本能寺跡は、意外なほど寂しい。
小さな石碑があるだけ。
・ ・ ・ ・ ・
秀吉が、多くの寺を今の寺町通周辺に集めた。
本能寺も移された。 特別扱いはしなかった。
本能寺の見学の後、本能寺跡に向かった。
蛸薬師(たこやくし)通を歩いて。
※ ※ ※ ※ ランキング
ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に)
・ ・ ・ ・ ・
本能寺は市役所の向かいに。 寺町通の入り口。
本能寺跡の碑は、堀川高校のそば。
※ 赤〇は瑞泉寺。 悲運の秀吉の弟の秀次を弔っている。
駒姫の話が。 それを知ってから、秀吉が好きになれない。 記事はここに。

本能寺。 ここに移転したことが書いてある。

こんな催しが。 信長が生きていたら、江戸時代はあったんだろうか。

門を入って途中で右に。 奥に信長の墓。

本堂。 右奥に墓。

墓に骨はない。 太刀(たち)があると。

本能寺の変の後、直ぐに動かされたんですね。

隣に、討ち死にした家臣たちの慰霊碑。 森蘭丸達3兄弟の名が。 力丸は15才。
高山の記事で紹介した、金森の名も。
※ 蘭丸たちが生まれた城は美濃に。 記事はここ。

寺町通を散歩。 四条通りまで。

新京極を引き返す。

義経と弁慶。 それを見て、ウサギもはねる。 右に行って、誓願寺。

誓願寺。 和泉式部ゆかりの寺。 娘の小式部内侍(こしきぶのないし)を亡くして、仏にすがる。

四条烏丸駅まで地下鉄で来た。 左右に烏丸通(からすまどおり)。 左に行けば京都駅。
正面に行く。 蛸薬師通。
※ 以前、亀岡から本能寺まで歩いて、そこから本能寺跡まで行った。 その後、京都駅に。
歩いて歩いて。 根性あった。 今はない。 その記事。

右の駐車場に、南蛮寺跡の案内。

信長はキリスト教を認めた。 南蛮寺は本能寺に近く。 秀吉は認めなかった。

蛸薬師通。 小路を歩くと地元の人の生活が見える。

少し歩いてここ。 左に、この付近本能寺址と。 この先に行って、左に曲がる。
この一帯広く、本能寺跡。

曲がったら石碑が見えた。 堀川高校は右に。

移転を命じられて、みな泣いたとある。 能の字には、ヒが2つ。 火が2つ。 縁起悪いからこの字に。

広大な敷地。 でも、所詮は寺。 攻められたらお終い。 信長に、不安はなかったのか。

後の時代に描かれた絵図。 ネット上に出回っているもの。

右写真、右に信長。 左は蘭丸。 この後炎上し、信長の骨は見つかっていない。
逃げ出せたものも多少いる。 世間から冷たくされる。
信長の夢は、ここでお終い。
※ 余談 家康は堺から本能寺に向かっていた。 信長に会うため。
異変を途中で知る。 決死の覚悟で伊賀を越え伊勢湾を渡って、岡崎に逃げ帰る。
信長とは同盟関係を結んでいるから、当然狙われる。 京都に来ていることは知られていると考え。

四条通に出て地下鉄で京都駅に。 この後、嵐山の見学。

本能寺跡の一角の土地を買い取って、建物を建ててもいいのでは。
そこに、跡の碑と資料館。
ぽつんと石碑だけでは寂しい。
歴史の一大事件が起きたのだから。
【停泊場所】 亀岡市運動公園駐車場。
【明日の予定】 記事は嵐山。 京都に出ます。 東山の北部を歩く。 明後日から雨模様。
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(放浪の旅Ⅱと放浪の旅Ⅰの両方です。 記事の総数は4300ほど。)
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駒姫の話が。 それを知ってから、秀吉が好きになれない。 記事はここに。

本能寺。 ここに移転したことが書いてある。


こんな催しが。 信長が生きていたら、江戸時代はあったんだろうか。


門を入って途中で右に。 奥に信長の墓。


本堂。 右奥に墓。

墓に骨はない。 太刀(たち)があると。


本能寺の変の後、直ぐに動かされたんですね。

隣に、討ち死にした家臣たちの慰霊碑。 森蘭丸達3兄弟の名が。 力丸は15才。
高山の記事で紹介した、金森の名も。
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寺町通を散歩。 四条通りまで。

新京極を引き返す。

義経と弁慶。 それを見て、ウサギもはねる。 右に行って、誓願寺。


誓願寺。 和泉式部ゆかりの寺。 娘の小式部内侍(こしきぶのないし)を亡くして、仏にすがる。

四条烏丸駅まで地下鉄で来た。 左右に烏丸通(からすまどおり)。 左に行けば京都駅。
正面に行く。 蛸薬師通。
※ 以前、亀岡から本能寺まで歩いて、そこから本能寺跡まで行った。 その後、京都駅に。
歩いて歩いて。 根性あった。 今はない。 その記事。

右の駐車場に、南蛮寺跡の案内。

信長はキリスト教を認めた。 南蛮寺は本能寺に近く。 秀吉は認めなかった。


蛸薬師通。 小路を歩くと地元の人の生活が見える。


少し歩いてここ。 左に、この付近本能寺址と。 この先に行って、左に曲がる。
この一帯広く、本能寺跡。

曲がったら石碑が見えた。 堀川高校は右に。

移転を命じられて、みな泣いたとある。 能の字には、ヒが2つ。 火が2つ。 縁起悪いからこの字に。


広大な敷地。 でも、所詮は寺。 攻められたらお終い。 信長に、不安はなかったのか。

後の時代に描かれた絵図。 ネット上に出回っているもの。

右写真、右に信長。 左は蘭丸。 この後炎上し、信長の骨は見つかっていない。
逃げ出せたものも多少いる。 世間から冷たくされる。
信長の夢は、ここでお終い。
※ 余談 家康は堺から本能寺に向かっていた。 信長に会うため。
異変を途中で知る。 決死の覚悟で伊賀を越え伊勢湾を渡って、岡崎に逃げ帰る。
信長とは同盟関係を結んでいるから、当然狙われる。 京都に来ていることは知られていると考え。


四条通に出て地下鉄で京都駅に。 この後、嵐山の見学。

本能寺跡の一角の土地を買い取って、建物を建ててもいいのでは。
そこに、跡の碑と資料館。
ぽつんと石碑だけでは寂しい。
歴史の一大事件が起きたのだから。
【停泊場所】 亀岡市運動公園駐車場。
【明日の予定】 記事は嵐山。 京都に出ます。 東山の北部を歩く。 明後日から雨模様。
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