飼育員を志した、動物好きの歩み
富士山のふもと、静岡県富士宮市の朝霧高原にある朝霧メイプルファーム。搾乳頭数450頭、子牛100頭を育てており、酪農業界でいち早く業務のマニュアル化や機械化を推進したことでも知られる。徹底した労務管理によって収益性が高く、かつ従業員にとっても働きやすい牧場経営を実現してきた。新卒の入社倍率は40倍以上となる年もあるなど、人手不足が叫ばれる酪農業界ではほかに類を見ないほど、若者らの熱視線を集めている。
大学を卒業した2021年に同社の門をたたいたのが、神奈川県鎌倉市出身の城樂さん(25歳)だ。1年目から、同社が採用しているジョブローテーション(※)の勤務を通じて、酪農に関わる一連の業務を経験。3年目となる今年は、搾乳や餌づくりといった業務のほか、後輩の教育係や社内プロジェクトのリーダーといった役割も担っている。
(※)業務習得中は3カ月ごと、習得以降は1カ月ごとに、搾乳や餌づくり、繁殖といった業務を持ち回りで担当する人材育成施策
もともと動物が好きだったという城樂さん。小学生のころにウサギを世話した経験から、動物を観察しながら育てる楽しさに目覚め、「将来は絶対、動物園の飼育員になりたい」という夢を抱いてきた。
中学生のころからすでに「動物について幅広く学べる学校へ行きたい」と、将来の道筋を考えていた。日本大学生物資源科学部への入学を目指して系列高校へ進学。2018年に晴れて同学部に入学すると、主に野生動物の勉強に熱心に取り組んだ。一方で、畜産学や食品科学、経営学をはじめとした畜産・酪農に関する講義にはあまり関心がなかったと城樂さんは振り返る。
「当時は畜産や酪農と聞くと、休みが少なく体力勝負で大変そう、毎日搾乳などの決まった作業を淡々とこなすばかりで面白くなさそうという印象がありました。自分には関係ないことだと、はじめのころはあまり真剣に講義を聞いていなかったかもしれません」と笑う。
こうした先入観を改めたきっかけが、就職活動を通じて朝霧メイプルファームと出会ったことだった。
「休みがなさそう」「面白くなさそう」。心象が変わったワケ
動物園への就職を目指して、大学3年時から就職活動に励んだ城樂さんだったが、飼育員としての就職は想像を絶する狭き門だった。動物園を運営する自治体の求人は毎年数人程度。その座を、飼育員志望の全国の学生らが競うため、採用倍率は100倍に上ることも珍しくない。加えて、城樂さんの本命だった民間の動物園は、募集開始時期がほかの企業の採用が終了する大学4年の秋であったことから、ここで不採用となってしまうと就職浪人は免れない。
「家庭の事情もあり、就職浪人だけは絶対に避けたい」と、飼育員のほかに動物と関わることができる仕事がないか考えるようになり、大学での講義で触れてきた畜産業、酪農業を視野に入れ始めた。「畜産学などの講義を受けるうち、長く飼うことを目的とした乳牛を育てることに、いろいろな工夫のしがいがありそう」と感じ始めていたのも理由の一つだ。
朝霧メイプルファームとの出会いは、そんな就職活動真っただ中だった。きっかけは、母から送られてきた雑誌のコラムだ。
「マニュアル化によって、自分たちで病気の牛を治療したりと、ただ乳牛を育てて搾乳するだけではない先進的な取り組みが面白そうだと感じたことを鮮明に覚えています」と城樂さん。引き寄せられるように職場見学へ出向くと、抱き始めた可能性が確信に変わった。「休日は月に8日あり、ジョブローテーションの勤務によって、急なお休みやトラブル時にもメンバーと助け合いながら対応できる。これまで抱いていた酪農へのイメージがガラッと変わりました」
その後は採用試験に臨み、産業動物を育てる仕事の理解度と学術的かつ実践的な姿勢が評価され、二つしかない採用枠を勝ち取った。
組織で酪農に向き合うからこそ得られた醍醐味(だいごみ)
朝霧メイプルファームでの業務を通じてスキルと経験を積む中で、より深く酪農の醍醐味を実感できていると城樂さんはいう。
「生き物や誰かのために仕事をすることが好きな私にとってピッタリな場所。牛を観察して、体調が悪そうと判断すれば自分で治療を行ったり、子牛の体調の変化などから餌の内容やミルクの量を調整したりと、自ら考えて行う仕事にやりがいを感じます。もともと動物園で働きたかった理由も、動物が好きであること以上に、生態を観察したり考察したり、工夫しながら動物の世話をすることが好きだったからでした」。やりたかった仕事が今、酪農という形で実現できていると話す。
現在、牧場で働く正社員は自身を除いて6人いる。特に、このうち4人いる先輩たちとの雑談や日々の関わりは、自身の成長につながる貴重な機会だという。「自社ではジョブローテーションによって3年ほどですべての仕事を習得し、それぞれ自身の関心ある分野に特化して業務にあたることができます。それぞれ深い知識を持っている先輩たちから教えてもらえることはとても濃いと感じています」
朝霧メイプルメイプルファームの代表取締役である丸山純(まるやま・じゅん)さんは城樂さんの仕事ぶりについて「最初は線が細く心配になることもありましたが、今は自信を持って働いてくれている。社内プロジェクトを立ち上げた際も、自らプロジェクトリーダーに志願してくれるなど、農場のレベルを上げようと主体的に取り組んでくれています」と目を細める。
現在、新入社員の教育係を務めるほか、HACCP認証取得のための社内プロジェクトのリーダーを務めるなど、堅調にキャリアを形成する城樂さん。職業としての農業の魅力を発信する農水省事業でもロールモデル(※)に選ばれており、今後の活躍にも期待が寄せられる。
※農業の魅力発信コンソーシアムは、農林水産省の補助事業を活用し、農業現場で活躍する「ロールモデル農業者」との接点を通じてこれまで農業に関わりのなかった方が「職業としての農業の魅力」を知る機会を創るために、イベントの開催やメディア・SNSを通じた情報発信を行っています。
規模拡大を目指す組織で、不可欠な存在へ
新卒入社して3年目に入り、今後のキャリアを模索する城樂さんだが、根本には「なんでもできる酪農家になりたい」という確固たる思いがある。
「現在、繁殖の練習や人工授精の練習にも力を入れています。これらを一人でできるようになり、早朝の搾乳主任などの大役を任されるようになりたい。会社として規模拡大を目指す中で、自分に何ができるかを常に考えながら、新しいことにもチャレンジし、なんでもできる酪農家になりたいですね」
酪農に魅せられた若者が、業界を底上げしていく。酪農業界の今後に期待が膨らむ取材だった。