブログに書いた)
随心院の地には、晩年住んだという。
この寺は、客観的に、小野小町を見ていた。
全国各地にある、小町伝説は、随心院のが広まったのではと、以前書いた。
どうして、そう考えたのか、思い出せないでいる。
地下鉄東西線の小野駅で降りて、歩いて7~8分。
ここが、小町ゆかりの寺、随心院。 場所はここ。 ※ 下のほうに、醍醐寺が見える。
すぐに、小町の歌碑が見えた。 下の歌があった。
「花の色は移りにけりな いたづらに我が身世にふる ながめせし間に」
小町が住んでいたところに、随心院が建った。 それで、ゆかりの寺。
寺に入ったら、小町の絵があった。 いい表情でしょうか。
小町は、828年~898年頃の人。 この寺は、100年後の、991年創建。
木の実があるが、榧 (かや) の実。
深草少将に、百夜ここに来たら、望みをかなえると言った。
少将は、くる度に、かやの実を1個置いていった。
小町は、実に穴を開けて、糸を通した。 何回来たか分かるようにした。
実には、穴が開いていた。
※ 上の文書は、小町ゆかりのかやの木の数を調べたもの。(どんなゆかりかは?)
※ 石は、小町とは関係ない。
堂内は広い。 撮影できない部分もあったが、基本的には大丈夫。
小町が種を蒔いた言われる、小町榧の切り株。(伝説)
この大玄関と門、そして後ろの表書院の建物は、天真院尼の寄進。
※ この人は、徳川2代将軍秀忠の夫人、お江(ごう)の娘。
名前は、豊臣完子で、秀吉の姉の子との間に生まれている。 秀忠に嫁ぐ前のこと。
完子は、九条家に嫁ぐ。
お江は、お江与とも言われる。 信長の妹のお市の娘。淀君は姉。
浅井長政が滅ぼされたとき、3姉妹は、炎の中から助け出される。 その一番下。
上に書いた、表書院を通って、本道へ。
雨が見える。 いつまでたっても止まない。
雨のおかげで、緑が綺麗。
小町の名前は、本名でない。 だから歴史に残らない。
天皇に仕える人を、更衣と言った。
その更衣は、町とも言われた。 小町の姉も仕えていたので、小町のほうは、町に「小」がついた。
この寺に伝わる内容は、おおまかにこう。
小町は、小野良実の娘として、出羽の国に生まれた。(雄勝は出羽)
その後宮中に仕え、仁明天皇の更衣となる。
天皇が亡くなった後、ここ、小野の里で暮らす。
亡くなった地は、ここではない。
後の世に作られた像。 どうしてこんな表情になるのか。
※ 一部に、怨霊説があった。 そのためか。
一般的に美しいとなれば、その反対が、必ず生まれる。
随心院は、自分の寺に伝説はあるが、それは、歴史的事実から考えられる小町とは違うと考えていた。
では、随身院は、どう考えていたかというと、小町は、小野吉子だという。
雄勝の生まれではない。
この像は、小町に寄せられた文を、下張りにしていると言われる。
文張地蔵尊像 伝小野小町 作。
史実として、ほぼ確認できるのは、小町は文徳天皇の更衣でであること。
それと、小野氏の娘であること。
そして、時代を重ねて検索すると、小野吉子が浮かぶという。
小町は、伝説と違って、17歳から、最後の歌を作った73歳までは、京都にいたと考えるのが自然だそう。
理由は、京都にいなければ作れない歌を、作っているからという。
この寺に伝わる、はねず踊りという、踊り。
もし、小町が小野吉子なら、母親は、藤原冬嗣の娘。 ※ 藤原冬嗣(775~826)(Wikipedia)
冬嗣は、空海(弘法大師)との交友が深い人だったという。
小町が生まれた頃、冬嗣は、余命幾ばくもない状態だった。
きっと、空海は、見舞いに来ている。
そうしたら、空海は、小町を見ている。 これは、歴史のロマン。
以上が、随心院の考え。(住職さんの考えと思う)
この辺りに、小町の住んだ家があったそう。
これが、化粧井戸。 鏡としても使ったから、こう呼ぶのか。
この井戸は、「都名所図会」にも示されている。 ※ 都名所図会~江戸時代の物。
小町がもらった恋文とかが、ここに埋めたそう。 文塚。
小野吉子説を支持するのは、山村美里と、今日の随心院。
もう一人いる。 それは、
《小説 小野小町「吉子の恋」》を書いた、三枝和子と言う人。
この人は、小野小町の本名が小野吉子であり、文徳天皇の更衣であったとする説を採用して、その一生を描いている。
雄勝の残る伝説より、こっちの方が、はるかに可能性が高いんだろうなと、思えてきた。
最後に歌を。
「思ひつつ寝ればや 人の見えつらむ 夢と知りせば 覚めざらましを」
小町がいたら、こう言うかな、私は。
もう一度寝て、続きを見ればいいでしょ、って。
※ 小町の所に、100回通うのが、深草少将。
小町もなかなかの女性だが、この伝説の深草少将は強(したた)かだった。
面白いですよ。 このブログに。 小町は美しさをどのように。
※ 小町に関するブログは、たくさんあります。 小野小町でブログ内検索すると出てきます。(左下の方に)
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これで3回目。
※ 最初は、昔、山村美紗が言った。(ブログに書いた)
随心院の地には、晩年住んだという。
この寺は、客観的に、小野小町を見ていた。
全国各地にある、小町伝説は、随心院のが広まったのではと、以前書いた。
どうして、そう考えたのか、思い出せないでいる。
地下鉄東西線の小野駅で降りて、歩いて7~8分。
ここが、小町ゆかりの寺、随心院。 場所はここ。 ※ 下のほうに、醍醐寺が見える。
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すぐに、小町の歌碑が見えた。 下の歌があった。
「花の色は移りにけりな いたづらに我が身世にふる ながめせし間に」
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小町が住んでいたところに、随心院が建った。 それで、ゆかりの寺。
寺に入ったら、小町の絵があった。 いい表情でしょうか。
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小町は、828年~898年頃の人。 この寺は、100年後の、991年創建。
木の実があるが、榧 (かや) の実。
深草少将に、百夜ここに来たら、望みをかなえると言った。
少将は、くる度に、かやの実を1個置いていった。
小町は、実に穴を開けて、糸を通した。 何回来たか分かるようにした。
実には、穴が開いていた。
※ 上の文書は、小町ゆかりのかやの木の数を調べたもの。(どんなゆかりかは?)
※ 石は、小町とは関係ない。
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堂内は広い。 撮影できない部分もあったが、基本的には大丈夫。
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小町が種を蒔いた言われる、小町榧の切り株。(伝説)
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この大玄関と門、そして後ろの表書院の建物は、天真院尼の寄進。
※ この人は、徳川2代将軍秀忠の夫人、お江(ごう)の娘。
名前は、豊臣完子で、秀吉の姉の子との間に生まれている。 秀忠に嫁ぐ前のこと。
完子は、九条家に嫁ぐ。
お江は、お江与とも言われる。 信長の妹のお市の娘。淀君は姉。
浅井長政が滅ぼされたとき、3姉妹は、炎の中から助け出される。 その一番下。
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上に書いた、表書院を通って、本道へ。
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雨が見える。 いつまでたっても止まない。
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雨のおかげで、緑が綺麗。
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小町の名前は、本名でない。 だから歴史に残らない。
天皇に仕える人を、更衣と言った。
その更衣は、町とも言われた。 小町の姉も仕えていたので、小町のほうは、町に「小」がついた。
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この寺に伝わる内容は、おおまかにこう。
小町は、小野良実の娘として、出羽の国に生まれた。(雄勝は出羽)
その後宮中に仕え、仁明天皇の更衣となる。
天皇が亡くなった後、ここ、小野の里で暮らす。
亡くなった地は、ここではない。
後の世に作られた像。 どうしてこんな表情になるのか。
※ 一部に、怨霊説があった。 そのためか。
一般的に美しいとなれば、その反対が、必ず生まれる。
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随心院は、自分の寺に伝説はあるが、それは、歴史的事実から考えられる小町とは違うと考えていた。
では、随身院は、どう考えていたかというと、小町は、小野吉子だという。
雄勝の生まれではない。
この像は、小町に寄せられた文を、下張りにしていると言われる。
文張地蔵尊像 伝小野小町 作。
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史実として、ほぼ確認できるのは、小町は文徳天皇の更衣でであること。
それと、小野氏の娘であること。
そして、時代を重ねて検索すると、小野吉子が浮かぶという。
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小町は、伝説と違って、17歳から、最後の歌を作った73歳までは、京都にいたと考えるのが自然だそう。
理由は、京都にいなければ作れない歌を、作っているからという。
この寺に伝わる、はねず踊りという、踊り。
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もし、小町が小野吉子なら、母親は、藤原冬嗣の娘。 ※ 藤原冬嗣(775~826)(Wikipedia)
冬嗣は、空海(弘法大師)との交友が深い人だったという。
小町が生まれた頃、冬嗣は、余命幾ばくもない状態だった。
きっと、空海は、見舞いに来ている。
そうしたら、空海は、小町を見ている。 これは、歴史のロマン。
以上が、随心院の考え。(住職さんの考えと思う)
この辺りに、小町の住んだ家があったそう。

これが、化粧井戸。 鏡としても使ったから、こう呼ぶのか。
この井戸は、「都名所図会」にも示されている。 ※ 都名所図会~江戸時代の物。
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小町がもらった恋文とかが、ここに埋めたそう。 文塚。

小野吉子説を支持するのは、山村美里と、今日の随心院。
もう一人いる。 それは、
《小説 小野小町「吉子の恋」》を書いた、三枝和子と言う人。
この人は、小野小町の本名が小野吉子であり、文徳天皇の更衣であったとする説を採用して、その一生を描いている。
雄勝の残る伝説より、こっちの方が、はるかに可能性が高いんだろうなと、思えてきた。
最後に歌を。
「思ひつつ寝ればや 人の見えつらむ 夢と知りせば 覚めざらましを」
小町がいたら、こう言うかな、私は。
もう一度寝て、続きを見ればいいでしょ、って。
※ 小町の所に、100回通うのが、深草少将。
小町もなかなかの女性だが、この伝説の深草少将は強(したた)かだった。
面白いですよ。 このブログに。 小町は美しさをどのように。
※ 小町に関するブログは、たくさんあります。 小野小町でブログ内検索すると出てきます。(左下の方に)
【道の駅】 同じ。
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気が変わって、予定を変更した。 ※ 高台寺を調べていたが、大きな魅力が見つからなかった。
龍馬を、少しだけ追うことにした。
※ 建物の中は、どこも写真が撮れない。
魅力が、建物の中に集中していない所を、探した方がいいなか。
※ 忘れていたことがあった。 京都に来たら、行かなければならない所があった。
夕方、急にに思いだした。
過去のブログと関係ある。 もし当てる人がいたら、すごい。
(住所を教えていただけたら、何か送りますと、言いたいくらい)
今日のブログの最後で、以前書いた文を紹介する。
そこに書いた所に、明日行く。 息子と。
龍馬がなぜ人気があるのか。 それが、むずかしい。
NHKの大河ドラマは見てない。
ここが、二条城。 寺に比べたら、がっしりした建物だ。
二条城があるからって、京都は、城下町ではないですね。
もともと、京都の町は、京の都としてあった。
そこに、江戸時代の初めに、家康が京都の宿泊所として造った。
二の丸御殿。 国宝。 全体が、世界遺産。
安全面が大事だから、城になった。
二の丸御殿の中を見た。 ※ 写真は撮れないので、写真を3枚買った。
大広間での、大政奉還の様子。 前にいるのは、徳川慶喜。 こっちにいるのは、各藩の殿様。
1867年のこと。 265年間続いた江戸幕府に、幕が下りた。
政権は、朝廷(天皇)に渡った。
この大政奉還の、下準備をしたのが、坂本龍馬だと言う。
龍馬は、何をしたのか。
船中八策(せんちゅうはっさく)というものを、幕府に示した。
それには、新国家体制の基本方針が書いてあった。
それを、幕府が了解し、大政奉還となった。
勅使の間(来客用の間)
龍馬の考えの特徴は、武力に頼らない政権交代だった。
国内で戦って、国が消耗した時に、外国に攻められると考えたそうだ。
昔の、二条城。
龍馬は、薩長同盟を結ばせるなど、調整役として動く。
そして、倒幕派を、ひとつにまとめていく。
もし、龍馬がいなかったら、別の幕末になったと思われる。
にわか勉強でまとめてみたのですが、こんな感じでしょうか。
広い庭があった。
大政奉還の日、龍馬は、
「慶喜公の今日の心中、深く察します」と、涙を流したそう。
石の多い庭。
上に書いた、薩長同盟は、大政奉還前年の1月22日に成立した。
次の日の23日、龍馬と三吉(長州藩士)は、伏見の寺田屋で祝杯を上げた。
明け方2時頃、外の異常を、風呂に入っていたお龍が察した。
すぐに、2階の龍馬たちに知らせた。 戦う準備が間に合った。
龍馬は拳銃、三吉は槍で戦った。 相手の人数が多いので逃げた。 龍馬は、左手の指を切られた。
龍馬は材木場に潜み、三吉は、薩摩藩に助けを求めた。 そうして、龍馬は助かった。
3月になって、龍馬とお龍は、薩摩に行く。 そして、霧島温泉で、傷の療養をする。
この二人の旅が、日本で最初の新婚旅行と言われている。
城だから、石垣がある。
今年1月に、二人の新婚旅行の跡を追った。 1日いっぱい歩いた日も。
※ 関連ブログ
○ 霧島神宮 ~龍馬とおりょうは、高千穂に登り、ここに~ (2010/1/16)
○ 龍馬とおりょうが歩いた道 (2010/1/17)
○ 龍馬とおりょうが歩いた道(その2) ~隼人塚から日当山温泉まで~ (2010/1/18)
○ 龍馬とおりょうが歩いた道(その3)~塩浸温泉・犬飼の滝~ (2010/1/19)
城が大きいことが分かる。
天守への道。
龍馬は、大政奉還の後なのに、なぜ狙われたのでしょう。
これについて調べてみたが、分からない。
定説はなく、分かっていないんですね。
もし、黒幕がいるとすれば、明治になって活躍した人間。
龍馬がいないために活躍でき、得をした人間です。
恨みより、こっちの可能性が大きいと思うかな。
※ 高知新聞 龍馬暗殺諸説。
庭は、広い。
二条城から、天皇が住んでいた御所は、割と近い。
本丸御殿には、入れない。
本丸から出る。
舞妓さんがいた。
幕府は、当然、ここを二条城と呼んだ。 でも、朝廷側は、二条亭と呼んだそう。
この石垣に相応する建物は、大きい。
神社の建物ではない。
こんな庭に変わった。
私は、二条城を見るのは、4回目くらいかな。
でも、龍馬のことを考えながら見たのは、初めて。
お寺の庭のように、石の並び方とかに、宗教的考えはあるのでしょうか。
江戸幕府は、江戸にあった。
でも、終わりを告げる大政奉還は、御所のある京都で行われた。
広さが分かる。 ただ、御所の広さは、はるかに上。
修学旅行生が多い。
龍馬の行動には、夢があるのでしょうか。
多くの人と関わり、信頼されていく。
人脈が出来上がり、政治に大きな影響を与えた。
生き方に、ずるさを見い出せない。
そんな辺りに、龍馬の魅力があるのでしょうか。
【道の駅】 同じです。
【明日の予定】 以前、ブログに、こう書きました。 このブログに。
「元になる伝説は、どこにあるかと言うことだが、
有力なのは、京都の山科の小野にある随心院のように思う。
小町が住んでいたとされる寺だ。」
ということで、髄心院に行ってきます。 山科区です。 戻るのは、遅くなります。
※ 追記 嵐です。 困りました。 (23日午前)
【ブログランキング】 国内旅行4位、旅行全体で10位です。
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龍馬を、少しだけ追うことにした。
※ 建物の中は、どこも写真が撮れない。
魅力が、建物の中に集中していない所を、探した方がいいなか。
※ 忘れていたことがあった。 京都に来たら、行かなければならない所があった。
夕方、急にに思いだした。
過去のブログと関係ある。 もし当てる人がいたら、すごい。
(住所を教えていただけたら、何か送りますと、言いたいくらい)
今日のブログの最後で、以前書いた文を紹介する。
そこに書いた所に、明日行く。 息子と。
龍馬がなぜ人気があるのか。 それが、むずかしい。
NHKの大河ドラマは見てない。
ここが、二条城。 寺に比べたら、がっしりした建物だ。

二条城があるからって、京都は、城下町ではないですね。
もともと、京都の町は、京の都としてあった。
そこに、江戸時代の初めに、家康が京都の宿泊所として造った。
二の丸御殿。 国宝。 全体が、世界遺産。
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安全面が大事だから、城になった。
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二の丸御殿の中を見た。 ※ 写真は撮れないので、写真を3枚買った。
大広間での、大政奉還の様子。 前にいるのは、徳川慶喜。 こっちにいるのは、各藩の殿様。
1867年のこと。 265年間続いた江戸幕府に、幕が下りた。
政権は、朝廷(天皇)に渡った。

この大政奉還の、下準備をしたのが、坂本龍馬だと言う。
龍馬は、何をしたのか。
船中八策(せんちゅうはっさく)というものを、幕府に示した。
それには、新国家体制の基本方針が書いてあった。
それを、幕府が了解し、大政奉還となった。
勅使の間(来客用の間)

龍馬の考えの特徴は、武力に頼らない政権交代だった。
国内で戦って、国が消耗した時に、外国に攻められると考えたそうだ。
昔の、二条城。
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龍馬は、薩長同盟を結ばせるなど、調整役として動く。
そして、倒幕派を、ひとつにまとめていく。
もし、龍馬がいなかったら、別の幕末になったと思われる。
にわか勉強でまとめてみたのですが、こんな感じでしょうか。
広い庭があった。

大政奉還の日、龍馬は、
「慶喜公の今日の心中、深く察します」と、涙を流したそう。
石の多い庭。
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上に書いた、薩長同盟は、大政奉還前年の1月22日に成立した。
次の日の23日、龍馬と三吉(長州藩士)は、伏見の寺田屋で祝杯を上げた。
明け方2時頃、外の異常を、風呂に入っていたお龍が察した。
すぐに、2階の龍馬たちに知らせた。 戦う準備が間に合った。
龍馬は拳銃、三吉は槍で戦った。 相手の人数が多いので逃げた。 龍馬は、左手の指を切られた。
龍馬は材木場に潜み、三吉は、薩摩藩に助けを求めた。 そうして、龍馬は助かった。
3月になって、龍馬とお龍は、薩摩に行く。 そして、霧島温泉で、傷の療養をする。
この二人の旅が、日本で最初の新婚旅行と言われている。
城だから、石垣がある。

今年1月に、二人の新婚旅行の跡を追った。 1日いっぱい歩いた日も。
※ 関連ブログ
○ 霧島神宮 ~龍馬とおりょうは、高千穂に登り、ここに~ (2010/1/16)
○ 龍馬とおりょうが歩いた道 (2010/1/17)
○ 龍馬とおりょうが歩いた道(その2) ~隼人塚から日当山温泉まで~ (2010/1/18)
○ 龍馬とおりょうが歩いた道(その3)~塩浸温泉・犬飼の滝~ (2010/1/19)
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城が大きいことが分かる。
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天守への道。
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龍馬は、大政奉還の後なのに、なぜ狙われたのでしょう。
これについて調べてみたが、分からない。
定説はなく、分かっていないんですね。
もし、黒幕がいるとすれば、明治になって活躍した人間。
龍馬がいないために活躍でき、得をした人間です。
恨みより、こっちの可能性が大きいと思うかな。
※ 高知新聞 龍馬暗殺諸説。
庭は、広い。

二条城から、天皇が住んでいた御所は、割と近い。
本丸御殿には、入れない。
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本丸から出る。
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舞妓さんがいた。
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幕府は、当然、ここを二条城と呼んだ。 でも、朝廷側は、二条亭と呼んだそう。

この石垣に相応する建物は、大きい。
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神社の建物ではない。
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こんな庭に変わった。

私は、二条城を見るのは、4回目くらいかな。
でも、龍馬のことを考えながら見たのは、初めて。

お寺の庭のように、石の並び方とかに、宗教的考えはあるのでしょうか。

江戸幕府は、江戸にあった。
でも、終わりを告げる大政奉還は、御所のある京都で行われた。

広さが分かる。 ただ、御所の広さは、はるかに上。
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修学旅行生が多い。
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龍馬の行動には、夢があるのでしょうか。
多くの人と関わり、信頼されていく。
人脈が出来上がり、政治に大きな影響を与えた。
生き方に、ずるさを見い出せない。
そんな辺りに、龍馬の魅力があるのでしょうか。
【道の駅】 同じです。
【明日の予定】 以前、ブログに、こう書きました。 このブログに。
「元になる伝説は、どこにあるかと言うことだが、
有力なのは、京都の山科の小野にある随心院のように思う。
小町が住んでいたとされる寺だ。」
ということで、髄心院に行ってきます。 山科区です。 戻るのは、遅くなります。
※ 追記 嵐です。 困りました。 (23日午前)
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車検の関係で、動けたのは、夕方からだった。
今日は、坂本龍馬と、大石内蔵助について、少しだけ歩いた。
龍馬の墓に向かった。
途中、八坂の塔が見えた。 時間がないので、後で行くことに。 場所はここ。
ここは、維新の道と言われる。 左に、高台寺。 この辺りから、撮影。
龍馬の墓は、京都霊山護国神社にある。
※ この神社には、幕末から第2次大戦までの戦没者が祀られている。
※ 龍馬たち、幕末の志士を祀るために、明治の初めに作られた。
ノボリには、「龍馬 長崎で待つ」とある。
墓の隣に像があった。 右側は、一緒に襲撃され亡くなった、中岡慎太郎。
襲撃されたのは、河原町通りにあった、近江屋で。
1867年11月15日の午後8時~9時頃。 この後行く。
写真中央が、龍馬の墓。 右は、中岡慎太郎。
市内が一望できた。 塔は、八坂の塔。
直ぐ近くに、高杉晋作の墓が。
桂小五郎(木戸孝允)の墓も。 この人は、西郷隆盛、大久保利通とともに「維新の三傑」。
下の方に、龍馬の墓。
龍馬の道を、下りて行った。 もう少し行って、左に行って、八坂の塔。
八坂の塔。 室町時代の物。 ※ 中心の柱を支える礎石は、奈良時代とか古い。
高さ49㍍。 重要文化財。
この辺り一帯の地図。 込み入ってて、少し見ずらい。
高台寺の下の道を通って、円山公園に。
高台寺の敷地内。 階段を下りたら、小さな公園。
高台寺の地図。
ねねの道。
こんな道を通って。
円山公園は、自然が豊か。
この公園は、疲れた人たちが、休んでいる。 市の公園。 ここです。
八坂神社の本殿。 円山公園の西隣。
舞殿。
ここは、祇園さんの愛称、親しまれている。 7月の祇園祭は、八坂神社のお祭り。
南の楼門。
西の楼門から来る人が多い。
左に曲がったら、西の楼門が。
西の楼門から見た、祇園。 通りは、4条通り。 祇園と八坂神社は、密接な関係。
4条通りを少し行くと、左に、花見小路がある。 角にある建物が、一力茶屋。
大内内蔵助が、豪遊したと伝えられている。
※ 実際の場所は、別という考えもあった。 確認できていない。
一力茶屋。 ここです。
花見小路の中。 艶っぽい風情。 舞妓さんには会わなかった。
こんなお店も。
提灯は、どこの店にも。
裏小路に入ってみた。 これはこれでいい。 少ないが、歩く人はいる。
龍馬が暗殺された場所に向かった。
4条大橋の袂。 音楽の演奏。 南米のペルーの感じ。 天空の城、マチュピチュを思い出すメロディー。
鴨川。 夕涼みをしている人が。 料理屋さんも並ぶ。
遊びで一句。
「鴨川に 夜の帳(とばり)が下りるころ 下駄のあし音 古都古都古都」
川を渡って、河原町。
龍馬たちが暗殺された場所は通ったが、標示に気付かなかった。
この辺りと思って写真を撮った。 右端に写っていた。 場所はここです。
戻る時は、もう暗くなった。 他に見たい所もあったが、この次。
バス乗場が分からなかったので、八坂神社に戻った。 10分ほど。
道の向こうのお店のガラスに、こっちが写っていた。 私もいる。 バスを待っている。
今日は、見学も調べる時間も十分に取れなかった。
龍馬が、なぜあそこにいたのか。
暗殺されたということは、何かミスしている。 それは、何なのか。
大石内蔵助の遊んだのは、一力屋でいいのか。
どういう目的で、何日くらいいたのか。
この辺については、いつか調べてみます。
※ 情報があれば、お願いします。
【道の駅】 同じです。
【明日の予定】 午後から、動けると思います。
時間があれば、高台寺と知恩院。
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今日は、坂本龍馬と、大石内蔵助について、少しだけ歩いた。
龍馬の墓に向かった。
途中、八坂の塔が見えた。 時間がないので、後で行くことに。 場所はここ。
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ここは、維新の道と言われる。 左に、高台寺。 この辺りから、撮影。
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龍馬の墓は、京都霊山護国神社にある。
※ この神社には、幕末から第2次大戦までの戦没者が祀られている。
※ 龍馬たち、幕末の志士を祀るために、明治の初めに作られた。
ノボリには、「龍馬 長崎で待つ」とある。
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墓の隣に像があった。 右側は、一緒に襲撃され亡くなった、中岡慎太郎。
襲撃されたのは、河原町通りにあった、近江屋で。
1867年11月15日の午後8時~9時頃。 この後行く。
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写真中央が、龍馬の墓。 右は、中岡慎太郎。
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市内が一望できた。 塔は、八坂の塔。
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直ぐ近くに、高杉晋作の墓が。
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桂小五郎(木戸孝允)の墓も。 この人は、西郷隆盛、大久保利通とともに「維新の三傑」。
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下の方に、龍馬の墓。
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龍馬の道を、下りて行った。 もう少し行って、左に行って、八坂の塔。
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八坂の塔。 室町時代の物。 ※ 中心の柱を支える礎石は、奈良時代とか古い。
高さ49㍍。 重要文化財。
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この辺り一帯の地図。 込み入ってて、少し見ずらい。
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高台寺の下の道を通って、円山公園に。
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高台寺の敷地内。 階段を下りたら、小さな公園。
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高台寺の地図。
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ねねの道。
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こんな道を通って。
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円山公園は、自然が豊か。
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この公園は、疲れた人たちが、休んでいる。 市の公園。 ここです。
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八坂神社の本殿。 円山公園の西隣。
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舞殿。
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ここは、祇園さんの愛称、親しまれている。 7月の祇園祭は、八坂神社のお祭り。
南の楼門。
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西の楼門から来る人が多い。
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左に曲がったら、西の楼門が。
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西の楼門から見た、祇園。 通りは、4条通り。 祇園と八坂神社は、密接な関係。
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4条通りを少し行くと、左に、花見小路がある。 角にある建物が、一力茶屋。
大内内蔵助が、豪遊したと伝えられている。
※ 実際の場所は、別という考えもあった。 確認できていない。
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一力茶屋。 ここです。
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花見小路の中。 艶っぽい風情。 舞妓さんには会わなかった。
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こんなお店も。
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提灯は、どこの店にも。
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裏小路に入ってみた。 これはこれでいい。 少ないが、歩く人はいる。
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龍馬が暗殺された場所に向かった。
4条大橋の袂。 音楽の演奏。 南米のペルーの感じ。 天空の城、マチュピチュを思い出すメロディー。
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鴨川。 夕涼みをしている人が。 料理屋さんも並ぶ。
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遊びで一句。
「鴨川に 夜の帳(とばり)が下りるころ 下駄のあし音 古都古都古都」
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川を渡って、河原町。
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龍馬たちが暗殺された場所は通ったが、標示に気付かなかった。
この辺りと思って写真を撮った。 右端に写っていた。 場所はここです。
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戻る時は、もう暗くなった。 他に見たい所もあったが、この次。
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バス乗場が分からなかったので、八坂神社に戻った。 10分ほど。
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道の向こうのお店のガラスに、こっちが写っていた。 私もいる。 バスを待っている。
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今日は、見学も調べる時間も十分に取れなかった。
龍馬が、なぜあそこにいたのか。
暗殺されたということは、何かミスしている。 それは、何なのか。
大石内蔵助の遊んだのは、一力屋でいいのか。
どういう目的で、何日くらいいたのか。
この辺については、いつか調べてみます。
※ 情報があれば、お願いします。
【道の駅】 同じです。
【明日の予定】 午後から、動けると思います。
時間があれば、高台寺と知恩院。
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清水寺は、人、人、人、人でいっぱいだった。
今日は、写真を多く、コメント少なめ。
東山を、清水寺から、北に上がって行くことにした。
東山には、タテに太い道がある。 東大路通。
駅からバスで行って、この道のどこかで、下りた。
山への道を上って行ったら、この道に出た。
ここは、茶わん坂。 清水坂の、1本南。 ここを通る人も多い。
舞妓さんが来た。 左の人がカメラ目線。 この後、撮影をやめて、お礼を言う。
※ 明日か、明後日、祇園に行く。
後ろ姿の、首筋下の化粧が独特。
ここは、仁王門。 清水寺は、ここから始まる。
この寺は、奈良時代に始まっている。 音羽の滝に関わる伝説がある。
何宗かというと、北法相宗。 あまり聞かない。
この寺に来る人は、ここが何宗かなんて、考えることはない。
清水坂を上がってきたら、ここに来る。
三重塔。 30.1㍍。 江戸時代初期の物。 どこからも、全体が撮影できない。 美しさは、ふつう。
修学旅行生がとにかく多い。 小学生から、高校生まで。
京都観光は、一時下火になった。 でも、人々の努力で復活した。 今は、年間5000万人になろうとしている。
見えたのは本堂。 国宝。 徳川家光の寄進により寛永10年(1633年)に再建されたもの。
「清水の舞台」とも呼ばれる。
年末に、世相を漢字一字で表現する「今年の漢字」が清水寺で発表される。
奥に、本尊がある。
ここが清水の舞台。 飛び降りた時の死亡率は15%。 ただし、60歳以上は、全員死亡とある。
4年前に飛び降りた人は、助からなかった。
高さ、13㍍。 もし飛び降りて、怪我がなかったら、願いがかなうそう。
カメラマンが、女の子に、指差してるポーズを取れと、言っていた。 何をやってる事やら。
音羽の滝の付近。
手を伸ばして、やっと届く。
奥の院の前あたり。 普通は、向こうからこっちを撮影する。
本堂前。 清水の舞台。
縁結びの神とかあるので、子供らみんな行く。
途中まで行って、下を撮影。
阿弥陀堂。 音羽の滝は、右下少し向こう。
こんな感じ。
調子のいい流れだ。
これが、ぬれて観世音。 この時から、1句、考え始めた。 濡れて~~を使って。
さっき、こっちを撮った。
阿弥陀堂の中かな。 ※ 隣が、奥ノ院。
今のデジカメは、暗くたって撮影できる。
※ 暗くて何も写ってないと思っても、パソコンで加工したら、浮き出てくることがあるんですよ。
羅臼の熊の湯の写真がそうだった。
こういう風に、見える所がある。 ちょっとした所に登る。
音羽の滝の近くから。
向こうから来た。 間もなく出口。
ここは、茶屋。 茶店は、他にも1軒。
ここの茶屋は、こんな名前。 調べてみた。 すごい話だった。
昔、清水寺の寺侍に月照・信海兄弟がいた。
2人は若いころの西郷隆盛と共に勤王の活動家だった。
時は、大老井伊直弼による大粛清の時代。
西郷と月照は追われ、行き詰まり、入水自殺を図った。(安政の大獄)
月照は死んだ。 西郷は助かった。
この時、月照に最後まで付き従った大槻重助、拷問に耐えて月照を守った近藤正慎という2人の従僕がいた。
拷問を受けた近藤正慎は、最後は舌を噛み切って自害した。
大槻重助と、近藤正慎の遺族は、清水寺のはからいで、境内に茶店を営業することを許された。
それぞれ「忠僕茶屋」「舌切茶屋」として、今も営業している。
どちらも、今は、4代目。
舌を噛み切ったから、舌切茶屋だった。 驚き。
※ 追記 さらに、宙太さんから情報が。
俳優の近藤正臣は、上の近藤正慎のひ孫だった。
三重塔。
清水坂。 清水寺への、メインストリート。
途中で、右に曲がって、三年坂(産寧坂)
石段。
途中から、下を。
下から。
※ 三年坂の写真を撮ったが、少し不満。
撮影スポットが悪いのか。 三年坂が大したことはないのか。 腕か。
二年坂に、向かっている。
この石段を下りて、二年坂。
こんな感じ。 いいですね。 電信柱もない。
二年坂は、写真の右まで。
坂の上の方。 いい感じ。
雨は止まないので、戻ることにした。
ここで、適当に1句つくった。 遊びですよ。
「小ぬか雨 濡れて私も 二年坂」 ※ 二年目の旅に入った。 そんな意味も。
この電車で、亀岡へ。
100円のバス。 みんな降りてしまった。 座席は、14。
今日、舌切茶屋の提灯を、気になって写真に撮った。
撮ってよかった。
面白いというか、哀しい歴史が、隠れていた。
【道の駅】 同じ
【明日の予定】 明日こそ、高台寺。 そして、八坂神社、知恩院、祇園。 全部は無理かな。
龍馬の墓は、行けるでしょう。
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今日は、写真を多く、コメント少なめ。
東山を、清水寺から、北に上がって行くことにした。
東山には、タテに太い道がある。 東大路通。
駅からバスで行って、この道のどこかで、下りた。
山への道を上って行ったら、この道に出た。
ここは、茶わん坂。 清水坂の、1本南。 ここを通る人も多い。
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舞妓さんが来た。 左の人がカメラ目線。 この後、撮影をやめて、お礼を言う。
※ 明日か、明後日、祇園に行く。
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後ろ姿の、首筋下の化粧が独特。
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ここは、仁王門。 清水寺は、ここから始まる。
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この寺は、奈良時代に始まっている。 音羽の滝に関わる伝説がある。
何宗かというと、北法相宗。 あまり聞かない。
この寺に来る人は、ここが何宗かなんて、考えることはない。
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清水坂を上がってきたら、ここに来る。
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三重塔。 30.1㍍。 江戸時代初期の物。 どこからも、全体が撮影できない。 美しさは、ふつう。
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修学旅行生がとにかく多い。 小学生から、高校生まで。
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京都観光は、一時下火になった。 でも、人々の努力で復活した。 今は、年間5000万人になろうとしている。
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見えたのは本堂。 国宝。 徳川家光の寄進により寛永10年(1633年)に再建されたもの。
「清水の舞台」とも呼ばれる。
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年末に、世相を漢字一字で表現する「今年の漢字」が清水寺で発表される。
奥に、本尊がある。
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ここが清水の舞台。 飛び降りた時の死亡率は15%。 ただし、60歳以上は、全員死亡とある。
4年前に飛び降りた人は、助からなかった。
高さ、13㍍。 もし飛び降りて、怪我がなかったら、願いがかなうそう。
カメラマンが、女の子に、指差してるポーズを取れと、言っていた。 何をやってる事やら。

音羽の滝の付近。
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手を伸ばして、やっと届く。
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奥の院の前あたり。 普通は、向こうからこっちを撮影する。
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本堂前。 清水の舞台。
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縁結びの神とかあるので、子供らみんな行く。
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途中まで行って、下を撮影。
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阿弥陀堂。 音羽の滝は、右下少し向こう。
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こんな感じ。
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調子のいい流れだ。
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これが、ぬれて観世音。 この時から、1句、考え始めた。 濡れて~~を使って。
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さっき、こっちを撮った。
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阿弥陀堂の中かな。 ※ 隣が、奥ノ院。
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今のデジカメは、暗くたって撮影できる。
※ 暗くて何も写ってないと思っても、パソコンで加工したら、浮き出てくることがあるんですよ。
羅臼の熊の湯の写真がそうだった。
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こういう風に、見える所がある。 ちょっとした所に登る。
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音羽の滝の近くから。
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向こうから来た。 間もなく出口。
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ここは、茶屋。 茶店は、他にも1軒。
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ここの茶屋は、こんな名前。 調べてみた。 すごい話だった。
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昔、清水寺の寺侍に月照・信海兄弟がいた。
2人は若いころの西郷隆盛と共に勤王の活動家だった。
時は、大老井伊直弼による大粛清の時代。
西郷と月照は追われ、行き詰まり、入水自殺を図った。(安政の大獄)
月照は死んだ。 西郷は助かった。
この時、月照に最後まで付き従った大槻重助、拷問に耐えて月照を守った近藤正慎という2人の従僕がいた。
拷問を受けた近藤正慎は、最後は舌を噛み切って自害した。
大槻重助と、近藤正慎の遺族は、清水寺のはからいで、境内に茶店を営業することを許された。
それぞれ「忠僕茶屋」「舌切茶屋」として、今も営業している。
どちらも、今は、4代目。
舌を噛み切ったから、舌切茶屋だった。 驚き。
※ 追記 さらに、宙太さんから情報が。
俳優の近藤正臣は、上の近藤正慎のひ孫だった。
三重塔。
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清水坂。 清水寺への、メインストリート。
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途中で、右に曲がって、三年坂(産寧坂)
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石段。
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途中から、下を。
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下から。
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※ 三年坂の写真を撮ったが、少し不満。
撮影スポットが悪いのか。 三年坂が大したことはないのか。 腕か。
二年坂に、向かっている。
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この石段を下りて、二年坂。
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こんな感じ。 いいですね。 電信柱もない。
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二年坂は、写真の右まで。
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坂の上の方。 いい感じ。
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雨は止まないので、戻ることにした。
ここで、適当に1句つくった。 遊びですよ。
「小ぬか雨 濡れて私も 二年坂」 ※ 二年目の旅に入った。 そんな意味も。
この電車で、亀岡へ。
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100円のバス。 みんな降りてしまった。 座席は、14。
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今日、舌切茶屋の提灯を、気になって写真に撮った。
撮ってよかった。
面白いというか、哀しい歴史が、隠れていた。
【道の駅】 同じ
【明日の予定】 明日こそ、高台寺。 そして、八坂神社、知恩院、祇園。 全部は無理かな。
龍馬の墓は、行けるでしょう。
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三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)には、仏像がいっぱいあった。
それは、1000を越える数だった。
車は、道の駅、ガレリアかめおか に。
息子が京都にいるので、しばらくここにいるのかな。
※ お風呂もコインランドリーもあるので、便利。
※ 亀岡の駅まで、歩いて20分ほど。 バスもあり、100円で乗れる。
今日は、京都駅から割と近い、三十三間堂にした。
駅前を東に向かって歩いている。 ずっと行くと、東山に着く。 7条通り。 清水寺は、左の方に。
ここが、三十三間堂。 柱と柱の間が、33ある。 それで、こう呼ばれる。
正式な名称は、蓮華王院本堂(れんげおういんほんどう)。
建物の長さは、118.2㍍。
堂の真ん中辺り。
平清盛が、1164年に最初に立てたが、焼けた。
1266年(文永3に)、後嵯峨(ごさが)上皇によって復原されたのが、今の建物。
700年以上経っている。 国宝。
三十三間堂は、仏道が多いことや、弓矢のことや、武蔵が戦ったことで知られている。
ここから堂内に入るが、撮影はできない。
修学旅行生がたくさんおり、おしゃべりして、注意されていた。
※ 生徒の中には、仏像について話してる子もいたが、寺側は、静寂を求めていた。
ここに参拝に来た生徒たちに、寺側は何を求めているのか、それは見えない。
※ 今の子どもたちはダメだと、批判する声は多い。
寺側の姿勢として望ましいのは、どんな子どもたちにも来てもらって、仏像を見ることによって、
生きる上での何かを考えてもらうこと、また、それを願うことかなと思う。
ここからの写真は、買った、寺の説明にあったもの。
ずらっと並んでいるので、壮観と言うのかな。 像は全部で、1032。
後ろに並んでいるのが、千手観音立像。 1001体。 重要文化財。
前に、風神・雷神と、28部衆の像。 国宝。
中央に、千手観音坐像。 これが本尊。 国宝。
雷神像。 この後に作られる、他の寺の雷神像は、これに似る。
28部衆の一人。 鳥っぽい。
婆藪仙人(ばすせんにん)像。 何とも言えない表情。 説明には、名作とあった。
1000体ある、千手観音は、大体こんな感じ。 (正確には、1001体)
この寺は、1164年に創建され、1249年に焼失した。
救い出された仏像は、124体。
足りなくなった876体は、1254年までに作られた。
たった、5年間で、876体。 これについては、こうだったよう。
仏師のグループがいくつかあった。
そのグループで、分担した。 一つのグループは、80とか100とかの数になる。
どの仏像も、寄木造りだった。 仏像が、部品ごとに、バラバラにできた。
ここにポイントがある。
グループの中心人物は、頭とかを作る。
経験の浅い者は、やさしい所を作る。
この方法が採れたので、集団での大量生産が可能になった。
グループが違うと、仏像の表情とかも、微妙に違ってきた。
だから、1000体の像は、似てるようで、どこか違った。
全てが、一流の仏師が作ったわけでないから、まあまあの質の物もあるそうだ。
だから、1000体は、国宝にはならない。
建物の裏の、この場所で、通し矢は行われた。
和服の人に出会った。 藤の花の色だった。 新緑に生えた。
爽やかな何かを残して、通り過ぎて行った。
通し矢の的は、向こうに。 距離、118㍍。
一晩で、何本当てるかの勝負。 (他もあるよう)
最高記録は、18歳の青年。 江戸時代のこと。 13053本発射して、8133本、的に当てたという。
1分間に、9本の割合。 ※ 的に当てるのを、通すという。
強靭な体力が必要だそう。
今は行われていなく、代わりに弓道大会。
昔の様子。
なお、上の場所で、宮本武蔵と吉岡一門の決闘があった。 蓮華王院の決闘と言われる。
武蔵が縁側を走る。 1612年頃のこと。
建物の前から、左方向を撮影。
秀吉は、見える塀の向こうに、大仏殿方広寺を作った。 1789年の落雷で焼失した。
その建物の塀が、この塀。 大仏は、奈良の大仏より大きい、18㍍あったそう。
方広寺を見に行った。 ここは、大仏殿方広寺の跡。
方広寺の鐘。
字が書いてある。
この鐘に刻まれた「国家安康」「君臣豊楽」の銘文が、徳川家康を怒らせた。
家と康を分断し、豊臣を君主としていると。 大坂の役による、豊臣家滅亡を招いたとされる。
※ でも、家康は、これがなかったら、何か別のをきっと見つけた。
※ 鐘の文は、南禅寺の禅僧、文英清韓の作。
そばに、豊国時があった。 秀吉を祀っている。
30分ほど歩いて、東福寺へ行ったが、5時半で閉まった。
公家の九条家を祀っている寺。
近くに、天徳院と言う建物が。
開いたのは、鐘の文を考えた、文英清韓。
雪舟時。 庭園があるとあったが、入らなかった。
疲れたので、東福寺駅から、電車に乗った。 駅の近くの商店街。
京都駅。 設計は、こうだった。(Wikipedia)
設計者には、原広司、安藤忠雄、池原義郎、黒川紀章、ジェームス・スターリング、ベルナール・チュミ、ペーター・ブスマンの
7名の複数の建築家が指名された。
審査の結果、先ず原広司案、安藤案、スターリング案の3案に絞り込まれた。
更なる協議を結果、原広司案が最終案として採用された
今回は、下から撮影。 京都タワー。
この後、息子と食事をして戻った。 遅くなった。
三十三間堂は、仏像が整然と並んでいた。
不思議に思ったのは、人が通る通路がなかった。
聞いてみた。 しゃがんだら、通りぬけることが出来ると。 ジグザグに。
年に2回掃除をすると、教えてくれた。
修復が、ずっと続いていることも。
【道の駅】 ガレリアかめおか
【明日の予定】 ねねの高台寺か、知恩院か、あの辺り。
【今日の歌】 歌でなく、三十三間堂の動画(YouTube) 決闘は、無かった。
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それは、1000を越える数だった。
車は、道の駅、ガレリアかめおか に。
息子が京都にいるので、しばらくここにいるのかな。
※ お風呂もコインランドリーもあるので、便利。
※ 亀岡の駅まで、歩いて20分ほど。 バスもあり、100円で乗れる。
今日は、京都駅から割と近い、三十三間堂にした。
駅前を東に向かって歩いている。 ずっと行くと、東山に着く。 7条通り。 清水寺は、左の方に。

ここが、三十三間堂。 柱と柱の間が、33ある。 それで、こう呼ばれる。
正式な名称は、蓮華王院本堂(れんげおういんほんどう)。
建物の長さは、118.2㍍。

堂の真ん中辺り。
平清盛が、1164年に最初に立てたが、焼けた。
1266年(文永3に)、後嵯峨(ごさが)上皇によって復原されたのが、今の建物。
700年以上経っている。 国宝。

三十三間堂は、仏道が多いことや、弓矢のことや、武蔵が戦ったことで知られている。

ここから堂内に入るが、撮影はできない。
修学旅行生がたくさんおり、おしゃべりして、注意されていた。
※ 生徒の中には、仏像について話してる子もいたが、寺側は、静寂を求めていた。
ここに参拝に来た生徒たちに、寺側は何を求めているのか、それは見えない。
※ 今の子どもたちはダメだと、批判する声は多い。
寺側の姿勢として望ましいのは、どんな子どもたちにも来てもらって、仏像を見ることによって、
生きる上での何かを考えてもらうこと、また、それを願うことかなと思う。
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ここからの写真は、買った、寺の説明にあったもの。
ずらっと並んでいるので、壮観と言うのかな。 像は全部で、1032。

後ろに並んでいるのが、千手観音立像。 1001体。 重要文化財。
前に、風神・雷神と、28部衆の像。 国宝。
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中央に、千手観音坐像。 これが本尊。 国宝。
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雷神像。 この後に作られる、他の寺の雷神像は、これに似る。
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28部衆の一人。 鳥っぽい。
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婆藪仙人(ばすせんにん)像。 何とも言えない表情。 説明には、名作とあった。
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1000体ある、千手観音は、大体こんな感じ。 (正確には、1001体)
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この寺は、1164年に創建され、1249年に焼失した。
救い出された仏像は、124体。
足りなくなった876体は、1254年までに作られた。
たった、5年間で、876体。 これについては、こうだったよう。
仏師のグループがいくつかあった。
そのグループで、分担した。 一つのグループは、80とか100とかの数になる。
どの仏像も、寄木造りだった。 仏像が、部品ごとに、バラバラにできた。
ここにポイントがある。
グループの中心人物は、頭とかを作る。
経験の浅い者は、やさしい所を作る。
この方法が採れたので、集団での大量生産が可能になった。
グループが違うと、仏像の表情とかも、微妙に違ってきた。
だから、1000体の像は、似てるようで、どこか違った。
全てが、一流の仏師が作ったわけでないから、まあまあの質の物もあるそうだ。
だから、1000体は、国宝にはならない。
建物の裏の、この場所で、通し矢は行われた。

和服の人に出会った。 藤の花の色だった。 新緑に生えた。
爽やかな何かを残して、通り過ぎて行った。

通し矢の的は、向こうに。 距離、118㍍。
一晩で、何本当てるかの勝負。 (他もあるよう)
最高記録は、18歳の青年。 江戸時代のこと。 13053本発射して、8133本、的に当てたという。
1分間に、9本の割合。 ※ 的に当てるのを、通すという。
強靭な体力が必要だそう。
今は行われていなく、代わりに弓道大会。

昔の様子。

なお、上の場所で、宮本武蔵と吉岡一門の決闘があった。 蓮華王院の決闘と言われる。
武蔵が縁側を走る。 1612年頃のこと。
建物の前から、左方向を撮影。
秀吉は、見える塀の向こうに、大仏殿方広寺を作った。 1789年の落雷で焼失した。
その建物の塀が、この塀。 大仏は、奈良の大仏より大きい、18㍍あったそう。

方広寺を見に行った。 ここは、大仏殿方広寺の跡。
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方広寺の鐘。

字が書いてある。
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この鐘に刻まれた「国家安康」「君臣豊楽」の銘文が、徳川家康を怒らせた。
家と康を分断し、豊臣を君主としていると。 大坂の役による、豊臣家滅亡を招いたとされる。
※ でも、家康は、これがなかったら、何か別のをきっと見つけた。
※ 鐘の文は、南禅寺の禅僧、文英清韓の作。

そばに、豊国時があった。 秀吉を祀っている。

30分ほど歩いて、東福寺へ行ったが、5時半で閉まった。
公家の九条家を祀っている寺。

近くに、天徳院と言う建物が。
開いたのは、鐘の文を考えた、文英清韓。

雪舟時。 庭園があるとあったが、入らなかった。

疲れたので、東福寺駅から、電車に乗った。 駅の近くの商店街。

京都駅。 設計は、こうだった。(Wikipedia)
設計者には、原広司、安藤忠雄、池原義郎、黒川紀章、ジェームス・スターリング、ベルナール・チュミ、ペーター・ブスマンの
7名の複数の建築家が指名された。
審査の結果、先ず原広司案、安藤案、スターリング案の3案に絞り込まれた。
更なる協議を結果、原広司案が最終案として採用された

今回は、下から撮影。 京都タワー。

この後、息子と食事をして戻った。 遅くなった。
三十三間堂は、仏像が整然と並んでいた。
不思議に思ったのは、人が通る通路がなかった。
聞いてみた。 しゃがんだら、通りぬけることが出来ると。 ジグザグに。
年に2回掃除をすると、教えてくれた。
修復が、ずっと続いていることも。
【道の駅】 ガレリアかめおか
【明日の予定】 ねねの高台寺か、知恩院か、あの辺り。
【今日の歌】 歌でなく、三十三間堂の動画(YouTube) 決闘は、無かった。
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「 大江山 いく野の道は遠ければ まだふみもみず 天の橋立 」
百人一首にある歌。 作者は、小式部内侍(こしきぶ の ないし)。
小式部内侍は、和泉式部の娘。
本人は、京都にいて、母親の和泉式部は、丹後の天橋立にいる。
そういう状況の中で、うたった歌。
大江山は、京都から亀山に行く途中の、老ノ坂のこと。
※ 本能寺の変の時、光秀は、亀山城から老ノ坂を通って、本能寺へ行った。 そのブログ。
生野の道は、亀山と福知山の間にある道。
今日歩いたのは、その中にある、細野峠。
その道は、天橋立への道であり、母親の和泉式部が歩いた道でもあった。
この歌は、どうして作られたのか。 また、どんな意味なのか。
その辺りを、調べてみた。 ※ 何も知らない中で、スタート。
この人が、小式部内侍。 (Wikipediaから)
これが、細野峠。 この地図は、地元の中学生が作った。
右の方から左に行く。
私は、峠の入り口が分からなかった。 畑にいる人に聞いた。 旦那さんを呼びに行った。
その人は、上の案内板まで連れて行ってくれた。
後で分かるのだが、この峠を大事にしている人だった。
この道が、山陰道。 昔の街道。
黒いトンボがいた。 初めて見る。
この道は、国道9号線に沿っている。 京都から、亀山を通って、細野峠を通って、ここに来る。
ここから反対側に行くと、福知山に着く。
そこから、北に行くと、天橋立。 西に行くと、竹田城のある朝来市。
道は、舗装でなくなった。 上り始めた。
昔の広さも、こんなものでしょうか。 もっと狭いかもしれない。
この人は、999年ころから、1025年までの人。 平安時代の女流歌人。
藤原道長が、966年から1028年だから、同じ時代の人。
道が細くなった。 昔はこんなもんでしょうね。 但馬や丹後の殿様も、ここを通った。
しばらく行ったら、上の方が、こんな風に見えた。 家があるように。
上に行ったら、何もなかった。 錯覚だった。 戻って確認した。
昔ここに、円通庵という建物があった。 この水は、その井戸から湧き出る水。
ここを通る人は、この水で喉を潤した。
上り切った辺りが、頂上。
下ったら、何か見えてきた。
大身騒動晒場跡(おおみそうどう さらしばあと)とあった。
※ 1860年に、大身村の百姓を中心にした一揆があった。 細野峠が、集結場所だった。
中心人物の茂助は、打ち首になった。 その首は、細野峠のここに、晒(さら)された。
「 大江山 いく野の道は遠ければ まだふみもみず 天の橋立 」
意味は、こう。
大江山を越え、生野を通る丹後への道は遠すぎて、まだ天橋立の地を踏んだこともありませんし、
母からの手紙も見てはいません。
解釈について。
いく野は、「生野」と「野を行く」の、両方の意味。
ふみもみずは、「文も見ず」と「踏みもみず」の両方の意味。
「道」と「ふみ」と「橋」は、縁語だそう。 関係あるという意味でしょうか。
峠を下りて行ったが、この辺りで戻った。
何で、こんな歌を作るかです。 この説明は、色んなところにあった。
当時、小式部内侍は、年少ながら非常に歌が上手いと評判だった。
あまりに上手なので、母の和泉式部が代作しているのではないかと噂が出るほどだった。
ある日、彼女は、歌会(歌を詠み合う会)に招かれた。
その頃、母の和泉式部は、夫とともに天橋立のある丹後に行ってて、不在だった。
その歌会に、藤原定頼がいた。 意地悪なことを言った。
「歌は如何せさせ給ふ。 丹後へ人は遣しけむや。 使、未だまうで来ずや」と尋ねた。
つまり
「歌会で詠む歌はどうするんです? お母様のいらっしゃる丹後の国へ、使いは出されましたか?
まだ、使いは帰って来ないのですか」と、代作疑惑のことを皮肉ったのです。
その時、小式部内侍が即興で歌ったのがこの歌だった。
行ったことも、手紙を見たこともありませんよと、その瞬間に歌った。
「生野」と「野を行く」を掛け、さらに「踏みもみず」と「文も見ず」を掛けた。
華麗な歌になった。
小式部内侍は、これまでの歌が全部自分の作品であることを証明した。
同時に、噂はデタラメであることも。
皮肉を言った藤原定頼は、その場には居られなかったそうだ。
元来た道を戻っている。
この人は、20代の後半に、3人目の子供を産んだ時、亡くなっている。
3人の子供の父親はみんな違う。 恋多き女性。
間もなく、頂上。
この峠は、一度整備されている。 今は、いい状態ではない。
石垣など、ずっと昔のものを探し続けたが、発見できなかった。
この道が、昔の街道であることは、間違いないが。 ※ 後で、地図を見せてもらう。
小式部内侍が亡くなった時、母親の和泉式部は、下の歌を詠んだ。
「とどめおきて 誰をあはれと思ふらむ 子はまさるらむ 子はまさりけり」
このような解釈があった。 (筑波大 石塚修)
娘である小式部内侍は、亡くなってあの世に行った。
その彼女は今、この世に残していった母親である私と、子どもである孫たちとどちらを、
深く愛惜の思いを持って、あの世から見つめていることであろうか。
それは、きっと孫たちであるに違いない。
なぜならば、私も親を失ったときの悲しみより、今こうしてわが子を失った悲しみに出会って、
はじめて親が子を思う思いの深さに、気がついたからである。
山の頂上まで、2㌔程だったかな。
峠から下りてきた。
町の方の、昔の街道を歩いた。 こんな茅葺の家。
感じのいい道だ。
両橋。 1938年に出来ている。 土木遺産だそう。
少しデザインがいいかな、って言う感じですね。 そろそろ、コンクリートはダメになる。
龍源寺に、ちょっと行ってみた。 宝篋印塔(ほうきょういんとう)があるというので。
峠に昔あった、円通庵の観音像は、この寺にあるそう。
手前が、宝篋印塔。
こんなのが。 小さな世界だ。
この辺り全体は、福知山市の三和。 写真の右の方に行くと、生野地区がある。
それで、この辺の道全体が、生野の道と呼ばれる。
こんな感じ。
最初に、道を案内していただいた方に、呼ばれていた。 帰りに寄った。
細野峠の資料をたくさん頂いた。 飲み物も御馳走になって。
この地域には、細野峠物語と言うのがある。
その作者が、この方だった。
このお話は、地元の劇団によって演じられている。
向こうに行ったら、福知山。 左に行ったら、細野峠。
庭には、たくさんのツツジがあった。 白が終わったら、赤が咲くと言う。
今日は、一つの歌に関わって、動いてみた。
歌を、さらっと読んでも、何も感じないが、裏に隠れている事を調べたら、面白い。
今日は、いい歌に出会った。 母親の歌も良かった。
出会った人が、この峠に、惚れ込んでいる人だった。
この町に来て、道を間違って、その方の家に真っ直ぐ向かっていた。
偶然とはいえ、不思議だ。
少し時間がかかったが、道の駅、ガレリアかめおか、まで走った。
すぐに、バラを見に行った。 咲き始めていた。
ここの道の駅に、何日いることになるだろう。 ここを拠点に京都を見る。 車では行かない。
【道の駅】 ガレリアかめおか
【明日の予定】 どこかを、少し。
【今日の歌】 昨日の歌ですが、関口泰子のは、ピアノが少し歌の邪魔をしているように感じるんだが、どうでしょう。
綺麗な声なんだから、歌ってない時にさらっと聞こえる程度でいいんでは。
テネシーワルツ(YouTube) パティ・ペイジは今83歳。 歌っていますよ。
【ブログランキング】 国内旅行3位、旅行全体で9位です。
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百人一首にある歌。 作者は、小式部内侍(こしきぶ の ないし)。
小式部内侍は、和泉式部の娘。
本人は、京都にいて、母親の和泉式部は、丹後の天橋立にいる。
そういう状況の中で、うたった歌。
大江山は、京都から亀山に行く途中の、老ノ坂のこと。
※ 本能寺の変の時、光秀は、亀山城から老ノ坂を通って、本能寺へ行った。 そのブログ。
生野の道は、亀山と福知山の間にある道。
今日歩いたのは、その中にある、細野峠。
その道は、天橋立への道であり、母親の和泉式部が歩いた道でもあった。
この歌は、どうして作られたのか。 また、どんな意味なのか。
その辺りを、調べてみた。 ※ 何も知らない中で、スタート。
この人が、小式部内侍。 (Wikipediaから)
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これが、細野峠。 この地図は、地元の中学生が作った。
右の方から左に行く。
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私は、峠の入り口が分からなかった。 畑にいる人に聞いた。 旦那さんを呼びに行った。
その人は、上の案内板まで連れて行ってくれた。
後で分かるのだが、この峠を大事にしている人だった。
この道が、山陰道。 昔の街道。

黒いトンボがいた。 初めて見る。
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この道は、国道9号線に沿っている。 京都から、亀山を通って、細野峠を通って、ここに来る。
ここから反対側に行くと、福知山に着く。
そこから、北に行くと、天橋立。 西に行くと、竹田城のある朝来市。
道は、舗装でなくなった。 上り始めた。
昔の広さも、こんなものでしょうか。 もっと狭いかもしれない。

この人は、999年ころから、1025年までの人。 平安時代の女流歌人。
藤原道長が、966年から1028年だから、同じ時代の人。
道が細くなった。 昔はこんなもんでしょうね。 但馬や丹後の殿様も、ここを通った。

しばらく行ったら、上の方が、こんな風に見えた。 家があるように。
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上に行ったら、何もなかった。 錯覚だった。 戻って確認した。

昔ここに、円通庵という建物があった。 この水は、その井戸から湧き出る水。
ここを通る人は、この水で喉を潤した。

上り切った辺りが、頂上。
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下ったら、何か見えてきた。

大身騒動晒場跡(おおみそうどう さらしばあと)とあった。
※ 1860年に、大身村の百姓を中心にした一揆があった。 細野峠が、集結場所だった。
中心人物の茂助は、打ち首になった。 その首は、細野峠のここに、晒(さら)された。

「 大江山 いく野の道は遠ければ まだふみもみず 天の橋立 」
意味は、こう。
大江山を越え、生野を通る丹後への道は遠すぎて、まだ天橋立の地を踏んだこともありませんし、
母からの手紙も見てはいません。
解釈について。
いく野は、「生野」と「野を行く」の、両方の意味。
ふみもみずは、「文も見ず」と「踏みもみず」の両方の意味。
「道」と「ふみ」と「橋」は、縁語だそう。 関係あるという意味でしょうか。
峠を下りて行ったが、この辺りで戻った。

何で、こんな歌を作るかです。 この説明は、色んなところにあった。
当時、小式部内侍は、年少ながら非常に歌が上手いと評判だった。
あまりに上手なので、母の和泉式部が代作しているのではないかと噂が出るほどだった。
ある日、彼女は、歌会(歌を詠み合う会)に招かれた。
その頃、母の和泉式部は、夫とともに天橋立のある丹後に行ってて、不在だった。
その歌会に、藤原定頼がいた。 意地悪なことを言った。
「歌は如何せさせ給ふ。 丹後へ人は遣しけむや。 使、未だまうで来ずや」と尋ねた。
つまり
「歌会で詠む歌はどうするんです? お母様のいらっしゃる丹後の国へ、使いは出されましたか?
まだ、使いは帰って来ないのですか」と、代作疑惑のことを皮肉ったのです。
その時、小式部内侍が即興で歌ったのがこの歌だった。
行ったことも、手紙を見たこともありませんよと、その瞬間に歌った。
「生野」と「野を行く」を掛け、さらに「踏みもみず」と「文も見ず」を掛けた。
華麗な歌になった。
小式部内侍は、これまでの歌が全部自分の作品であることを証明した。
同時に、噂はデタラメであることも。
皮肉を言った藤原定頼は、その場には居られなかったそうだ。
元来た道を戻っている。

この人は、20代の後半に、3人目の子供を産んだ時、亡くなっている。
3人の子供の父親はみんな違う。 恋多き女性。
間もなく、頂上。

この峠は、一度整備されている。 今は、いい状態ではない。
石垣など、ずっと昔のものを探し続けたが、発見できなかった。
この道が、昔の街道であることは、間違いないが。 ※ 後で、地図を見せてもらう。

小式部内侍が亡くなった時、母親の和泉式部は、下の歌を詠んだ。
「とどめおきて 誰をあはれと思ふらむ 子はまさるらむ 子はまさりけり」
このような解釈があった。 (筑波大 石塚修)
娘である小式部内侍は、亡くなってあの世に行った。
その彼女は今、この世に残していった母親である私と、子どもである孫たちとどちらを、
深く愛惜の思いを持って、あの世から見つめていることであろうか。
それは、きっと孫たちであるに違いない。
なぜならば、私も親を失ったときの悲しみより、今こうしてわが子を失った悲しみに出会って、
はじめて親が子を思う思いの深さに、気がついたからである。
山の頂上まで、2㌔程だったかな。

峠から下りてきた。
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町の方の、昔の街道を歩いた。 こんな茅葺の家。

感じのいい道だ。
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両橋。 1938年に出来ている。 土木遺産だそう。
少しデザインがいいかな、って言う感じですね。 そろそろ、コンクリートはダメになる。

龍源寺に、ちょっと行ってみた。 宝篋印塔(ほうきょういんとう)があるというので。
峠に昔あった、円通庵の観音像は、この寺にあるそう。

手前が、宝篋印塔。
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こんなのが。 小さな世界だ。

この辺り全体は、福知山市の三和。 写真の右の方に行くと、生野地区がある。
それで、この辺の道全体が、生野の道と呼ばれる。

こんな感じ。

最初に、道を案内していただいた方に、呼ばれていた。 帰りに寄った。
細野峠の資料をたくさん頂いた。 飲み物も御馳走になって。
この地域には、細野峠物語と言うのがある。
その作者が、この方だった。
このお話は、地元の劇団によって演じられている。
向こうに行ったら、福知山。 左に行ったら、細野峠。

庭には、たくさんのツツジがあった。 白が終わったら、赤が咲くと言う。

今日は、一つの歌に関わって、動いてみた。
歌を、さらっと読んでも、何も感じないが、裏に隠れている事を調べたら、面白い。
今日は、いい歌に出会った。 母親の歌も良かった。
出会った人が、この峠に、惚れ込んでいる人だった。
この町に来て、道を間違って、その方の家に真っ直ぐ向かっていた。
偶然とはいえ、不思議だ。
少し時間がかかったが、道の駅、ガレリアかめおか、まで走った。
すぐに、バラを見に行った。 咲き始めていた。

ここの道の駅に、何日いることになるだろう。 ここを拠点に京都を見る。 車では行かない。
【道の駅】 ガレリアかめおか
【明日の予定】 どこかを、少し。
【今日の歌】 昨日の歌ですが、関口泰子のは、ピアノが少し歌の邪魔をしているように感じるんだが、どうでしょう。
綺麗な声なんだから、歌ってない時にさらっと聞こえる程度でいいんでは。
テネシーワルツ(YouTube) パティ・ペイジは今83歳。 歌っていますよ。
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応仁の乱は、1467年に始まった。(人の世空し)
京都が主な戦場だったが、地方でもあった。
ここ、夜久野高原でも、1468年に激しい戦いが起きた。 夜久野合戦と呼ばれる。
夜久野高原全体を見るため、山に登った。 田倉山。 495㍍。
この山は、京都府唯一の火山。 今は噴火していないが。
暑い一日だった。
ここは、福知山市夜久野。
この雰囲気を知っていたので、この町を歩くことに。 ずっと行って、左に行ったら、駅がある。
上夜久野駅。 下夜久野駅はあるが、夜久野駅はない。 これでいいのか。
駅の向こうは、すぐトンネル。 向こうから来たら、
「トンネルを越えたら、駅だった」になる。
もし、列車が長かったら、停車した時、後ろの方はトンネルの中だ。
駅前のお店。 この店には、きっと何でも売っている。
確認してないが、この道が、昔の街道と思う。
この道を歩く時、私は困った。 道が半分に分かれている。 どっちが歩道か分からない。
問題です。 どっちでしょう。
答えは、舗装の方です。 タイルっぽい方が、車道です。 この先、舗装は狭くなる。
持ってる地図は、マンガっぽい。 おじいさんがいたので、山への道を聞いた。
おじいさんは、自分の家で食べる野菜を作っていた。
「家族みんな、喜んでくれるね」と私は言った。 おじいさん、にこっとした。
私の口は、心で考える前に、勝手に動くことが多い。 人をほめる時は、なおさら。
「車、運転するんだ。 大したもんだ」とも言った。 そうしたら、
「ぼちぼちだね」と言った。 面白いニュアンスの言葉だ。
途中、トンボを撮ったり、ため池のサンショウウオを見たりした。
カモが、突然飛んで行った。 何であんなに、せわしなく羽ばたきするんだろうと、思った。
また道に迷い始めていたので、運転手さんに聞いた。
初めて視界が開けた。 まん中辺りに、道の駅。 ここが、夜久野高原。 左右に、もっと広がるが。
中央に見える建物の、少し向こうが、激戦の舞台。 戦いは、右の方でもあったようだ。
応仁の乱は、山名宗全と細川勝元の権力争い。
※ 山名宗全は、竹田城を最初に作った人。
この夜久野高原辺りは、山名宗全の守備範囲。
応仁の乱が始まった次の年、細川勝元の家臣の内藤孫四郎が、軍を引き連れて、こっちに攻めてきた。
しかし、内藤孫四郎が打ち取られたため、山名軍の大勝に終わった。
※ 軍の人数とかは、分からない。
内藤孫四郎の首塚が、上の写真の奥の方にある。
山の上への道は、なかなかない。
諦めかけた、その時にあった。 いつものパターンだ。
ここに着いた。 頂上ではない。
上にあった写真の、右。
夜久野合戦は、この辺りでもあった。
応仁の乱は、1467年から1477年まで、11年間続く。
主に京都が舞台。
今の銀閣寺を作った、足利義政の時代。
この人は政治には、熱心でなかった。 そこに、応仁の乱の原因があった。
茶などに熱心で、東山文化を作っている。
こんな道をさらに。
京都で戦う時、山名宗全は、西から来たから、西軍。
陣地は、今の西陣の辺りにあった。
西陣の地名は、このことに由来していた。(今回調べて分かった)
地蔵さんが、時々あった。
頂上に着いたが、ただ道があっただけ。 周りは見えない。
こんな顔の地蔵さんがあった。 何を守ろうとしているのだろう。
こんな道を下った。 杉林の中には、草は生えない。 動物もいない。
応仁の乱の後、強い者が上に行く下剋上が強まり、世の中は戦国時代に入った。
江戸時代まで、あと130年余り。
ここに下りてきた。 この辺りでも、戦はあった。 この場所は、兵庫県。
黒い屋根の建物は、今は寺だけど、昔は茶屋。 京都と兵庫(但馬)の境界線にある。
近くに藤公園があるので、見に行った。 ここは、兵庫県。 入場料300円。
会場全体は、こんな感じ。 場所はここ。
花の匂いがした。 どんな匂いかって、表現がむずかしい。 いい匂い、くらいなら言えるが。
藤の花の色は、淡い紫。 写真がうまくいかない。 いい色にならない。
最初の20分ほど、失敗が続いた。
上の写真から、やっと何とななり始めた。
噴水に虹。 虹は虹色。 この場所からしか見えない。
下を通って、眺める。
藤はマメ科なんですね。 豆の花に似ている。
今が、ちょうど時期のよう。
1本の木に咲く花の数は、桜より多いですね。
藤の花もいい。
月の黒い所が見える。
地球に当たった光が、月に行ったんだろうか。
もしそうなら、今晩の月は、地球夜だ。
※ 月夜に似てるので。 何言ってるか分かってもらえるでしょうか。 分かりやすく表現すれってね。
応仁の乱も、藤の花も、歩くと決めてから知ったことだった。
応仁の乱に、竹田城の山名宗全が出てきたり、西陣が陣地だったり、つながる所が面白いでしょうか。
もし今日、応仁の乱にも藤にも出会わなかったら、
花の写真や、虫の写真や、お爺ちゃんと話したことを、詳しく載せたのかな。
それは、それで、別のブログになったのかなと思う。
※ ここの道の駅は、昨年も来ている。 そのブログ。 温泉600円だったが、今年は500円。
【道の駅】 農匠の郷やくの 昨日に同じ。
【明日の予定】 亀岡に近づきます。 福知山辺りでしょうか。
【今日の歌】 アメイジング・グレイスを3曲。 どれが、好みですか。
関口泰子(エムズの片割れ) ヘイリー(YouTube) エルビス・プレスリー(YouTube)
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京都が主な戦場だったが、地方でもあった。
ここ、夜久野高原でも、1468年に激しい戦いが起きた。 夜久野合戦と呼ばれる。
夜久野高原全体を見るため、山に登った。 田倉山。 495㍍。
この山は、京都府唯一の火山。 今は噴火していないが。
暑い一日だった。
ここは、福知山市夜久野。
この雰囲気を知っていたので、この町を歩くことに。 ずっと行って、左に行ったら、駅がある。

上夜久野駅。 下夜久野駅はあるが、夜久野駅はない。 これでいいのか。
駅の向こうは、すぐトンネル。 向こうから来たら、
「トンネルを越えたら、駅だった」になる。
もし、列車が長かったら、停車した時、後ろの方はトンネルの中だ。

駅前のお店。 この店には、きっと何でも売っている。
確認してないが、この道が、昔の街道と思う。
この道を歩く時、私は困った。 道が半分に分かれている。 どっちが歩道か分からない。
問題です。 どっちでしょう。

答えは、舗装の方です。 タイルっぽい方が、車道です。 この先、舗装は狭くなる。
持ってる地図は、マンガっぽい。 おじいさんがいたので、山への道を聞いた。
おじいさんは、自分の家で食べる野菜を作っていた。
「家族みんな、喜んでくれるね」と私は言った。 おじいさん、にこっとした。
私の口は、心で考える前に、勝手に動くことが多い。 人をほめる時は、なおさら。
「車、運転するんだ。 大したもんだ」とも言った。 そうしたら、
「ぼちぼちだね」と言った。 面白いニュアンスの言葉だ。

途中、トンボを撮ったり、ため池のサンショウウオを見たりした。
カモが、突然飛んで行った。 何であんなに、せわしなく羽ばたきするんだろうと、思った。
また道に迷い始めていたので、運転手さんに聞いた。

初めて視界が開けた。 まん中辺りに、道の駅。 ここが、夜久野高原。 左右に、もっと広がるが。

中央に見える建物の、少し向こうが、激戦の舞台。 戦いは、右の方でもあったようだ。
応仁の乱は、山名宗全と細川勝元の権力争い。
※ 山名宗全は、竹田城を最初に作った人。
この夜久野高原辺りは、山名宗全の守備範囲。
応仁の乱が始まった次の年、細川勝元の家臣の内藤孫四郎が、軍を引き連れて、こっちに攻めてきた。
しかし、内藤孫四郎が打ち取られたため、山名軍の大勝に終わった。
※ 軍の人数とかは、分からない。
内藤孫四郎の首塚が、上の写真の奥の方にある。
山の上への道は、なかなかない。
諦めかけた、その時にあった。 いつものパターンだ。

ここに着いた。 頂上ではない。

上にあった写真の、右。

夜久野合戦は、この辺りでもあった。
応仁の乱は、1467年から1477年まで、11年間続く。
主に京都が舞台。
今の銀閣寺を作った、足利義政の時代。
この人は政治には、熱心でなかった。 そこに、応仁の乱の原因があった。
茶などに熱心で、東山文化を作っている。
こんな道をさらに。

京都で戦う時、山名宗全は、西から来たから、西軍。
陣地は、今の西陣の辺りにあった。
西陣の地名は、このことに由来していた。(今回調べて分かった)
地蔵さんが、時々あった。

頂上に着いたが、ただ道があっただけ。 周りは見えない。
こんな顔の地蔵さんがあった。 何を守ろうとしているのだろう。

こんな道を下った。 杉林の中には、草は生えない。 動物もいない。

応仁の乱の後、強い者が上に行く下剋上が強まり、世の中は戦国時代に入った。
江戸時代まで、あと130年余り。
ここに下りてきた。 この辺りでも、戦はあった。 この場所は、兵庫県。

黒い屋根の建物は、今は寺だけど、昔は茶屋。 京都と兵庫(但馬)の境界線にある。

近くに藤公園があるので、見に行った。 ここは、兵庫県。 入場料300円。
会場全体は、こんな感じ。 場所はここ。

花の匂いがした。 どんな匂いかって、表現がむずかしい。 いい匂い、くらいなら言えるが。

藤の花の色は、淡い紫。 写真がうまくいかない。 いい色にならない。
最初の20分ほど、失敗が続いた。
上の写真から、やっと何とななり始めた。

噴水に虹。 虹は虹色。 この場所からしか見えない。

下を通って、眺める。

藤はマメ科なんですね。 豆の花に似ている。

今が、ちょうど時期のよう。

1本の木に咲く花の数は、桜より多いですね。

藤の花もいい。

月の黒い所が見える。
地球に当たった光が、月に行ったんだろうか。
もしそうなら、今晩の月は、地球夜だ。
※ 月夜に似てるので。 何言ってるか分かってもらえるでしょうか。 分かりやすく表現すれってね。

応仁の乱も、藤の花も、歩くと決めてから知ったことだった。
応仁の乱に、竹田城の山名宗全が出てきたり、西陣が陣地だったり、つながる所が面白いでしょうか。
もし今日、応仁の乱にも藤にも出会わなかったら、
花の写真や、虫の写真や、お爺ちゃんと話したことを、詳しく載せたのかな。
それは、それで、別のブログになったのかなと思う。
※ ここの道の駅は、昨年も来ている。 そのブログ。 温泉600円だったが、今年は500円。
【道の駅】 農匠の郷やくの 昨日に同じ。
【明日の予定】 亀岡に近づきます。 福知山辺りでしょうか。
【今日の歌】 アメイジング・グレイスを3曲。 どれが、好みですか。
関口泰子(エムズの片割れ) ヘイリー(YouTube) エルビス・プレスリー(YouTube)
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城跡も、ここまで大きく、また整備されていると、十分な魅力がある。
今までの中では、岡城がよかったけれど、それでも石垣は荒れていた。
城跡に登っても、周りが何も見えないこともある。
石垣だけの魅力は、それほどでもない、と感じていた。
島原の原城のように、大きな歴史を抱えていたら、別だが。
竹田城の魅力については、後ほど。
道の駅「宿場町ひらふく」を出たら、5分ほどで、正蓮庵についた。
武蔵は、9歳の頃から決闘する13歳まで、ここで修行したという。
初決闘のことは五輪書にあるため、Wikipediaにも、載っている。
ところが、この正蓮庵については、載っていない。
武蔵の子どもの頃については、詳しく分かっていないようだ。
そういう中で、ここ寺が、自分の所で修行したと、言っているということかな。
※ 寺には、そのように伝わっている、ということでしょうね。
定説にはなっていない。 ※ ネットで正蓮庵を検索しても、たくさん出てこない。
走っていたら、神社に何かの説明があった。
神社の名前は、八幡神社。 佐用町。
コヤスノキという、珍しい木があるという。
この、小さな木が、コヤスノキ。 ※ レッドデータブックで、準絶滅危惧種。
岡山県の東部から兵庫県の西部にかけての、限定された地域に生育するそう。
ところが、日本にはここにしかないのに、中国大陸や台湾には、あるという。
だから、日本と大陸が繋がっていた、ずっと昔からある木と考えられている。
※ 私は意地悪だから、こうも思う。
誰かが昔、中国から持ってきて植えた。 それが、広まった。
神社や寺に多いというのが、あやしい。
竹田城跡は、朝来市にある。
遠いので、途中、何かあったら、今日はそこと決めていたが、結局行ってしまう。
これが地図。 黄色が駐車場。 場所は、ここ。
ぐるっと下を通って、赤○に行く。 ゆるい坂。 帰りは、青の○から、急な坂。
天守は、紫の○の所。
ここは、朝来市。 あさごし、と読む。 私は、読めなかった。
生野銀山のある町だった。
ここから、スタート。
暖かいから、トカゲもチョロチョロ。 何度も見た。 花も、いっぱい。
ホオノキ(朴の木)の花。 私の手に余る大きさ。 初めてみる。 葉っぱで、朴葉味噌とか作る。
15分ほどで、着いた。 地図の右の方の、大手門。
見晴らしの良さに、驚いた。 北千畳という場所。
右の方の高い所に、本丸が。
山名持豊(宗全)によって、まず作られた。 この人は、但馬国の守護大名。
1441年から3年かけて。
羽柴秀長から赤松広秀の城主時代に、改修工事が行われた。 13年間。
それにより、全体が石垣づくりになり、今の姿になった。 建物も完成。
本丸方面から、北千畳を。 たくさんの人がいる。 ここは観光地だった。
最後の城主は、赤松広秀(ひろひで)。
この人は、関ヶ原の戦いでは西軍に属した。
しかし、徳川方の誘いで、鳥取城攻めに加わった。
赤松広秀は、鳥取城を攻め落とす戦果を上げたが、城を燃やしてしまった。
家康がそれを怒り、切腹させられた。
1600年のことで、城も廃城になった。
右の北千畳と本丸の、中間辺り。 武の門。
赤松広秀は、山城は終わる時代に、夢中になって造った。 13年間も。
朝来市の南部。 国道312が通っている。 向こうから、私は来た。
城を造ると言っても、働くのは、ここの土地の農民。
竹田城が大きいということは、農民の負担が、それだけ大きかったことになる。
実際に農民の不満は大きく、逃げ出す者もいたという。
田の世話が出来ないので、「田んぼに松が生えた」とまで言われている。
このことがあるからか、赤松広秀は、土地の人に、好かれてる感じがしない。
この辺りは、武田信玄とは、全く違う。
昔の殿様は、今の時代になっても、地元では好かれていることが多いのだが。
本丸国道側(東側)の石垣。
石垣は美しいが、当時の農民のことを考えたら、複雑な気持ちになる。
向こうは南。 左下を、高速が通っている。
ここは、地図では上の方の、花屋敷と呼ばれるところ。 崖にどこまで近づくかは、人によって違う。
こんな感じだから、「天空の城」とも呼ばれるのか。 南方面の、南千畳。 地図の左の方。
一番高い所。 天守閣があった。
南方面でいいかな。 広いので、分からなくなる。
この人達は、南千畳に。
こんな感じ。
南千畳。 どんな建物があったのでしょう。 想像図でいいから、見てみたい。
天守。
石は、でたらめに積んでいるように見えるが、そうでない。
穴太積み(あのうづみ)と、言うそう。 安土城・姫路城が、この積み方。
南千畳の南の端。 城全体の南端でもある。 人がいた方がいいので、勝手に撮影。
※ 別の場所で、この人達に、写真の撮影を頼まれる。 その時に、撮ったことを話す。
駐車場に戻って、再び会う。 少し話した。
このブログの最初の方に、2回出てくる。
田んぼの風景は、いい。
西側(地図の上)の高速の橋。
帰りは、花屋敷から、急な坂を通って戻った。 (ekさんのアドバイスの道)
ここが、駐車場。
この城は、壮大な規模だ。 また、美しい。
でも、その裏に、生半可でない農民の苦労が見えるので、美しさとは別の物も感じる。
それを忘れないためにも、この石垣は、今のまま残すのがいいと思う。
城跡に、かつての領主を称える石碑や銅像は全くなかった。
今後、城跡に、天守閣などが復元されることは、きっとない。
最後に、竹田城跡の魅力をまとめると、
① 石垣を含めた、城跡の美しさ。
② 頂上から四方を見渡せる、風景の良さ。
③ 山の下から登ることもできる。 ここの城は、駐車場から登っても登山の感じがする。
④ 歴史を感じることができる。
竹田城跡は、「天空の城」を感じる、一番の場所かもしれない。
【道の駅】 農匠の郷やくの ここです。 京都に入っている。
【明日の予定】 この近くを歩きます。 何か小さな物の発見かな。
【今日の歌】 天空の城ラピュタの主題歌「君をのせて」(YouTube)
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今までの中では、岡城がよかったけれど、それでも石垣は荒れていた。
城跡に登っても、周りが何も見えないこともある。
石垣だけの魅力は、それほどでもない、と感じていた。
島原の原城のように、大きな歴史を抱えていたら、別だが。
竹田城の魅力については、後ほど。
道の駅「宿場町ひらふく」を出たら、5分ほどで、正蓮庵についた。
武蔵は、9歳の頃から決闘する13歳まで、ここで修行したという。
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初決闘のことは五輪書にあるため、Wikipediaにも、載っている。
ところが、この正蓮庵については、載っていない。
武蔵の子どもの頃については、詳しく分かっていないようだ。
そういう中で、ここ寺が、自分の所で修行したと、言っているということかな。
※ 寺には、そのように伝わっている、ということでしょうね。
定説にはなっていない。 ※ ネットで正蓮庵を検索しても、たくさん出てこない。
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走っていたら、神社に何かの説明があった。
神社の名前は、八幡神社。 佐用町。
コヤスノキという、珍しい木があるという。
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この、小さな木が、コヤスノキ。 ※ レッドデータブックで、準絶滅危惧種。
岡山県の東部から兵庫県の西部にかけての、限定された地域に生育するそう。
ところが、日本にはここにしかないのに、中国大陸や台湾には、あるという。
だから、日本と大陸が繋がっていた、ずっと昔からある木と考えられている。
※ 私は意地悪だから、こうも思う。
誰かが昔、中国から持ってきて植えた。 それが、広まった。
神社や寺に多いというのが、あやしい。
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竹田城跡は、朝来市にある。
遠いので、途中、何かあったら、今日はそこと決めていたが、結局行ってしまう。
これが地図。 黄色が駐車場。 場所は、ここ。
ぐるっと下を通って、赤○に行く。 ゆるい坂。 帰りは、青の○から、急な坂。
天守は、紫の○の所。
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ここは、朝来市。 あさごし、と読む。 私は、読めなかった。
生野銀山のある町だった。
ここから、スタート。
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暖かいから、トカゲもチョロチョロ。 何度も見た。 花も、いっぱい。
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ホオノキ(朴の木)の花。 私の手に余る大きさ。 初めてみる。 葉っぱで、朴葉味噌とか作る。
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15分ほどで、着いた。 地図の右の方の、大手門。
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見晴らしの良さに、驚いた。 北千畳という場所。
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右の方の高い所に、本丸が。
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山名持豊(宗全)によって、まず作られた。 この人は、但馬国の守護大名。
1441年から3年かけて。

羽柴秀長から赤松広秀の城主時代に、改修工事が行われた。 13年間。
それにより、全体が石垣づくりになり、今の姿になった。 建物も完成。
本丸方面から、北千畳を。 たくさんの人がいる。 ここは観光地だった。
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最後の城主は、赤松広秀(ひろひで)。
この人は、関ヶ原の戦いでは西軍に属した。
しかし、徳川方の誘いで、鳥取城攻めに加わった。
赤松広秀は、鳥取城を攻め落とす戦果を上げたが、城を燃やしてしまった。
家康がそれを怒り、切腹させられた。
1600年のことで、城も廃城になった。
右の北千畳と本丸の、中間辺り。 武の門。
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赤松広秀は、山城は終わる時代に、夢中になって造った。 13年間も。
朝来市の南部。 国道312が通っている。 向こうから、私は来た。

城を造ると言っても、働くのは、ここの土地の農民。
竹田城が大きいということは、農民の負担が、それだけ大きかったことになる。
実際に農民の不満は大きく、逃げ出す者もいたという。
田の世話が出来ないので、「田んぼに松が生えた」とまで言われている。
このことがあるからか、赤松広秀は、土地の人に、好かれてる感じがしない。
この辺りは、武田信玄とは、全く違う。
昔の殿様は、今の時代になっても、地元では好かれていることが多いのだが。
本丸国道側(東側)の石垣。
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石垣は美しいが、当時の農民のことを考えたら、複雑な気持ちになる。
向こうは南。 左下を、高速が通っている。
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ここは、地図では上の方の、花屋敷と呼ばれるところ。 崖にどこまで近づくかは、人によって違う。
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こんな感じだから、「天空の城」とも呼ばれるのか。 南方面の、南千畳。 地図の左の方。
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一番高い所。 天守閣があった。
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南方面でいいかな。 広いので、分からなくなる。
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この人達は、南千畳に。
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こんな感じ。
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南千畳。 どんな建物があったのでしょう。 想像図でいいから、見てみたい。
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天守。
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石は、でたらめに積んでいるように見えるが、そうでない。
穴太積み(あのうづみ)と、言うそう。 安土城・姫路城が、この積み方。
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南千畳の南の端。 城全体の南端でもある。 人がいた方がいいので、勝手に撮影。
※ 別の場所で、この人達に、写真の撮影を頼まれる。 その時に、撮ったことを話す。
駐車場に戻って、再び会う。 少し話した。
このブログの最初の方に、2回出てくる。
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田んぼの風景は、いい。
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西側(地図の上)の高速の橋。
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帰りは、花屋敷から、急な坂を通って戻った。 (ekさんのアドバイスの道)
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ここが、駐車場。
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この城は、壮大な規模だ。 また、美しい。
でも、その裏に、生半可でない農民の苦労が見えるので、美しさとは別の物も感じる。
それを忘れないためにも、この石垣は、今のまま残すのがいいと思う。
城跡に、かつての領主を称える石碑や銅像は全くなかった。
今後、城跡に、天守閣などが復元されることは、きっとない。
最後に、竹田城跡の魅力をまとめると、
① 石垣を含めた、城跡の美しさ。
② 頂上から四方を見渡せる、風景の良さ。
③ 山の下から登ることもできる。 ここの城は、駐車場から登っても登山の感じがする。
④ 歴史を感じることができる。
竹田城跡は、「天空の城」を感じる、一番の場所かもしれない。
【道の駅】 農匠の郷やくの ここです。 京都に入っている。
【明日の予定】 この近くを歩きます。 何か小さな物の発見かな。
【今日の歌】 天空の城ラピュタの主題歌「君をのせて」(YouTube)
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兵庫県に入った。 兵庫県は、近畿だ。
津山市の駐車場など、調べる時間がなく、東に動いた。
規模の大きな棚田と、武蔵初決闘の場があった。
東の方の道の駅を見たら、「宿場町ひらふく」があった。
そこは、宿場町だったので、今日はここにした。
乙大木谷の棚田。 ※ おつ おおきだに と読む。 場所はここ。
棚田百選に選ばれていた。
広い。 田の枚数は、988枚。 まさに、千枚田。
甲大木谷にも棚田はあった。 規模は小さかったが。
同じ名前で、甲と乙。
今日は、棚田を下から見たが、上から見た方がいいのかな。 そうしたら、水面が全部見える。
道の駅「宿場町ひらふく」に、車を置いた。
宿場町の中に、道の駅はあった。 便利だ。 場所はここ。
赤い○が道の駅。
上の地図の、左の方に、下のがあった。
この辺りで、武蔵が、初めて決闘したという。
13歳。 1597年。 (生まれた年を、1584年にすれば。 1582年説もある)
橋は、金倉橋。 ここの道は、因幡街道。 橋の手前を左に行ったら、平福の宿場。
橋を渡って行ったら、姫路方面。 ※ 因幡街道は、姫路から鳥取への街道。
何でここなんだ、と言うことだが。
武蔵は、ここより北で生まれたという説がある。 それによると、
武蔵は、父の後妻に育てられている。
父が死んだだめ、後妻だった人(義母)は、平福に帰った。
武蔵は義母を追って、この町に来た。 正蓮庵という寺に預けられた。 この寺は、義母の叔父の寺。
武蔵は、叔父の弟、長九郎に武芸を習った。
そんなことで、武蔵は、この平福にいた。
その根拠が書いてあった。 五輪書の文。
NHKが扱うことも、信頼性を高めている。
NHKは、反論された時のために、それなりの根拠を持っている。
例えば、NHKは、山本勘介を大河ドラマで扱いたかったが、実在がはっきりしないため、できない。
そういう中で、釧路で新しい資料が発見された。
この資料で、NHKは勘介の実在を確信した。
そして、大河ドラマ「風林火山」は生まれた。
普通の伝説とは違って、本当である可能性は、高いでしょうね。 半分以上とか。
13歳で決闘とあるが、負けたら死ぬ。
武蔵は二刀流だったが、片手で刀を扱えるだけの体力があったから出来たそうだ。
ということは、13歳のときには、大人の体力がきっとあった。
こんなの、楽しい。
金倉の六地蔵。 昔ここに平福藩刑場があったそう。 供養のために作ったんでないかと。
※ 刑場の露に消えた、という表現があるが、どうして露なんだろう。
久しぶりに、いい表情の地蔵に会った。 優しい感じ。 両方、きっと同じ人が作った。
仏像の顔でなく、人間の顔。
面白い。
決闘の場所から歩いて、こっちに来た。
こういう町並み。 江戸時代の前までは、城下町。 その後は、宿場町。
昔の町並みは残っているが、伝建地区ではない。 ※ 重要伝統的建造物群保存地区。
作用川。 去年この川が氾濫して、道路の車が流されたという。 道で会った人が教えてくれた。
私はちゃんと信用しなかった。 ekさんのコメントを読んで、本当だと知った。
※ 佐用町の昨年の水害の様子(YouTube) 佐用町の中心街は、ここより少し南。
歩いていたら、こんな花が。 お爺ちゃんがいて、花に水をやってた。
花の名前を聞いたら、サツキと言った。 ツツジかと思った。
※ サツキはツツジの一種。 普通のツツジより、花の咲く時期が遅いそう。
その時期は、五月(さつき)。 だから、サツキ。
五月(さつき)と言えば、五月みどり。 (少し古いけど)
コメントを頂いた、「丑三つの村」(うしみつのむら)に出ていた。 丑三つの村(YouTube)
このツツジは、昭和の初めに、母親が植えたと言った。 ※ 本人は、大正生まれ。
いい色。 名前を聞いたが、メモしなかった。
黄色はシャクヤク。 オレンジは、ボタン。 緑は、コゴメ花。 教えてくれた。
お爺ちゃんの話は、全部終わると、最初に戻った。
最初の、お母さんがサツキを植えた所から、繰り返した。 これが、楽しい。
初めて聞いたように、私は、1回目とは別の相槌を打った。
シャクヤクが1輪咲いていた。
山の方に行ったら、国道があって、道の駅。 反対側は、駅に行く。
角の建物は、昔の本陣。 鳥取の殿様は、ここに泊まって、姫路に向かった。 そして、江戸へ。
本陣跡とある。
さらに、こんな道が。
新しい家の前の、コンクリート。 滑らないように、ほうきでギザギザを。
薄暗くなってから、少し散歩。
平福駅。 智頭線(ちずせん)が通っている。
ネットのニュース。
中国のハルビン市に、旧日本軍731部隊細菌戦の遺跡がある。
それが、世界遺産に申請するそうだ。
もし登録されたら、負の世界遺産は、3つ目。 アウシュビッツと、原爆ドームと、これ。
30年ほど前、731部隊について、本を読んだ。
下の本もそう。 日本もひどいことをした。 731部隊(Wikipedia)
岡山県をあっという間に通りぬけて、兵庫県に入った。
また、京都が近付いてきた。 1週間くらいは、いるかな。
私は、29日までに、車の車検を取らなければならない。
亀岡の町がいいか。 そろそろ、調べなければ。
※ 関連ブログ 剣聖丸目蔵人佐 ~宮本武蔵も一目置いていた?。
【道の駅】 宿場町ひらふく
【明日の予定】 ekさんが、竹田城跡を紹介してくれている。 そっちに向かうか。
兵庫県の詳しい本がない。
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津山市の駐車場など、調べる時間がなく、東に動いた。
規模の大きな棚田と、武蔵初決闘の場があった。
東の方の道の駅を見たら、「宿場町ひらふく」があった。
そこは、宿場町だったので、今日はここにした。
乙大木谷の棚田。 ※ おつ おおきだに と読む。 場所はここ。
棚田百選に選ばれていた。
広い。 田の枚数は、988枚。 まさに、千枚田。

甲大木谷にも棚田はあった。 規模は小さかったが。
同じ名前で、甲と乙。
今日は、棚田を下から見たが、上から見た方がいいのかな。 そうしたら、水面が全部見える。
道の駅「宿場町ひらふく」に、車を置いた。
宿場町の中に、道の駅はあった。 便利だ。 場所はここ。
赤い○が道の駅。

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上の地図の、左の方に、下のがあった。
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この辺りで、武蔵が、初めて決闘したという。
13歳。 1597年。 (生まれた年を、1584年にすれば。 1582年説もある)
橋は、金倉橋。 ここの道は、因幡街道。 橋の手前を左に行ったら、平福の宿場。
橋を渡って行ったら、姫路方面。 ※ 因幡街道は、姫路から鳥取への街道。

何でここなんだ、と言うことだが。
武蔵は、ここより北で生まれたという説がある。 それによると、
武蔵は、父の後妻に育てられている。
父が死んだだめ、後妻だった人(義母)は、平福に帰った。
武蔵は義母を追って、この町に来た。 正蓮庵という寺に預けられた。 この寺は、義母の叔父の寺。
武蔵は、叔父の弟、長九郎に武芸を習った。
そんなことで、武蔵は、この平福にいた。
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その根拠が書いてあった。 五輪書の文。
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NHKが扱うことも、信頼性を高めている。
NHKは、反論された時のために、それなりの根拠を持っている。
例えば、NHKは、山本勘介を大河ドラマで扱いたかったが、実在がはっきりしないため、できない。
そういう中で、釧路で新しい資料が発見された。
この資料で、NHKは勘介の実在を確信した。
そして、大河ドラマ「風林火山」は生まれた。
普通の伝説とは違って、本当である可能性は、高いでしょうね。 半分以上とか。
13歳で決闘とあるが、負けたら死ぬ。
武蔵は二刀流だったが、片手で刀を扱えるだけの体力があったから出来たそうだ。
ということは、13歳のときには、大人の体力がきっとあった。
こんなの、楽しい。

金倉の六地蔵。 昔ここに平福藩刑場があったそう。 供養のために作ったんでないかと。
※ 刑場の露に消えた、という表現があるが、どうして露なんだろう。
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久しぶりに、いい表情の地蔵に会った。 優しい感じ。 両方、きっと同じ人が作った。
仏像の顔でなく、人間の顔。

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面白い。
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決闘の場所から歩いて、こっちに来た。
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こういう町並み。 江戸時代の前までは、城下町。 その後は、宿場町。
昔の町並みは残っているが、伝建地区ではない。 ※ 重要伝統的建造物群保存地区。
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作用川。 去年この川が氾濫して、道路の車が流されたという。 道で会った人が教えてくれた。
私はちゃんと信用しなかった。 ekさんのコメントを読んで、本当だと知った。
※ 佐用町の昨年の水害の様子(YouTube) 佐用町の中心街は、ここより少し南。

歩いていたら、こんな花が。 お爺ちゃんがいて、花に水をやってた。
花の名前を聞いたら、サツキと言った。 ツツジかと思った。
※ サツキはツツジの一種。 普通のツツジより、花の咲く時期が遅いそう。
その時期は、五月(さつき)。 だから、サツキ。
五月(さつき)と言えば、五月みどり。 (少し古いけど)
コメントを頂いた、「丑三つの村」(うしみつのむら)に出ていた。 丑三つの村(YouTube)

このツツジは、昭和の初めに、母親が植えたと言った。 ※ 本人は、大正生まれ。
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いい色。 名前を聞いたが、メモしなかった。

黄色はシャクヤク。 オレンジは、ボタン。 緑は、コゴメ花。 教えてくれた。

お爺ちゃんの話は、全部終わると、最初に戻った。
最初の、お母さんがサツキを植えた所から、繰り返した。 これが、楽しい。
初めて聞いたように、私は、1回目とは別の相槌を打った。
シャクヤクが1輪咲いていた。

山の方に行ったら、国道があって、道の駅。 反対側は、駅に行く。
角の建物は、昔の本陣。 鳥取の殿様は、ここに泊まって、姫路に向かった。 そして、江戸へ。

本陣跡とある。
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さらに、こんな道が。
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新しい家の前の、コンクリート。 滑らないように、ほうきでギザギザを。

薄暗くなってから、少し散歩。
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平福駅。 智頭線(ちずせん)が通っている。

ネットのニュース。
中国のハルビン市に、旧日本軍731部隊細菌戦の遺跡がある。
それが、世界遺産に申請するそうだ。
もし登録されたら、負の世界遺産は、3つ目。 アウシュビッツと、原爆ドームと、これ。
30年ほど前、731部隊について、本を読んだ。
下の本もそう。 日本もひどいことをした。 731部隊(Wikipedia)

岡山県をあっという間に通りぬけて、兵庫県に入った。
また、京都が近付いてきた。 1週間くらいは、いるかな。
私は、29日までに、車の車検を取らなければならない。
亀岡の町がいいか。 そろそろ、調べなければ。
※ 関連ブログ 剣聖丸目蔵人佐 ~宮本武蔵も一目置いていた?。
【道の駅】 宿場町ひらふく
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兵庫県の詳しい本がない。
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今から72年前の、昭和13年5月21日。
一人の若い男が、地域に住む人たち30名を、猟銃や日本刀で殺した。
自分も、自殺した。
津山事件と呼ばれ、津山市の貝尾と言う所で起きた。
その地域を、歩いてみた。
話を聞くことが出来た。
※ 現地では事件について話すことはタブー、と聞いていたが。
貝尾は、津山市北部の山の中。 それも、一番奥だった。
話してくれたのは、80才をとうに過ぎた、おばあちゃんだった。
※ おばあちゃんの旦那さんの、母親と兄弟3人が殺されている。
享年日が、昭和13年5月21日の墓が、たくさんあった。
津山市を調べていたら、津山事件が小さくあった。
何だろうと調べてみたら、大変な事件だった。
露天風呂の湯原温泉か、津山城を考えていたが、変更した。
基本の情報は、Wikipediaで。
事件の概要は、こう。
津山事件、または津山三十人殺と言われる。 大量殺人事件。
1938年(昭和13年)5月21日未明に起きた。
場所は、岡山県苫田郡西加茂村大字行重(現・津山市加茂町行重)の貝尾・坂元両部落。
※ 犯人が、自殺する前、別の場所でも殺したので、坂元も入っている。
基本は、貝尾。
2時間足らずで30名(自殺した犯人を含めると31名)が死亡し、3名が重軽傷を負う。
日本の犯罪史上前代未聞の殺戮事件。
犯人の姓名を取って、都井睦雄事件ともいう。都井は事件当時21歳だった。
貝尾まで、あと2㌔。 左の谷に入って行く。
この事件を知った時、三毛別の熊の事件に似てると思った。 ※ 関連ブログ 三毛別羆(ひぐま)事件。
人間のやることじゃない。
電柱から、右に入る道がある。 そこを行ったら、地域の中心。 後で行く。
車は真っ直ぐ。 あと200㍍。
現地の道については、Wikipediaで調べてあった。
着いた。 ここは、集会所。 住民の家は、左手の方にある。 右の道を上がってきた。 車の場所は、地図ではここ。
犯人の都井には、両親はいなく、祖母に育てられていた。 姉が一人。(嫁に行って、ここにはいない)
事件の前年に徴兵検査を受けるが、結核のため、合格できなかった。
山の下の地域が見える。
それまで、女の人との付き合いがあったが、結核のためか相手に断わられるようになる。
将来の夢はなくなる。
集会所と、車を停めた場所。 最初の分かれ道に戻っている。
都井は、親しい友人に、下記のことを口にするようになる。
「結核で死亡するくらいなら、阿部定事件以上の、どでかいことをしてやる」
上の写真の右の方は、家が集まっている。 事件の中心になる場所。
彼は、1938年に入って、5連発ブローニング猟銃を購入した。
毎日山にこもって射撃練習に励むようになった。
その猟銃を手に、毎夜、村を徘徊したため、近隣に不安を与えるようになる。
都井が使用した猟銃を調べたが、分からない。 一応、下のは、ブローニング社の猟銃。(年代は分からない)
ここまで下りてきて、右の道を上がった。 人を探しながら。
5月20日午後5時頃、都井は電柱によじ登り、送電線を切断した。
貝尾部落は停電になるが、大騒ぎにはならない。
中心部が見えてきた。
5月21日、御前1時40分頃、行動を開始。
詰襟の学生服に、軍用のゲートルと地下足袋を身に着けた。
頭には鉢巻を締め、小型懐中電灯を両側に1本ずつ結わえ付けた。(鬼の角の感じで)
首からは自転車用のランプを下げた。
腰には日本刀一振りと短刀を二振り、手には改造した9連発の猟銃を持った。
Wikipediaの説明にあった、T字路に来た。 左に100㍍ほど行くと、最初の集会所。
都井は最初に、自宅で就寝中の祖母の首を斧で刎(は)ねて即死させた。
その後、近隣の住人を約1時間半のうちに、次々と猟銃と日本刀で殺していった。
※ この事件は、「八つ墓村」で使われている。 ここに、出てくる。(YouTube)
集会所への道。
こんなことがあった。
ある家の老人は、返り血に染まった都井の姿に脅え、茫然としていたところ、
「お前はわしの悪口を言わんじゃったから、堪(こら)えてやるけんの」と言われ、見逃されたという。
真っ直ぐの道を行った。 誰にも会わない。
最終的な被害者は、死者30名(即死28名、重傷のち死亡2名)。 重軽傷者は、3名。
死者のうち5名が16歳未満。
計11軒の家が押し入られ、そのうち3軒が一家全員が殺害された。 4軒の家が生存者1名のみ。
見晴らしのいい所に、貝尾地区はある。
ここまで来て、戻った。 道はなかった。
その後、3.5㌔離れた荒坂峠の山頂で、猟銃で自殺した。 荒坂峠は、上の写真の正面の方にある。
猟銃で自らの心臓を撃ち抜いており、即死した。
突き当たりを右に行くと、集会所。
集会所への道を下りて行った。 車の後ろが見える。
上の道を下りた所で、人に会った。 畑仕事をしている、おばあちゃんがいた。 やっと、人に会えた。 うれしかった。
細心の注意を払って、話しかけた。
挨拶した後、今日の天気や、この土地の良さなどを伝えた。
そうして、切りだした。
「あばあちゃん、貝尾はとってもいいとこだけど、昔、大変なことがあったんだってね」って。
それを聞いたおばあちゃんは、話しだした。
最初に言ったのは、
おばあちゃんの旦那さんの、お母さんが殺されたこと。
旦那さんの兄弟3人が、殺されたこと。
おばあちゃんの旦那さんは、陸軍に入ってて、ここにはいなかった。 だから、助かったこと。
都井睦夫の家は、下の写真の○の所にあった。 今は、空き地。
おばあちゃんの家は、道の右だから、道路を挟んだ隣になる。
一段上の左の家は当時もあったが、屋根が見える右の家はなかった。
当時、旦那さんの家には、お母さんと子供たちがいた。 父親は、亡くなっていなかった。
おばあちゃんに、何番目に襲われたかは聞かなかったが、「八つ墓村」の話の中では、
最初に襲われた家で殺されたのは、未亡人と子供たちとある。
都井が、道に出て、すぐの家は、おばあちゃんの旦那さんの家だ。
きっと、最初に襲われている。
その場面は、ここにある。 この映像では、子供の人数がはっきりしないが、未亡人とある。 2分過ぎに出てくる。
※ 八つ墓村 異談・横溝正史と津山30人殺し 3/4 (YouTube)
Wiipediaに、最初にも書いたが、事件の現場は、貝尾・坂本とある。
犯人の都井は、最後は自殺するが、おばあちゃんは、その場所をこう説明してくれた。
青山から横野に行く途中の山の頂上。(峠の頂上)
そこに行く途中に、坂本はある。
最後に一人殺したのは、坂本と、おばあちゃんは教えてくれた。
※ 坂本、青山、横野(上横野)の位置は、この地図に。 都井が自殺した場所が、見当つく。
おばあちゃんは、お墓の場所を教えてくれた。 何カ所もあった。
他にも、お話しはたくさん聞いて、別れた。 丁寧にお礼を言って。
最初に行ったお墓。
おばあちゃんは、戦後結婚してここに住んだ。 でも、昭和30年に旦那さんは病気で亡くなる。(結核)
それから、もう55年経った。 二人の男の子を育て上げた。 今は、ひ孫もいる。
昭和13年5月21日とあるお墓が、すぐに見つかった。
昔は25戸の家があったが、今は10戸と、教えてくれた。
※ 襲われたのは、11戸。
この道を上がってきた。 下りたら、車がある。
昔は、もっと木がたくさんあったという。
事件の後、夜は不気味なので、おばあちゃんたちも地域の人もみんな、出歩かなかったそう。
事件の後、ここに住めなくて、出た人も多いと言った。 思い出すのがつらいから。
別の墓地にもあった。
アジサイでいいですね。 早い感じがする。
下の風景。
事件の時に、ここに住んでた人は、今は一人もいないという。
出てしまったり、亡くなったり。 72年経った。
私はおばあちゃんに、「ずっと墓を守れてよかったねと」言った。
おばあちゃんは、私は現場を見てないから、ここに住めたかもしれない、と言った。
ここの墓地には、2つ並んであった。
こう。
離れた所にも、あった。
昔のことが分かる物は、墓の他には無かった。
ここにも2つ。
道が左に曲がる辺りで、おばあちゃんと話した。
どうして、都井睦夫が、このような人間に育ち、大変な事件を起こしたのか。
ネットの情報や、おばあちゃんの話、私が今まで教育の世界で見てきたことから考えたら、こんな感じでしょうか。
① 最大の問題は、育てたおばあちゃんが、睦夫を大事にしすぎたこと。
外に出す不安があったため、家に閉じ込めた。 極端な過保護。
学校に入学させるのが1年遅れたのも、それが原因。
② 上のことで、睦夫に、ほとんど社会性が身に付かなかった。
引きこもりになったのは、それが原因。
③ 自分に対する、周りの人間の関わり方に、不満を持つようになる。
睦夫は頭が良かったので、繊細にそれを感じるようになった。
④ 強い人間にあこがれるが、そうはなれない。
それを実現してくれたのが、銃だった。
銃の力が、自分の力と、錯覚するようになる。
⑤ 最後のとどめは、睦夫が結核になったことだった。
この時、自分の人生から夢は消えた。
当時、結核は、死を宣告されたようなものだった。
⑥ 好きだった人が、自分から離れて行った。
そこに恨みが生まれ、事件への引き金になった。
こんな流れかなと思う。
※ 追記 真実は、分かりません。
私は、こう思うと言うことです。
この事件から何を学ぶかは、難しい。
人間どんなに不満があっても、都井睦夫までのことはしない。
※ こんなことも思った。
都井睦夫の罪の大きさは、計り知れない。
それでも、戦争を起こした人間の罪の大きさは、比べられないほど、都井の罪より大きい。
長崎と広島で、このことを学んだかな。
おばあちゃんに会えてよかった。
現場での生の情報の価値は、ネットの情報と全く違う。
おばあちゃんに、感謝します。
【道の駅】 彩菜茶屋 だいたいこの辺り。
【明日の予定】 たくさん時間がない。 この近くか、津山城だけでも。
【今日の歌】 歌ではないが。
八つ墓村 異談・横溝正史と津山30人殺し 1/4 (YouTube)
2/4 (YouTube)
4/4 (YouTube) ※ 3/4は上に。
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今から72年前の、昭和13年5月21日。
一人の若い男が、地域に住む人たち30名を、猟銃や日本刀で殺した。
自分も、自殺した。
津山事件と呼ばれ、津山市の貝尾と言う所で起きた。
その地域を、歩いてみた。
話を聞くことが出来た。
※ 現地では事件について話すことはタブー、と聞いていたが。
貝尾は、津山市北部の山の中。 それも、一番奥だった。
話してくれたのは、80才をとうに過ぎた、おばあちゃんだった。
※ おばあちゃんの旦那さんの、母親と兄弟3人が殺されている。
享年日が、昭和13年5月21日の墓が、たくさんあった。
津山市を調べていたら、津山事件が小さくあった。
何だろうと調べてみたら、大変な事件だった。
露天風呂の湯原温泉か、津山城を考えていたが、変更した。
基本の情報は、Wikipediaで。
事件の概要は、こう。
津山事件、または津山三十人殺と言われる。 大量殺人事件。
1938年(昭和13年)5月21日未明に起きた。
場所は、岡山県苫田郡西加茂村大字行重(現・津山市加茂町行重)の貝尾・坂元両部落。
※ 犯人が、自殺する前、別の場所でも殺したので、坂元も入っている。
基本は、貝尾。
2時間足らずで30名(自殺した犯人を含めると31名)が死亡し、3名が重軽傷を負う。
日本の犯罪史上前代未聞の殺戮事件。
犯人の姓名を取って、都井睦雄事件ともいう。都井は事件当時21歳だった。
貝尾まで、あと2㌔。 左の谷に入って行く。
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この事件を知った時、三毛別の熊の事件に似てると思った。 ※ 関連ブログ 三毛別羆(ひぐま)事件。
人間のやることじゃない。
電柱から、右に入る道がある。 そこを行ったら、地域の中心。 後で行く。
車は真っ直ぐ。 あと200㍍。
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現地の道については、Wikipediaで調べてあった。
着いた。 ここは、集会所。 住民の家は、左手の方にある。 右の道を上がってきた。 車の場所は、地図ではここ。

犯人の都井には、両親はいなく、祖母に育てられていた。 姉が一人。(嫁に行って、ここにはいない)
事件の前年に徴兵検査を受けるが、結核のため、合格できなかった。
山の下の地域が見える。

それまで、女の人との付き合いがあったが、結核のためか相手に断わられるようになる。
将来の夢はなくなる。
集会所と、車を停めた場所。 最初の分かれ道に戻っている。

都井は、親しい友人に、下記のことを口にするようになる。
「結核で死亡するくらいなら、阿部定事件以上の、どでかいことをしてやる」
上の写真の右の方は、家が集まっている。 事件の中心になる場所。

彼は、1938年に入って、5連発ブローニング猟銃を購入した。
毎日山にこもって射撃練習に励むようになった。
その猟銃を手に、毎夜、村を徘徊したため、近隣に不安を与えるようになる。
都井が使用した猟銃を調べたが、分からない。 一応、下のは、ブローニング社の猟銃。(年代は分からない)

ここまで下りてきて、右の道を上がった。 人を探しながら。

5月20日午後5時頃、都井は電柱によじ登り、送電線を切断した。
貝尾部落は停電になるが、大騒ぎにはならない。
中心部が見えてきた。

5月21日、御前1時40分頃、行動を開始。
詰襟の学生服に、軍用のゲートルと地下足袋を身に着けた。
頭には鉢巻を締め、小型懐中電灯を両側に1本ずつ結わえ付けた。(鬼の角の感じで)
首からは自転車用のランプを下げた。
腰には日本刀一振りと短刀を二振り、手には改造した9連発の猟銃を持った。
Wikipediaの説明にあった、T字路に来た。 左に100㍍ほど行くと、最初の集会所。

都井は最初に、自宅で就寝中の祖母の首を斧で刎(は)ねて即死させた。
その後、近隣の住人を約1時間半のうちに、次々と猟銃と日本刀で殺していった。
※ この事件は、「八つ墓村」で使われている。 ここに、出てくる。(YouTube)
集会所への道。

こんなことがあった。
ある家の老人は、返り血に染まった都井の姿に脅え、茫然としていたところ、
「お前はわしの悪口を言わんじゃったから、堪(こら)えてやるけんの」と言われ、見逃されたという。
真っ直ぐの道を行った。 誰にも会わない。

最終的な被害者は、死者30名(即死28名、重傷のち死亡2名)。 重軽傷者は、3名。
死者のうち5名が16歳未満。
計11軒の家が押し入られ、そのうち3軒が一家全員が殺害された。 4軒の家が生存者1名のみ。
見晴らしのいい所に、貝尾地区はある。
ここまで来て、戻った。 道はなかった。

その後、3.5㌔離れた荒坂峠の山頂で、猟銃で自殺した。 荒坂峠は、上の写真の正面の方にある。
猟銃で自らの心臓を撃ち抜いており、即死した。

突き当たりを右に行くと、集会所。
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集会所への道を下りて行った。 車の後ろが見える。

上の道を下りた所で、人に会った。 畑仕事をしている、おばあちゃんがいた。 やっと、人に会えた。 うれしかった。
細心の注意を払って、話しかけた。

挨拶した後、今日の天気や、この土地の良さなどを伝えた。
そうして、切りだした。
「あばあちゃん、貝尾はとってもいいとこだけど、昔、大変なことがあったんだってね」って。
それを聞いたおばあちゃんは、話しだした。
最初に言ったのは、
おばあちゃんの旦那さんの、お母さんが殺されたこと。
旦那さんの兄弟3人が、殺されたこと。
おばあちゃんの旦那さんは、陸軍に入ってて、ここにはいなかった。 だから、助かったこと。
都井睦夫の家は、下の写真の○の所にあった。 今は、空き地。
おばあちゃんの家は、道の右だから、道路を挟んだ隣になる。
一段上の左の家は当時もあったが、屋根が見える右の家はなかった。

当時、旦那さんの家には、お母さんと子供たちがいた。 父親は、亡くなっていなかった。
おばあちゃんに、何番目に襲われたかは聞かなかったが、「八つ墓村」の話の中では、
最初に襲われた家で殺されたのは、未亡人と子供たちとある。
都井が、道に出て、すぐの家は、おばあちゃんの旦那さんの家だ。
きっと、最初に襲われている。
その場面は、ここにある。 この映像では、子供の人数がはっきりしないが、未亡人とある。 2分過ぎに出てくる。
※ 八つ墓村 異談・横溝正史と津山30人殺し 3/4 (YouTube)
Wiipediaに、最初にも書いたが、事件の現場は、貝尾・坂本とある。
犯人の都井は、最後は自殺するが、おばあちゃんは、その場所をこう説明してくれた。
青山から横野に行く途中の山の頂上。(峠の頂上)
そこに行く途中に、坂本はある。
最後に一人殺したのは、坂本と、おばあちゃんは教えてくれた。
※ 坂本、青山、横野(上横野)の位置は、この地図に。 都井が自殺した場所が、見当つく。
おばあちゃんは、お墓の場所を教えてくれた。 何カ所もあった。
他にも、お話しはたくさん聞いて、別れた。 丁寧にお礼を言って。
最初に行ったお墓。

おばあちゃんは、戦後結婚してここに住んだ。 でも、昭和30年に旦那さんは病気で亡くなる。(結核)
それから、もう55年経った。 二人の男の子を育て上げた。 今は、ひ孫もいる。
昭和13年5月21日とあるお墓が、すぐに見つかった。

昔は25戸の家があったが、今は10戸と、教えてくれた。
※ 襲われたのは、11戸。
この道を上がってきた。 下りたら、車がある。
昔は、もっと木がたくさんあったという。
事件の後、夜は不気味なので、おばあちゃんたちも地域の人もみんな、出歩かなかったそう。

事件の後、ここに住めなくて、出た人も多いと言った。 思い出すのがつらいから。
別の墓地にもあった。
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アジサイでいいですね。 早い感じがする。
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下の風景。
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事件の時に、ここに住んでた人は、今は一人もいないという。
出てしまったり、亡くなったり。 72年経った。
私はおばあちゃんに、「ずっと墓を守れてよかったねと」言った。

おばあちゃんは、私は現場を見てないから、ここに住めたかもしれない、と言った。
ここの墓地には、2つ並んであった。
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こう。
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離れた所にも、あった。
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昔のことが分かる物は、墓の他には無かった。
ここにも2つ。

道が左に曲がる辺りで、おばあちゃんと話した。

どうして、都井睦夫が、このような人間に育ち、大変な事件を起こしたのか。
ネットの情報や、おばあちゃんの話、私が今まで教育の世界で見てきたことから考えたら、こんな感じでしょうか。
① 最大の問題は、育てたおばあちゃんが、睦夫を大事にしすぎたこと。
外に出す不安があったため、家に閉じ込めた。 極端な過保護。
学校に入学させるのが1年遅れたのも、それが原因。
② 上のことで、睦夫に、ほとんど社会性が身に付かなかった。
引きこもりになったのは、それが原因。
③ 自分に対する、周りの人間の関わり方に、不満を持つようになる。
睦夫は頭が良かったので、繊細にそれを感じるようになった。
④ 強い人間にあこがれるが、そうはなれない。
それを実現してくれたのが、銃だった。
銃の力が、自分の力と、錯覚するようになる。
⑤ 最後のとどめは、睦夫が結核になったことだった。
この時、自分の人生から夢は消えた。
当時、結核は、死を宣告されたようなものだった。
⑥ 好きだった人が、自分から離れて行った。
そこに恨みが生まれ、事件への引き金になった。
こんな流れかなと思う。
※ 追記 真実は、分かりません。
私は、こう思うと言うことです。
この事件から何を学ぶかは、難しい。
人間どんなに不満があっても、都井睦夫までのことはしない。
※ こんなことも思った。
都井睦夫の罪の大きさは、計り知れない。
それでも、戦争を起こした人間の罪の大きさは、比べられないほど、都井の罪より大きい。
長崎と広島で、このことを学んだかな。
おばあちゃんに会えてよかった。
現場での生の情報の価値は、ネットの情報と全く違う。
おばあちゃんに、感謝します。
【道の駅】 彩菜茶屋 だいたいこの辺り。
【明日の予定】 たくさん時間がない。 この近くか、津山城だけでも。
【今日の歌】 歌ではないが。
八つ墓村 異談・横溝正史と津山30人殺し 1/4 (YouTube)
2/4 (YouTube)
4/4 (YouTube) ※ 3/4は上に。
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吹屋の町を歩いた。
道の両側には、ベンガラ格子に石州瓦の家が、軒を連ねていた。
ベンガラのことを、今日初めて知った。
鯉が窪湿原があるので行ってみた。
今までの湿原は、いつも山の上。 歩くのを覚悟した。
そうしたら、すぐ側まで、車は行った。
ここは、中層湿原だと言う。 だから、山の上ではなかった。 場所はここ。
向こうの方に、堤防のようなのが見える。 人工の池だった。 少しがっかり。
しかし、確かに人工だったが、古かった。
1694年に出来ており、300年以上経っている。
展望台に上がったら、池しか見えなかった。 湿原は、上流。
リュウキンカが満開だった。
北海道には、エゾノリュウキンカある。
ヤチブキとも呼ばれ、お浸しにして食べたら美味しい。
こんな花。 立金花と書く。 茎が立っており、金色の花なので、この名前。
ここの湿原は、天然記念物に指定されていた。「西の尾瀬沼」とも言われるそうだ。
花の種類や昆虫が豊かなよう。
ここの湿原のメインは、この花。 オグラセンノウ。 ナデシコの花。 絶滅危惧種。
花が赤いようだが、特徴がはっきりしない。 新見市の、市の花。
ナデシコの花は、昔から、人気がある。 こんなのが。
酔うて寝む なでしこ咲ける 石の上 (芭蕉)
かさねとは 八重撫子の 名なるべし (曾良) 曾良のは、奥の細道に出てくる。
私もこの花、大好き。 ※ 関連ブログ 決めたぞ! エゾカワラナデシコに。
吹屋というのは、地区の名前だった。 ※ もちろん、吹き矢ではない。
高梁市の中に。
家並みが変わっているとか、ベンガラだとか言うので、頭が混乱する。
この辺り一帯が、「吹屋ふるさと村」になっていた。 車は、左の方の○に。 ここです。
銅山とベンガラの町。
ベンガラは、赤の顔料だった。
顔料だから、何かを染めるんだが、水や油には溶けない。
ここは、伝建地区だった。 ※ 重要伝統的建造物群保存地区。
格子などが赤いんだが、古くなると落ちるそう。
新しい所は、ベンガラで、格子などを染めていた。
石州瓦も赤いので、通り全体が、赤っぽい感じがする。
ここは、旧片山家の内部。 ベンガラの製造・販売を手がけた。
ガラスは昔のなので、波打っていた。
こんな表情で、何を考えているのかな。
昔の物が展示してあった。 このレコードは、昭和12年に発売。
このレコードが、YouTubeにあった。 写真をクリックしたら、流れます。 少しだけでも。
ここは、江戸時代の中頃から、吹屋銅山の町として発展した。
幕末から明治にかけては、銅山とともに、日本唯一のベンガラの産地として栄えた。
赤色顔料ベンガラ(酸化第二鉄)は、銅を作る過程の副産物から、作られた。
人は多くないが、誰か彼かは歩いていた。
石州瓦は、石見地方で作られる。 特徴は、赤くて丈夫。
※ 山口県、広島県でたくさん見てきた。 でも、私は、黒い瓦の方が好きかな。
この町では、この瓦の方が似合う。
格子が赤っぽい。
吹屋小学校。 明治33年の建物。 110年経ったが、まだ使用している。
子供たちが、いなくなってから、撮影。
昨日見た、オドリコソウがあった。 笠をかぶって、踊っているように見える。 右のには、目もある。 かわいい。
ベンガラ館。 ここで、ベンガラを作った。
銅山では、硫化鉄鉱は捨てるそう。 ベンガラは、それから偶然発見されたそう。
焼くことによって、硫化鉄鉱の中の鉄が、赤い酸化第2鉄、つまり、ベンガルに変わるのかな。
赤い酸化第二鉄を、粉にして、水にさらしたりしながら、取り出す。
最後に水分を飛ばしたら、粉だけになり完成。
右の方に、乾燥させてる作業が写っている。
ここは、笹畝坑道。 江戸時代から大正時代まで、銅が産出された。
下から入って、上から出てきた。
本物の坑道だった。 入って行ったら、広かった。
こんな感じの作業。
坑道入り口に、スズランが咲いていた。 その季節が来ている。
ここは、広兼邸。 江戸末期の建物。 お城のよう。
銅山やベンガラの原料で、富を築いた。
映画「八つ墓村」のロケが行われた、とあった。
ベンガラは、インドのベンガルが語源だと言う。
調べてみたら、ベンガラが日本に無かった頃、インドのベンガル地方産のものを輸入していた。
それで、ベンガラと呼ばれるようになった。
※ 大丈夫のようです。 信頼できるかは。
【道の駅】 醍醐の里 ここです。
【明日の予定】 津山にしているが、津山のどこなのか。
【今日の歌】 ダバダバダ(YouTube) メロディです。 たまに。
小さな酒場(みせ)(エムズの片割れ) きち兵衛さんです。
【ブログランキング】 国内旅行1位、旅行全体で2位です。 今日の最後が、2位でした。 感謝。
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道の両側には、ベンガラ格子に石州瓦の家が、軒を連ねていた。
ベンガラのことを、今日初めて知った。
鯉が窪湿原があるので行ってみた。
今までの湿原は、いつも山の上。 歩くのを覚悟した。
そうしたら、すぐ側まで、車は行った。
ここは、中層湿原だと言う。 だから、山の上ではなかった。 場所はここ。
向こうの方に、堤防のようなのが見える。 人工の池だった。 少しがっかり。
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しかし、確かに人工だったが、古かった。
1694年に出来ており、300年以上経っている。
展望台に上がったら、池しか見えなかった。 湿原は、上流。
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リュウキンカが満開だった。
北海道には、エゾノリュウキンカある。
ヤチブキとも呼ばれ、お浸しにして食べたら美味しい。
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こんな花。 立金花と書く。 茎が立っており、金色の花なので、この名前。
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ここの湿原は、天然記念物に指定されていた。「西の尾瀬沼」とも言われるそうだ。
花の種類や昆虫が豊かなよう。
ここの湿原のメインは、この花。 オグラセンノウ。 ナデシコの花。 絶滅危惧種。
花が赤いようだが、特徴がはっきりしない。 新見市の、市の花。
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ナデシコの花は、昔から、人気がある。 こんなのが。
酔うて寝む なでしこ咲ける 石の上 (芭蕉)
かさねとは 八重撫子の 名なるべし (曾良) 曾良のは、奥の細道に出てくる。
私もこの花、大好き。 ※ 関連ブログ 決めたぞ! エゾカワラナデシコに。
吹屋というのは、地区の名前だった。 ※ もちろん、吹き矢ではない。
高梁市の中に。
家並みが変わっているとか、ベンガラだとか言うので、頭が混乱する。
この辺り一帯が、「吹屋ふるさと村」になっていた。 車は、左の方の○に。 ここです。

銅山とベンガラの町。
ベンガラは、赤の顔料だった。
顔料だから、何かを染めるんだが、水や油には溶けない。
ここは、伝建地区だった。 ※ 重要伝統的建造物群保存地区。
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格子などが赤いんだが、古くなると落ちるそう。
新しい所は、ベンガラで、格子などを染めていた。
石州瓦も赤いので、通り全体が、赤っぽい感じがする。
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ここは、旧片山家の内部。 ベンガラの製造・販売を手がけた。
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ガラスは昔のなので、波打っていた。
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こんな表情で、何を考えているのかな。
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昔の物が展示してあった。 このレコードは、昭和12年に発売。
このレコードが、YouTubeにあった。 写真をクリックしたら、流れます。 少しだけでも。
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ここは、江戸時代の中頃から、吹屋銅山の町として発展した。
幕末から明治にかけては、銅山とともに、日本唯一のベンガラの産地として栄えた。
赤色顔料ベンガラ(酸化第二鉄)は、銅を作る過程の副産物から、作られた。

人は多くないが、誰か彼かは歩いていた。
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石州瓦は、石見地方で作られる。 特徴は、赤くて丈夫。
※ 山口県、広島県でたくさん見てきた。 でも、私は、黒い瓦の方が好きかな。
この町では、この瓦の方が似合う。

格子が赤っぽい。
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吹屋小学校。 明治33年の建物。 110年経ったが、まだ使用している。
子供たちが、いなくなってから、撮影。
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昨日見た、オドリコソウがあった。 笠をかぶって、踊っているように見える。 右のには、目もある。 かわいい。
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ベンガラ館。 ここで、ベンガラを作った。
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銅山では、硫化鉄鉱は捨てるそう。 ベンガラは、それから偶然発見されたそう。
焼くことによって、硫化鉄鉱の中の鉄が、赤い酸化第2鉄、つまり、ベンガルに変わるのかな。
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赤い酸化第二鉄を、粉にして、水にさらしたりしながら、取り出す。
最後に水分を飛ばしたら、粉だけになり完成。
右の方に、乾燥させてる作業が写っている。
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ここは、笹畝坑道。 江戸時代から大正時代まで、銅が産出された。
下から入って、上から出てきた。
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本物の坑道だった。 入って行ったら、広かった。
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こんな感じの作業。
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坑道入り口に、スズランが咲いていた。 その季節が来ている。
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ここは、広兼邸。 江戸末期の建物。 お城のよう。
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銅山やベンガラの原料で、富を築いた。
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映画「八つ墓村」のロケが行われた、とあった。
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ベンガラは、インドのベンガルが語源だと言う。
調べてみたら、ベンガラが日本に無かった頃、インドのベンガル地方産のものを輸入していた。
それで、ベンガラと呼ばれるようになった。
※ 大丈夫のようです。 信頼できるかは。
【道の駅】 醍醐の里 ここです。
【明日の予定】 津山にしているが、津山のどこなのか。
【今日の歌】 ダバダバダ(YouTube) メロディです。 たまに。
小さな酒場(みせ)(エムズの片割れ) きち兵衛さんです。
【ブログランキング】 国内旅行1位、旅行全体で2位です。 今日の最後が、2位でした。 感謝。
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帝釈峡は、観光情報誌で、大きく紹介されている。
何があるのか、楽しみにして行った。 帝釈峡は、ここ。
でも、帝釈峡は、哀しく見える程、観光地としては寂れていた。
歩いてみて、ここを観光地として発展させるのは、もともと無理だったと感じた。
その根本は、一番人気の神龍湖が、ダム湖であることだった。
帝釈峡を流れる川は、帝釈川。 帝釈峡の北の方は、川。 南は、神龍湖。
初めは、北側に行った。 地図の印から、断魚渓まで歩いた。 それ以上は、通行止め。 地図。
少し歩いたら、鍾乳洞があった。 白雲洞。
小さいけど、中が乾燥してないので、感じがいい。
ただ、綺麗な鍾乳石があるとか、滝があるとか、そういうのは無い。
灯りの周りに、植物があった。 この植物にとっては、電球が太陽かな。
向こうから歩いてきた。 右から川が流れており、その川は、穴を通っていた。
穴を通って、上流から撮影。
昔は鍾乳洞だったが、出口以外は、崩壊したそう。 名前は、鬼の唐門とあった。
こんな感じの川が続いた。 ここも帝釈峡なのに、少し物足りない。
ラショーモン カズラ。 シソ科だそう。 洞窟の人に、教えてもらった。
雄橋(おんばし)が見えてきた。
天然の橋。 高さ40㍍。 長さ90㍍。 日本一の天然橋だそう。
下流から見たら、こう。 いいですね。 昔は、この橋を生活に使ったという。
この橋は、幅19㍍。
もし、幅が100㍍くらいあったら、長いトンネルだ。
※ 北海道の、西興部村の氷のトンネルは、中が川。
一昨年しうさんと行った。 ヒグマの糞を見ながら。 数日後、熊と人が出会う。
※ 関連ブログ 氷のトンネル(ウエンシリ岳)
※ ブログを始めた頃の、ブログ。 写真も小さい。 なつかしい。
トンボ。 名前は分からない。
帝釈峡で、一番の急流。 断魚渓。
オドリコソウ。 これも、シソ科。 花が、笠をかぶった踊り子に似ているので、この名前。
田んぼにいた。
神龍湖(しんりゅうこ)に、車で移動。 遊歩道を歩いた。 地図。 車は、印の所に。
神龍湖は、ダム湖。 下流に帝釈川ダムがある。 大正13年に出来たと言うから、古い。
遊歩道には、橋とトンネルがある。 大学生が、あっちこっちで、絵を描いていた。
左の階段を登ってみた。
矢不立城址公園となっていた。 ※ 矢不立は、やたたず、と読む。
※ この城は、庄ノ氏の居城だったそう。
戦国時代、毛利、尼子の戦いに重要な役割を果たしたそうだが、詳しくは分からない。
昨日のブログの最後に、敵は向こうの山に陣を敷いたと書いたが、敵とは、尼子氏のことだった。
お土産屋さん、食堂、旅館、ホテルの、半分以上は、閉まっていた。(廃業)
荒れ放題に放置されていた。
ダム湖だけで観光が成り立っている所は、どこかに、あるのだろうか。
今は、ダム湖でなくても、湖だけで観光を支えるのは、大変な時代になっている。
お店の前に、オオサンショウウオがいた。 金魚は、エサ。
頭の上は、ボコボコ。 初め、石かと思った。
でも、サンショウウオの、短い手と、太い指では、石は載せれないと思った。
ダム湖には、神秘性はない。 古くからの伝説もない。
もし、バブルの時代で、施設が新しかったら、人は来るかも知れない。
人が来なくなってから、駐車料を無料にしても、手遅れ。
佐多岬、都井岬、竜飛岬、十和田湖、別府など、苦しんでいる所がいっぱいある。
戦略を間違った、ということは共通にあるが、自然の魅力だけで人が集まる時代は、昔の話。
それに気づいていないのかもしれない。
三年坂、黒川温泉、由布院温泉、大内宿、熊本城、旭山動物園などは、戦略で成功した。
どこも、10年、20年がかりの取り組みだった。
それは、プロジェクトXに似ていた。
帝釈峡の今後は、新たな魅力を作れるかどうかに、かかっていると思う。
でも、もう遅い感じがする。
廃墟の雰囲気を、元に戻すには、膨大なお金がかかる。
【道の駅】 遊YOUさろん東城 ここです。 2,3㌔走れば、岡山県。
夕方、カメさんが突然訪ねてきました。 8時過ぎまで、お話し。
カメさんは、関宿でお世話になった人。 大沼で焼き肉も。 今、中国地方を旅している。
【明日の予定】 高梁市吹屋
【ブログランキング】 国内旅行1位、旅行全体で3位です。 一瞬だけ、2位になりました。
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何があるのか、楽しみにして行った。 帝釈峡は、ここ。
でも、帝釈峡は、哀しく見える程、観光地としては寂れていた。
歩いてみて、ここを観光地として発展させるのは、もともと無理だったと感じた。
その根本は、一番人気の神龍湖が、ダム湖であることだった。
帝釈峡を流れる川は、帝釈川。 帝釈峡の北の方は、川。 南は、神龍湖。
初めは、北側に行った。 地図の印から、断魚渓まで歩いた。 それ以上は、通行止め。 地図。
少し歩いたら、鍾乳洞があった。 白雲洞。
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小さいけど、中が乾燥してないので、感じがいい。
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ただ、綺麗な鍾乳石があるとか、滝があるとか、そういうのは無い。
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灯りの周りに、植物があった。 この植物にとっては、電球が太陽かな。
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向こうから歩いてきた。 右から川が流れており、その川は、穴を通っていた。
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穴を通って、上流から撮影。
昔は鍾乳洞だったが、出口以外は、崩壊したそう。 名前は、鬼の唐門とあった。
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こんな感じの川が続いた。 ここも帝釈峡なのに、少し物足りない。
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ラショーモン カズラ。 シソ科だそう。 洞窟の人に、教えてもらった。

雄橋(おんばし)が見えてきた。
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天然の橋。 高さ40㍍。 長さ90㍍。 日本一の天然橋だそう。
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下流から見たら、こう。 いいですね。 昔は、この橋を生活に使ったという。
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この橋は、幅19㍍。
もし、幅が100㍍くらいあったら、長いトンネルだ。
※ 北海道の、西興部村の氷のトンネルは、中が川。
一昨年しうさんと行った。 ヒグマの糞を見ながら。 数日後、熊と人が出会う。
※ 関連ブログ 氷のトンネル(ウエンシリ岳)
※ ブログを始めた頃の、ブログ。 写真も小さい。 なつかしい。
トンボ。 名前は分からない。
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帝釈峡で、一番の急流。 断魚渓。
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オドリコソウ。 これも、シソ科。 花が、笠をかぶった踊り子に似ているので、この名前。
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田んぼにいた。
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神龍湖(しんりゅうこ)に、車で移動。 遊歩道を歩いた。 地図。 車は、印の所に。
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神龍湖は、ダム湖。 下流に帝釈川ダムがある。 大正13年に出来たと言うから、古い。
遊歩道には、橋とトンネルがある。 大学生が、あっちこっちで、絵を描いていた。
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左の階段を登ってみた。

矢不立城址公園となっていた。 ※ 矢不立は、やたたず、と読む。
※ この城は、庄ノ氏の居城だったそう。
戦国時代、毛利、尼子の戦いに重要な役割を果たしたそうだが、詳しくは分からない。
昨日のブログの最後に、敵は向こうの山に陣を敷いたと書いたが、敵とは、尼子氏のことだった。
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お土産屋さん、食堂、旅館、ホテルの、半分以上は、閉まっていた。(廃業)
荒れ放題に放置されていた。
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ダム湖だけで観光が成り立っている所は、どこかに、あるのだろうか。
今は、ダム湖でなくても、湖だけで観光を支えるのは、大変な時代になっている。

お店の前に、オオサンショウウオがいた。 金魚は、エサ。
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頭の上は、ボコボコ。 初め、石かと思った。
でも、サンショウウオの、短い手と、太い指では、石は載せれないと思った。

ダム湖には、神秘性はない。 古くからの伝説もない。
もし、バブルの時代で、施設が新しかったら、人は来るかも知れない。

人が来なくなってから、駐車料を無料にしても、手遅れ。
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佐多岬、都井岬、竜飛岬、十和田湖、別府など、苦しんでいる所がいっぱいある。
戦略を間違った、ということは共通にあるが、自然の魅力だけで人が集まる時代は、昔の話。
それに気づいていないのかもしれない。
三年坂、黒川温泉、由布院温泉、大内宿、熊本城、旭山動物園などは、戦略で成功した。
どこも、10年、20年がかりの取り組みだった。
それは、プロジェクトXに似ていた。
帝釈峡の今後は、新たな魅力を作れるかどうかに、かかっていると思う。
でも、もう遅い感じがする。
廃墟の雰囲気を、元に戻すには、膨大なお金がかかる。
【道の駅】 遊YOUさろん東城 ここです。 2,3㌔走れば、岡山県。
夕方、カメさんが突然訪ねてきました。 8時過ぎまで、お話し。
カメさんは、関宿でお世話になった人。 大沼で焼き肉も。 今、中国地方を旅している。
【明日の予定】 高梁市吹屋
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どこに行くか決まらない。
隣の道の駅の近くに、「神楽門前湯治村」があった。 名前がいい。
ネットで調べたら、昔風の通りがある。 それで十分と、向かった。
ここが、神楽門前湯治村。
通りの長さは、100㍍ほど。 その両端に、神楽を演じる舞台と温泉がある。
昔風の店が並んでいるが、こういうのは今増えている。 そのうち、みんな飽きてくるかもしれない。
何らかの工夫が必要になりそう。
鬼のお面に、絵付けができる所があった。 お店ばかりでもない。
神楽の絵が飾ってあった。 こういうのを見るのは、好き。
ここは、安芸高田(たかた)市。 高田神楽が盛ん。 中国地方には、石見神楽とか、色々ある。
神楽については、どうもはっきり分からない。
岩戸の前での踊りがあるが、他にどんなのがあるのか。
別の施設で、神楽の動画を見たが、岩戸の向こうに、天照大神が隠れた。
大野市で見たやつだった。
これは高千穂神楽の絵。
何の作品展か分からないが、「トレチャコフ美術鑑賞」をもらったとあった。
トレチャコフ美術館は、モスクワにある美術館。 ロシアを代表する美術館。
※ エルミタージュ美術館は、サンクトペテルブルグに。
その美術館の至宝と言われるのが、「忘れえぬ女(ひと)」
昨年の夏に、岩手県立美術館で見た。 ※ 関連ブログ 忘れえぬ女
神楽に関する、資料が、別の建物に展示してあった。
左は、平維茂。 右は、鬼女。 これは、紅葉伝説だ。 鬼無里(きなさ)に残る伝説。
踊りがあるのは知っていたが、神楽にもあるとは知らなかった。
※ 調べたら、能や謡曲にあるが、神楽にもあった。 ※ 関連ブログ 紅葉伝説
近くに何かないか調べたら、郡山城跡があった。 郡山城は、毛利元就の居城。 場所はここ。
この人は、戦国時代、中国地方を平定した。
昔、NHKで大河ドラマがあったが、ちゃんと見なかった。 ※ 風林火山は、毎回3回見たのに。
元就は、三人の息子(隆元・元春・隆景)を枕元に呼び寄せ、1本の矢を折るよう命じた。
息子たちが難なくこれを折ると、次は3本の矢束を折るよう命じた。
息子たちは誰も折ることができなかった。
元就は一本では脆い矢も、束になれば頑丈になるということを示し、三兄弟の結束を強く訴えかけた。
これが、有名な話。 子供たちの力に、不安を感じていたようだ。
ここを登った所に、元就のお墓が。
お墓とは反対の方に、「百万一心」の石碑があった。
調べたら、こういうことだった。
百万一心(ひゃくまんいっしん)とは、
吉田郡山城の工事の際に、毛利元就が人柱の替りに使った石碑に書いてあった言葉。
百万一心とは「一日一力一心」とも読め、「国人が皆で力を合わせれば、何事も成し得る」という意味だそう。
ここが墓。
中は、こんな感じ。 墓は、さらに囲まれていますね。
毛利元就は、こんな人。(Wikipediaより)
元就が信頼した、えらい坊さんの墓があった。 横を通って、城跡へ。
とちゅうで、安芸高田市の中心街が見えた。
こういう道は、歩きやすい。 マムシに注意が、時々。
明智光秀が武者修行中、ここにやってきた。 信用してもらえなかった。 ※ 関連ブログ 明智光秀は老ノ坂を通って本能寺へ
山本勘助も、曲者と思われ、追い返された。
※ 武田信玄は、山本勘助を見抜き、雇った。 ※ 関連ブログ 勘助の墓
斜面でない所は、建物の跡。
毛利氏は、広島に移るので、江戸時代に入ったら、使われなくなった。
島原の乱の後、利用されたら困るので、幕府は破壊した。
二の丸跡とある。
ここが頂上。 本丸跡。 麓からの高さは、200㍍。 木で、下は見えない。
直ぐ下は、こう。
途中からの風景。 向こうの山に敵が陣を張って、真ん中の平地で戦ったそうだ。
安芸高田市は、広島県なのに、川は島根県に流れる。
この、中国地方は、水の流れる境目(分水嶺)が、中間より、ずっと南にある。
また、南北に走る国道はいっぱいあるが、東西は少ない。
私にとっては、不便。 時々、県道の細い山道を走る。
【道の駅】 リストアステーション ここです。
【明日の予定】 帝釈峡 直ぐ近くまで来た。
【今日の歌】 鬼無里の道(YouTube)
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隣の道の駅の近くに、「神楽門前湯治村」があった。 名前がいい。
ネットで調べたら、昔風の通りがある。 それで十分と、向かった。
ここが、神楽門前湯治村。
通りの長さは、100㍍ほど。 その両端に、神楽を演じる舞台と温泉がある。
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昔風の店が並んでいるが、こういうのは今増えている。 そのうち、みんな飽きてくるかもしれない。
何らかの工夫が必要になりそう。
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鬼のお面に、絵付けができる所があった。 お店ばかりでもない。
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神楽の絵が飾ってあった。 こういうのを見るのは、好き。
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ここは、安芸高田(たかた)市。 高田神楽が盛ん。 中国地方には、石見神楽とか、色々ある。
神楽については、どうもはっきり分からない。
岩戸の前での踊りがあるが、他にどんなのがあるのか。
別の施設で、神楽の動画を見たが、岩戸の向こうに、天照大神が隠れた。
大野市で見たやつだった。

これは高千穂神楽の絵。
何の作品展か分からないが、「トレチャコフ美術鑑賞」をもらったとあった。
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トレチャコフ美術館は、モスクワにある美術館。 ロシアを代表する美術館。
※ エルミタージュ美術館は、サンクトペテルブルグに。
その美術館の至宝と言われるのが、「忘れえぬ女(ひと)」
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昨年の夏に、岩手県立美術館で見た。 ※ 関連ブログ 忘れえぬ女
神楽に関する、資料が、別の建物に展示してあった。
左は、平維茂。 右は、鬼女。 これは、紅葉伝説だ。 鬼無里(きなさ)に残る伝説。
踊りがあるのは知っていたが、神楽にもあるとは知らなかった。
※ 調べたら、能や謡曲にあるが、神楽にもあった。 ※ 関連ブログ 紅葉伝説
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近くに何かないか調べたら、郡山城跡があった。 郡山城は、毛利元就の居城。 場所はここ。
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この人は、戦国時代、中国地方を平定した。
昔、NHKで大河ドラマがあったが、ちゃんと見なかった。 ※ 風林火山は、毎回3回見たのに。
元就は、三人の息子(隆元・元春・隆景)を枕元に呼び寄せ、1本の矢を折るよう命じた。
息子たちが難なくこれを折ると、次は3本の矢束を折るよう命じた。
息子たちは誰も折ることができなかった。
元就は一本では脆い矢も、束になれば頑丈になるということを示し、三兄弟の結束を強く訴えかけた。
これが、有名な話。 子供たちの力に、不安を感じていたようだ。
ここを登った所に、元就のお墓が。
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お墓とは反対の方に、「百万一心」の石碑があった。
調べたら、こういうことだった。
百万一心(ひゃくまんいっしん)とは、
吉田郡山城の工事の際に、毛利元就が人柱の替りに使った石碑に書いてあった言葉。
百万一心とは「一日一力一心」とも読め、「国人が皆で力を合わせれば、何事も成し得る」という意味だそう。

ここが墓。
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中は、こんな感じ。 墓は、さらに囲まれていますね。

毛利元就は、こんな人。(Wikipediaより)

元就が信頼した、えらい坊さんの墓があった。 横を通って、城跡へ。

とちゅうで、安芸高田市の中心街が見えた。

こういう道は、歩きやすい。 マムシに注意が、時々。

明智光秀が武者修行中、ここにやってきた。 信用してもらえなかった。 ※ 関連ブログ 明智光秀は老ノ坂を通って本能寺へ
山本勘助も、曲者と思われ、追い返された。
※ 武田信玄は、山本勘助を見抜き、雇った。 ※ 関連ブログ 勘助の墓

斜面でない所は、建物の跡。

毛利氏は、広島に移るので、江戸時代に入ったら、使われなくなった。
島原の乱の後、利用されたら困るので、幕府は破壊した。
二の丸跡とある。

ここが頂上。 本丸跡。 麓からの高さは、200㍍。 木で、下は見えない。

直ぐ下は、こう。

途中からの風景。 向こうの山に敵が陣を張って、真ん中の平地で戦ったそうだ。

安芸高田市は、広島県なのに、川は島根県に流れる。
この、中国地方は、水の流れる境目(分水嶺)が、中間より、ずっと南にある。
また、南北に走る国道はいっぱいあるが、東西は少ない。
私にとっては、不便。 時々、県道の細い山道を走る。
【道の駅】 リストアステーション ここです。
【明日の予定】 帝釈峡 直ぐ近くまで来た。
【今日の歌】 鬼無里の道(YouTube)
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今日も、海遊旅人さんが案内してくれた。
※ 昨日書かなかったが、旅人さんは、キャンピングカーの旅では私よりずっと先輩で、今の車は数代目。
雨は降り続けている。 平和記念公園に向かった。
途中、新日山安国寺に寄った。 地理的な条件が幸いして、原爆の被害を受けなかった。
その時代の権力者と関わって来ている、大きな寺。
本堂が国宝になっていた。 この写真は、その内部。
楠(くすのき)町を、通ってもらった。
昔、小学校3年生の国語の教科書に、「かあさんのうた」というお話があった。 ※ 原題は「夜のくすのき」
そのお話しの舞台がこの町。 ※ 実際にあったことを元に、作られた。
このお話を、授業で最初に読み聞かせた時、子供たちは泣いた。 こういうことは、滅多にない。
全文はここに。 「かあさんのうた」(夜のくすのき) ※ 短いお話です。
これが、原爆ドーム。 爆心地に近い。 当時は、広島県産業奨励館と呼ばれていた。 ここです。
ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。
“二度と同じような悲劇が起こらないように”との戒めや願いをこめて、負の世界遺産と呼ばれている。
ビルの間に、島病院が見えた。 ここが爆心地。
私の後ろに、原爆ドーム。 ここから、200㍍。
慰霊碑が、いたるところにあった。
原爆供養塔。 身寄りのない人の遺骨が、ここに。
原爆死没者慰霊碑。
真っ直ぐ向こうに、原爆ドーム。
平和の灯(ともしび)
広島平和記念資料館に入った。 雨だと言うのに、多くの人が来ていた。
アメリカで原爆が作られた経緯は、こうだった。
これを読むと、完成したら、ドイツを攻撃するためと考えてよさそうだ。
昭和20年に入った5月7日、ドイツは降伏した。 ドイツに使用する必要はなくなった。
矛先は、日本になった。
下の内容は、なぜ原爆を使用する必要があったのかが、書かれている。
(書くのが大変なので、写真です。 ちゃんと撮ればよかった)
下のことが、広島が、候補地になった理由の一つ。 この内容は、旅人さんも言っていた。
候補地は、広島、小倉、新潟、長崎、となった。 下の理由で、広島が第1候補になる。
候補が4つに絞られる前は、下の町が候補だった。
東京 川崎 横浜 名古屋 大阪 神戸 京都 広島 呉 八幡 小倉 下関 山口 熊本 福岡 長崎 佐世保
全部で、17。
この中から、破壊された町は、外れて行った。
上の写真に、8月2日に最終決定とある。
では、その前に、広島に、また日本に原爆を落とされないチャンスはあったのかというと、あった。
8月2日の1週間前の7月26日、日本は、ポツダム宣言で、無条件降伏を求められた。
もしここで降伏していたら、原爆を落とされることはなかった。
国は、最後の最後まで、国民のことを考えることはなかった。
そのことについては、ここに。
8月6日。 広島の空は晴れていた。 広島の運命が決まってしまった。
これが、広島に投下されたもの。 高性能火薬、16000トン分の威力。
原爆投下目標地点は、黄色の○。 橋の上。 300㍍ずれて、島病院の上に。
黄色の○の上空、600㍍で炸裂。
破壊される前は、こう。
3時間後、カメラを持って、市内に入った人がいた。
座ったまま、動けない人も、いますね。
私は、地獄はないと思っている。 もしあるとすれば、この世にだ。
上の写真にも写っている人が、いる。
焼けた皮膚が垂れ下がったというのは、実際にあったという。
こういう写真は、たくさんあった。
※ 記念館の中の撮影は、フラッシュをたかなければいい。
多くの人に知ってもらうのは、この方がいいと思う。
絵で残す取り組みもあった。
爆発後、20~30分して、北西部地域に、黒い雨が降った。 夕方まで続いた。
翌日だが、まだくすぶっている。
こんな展示物
泣いてるように見えてくる。
1年後の街の様子。
当時の、人の表情が分かる写真を探した。
これは、原爆傷害調査委員会(ABCC)の建物。
ここに、被害にあった人をあつめ、調査・研究した。 治療はしなかった。
海遊旅人さんは、戦後、爆心地から1.5㌔位の所に住み始めた。
小学校に入ってたら、ケロイドのある子供もいたという。
そういう子は、授業中でも、とつぜん、下の建物に連れて行かれた。
※ 検査の時は、全部服を脱がされたという。
平和祈念資料館の中は、こんな感じ。 他もあって広い。
核の地球儀。
戦後も、世界中から戦争は消えない。 これは、ボスニア。 必死に、生きようとしている。
原子爆弾は、戦争の産物と言っている。
戦争という、取り返しのつかないことをやってしまった。
でも、もし、ポツダム宣言を受け入れていれば、広島や長崎の人達は、死ななくて済んだ。
その判断をした人間は、亡くなった人たちや、苦しんだ人達に、責任を感じたのだろうか。
国を大事とは考えても、国民が大事とは考えない。 だから、反省することは、きっとない。
腹が立つ。
広島は、長崎と同じように、世界へ、平和のメッセージを伝え続けていました。
そのことを確認できたので、うれしい。
海遊旅人さんのおかげで、いい広島になりました。
【道の駅】 舞ロードIC千代田 ここです。
【明日の予定】 山の中を、京都の方向に。
【今日の歌】 Let The Sunshine In(YouTube) この歌は、上の写真にあるボスニアで歌われた。
世界のマスコミを動かし、戦争終結への大きな力になった。
【ブログランキング】 国内旅行1位、旅行全体で6位です。 1位は、久しぶり。 感謝。
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※ 昨日書かなかったが、旅人さんは、キャンピングカーの旅では私よりずっと先輩で、今の車は数代目。
雨は降り続けている。 平和記念公園に向かった。
途中、新日山安国寺に寄った。 地理的な条件が幸いして、原爆の被害を受けなかった。
その時代の権力者と関わって来ている、大きな寺。
本堂が国宝になっていた。 この写真は、その内部。

楠(くすのき)町を、通ってもらった。
昔、小学校3年生の国語の教科書に、「かあさんのうた」というお話があった。 ※ 原題は「夜のくすのき」
そのお話しの舞台がこの町。 ※ 実際にあったことを元に、作られた。
このお話を、授業で最初に読み聞かせた時、子供たちは泣いた。 こういうことは、滅多にない。
全文はここに。 「かあさんのうた」(夜のくすのき) ※ 短いお話です。

これが、原爆ドーム。 爆心地に近い。 当時は、広島県産業奨励館と呼ばれていた。 ここです。
ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。
“二度と同じような悲劇が起こらないように”との戒めや願いをこめて、負の世界遺産と呼ばれている。

ビルの間に、島病院が見えた。 ここが爆心地。
私の後ろに、原爆ドーム。 ここから、200㍍。

慰霊碑が、いたるところにあった。
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原爆供養塔。 身寄りのない人の遺骨が、ここに。
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原爆死没者慰霊碑。
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真っ直ぐ向こうに、原爆ドーム。
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平和の灯(ともしび)
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広島平和記念資料館に入った。 雨だと言うのに、多くの人が来ていた。
アメリカで原爆が作られた経緯は、こうだった。
これを読むと、完成したら、ドイツを攻撃するためと考えてよさそうだ。
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昭和20年に入った5月7日、ドイツは降伏した。 ドイツに使用する必要はなくなった。
矛先は、日本になった。
下の内容は、なぜ原爆を使用する必要があったのかが、書かれている。
(書くのが大変なので、写真です。 ちゃんと撮ればよかった)

下のことが、広島が、候補地になった理由の一つ。 この内容は、旅人さんも言っていた。
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候補地は、広島、小倉、新潟、長崎、となった。 下の理由で、広島が第1候補になる。
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候補が4つに絞られる前は、下の町が候補だった。
東京 川崎 横浜 名古屋 大阪 神戸 京都 広島 呉 八幡 小倉 下関 山口 熊本 福岡 長崎 佐世保
全部で、17。
この中から、破壊された町は、外れて行った。
上の写真に、8月2日に最終決定とある。
では、その前に、広島に、また日本に原爆を落とされないチャンスはあったのかというと、あった。
8月2日の1週間前の7月26日、日本は、ポツダム宣言で、無条件降伏を求められた。
もしここで降伏していたら、原爆を落とされることはなかった。
国は、最後の最後まで、国民のことを考えることはなかった。
そのことについては、ここに。
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8月6日。 広島の空は晴れていた。 広島の運命が決まってしまった。
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これが、広島に投下されたもの。 高性能火薬、16000トン分の威力。
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
原爆投下目標地点は、黄色の○。 橋の上。 300㍍ずれて、島病院の上に。
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黄色の○の上空、600㍍で炸裂。
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破壊される前は、こう。
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3時間後、カメラを持って、市内に入った人がいた。
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座ったまま、動けない人も、いますね。
私は、地獄はないと思っている。 もしあるとすれば、この世にだ。
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上の写真にも写っている人が、いる。
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焼けた皮膚が垂れ下がったというのは、実際にあったという。
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こういう写真は、たくさんあった。
※ 記念館の中の撮影は、フラッシュをたかなければいい。
多くの人に知ってもらうのは、この方がいいと思う。
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絵で残す取り組みもあった。
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爆発後、20~30分して、北西部地域に、黒い雨が降った。 夕方まで続いた。
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翌日だが、まだくすぶっている。
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こんな展示物
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泣いてるように見えてくる。
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1年後の街の様子。
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当時の、人の表情が分かる写真を探した。
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これは、原爆傷害調査委員会(ABCC)の建物。
ここに、被害にあった人をあつめ、調査・研究した。 治療はしなかった。
海遊旅人さんは、戦後、爆心地から1.5㌔位の所に住み始めた。
小学校に入ってたら、ケロイドのある子供もいたという。
そういう子は、授業中でも、とつぜん、下の建物に連れて行かれた。
※ 検査の時は、全部服を脱がされたという。
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平和祈念資料館の中は、こんな感じ。 他もあって広い。

核の地球儀。
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戦後も、世界中から戦争は消えない。 これは、ボスニア。 必死に、生きようとしている。
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原子爆弾は、戦争の産物と言っている。
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戦争という、取り返しのつかないことをやってしまった。
でも、もし、ポツダム宣言を受け入れていれば、広島や長崎の人達は、死ななくて済んだ。
その判断をした人間は、亡くなった人たちや、苦しんだ人達に、責任を感じたのだろうか。
国を大事とは考えても、国民が大事とは考えない。 だから、反省することは、きっとない。
腹が立つ。
広島は、長崎と同じように、世界へ、平和のメッセージを伝え続けていました。
そのことを確認できたので、うれしい。
海遊旅人さんのおかげで、いい広島になりました。
【道の駅】 舞ロードIC千代田 ここです。
【明日の予定】 山の中を、京都の方向に。
【今日の歌】 Let The Sunshine In(YouTube) この歌は、上の写真にあるボスニアで歌われた。
世界のマスコミを動かし、戦争終結への大きな力になった。
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先日、私のブログに、広島弁のコメントが入ってきた。
海遊旅人さんという方。
昨日メールをいただいて、広島を案内していただけることになった。
車は、ショッピングセンターに置くことに。
ところが、途中で変更になり、海遊旅人さんのお家の、隣の空き地に置くことになった。
旅人さんのお家は、広島市内の北部にある、可部という所。 場所はここ。
広島市内は、高速を使って抜けたが、着いたのは、2時頃になった。
時間が少ないので、原爆ドームとかを見るのは明日にして、可部の街を歩くことに。
旅人さんが案内してくれた。
旅人さんの家から、車で少し走って、お店の屋上に車を置いた。
旧道を歩いた。 ※ バイパスの雰囲気は、どこの街もいっしょ。
古い家が、時々ある。
可部は、ずっと前は、安佐郡 可部町だった。
今は、広島市 安佐北区 可部。
うだつがあがらない、の「うだつ」。
当初の目的は、 隣が火事の時、火が前へ回り込むのを防ぐものだった。 後に飾りの意味にもなる。
この地域で、太田川、根之谷(ねのたに)川、三篠(みささ)川が、合流している。
※ 川が集まった所に、町はできやすい。
酒屋さんですね。
可部は、国道54が通っている。 北に向かうと、松江に着く。
新酒が出来たら、丸い球をぶら下げると聞いたが、ここはいつでも下がってるそう。
今まで歩いた所は、伝建地区が多かったから、建物は修復済みだった。
ここの古い建物は、普通はこうですよ、という状態。 そういうのを見るのもいい。
広島を出て、可部で、出雲への街道と、石見(いわみ)への街道が分かれた。
この家は、いいですね。
壁がきれい。
ぶら下がっているのは、大根。 どうして大根(?)
鉄灯籠。 ここは、舟入掘りと呼ばれ、川船の発着場だった。 鉄灯籠には、毎晩灯がともされた。
昔のようす。
可部の地図があった。
どんな飛行機も、雲が出来るのかな。 雲が出来る条件は、何なんだろう。
裏小路を歩き始めた。
空き地がこんな風に。
いいですね。
可部駅は、可部線の終点。 線路の終点は、ここ。
こういう道が、網目のように。
道の下には、川が流れている。
面白いことを、言ってる。
こんな道を歩くと、楽しい。
女優の戸田菜穂さんの実家。 旅人さんが、教えてくれた。
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一時、松井選手との噂があった。
酒屋か何かの、裏の壁。
海遊旅人さんの家のそばを、根之谷(ねのたに)川が流れている。
せせらぎの音が、いつも聞こえる。
ごちそうになってしまった。
蝋燭の灯り。 外で、暗くなるまで、奥様と3人で。
今日は、旅人さんに案内していただいて、知らない町を歩いた。
何もない町はない。
いつも思うけど、今日のような旅が、私の旅の基本かな。
【停泊場所】 旅人さんの家の隣の空き地。
【明日の予定】 広島市内
【今日の歌】 モーツアルトのピアノ(YouTube) 戸田菜穂が小さな旅。 CM。
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海遊旅人さんという方。
昨日メールをいただいて、広島を案内していただけることになった。
車は、ショッピングセンターに置くことに。
ところが、途中で変更になり、海遊旅人さんのお家の、隣の空き地に置くことになった。
旅人さんのお家は、広島市内の北部にある、可部という所。 場所はここ。
広島市内は、高速を使って抜けたが、着いたのは、2時頃になった。
時間が少ないので、原爆ドームとかを見るのは明日にして、可部の街を歩くことに。
旅人さんが案内してくれた。
旅人さんの家から、車で少し走って、お店の屋上に車を置いた。
旧道を歩いた。 ※ バイパスの雰囲気は、どこの街もいっしょ。
古い家が、時々ある。
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可部は、ずっと前は、安佐郡 可部町だった。
今は、広島市 安佐北区 可部。
うだつがあがらない、の「うだつ」。
当初の目的は、 隣が火事の時、火が前へ回り込むのを防ぐものだった。 後に飾りの意味にもなる。
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この地域で、太田川、根之谷(ねのたに)川、三篠(みささ)川が、合流している。
※ 川が集まった所に、町はできやすい。
酒屋さんですね。
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可部は、国道54が通っている。 北に向かうと、松江に着く。
新酒が出来たら、丸い球をぶら下げると聞いたが、ここはいつでも下がってるそう。
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今まで歩いた所は、伝建地区が多かったから、建物は修復済みだった。
ここの古い建物は、普通はこうですよ、という状態。 そういうのを見るのもいい。
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広島を出て、可部で、出雲への街道と、石見(いわみ)への街道が分かれた。
この家は、いいですね。
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壁がきれい。
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ぶら下がっているのは、大根。 どうして大根(?)
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鉄灯籠。 ここは、舟入掘りと呼ばれ、川船の発着場だった。 鉄灯籠には、毎晩灯がともされた。

昔のようす。
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可部の地図があった。
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どんな飛行機も、雲が出来るのかな。 雲が出来る条件は、何なんだろう。
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裏小路を歩き始めた。
空き地がこんな風に。
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いいですね。
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可部駅は、可部線の終点。 線路の終点は、ここ。
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こういう道が、網目のように。
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道の下には、川が流れている。
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面白いことを、言ってる。
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こんな道を歩くと、楽しい。

女優の戸田菜穂さんの実家。 旅人さんが、教えてくれた。
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一時、松井選手との噂があった。
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酒屋か何かの、裏の壁。
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海遊旅人さんの家のそばを、根之谷(ねのたに)川が流れている。
せせらぎの音が、いつも聞こえる。
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ごちそうになってしまった。
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蝋燭の灯り。 外で、暗くなるまで、奥様と3人で。
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今日は、旅人さんに案内していただいて、知らない町を歩いた。
何もない町はない。
いつも思うけど、今日のような旅が、私の旅の基本かな。
【停泊場所】 旅人さんの家の隣の空き地。
【明日の予定】 広島市内
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バスと電車で、行ってきた。
どうして世界遺産なのか、それが知りたかった。
結論は、いい所だった。 日光より、上に感じた。
宮島は、宮島口という所から、フェリーに乗る。
そこに、広い駐車場は無いようだった。
錦帯橋の駐車場に車を置いて、バスで岩国駅へ、そして、JRで宮島口に行った。
フェリーは、JRの連絡船。
宮島は目の前なので、海中に立つ大鳥居は、直ぐに見えてきた。
下の方が黒いので、潮が引いてるのが分かる。
このような通りが長い。 カキ、アナゴめし、もみじ饅頭が、多く売ってた。
道が曲がったりするので、迷いそう。 人がいっぱい。
この島は、厳島ともいうが、宮島が一般的のよう。(情報誌も宮島)
ここが、厳島神社。 平清盛の時代に、まず栄えた。
源氏の時代になって衰退したが、毛利氏が再び復興した。
厳島神社と弥山(みせん)という山を含めた一帯が、世界遺産になっている。(島の14%)
潮が引いていたので、砂浜を歩けた。
この大鳥居は、どうして水の中にあるのだろう。
海の道を通って、神社にやってくるからかな、と思うが。
※ 船で来たら、ここを通るんだろうか。
※ 追記 島全体が信仰の対象になっているため、昔からこうだったよう。
鳥居は、置いてあるだけで、土には埋まっていない。 そういう説明があった。
五重塔が見えたので、石段を登って行った。 下に、厳島神社が。
千畳閣というのがあったので、入った。(100円)
この建物は、秀吉が造ったそう。 正確には、857畳の広さという。
太鼓の練習をしていた。
少し聞いたら、素人でないと直ぐに分かった。
この人が、中心の佐藤健作という人。 今晩コンサートがある。 5000円。
ただで見られたので、もうけた感じがした。 写真も撮れたし。 ※ 本番は、撮れない。
これが、コンサートのパンフレット。
隣に、五重塔はあった。 美しさは、普通でしょうね。
1407年の建立とあったが、新しい感じがした。
厳島神社を見た。 300円だったかな。
ここは、全国に約500社ある厳島神社の総本社。 港町に多いでしょうか。
正面が、拝殿。 本殿は、その奥。 どこも、こうでしょうか。
朱塗りが美しい。 他の神社と、造りも違う。
こんな通りも。 町屋通りなど、色んな通りがあった。
清盛神社。 清盛が、厳島神社に大きな力を果たしたので、見に行った。 説明はなかった。
山の上への道を行くと、下が見えた。 宮島の色んな風景が、日本三景になっている。
大聖院という、境内の広い寺があった。
真言宗御室派(総本山仁和寺)の大本山。 806年 空海の開基とあった。
境内のいたるところに、仏像があったり、独特の雰囲気があった。
筒のようなのは、回転する。 1回まわしたら、きっと、書いてあるお経を読んだことになる。
上へ上へと、どこまでも続く。
書くの忘れていた。 観光客の3分の1は、外国の人。
一番上のお堂。
下が見えた。
※ ここは、広島市ではなく、廿日市市(はつかいちし)。
摩尼殿。
こんな仏度が。
この仏像かどうか分からないが、ダライラマがこの寺に来て、仏像の開眼をしている。
もみじ歩道というところがあった。 見晴らしがよかった。
五重塔は、どこから見ても目立つ。 形に魅力があるからでしょうか。
宮島は、歩くことが楽しめる、新しい雰囲気のする観光地だった。
厳島神社、大聖院、色んな通りや小路。 山の斜面の散歩道。 それに、登山。
狭い地域に、みんな、まとまって入っていた。
島なため、車が少ないのもいい。
また、参拝料金も安かった。
日光に比べたら、観光客に優しい感じがした。
歩く楽しさが大事というのは、京都の三年坂で学んだことでしょうか。
※ 街づくりに関わっている人から、教えてもらった。
宮島は、いいところでした。
別の話ですが、弥山(みせん)に登ってみたい。 検討中です。
今日のニュースから。
ニューヨークの国連本部で、核拡散防止条約(NPT)再検討会議が、開かれている。
その中で、長崎市の谷口稜曄(すみてる)さん(81)が被爆者を代表して演説した。
もしかしてと思ったら、この人だった。 ※ 関連ブログ 長崎原爆 背中に火傷の少年の今 他
【停泊場所】 同じ。
【明日の予定】 広島に行く。 車を、どこかに置いてバス。
【ブログランキング】 国内旅行2位、旅行全体で9位です。
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どうして世界遺産なのか、それが知りたかった。
結論は、いい所だった。 日光より、上に感じた。
宮島は、宮島口という所から、フェリーに乗る。
そこに、広い駐車場は無いようだった。
錦帯橋の駐車場に車を置いて、バスで岩国駅へ、そして、JRで宮島口に行った。
フェリーは、JRの連絡船。
宮島は目の前なので、海中に立つ大鳥居は、直ぐに見えてきた。
下の方が黒いので、潮が引いてるのが分かる。
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このような通りが長い。 カキ、アナゴめし、もみじ饅頭が、多く売ってた。
道が曲がったりするので、迷いそう。 人がいっぱい。

この島は、厳島ともいうが、宮島が一般的のよう。(情報誌も宮島)
ここが、厳島神社。 平清盛の時代に、まず栄えた。
源氏の時代になって衰退したが、毛利氏が再び復興した。
厳島神社と弥山(みせん)という山を含めた一帯が、世界遺産になっている。(島の14%)
潮が引いていたので、砂浜を歩けた。

この大鳥居は、どうして水の中にあるのだろう。
海の道を通って、神社にやってくるからかな、と思うが。
※ 船で来たら、ここを通るんだろうか。
※ 追記 島全体が信仰の対象になっているため、昔からこうだったよう。
鳥居は、置いてあるだけで、土には埋まっていない。 そういう説明があった。

五重塔が見えたので、石段を登って行った。 下に、厳島神社が。

千畳閣というのがあったので、入った。(100円)
この建物は、秀吉が造ったそう。 正確には、857畳の広さという。
太鼓の練習をしていた。
少し聞いたら、素人でないと直ぐに分かった。

この人が、中心の佐藤健作という人。 今晩コンサートがある。 5000円。
ただで見られたので、もうけた感じがした。 写真も撮れたし。 ※ 本番は、撮れない。

これが、コンサートのパンフレット。

隣に、五重塔はあった。 美しさは、普通でしょうね。
1407年の建立とあったが、新しい感じがした。

厳島神社を見た。 300円だったかな。
ここは、全国に約500社ある厳島神社の総本社。 港町に多いでしょうか。

正面が、拝殿。 本殿は、その奥。 どこも、こうでしょうか。

朱塗りが美しい。 他の神社と、造りも違う。

こんな通りも。 町屋通りなど、色んな通りがあった。

清盛神社。 清盛が、厳島神社に大きな力を果たしたので、見に行った。 説明はなかった。

山の上への道を行くと、下が見えた。 宮島の色んな風景が、日本三景になっている。

大聖院という、境内の広い寺があった。
真言宗御室派(総本山仁和寺)の大本山。 806年 空海の開基とあった。

境内のいたるところに、仏像があったり、独特の雰囲気があった。

筒のようなのは、回転する。 1回まわしたら、きっと、書いてあるお経を読んだことになる。

上へ上へと、どこまでも続く。
書くの忘れていた。 観光客の3分の1は、外国の人。

一番上のお堂。

下が見えた。
※ ここは、広島市ではなく、廿日市市(はつかいちし)。

摩尼殿。

こんな仏度が。
この仏像かどうか分からないが、ダライラマがこの寺に来て、仏像の開眼をしている。

もみじ歩道というところがあった。 見晴らしがよかった。

五重塔は、どこから見ても目立つ。 形に魅力があるからでしょうか。

宮島は、歩くことが楽しめる、新しい雰囲気のする観光地だった。
厳島神社、大聖院、色んな通りや小路。 山の斜面の散歩道。 それに、登山。
狭い地域に、みんな、まとまって入っていた。
島なため、車が少ないのもいい。
また、参拝料金も安かった。
日光に比べたら、観光客に優しい感じがした。
歩く楽しさが大事というのは、京都の三年坂で学んだことでしょうか。
※ 街づくりに関わっている人から、教えてもらった。
宮島は、いいところでした。
別の話ですが、弥山(みせん)に登ってみたい。 検討中です。
今日のニュースから。
ニューヨークの国連本部で、核拡散防止条約(NPT)再検討会議が、開かれている。
その中で、長崎市の谷口稜曄(すみてる)さん(81)が被爆者を代表して演説した。
もしかしてと思ったら、この人だった。 ※ 関連ブログ 長崎原爆 背中に火傷の少年の今 他

【停泊場所】 同じ。
【明日の予定】 広島に行く。 車を、どこかに置いてバス。
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今日は、とりあえずの目標地点を、錦帯橋にして走った。
頭のアンテナを伸ばして。
どこか、面白そうな所が見つかれば、そっちの方がいい。
「月輪寺」の案内が、大きくあった。 左の道に入った。 場所は、ここ。
薬師堂があり、山口県内で、一番古い木造建築とあった。 平安時代の終わりの建物。
面白い話があるか探したが、特になかった。
寺の読み方は、「がちりんじ」。 「がつりんじ」が、変化したのかな。
国道までの、数百㍍の道。 曲がっている所がいい。
何気ない風景の、その魅力を引き出した写真に撮りたいが、むずかしい。
温泉も見つかっていない。
笠戸島(かさどじま)にあることが分かっているので、遠回りになるが行くことに。
釣りして、今晩は、この島でもいいと思っていた。
国民宿舎大城(おおじょう)の駐車場から撮影。 場所はここ。
温泉は故障していて、お風呂だった。 だから、200円。
島を走ったが、誰も釣りをしていない。 風情のある港町はなかったので、岩国に向かった。
せっかくだから、少し遠回りになったが、光市を通った。
あの、母子殺害事件のあった町だ。 残されたお父さんは戦った。 心の中だが、ずっと応援していた。
日本の国には、弁護士制度があるから、加害者は守られる。
しかし、被害者は、力を貸してくれる制度はない。
人を殺しても、簡単には死刑にならない。
※ 冤罪での死刑を防ぐには、死刑制度をなくすしか、他に方法はないかなとも思う。
難しい問題だ。
その父さんが、すごかった。
今日のブログは、錦帯橋なので、このことについては、これを読んでください。
いい内容です。 エムズの片割れ、光市母子殺人事件について。
少しだけ紹介。 こういう文がある。
「記者会見場に姿を現した本村の怒りは凄まじかった。・・・「司法に絶望しました。控訴、上告は望みません。
早く被告を社会に出して、私の手の届くところに置いて欲しい。私がこの手で殺します」
記者会見という公の場で「報復殺人の予告」とも言えるべき発言を行った。」
※ 実際に仇討をした男がいた。 明治時代。 日本最後の仇討。
臼井六郎は、父・母・妹を、殺される。 殺されたのは寝室。 六郎は、隣の部屋から、それを見た。
13年後の明治13年に、復讐する。 服役するが、社会は彼に温かかった。
その話は、ここに。
錦帯橋のある岩国市は、山口県の東の端だった。
駐車場は河川敷。 広い。 無料。
これが、錦帯橋。 木造。 5つに分かれてる。 場所はここ。
車の板バネに似ている。 端の方が、板の枚数が多い。
石橋を、木で作った感じ。
全長、193.3㍍。 幅、5.0㍍。
中国の杭州の西湖にある「錦帯橋」をモデルにして、1673年に架橋された。 これが最初。
中国、西湖の錦帯橋。 (お借りした)
楽しそうだ。
三名橋の一つだそう。 ※ 誰が決めたか知らないが。
他の2つは、かずら橋(徳島県)と、猿橋(山梨県)だそう。 ※ 関連ブログ 雪のかずら橋
下から見ると、単純な作りではなさそうだ。
橋の円みは円の一部だと思われていた。 最近、そうでないのでは、という考えが出てきた。
下の写真で、黄緑は円の一部。
私も、橋は円とは違うように思う。
円のふくらみなら、両側は、少し急で、上りにくい感じがする。
では、橋の形は何なのかと言うと、カテナリー曲線(懸垂線)でないかと言われている。(研究者から)
※ カテナリー曲線って、何なのかを調べてみたら、こうだった。
例えば、1㍍程の長さの紐の、両端を手で持つ。
一旦、ピーンと張る。 その後、少し緩める。 そうしたら、曲線になる。
形(曲線)の特徴として、紐の重さのため、真ん中辺りのカーブが大きく(急に)なる。
橋の形は、それを、逆さまにした形。 下の写真を見てると、それでいいように思うかな。
歩いている人が、消えたり、急に現れたりする。
この場所は、橋を渡って、すぐ左にあった。
佐々木小次郎は、ここで「つばめ返し」の術を身に付けた、と説明にあった。
場所は他にも説があるが、吉川英治の小説の中では、ここだった。
橋の下は、遊歩道。 渡った側は、広く一帯が、公園になっている。
川に波がなく、このように。
公園に佐々木小次郎の像が。 巌流島で、宮本武蔵に負ける。
関ヶ原の戦いを挟んで、生きている。 そういう時代の人。
戦国時代、この場所に住んでいた吉川経家という人は、鳥取城の城主に迎えられた。
城は攻められている最中だった。 この人は、城兵全員を助けるのを条件に、切腹した。
子孫は、この岩国で活躍した。 それで、この碑があった。
いっぱい咲いていた。
橋を渡って戻っている。
今日は、逆光で撮った写真が、全体的にきれいに写った。 どうしてか分からない。
観光客でない人も、歩いている。
橋は、人が渡るために作ったから、人がいないと、写真がつまらない。
橋脚の部分は石垣で、渡る所は木造。 それがいいのかな。
京都の、鴨川や桂川に架かっていても、似合いそうに感じた。
上り下りの変化があり、歩いて楽しい、評判通りの橋だった。
【停泊場所】 錦帯橋の駐車場。 河川敷にある。
【明日の予定】 宮島です。
【今日の歌】 Diem-Xua(YouTube) 日本名は、美しい昔。
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頭のアンテナを伸ばして。
どこか、面白そうな所が見つかれば、そっちの方がいい。
「月輪寺」の案内が、大きくあった。 左の道に入った。 場所は、ここ。
薬師堂があり、山口県内で、一番古い木造建築とあった。 平安時代の終わりの建物。
面白い話があるか探したが、特になかった。
寺の読み方は、「がちりんじ」。 「がつりんじ」が、変化したのかな。

国道までの、数百㍍の道。 曲がっている所がいい。
何気ない風景の、その魅力を引き出した写真に撮りたいが、むずかしい。
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温泉も見つかっていない。
笠戸島(かさどじま)にあることが分かっているので、遠回りになるが行くことに。
釣りして、今晩は、この島でもいいと思っていた。
国民宿舎大城(おおじょう)の駐車場から撮影。 場所はここ。

温泉は故障していて、お風呂だった。 だから、200円。
島を走ったが、誰も釣りをしていない。 風情のある港町はなかったので、岩国に向かった。
せっかくだから、少し遠回りになったが、光市を通った。
あの、母子殺害事件のあった町だ。 残されたお父さんは戦った。 心の中だが、ずっと応援していた。

日本の国には、弁護士制度があるから、加害者は守られる。
しかし、被害者は、力を貸してくれる制度はない。
人を殺しても、簡単には死刑にならない。
※ 冤罪での死刑を防ぐには、死刑制度をなくすしか、他に方法はないかなとも思う。
難しい問題だ。
その父さんが、すごかった。
今日のブログは、錦帯橋なので、このことについては、これを読んでください。
いい内容です。 エムズの片割れ、光市母子殺人事件について。
少しだけ紹介。 こういう文がある。
「記者会見場に姿を現した本村の怒りは凄まじかった。・・・「司法に絶望しました。控訴、上告は望みません。
早く被告を社会に出して、私の手の届くところに置いて欲しい。私がこの手で殺します」
記者会見という公の場で「報復殺人の予告」とも言えるべき発言を行った。」
※ 実際に仇討をした男がいた。 明治時代。 日本最後の仇討。
臼井六郎は、父・母・妹を、殺される。 殺されたのは寝室。 六郎は、隣の部屋から、それを見た。
13年後の明治13年に、復讐する。 服役するが、社会は彼に温かかった。
その話は、ここに。
錦帯橋のある岩国市は、山口県の東の端だった。
駐車場は河川敷。 広い。 無料。
これが、錦帯橋。 木造。 5つに分かれてる。 場所はここ。
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車の板バネに似ている。 端の方が、板の枚数が多い。
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石橋を、木で作った感じ。
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全長、193.3㍍。 幅、5.0㍍。
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中国の杭州の西湖にある「錦帯橋」をモデルにして、1673年に架橋された。 これが最初。

中国、西湖の錦帯橋。 (お借りした)

楽しそうだ。
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三名橋の一つだそう。 ※ 誰が決めたか知らないが。
他の2つは、かずら橋(徳島県)と、猿橋(山梨県)だそう。 ※ 関連ブログ 雪のかずら橋
下から見ると、単純な作りではなさそうだ。

橋の円みは円の一部だと思われていた。 最近、そうでないのでは、という考えが出てきた。
下の写真で、黄緑は円の一部。
私も、橋は円とは違うように思う。
円のふくらみなら、両側は、少し急で、上りにくい感じがする。
では、橋の形は何なのかと言うと、カテナリー曲線(懸垂線)でないかと言われている。(研究者から)
※ カテナリー曲線って、何なのかを調べてみたら、こうだった。
例えば、1㍍程の長さの紐の、両端を手で持つ。
一旦、ピーンと張る。 その後、少し緩める。 そうしたら、曲線になる。
形(曲線)の特徴として、紐の重さのため、真ん中辺りのカーブが大きく(急に)なる。
橋の形は、それを、逆さまにした形。 下の写真を見てると、それでいいように思うかな。
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歩いている人が、消えたり、急に現れたりする。
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この場所は、橋を渡って、すぐ左にあった。
佐々木小次郎は、ここで「つばめ返し」の術を身に付けた、と説明にあった。
場所は他にも説があるが、吉川英治の小説の中では、ここだった。
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橋の下は、遊歩道。 渡った側は、広く一帯が、公園になっている。
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川に波がなく、このように。
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公園に佐々木小次郎の像が。 巌流島で、宮本武蔵に負ける。
関ヶ原の戦いを挟んで、生きている。 そういう時代の人。
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戦国時代、この場所に住んでいた吉川経家という人は、鳥取城の城主に迎えられた。
城は攻められている最中だった。 この人は、城兵全員を助けるのを条件に、切腹した。
子孫は、この岩国で活躍した。 それで、この碑があった。
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いっぱい咲いていた。
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橋を渡って戻っている。
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今日は、逆光で撮った写真が、全体的にきれいに写った。 どうしてか分からない。
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観光客でない人も、歩いている。
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橋は、人が渡るために作ったから、人がいないと、写真がつまらない。

橋脚の部分は石垣で、渡る所は木造。 それがいいのかな。
京都の、鴨川や桂川に架かっていても、似合いそうに感じた。
上り下りの変化があり、歩いて楽しい、評判通りの橋だった。
【停泊場所】 錦帯橋の駐車場。 河川敷にある。
【明日の予定】 宮島です。
【今日の歌】 Diem-Xua(YouTube) 日本名は、美しい昔。
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「長州は、いい塔をもっている」と、司馬遼太郎は言った。
今日は、一日雨だった。 美しい、五重塔だった。
山口を長く治めていたのは、大内氏。
大内文化の最高傑作が、瑠璃光寺五重塔だった。
ここが、瑠璃光寺。 場所はここ。
上の写真の風景を見ながら、五重塔はどこだろうって、さがした。
左に首を振った時だった。 それは見えた。
瞬間、その美しさに、声が出た。
瑠璃光寺五重塔。 国宝。 新緑に包まれていた。
高さ、31.2㍍。 室町時代、嘉吉2年(1442年)頃の建立。
形がいいのか、バランスがいいのか。 何だろうと思った。
右にまわって、低い所から撮影。
新緑の緑が、塔の美しさを引き立たせていた。
日本三名塔の一つだという。 他は、京都の醍醐寺・奈良の法隆寺。
※ 法隆寺の五重塔は、遠くから上の部分を見ると美しいが、近くで見たら普通だった。
醍醐寺のは、見ていない。
500年以上経っている。
複雑に、組み合わされている。
○ 左が、瑠璃光寺五重塔。
二層にのみ回縁(まわりえん)がついている。 それが特徴。 大きくしたら、分かります。
この形に似合っており、塔をすっきり見せている。
○ 真ん中は、羽黒山五重塔。
○ 右の二つは、室生寺五重塔。 色だけでなく、形にも優雅さがある。
瑠璃光寺五重塔は、このように作ったら美しくなるという、塔の見本。
室生寺五重塔の美しさは、別格。 十二単を着た女性が、そこに座っている感じさえする。
この二つの塔は、比べなくていい。 どっちもいい。
若山牧水の歌碑があった。
はつ夏は、今ですね。 初夏のこと。
※ 今年の立夏は、5月5日だった。 八十八夜は、5月2日。
※ 先日スズランを見た。 スズラン香る初夏の候かなって感じた。
古塔の下の字ですが、能の略字で「の」と読むんですね。 調べてやっと分かった。
明治40年6月に来ている。 故郷宮崎に帰る途中に寄ったそう。 21歳。
瑠璃光寺。 山口を代表する観光名所だそう。 この辺り一帯が、香山公園。
大内弘世という人の像。 1300年代の人。
この人の時に、山口は整備された。 ただの小京都でなく、西の京と呼ばれている。
京都に似せて、町をつくった。
一の坂川が鴨川で、その東には、八坂神社もある。
※ ちなみに、鶴姫をいじめた(?)大内義隆は、この人の5代後。
境内を散歩していたら、こんな所に来た。
女の人が、手を、パンパンとたたいていた。 その音は、大きく美しく反響した。
説明があった。 ここは、うぐいす張りの石畳となっていた。
私もやった。
上の方とは、昨日、長門峡でも会っていた。 関西から来ていた。
中原中也を中心に、列車などを使って。
時々、メモを取っていた。 ※ デッサンもしていたのかな。
私もメモはするが、このような人に出会ったのは、ずっとずっと、久しぶり。
上に書いた、一の坂川を歩いた。
この町と、湯田温泉の地図を、上の方に頂いていた。 それを見ながら歩いた。 この辺り。
車で、湯田温泉に移動。 山口市の町外れにある感じ。
どこが温泉街という訳ではなく、温泉旅館が散らばっている。
中原中也記念館。 今日は休館日。
高田公園に行った。 いろんな碑が、集まっている。
足湯。 この町には、いたるところに白狐。 ずっと昔、温泉を見つけてくれたそうだ。
傷を治しているのを、土地の人が見た。 伝説は、みんな似ている。
中原中也の詩碑。
詩人の詩を読むと、多くの物を人に例えている。 何でも生きているように。
山頭火は、昭和13年の11月の終わりに、この町にやってきた。
10か月余り住んだ。 住んだのは、龍泉寺の隣。 4畳半の民家の離れ。 ここです。
山頭火が亡くなるのは、15年の10月。 もう、2年を切っている。
「ほろほろ酔うて この葉ふる」 知られた句だ。
美しい五重塔を見た。
期待して、期待通りということは、そんなになかった。
今日の、瑠璃光寺五重塔は、見た瞬間に感動した。 ※ 「うわ~」って本当に声が出た。
こんなの、久しぶり。
【道の駅】 仁保の郷 ※ 昨日に同じ。
【明日の予定】 特別なければ、岩国の錦帯橋。
【今日の歌】 若葉のささやき(YouTube) こういう時もあった。 どこでくるったのか。
どんな緑も、新緑の緑には、かなわないんでないかな。
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今日は、一日雨だった。 美しい、五重塔だった。
山口を長く治めていたのは、大内氏。
大内文化の最高傑作が、瑠璃光寺五重塔だった。
ここが、瑠璃光寺。 場所はここ。
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上の写真の風景を見ながら、五重塔はどこだろうって、さがした。
左に首を振った時だった。 それは見えた。
瞬間、その美しさに、声が出た。
瑠璃光寺五重塔。 国宝。 新緑に包まれていた。
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高さ、31.2㍍。 室町時代、嘉吉2年(1442年)頃の建立。
形がいいのか、バランスがいいのか。 何だろうと思った。
右にまわって、低い所から撮影。
新緑の緑が、塔の美しさを引き立たせていた。

日本三名塔の一つだという。 他は、京都の醍醐寺・奈良の法隆寺。
※ 法隆寺の五重塔は、遠くから上の部分を見ると美しいが、近くで見たら普通だった。
醍醐寺のは、見ていない。

500年以上経っている。
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複雑に、組み合わされている。
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○ 左が、瑠璃光寺五重塔。
二層にのみ回縁(まわりえん)がついている。 それが特徴。 大きくしたら、分かります。
この形に似合っており、塔をすっきり見せている。
○ 真ん中は、羽黒山五重塔。
○ 右の二つは、室生寺五重塔。 色だけでなく、形にも優雅さがある。

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瑠璃光寺五重塔は、このように作ったら美しくなるという、塔の見本。
室生寺五重塔の美しさは、別格。 十二単を着た女性が、そこに座っている感じさえする。
この二つの塔は、比べなくていい。 どっちもいい。
若山牧水の歌碑があった。

はつ夏は、今ですね。 初夏のこと。
※ 今年の立夏は、5月5日だった。 八十八夜は、5月2日。
※ 先日スズランを見た。 スズラン香る初夏の候かなって感じた。
古塔の下の字ですが、能の略字で「の」と読むんですね。 調べてやっと分かった。
明治40年6月に来ている。 故郷宮崎に帰る途中に寄ったそう。 21歳。
瑠璃光寺。 山口を代表する観光名所だそう。 この辺り一帯が、香山公園。
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大内弘世という人の像。 1300年代の人。
この人の時に、山口は整備された。 ただの小京都でなく、西の京と呼ばれている。
京都に似せて、町をつくった。
一の坂川が鴨川で、その東には、八坂神社もある。
※ ちなみに、鶴姫をいじめた(?)大内義隆は、この人の5代後。

境内を散歩していたら、こんな所に来た。
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女の人が、手を、パンパンとたたいていた。 その音は、大きく美しく反響した。
説明があった。 ここは、うぐいす張りの石畳となっていた。
私もやった。
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上の方とは、昨日、長門峡でも会っていた。 関西から来ていた。
中原中也を中心に、列車などを使って。
時々、メモを取っていた。 ※ デッサンもしていたのかな。
私もメモはするが、このような人に出会ったのは、ずっとずっと、久しぶり。
上に書いた、一の坂川を歩いた。
この町と、湯田温泉の地図を、上の方に頂いていた。 それを見ながら歩いた。 この辺り。

車で、湯田温泉に移動。 山口市の町外れにある感じ。
どこが温泉街という訳ではなく、温泉旅館が散らばっている。

中原中也記念館。 今日は休館日。
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高田公園に行った。 いろんな碑が、集まっている。
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足湯。 この町には、いたるところに白狐。 ずっと昔、温泉を見つけてくれたそうだ。
傷を治しているのを、土地の人が見た。 伝説は、みんな似ている。

中原中也の詩碑。
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詩人の詩を読むと、多くの物を人に例えている。 何でも生きているように。

山頭火は、昭和13年の11月の終わりに、この町にやってきた。
10か月余り住んだ。 住んだのは、龍泉寺の隣。 4畳半の民家の離れ。 ここです。
山頭火が亡くなるのは、15年の10月。 もう、2年を切っている。
「ほろほろ酔うて この葉ふる」 知られた句だ。

美しい五重塔を見た。
期待して、期待通りということは、そんなになかった。
今日の、瑠璃光寺五重塔は、見た瞬間に感動した。 ※ 「うわ~」って本当に声が出た。
こんなの、久しぶり。
【道の駅】 仁保の郷 ※ 昨日に同じ。
【明日の予定】 特別なければ、岩国の錦帯橋。
【今日の歌】 若葉のささやき(YouTube) こういう時もあった。 どこでくるったのか。
どんな緑も、新緑の緑には、かなわないんでないかな。
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広島に向かうはずが、方向が違ってきた。
山口市に、国宝の五重塔があると分かって、そうなってしまった。
途中に、長門峡(ちょうもんきょう)があったので、歩いてみた。
峡谷の終点まで、5.55㌔。 遠かった。
スタートは、道の駅「長門峡」。
ここは、道の駅のすぐ裏。 川底が全部、岩盤。 場所は、ここ。
終点の竜宮淵まで、道はずっと、川の左。
この細い道が、県道だった。 山口県道293号萩長門峡線。
萩から、ここの道の駅までの県道。 最後の5.55㌔が、ここの歩道。
こういうのは全国にも少なく、その一つが、青森の階段国道。 関連ブログ 竜飛岬 階段国道 他
こんな道が、少し続いた。
峡谷の雰囲気になってきた。 左に道が見える。 幅50㌢だけど、県道。
岩が目立つ。
川は、小さな滝の連続になった。
この川は、阿武川の上流で、萩市で海に出る。 家族連れが来ていた。
このような淵(ふち)が、時々ある。 主の魚が、住んでいそう。
向こうから来た。 道が見える。
細い道が続く。 これも、ここの魅力。
ツツジの季節。 楽しませてくれた。
左側は、ずっと崖。 涼しい風が出てくる、風穴もあった。
水の色がいいのかな。 見応えのある峡谷が、ずっと続く。
ツツジの花は、水にも岩にも、似合った。
鈴ヶ茶屋が見えた。 ここまで、4.2㌔。 大分来た。 ここで引き返す人も多い。
向こうから来た。 小さなトンネルを潜った。
峡谷が、険しくなってきた。
紅葉橋が見えてきた。
橋から、下流を撮影。 ここからゴールまで、600㍍。 あと少し。
橋の下。
川に沿って、ず~っと下ってきた。 帰りは、上りになる。
この川では、アユが捕れる。 名物になっている。
年間60万人来ると言う。 結構知られた所。 私は知らなかったが。
上流方向。
着いた。 竜宮淵。 流れも穏やかになった。
この道を上がってきた。 2時間ほどかかった。 こっちにも、駐車場がある。
少し休んで、戻った。
こんな道を。
ゴールまで、あと少しの所に、中原中也の詩碑があった。
この人の詩は読んだことがないが、いい詩のように思うかな。
中原中也は、山口市の近くの湯田温泉で生まれている。
山頭火や金子みすゞと、同じ時代に生きている。 中原中也(Wikipedia)
作品を読んでみたら、難しい。 一つだけ紹介。
~蜻蛉に寄す~
あんまり晴れてる 秋の空
赤い蜻蛉(とんぼ)が 飛んでゐる
淡い夕日を 浴びながら
僕は野原に 立つてゐる
遠くに工場の 煙突が
夕日にかすんで みえてゐる
大きな溜息 一つついて
僕は蹲んで(しやがんで) 石を拾う
その石くれの 冷たさが
漸く手中で ぬくもると
僕は放して 今度は草を
夕日を浴びてる 草を抜く
抜かれた草は 土の上で
ほのかにほのかに 萎えてゆく
遠くに工場の 煙突は
夕日に霞んで みえてゐる
長門峡は、歩かなければ見られない。
少し大変だけど、それがいい。
見応えのある峡谷を、一つ知りました。
【道の駅】 仁保の郷
【明日の予定】 山口市です。
【今日の歌】 サントリー・オールドのCM(YouTube) 田中裕子です。
石川鷹彦の演奏(YouTube) 懐かしい歌のアレンジをしていた。
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山口市に、国宝の五重塔があると分かって、そうなってしまった。
途中に、長門峡(ちょうもんきょう)があったので、歩いてみた。
峡谷の終点まで、5.55㌔。 遠かった。
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スタートは、道の駅「長門峡」。
ここは、道の駅のすぐ裏。 川底が全部、岩盤。 場所は、ここ。
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終点の竜宮淵まで、道はずっと、川の左。
この細い道が、県道だった。 山口県道293号萩長門峡線。
萩から、ここの道の駅までの県道。 最後の5.55㌔が、ここの歩道。
こういうのは全国にも少なく、その一つが、青森の階段国道。 関連ブログ 竜飛岬 階段国道 他
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こんな道が、少し続いた。
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峡谷の雰囲気になってきた。 左に道が見える。 幅50㌢だけど、県道。
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岩が目立つ。
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川は、小さな滝の連続になった。
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この川は、阿武川の上流で、萩市で海に出る。 家族連れが来ていた。
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このような淵(ふち)が、時々ある。 主の魚が、住んでいそう。
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向こうから来た。 道が見える。
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細い道が続く。 これも、ここの魅力。
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ツツジの季節。 楽しませてくれた。
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左側は、ずっと崖。 涼しい風が出てくる、風穴もあった。
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水の色がいいのかな。 見応えのある峡谷が、ずっと続く。
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ツツジの花は、水にも岩にも、似合った。
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鈴ヶ茶屋が見えた。 ここまで、4.2㌔。 大分来た。 ここで引き返す人も多い。
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向こうから来た。 小さなトンネルを潜った。
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峡谷が、険しくなってきた。
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紅葉橋が見えてきた。
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橋から、下流を撮影。 ここからゴールまで、600㍍。 あと少し。
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橋の下。
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川に沿って、ず~っと下ってきた。 帰りは、上りになる。
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この川では、アユが捕れる。 名物になっている。
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年間60万人来ると言う。 結構知られた所。 私は知らなかったが。
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上流方向。
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着いた。 竜宮淵。 流れも穏やかになった。
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この道を上がってきた。 2時間ほどかかった。 こっちにも、駐車場がある。
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少し休んで、戻った。
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こんな道を。
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ゴールまで、あと少しの所に、中原中也の詩碑があった。
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この人の詩は読んだことがないが、いい詩のように思うかな。
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中原中也は、山口市の近くの湯田温泉で生まれている。
山頭火や金子みすゞと、同じ時代に生きている。 中原中也(Wikipedia)
作品を読んでみたら、難しい。 一つだけ紹介。
~蜻蛉に寄す~
あんまり晴れてる 秋の空
赤い蜻蛉(とんぼ)が 飛んでゐる
淡い夕日を 浴びながら
僕は野原に 立つてゐる
遠くに工場の 煙突が
夕日にかすんで みえてゐる
大きな溜息 一つついて
僕は蹲んで(しやがんで) 石を拾う
その石くれの 冷たさが
漸く手中で ぬくもると
僕は放して 今度は草を
夕日を浴びてる 草を抜く
抜かれた草は 土の上で
ほのかにほのかに 萎えてゆく
遠くに工場の 煙突は
夕日に霞んで みえてゐる
長門峡は、歩かなければ見られない。
少し大変だけど、それがいい。
見応えのある峡谷を、一つ知りました。
【道の駅】 仁保の郷
【明日の予定】 山口市です。
【今日の歌】 サントリー・オールドのCM(YouTube) 田中裕子です。
石川鷹彦の演奏(YouTube) 懐かしい歌のアレンジをしていた。
【ブログランキング】 国内旅行3位、旅行全体で9位です。
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静御前の墓所と言われる所が、あった。
伝説によるものだが、ほんの少しでも、可能性があるのか。
それが知りたい。
平栃の滝には、滝が5つあった。
このように、滝をいくつかまとめて、名前を付けるときがある。
※ 津軽の暗門の滝が、そうだった。
道の駅は、今日もお祭り。 神楽を踊っていた。
石見神楽とあった。 軽快に踊るのが特徴のよう。 石見神楽(Wikipedia)
大きくはないが、滝があるので見ることに。 どこも人でいっぱいなので、山に入った。
滝も楽しみだが、歩くだけでもいい。 メインの、大魚切りの滝をめざした。 ※おおうおぎり、と読む。
後で気づいたが、この写真に、ヘビの尻尾が写っていた。 歩きだして直ぐ。 ○の中。
拡大したら、こう。 立てに見える。
3歩あるいて発見。 びっくりして、1歩後退。 シマヘビ。 おとなしい。
200㍍ほどで着いた。 高さ、22㍍。 シャッターを、0.6秒開けて撮った。
滝の美しさは、周りの風景とのセットで決まる。 そう思う。
滝の下の空気は違う。 マイナスイオン。
ある家族が来ていた。 滝を見ると言うより、何かを探しているのかな。
次の滝に向かったら、トカゲがいた。 頭の左を怪我していた。
トカゲは、怪我を災難と考えているかもしれない。
でも、助かって良かったと前向きに考え、今を生きていたら、試練だったことになる。
こんな道を。 左手に滝がある。
水飲み滝。 支流にある、小さな滝。
今日は、あるものを準備していた。 熊の撃退スプレー。 昨日、熊の看板を見ていたので。
次の滝が見えた。
私には見たい滝があるが、まだ見ていない。
それは、裏見の滝。 恨みの滝ではない。 滝を、滝の内側から見るやつ。 どこにあるんだろう。
いろは滝。 折れ曲がっている。
滝を見る前に、看板が目に入った。
着いたそうそう、帰れと言うのか、と言いたくなる。
でも、それは細かいこと。
こういうのって、いいですね。 字だ上手かどうかなんて、どうでもいくなる。
どんな人達が、この滝の世話をしているのでしょう。
柿木村の人達の、こころに、出会った。
これが、源兵衛滝。
昔、平家に坂田源兵衛という人がいた。 戦いに負けて、母親と一緒に、この滝のさらに上に逃げてきた。
こんな話が、この地域に伝わっている。
大魚切りの滝の上から撮影。 先ほど会った、家族が見える。
少し前まで、滝の下で、お弁当を食べていた。
この家族の親は、子供たちを観光地やお祭りではなく、自然豊かな、ここに連れてきた。
苔が光っていたので。
駐車場に戻って、先ほどの家族と少しお話し。
静御前の墓に向かった。
※ 道の駅「願成就温泉」の近く。
この道の駅は、柿木村の南の近くと思っていたら、違った。
津和野に近い、山口県だった。 戻った。
山に突き当たって、左に少し行く。
静御前は、こんな人ですね。
途中の「ちがいない」は、いらないですね。 閉じたで、切る。
最後も、こういうことを書きたかったら、「言える」で終わればいい。
自分の想いを強く出すと、説明板は、おかしくなる。
少し行った右側に。 ちょっと見える。
ここ。 林の中に石垣があり、昔建物があったことが分かる。 ここです。
右が静御前。 真ん中は子供。 左は、母親(磯禅師)。
どれも、宝篋印塔。 ※ 石塔の一種で、中に何かを入れることが出来る。
この地に、昔、小さなお寺があったという。 ※ 庵寺(あんじ) 笊笥庵(そうけあん、と読み、竹で作ったのかな)
信ぴょう性については、後で。
リンゴの花。 間違いないと思う。
つぼみに囲まれて、花が少し。 これからという感じがする。
風景を切りながら、通り過ぎた。 むこうは、山口。
道の駅 願成就温泉。 場所は、ここ。
こんなのが。 顔に表情がない。
静御前の像があった。
こんな表情です。 どうでしょう。 静御前の心の中が、表現できているかどうかですね。
遠く、平泉を見ている。
説明は、こうです。
静御前の伝説は、どこにでもある。
何があって、静御前の墓としたのか、それが知りたい所です。
図書館に行かないと、分からないかと思っていたら、載ってるサイトが一つだけあった。(私のお気に入り、というサイト)
まとめると。
① 静御前の墓について、奥阿武郡宰判風土注進案という資料に載っている。
※ これは、天保14年(1843年) (12代将軍・徳川家慶の時代)に書かれている。
土地(田畑・溜池・水路など)の調査を行った村史編纂資料として貴重な文献。
山口県文書館に保管されている。
その中に、そうけ(笊笥)庵の名前がでてくる。
※ 静御前の名前が出てくるのかは、分からない。 出てこないよう。
② 片山集落には、昔ここに、そうけ(笊笥)庵があって、静御前が住んでいた。
そして、宝篋印塔が墓であると、いい伝えられてきた。
何が分かったかと言うと。
①では、そうけ(笊笥)庵が、昔からあったということ。
②では、伝説があること。
合わせたら、伝説の中の建物は、昔、実際にあった。
であれば、その建物にまつわる、静御前の話も、きっとあった。
そういう流れだった。
静御前の晩年は、ほとんど分からない。
言えるのは、ここの可能性が、ゼロではないということでしょうか。
この地に可能性があると考えるのは、まだ、ここの人達だけ。
小野小町が、秋田県の雄勝である可能性に比べたら、ずっと低い可能性。
昔の人は、住む土地に、素敵な伝説が欲しかった。
そんなとこでしょうか。
十分ではありませんが、ここまでです。
※ 追記 静御前の表情は、どれがいいのか、むずかしい。
ネットに、こんなのがあったので、お借りして、載せます。
いいのはない。 (1)に少し表情がある。 それだけ。
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【道の駅】 願成就温泉
【明日の予定】 山口に向かうか。 決断力と時間がないので、迷う。
【今日の歌】 悲恋の歌にします。 静御前は、北海道に渡ったかもしれない。 だから、この歌。
立待岬(YouTube) 関連ブログは、ここに。
【ブログランキング】 国内旅行2位、旅行全体で7位です。
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伝説によるものだが、ほんの少しでも、可能性があるのか。
それが知りたい。
平栃の滝には、滝が5つあった。
このように、滝をいくつかまとめて、名前を付けるときがある。
※ 津軽の暗門の滝が、そうだった。
道の駅は、今日もお祭り。 神楽を踊っていた。

石見神楽とあった。 軽快に踊るのが特徴のよう。 石見神楽(Wikipedia)
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大きくはないが、滝があるので見ることに。 どこも人でいっぱいなので、山に入った。
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滝も楽しみだが、歩くだけでもいい。 メインの、大魚切りの滝をめざした。 ※おおうおぎり、と読む。
後で気づいたが、この写真に、ヘビの尻尾が写っていた。 歩きだして直ぐ。 ○の中。

拡大したら、こう。 立てに見える。
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3歩あるいて発見。 びっくりして、1歩後退。 シマヘビ。 おとなしい。

200㍍ほどで着いた。 高さ、22㍍。 シャッターを、0.6秒開けて撮った。

滝の美しさは、周りの風景とのセットで決まる。 そう思う。

滝の下の空気は違う。 マイナスイオン。
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ある家族が来ていた。 滝を見ると言うより、何かを探しているのかな。

次の滝に向かったら、トカゲがいた。 頭の左を怪我していた。
トカゲは、怪我を災難と考えているかもしれない。
でも、助かって良かったと前向きに考え、今を生きていたら、試練だったことになる。

こんな道を。 左手に滝がある。
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水飲み滝。 支流にある、小さな滝。
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今日は、あるものを準備していた。 熊の撃退スプレー。 昨日、熊の看板を見ていたので。
次の滝が見えた。

私には見たい滝があるが、まだ見ていない。
それは、裏見の滝。 恨みの滝ではない。 滝を、滝の内側から見るやつ。 どこにあるんだろう。
いろは滝。 折れ曲がっている。

滝を見る前に、看板が目に入った。
着いたそうそう、帰れと言うのか、と言いたくなる。
でも、それは細かいこと。
こういうのって、いいですね。 字だ上手かどうかなんて、どうでもいくなる。
どんな人達が、この滝の世話をしているのでしょう。
柿木村の人達の、こころに、出会った。
これが、源兵衛滝。
昔、平家に坂田源兵衛という人がいた。 戦いに負けて、母親と一緒に、この滝のさらに上に逃げてきた。
こんな話が、この地域に伝わっている。

大魚切りの滝の上から撮影。 先ほど会った、家族が見える。
少し前まで、滝の下で、お弁当を食べていた。
この家族の親は、子供たちを観光地やお祭りではなく、自然豊かな、ここに連れてきた。
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苔が光っていたので。
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駐車場に戻って、先ほどの家族と少しお話し。
静御前の墓に向かった。
※ 道の駅「願成就温泉」の近く。
この道の駅は、柿木村の南の近くと思っていたら、違った。
津和野に近い、山口県だった。 戻った。
山に突き当たって、左に少し行く。

静御前は、こんな人ですね。
途中の「ちがいない」は、いらないですね。 閉じたで、切る。
最後も、こういうことを書きたかったら、「言える」で終わればいい。
自分の想いを強く出すと、説明板は、おかしくなる。

少し行った右側に。 ちょっと見える。

ここ。 林の中に石垣があり、昔建物があったことが分かる。 ここです。

右が静御前。 真ん中は子供。 左は、母親(磯禅師)。
どれも、宝篋印塔。 ※ 石塔の一種で、中に何かを入れることが出来る。

この地に、昔、小さなお寺があったという。 ※ 庵寺(あんじ) 笊笥庵(そうけあん、と読み、竹で作ったのかな)
信ぴょう性については、後で。
リンゴの花。 間違いないと思う。

つぼみに囲まれて、花が少し。 これからという感じがする。

風景を切りながら、通り過ぎた。 むこうは、山口。

道の駅 願成就温泉。 場所は、ここ。

こんなのが。 顔に表情がない。
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静御前の像があった。

こんな表情です。 どうでしょう。 静御前の心の中が、表現できているかどうかですね。
遠く、平泉を見ている。

説明は、こうです。

静御前の伝説は、どこにでもある。
何があって、静御前の墓としたのか、それが知りたい所です。
図書館に行かないと、分からないかと思っていたら、載ってるサイトが一つだけあった。(私のお気に入り、というサイト)
まとめると。
① 静御前の墓について、奥阿武郡宰判風土注進案という資料に載っている。
※ これは、天保14年(1843年) (12代将軍・徳川家慶の時代)に書かれている。
土地(田畑・溜池・水路など)の調査を行った村史編纂資料として貴重な文献。
山口県文書館に保管されている。
その中に、そうけ(笊笥)庵の名前がでてくる。
※ 静御前の名前が出てくるのかは、分からない。 出てこないよう。
② 片山集落には、昔ここに、そうけ(笊笥)庵があって、静御前が住んでいた。
そして、宝篋印塔が墓であると、いい伝えられてきた。
何が分かったかと言うと。
①では、そうけ(笊笥)庵が、昔からあったということ。
②では、伝説があること。
合わせたら、伝説の中の建物は、昔、実際にあった。
であれば、その建物にまつわる、静御前の話も、きっとあった。
そういう流れだった。
静御前の晩年は、ほとんど分からない。
言えるのは、ここの可能性が、ゼロではないということでしょうか。
この地に可能性があると考えるのは、まだ、ここの人達だけ。
小野小町が、秋田県の雄勝である可能性に比べたら、ずっと低い可能性。
昔の人は、住む土地に、素敵な伝説が欲しかった。
そんなとこでしょうか。
十分ではありませんが、ここまでです。
※ 追記 静御前の表情は、どれがいいのか、むずかしい。
ネットに、こんなのがあったので、お借りして、載せます。
いいのはない。 (1)に少し表情がある。 それだけ。
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



【道の駅】 願成就温泉
【明日の予定】 山口に向かうか。 決断力と時間がないので、迷う。
【今日の歌】 悲恋の歌にします。 静御前は、北海道に渡ったかもしれない。 だから、この歌。
立待岬(YouTube) 関連ブログは、ここに。
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柿木村は、かきのきむら、と読む。
その名前に惹かれて、行ってみた。 いい所だった。
※ インバーターは、津和野のホームセンターに売っていた。
十分ではないが、それで数日は何とかなると思って、柿木村に行った。
柿木村は、2005年に六日市町と合併して、吉賀町になった。
合併したら、普通は、吉賀町柿木になる。 村は、付かない。
でも、吉賀町柿木村になった。 つまり、柿木村の地名を残した。
何もなくていいと思っていたんだが、棚田があった。
大井谷の棚田。 場所はここ。
柿木村には、山盛りのご飯を食べる伝統行事、「萬歳楽」があった。(下須地区が中心のよう。ここのすぐ隣)
テレビで見たことがあると思う。 こんなご飯を食べる。
石垣が、がっしりしている。 斜面が急だ。
「うるさいんだよ~」って言いたいくらい、カエルが鳴いている。
アマガエルでいいのか、これも鳴いてた。
口の下を膨らましていた。 これだも、大きく鳴ける。
今、水を入れている最中。
こういうとこでの、仕事になる。 草が枯れているが、どうしてだろう。
こんな道を登ってきた。 籠が気に入った。
イノシシを捕る檻(おり)と思う。 エサは、さつま芋だった。
※ なお、この村に来る途中、ツキノワグマ生息地の標示があった。
棚田はいい。 天気がいいから、気分もいい。
10人くらい、カメラを持った人が、この棚田に入っていた。
ある人が、ヘビを見たと言った。
それを聞いてから、棚田を見ているのか、ヘビを探しているのか、分からなくなった。
どこも南斜面だから、温かい。 夜は寒くなるので、美味しいコメが獲れる。
何の花だろう。 果物のように思うんだが。
変わったものが、あった。 名前は「助(たすけ)はんどう」。 石の水甕(がめ)
昔は、ここが水源地だった。
間もなく、田植え。
棚田での稲作は、効率が悪い。 昔より、棚田は減った。
ここの棚田は、600年前の戦国の頃、開かれた。
いましたよ。 ヘビさんです。 ※ 写真はたくさん撮ったが、これがめんこい。
ワラビの季節もやってきた。
ツバメ。 やっと撮影。 素早い鳥だ。 手のひらを返すように、方向転換する。
畑の中や石垣に、大きな岩が、時々ある。 ここの棚田をつくるのは、大変だったと分かる。
駐車場前の説明板。 戻ってきた。
今日は、暑くて暑くて大変。 夏も近づく八十八夜の次の日は、夏だった。
道の駅に戻ってきた。
そばに、福川川が流れていた。 ※ 川が、二つ。 不思議な名前。
日本海の益田市に流れる、高津川の支流。
河川敷の畑。 いい風景。
柿木村を歩いた。 中心街を探しに。
向こうから歩いてきた。 道の駅は右に。 今日は、お祭り。
橋の手前に、こんなのがあった。 哀しい歴史か。
津和野藩の殿様は、ここを通って、江戸に行ったんですね。
橋の右側上流に、小さな市街地があった。 真っ直ぐ行ったら、柿木温泉がある。
橋を渡った所で、上流を撮影。
先に温泉に入った。 柿木温泉「はとの湯荘」で。 鉄分を含んだ赤い温泉だった。 温まる。 珍しい。
居酒屋風の食堂があった。 感じがいい。 素通り出来なかった。 ヘビさんに乾杯だって、入った。
お店の人とお話しした。(鹿児島出身の女性の方。 九州の人はいい)
注文したのは、牛のタタキと枝豆。 ビール2杯と、焼酎のお湯割り。
黒霧島をいつものように飲んだが、こういう時は、地酒を飲むもんだと、少し反省。
1日の疲れが、ぜ~んぶ飛んで行った。 最近、生きがいは、こういう時に感じる。
こんな道を、ほろ酔い気分で。
市街地の方に行った。
お店がないかと心配したが、あった。 人もいた。
昔はここに、中学校があった。 今はきっと、スクールバスだ。
私の旅は、観光地に行くことも多い。
でも、本当にしたかった旅は、今日のような旅だ。
何かに出会って、その町の雰囲気を感じて、誰かと話して、それで十分。
【道の駅】 かきのきむら ここです。
【明日の予定】 この町をもう少し見て、隣の道の駅、願成就温泉へ。
そこは、静御前の墓があるとか言うので。
ただの伝説と分かっていても、行きたくなる。
※ 静御前は、姫川で出てきた。 北海道の渡島半島です。
義経の子を産んだが、男の子だったので、頼朝に殺された。
【今日の歌】 DANCE~男たちによろしく~(YouTube) 最近聞きました。 森山良子。
CALENDAR(YouTube) 庄司眞理子です。 久しぶりです。
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その名前に惹かれて、行ってみた。 いい所だった。
※ インバーターは、津和野のホームセンターに売っていた。
十分ではないが、それで数日は何とかなると思って、柿木村に行った。
柿木村は、2005年に六日市町と合併して、吉賀町になった。
合併したら、普通は、吉賀町柿木になる。 村は、付かない。
でも、吉賀町柿木村になった。 つまり、柿木村の地名を残した。
何もなくていいと思っていたんだが、棚田があった。
大井谷の棚田。 場所はここ。

柿木村には、山盛りのご飯を食べる伝統行事、「萬歳楽」があった。(下須地区が中心のよう。ここのすぐ隣)
テレビで見たことがあると思う。 こんなご飯を食べる。

石垣が、がっしりしている。 斜面が急だ。

「うるさいんだよ~」って言いたいくらい、カエルが鳴いている。
アマガエルでいいのか、これも鳴いてた。
口の下を膨らましていた。 これだも、大きく鳴ける。

今、水を入れている最中。
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こういうとこでの、仕事になる。 草が枯れているが、どうしてだろう。

こんな道を登ってきた。 籠が気に入った。
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イノシシを捕る檻(おり)と思う。 エサは、さつま芋だった。
※ なお、この村に来る途中、ツキノワグマ生息地の標示があった。

棚田はいい。 天気がいいから、気分もいい。
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10人くらい、カメラを持った人が、この棚田に入っていた。
ある人が、ヘビを見たと言った。
それを聞いてから、棚田を見ているのか、ヘビを探しているのか、分からなくなった。

どこも南斜面だから、温かい。 夜は寒くなるので、美味しいコメが獲れる。
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何の花だろう。 果物のように思うんだが。

変わったものが、あった。 名前は「助(たすけ)はんどう」。 石の水甕(がめ)
昔は、ここが水源地だった。

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間もなく、田植え。
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棚田での稲作は、効率が悪い。 昔より、棚田は減った。
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ここの棚田は、600年前の戦国の頃、開かれた。

いましたよ。 ヘビさんです。 ※ 写真はたくさん撮ったが、これがめんこい。

ワラビの季節もやってきた。

ツバメ。 やっと撮影。 素早い鳥だ。 手のひらを返すように、方向転換する。

畑の中や石垣に、大きな岩が、時々ある。 ここの棚田をつくるのは、大変だったと分かる。

駐車場前の説明板。 戻ってきた。
今日は、暑くて暑くて大変。 夏も近づく八十八夜の次の日は、夏だった。

道の駅に戻ってきた。
そばに、福川川が流れていた。 ※ 川が、二つ。 不思議な名前。
日本海の益田市に流れる、高津川の支流。
河川敷の畑。 いい風景。

柿木村を歩いた。 中心街を探しに。
向こうから歩いてきた。 道の駅は右に。 今日は、お祭り。

橋の手前に、こんなのがあった。 哀しい歴史か。
津和野藩の殿様は、ここを通って、江戸に行ったんですね。

橋の右側上流に、小さな市街地があった。 真っ直ぐ行ったら、柿木温泉がある。

橋を渡った所で、上流を撮影。

先に温泉に入った。 柿木温泉「はとの湯荘」で。 鉄分を含んだ赤い温泉だった。 温まる。 珍しい。
居酒屋風の食堂があった。 感じがいい。 素通り出来なかった。 ヘビさんに乾杯だって、入った。

お店の人とお話しした。(鹿児島出身の女性の方。 九州の人はいい)
注文したのは、牛のタタキと枝豆。 ビール2杯と、焼酎のお湯割り。
黒霧島をいつものように飲んだが、こういう時は、地酒を飲むもんだと、少し反省。
1日の疲れが、ぜ~んぶ飛んで行った。 最近、生きがいは、こういう時に感じる。

こんな道を、ほろ酔い気分で。

市街地の方に行った。
お店がないかと心配したが、あった。 人もいた。

昔はここに、中学校があった。 今はきっと、スクールバスだ。

私の旅は、観光地に行くことも多い。
でも、本当にしたかった旅は、今日のような旅だ。
何かに出会って、その町の雰囲気を感じて、誰かと話して、それで十分。
【道の駅】 かきのきむら ここです。
【明日の予定】 この町をもう少し見て、隣の道の駅、願成就温泉へ。
そこは、静御前の墓があるとか言うので。
ただの伝説と分かっていても、行きたくなる。
※ 静御前は、姫川で出てきた。 北海道の渡島半島です。
義経の子を産んだが、男の子だったので、頼朝に殺された。
【今日の歌】 DANCE~男たちによろしく~(YouTube) 最近聞きました。 森山良子。
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津和野は、山口県から島根県に、少し入ったらあった。
山陰の小京都と呼ばれ、狭い山の谷間にある城下町だった。
今日は、歩き疲れるまで、歩いた。
道の駅も車であふれている。
津和野市街地には、歩いて行くことにした。 県道13。 駅まで、2.5㌔程。
道は、旧道の雰囲気になった。 下の写真は、この辺り。
西周(にしあまね)の旧居があった。 この人は、明治時代の啓蒙思想家だそう。
科学、哲学、心理学などの言葉を生み出した。 西周(Wikipedia)
橋の向こうが、賑やかだった。 この橋は、ここ。 橋の向こうは、昔の町並み。
長福千原座神楽社中とある。
調べたら、長福は地名。 千原座は名前。 社中は、仲間。
つまり、長福千原座神楽社中は、劇団の名前のようなものだった。
踊っていたのは、男の子のようだった。 神楽は、大野町で見た。
水路のような掘割に、どこにでも、鯉がいた。
この町のお祭りの宣伝に、「鯉に恋して、みんな来い」のような文があった。
この町の鯉は大きい。 どの鯉も、50㌢以上ありそう。
津和野カトリック教会の建物。 古い町並みを歩きだしたら、直ぐに見えたので入った。
中を撮影できた。 ステンドグラスが、きれいだ。
説明板を読んでたりしたら、殉教の歴史があることが分かった。
江戸時代の終わりに、3500人のキリシタンが長崎で見つかったという。
大浦天主堂だ。 ※ このブログに、大浦天主堂が。
そのうちの153人が、この町に連れてきた。 改心させるために。
この後行く乙女峠に、昔、光琳寺があった。 そこで預かった。 改心させるために、拷問した。 36人が死んだ。
このような白壁の町並みが、津和野の特徴。 メインストリートには、電信柱はない。
ここは重要伝統的建造物群保存地区ではない。 それが、不思議。
白壁の他に、こういう道もある。 萩のように、延々と昔の道があるわけではない。
途中、武家屋敷の建物があった。 そこは、役場の支所になっていた。
ところで、津和野という地名は、濁りのない、落ち着いた名前だ。
決して、出しゃばらず、派手でなく、騒がない、そんなイメージだ。
この地名は、「つわぶきの野」から来ているという。
歩いているうちに、津和野席駅に着いた。 ここは、SLやまぐち号の終着駅。
乙女峠に向かった。 遠くはない。
この町では、源氏巻という和菓子が、どこにでも売っている。 ここのお店は、実演販売。
1回分のあんこの量は、手で採って秤ではかる。 何回やっても、同じ重さ。
ただ、秤の目盛りが、客には見えない。 だから私は、100%信用していない。
目盛りが見えたら、拍手するのに。
どうして疑うかというと、私なら、ズルするから。 きっと。
乙女峠に今は寺はなく、マリア聖堂があった。
※ 明日は、1年に1回の、乙女峠まつりだ。 野外ミサがあると言う。
中は、こう。 絵が見える。
こんな絵だ。 拷問。 寒そうだ。 右の方に、檻が見える。
トカゲの喧嘩。 マリア聖堂の前で。 神様が見てるというのに。
森鴎外の墓があるというので、行ってみた。 こんな、緑豊かな道もいい。
森林太郎は、鴎外の本名。 明治の文豪。 森鴎外(Wikipedia)
インバーターが壊れました。 100ボルトが使えません。
バッテリーがないので、途中で終わるかも知れない。 急ぎます。
SLやまぐち号。 土日や夏休みに。
神社に向かっている。
太鼓谷稲成神社。 日本5大稲荷と、言っていた。 ※ ここは、稲荷が稲成。
拝殿は後ろに。
川の上流。 向こうから歩いてきた。
津和野の町。 駅は、左の山のかげに。 町は、狭い谷にある。
西周の家。
城跡から。
こんな花。
この道を通って戻った。
※ ここの記事は、後で追記します。 バッテリーが無くなってきた。
一番古いパソコンで書いた。 他の二つは、バッテリー無し。
津和野は、名前の雰囲気と違って、賑やかだった。
追記 駐車料金が高いですね。
スタンドの人が、年々客が減っていると、言っていた。
まず、来てもらうことが大事なんですね。
駐車場が広く、安く、分かりやすく。
萩に比べたら、商魂のたくましさが、先走りしている。
乙女峠のマリア聖堂への道を、清掃している人がいた。
そういう人がいることを、みんな知っているのかな。
街の魅力を、津和野という言葉の響きがもつ雰囲気に、近づける必要があるでしょうか。
津和野には、魅力がいっぱいあるから、何とでもなりそう。
【道の駅】 津和野温泉なごみの里
【明日の予定】 インバーターを探します。 時間があれば、どこかを。 忙しくなってきた。
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山陰の小京都と呼ばれ、狭い山の谷間にある城下町だった。
今日は、歩き疲れるまで、歩いた。
道の駅も車であふれている。
津和野市街地には、歩いて行くことにした。 県道13。 駅まで、2.5㌔程。

道は、旧道の雰囲気になった。 下の写真は、この辺り。

西周(にしあまね)の旧居があった。 この人は、明治時代の啓蒙思想家だそう。
科学、哲学、心理学などの言葉を生み出した。 西周(Wikipedia)

橋の向こうが、賑やかだった。 この橋は、ここ。 橋の向こうは、昔の町並み。

長福千原座神楽社中とある。
調べたら、長福は地名。 千原座は名前。 社中は、仲間。
つまり、長福千原座神楽社中は、劇団の名前のようなものだった。
踊っていたのは、男の子のようだった。 神楽は、大野町で見た。

水路のような掘割に、どこにでも、鯉がいた。
この町のお祭りの宣伝に、「鯉に恋して、みんな来い」のような文があった。
この町の鯉は大きい。 どの鯉も、50㌢以上ありそう。
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津和野カトリック教会の建物。 古い町並みを歩きだしたら、直ぐに見えたので入った。
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中を撮影できた。 ステンドグラスが、きれいだ。
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説明板を読んでたりしたら、殉教の歴史があることが分かった。
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江戸時代の終わりに、3500人のキリシタンが長崎で見つかったという。
大浦天主堂だ。 ※ このブログに、大浦天主堂が。
そのうちの153人が、この町に連れてきた。 改心させるために。
この後行く乙女峠に、昔、光琳寺があった。 そこで預かった。 改心させるために、拷問した。 36人が死んだ。
このような白壁の町並みが、津和野の特徴。 メインストリートには、電信柱はない。
ここは重要伝統的建造物群保存地区ではない。 それが、不思議。
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白壁の他に、こういう道もある。 萩のように、延々と昔の道があるわけではない。
途中、武家屋敷の建物があった。 そこは、役場の支所になっていた。
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ところで、津和野という地名は、濁りのない、落ち着いた名前だ。
決して、出しゃばらず、派手でなく、騒がない、そんなイメージだ。
この地名は、「つわぶきの野」から来ているという。
歩いているうちに、津和野席駅に着いた。 ここは、SLやまぐち号の終着駅。
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乙女峠に向かった。 遠くはない。
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この町では、源氏巻という和菓子が、どこにでも売っている。 ここのお店は、実演販売。
1回分のあんこの量は、手で採って秤ではかる。 何回やっても、同じ重さ。
ただ、秤の目盛りが、客には見えない。 だから私は、100%信用していない。
目盛りが見えたら、拍手するのに。
どうして疑うかというと、私なら、ズルするから。 きっと。
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乙女峠に今は寺はなく、マリア聖堂があった。
※ 明日は、1年に1回の、乙女峠まつりだ。 野外ミサがあると言う。
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中は、こう。 絵が見える。
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こんな絵だ。 拷問。 寒そうだ。 右の方に、檻が見える。
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トカゲの喧嘩。 マリア聖堂の前で。 神様が見てるというのに。
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森鴎外の墓があるというので、行ってみた。 こんな、緑豊かな道もいい。
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森林太郎は、鴎外の本名。 明治の文豪。 森鴎外(Wikipedia)
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インバーターが壊れました。 100ボルトが使えません。
バッテリーがないので、途中で終わるかも知れない。 急ぎます。
SLやまぐち号。 土日や夏休みに。
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神社に向かっている。
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太鼓谷稲成神社。 日本5大稲荷と、言っていた。 ※ ここは、稲荷が稲成。
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拝殿は後ろに。
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川の上流。 向こうから歩いてきた。
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津和野の町。 駅は、左の山のかげに。 町は、狭い谷にある。
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西周の家。
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城跡から。
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こんな花。
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この道を通って戻った。
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※ ここの記事は、後で追記します。 バッテリーが無くなってきた。
一番古いパソコンで書いた。 他の二つは、バッテリー無し。
津和野は、名前の雰囲気と違って、賑やかだった。
追記 駐車料金が高いですね。
スタンドの人が、年々客が減っていると、言っていた。
まず、来てもらうことが大事なんですね。
駐車場が広く、安く、分かりやすく。
萩に比べたら、商魂のたくましさが、先走りしている。
乙女峠のマリア聖堂への道を、清掃している人がいた。
そういう人がいることを、みんな知っているのかな。
街の魅力を、津和野という言葉の響きがもつ雰囲気に、近づける必要があるでしょうか。
津和野には、魅力がいっぱいあるから、何とでもなりそう。
【道の駅】 津和野温泉なごみの里
【明日の予定】 インバーターを探します。 時間があれば、どこかを。 忙しくなってきた。
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萩のまちは、二つの顔を持っていた。
一つは、昔の家並みが広く残っていること。
もう一つは、江戸時代の終わり、このまちの松下村塾が、日本を動かしていたこと。
また、萩市は、この街を訪れる人に、とても優しいまちだった。
駐車場は、市が管理しており、1回300円。 何カ所かある。 これがいい。
※ 昨日、仙崎で、海岸を見る時、駐車料金400円を取られた。 個人の駐車場。 驚いた。
九州では、ほんわりした気持ちで過ごしていた。
これからは、したたかにならなければと、反省していた。
古い町並みの入り口は、ここ。 道は、四方に。
※ 地図は、ここに。 萩城跡にかけて全体が、昔の町並み。 右の方に、松陰神社が見える。
高杉晋作誕生地とあった。
この人のことは、Wikipediaでは、こう書いている。
幕末の長州藩の尊王倒幕志士として活躍。 奇兵隊など諸隊を創設し、幕末長州藩を倒幕に方向付けた。
倒幕(大政奉還)は、1867年11月。
でも、その前の5月に、27歳で亡くなった。 結核。
いい雰囲気の所を、さがしながら歩いている。
石垣、白壁、垣根、通りは色んな顔を見せた。
この辺は、武家屋敷かなって感じる。 城跡に向かっている。
今日は、天気がいい。
この川を過ぎたら、城跡に入って行く。 城は、海と川に、囲まれていた。
茶室があった。 大きな茶会があるのか、この辺り一帯で、準備していた。
こういう所や、ツツジが咲いてる池もあった。 指月公園。(萩城は指月城とも呼ばれたので)
神社も。
城跡。 明治に入っての廃城令により、破壊された。
萩市は、天守閣を復元したい。 でも、すごい予算がいるそうだ。
別の道を歩いて戻っている。
長屋門が、左に見えた。
長屋門の中を初めて見た。
旧安田家の物見矢倉。 萩藩の家老。 禁門の変の責任をとって、切腹させられたとあった。
※ 禁門の変は、蛤御門(はまぐりごもん)の変とも呼ばれる。
倒幕の3年前の1864年、京都の御所の辺りで、長州藩士の一部が戦っている。 負けた。
蛤御門は、京都御所にある門。 去年の秋、御所の中を歩いた。
道が、真っ直ぐでない。
昔の町並みの中心辺りに、戻ってきた。 右に夏ミカンが。 このように、どこにでもなってた。
梅でいいのかな。 こんなに大きい。
木戸孝允旧宅に入った。 こういう人。
桂小五郎(かつら こごろう)として知られていた、尊王攘夷派の中心人物。
薩摩の西郷隆盛、大久保利通とともに「維新の三傑」として並び称せられる。(Wikipedia)
妻の錦絵とあった。 ※ 複写
部屋の中。 この人の生きた時代は、仲間であっても、権力闘争がはげしかったから、大変だったようだ。
明治に入って、庶民の暮らしは、どのくらい変わったのでしょうね。
農民は、小作というのがあったから、直ぐには楽にならなかった。
良くなるのは、農地解放の後なのか。
神社と寺が、一緒にあった。 伊藤博文と高杉晋作が、子供の頃ここで学んだと。
格子戸も、いいものです。
車で移動した。 松下村塾に向かった。
駐車場は混んでて、入れなかった。 ヤマダ電機の駐車場から、10分ほど歩いた。
ここが、松下村塾。
この部屋で学んだ。
これだけの人が、学んでいた。 そうそうたるメンバーですね。
松陰神社。 連休中、みなさん事故がないようにと、目の前のことをお願いした。
松陰の旧居。 この建物の一部屋に、幽閉されたこともある。
吉田松陰。
この人は、一般的に、明治維新の精神的指導者・理論者とされている。
萩は萩。 小京都と言わなくても、十分な存在感。
駐車場やお店の人達も、感じがよかった。
萩のまちは、観光客をどのように迎えるかの、基本的な考え方が、整理されてるように感じた。
一度訪れても、そんはないですね。
よかったです。
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【明日の予定】 津和野です。
【今日の歌】 案山子(YouTube) この歌の舞台は、津和野です。
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一つは、昔の家並みが広く残っていること。
もう一つは、江戸時代の終わり、このまちの松下村塾が、日本を動かしていたこと。
また、萩市は、この街を訪れる人に、とても優しいまちだった。
駐車場は、市が管理しており、1回300円。 何カ所かある。 これがいい。
※ 昨日、仙崎で、海岸を見る時、駐車料金400円を取られた。 個人の駐車場。 驚いた。
九州では、ほんわりした気持ちで過ごしていた。
これからは、したたかにならなければと、反省していた。
古い町並みの入り口は、ここ。 道は、四方に。
※ 地図は、ここに。 萩城跡にかけて全体が、昔の町並み。 右の方に、松陰神社が見える。
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高杉晋作誕生地とあった。
この人のことは、Wikipediaでは、こう書いている。
幕末の長州藩の尊王倒幕志士として活躍。 奇兵隊など諸隊を創設し、幕末長州藩を倒幕に方向付けた。
倒幕(大政奉還)は、1867年11月。
でも、その前の5月に、27歳で亡くなった。 結核。
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いい雰囲気の所を、さがしながら歩いている。
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石垣、白壁、垣根、通りは色んな顔を見せた。
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この辺は、武家屋敷かなって感じる。 城跡に向かっている。
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今日は、天気がいい。
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この川を過ぎたら、城跡に入って行く。 城は、海と川に、囲まれていた。
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茶室があった。 大きな茶会があるのか、この辺り一帯で、準備していた。
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こういう所や、ツツジが咲いてる池もあった。 指月公園。(萩城は指月城とも呼ばれたので)
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神社も。
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城跡。 明治に入っての廃城令により、破壊された。
萩市は、天守閣を復元したい。 でも、すごい予算がいるそうだ。
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別の道を歩いて戻っている。
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長屋門が、左に見えた。
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長屋門の中を初めて見た。
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旧安田家の物見矢倉。 萩藩の家老。 禁門の変の責任をとって、切腹させられたとあった。
※ 禁門の変は、蛤御門(はまぐりごもん)の変とも呼ばれる。
倒幕の3年前の1864年、京都の御所の辺りで、長州藩士の一部が戦っている。 負けた。
蛤御門は、京都御所にある門。 去年の秋、御所の中を歩いた。
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道が、真っ直ぐでない。
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昔の町並みの中心辺りに、戻ってきた。 右に夏ミカンが。 このように、どこにでもなってた。
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梅でいいのかな。 こんなに大きい。
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木戸孝允旧宅に入った。 こういう人。
桂小五郎(かつら こごろう)として知られていた、尊王攘夷派の中心人物。
薩摩の西郷隆盛、大久保利通とともに「維新の三傑」として並び称せられる。(Wikipedia)
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妻の錦絵とあった。 ※ 複写
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部屋の中。 この人の生きた時代は、仲間であっても、権力闘争がはげしかったから、大変だったようだ。
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明治に入って、庶民の暮らしは、どのくらい変わったのでしょうね。
農民は、小作というのがあったから、直ぐには楽にならなかった。
良くなるのは、農地解放の後なのか。
神社と寺が、一緒にあった。 伊藤博文と高杉晋作が、子供の頃ここで学んだと。
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格子戸も、いいものです。
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車で移動した。 松下村塾に向かった。
駐車場は混んでて、入れなかった。 ヤマダ電機の駐車場から、10分ほど歩いた。
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ここが、松下村塾。
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この部屋で学んだ。
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これだけの人が、学んでいた。 そうそうたるメンバーですね。
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松陰神社。 連休中、みなさん事故がないようにと、目の前のことをお願いした。
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松陰の旧居。 この建物の一部屋に、幽閉されたこともある。
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吉田松陰。
この人は、一般的に、明治維新の精神的指導者・理論者とされている。
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萩は萩。 小京都と言わなくても、十分な存在感。
駐車場やお店の人達も、感じがよかった。
萩のまちは、観光客をどのように迎えるかの、基本的な考え方が、整理されてるように感じた。
一度訪れても、そんはないですね。
よかったです。
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