キャンピングカーで放浪の旅 Ⅱ|2014年01月
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キャンピングカーで放浪の旅 Ⅱ

全国を、写真と動画で探訪

知覧(ちらん)は、薩摩の小京都と云われる。
京都と云うから、軽やかな日本風をイメージしたくなる。

でも、知覧の武家屋敷通りには、ごつさを感じる。
生け垣の刈込だって、西郷さんの眉毛のように、力強い。

個人の庭が見学できる。
これがいい。
立派な武家屋敷に住めるのなら、殿様にならなくても、上級武士で十分。
    
知覧に行く途中、小さな規模の、磨崖仏を見た。
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知覧は、薩摩半島の内陸に。



駐車場が有料なので、町外れから歩き出した。  歩くのは、1㌔程。
いっぱい歩いて、足を、開聞(かいもん)岳に間に合わせたい。

豊玉姫陵は、後で見ることに。
気づかなかったが、左遠くに、写っていた。

14年1月31日 (1)

10分ほど歩いたら、石橋が見えた。
歩くと、このようにおまけで、何かが見られる。

矢櫃(やびつ)橋。 昨日いた川辺と知覧を結ぶ街道の橋。
左上の山には、亀甲(きっこう)城跡がある。  ※ 知覧城の出城。(出張所の感じ) 
見晴らしはよくないと聞いたので、行かなかった。

石橋には、2つの穴。  右に小さく。 こんなの初めて見る。

14年1月31日 (2)

武家屋敷通りの、西の端。
このそばに、無料駐車場があった。 知らなかった。  他はすべて有料。

14年1月31日 (3)

家並みは、1㌔ほど続く。
通りを歩くだけなら無料。  7つの庭園を見るのが、有料。

14年1月31日 (4)

薩摩藩は、藩を113に分けた。  そこに、武士の集団を住まわせた。  外城(とじょう)と呼ばれる。
知覧の武家屋敷通りは、その代表的な1つ。

14年1月31日 (6)   14年1月31日 (5)

私の後ろにお店があって、そこで、見学料を払った。 
昔はこの辺りに、豊玉姫神社があった。

14年1月31日 (8)

お店で、知覧茶を御馳走になった。
  ※ 知覧茶の特徴は、透き通った若緑色とさわやかな香り。高い評価。(Wikipedia)

緑のお茶の方が、お茶って感じがする。  美味しかった。
知覧茶は、私は知らなかった。 
知ってますかと聞かれたら、〇〇〇って答えるしかない。

14年1月31日 (7)

これが、知覧の武家屋敷通り。 他では見られない。

14年1月31日 (9)

この写真は、普通に撮った写真の一部を、引き伸ばしたもの。
こんな写真は、望遠レンズで撮ると、いいんですね。
遠近の詰まった、味のある写真に。

今日は撮ってて、望遠レンズがあればって、思った。
  ※ 明るくいいレンズのが、近々登場します。(富士フィルム)。
    でも、高いですね。 

14年1月31日 (10)

7軒の家の庭が、見学できる。  入口からして、ごっつい。  薩摩の雰囲気。

14年1月31日 (11)

向こうから来た。 豊玉姫神社跡は、正面にあった。  梅が咲き始めた。

14年1月31日 (12)

あるお家の庭。 枯山水の庭が多い。   梅の花。

14年1月31日 (14)

天気がいい。   まぶしいねって、花に言いたくなる。

14年1月31日 (13)

知覧の家並みは、江戸時代の中頃に作られた。
戦いはない。

武士は、毎日何をしていたのでしょう。 剣の鍛錬と、畑の作業か。

14年1月31日 (15)

石垣と、刈りこまれた生垣。

14年1月31日 (16)

あっちのぞいて、こっちのぞいて。

14年1月31日 (17)

台湾からの人が多い。

14年1月31日 (18)

石の並びには、きっと、意味がありますね。
これは鶴、これは亀ってのもあった。

14年1月31日 (19)

薩摩の武士は、いざとなったら、命をかけて戦うのは、平気。
激しい剣。 刀ごとぶった切る、っていう感じ。 キエ~って、声をあげて。
桜田門外の変で、井伊直弼の首を一刀で切ったのも、薩摩の剣。

休める所も。 ここ数日、薩摩には春が来ている。 20度を越えている。

14年1月31日 (21)

道を、向こうから、曲がって曲がって、来た。
正面に、魔よけの石。

14年1月31日 (23)

14年1月31日 (22)

刈込は、1つのまとまった、大きな形。  大刈り込み、と呼ぶよう。
繊細とは違う。 西郷さんの眉(まゆ)のイメージ。

14年1月31日 (24)

武士は、縁側に座って、何をしゃべったのでしょう。

住まいは立派でも、裕福だったかどうかは、別でしょうね。
食べ物とかは、意外に質素だったかも。

14年1月31日 (26)

この美しさは、繊細ですね。  小京都と言ってるのは、この感じか。

14年1月31日 (25)

庭を眺めながらのビール、そんな経験は、記憶ない。
テレビの野球を見ながら、が多かったか。

14年1月31日 (27)

薩摩の島津家は、徳川をよく思っていなかった。
それなのに、どうして、篤姫を徳川家に嫁がせたのでしょう。

徳川を攻める薩摩藩を、篤姫はどう思っていたのでしょう。
薩摩に戻ることはなかった。

あの西郷さんと、関係あるのでしょうか。(調べても、分かりません)

14年1月31日 (28)

庭園の説明。   名勝に指定されている。

14年1月31日 (29)

反対側に出て来た。  このように、市街地が。

14年1月31日 (30)

正面の入り口は、こっち。

14年1月31日 (31)

へっぴり腰を、撮ってみた。  
右の人は、それを見て、最初笑っていた。 そして、撮りだした。

14年1月31日 (32)

感じよく人を撮るのは、難しい。 

14年1月31日 (33)

最後に、振り返って撮影。

14年1月31日 (34)

出て来ました。   左奥に、無料の駐車場。  やっと分かった。

14年1月31日 (35)

左に石橋が、小さく。   山の上に、亀甲城跡。

14年1月31日 (36)

畑の中に、豊玉姫陵。 神武天皇のおばさん。  神話の世界の人。
この人には、小豆島の豊島(てしま)と、嬉野温泉で会っています。 どちらも神社。

14年1月31日 (37)

14年1月31日 (38)

知覧の武家屋敷通りは、見応えがありました。
古い物を壊さないで、よく残したなって、感じました。

薩摩の時代を大事にしているんですね。

【その他】

高田の磨崖仏があると分かった。
道の駅で、道を聞いた。
丁寧に地図を描いて教えてくれた。

行くと決めてなかったけど、行かないと失礼なので、行ってみた。

場所は、この辺り。 少し遠回りして、知覧に。



道路沿いにあって、これで、全部。

14年1月31日 (39)

江戸時代に彫られたもの。  
彫った人は、鹿児島の石工久保田太右衛門。
それと、頴娃(えい)の脇七兵衛。  ※ 頴娃(えい)は、今は、南九州市。

14年1月31日 (40)

大黒様がいる。

14年1月31日 (41)

1つだけ、大きく。   保存状態がいいですね。    何を願ったのでしょう。

14年1月31日 (42)

【今日の歌】    見える山は、ベスビオ山。   噴火で、ポンペイの町が、灰の下に。
         メロディに、悲しみがあるような・・・。



【道の駅】   喜入



【明日の予定】   指宿に近づくか・・。

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磨崖仏(まがいぶつ)と云えば、大分県の臼杵(うすき)磨崖仏。
時の権力者が作り、国宝に指定されている。

一方、清水磨崖仏は、小さな権力者、また庶民の願いが岩に刻まれた、磨崖仏。
平安時代末期から明治までのが、あった。
五輪塔や梵字(ぼんじ)などの、線刻が多いのが、特徴。
大きな五輪塔も。

岩にへばりついて彫ったんだろうけど、どんな願いがあったのでしょう。
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南九州市は、合併してできた、新しい市。
ここは、その中の、川辺町。



一帯は、清水(きよみず)岩屋公園になっている。  広い駐車場。  近くに道の駅。
公園の中に、磨崖仏と清水の湧水がある。

向こうの橋を渡って、左奥に磨崖仏。

14年1月30日 (2)

花園橋。  山茶花の木が、まるい。  

14年1月30日 (4)

万之瀬川(まのせがわ)。
昔は、万之瀬川のこの辺りは、清水(きよみず)川、と呼んでいた。
それで、今も、清水の磨崖仏。 湧水は、清水の湧水。  清水という地名も。

正面の崖に、磨崖仏。

14年1月30日 (6)

こうです。  左にずっと続く。  左に行くほど、古い。

14年1月30日 (8)

清水川のほとり。  200基。  平安時代の初めの、文字が。

14年1月30日 (11)

さあ見るぞ、と思ったら、通行止め。 せっかく来たのに。
川の対岸から見学できると、あった。  近くでは見られない。

14年1月30日 (16)

磨崖仏の写真が、ちゃんと撮れないかも知れないから、公園の写真を撮りだした。
金閣寺に似ている。

DSCF9540pp.jpg   14年1月30日 (17)

花壇の花は元気だけど、自然の花は、まだまだ。

14年1月30日 (19)

橋に戻って来た。  渡ってすぐに、右に行く。

14年1月30日 (20)

川のこっちから見ている。 何とか、写真は撮れる。
肉眼では、少し遠い。

〇の部分の、説明があった。

14年1月30日 (21)

一番新しい磨崖仏の紹介。  吉田知山という人が彫った。   明治。
右端のが、どこにあるか、分からなかった。  

14年1月30日 (22)

宝篋印塔と、十一面観音像(中央右)。  十一面観音は、奈良の長谷寺のと同じと説明に

仏像を彫ってるのは少ない。  仏像には表情があるので、難しいのでしょうか。

14年1月30日 (3)   14年1月30日 (21)b

16枚の板碑。  鎌倉時代の物。   亡くなった人の供養のためにと。

14年1月30日 (23)

右です。   四角の中。

14年1月30日 (1)

左の3枚が、はっきりしている。

14年1月30日 (1)m

次は、大きな梵字(ぼんじ)。  直径は、人の背丈ほど。

14年1月30日 (24)

下から、10㍍程。  足場を作ったのでしょうか。 梯子(はしご)の上では、不安。
梵字を彫るのは、仏を彫るのと同じこと。  それで彫るんですね。

14年1月30日 (15)

※ 月輪の意味ですが、辞書では、こう。

    完全に円形の月。
    仏の智徳が欠けることなく円満であること,衆生の菩提心などの象徴とされることが多い。
    がつりん。げつりん。

  京都の愛宕山の麓に、月輪(つきのわ)寺があった。

宝篋印塔(ほうきょういんとう)。  
今はお墓にすることが多いけど、昔は、お経を収めていた。  和泉式部の墓も、宝篋印塔。(京都誠心院)

14年1月30日 (25)

中央です。  小さな仏塔も、いっぱい。

14年1月30日 (14)m

※ なぜ宝篋印塔を彫るかですね。
  供養で彫ったんですが、輪廻転生(りんねてんせい)の考えがあったんですね。

  死んでも、また生まれて来ることが出来る。 死ぬことと生まれることの繰り返し。
  またこの世に戻って来られると考えたら、死ぬ不安は、小さくなりますね。
  今だって昔だって、死ぬということは、大きな不安であり、大変なこと。

川沿いの道を行きます。

14年1月30日 (26)

大五輪塔。  高さ11㍍。  日本一。

14年1月30日 (28)

中央左の岩。   大きな板碑の中に、五輪塔。 周りには、墨で梵字が書いてあったそう。
読めないけど、赤外線では読めると言う。 

14年1月30日 (30)   14年1月30日 (27)m

このようなものは、亡くなった人の、供養にためにつくる。
先祖を思う気持ちは、昔と今は、違いがあるのでしょうか。
 ※ 私なんか、旭川に戻った時、おやじの墓に行くのを、忘れることが多い。

磨崖仏は、対岸に、ずっと続く。

14年1月30日 (29) 

五輪塔が並ぶ。  これなら、誰でもが彫れそう。

14年1月30日 (32)   14年1月30日 (13)

石橋を渡って、向こうに。   石橋だけど、手作り感がない。

14年1月30日 (33)

橋の上から。  あっちの崖を眺めてきた。

14年1月30日 (34)

古いからか、消えかかっている。

14年1月30日 (36)

岩の質が違うのか、鮮明。

彫る間所を決めたら、そこを、まっ平らにするんですね。
そうして、掘り始める。

DSCF9590vv.jpg

今見てきたのは、鎌倉時代。

14年1月30日 (37)

初期のは、そんなに高い場所でない。

14年1月30日 (38)   14年1月30日 (39)

この宝篋印塔は、見つからなかった。  木の陰か。

さっきの宝篋印塔もそうだけど、平家幸という人が、彫らせていますね。
鎌倉時代だから、壇ノ浦の後。
平家の落人でしょうか。  九州は多いですから、あってもおかしくはないですね。

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14年1月30日 (12)

橋の下に、清水の湧水。

14年1月30日 (40)

飲んでみたら、冷たさが弱く感じた。 甘露水と呼ばれる感じの水。
明日、汲む。

14年1月30日 (41)   14年1月30日 (42)

岩の切り立つ谷に、岩を打つ金槌の音が、響いた時代があった。
どんな風景だったでしょう。
彫り終わった時、これで願いが叶うと、満足したでしょうね。

願うしか方法がなかった時代。
それが、昔かな。   
願うことは、優しさでもあるか。

【今日の歌】 いそがしい踊り。



【道の駅】   川辺やすらぎの里

【明日の予定】   知覧で武家屋敷を見ます。    

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登山と言っても、小さな山。
ハイキングの感じ。
でも、右足にとっては、リハビリであり、訓練。

花はないけど、天気はいい。 上着はいらない。

冠岳の頂上からの風景は、絶景。   雄大。
いつものように、霞んだ空気だったが。
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標高、516㍍。



展望公園の駐車場に車を。  頂峯院(ちょうぼいん)の境内を通って行く。

14年1月29日 (1)

頂峯院(ちょうぼいん)への石段を行く。
頂峯院は、江戸時時代まで、昨日見た冠嶽園の所にあった。
1983年に、冠岳の麓に移転して、復興した。

14年1月29日 (2)

振り返ると、大きな徐福像。

14年1月29日 (3)

頂峯院の正式名は、冠嶽山 鎮国寺 頂峯院(かんがくさん ちんごくじ ちょうぼいん)。
参道が続く。
暑いから、上着を脱ぐ。 20度以上ある。

14年1月29日 (4)

冠岳の山道には、このような小さなお堂が、たくさんある。
山岳宗教の山。

14年1月29日 (5)

頂峯院に着いた。  石段の左に、ミツマタ。

14年1月29日 (6)

まだつぼみかな。

14年1月29日 (21)

※ 咲いたらこのように。 可愛い顔が見える。
  4年前の2月に、東側から登った。
  下山して、ここに登って来た。 その時に撮影。  同じ木。

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薬師堂の屋根越しに、冠岳。 見えるのは、冠岳の中の、西岳。 ここが、一番高い。

14年1月29日 (7)

黄不動堂。  
新しい頂峯院は、この地に建てた。 いい場所かもしれない。
頂峯院は、峯の頂が見える寺(院)の意味になった。

14年1月29日 (13)

節分の豆まきに向けての、準備をしていた。
お茶を飲んでいきませんかと、声をかけていただいた。
尼さんというか、女性のお坊さん。

ハイとは、返事が出来ない、事情があった。
私は、特別にだらしない恰好はしていないが、今日は問題があった。
      (車の中と外の恰好は、別にしている。 戻ったら、着替える)
靴下は長いのははかない。 足首を締め付けて、むくんでる足の血行を悪くするから。
だから、足首の下までの、短いのを、はいている。

今日急いで靴下を探したら、見えたのが、みんなバラバラだった。
探すのが面倒なので、適当なのを2つ。
だから今日は、左右別の色の靴下をはいていた。

これがまずい。
お坊さんだから、失礼な笑い方は、決してしない。
でも、きっと、横を向いて、プッて笑う。 
これを想像して、断るしかなかった。

境内を通り抜けていく。

14年1月29日 (8)

右から来て、左に行く。

14年1月29日 (9)

靴下は、左右バラバラのファッションが、流行ればいい。
そうしたら、洗濯の後、同じのを見つけなくていい。

少しして、登山道に入った。  また、お堂が。

14年1月29日 (10)

しばらく歩いたら、天狗岩の案内。

14年1月29日 (11)

説明。   三国名勝図会(さんごくめいしょうずえ)は、島津藩が作った。  江戸時代の終わりに。

※ 串木野市とある。 合併する前かな。   
  市杵(いちき)町と串木野市が合わさって、いちき串木野市。  2つくっ付けただけ。

14年1月29日 (12)

例えば、名所図会の霧島神宮は、こんなの。

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天狗岩の一番上。

14年1月29日 (14)

上からの風景。  そして、横から見た、天狗岩。  偶然重なったのか。

14年1月29日 (15)   14年1月29日 (17)

頂上までは、ここから200㍍程。

14年1月29日 (16)

急な登りになった。

14年1月29日 (24)

着きました。  ちょっとした広場。  西岳神社。

14年1月29日 (18)

この辺り全部が、冠岳。 冠嶽の頂上は、西岳(嶽)の頂上。

14年1月29日 (25)

与謝野鉄幹が、ここに来ていた。
   「風の中 枯れし すすきの原に入る 冠岳の 北側のみち」

北側の道は、西側の道だろうか。
  ※いつのことか調べてみたら、昭和4(1929年)年7月に、近くの市比野温泉を訪れている。
   他に、薩摩川内なども。 この時のよう。

14年1月29日 (26)

雄大な風景。

14年1月29日 (27)

昨日いた場所から、こっちが見えなかったので、こっちからも見えない。

14年1月29日 (19)

霞んでる。  中央遠くは、金峰山かなと思う。 上の部分が、分かれているので。
4年前に行った。

冠岳と金峰山は仲が悪い。  物をぶつけたり、目を突っついたり。
神としてあがめられてる山にしては、人格(山格)が、疑われる。

14年1月29日 (20)

下に寺があるが、はっきり見えない。

14年1月29日 (28)

隙間から、薬師堂が見えた。

14年1月29日 (22)   14年1月29日 (23)

前回は、東側から登って、そっちに戻った。
東側からも帰れるが、遠いので、行かない。

戻る途中に、千両でしょうか。 花がないからうれしい。

14年1月29日 (29)

下る時、急な階段で、右足に重心がかかった時、ふらつく。
右足の足首が、弱い。   まだむくんでいる。

西岳の頂上が見えた。

14年1月29日 (31) 

寺の前で、また声をかけていただいた。
さっきの理由で、行けない。
先を急ぐのでって、断った。

本当は、私の生活に、先を急ぐなんてことは、滅多にない。
時計がなくたって、生活できるんだから。

寺の石段を下る。  右に、ミツマタ。

14年1月29日 (32)

3つに分かれるので、ミツマタ(三俣)。
枝の太さが違う。 
どんな条件のが太くなるのか、しばらく見ていたが、分からなかった。

14年1月29日 (30)

小さな山が、私の足には、ちょうどいい。
開聞岳は、2時間半ほどかかるのか。
今の足では、4時間はかかりそう。
それでも、登ってみるか。 

鹿児島県には、少しだけの春が来ています。

【今日の歌】   桜はまだだけど、走っていて、梅の花を見た。  



【道の駅】   きんぽう木花館



【明日の予定】   雨の予定。  大きな磨崖仏を見たい。

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冠岳(かんむりだけ)という、小さな山。  昔からの霊山。
そして、徐福(じょふく)伝説が残る。

伝説を生かした、中国風の建物が、建っていた。

山の上には明日行くことに。
今日は、冠嶽園(かんがくえん)を中心とした、中国風庭園を歩いた。
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目的地は、いちき串木野市に。  薩摩川内の南隣。





冠岳歴史自然の里。

霊山なので、山道に、祠(ほこら)がいっぱい。
古くから栄えた。

もう1つは、徐福(じょふく)伝説がある、その顔も持っている。

14年1月28日 (1)

この場所には、昔は、頂峯院(ちょうぼいん)があった。
冠岳の山岳霊場の中心地。
明治に入っての、神仏棄却で、破壊された。

そこ跡に、中国風の建物、冠嶽園がある。

14年1月28日 (2)

徐福は中国の人。 
紀元前に、多くの家来を引き連れて、不老不死の薬を求めて、日本に来た。

2200年前のこと。
伝説と言っても、後の世に、何かの文書から、作られた伝説。
徐福伝説は、日本中に、たくさんある。

14年1月28日 (3)   14年1月28日 (4)

伝説だから、基本的には史実ではないのだが、そうとは言い切れない部分も。

三重県にも徐福伝説が伝わっている。
その地から、2200年前の中国の硬貨が発見された。

ということで、徐福伝説は、伝説で終わらない部分が、ある。

不老不死の薬を探すのなら、あちこち歩く。
色んな土地に伝説があっても、不思議ではなくなる。

このデザインが、中国風なんですね。  日本のと、どこか違う。   面白い。

14年1月28日 (5)

池の向こうに、徐福像。

14年1月28日 (6)

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以前一度、ここに来たことがある。 建物の修復がなされず、いずれ廃墟になるのか、と思っていた。
現在、屋根の修理をしていた。

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花が咲いたら、見ごたえあるでしょうね。  数人の観光客がいた。
ここの見学は、無料。

管理人に、どこから来たのと聞かれたので、北海道と答えた。
詳しい案内書をくれた。 特別にって。

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価値のある物の展示はないけど、雰囲気だけある。

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徐福がここの山の風景に見惚れて、山に冠を置いて行ったので、冠岳の名前。

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左の葉の無い木は、ノムラモミジ(野村紅葉)だという。  園芸種。
最初は赤い葉っぱ。  その後は、普通の緑になって、秋に紅葉。   
確かに、たまにですが、見ることはありますね。

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冠岳神社。 
祭神は櫛御気男命(くしみけのみこと)。 スサノオの別名という、考えを持っている。
串木野という地名は、これから来たとの話が。

九州には、神話の伝説が多い。 宮崎県に行ったら、どこにでもある。

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中国からプレゼントされた、狛犬(こまいぬ)。

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粒粒が見えないけど、大理石。 
 ※ 石灰岩が熱で変質したので、ガラスのように固いんですね。

口の中に石は、取り出せるのか。

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左隣に、大師堂。  廃仏棄却の後に、新しく作られたものですね。
この地の中心は、頂峯院(ちょうぼいん)という寺だったから、後方の山には、修験のためのお堂が、何ヶ所もある。

14年1月28日 (17)

ここを行くと、崖を登る道がある。 その中腹の穴の中に、仏像があったり。
他にも、いろいろ。
前回は行ったが、今回は行かない。

昔のように、どこにでも行くぞって気持ちは、あの頃ほど、大きくない。
どうして、あんな気持ちになれたかが、今も分からない。

3年と3カ月ほどで、あることがあって、急に消えてしまった。
どんな考え方をすれば、戻せるかを、今も考えている。

車の中を使いやすくしてるのも、そのための手順。

14年1月28日 (16)

高い岩山が見える。  仙人岩。
登る道がある。 上に行っても、立つことは出来ない。
前回行ってみたけど、命がけ。 
どうやって降りるかが分からなくなったら、身動きが取れなかった。
上からの景色はいい。

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※ 前回の写真。

IMG_0038bbvhj.jpg   201002210810389f1.jpg

今は、右の方に。   明日、赤〇の所に。

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反対側は、この風景。  建物は、望嶽亭。

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屋根の先が、ツンとしている。

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望嶽亭の上から。
ここの建物は、あと20年は持たない。
いずれは取り壊して、この辺り一帯は、水辺の公園になるのかな。

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道を戻ると、石の仁王様。  ここを行くと、さっきまでいた場所に。

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この像も、廃仏毀釈で壊されて、転がっていたとある。

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※ 明治に入って、天皇中心、そして、神社の考えが中心になっていった。
  寺は、それで、邪魔に。
  元々寺は、特権を持っており、それを庶民は、好ましく思っていなかった。
  廃仏毀釈の号令がかかると、みんなで壊しまくった。
  九州は時にひどかった。
  日本人は、それって、右ならえをし易い。  

  寺側の反省もあって、後に、復活。
  神社より寺の方が、どんな生き方がいいのか、どんな世に中がいいのかを、
  考えているように見える。 今は。

  明治に入って、神社中心になり、戦争への準備が進んでいった。
  江戸時代が終わり、人々の生活は少しずつ変わっていくが、人の命だけは軽くなる。
  軽くなると言っても、軽くなるのは、庶民の命だけ。
  
  少し前にも書いたが、明治から昭和の戦前までが、日本の歴史上、最も命が軽くなった時代。
  戦争のことです。 その責任者が、今の時代になっても、英雄。
    (責任は、それって右ならえした、庶民にもあったのですが)
  不思議な国です。

朝方、少ししか寝なかったので、眠い1日。
串木野温泉の道の駅に行こうとしたら、直ぐ近くに、冠岳温泉があった。
280円。

その後、近くのパーキングに停泊。 9時頃には、爆睡。
朝の3時頃目が覚めた。
頭がすっきり。 何をしても、楽。

明日は、山の上に。

【今日の歌】  歌っているのは、ジェイド・イン。    中国出身。



【停泊場所】   近くに、パーキング。

【明日の予定】    冠嶽に登ります。   見どころは、色々あります。

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                                                         (2008年4月~2010年9月までの記事)

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昨日、長崎堤防を見た。
小野神社の場所が分からず、戻って来た。
今日、再度行ってきた。

見学を少しにして、市内のスーパーセンターに。
そこの駐車場で、車の中の窓側の部分を、使いやすく変える作業を。
必要なものが手に入るので、ここに。
朝の4時まで、かかってしまった。

28日は、大変。 
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小野神社は、川内川の下流に。



この場所は、昨日見た、江之口橋の近く。



水路のための、水路桁橋(すいろけたはし)。 
川内市の高江町にあるので、高江の水路桁橋と呼んでいる。
説明とかは、なかった。  ネットにもない。 

14年1月27日 (1)

川は、八間川。 江戸時代の初めに、長崎堤防。
長崎堤防の少しあとに、八間川。 その後になりますね。

※  石橋には、普通のアーチ橋と、このような桁橋がある。
   桁橋を、久しぶりに見た。

   桁橋の大きいのが、天草の天草市にある。
   祇園橋。

   大きさは違っても、つくりは、とっても似ている。
     天草キリシタン館。  祇園橋付近、川は血に染まった。~天草市~ The Wedding の日本語訳  他  (2013/2/9)

14年1月27日 (16)

昨日の場所に来た。 長崎堤防。
堤防の上から撮影。  遠くの森に、小野神社。

14年1月27日 (3)

これが、堤防によって生まれた、長崎新田。

14年1月27日 (2)

※ なぜ、この一帯に、長崎という地名が付いたのでしょう。
  堤防が出来る前は、川内川(せんだいがわ)に突き出た小さな、半島のような地形だったのではないだろうか。
  岬のような地形は、長崎鼻ともよばれ、九州の多くの地域に見ます。
  堤防が出来て、昔の地形では、今はなくなったが。

小野神社の位置です。 印の右に、長崎堤防の、ギザギザ。



鳥居があった。 石碑は、顕彰碑。  どんな神社だろう。

14年1月27日 (10)

堤防を作った小野仙右衛門が彫った、磨崖仏ではなく磨崖「心」がある、とある。

14年1月27日 (9)

顕彰碑の説明も。 

14年1月27日 (11)

上には、神社の建物はなく、墓。  ここにも墓を作ったのか。

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磨崖「心」は、反対側の崖に。

14年1月27日 (6)

あった。  心も見える。

14年1月27日 (12)

石の祠が、神社。  小さい。

14年1月27日 (7)

この場所からは、木が邪魔して、海が見えなかった。
下に降りたら、このように見える。

小野仙右衛門が、この岩に彫ったと言うことは、ここから、堤防を作る場所全体が、見渡せたんですね。
どこに、どう作るか、思案した場所。

14年1月27日 (8)

神お告げがあった。  娘を人柱にした。
人柱は、袈裟姫伝説として残っている。

14年1月27日 (13)

袈裟姫伝説の、詳しい話は、見つからない。
もしかしたら、無いかもしれない。

いくつかのネットの情報にあったのですが、
小野仙右衛門の娘さんが、川内川で溺れて亡くなった。
そのことを、袈裟姫伝説として、まとめたよう。

別の高い所からは、このように。

14年1月27日 (14)

仙右衛門は、水に浮かぶ娘さんを発見した。
帯の流れを見て、水の流れの何かを感じた。

仙右衛門は、縄を刻んで、川に流した。
藁(わら)くずは、蛇行しながら流れて行った。

流れに沿って、堤防を作ることを、思い付いた。
蛇行は、何によって生まれたのでしょう。
川底の地形でしょうか。

堤防と新田。

14年1月27日 (15)

時代は、今になっても、ここに暮らす人は、小野仙右衛門に対する恩を忘れない。
これが、日本人の心かなって、感じます。
神社は少し小さかったですが。

【その他 ①】

岩永三五郎は、昨日のブログに書いた人。
江之口橋を作った人。
彼は、薩摩に、他にもいくつかの石橋を作った。

薩摩に長くいて、薩摩藩のことも、詳しく知った。
工事が終わって、肥後に戻る時、薩摩藩によって殺されそうになる。
彼もそれを予想した。
しかし、刺客に、「日本人の心」があった。
殺すことが出来なかった。

詳しくは、Wikipediaの文を紹介。

  肥後藩内に聖橋をはじめとするアーチ式石橋を架け続けた三五郎に、天保11年(1840年)薩摩藩より依頼が来る。
  三平らを従え薩摩に赴いた三五郎は、鹿児島の町中を流れる甲突川に甲突川五石橋を川の護岸工事と併せて架けた。
  中でも西田橋は参勤交代に藩主が利用する橋だったため、三五郎のつくった橋の中で最も豪華な装飾が施されている。 
  鹿児島県内には、三五郎作の石橋がこのほか複数残されている。

  石橋の建造中、石橋建造技術の漏洩防止のため、三五郎達を永送り(暗殺)するのではないかという噂が立った。
  これは三五郎が藩の内情に通じ過ぎたためとも言われる。
  かねてよりこの事を心配していた三五郎は、連れてきた仲間たちを様々な口実をつけて肥後に返した。
  最後まで残った三五郎自身も、嘉永2年(1849年)に帰郷を許される。
  薩摩藩から送られた刺客により現在の出水市付近で捕らえられるが、腹を据えた三五郎の態度に感心した刺客が、
  秘密裏に三五郎を逃がしたと言われる。

  故郷に戻った三五郎は嘉永4年(1851年)、鏡町(現八代市)にて59歳で没する。同地には現在でも墓が存在する。

三五郎が、仲間を事前に帰したところに、彼の人間性が見えますね。

【その他 ②】

窓側を、このようにしました。
構想からスタートして、寸法を測って棚を買ったり、時間がかかる。
使いやすいようにしたい。 日常、多く使用するものを、近くに置く。

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以前は、下でした。

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ベッドの枕元にも、小さな本棚を置きました。
どこに、何を収納するかは、まだこれからです。

車を、走る居酒屋から、走る書斎に、イメージチェンジしたいです。

【今日の歌】  ゴールデンボンバー「抱きしめてシュヴァルツ」
        深夜に、鬼龍院 翔の、オールナイトニッポンを聞きながら、作業。
        鬼龍院 翔は、めちゃくちゃ。   めちゃくちゃが人気。
        曲は、7分50秒から。



【停泊場所】  ニシムタの駐車場



【明日の予定】   冠嶽(かんむりだけ)の山の道を歩きたいが、眠たいから、麓の公園を歩くかも。

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akkamui212

Author:akkamui212
2009年4月に放浪の旅をスタートし、十数回目の日本1周に入っています。
「キャンピングカーで放浪の旅」に続き、パートⅡです。
明日は、どこの空の下にいるのかな。


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