球団職員の誘いを断り、イチゴ農家を目指す道へ
三ツ間さんは独立リーグを経て、2015年に育成選手として中日ドラゴンズへ入団。1年目オフに支配下登録を勝ち取ると、2017年には1軍で35試合に登板するなど、救援陣の一角を担った。
2020年は先発転向に挑戦するも、故障に泣かされるなど登板数が激減し、2021年シーズン終了後に自由契約へ。ほどなくしてユニフォームを脱ぐことを決めた。
引退後は球団職員のポストを用意されていたが、「やることがある」とオファーを断り、これまでゆかりのなかった神奈川県でイチゴ農家を志したことは前稿で触れた通りだ。
在学中に事業企画作りと農地探しに汗
就農を目指してからの行動は早かった。すぐさま、海老名市にある「かながわ農業アカデミー」に願書を提出。現役時代からベランダ菜園で腕を磨いてきたが、一から栽培のイロハを学ぶことにした。
「野球場からのアクセスが良い場所に農場を構え、野球ファンや観光客らを誘致する事業モデルを構想していたので、その筆頭候補地が神奈川県でした」と三ツ間さん。同アカデミーを選んだのは、卒業後すぐに日本政策金融公庫から青年等就農資金の融資を受けるため、融資対象である認定新規就農者の資格を取得できることも理由の一つだ。
在学中はアカデミーでただ一人、青年等就農計画や経営計画書作りに励んだ。同期のほとんどは親元や師匠の元で腕を磨きながら数年後の就農を計画していた中、三ツ間さんは「いまは妻の収入が頼り。一家の大黒柱がずっと収入ゼロではいけない」と、あくまで最速での独立就農にこだわった。
「経営計画書は、細かな日付の違いや見積りの不備などで何度も差し戻しを受けましたが、在学中にやっていなければ今頃開園すらできてなかったでしょう」
このころから、自ら農地探しにも取りかかり各地を行脚した。「初めは自治体に頼っていたのですが、よりスピーディーに条件に合致する土地を探したくて。Googleマップの航空写真などの情報を見ながら、自らアポイントをとって探すようになりました」(三ツ間さん)
県内を東奔西走し、やっとの思いで意中の農地を見つけるも、農地貸借をめぐっては予期せぬトラブルの連続だったと、三ツ間さんは振り返る。
トラブル続きの農地探し。脳裏をよぎった撤退の選択肢
最初に就農候補地として契約寸前まで話が進んだ県内の農地では、直前で当初申し合わせていた契約金額の数倍に上る値段を提示された。「足元を見られたというか。『売り上げの何%を支払う』というありえない条件まで持ち出されて」と振り返る言葉に残念さがにじむ。何とか折り合いを付けようと交渉したが、初手で相場の数倍に上る金額を突きつけられては進展のしようがない。数カ月の調整もむなしく、あえなく破談となった。
その後、やっとの思いで次の候補地を見つけた。こちらも契約直前まで話が進んだが、イチゴ観光農園を開く構想を聞きつけた地元住民の一人から「人の流れが多くなる」と猛反発を受けた。地権者を含めたほかの地域住民は、三ツ間さんの人柄を評価し歓迎ムードだったが、最終的には地権者がこの反対意見に折れる結果となり、ここでも契約を断念せざるを得なかった。
三ツ間さんは「こうしたトラブルが続いたこともあり、実は(昨年の)12月までに農地が見つからなければ、農業はあきらめて定職につこうとさえ思っていました」と、当時の心境を打ち明ける。
このころまでに農地を借りることができなければ、融資条件である認定新規就農者の要件を満たすことができず、計画していた2023年度中の開業が不可能になるからだ。
「これでは、プロ野球を引退してから農園を開くまで、少なくとも3年以上無収入になってしまう。小さい子どもを持つ一家の大黒柱として、それはさすがにマズイですから」
本気度が伝わり、逆転ホームラン
光が差し込んだのは、ちょうど撤退も視野に入り始めた昨年10月ごろ。横浜市の農地を持つ地主からの連絡だった。
「かねてより、横浜市内の農地を紹介してくれていた地権者さんから連絡があったんです。元々は別の土地を紹介してくれていたのですが、その時は広さなどの条件が合わずに、お断りしていました。ですが今度は、『三ツ間さんの希望に近い土地が実はあるんだ』と言うんです」(三ツ間さん)
そこは、相模鉄道いずみ野駅から徒歩15分の場所にある計40アールの平地。プロ野球の球場があるJR関内駅からは最短50分ほどの場所で、周辺にはバス停や駐車場もあり、観光農園を開くにはこれ以上ない条件の土地だった。断る理由はなかった。
「のちのち、なぜこの土地のことを教えてくれたのか理由を尋ねてみたのですが、どうやら『この人はちゃんと農業をする気があるのか、ほかのビジネスの片手間でやるつもりではないか』と、就農への本気度合いを見定めていたようでした。自分の土地がおろそかにされないか心配するのは当然のことですよね。よく『新規就農では、地域の人たちに熱意を伝えることが大切』という話を耳にしていましたが、まさか自分がその当事者になるとは思いもしませんでした」
今年3月に正式に契約を結んだ。在学中から幾度もの差し戻しにもめげずに経営計画書作りに励んだ甲斐あって、このほど青年等就農資金の上限いっぱい3700万円の融資が決まった。直近では新たに、800万円を農協信連から借り受けるなどして、開業資金を工面した。
これらの資金を元手に、今年10月にはおよそ3300万円を投じて7棟のハウスを建設。1400万円をかけて、イチゴ高設栽培のシステムを導入した。倉庫や机などの事務用品は、フリマサイトなどを介して引き取った中古品をDIYで修繕、塗装して工面している。観光農園に必須の仮設トイレは、クラウドファンディングを通じて資金調達する予定だ。
ベランダの一角から始まったプランター栽培が、40アールにも及ぶイチゴ農園へと生まれ変わった三ツ間農園。次回記事では、開業までの慌ただしい様子を紹介する。