自信さえ取り戻せば働ける人々の活躍の場を農業に
農林水産省の統計によると、2019年の農業就業人口は約168万人で、その数は10年前の約3分の2。さらに、農業就業者の平均年齢は67歳。農業は食料を生産する重要な産業であるにもかかわらず、人手不足と高齢化が著しい分野だ。
一方で、さまざまな困難を抱え就労にハードルのある人も多い。職と家を失い住所がないばかりに就職活動もままならないホームレスの人、人間関係のつまずきをきっかけに引きこもり状態を長引かせてしまった人……。
そんな人々は皆働く意欲を失っているのかと言えば、そうではない。きっかけ、環境、そして何より自信を取り戻すことで働くことができると語るのは、株式会社えと菜園の代表取締役社長、小島希世子(おじま・きよこ)さん。
彼女はNPO法人農スクールを立ち上げ、「ホームレスや引きこもりが人生を取り戻す」ための活動をしている。
小島希世子さんプロフィール
神奈川県藤沢市の野菜農家(雑草昆虫農法)。
1978年熊本県生まれ・柔道二段。慶應義塾大学卒。株式会社えと菜園、体験農園コトモファーム、NPO法人農スクールを創立。
農作業を活用した企業の新入社員研修のプログラムの構築/自治体等での就労支援の現場でのプログラムの構築/農業大学校や大学の農学系学部などのゲスト講師も務める。
著書「農で輝く!ホームレスや引きこもりが人生を取り戻す奇跡の農園」(河出書房新社)
農林水産大臣奨励賞受賞(第31回人間力大賞)
WIRED Audi INNOVATION AWARD 2019受賞
仕事がなくて困っている人と人手不足の農家をつなげたい
小島さんの農業との出会いは幼いころ。非農家出身だが熊本の農村地帯に育ち、農業は身近で憧れだった。小学生の時、世界には食べ物がなくて困っている人が多くいることを知り、食糧の国際支援をする仕事を志す。しかし、大学進学のために上京し、仕事も住み家もないホームレスの存在を知って衝撃を受けた。「農業は人手不足、それならホームレスの人々に農業で働いてもらうことはできないだろうか」と思いついた。
大学では国際支援や心理学について学びながら農業関係の流通会社でアルバイトをし、卒業後はバイト先にそのまま就職、農業の現場も学んだ。いずれ起業したいという思いを持ちつつ、農業に関するさまざまな経験を積むために有機農業の会社に転職し、さらに農業に関する知識を深めていった。
2006年に起業、資金ほぼゼロで始めたのは熊本の農家の野菜やコメを売るオンラインショップだった。農業関係の流通の会社にいたため、良い作物を作っても販路に困る農家が多いと知っていたからだ。また、卸など仲介業者の存在のために生産者と消費者との距離が遠いことも課題に感じていた。
食べる人と作る人の距離を埋めたいと、2008年には横浜で「チーム畑」という名の家庭菜園塾を始めた。そこで、教室のない平日に畑の草取りなど管理をする人が必要になり、支援団体を通じて3人のホームレスの人をアルバイトとして雇うことにした。
彼らは元日雇い労働者。リーマンショックの影響で職と家を失った50代の男性だった。
もともと建設現場で働いていたため体力はあり、シャベルなどの扱いはお手の物、機械の使い方に詳しい人もいた。「ホームレスの方って、体つきが農業に向いている人が多いんです」と小島さんは言う。
しかし、夏の間は仕事に来ていた彼らも、寒くなり生きることで精いっぱいになるとなかなか畑に来なくなった。そこで寮を持っている支援団体と協力し、生活保護を受けながら通ってもらうことに。しかしそこにも落とし穴があった。
「生きることに精いっぱいのうちは気が張っているので働けるんですが、先を考える余裕ができると、かえって病気になってしまったり精神的に落ち込んだりする人が多いんです」
そうした現実に直面しながらも、彼らが畑で自分の力を取り戻していく様を見ていた小島さんは、この活動を続けていくことにした。
チーム畑が借りていた畑では受け入れられる人数が少ないため、もっと多くのホームレスの人を受け入れたいと、2009年に株式会社えと菜園を設立。2011年、現在畑のある藤沢市に畑を借り、「農スクール」での講習という形で支援を始めた。
農スクールで自信を取り戻す
農スクールに入学者の条件はない。当初中高年のホームレスの人が多かった農スクールだが、現在は引きこもりの人が多い。中には40代でほぼ就労経験がなく、20年近く引きこもっていた人もいるという。彼らはインターネットなどで農スクールの存在を知り、勇気を出して問い合わせてくる。
まずは説明会でどんなことを学ぶかを説明したうえで、エントリーシートを書いてもらう。エントリーシートの目的はもちろん選考ではない。これまでを振り返って自分について文章を書くのも一つのステップなのだ。
エントリーシートを提出したら入学だ。週1回2時間、畑での講習を3カ月かけて10回行う。驚くことに、皆ほぼ休むことなく通うのだという。「基本的に彼らは真面目すぎるほど真面目。でも自信を失ってしまって外に出られなくなってしまった。この10回の目的は『自信を取り戻すこと』ですから、私たちは彼らを否定しない。だから来やすいのでは」
また、彼ら自身も毎週畑に通い作業をするために体力をつけるなど努力を始める。種をまき、育て、収穫して食べるという農業の流れは、成果が目に見えてわかる。そうした農スクールのプログラムと彼ら自身の努力の相乗効果で、3カ月の間に驚くほど変わる人もいるそうだ。
「農業って面と向かって話さなくてもいいし、無言でもやり過ごせる。目を見て話さなくてもいいので、コミュニケーションが苦手な人でも気楽に話せるんです。それがとても良い訓練になります」
自信を取り戻した彼らに用意された次のステップは「農家サラリーマンの心得を学ぶ」という10回の講習。「自信を取り戻す」のステップを卒業した人の中から、本気で農業を仕事にしたいと決めた人だけが受講する。内容は農業技術がメインではなく、「明るいあいさつをする」「時間を守る」など、仕事をする上で大切なこと。その後、農家にインターンに行くなどして現場を学び、雇用就農につなげていく。
これまで80人以上が農スクールで学び、現在も農業で働いている人は18人ほど。農業以外の道を選ぶ人もいるが、ここで学んだ仕事をする上での心得は他の仕事でも彼らの助けになっているようだ。
農スクールの運営の費用だが、受講者全員から受講料をとっているわけではない。経済的に厳しい状況にある人も多いからだ。運営資金はほぼ寄付に頼っている。「結果的に彼らが農業のプレーヤーになってくれれば、日本の農業界のプラスになるので、それでいいんです」と小島さんは言う。
地域に根差した畑「コトモファーム」
農スクールの舞台となるえと菜園の畑の半分以上は「コトモファーム」という約150区画の貸農園になっていて、近所の人々が家庭菜園を楽しんでいる。中には農スクールのことを知って応援してくれる人もいるという。利用者の中には、不登校の子供を連れて通う人もいる。平日に街なかで小中学生の年齢の子を連れていると「学校はどうしたの?」と聞かれるが、畑ではそんなことがないからだ。
「えと菜園は地域の人が利用する地域に支えられた畑ですが、地域の方のサポートにもなれればと思います。もし将来お子さんが引きこもりになっても、ここを知っていればその方の助けになるかもしれないじゃないですか」
コトモファームに通ううちに、自ら農業をしたいと考え始め、農業を学び始める人も一定数いる。そんな人々のために、独立農家になるための「スキルアップコース(農起業コース)」もあり、半年間、45万円(コトモファームの会員は割引あり)で本格的な農業が学べる。卒業生は専業や半農半Xで農業を始めている人が多く、ここでも農業のプレーヤーを輩出している。
農福連携のプレーヤーも育てる
コトモファームのスキルアップコースで学んだ人の中には、小島さんのように農業を通じて生活困窮者や精神的な障害のある人の就労支援をしたいと希望する人も。そこで「認定農キャリアトレーナー」という資格を作り、取得のための講習も始めた。スキルアップコース修了後に、農スクールでの20回の講習にサポーターとして参加または2日間の座学を受け、認定試験と面接に合格すれば取得できる。このコースは10万円。すでに農業の知識がある人はスキルアップコースの受講は不要だ。
このコースで重視しているのは、あくまで「一般就労」をめざす人を育てる就労支援だ。
「農業の現場は多様なので、その人ができることと苦手なことを見極められさえすれば、どんな人でも一般就労して最低賃金以上の給与をもらえる可能性があるのが農業の魅力です。『農業界のプレーヤーとなる人』が一人前に働けるように、自立を支える人の育成をしたいんです」
小島さんの畑からは、毎年確実に新しい農業界のプレーヤーが巣立っている。さらに小島さんと志を共にする人々がここで学び、全国で活動を広げていけば、農業というフィールドで輝ける人はもっと増えていくかもしれない。
取材協力・画像提供:株式会社えと菜園
【小島希世子さん著書紹介】
「農で輝く!ホームレスや引きこもりが人生を取り戻す奇跡の農園」(河出書房新社)