山奥の奥という所に、久連子の集落はあった。
今は、お年寄りしか住んでいない。
伝説を大事に、平家の末裔を誇りに、生きていた。
五家荘の伝説は、歴史の残り火のように見えた。
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写真を掲載中。
【今日の歌】
【道の駅】 子守唄の里五木
【明日の予定】 熊本港に向かいます。 途中、鬼山御前の墓に寄るかも。
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(2008年4月~2010年9月までの記事)
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今は、お年寄りしか住んでいない。
伝説を大事に、平家の末裔を誇りに、生きていた。
五家荘の伝説は、歴史の残り火のように見えた。
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【今日の歌】
【道の駅】 子守唄の里五木
【明日の予定】 熊本港に向かいます。 途中、鬼山御前の墓に寄るかも。
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今日は1日雨。 夜になっても止まない。
傘をさして、少しだけ散歩。
道の駅のそばに、子守唄公園。
そこにある茅葺民家で、五木の子守唄を聴くことができた。
五木の子守唄には、色んなのがある。
でも、どれもいい。 メロディが、とにかくいい。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
北に向かう道は、よくない。 左上への道は、大丈夫。
道の駅の、山側の駐車場から。 左は、子守唄公園の茅葺民家。 向こうに、五木温泉、夢唄。
その向こうは、川辺川が流れる、深い谷。
ずっと雨が降って、山にも谷にも、白い靄(もや)。
屋根は、道の駅の建物。
仰烏帽子山(のけえぼしやま).が正面に。
今頃、福寿草がいっぱい咲いている。 道が壊れているため、行けないそう。
仰鳥帽子山 満開の福寿草 五木村の風景 ダムはどうなった。 他 (2010/3/2)
道の駅、子守唄の里 五木。 右に、子守唄の像が見える。
何かが、伝わってくる。 いい像かなって、感じる。
川の上流方向。 ずっと行くと、五家荘。
相良村を通って、人吉市に出る。 ここまでの道はいい。
深い谷。 すぐ下に、中学校と人吉高校の分校。
ダムだ作られる計画は、現在無くなっている。
山の斜面に、御殿が並ぶ。 谷の下から、移転した。
子守唄公園の、茅葺民家。 無料で開放。 ここに寄って温泉と考えていたが、温泉は休みだった。
風の中に、ふるさとの声が聞こえる。
何かを表現しようとする像しかない。 これは、五木村の姿勢なんですね。
暖かくなったら、ここに座って、のんびり山の風景が見られる。
雛人形を飾っている。 この地方では、人吉市が以前からやっている。
ここにおじゃまして、唄を聞いた。 お話も。
3曲歌っていただいた。
① 私たちが、よく聞くメロディー。 戦後に古関裕而(こせきゆうじ)という人が、編曲。
説明してくれた方は、元歌もこれも、どっちも好きだという。
② 元歌と言われるもの。 元歌は、時代によって、五木村の地域によって、様々あるという。
五木村の人は、元歌を元歌とは呼ばす、これもただ子守唄という。
堂坂よし子さんが歌って、知られるようになる。
③ 五木村では、1日に何回か、スピーカーから流れる。
動画の中では、キンコンカンの唄と呼んでいる。
マイクを通さないで聞くのは、初めてでした。 いいものです。
※ 追記 説明していただき、歌っている方がどなたかが、分かりました。
子守唄の伝承者の、淀川つるよさん、という方でした。
ありがとうございました。
天草に福連木(ふくれぎ)の子守唄があるが、どっちが先とかあるんでしょうか、と聞いた。
ないと思うという返事。 これを聞いて、ほっとした。 この考えに、賛成。
※ どっちが先かの根拠は、見つかっていない。
それを示さないで、こっちが先とか言ってるのが、Wikipedia に見られる。
福連木の子守唄に、五木の子守歌は似ている。 福連木の里。~天草市天草町~ 他 (2013/1/30)
奉公に出たのは、大きな町かなと思っていたが、そうではないそう。
農家でも裕福であれば行っている。 地主層とか。
人吉や八代方面は、多いけど、どこの村にも行っている。
子守唄について、いろいろ教えていただいた。
説明していただいた方は、道の駅から電話があって、そちらの観光案内所に行った、
建物の中に、私一人。 そのことを心配する様子はない。
この後、写真を撮った。
谷の底に、村はあった。 昔は、雪が多かったのかな。
私は、まだ村が、全部下にあった頃、一度だけ通り抜けたことがある。 30年以上前。
美味しい蕎麦を食べた。 麺は手打ちで、すぐに切れて、短くなった。
小さいけど、有名なお店だった。 今はないという。
学校と、植林作業。 今でも、96%は山林。
昔の子供たち。 どの家庭にも、子供がいっぱいいた。
いい顔をした、男の子。 学校と塾だけでは、こんな顔にはならない。
今の時代の子供たちの目と、同じです。 夏の五木は、私にとっては暑すぎます。
懐かしい風景。 昔のカラー写真の色。
不幸な時代を乗り越えて、やっと、今の時代を作れましたね。
今の時代も、子供達にとっては、十分とは言えないけれど。
今日は、生歌を聴けてよかったです。
【今日の歌】
五木の子守歌には、完成している質の高い録音が、2つあります。
五木の子守歌にとって、幸せなこと。
※ 私は、南部牛追い唄が好きだけど、いいのはまだ、YouTubeには、出てこない。
4拍子に聞こえますが、大丈夫でしょうか。 いいですよ。
※ 追記 2拍子かな。
これは、何度も紹介しています。 3拍子ですね。
堂坂よし子さんです。 貴重な録音です。
今もお元気ですが、人前で歌うのは、大変なようです。 96歳とか。
※ 3年前の春に、本人の歌を聴いています。 その時の写真。
【道の駅】 子守唄の里五木
【明日の予定】 五家荘の久連子と鬼山御前の墓
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傘をさして、少しだけ散歩。
道の駅のそばに、子守唄公園。
そこにある茅葺民家で、五木の子守唄を聴くことができた。
五木の子守唄には、色んなのがある。
でも、どれもいい。 メロディが、とにかくいい。
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北に向かう道は、よくない。 左上への道は、大丈夫。
道の駅の、山側の駐車場から。 左は、子守唄公園の茅葺民家。 向こうに、五木温泉、夢唄。
その向こうは、川辺川が流れる、深い谷。

ずっと雨が降って、山にも谷にも、白い靄(もや)。
屋根は、道の駅の建物。
仰烏帽子山(のけえぼしやま).が正面に。
今頃、福寿草がいっぱい咲いている。 道が壊れているため、行けないそう。

仰鳥帽子山 満開の福寿草 五木村の風景 ダムはどうなった。 他 (2010/3/2)
道の駅、子守唄の里 五木。 右に、子守唄の像が見える。

何かが、伝わってくる。 いい像かなって、感じる。

川の上流方向。 ずっと行くと、五家荘。

相良村を通って、人吉市に出る。 ここまでの道はいい。

深い谷。 すぐ下に、中学校と人吉高校の分校。
ダムだ作られる計画は、現在無くなっている。

山の斜面に、御殿が並ぶ。 谷の下から、移転した。

子守唄公園の、茅葺民家。 無料で開放。 ここに寄って温泉と考えていたが、温泉は休みだった。

風の中に、ふるさとの声が聞こえる。


何かを表現しようとする像しかない。 これは、五木村の姿勢なんですね。


暖かくなったら、ここに座って、のんびり山の風景が見られる。

雛人形を飾っている。 この地方では、人吉市が以前からやっている。
ここにおじゃまして、唄を聞いた。 お話も。

3曲歌っていただいた。
① 私たちが、よく聞くメロディー。 戦後に古関裕而(こせきゆうじ)という人が、編曲。
説明してくれた方は、元歌もこれも、どっちも好きだという。
② 元歌と言われるもの。 元歌は、時代によって、五木村の地域によって、様々あるという。
五木村の人は、元歌を元歌とは呼ばす、これもただ子守唄という。
堂坂よし子さんが歌って、知られるようになる。
③ 五木村では、1日に何回か、スピーカーから流れる。
動画の中では、キンコンカンの唄と呼んでいる。
マイクを通さないで聞くのは、初めてでした。 いいものです。
※ 追記 説明していただき、歌っている方がどなたかが、分かりました。
子守唄の伝承者の、淀川つるよさん、という方でした。
ありがとうございました。
天草に福連木(ふくれぎ)の子守唄があるが、どっちが先とかあるんでしょうか、と聞いた。
ないと思うという返事。 これを聞いて、ほっとした。 この考えに、賛成。
※ どっちが先かの根拠は、見つかっていない。
それを示さないで、こっちが先とか言ってるのが、Wikipedia に見られる。
福連木の子守唄に、五木の子守歌は似ている。 福連木の里。~天草市天草町~ 他 (2013/1/30)


奉公に出たのは、大きな町かなと思っていたが、そうではないそう。
農家でも裕福であれば行っている。 地主層とか。
人吉や八代方面は、多いけど、どこの村にも行っている。
子守唄について、いろいろ教えていただいた。
説明していただいた方は、道の駅から電話があって、そちらの観光案内所に行った、
建物の中に、私一人。 そのことを心配する様子はない。

この後、写真を撮った。
谷の底に、村はあった。 昔は、雪が多かったのかな。
私は、まだ村が、全部下にあった頃、一度だけ通り抜けたことがある。 30年以上前。
美味しい蕎麦を食べた。 麺は手打ちで、すぐに切れて、短くなった。
小さいけど、有名なお店だった。 今はないという。

学校と、植林作業。 今でも、96%は山林。


昔の子供たち。 どの家庭にも、子供がいっぱいいた。
いい顔をした、男の子。 学校と塾だけでは、こんな顔にはならない。


今の時代の子供たちの目と、同じです。 夏の五木は、私にとっては暑すぎます。

懐かしい風景。 昔のカラー写真の色。

不幸な時代を乗り越えて、やっと、今の時代を作れましたね。
今の時代も、子供達にとっては、十分とは言えないけれど。
今日は、生歌を聴けてよかったです。
【今日の歌】
五木の子守歌には、完成している質の高い録音が、2つあります。
五木の子守歌にとって、幸せなこと。
※ 私は、南部牛追い唄が好きだけど、いいのはまだ、YouTubeには、出てこない。
4拍子に聞こえますが、大丈夫でしょうか。 いいですよ。
※ 追記 2拍子かな。
これは、何度も紹介しています。 3拍子ですね。
堂坂よし子さんです。 貴重な録音です。
今もお元気ですが、人前で歌うのは、大変なようです。 96歳とか。
※ 3年前の春に、本人の歌を聴いています。 その時の写真。

【道の駅】 子守唄の里五木
【明日の予定】 五家荘の久連子と鬼山御前の墓
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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平家の里という、平家落人伝説に関わる資料館に行ってみた。
美しい展示があった。
那須与一が弓を射るが、平家の船で、扇の的を持っていたのは、玉虫御前。
名を、鬼山御前と変えて、五家荘に隠れ住んだという。 その話が、面白い。
吊橋を渡って、梅の木轟(とどろ)の滝を見た。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
平家の里は、樅木(もみぎ)集落の中心に近い所にあった。
小学校。 児童数8名。 3学級。 学校があるとは、思わなかった。 詳しくは、ここに。
HPを読むと、子供たちは、学校と地域によって、大事に育てられてると、感じる。
左の建物が、資料館。 右の建物で、能を舞うのか。 厳島神社を模している。
美しく展示している。 期待以上だった。 清盛の像。
右下に、重盛。 この人の子供たちが、ここに来たという、伝説。
重要人物が、みんないる。
※ 上の左に、後白河法皇。 保元の乱で、崇徳(すとく)天皇を讃岐に追いやった。
西行法師の道を歩いて、崇徳天皇白峯の陵へ。 81番札所、白峯寺。~坂出市~ 他 (2012/12/26)
※ 山田まりや が、子供を生んだ。 名前は、崇徳。 むねのり、と読ますそう。 賢く育つ。
厳島神社。 清盛が建てた。 中央に清盛。
※ 島が神だったので、海に社殿を建てた、厳島神社。 平清盛が、現在の形に。~廿日市市~ 他 (2013/1/8)
屋島の合戦で、那須与一が弓を射るところ。 平家の女の人が、玉虫御前。
五家荘の伝説は、この玉虫御前が、鬼山(おにやま)御前になって、この地に。 この後、紹介。
※ 源平の古戦場、那須与一が扇の的を射た地。 85番札所、八栗寺。~高松市~ 他 (2012/12/19)
人形とかは、全部、紙細工。 いいものです。
海の中に、みんな沈んだ。
那須与一の息子の小太郎が、平家追討のため、五家荘に来た。
しかし、鬼山御膳と出会って、最後は一緒に暮らすことになる。 詳しくは、動画を。
※ 今も那須家があるという。
※ 椎葉村には、那須与一の弟が来た。 同じように、村で暮らすが、何年かして戻る。
椎葉村には、那須家がいっぱい。
福島原発は大丈夫なのか。 ※ 那須大八郎と鶴富姫の悲恋 ~椎葉村~ 他 (2011/3/15)
※ 玉虫午前が、五家荘に来た可能性があるのでしょうか。
実は、可能性が0ではないんですね。
彼女の出身は、熊本県の御船町です。 直線で、20㌔程しか離れていません。
ただ、Wikipedia の御船町の項目には、戦いのあと、御船町に戻って、寺を建て、平家の菩提を弔ったとある。
左のように、暮らした。 人形がないから、大根を背負っている。
久連子(くれこ)古代踊り。 久連子地区に行く予定。 その時、調べてきます。
下のニワトリは、久連子鶏(くれこどり)。 久連子にしかいない。 門外不出。 見てみたい。
右は、清盛。 大河ドラマの主人公に似ている。 年輪が、額(ひたい)や鼻にある。
美しく描かれた、肖像画。
※ 最初、画面が揺れますが、少ししたら落ち着きます。
外から人が来たら、困ることがあったのでしょうか。
樅木(もみぎ)村の時代、こんなにいっぱい、家があった。 小学校は、右下の方に。
樅木の吊橋は、昔から、2つあったんだ。 向こうが、低いほうかな。 半分、壊れている。
これを渡るのは、緊張する。 どれだけの人が、落ちたのか。
平家の里には、昔の建物を、移築。
食堂もある。
集落の中を、散歩した。
樅木山荘。 右の木は、樅(もみ)の木のよう。
地図にない道を通って、滝に向かった。
向こう側の斜面を、左奥に行って、こっちの斜面を来た。
急な斜面に、道を作った。
でも、この道は走りやすかった。 一番苦労したのは、国道。
100㍍以上、すれ違えない、完全1車線が、時々ある。 曲がっているから、先は見えない。
クラクションを鳴らして、走った。 今度行ったら、動画を撮ってきます。
着きました。 幻の瀧で、道はないのに、どうして流せたのかな。
この地図が、分かりやすい。 滝は、上の方。 左下に、鬼山御前の墓がある。
どこまで車で行けるか分からないが、行ってみる。 数㌔歩いてもいい。
久連子は、右下。 久連子は、面白い名前。 語源は、分からない。
全長116㍍。 長い。 でも、名前も長い。 梅の木轟公園吊橋。
向こうから来た。 橋は揺れない。 普通の吊り橋の方が、美しいでしょうか。
吊橋を渡って、少し歩くと、見えてくる。 小さな吊橋、龍門橋。
滝の、正式の名前は、梅の木轟。 滝は付かない。 でも、付けて言ってるのが多い。
滝は、大きく2段。 ここは、下。 上の所には、右上から流れてくる。
水しぶきが、飛んでくる。
上の滝です。 正確には、こっちが、梅の木轟のよう。 落差、38㍍。 ※ 下は、昇龍滝。
遊びです。
大きな橋が出来る前は、谷底まで下りて、橋を渡って、また登った。 大変だった。
小さな橋が、見えた。
戻る途中、佐倉荘という民宿があった。 こんな説明があった。
昔、下総(しもうさ)に、佐倉惣五郎という人がいた。 (今の千葉県か)
農民を助けるため、年貢の引き下げを直訴した。
本人家族、死罪になった。 ※ 詳しくは、ここに。
この人の出身が、ここだという。 ※ Wikipedia では、別。
※ このことについては、調べても分からない。
本人についても、何があったかも、史実としては、はっきりしていない。
※ 駐車場が公的なのか、はっきりしないので、少しだけいて動いた。
※ 「モチモチの木」や「花さき山」を書いたのは、斎藤隆介。
彼は「ベロだしちょんま」も書いている。
上の話を元に、創作。
(ずっと昔、「ベロ出しチョンマ」の授業を見たことがある。 悲しい話)
兄と妹も、死罪になる。 妹は、怖くて泣く。 お兄ちゃんは、舌を出して、いつものように妹を笑わす。
最後は、舌を出して、笑いながら死んでいった。
※ 全文かどうか確認していないが、こんなお話。
五家荘の人達にとって、平家の落人というのは、誇りなんでしょうね。
伝説を大事にしているように、見えます。
【道の駅】 子守唄の里五木
【明日の予定】 天気が悪ので、五木を少しだけ。
27日に再度、五家荘へ。 鬼山御前の墓にも。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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美しい展示があった。
那須与一が弓を射るが、平家の船で、扇の的を持っていたのは、玉虫御前。
名を、鬼山御前と変えて、五家荘に隠れ住んだという。 その話が、面白い。
吊橋を渡って、梅の木轟(とどろ)の滝を見た。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

平家の里は、樅木(もみぎ)集落の中心に近い所にあった。
小学校。 児童数8名。 3学級。 学校があるとは、思わなかった。 詳しくは、ここに。
HPを読むと、子供たちは、学校と地域によって、大事に育てられてると、感じる。

左の建物が、資料館。 右の建物で、能を舞うのか。 厳島神社を模している。


美しく展示している。 期待以上だった。 清盛の像。

右下に、重盛。 この人の子供たちが、ここに来たという、伝説。
重要人物が、みんないる。


※ 上の左に、後白河法皇。 保元の乱で、崇徳(すとく)天皇を讃岐に追いやった。
西行法師の道を歩いて、崇徳天皇白峯の陵へ。 81番札所、白峯寺。~坂出市~ 他 (2012/12/26)
※ 山田まりや が、子供を生んだ。 名前は、崇徳。 むねのり、と読ますそう。 賢く育つ。
厳島神社。 清盛が建てた。 中央に清盛。

※ 島が神だったので、海に社殿を建てた、厳島神社。 平清盛が、現在の形に。~廿日市市~ 他 (2013/1/8)
屋島の合戦で、那須与一が弓を射るところ。 平家の女の人が、玉虫御前。
五家荘の伝説は、この玉虫御前が、鬼山(おにやま)御前になって、この地に。 この後、紹介。

※ 源平の古戦場、那須与一が扇の的を射た地。 85番札所、八栗寺。~高松市~ 他 (2012/12/19)
人形とかは、全部、紙細工。 いいものです。
海の中に、みんな沈んだ。

那須与一の息子の小太郎が、平家追討のため、五家荘に来た。
しかし、鬼山御膳と出会って、最後は一緒に暮らすことになる。 詳しくは、動画を。
※ 今も那須家があるという。
※ 椎葉村には、那須与一の弟が来た。 同じように、村で暮らすが、何年かして戻る。
椎葉村には、那須家がいっぱい。
福島原発は大丈夫なのか。 ※ 那須大八郎と鶴富姫の悲恋 ~椎葉村~ 他 (2011/3/15)

※ 玉虫午前が、五家荘に来た可能性があるのでしょうか。
実は、可能性が0ではないんですね。
彼女の出身は、熊本県の御船町です。 直線で、20㌔程しか離れていません。
ただ、Wikipedia の御船町の項目には、戦いのあと、御船町に戻って、寺を建て、平家の菩提を弔ったとある。
左のように、暮らした。 人形がないから、大根を背負っている。


久連子(くれこ)古代踊り。 久連子地区に行く予定。 その時、調べてきます。
下のニワトリは、久連子鶏(くれこどり)。 久連子にしかいない。 門外不出。 見てみたい。
右は、清盛。 大河ドラマの主人公に似ている。 年輪が、額(ひたい)や鼻にある。


美しく描かれた、肖像画。


※ 最初、画面が揺れますが、少ししたら落ち着きます。
外から人が来たら、困ることがあったのでしょうか。


樅木(もみぎ)村の時代、こんなにいっぱい、家があった。 小学校は、右下の方に。

樅木の吊橋は、昔から、2つあったんだ。 向こうが、低いほうかな。 半分、壊れている。
これを渡るのは、緊張する。 どれだけの人が、落ちたのか。

平家の里には、昔の建物を、移築。


食堂もある。

集落の中を、散歩した。


樅木山荘。 右の木は、樅(もみ)の木のよう。

地図にない道を通って、滝に向かった。
向こう側の斜面を、左奥に行って、こっちの斜面を来た。

急な斜面に、道を作った。
でも、この道は走りやすかった。 一番苦労したのは、国道。
100㍍以上、すれ違えない、完全1車線が、時々ある。 曲がっているから、先は見えない。
クラクションを鳴らして、走った。 今度行ったら、動画を撮ってきます。

着きました。 幻の瀧で、道はないのに、どうして流せたのかな。

この地図が、分かりやすい。 滝は、上の方。 左下に、鬼山御前の墓がある。
どこまで車で行けるか分からないが、行ってみる。 数㌔歩いてもいい。
久連子は、右下。 久連子は、面白い名前。 語源は、分からない。

全長116㍍。 長い。 でも、名前も長い。 梅の木轟公園吊橋。

向こうから来た。 橋は揺れない。 普通の吊り橋の方が、美しいでしょうか。

吊橋を渡って、少し歩くと、見えてくる。 小さな吊橋、龍門橋。


滝の、正式の名前は、梅の木轟。 滝は付かない。 でも、付けて言ってるのが多い。
滝は、大きく2段。 ここは、下。 上の所には、右上から流れてくる。
水しぶきが、飛んでくる。

上の滝です。 正確には、こっちが、梅の木轟のよう。 落差、38㍍。 ※ 下は、昇龍滝。


遊びです。

大きな橋が出来る前は、谷底まで下りて、橋を渡って、また登った。 大変だった。
小さな橋が、見えた。
戻る途中、佐倉荘という民宿があった。 こんな説明があった。
昔、下総(しもうさ)に、佐倉惣五郎という人がいた。 (今の千葉県か)
農民を助けるため、年貢の引き下げを直訴した。
本人家族、死罪になった。 ※ 詳しくは、ここに。
この人の出身が、ここだという。 ※ Wikipedia では、別。
※ このことについては、調べても分からない。
本人についても、何があったかも、史実としては、はっきりしていない。
※ 駐車場が公的なのか、はっきりしないので、少しだけいて動いた。

※ 「モチモチの木」や「花さき山」を書いたのは、斎藤隆介。
彼は「ベロだしちょんま」も書いている。
上の話を元に、創作。
(ずっと昔、「ベロ出しチョンマ」の授業を見たことがある。 悲しい話)
兄と妹も、死罪になる。 妹は、怖くて泣く。 お兄ちゃんは、舌を出して、いつものように妹を笑わす。
最後は、舌を出して、笑いながら死んでいった。
※ 全文かどうか確認していないが、こんなお話。
五家荘の人達にとって、平家の落人というのは、誇りなんでしょうね。
伝説を大事にしているように、見えます。
【道の駅】 子守唄の里五木
【明日の予定】 天気が悪ので、五木を少しだけ。
27日に再度、五家荘へ。 鬼山御前の墓にも。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

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落人伝説は、本当なんだろうか。
学者で支持する人は、いるんだろうか。
本当ならそれでいい。 でも、違うなら、伝説を作る理由は何なんでしょう。
山奥の奥に、吊り橋が2つ並んで、親子のようにありました。
そこは、ネットがつながったので、パーキングに停泊。
物音1つしません。
何か鳴かないかな~って、耳を澄まして、ブログを書いています。
そうだ、もし鳴いたら、暗闇を動画で撮りましょうか。
声が録音される。
フクロウでも、鳴いてくれ。
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最初の目的地は、五家荘に入って直ぐの集落、椎原(しいばる)にある。
駐車場を探していたら、小さな市街地を過ぎてしまった。
車を置いて、向こうに歩いてもどる。
1分ほど歩いて、緒方家。
緒方家の下に、スタンド、お店、郵便局。 3つとも、五家荘には、ここにしかない。 少し行って旅館。
道はいっぱいあるけど、みんな林道のような道。 国道445も、同じ。 酷道と呼ばれる。
ただ、少しずつ、広い道が増えている。 あっちこっちで、工事。
平氏の落人(おちうど)が3家。 菅原道真の系統が2家。
5つの家によって、この地域は支配されたので、五家荘。 初めて知る。
平家の方は、緒方に名前を変えていた。
最初に家の中を見た。 300年前の家。 2人の女性と一緒に、和室に座って、説明を聞いた。
屋根。 火を燃やさないので、20年くらいしか長持ちしない。
煙で炙(あぶ)ったら、50年だそう。
伝説は本当なんだろうかと、そればっかり、考えていた。
戦いに勝ったら、相手の首を取ってくる。
その首は、見える床の間の棚の中に置いたそう。 置くための棚。
面白いことを言ってくれた。
隠し部屋。
先祖は、清盛の孫の、清経だという。 もちろん、こう言ってるのは、この地域だけ。
※ 安徳天皇の母で、京都の寂光院(じゃっこういん)で過ごすことになる、建礼門院が、彼の死を書いている。
大分県の海に入水したことになっている。 21歳。
でも、本当のことは、分からない。
大きな家。
こういう伝説を聞いて、今日初めて、伝説だなって、感じた。
あることに、やっと気づいた。
屋根の形が、兜(かぶと)のよう。
正面は、隠し部屋の窓。 閉めたら、板壁になる。
国道から分かれて、県道159に入った。
五家荘の印象として、秘境と云われる割には、どこに行っても、空が広い。
何に気づいたかって、伝説の本質は、あれと同じ。
古事記と日本書紀。
※ 弥生時代のころ、朝鮮から力のある人たちが、日本にやってきた。
日本を治めるためには、よそ者で、ただの人間では、難しい。 人心はつかめない。
それで、自分たちは、天照大神や神武天皇の子孫ということにした。
古事記や日本書紀は、それをまとめたものだった。
深い谷。 向こうから来た。
他から、この地域にある人たちがやってきた。
この地域を支配したいが、ただのよそ者では、誰も従わない。
従わせる、大義名分もない。
そこで考えたのが、平氏や菅原氏の子孫。
樅木(もみぎ)の吊橋を見るための、駐車場があった。 地図も。
少し歩いたら、崖の上から、2つの橋が見えた。 駐車場が見えたので、そっちに行くことに。
場所はここ。 ここが、五家荘の一番奥。
緒方家が立派すぎたのが、気づくヒントになった。
平家の落人だとして、もし、その地域でひっそりと暮らしていたら、どう疑うかは、難しい。
途中まで家はなかったが、ここまで来て、集落があった。
上の写真から、1~2㌔走ったら、駐車場があった。
車を停めて、橋を探した。 上を見てもない。
こっちのようだ。 よく見たら、写真の右に橋が見える。 深い谷は、まだ見えていない。
最初に作られたのいつ頃なのか、それは、書いてない。
きっと、もっと小さくて、木のツルとかだけで作った。 四国の、かずら橋と同じだ。(2009年)
吊橋だけど、上にワイヤーが見えない。 あやとり橋。
橋は、ワイヤーの上に、乗っかっている。
下の小さな橋は、しゃくなげ橋。
昔の橋を見たいけど、ネット上には、見つからない。
※ 明日、平家の里、という所に行く。 そこで見られるか。
大きい方の、あやとり橋。 上から吊ってないから、揺れる。 それが面白い。
橋の袂(たもと)。
小さい方。 揺すっていると、だんだん揺れが大きくなる。
下の橋から、あやとり橋。 観光客が増えたので、2つ作ったんだったかな。 すれ違うには、狭い。
右の写真は、川原に降りて撮影。
魚を釣りたいが、餌がない。 寒いので、石の下の虫が、少ない。
※ 阿久根で、海の近くの釣具屋に行ったら、川釣りの餌は売ってなかった。
あやとり橋は、約72㍍。 しゃくなげ橋は、約59㍍。
昔は、その地を支配できた者だけが、立派な家に住んで、いい生活ができた。
そうなるためには、自分達はただの人間ではないという、伝説が必要だった。
先祖代々伝わる伝説を、大事にして生きている人たちがいる。
それに文句を言いうことは、出来ないですね。
今はもう、支配はしていなですから。
【今日の曲】 名前がやっと分かりました。 曲も、見つかりました。 知りたかった曲です。
イタリアの下にある、シチリア島の風景が、目に浮かびます。
曲名は、The Godfather Waltz です。(ゴッドファーザー・ワルツ)
【停泊場所】 樅木の滝のパーキング
【明日の予定】 五家荘の続き。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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学者で支持する人は、いるんだろうか。
本当ならそれでいい。 でも、違うなら、伝説を作る理由は何なんでしょう。
山奥の奥に、吊り橋が2つ並んで、親子のようにありました。
そこは、ネットがつながったので、パーキングに停泊。
物音1つしません。
何か鳴かないかな~って、耳を澄まして、ブログを書いています。
そうだ、もし鳴いたら、暗闇を動画で撮りましょうか。
声が録音される。
フクロウでも、鳴いてくれ。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

最初の目的地は、五家荘に入って直ぐの集落、椎原(しいばる)にある。
駐車場を探していたら、小さな市街地を過ぎてしまった。
車を置いて、向こうに歩いてもどる。

1分ほど歩いて、緒方家。

緒方家の下に、スタンド、お店、郵便局。 3つとも、五家荘には、ここにしかない。 少し行って旅館。


道はいっぱいあるけど、みんな林道のような道。 国道445も、同じ。 酷道と呼ばれる。
ただ、少しずつ、広い道が増えている。 あっちこっちで、工事。

平氏の落人(おちうど)が3家。 菅原道真の系統が2家。
5つの家によって、この地域は支配されたので、五家荘。 初めて知る。
平家の方は、緒方に名前を変えていた。


最初に家の中を見た。 300年前の家。 2人の女性と一緒に、和室に座って、説明を聞いた。

屋根。 火を燃やさないので、20年くらいしか長持ちしない。
煙で炙(あぶ)ったら、50年だそう。

伝説は本当なんだろうかと、そればっかり、考えていた。
戦いに勝ったら、相手の首を取ってくる。
その首は、見える床の間の棚の中に置いたそう。 置くための棚。
面白いことを言ってくれた。

隠し部屋。


先祖は、清盛の孫の、清経だという。 もちろん、こう言ってるのは、この地域だけ。
※ 安徳天皇の母で、京都の寂光院(じゃっこういん)で過ごすことになる、建礼門院が、彼の死を書いている。
大分県の海に入水したことになっている。 21歳。
でも、本当のことは、分からない。
大きな家。

こういう伝説を聞いて、今日初めて、伝説だなって、感じた。
あることに、やっと気づいた。
屋根の形が、兜(かぶと)のよう。


正面は、隠し部屋の窓。 閉めたら、板壁になる。

国道から分かれて、県道159に入った。
五家荘の印象として、秘境と云われる割には、どこに行っても、空が広い。

何に気づいたかって、伝説の本質は、あれと同じ。
古事記と日本書紀。
※ 弥生時代のころ、朝鮮から力のある人たちが、日本にやってきた。
日本を治めるためには、よそ者で、ただの人間では、難しい。 人心はつかめない。
それで、自分たちは、天照大神や神武天皇の子孫ということにした。
古事記や日本書紀は、それをまとめたものだった。
深い谷。 向こうから来た。

他から、この地域にある人たちがやってきた。
この地域を支配したいが、ただのよそ者では、誰も従わない。
従わせる、大義名分もない。
そこで考えたのが、平氏や菅原氏の子孫。
樅木(もみぎ)の吊橋を見るための、駐車場があった。 地図も。

少し歩いたら、崖の上から、2つの橋が見えた。 駐車場が見えたので、そっちに行くことに。

場所はここ。 ここが、五家荘の一番奥。
緒方家が立派すぎたのが、気づくヒントになった。
平家の落人だとして、もし、その地域でひっそりと暮らしていたら、どう疑うかは、難しい。
途中まで家はなかったが、ここまで来て、集落があった。

上の写真から、1~2㌔走ったら、駐車場があった。
車を停めて、橋を探した。 上を見てもない。
こっちのようだ。 よく見たら、写真の右に橋が見える。 深い谷は、まだ見えていない。


最初に作られたのいつ頃なのか、それは、書いてない。
きっと、もっと小さくて、木のツルとかだけで作った。 四国の、かずら橋と同じだ。(2009年)


吊橋だけど、上にワイヤーが見えない。 あやとり橋。

橋は、ワイヤーの上に、乗っかっている。
下の小さな橋は、しゃくなげ橋。

昔の橋を見たいけど、ネット上には、見つからない。
※ 明日、平家の里、という所に行く。 そこで見られるか。

大きい方の、あやとり橋。 上から吊ってないから、揺れる。 それが面白い。

橋の袂(たもと)。

小さい方。 揺すっていると、だんだん揺れが大きくなる。

下の橋から、あやとり橋。 観光客が増えたので、2つ作ったんだったかな。 すれ違うには、狭い。

右の写真は、川原に降りて撮影。


魚を釣りたいが、餌がない。 寒いので、石の下の虫が、少ない。
※ 阿久根で、海の近くの釣具屋に行ったら、川釣りの餌は売ってなかった。


あやとり橋は、約72㍍。 しゃくなげ橋は、約59㍍。
昔は、その地を支配できた者だけが、立派な家に住んで、いい生活ができた。
そうなるためには、自分達はただの人間ではないという、伝説が必要だった。
先祖代々伝わる伝説を、大事にして生きている人たちがいる。
それに文句を言いうことは、出来ないですね。
今はもう、支配はしていなですから。
【今日の曲】 名前がやっと分かりました。 曲も、見つかりました。 知りたかった曲です。
イタリアの下にある、シチリア島の風景が、目に浮かびます。
曲名は、The Godfather Waltz です。(ゴッドファーザー・ワルツ)
【停泊場所】 樅木の滝のパーキング
【明日の予定】 五家荘の続き。
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息子が謀反の疑いで、相良藩に殺された。
母は、愛猫に、末代までも怨霊になって、相良藩を祟(たた)るよう言い含め、猫を抱いて死んだ。
相良藩は、怪猫(かいびょう)に苦しめられ、不審な死が続いた。
藩は、霊を鎮めるため、寺を建てた。
その寺が、生善院(しょうぜんいん)。 猫寺と呼ばれていた。
おかどめ幸福駅という、小さな駅があった。
幸せ行きの切符を、みんな、その駅で買う。
※ ※ ※ ※
猫寺があるんだが、場所は分からない。 でも、球磨川の上流。
錦の道の駅に戻らないで、昨晩は、適当なところで停泊。
朝起きて、場所を調べた。 寺は、直ぐそばだった。 300㍍。
猫に引き寄せられるように、やって来ていた。 寝苦しい夜だったのは・・。
生善寺は、湯前駅から遠くない。
石段の上に、小さなお寺。
猫寺。 猫の狛犬(こまいぬ)。 ※ 狛犬は神社に多いが、寺にもあるよう。
話に出てくる猫は、血を舐(な)めている。 それで口が赤い。
※ 上の写真で、智山派(ちさんは)とある。 本山は、京都の智積院(ちしゃくいん)。
和歌山県に根来寺があって、秀吉の焼き討ちにあっている。 その歴史と、関わりの深い寺。
京都の東山の、淀殿が建てた養源院(ようげんいん)の、向かいにある。 三十三間堂もそば。
本堂の入口。 お寺っぽくない。
参拝者が持ってくる。 通称、猫寺。
人間の顔をしている猫か。 猫なら、人面猫。
※ 遊びでこんなのが。 人面猫。(東京都知事の猪瀬さんの目) 人面犬。
右の写真。 最近、こうやって歩くのがある。 観音巡りだけど、明るい雰囲気。
この建物が、メイン。 生善院観音堂。 国の重要文化財。 美しい。
相良藩が、祟(たたり)を抑えるために作った。 当時のもの。 1625年。
後ろから。 鮮やかな色が目立つ。
お地蔵さん。 みんなまぶしそう。 目と口の表情が同じですね。 きっと同じ人が作った。
説明が2つ。 右が、詳しい。 相良藩は、人吉藩のこと。
祟(たたり)があった、相楽藩の藩主の家は、一昨日のブログの、池のところ。
まず、この話は本当なのか、それが問題ですね。
答えは、実際にあった、と考えてよさそうです。
理由は、あったのか、なかったのか、その議論はない。
なぜ殺されたのか、その部分の議論になっている。
下の説明は、謀反の疑いという考えを採っている。
ほかの説もあるよう。
母親は、復讐をしたくても、他に方法は無かったんですね。
藁(わら)人形を作って、釘(くぎ)を打ち付けるでは、満足できなかった。
この20年ほど前、鍋島藩で化け猫騒動があった。 ※ 鍋島藩~今の佐賀県辺り。
佐賀藩は、苦しむ。
母親は、そのことを知っていましたね。 ※ さらに詳しい説明は、ここに。(水上村のHP)
本や映画に描かれた、化け猫。 (本の宣伝などから)
※ 運転していて、猫はひきたくない。
ゆっくり走っているとき、車の下を通り抜けたことがある。
少しだけ、感触があった。 でも、確認するのが、怖かった。 薄暗かったし。
もし死んでいたら、私に起きる悪いことは、あの時のたたりか。
(近くに、鍋島藩と同じ、鍋島という人の家があった。 関係ないが)
母親が祈祷(きとう)したのは、市房神社。 市房山の4合目にある。
茂間ヶ崎(もまがさき)の渕に身を投げる。 その場所は、分からない。
ただ、湯山にあると云うから、市房神社の下辺りと、考えてよさそう。
※ もう一度、行きたくなってきた。
※ 寺にいるときに、すぐに調べて、行く方法があった。
そういう動き方を、今後、考えなければならない。
観音堂が素敵なので、紹介。
独特な色の組み合わせ。 日光の東照宮とかに、似ている。
右の写真。 男の人は、上の柱を支えている。
小さな部分。
いつの時代か、復元修理をしている。 その跡が、分かりにくい。
きれいだ。
人目古いと分かる柱は、どれでしょう。
左上の柱、腐った所に、新しい木を、はめ込んだようにように見える。
ここは、はっきり古い。 ただ、雨が当たる部分だから、傷みやすい。
水上町で、相楽化け猫騒動の、動画を作らないかな。 アニメ風の。
郷土資料室で、見られるようにする。 観光資源に利用。
※ 子供たちの教育に、どんな価値を見出すことができるか、その辺は難しいかな。
価値が見つからなかったら、楽しみでもいいか。
少し走って、おかどめ幸福駅。
近くに、岡留熊野座神社(おかどめ くまのざ じんじゃ)がある。
幸福神社とも呼ばれるので、駅の名前が、おかどめ幸福神社。
幸福行きの切符は、いくらなんだろう。
※ 私は切符を持っていたんだが、昨年、落としちゃった。
下の、右から2番目。 強気すぎて失敗。 失敗覚悟で、もう一度・・・。
※ こんな話がありますね。
お互いが好きだったけど、両方共言い出せなかった。
そのことを、お互いが、70歳になって知った。
幸せな人生を送っていなかったので、愕然(がくぜん)とする。
時間を巻戻せたらと願っても、それは叶わない。
どっちが、幸せ行きなんだろう。 どっちもかな。
正面の山は、上に出てきた、市房山。
駅のとなりに、売店があった。 入らなかった。
幸せ行きの切符は、そこで売ってたのかな。
五木村へ近づくと、谷は、一層深くなった。 少し行くと、五木村の入口。
市房山に登りたい。 ※ 片道、4時間か5時間。
今の時期の山の上は、どうなっているのか。
快晴の日なら、問題なく登れるのか。
市房神社が、途中にある。 身を投げた場所も、知りたい。
検討してみるけど、来年かな。
今日の話は、伝説でないところが、いいですね。 面白い。
【映画】 亡霊怪猫屋敷(予告編)。 鍋島藩の話でしょうか。
【ブログの紹介】 剣聖丸目蔵人佐 ~宮本武蔵も一目置いていた?~ 京ヶ峰横穴古墳群 他 (2010/1/23)
【今日の歌】 歌っているのは、 Salma Hayek (サルマ・ハエック)
メキシコ出身、アメリカで活躍する、女優さん。
【道の駅】 子守唄の里 五木
【明日の予定】 五木村か、五家荘に向かうか。
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母は、愛猫に、末代までも怨霊になって、相良藩を祟(たた)るよう言い含め、猫を抱いて死んだ。
相良藩は、怪猫(かいびょう)に苦しめられ、不審な死が続いた。
藩は、霊を鎮めるため、寺を建てた。
その寺が、生善院(しょうぜんいん)。 猫寺と呼ばれていた。
おかどめ幸福駅という、小さな駅があった。
幸せ行きの切符を、みんな、その駅で買う。
※ ※ ※ ※
猫寺があるんだが、場所は分からない。 でも、球磨川の上流。
錦の道の駅に戻らないで、昨晩は、適当なところで停泊。
朝起きて、場所を調べた。 寺は、直ぐそばだった。 300㍍。
猫に引き寄せられるように、やって来ていた。 寝苦しい夜だったのは・・。
生善寺は、湯前駅から遠くない。
石段の上に、小さなお寺。

猫寺。 猫の狛犬(こまいぬ)。 ※ 狛犬は神社に多いが、寺にもあるよう。
話に出てくる猫は、血を舐(な)めている。 それで口が赤い。

※ 上の写真で、智山派(ちさんは)とある。 本山は、京都の智積院(ちしゃくいん)。
和歌山県に根来寺があって、秀吉の焼き討ちにあっている。 その歴史と、関わりの深い寺。
京都の東山の、淀殿が建てた養源院(ようげんいん)の、向かいにある。 三十三間堂もそば。
本堂の入口。 お寺っぽくない。

参拝者が持ってくる。 通称、猫寺。

人間の顔をしている猫か。 猫なら、人面猫。
※ 遊びでこんなのが。 人面猫。(東京都知事の猪瀬さんの目) 人面犬。
右の写真。 最近、こうやって歩くのがある。 観音巡りだけど、明るい雰囲気。


この建物が、メイン。 生善院観音堂。 国の重要文化財。 美しい。
相良藩が、祟(たたり)を抑えるために作った。 当時のもの。 1625年。

後ろから。 鮮やかな色が目立つ。

お地蔵さん。 みんなまぶしそう。 目と口の表情が同じですね。 きっと同じ人が作った。


説明が2つ。 右が、詳しい。 相良藩は、人吉藩のこと。
祟(たたり)があった、相楽藩の藩主の家は、一昨日のブログの、池のところ。
まず、この話は本当なのか、それが問題ですね。
答えは、実際にあった、と考えてよさそうです。
理由は、あったのか、なかったのか、その議論はない。
なぜ殺されたのか、その部分の議論になっている。
下の説明は、謀反の疑いという考えを採っている。
ほかの説もあるよう。
母親は、復讐をしたくても、他に方法は無かったんですね。
藁(わら)人形を作って、釘(くぎ)を打ち付けるでは、満足できなかった。
この20年ほど前、鍋島藩で化け猫騒動があった。 ※ 鍋島藩~今の佐賀県辺り。
佐賀藩は、苦しむ。
母親は、そのことを知っていましたね。 ※ さらに詳しい説明は、ここに。(水上村のHP)


本や映画に描かれた、化け猫。 (本の宣伝などから)



※ 運転していて、猫はひきたくない。
ゆっくり走っているとき、車の下を通り抜けたことがある。
少しだけ、感触があった。 でも、確認するのが、怖かった。 薄暗かったし。
もし死んでいたら、私に起きる悪いことは、あの時のたたりか。
(近くに、鍋島藩と同じ、鍋島という人の家があった。 関係ないが)
母親が祈祷(きとう)したのは、市房神社。 市房山の4合目にある。
茂間ヶ崎(もまがさき)の渕に身を投げる。 その場所は、分からない。
ただ、湯山にあると云うから、市房神社の下辺りと、考えてよさそう。
※ もう一度、行きたくなってきた。
※ 寺にいるときに、すぐに調べて、行く方法があった。
そういう動き方を、今後、考えなければならない。

観音堂が素敵なので、紹介。

独特な色の組み合わせ。 日光の東照宮とかに、似ている。

右の写真。 男の人は、上の柱を支えている。


小さな部分。


いつの時代か、復元修理をしている。 その跡が、分かりにくい。
きれいだ。

人目古いと分かる柱は、どれでしょう。
左上の柱、腐った所に、新しい木を、はめ込んだようにように見える。


ここは、はっきり古い。 ただ、雨が当たる部分だから、傷みやすい。

水上町で、相楽化け猫騒動の、動画を作らないかな。 アニメ風の。
郷土資料室で、見られるようにする。 観光資源に利用。
※ 子供たちの教育に、どんな価値を見出すことができるか、その辺は難しいかな。
価値が見つからなかったら、楽しみでもいいか。
少し走って、おかどめ幸福駅。

近くに、岡留熊野座神社(おかどめ くまのざ じんじゃ)がある。
幸福神社とも呼ばれるので、駅の名前が、おかどめ幸福神社。
幸福行きの切符は、いくらなんだろう。


※ 私は切符を持っていたんだが、昨年、落としちゃった。

下の、右から2番目。 強気すぎて失敗。 失敗覚悟で、もう一度・・・。

※ こんな話がありますね。
お互いが好きだったけど、両方共言い出せなかった。
そのことを、お互いが、70歳になって知った。
幸せな人生を送っていなかったので、愕然(がくぜん)とする。
時間を巻戻せたらと願っても、それは叶わない。
どっちが、幸せ行きなんだろう。 どっちもかな。

正面の山は、上に出てきた、市房山。

駅のとなりに、売店があった。 入らなかった。
幸せ行きの切符は、そこで売ってたのかな。
五木村へ近づくと、谷は、一層深くなった。 少し行くと、五木村の入口。

市房山に登りたい。 ※ 片道、4時間か5時間。
今の時期の山の上は、どうなっているのか。
快晴の日なら、問題なく登れるのか。
市房神社が、途中にある。 身を投げた場所も、知りたい。
検討してみるけど、来年かな。
今日の話は、伝説でないところが、いいですね。 面白い。
【映画】 亡霊怪猫屋敷(予告編)。 鍋島藩の話でしょうか。
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【今日の歌】 歌っているのは、 Salma Hayek (サルマ・ハエック)
メキシコ出身、アメリカで活躍する、女優さん。
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【明日の予定】 五木村か、五家荘に向かうか。
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