長州藩が中心になって、徳川幕府を倒した。
明治政府にとっては、新しい時代の立役者。
藩主の毛利氏は、明治政府の中で大きな存在になる。
そして、御殿のような邸宅を造る。
庭だって生半可なものではない。
毛利氏庭園で、情報誌では紹介される。
博物館には、久坂玄瑞の書いた文書などがあった。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
藩政時代の毛利氏の拠点は萩ですね。 後に、山口に移る。
防府市は、それとは関係ない。 ここがいいと、明治時代に決めた。 小さな多々良山の麓。

寺の参道のように、駐車場からは遠い。
※ 駐車場はとても広く、無料で使える。 この一帯の観光に使ってもいいよう。

こうです。 御殿です。 幕府を倒した功績によって、これです。

受付で、庭と建物と博物館の見学料金を払った。 全部で1000円。 庭だけなら、400円。
庭に入って来た。 庭に面して、大広間等がある。 客室も。

遠くは低い。 ここは山の中腹。 白い梅が咲いて。

長州藩は毛利氏。 毛利氏を大きくしたのは、毛利元就(もとなり)ですね。 大内氏も倒して。
3本の矢の話の、毛利氏。
ひょうたん池。

立派な松が、形よく。 明治25年に着工.完成は大正5年。(日清・日露戦争をまたぐ)

建物を、反対から。

遠くから。 建物の一部が、改装して博物館に。 蔵もそれにかな。

丘、滝、池、せせらぎ。 25000坪。 近代日本庭園の代表の1つ。

花が咲いたら、見事でしょうね。 秋の紅葉も。
ツツジは間もなく。 このように。
(県の観光情報より)

石橋もあって。 橋の右が、上の写真のひょうたんの小さい部分。

戻ってきたら、ゲンペイツバキ。

1本の木に赤と白の花。 赤と白のまだらも。 接ぎ木はしてないから、珍しい。
※ 平氏は紅旗、源氏は白旗。 紅白はここからのよう。

毛利邸に入る。 贅沢の限りを尽くして建てた。

大広間。 右外に、庭。

床の間に、これ。
※ 城を作る時、うまくいかなかったら、人を生きたまま埋めたりする。 人柱。
元就はそれをしなかった。
石に百万一心と書いて、それにした。
※ 元就の人心掌握の上手さは、家康と共通のものを感じるでしょうか。

※ 上のことについて、逸話がある。 Wikipediaから。 面白い。
12歳の松寿丸(元就の幼名)が厳島神社を参拝したところ、泣き続ける5〜6歳ぐらいの少女を見つけた。
この少女は母親と巡礼の旅をしていたが、ある城の築城で母親が人柱に選ばれてしまったという。
幼い頃に父母と死に別れている松寿丸は少女に同情し、郡山城に連れ帰った。
15〜16年の年月が経って、元服した元就が吉田郡山城主となった頃、本丸の石垣が何度築いても崩落するの
で困っていた。
やがて、人柱が必要だという声があがったため、普請奉行は巡礼の娘を人柱にすることにした。
娘自身も、元就に助けて貰ったお礼として喜んで人柱になると答えたが、元就は「その娘を人柱にしてはならぬ」
と厳命。
翌日、元就は「百万一心」と書いた紙を奉行に渡し、その文字を石に彫って人柱の代わりに埋めるよう命じた。
そして、人柱を埋めずに人命を尊び、皆で心と力を合わせてことにあたるよう教えた。
別の部屋。

昭和天皇の歌がある。
「水きよき いささ小川の 流れゆく たたらの庭の 春のしづけさ」
※ いささは小さいという意味。
いささは、いささかで使ったり。
いささか食べ過ぎた、のように。 少し食べ過ぎたの意味。
この少しは、客観的ではなく、自分の主観ですね。 自分はそう感じるから、いささかになる。
いささ小川は、昭和天皇には小さく見えましたよと云う意味合いがある。
また、多々良山のふもとだから、たたらの庭と。
以上、調べて分かったことを元に、書きました。

カメラは中と外を一緒に撮るのは苦手。
人間の目は、とっても優秀と分かる。 どっちも、ちょうどよく見える。

2階の部屋だったかな。

天皇や皇后が泊まっている。
貞明(ていめい)皇太后は、大正天皇の皇后だった人。
※ 九条家の人。 九条節子(さだこ)
大正天皇が病弱だったので、この人は心身とも健康だった。 選ばれた理由でも。
二条城は、徳川家の居城。 ここで大政奉還。 京都御所、九条邸遺構の拾翠亭(茶室)。~京都市~ 他 (2014/11/14)

何げなく、外の庭を。 ちょっとしたいい所が、隠れている。

お風呂。 当時から蛇口があった。

床屋の椅子。 回転しますね。 どんな仕組みでしょう。

食事も和室。

この後博物館に。 撮影はできない。 膨大な文化財がある。 一部を、交代で展示している。
久坂玄瑞が、大砲の銅が足りないとの誰かへの文書。
寺の鐘でも何でも使えと。 そんな内容。
※ 久坂玄瑞が禁門の変で倒れた場所は、上のブログで紹介した、九条家のすぐ近く。
京都御所の、一番南の真ん中辺りにあった、鷹司邸で。
近代の建物だけど、重要文化財。

もどる時、猫が。 屋根を歩いていた。 話しかけたらとまった。 この後、座ってお話し。

今日は御殿の見学でした。
1000円なので、何回もは来られません。
見応え十分でした。
【今日の一句】 「 毛利家は 幕藩時代が終わっても まだ生き延びた 」
【関連ブログ】
討幕運動の中心、長州藩の本拠地の萩を歩く。 木戸孝允旧宅、他。~萩市~ 他 (2014/11/28)
城下町長府を歩く~高杉晋作はここで挙兵し、幕府に立ち向かった。 下関市長府~ 門司に入る (2011/12/27)
江戸時代の港町、御手洗を歩く。 ~呉市 大崎下島~ 他 (2010/12/17)
【今日の歌】 André Rieu - The Second Waltz (Shostakovich)
【道の駅】 ソレーネ周南
【明日の予定】 道の駅の近くに、湯野温泉がある。 観音岳もある。 両方行きたいけど、天気次第かな。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)
※ プロフィール・・・。 ⇒
今までの記事には、この2枚だけ。
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藩政時代の毛利氏の拠点は萩ですね。 後に、山口に移る。
防府市は、それとは関係ない。 ここがいいと、明治時代に決めた。 小さな多々良山の麓。


寺の参道のように、駐車場からは遠い。
※ 駐車場はとても広く、無料で使える。 この一帯の観光に使ってもいいよう。


こうです。 御殿です。 幕府を倒した功績によって、これです。

受付で、庭と建物と博物館の見学料金を払った。 全部で1000円。 庭だけなら、400円。
庭に入って来た。 庭に面して、大広間等がある。 客室も。

遠くは低い。 ここは山の中腹。 白い梅が咲いて。

長州藩は毛利氏。 毛利氏を大きくしたのは、毛利元就(もとなり)ですね。 大内氏も倒して。
3本の矢の話の、毛利氏。
ひょうたん池。

立派な松が、形よく。 明治25年に着工.完成は大正5年。(日清・日露戦争をまたぐ)

建物を、反対から。

遠くから。 建物の一部が、改装して博物館に。 蔵もそれにかな。

丘、滝、池、せせらぎ。 25000坪。 近代日本庭園の代表の1つ。

花が咲いたら、見事でしょうね。 秋の紅葉も。
ツツジは間もなく。 このように。


石橋もあって。 橋の右が、上の写真のひょうたんの小さい部分。

戻ってきたら、ゲンペイツバキ。

1本の木に赤と白の花。 赤と白のまだらも。 接ぎ木はしてないから、珍しい。
※ 平氏は紅旗、源氏は白旗。 紅白はここからのよう。


毛利邸に入る。 贅沢の限りを尽くして建てた。


大広間。 右外に、庭。

床の間に、これ。
※ 城を作る時、うまくいかなかったら、人を生きたまま埋めたりする。 人柱。
元就はそれをしなかった。
石に百万一心と書いて、それにした。
※ 元就の人心掌握の上手さは、家康と共通のものを感じるでしょうか。


※ 上のことについて、逸話がある。 Wikipediaから。 面白い。
12歳の松寿丸(元就の幼名)が厳島神社を参拝したところ、泣き続ける5〜6歳ぐらいの少女を見つけた。
この少女は母親と巡礼の旅をしていたが、ある城の築城で母親が人柱に選ばれてしまったという。
幼い頃に父母と死に別れている松寿丸は少女に同情し、郡山城に連れ帰った。
15〜16年の年月が経って、元服した元就が吉田郡山城主となった頃、本丸の石垣が何度築いても崩落するの
で困っていた。
やがて、人柱が必要だという声があがったため、普請奉行は巡礼の娘を人柱にすることにした。
娘自身も、元就に助けて貰ったお礼として喜んで人柱になると答えたが、元就は「その娘を人柱にしてはならぬ」
と厳命。
翌日、元就は「百万一心」と書いた紙を奉行に渡し、その文字を石に彫って人柱の代わりに埋めるよう命じた。
そして、人柱を埋めずに人命を尊び、皆で心と力を合わせてことにあたるよう教えた。
別の部屋。

昭和天皇の歌がある。
「水きよき いささ小川の 流れゆく たたらの庭の 春のしづけさ」
※ いささは小さいという意味。
いささは、いささかで使ったり。
いささか食べ過ぎた、のように。 少し食べ過ぎたの意味。
この少しは、客観的ではなく、自分の主観ですね。 自分はそう感じるから、いささかになる。
いささ小川は、昭和天皇には小さく見えましたよと云う意味合いがある。
また、多々良山のふもとだから、たたらの庭と。
以上、調べて分かったことを元に、書きました。

カメラは中と外を一緒に撮るのは苦手。
人間の目は、とっても優秀と分かる。 どっちも、ちょうどよく見える。


2階の部屋だったかな。

天皇や皇后が泊まっている。
貞明(ていめい)皇太后は、大正天皇の皇后だった人。
※ 九条家の人。 九条節子(さだこ)
大正天皇が病弱だったので、この人は心身とも健康だった。 選ばれた理由でも。
二条城は、徳川家の居城。 ここで大政奉還。 京都御所、九条邸遺構の拾翠亭(茶室)。~京都市~ 他 (2014/11/14)


何げなく、外の庭を。 ちょっとしたいい所が、隠れている。

お風呂。 当時から蛇口があった。

床屋の椅子。 回転しますね。 どんな仕組みでしょう。


食事も和室。


この後博物館に。 撮影はできない。 膨大な文化財がある。 一部を、交代で展示している。
久坂玄瑞が、大砲の銅が足りないとの誰かへの文書。
寺の鐘でも何でも使えと。 そんな内容。
※ 久坂玄瑞が禁門の変で倒れた場所は、上のブログで紹介した、九条家のすぐ近く。
京都御所の、一番南の真ん中辺りにあった、鷹司邸で。
近代の建物だけど、重要文化財。

もどる時、猫が。 屋根を歩いていた。 話しかけたらとまった。 この後、座ってお話し。

今日は御殿の見学でした。
1000円なので、何回もは来られません。
見応え十分でした。
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城下町長府を歩く~高杉晋作はここで挙兵し、幕府に立ち向かった。 下関市長府~ 門司に入る (2011/12/27)
江戸時代の港町、御手洗を歩く。 ~呉市 大崎下島~ 他 (2010/12/17)
【今日の歌】 André Rieu - The Second Waltz (Shostakovich)
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(2008年4月~2010年9月までの.記事)

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庭を見るなら、花の時期か紅葉か、あとは緑豊かな季節がいい。
山口県は、その時には通れない。
そんなことだけど、立派な庭があると云うので行ってきた。
宗隣寺(そうりんじ)の竜心庭。
どこが珍しいかなどを勉強して。
何か発見はないかなとも。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
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カーナビは、寺の裏側に案内した。
山門が見つからない。 入れない。
ネットで調べて、反対側に移動。 駐車場があった。

宗隣寺は山(丘)の斜面に。

古い歴史のある寺です。

こんなのがあったら、読むことに。 庭園は名勝。

池の中に8個の石があると。 二条の夜泊石(よどまりいし)風にとも。
浅瀬があって、そんなのは、毛越寺とここだけと。
※ 毛越寺の池は、浅いと云うイメージ。 それだけ。
毛越寺 ~浄土の世界をこの世に作った。 平泉町~ 他 (2011/7/21)
庭の歴史は南北朝までさかのぼる。

句があった。 気になるけど、誰だろう。 青の付く名前。 青邨(せいそん)ではない。
調べたら、阿波野青畝(あわの せいほ)。 師は、高浜虚子。
「鶺鴒は 夜泊石を 教へけり 」 鶺鴒は、セキレイ。 夜泊石については、庭の石を見てですね。

※ 阿波野青畝と云う人は、こんな句も。
「牡丹百二百三百門一つ」 「山又山山桜又山桜」
上の右写真は、観音像でしょうか。
小さな手がある。 右手に宝珠。 左手には、ハスの花か。 左手の指はどうなっている。
微笑んで見える。 もし自分の心が泣いていたら、同じに見えるかも知れない。
本堂です。 補陁海(ふだうみ)とある。 これも、やっかい。
陁は、陀。 南無阿弥陁仏と書くことがあるので。
補陁海って何でしょう。
補陀落渡海(ふだらくとかい)という言葉がある。
昔行われた、修行の1つ。
小さな船に乗ってそのまま沖に。 それが修業で、その後どうなるかは、なるように。
補陁海は、その修行の海のことでしょうか。
※ 補陀落渡海については、下の記事に。
第86番札所、志度寺。 海女の玉取り伝説の、不思議。 補陀落渡海信仰。~さぬき市~ 他 (2014/4/18)

右の建物に受付。 拝観料300円。

左は本堂。 その縁側を通って、竜心庭に。 後の山を借景にして。

途中振り返って、書院。

庭の奥の方。
冬なので、緑が薄い。

あの部屋で、お茶を飲むのか。 月を見るのか。

井戸がある。 お茶かな。

こんなのも。 庭では見ることが。

ずっと奥にも、修行の部屋か。

池の中に、夜泊石。 分かるでしょうか。
8つが2列にだそう。 写真を撮る時は、2列は知らなかった。 9つ見えたけど、1つは関係ないのか。
石は、船を表しているそう。 夜泊石は、こんな話し。
夜泊石は、中国蓬莱(ほうらい)思想の、不老不死の妙薬を積んだ宝船が帰ってきて、
港に停泊する様子を表現した石組みの一つ。
京都金閣寺の鏡湖池にも見られる。(ネットのある記事から)
宝船だから、縁起がいいという事ですね。
金閣寺の池にも、確かに石はいっぱい。
夕陽に輝(ひか)る金閣寺 ~京都市北区~ 他 (2010/11/23)

奥の奥。 左に、本堂。

本堂前。 この寺は、禅宗。 本山は、京都の東福寺。
ケルティック・ウーマン が、You Raise Me Up を歌った、東福寺 ~京都市~ Amazing Grace 他 (2012/5/11)

受付の近く。 左は、書院。

本堂の中。 本尊は、阿弥陀如来坐像。

ここ宗隣寺は、中国観音霊場 第18番札所。
※ 中国観音霊場には、いくつか行ってるかなと思う。
次の第19番は、功山寺。
城下町長府を歩く。 龍馬を助けた三吉慎蔵は、長府藩の人だった。 国宝功山寺仏殿。~下関市~ 他 (2015/3/13)

ずっと雨が降っていたけど、見学の時は降りませんでした。
ここの寺も、一度は来なければと思っていた寺。
よかったでしょうか。
いい季節に通ったら、再度ですね。
【今日の一句】 「 庭の造りで 善の世界を描く 宗隣寺竜心庭 」
【動画】
【今日の歌】 Richard Clayderman Y Raul Di Blasio En Concierto 1曲目だけでも。
【道の駅】 あいお。
【明日の予定】 明日は1日雨。 どこかの寺に行きましょうか。 毛利氏庭園かな。
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(2008年4月~2010年9月までの.記事)
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そんなことだけど、立派な庭があると云うので行ってきた。
宗隣寺(そうりんじ)の竜心庭。
どこが珍しいかなどを勉強して。
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宗隣寺は山(丘)の斜面に。

古い歴史のある寺です。

こんなのがあったら、読むことに。 庭園は名勝。

池の中に8個の石があると。 二条の夜泊石(よどまりいし)風にとも。
浅瀬があって、そんなのは、毛越寺とここだけと。
※ 毛越寺の池は、浅いと云うイメージ。 それだけ。
毛越寺 ~浄土の世界をこの世に作った。 平泉町~ 他 (2011/7/21)
庭の歴史は南北朝までさかのぼる。


句があった。 気になるけど、誰だろう。 青の付く名前。 青邨(せいそん)ではない。
調べたら、阿波野青畝(あわの せいほ)。 師は、高浜虚子。
「鶺鴒は 夜泊石を 教へけり 」 鶺鴒は、セキレイ。 夜泊石については、庭の石を見てですね。


※ 阿波野青畝と云う人は、こんな句も。
「牡丹百二百三百門一つ」 「山又山山桜又山桜」
上の右写真は、観音像でしょうか。
小さな手がある。 右手に宝珠。 左手には、ハスの花か。 左手の指はどうなっている。
微笑んで見える。 もし自分の心が泣いていたら、同じに見えるかも知れない。
本堂です。 補陁海(ふだうみ)とある。 これも、やっかい。
陁は、陀。 南無阿弥陁仏と書くことがあるので。
補陁海って何でしょう。
補陀落渡海(ふだらくとかい)という言葉がある。
昔行われた、修行の1つ。
小さな船に乗ってそのまま沖に。 それが修業で、その後どうなるかは、なるように。
補陁海は、その修行の海のことでしょうか。
※ 補陀落渡海については、下の記事に。
第86番札所、志度寺。 海女の玉取り伝説の、不思議。 補陀落渡海信仰。~さぬき市~ 他 (2014/4/18)


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左は本堂。 その縁側を通って、竜心庭に。 後の山を借景にして。

途中振り返って、書院。

庭の奥の方。

冬なので、緑が薄い。

あの部屋で、お茶を飲むのか。 月を見るのか。

井戸がある。 お茶かな。

こんなのも。 庭では見ることが。

ずっと奥にも、修行の部屋か。

池の中に、夜泊石。 分かるでしょうか。

8つが2列にだそう。 写真を撮る時は、2列は知らなかった。 9つ見えたけど、1つは関係ないのか。
石は、船を表しているそう。 夜泊石は、こんな話し。
夜泊石は、中国蓬莱(ほうらい)思想の、不老不死の妙薬を積んだ宝船が帰ってきて、
港に停泊する様子を表現した石組みの一つ。
京都金閣寺の鏡湖池にも見られる。(ネットのある記事から)
宝船だから、縁起がいいという事ですね。
金閣寺の池にも、確かに石はいっぱい。
夕陽に輝(ひか)る金閣寺 ~京都市北区~ 他 (2010/11/23)

奥の奥。 左に、本堂。

本堂前。 この寺は、禅宗。 本山は、京都の東福寺。
ケルティック・ウーマン が、You Raise Me Up を歌った、東福寺 ~京都市~ Amazing Grace 他 (2012/5/11)

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本堂の中。 本尊は、阿弥陀如来坐像。

ここ宗隣寺は、中国観音霊場 第18番札所。
※ 中国観音霊場には、いくつか行ってるかなと思う。
次の第19番は、功山寺。
城下町長府を歩く。 龍馬を助けた三吉慎蔵は、長府藩の人だった。 国宝功山寺仏殿。~下関市~ 他 (2015/3/13)


ずっと雨が降っていたけど、見学の時は降りませんでした。
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よかったでしょうか。
いい季節に通ったら、再度ですね。
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