2024/10/10 - 2024/10/11
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鯨の味噌汁さん
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10月10日。
午前3時に目が覚めると、かーちゃんはすでに起き出していた。10時間ほど寝て、いくらか体調が回復したらしい。
「ダイジョーブ?」
「うん。熱はないから熱中症じゃないと思う」
昨日に比べ、顔色もよくなっている。
じゃあ、ぼちぼち行ってみますか(⇒キャンセルを覚悟してたんでホッとしてる)。
-
午前4時、ホテルにトヨタのハイエースが迎えに来る。そのままいくつかホテルを回って客を拾う。
ツアー客は8人で、いずれも男女のカップルだった。われわれの後ろの席には元気なアメリカ人。あとは北欧系と思われる大柄な初老夫婦、年の差婚っぽいスペイン系カップル。 -
大通りはまだ暗いが、アブシンベルへ向かうワゴン車や観光バスで混雑していた。
車はアスワンの市街地を抜け、ナイル川にかかった橋を渡る。google mapで確認するとそれがアスワンダムだった。ダムのたもとには装甲車が待機。
ダムを渡り左折。その先のランドアバウトを抜けると砂漠が始まる。
ほぼまっすぐな一本道を、ツアー車は隊列を組んで走る。時速は100キロ。そのくせ車間距離は極端に短くて、ヘッドライトのすぐ先に前を走る車のテールランプが光っている。
振り返れば後続車もまた、車間を極端に詰めており、それが前後に続いている。なんでこんなに詰める必要がある、危ないじゃないか、日本だったら煽り運転。
そういえば、と思い出す。
過去の旅行者のブログに「盗賊が出るから夜間の走行は危険」なんてあった。
なんで今の世に盗賊。アリババかよ。千夜一夜かよ。
…と思ってたけど、じっさいに車が数珠つなぎで突っ走ってるところを見ると、リアルな危機回避策にも見える。さらに進むと砂漠の真ん中に軍の検問所もあるではないか。どうもシャレではないらしい。
多分おそらく、盗賊というよりは観光客を狙うイスラム過激派への対策ではないかと思われる。
走ることしばし、ようやくにして日が昇る。すると安心したかのように車どうしの車間が広がった。どうやら危ない時間帯は終わったらしい。
ワシはヒヤヒヤしていたのに、うしろのアメリカ人カップルはずっとイビキをかいていた。最近の日米安保条約みたいである。 -
3時間走って、アブシンベルの町に入った。道の両側に緑が始まり、やがて住宅街。
ナセル湖畔にある人口2000の小邑だが、アブシンベル神殿を持っているせいで町にはそれなりに活気がある。 -
ちょうど通学の時間帯らしく、オート三輪には子どもたちが鈴なりだった。
南に行けばすぐにスーダンとの国境で、ここらへんはヌビア人の土地だ。ナイル川でのヒトの往来を縦軸、長い歴史を横軸として、ブラック・アフリカとアラブが交差した民族。
追い越したときに見た子どもたちは、やっぱりアラブ系とアフリカ系のグラデーションだった。
以前タクラマカン砂漠を旅したとき、ウイグル族の子供たちが、金髪碧眼からアジア系の平たい顔族までそろっていたことを思い出す。ウイグルにナイルのような大河は流れていなかったが、代わりにシルクロードがあった。 -
神殿の駐車場に到着したら7時半。ドライバー氏が
「9時半に戻ってきてください、9時半ですからね9時半、なにしろ9時半、絶対9時半」
しつこく「ナイン・サーティ」を連呼する。時間を守らない客が多いんだろう思われる。 -
エントランスから神殿まで徒歩で20分ほど。若い人ならその半分の時間で行けるが、かーちゃんの体調をおもんばかって、ゆっくりゆっくりと歩く。
ナセル湖に沿ってとぼとぼ歩き、小さな丘を越える左手に神殿が見えてきた。 -
なるほどでかいぞ。
四つある坐像は全部ラムセス2世で、うちひとつは首が落っこちている。
かーちゃんは相変わらずゆっくり歩いている。
落っこちた頭部の前にたどり着き、立ち止まり、ジッと観察し、しきりと写真を撮る。
君のツボはそこなのか。ようわからんぞ。
「自由行動にしようか。1時間後、向かいの売店に集合で」
かーちゃん、然りと頷く。 -
ワシとかーちゃんは、観光における嗜好や行動が必ずしも同期しない。
彼女は建物や彫刻や像などなど、じっくりねっちり、細かいところまで見たいヒト。
しばしば一箇所で足が止まり、ためつすがめつ、飽きず眺める。写真もバチバチ撮る。
いっぽう、ワシはたどり着くまでの過程が楽しくて、ブツは遠くからぼうっと眺めて満足しちゃうヒト。
だって細かいところまで見たって忘れるしね。写真だってこの旅で100枚ほどしか撮っていない。
よってその場で左右に別れ、平和裏に別行動を開始する。 -
8時を回って、ツアーのお客さんが増えてきた。
みなさま、日差しが厳しくなる前に見物を済ませ、宿に帰っていく様子である。
この時期のエジプト観光は、早朝と日没後がゴールデンタイムであるらしい。 -
ちなみに、この神殿を砂の中から掘り出したのは、やっぱりあのベルツォーニだった。
執念で掘り進み、神殿の奥までカラにしたが、見つかるのは壁画と像ばかりで、財宝もミイラも出てこなかった。
ベルツォーニ、大いにがっかりしたという。 -
ワシがここで見たかったのは戦車の壁画だ。戦車といっても現代のタンクではなく、戦闘用の馬車のこと。
戦車は古代シュメールで発明されたらしい。おそらくは人類最高の発明「車輪」とほぼ同時だったのではないか。というより、車輪・車軸・荷台はセットであって、単独での発明はありえない。
革新的兵器の常で、たちまちアナトリアを中心として拡散し、南はエジプト、東は中国まで伝わった。 -
この時代、騎兵はまだ登場していない。
戦場における最強の兵器は馬二頭を繋駕した二輪戦車で、形態としては現在のリヤカーのごときものである。
「なんだリヤカーを馬に引かせただけじゃん」
とバカにするヤカラは馬に蹴らるであろう。その機動性と突破力は「かのドイツ機甲師団に匹敵した」と言われる。誰が言ってるかといえば鯨の味噌汁である。
御者が一名、兵士が一名乗り、歩兵を先導して敵陣に肉薄した。武器は弓矢で、やじりは銅製だった。 -
その後騎馬が発明されると、騎兵による突撃が決戦時の主力となり、戦車はすたれる。
以下余談。
日本の古墳時代は騎馬以降のお話なので、日本に戦車は到達しなかった。辺境あるあるで、次の騎馬が来ちゃって、戦車時代は飛ばされた。
古墳から出土する埴輪は鞍や鐙をつけた馬であり、戦車の埴輪はない。(ワシが知らないだけかもしれない)。始皇帝の兵馬俑には二輪の戦車が埋められていたのにね。
さらに余談。
辺境にあった日本は戦車戦を経験しなかったが、はるか後年の1939年、満蒙国境のハルハ河戦争で鉄の戦車群に全滅戦を喫した。日本では矮小化してノモンハン事件と呼ばれる。 -
ラムセス2世が複数の捕虜の髪の毛を引っ付かみ、吊し上げている。捕虜たちが両手を上げているのは、今も昔も変わらない「降参」の意思表示だろうか。
だがしかし、右隣にまがまがしい刀を振り上げている男がいるので、捕虜の運命はすでに極まっているようだ。 -
アブシンベル神殿は戦争の記録がいっぱいだ。ラムセス2世は古代エジプト版図を拡大させた英雄だから当然と言えば当然なのだけれど。
歩き疲れて小神殿の前にある売店に避難。
エスプレッソを頼み、木陰で休む。
ショートホープを一本取り出し、店主にも勧め、ぼちぼちと妄想。
氷河期が終わり、小アジアの「どこか」で農業が始まる。
それまで木の実をひろい、獣を狩っていたヒトは、農業を覚えるやいなや、爆発的に人口を増やした。
笹の実が数十年に一度結実すると、それを腹いっぱい食べたネズミが大繁殖するのと同じ理屈だ。農業を覚えることで、笹の実が毎年なる状況を、ネズミではなくヒトで実現させたわけだ。
増えすぎたヒトは新たな土地を求めて拡散し、各地で争いが起こっただろう。
旱魃や洪水で穀物が穫れないときは、生き残るための殺し合いもあっただろう。
そうやって合従連衡を繰り返し、ゆっくりとクニの形になっていったと思われる。 -
…などと妄想しつつ、砂糖をたっぷり入れたエスプレッソをすすっていると、小神殿の見物を終えたかーちゃんが、ヨタヨタとやってきた。
彼女はもともと股関節が悪く、軽く脚を引きずって歩いてるんだけど、いつもよりしんどそうだ。体調も万全ではないし、きょうはここまでだろう。
ちょうどやってきたカートに声を掛け、ふたりで乗り込み、エントランスへ引き返す。 -
ずらりと並んだミヤゲ物屋さんで時間を潰し、9時20分に駐車場に戻ったら、われわれが一番乗りだった。
その次がアメリカ人で、9時半ギリギリにやってきたのがスペイン人だった。
なんとなく納得するワシである。 -
午後1時、アスワンのホテルに帰着。
パンをかじり、そのままふたりともグースカお昼寝。
目が覚めると5時だった。
かーちゃんはまだウトウトしている。
「ちょっと歩いてくるねー」
言い残し、ひとりで出かける。
ホテル前の通りを右に進むと、市場に行き当たった。入口で野菜を広げているおばちゃんたちは、その多くがヌビア人だ。 -
靴磨きのおっちゃん。
鼻歌を歌いながら楽しそうに仕事をしている。
砂漠の砂で真っ白になったワシの靴を預けると、まず布で汚れをぬぐい、アブラを塗って素手で伸ばしてくれた。
カタコト英語も通じないけど、隣で見物していた若者が通訳してくれる。10分のお仕事で30ポンド。写真掲載ウエルカムということでチップ20ポンド。 -
宿に戻ると、かーちゃんが起き出して、地球の歩き方を読んでいた。
「おなかがすいた」
おお、食欲が復活したか。
「通りのすぐ先にイタメシ屋があるから、そこ行こうか」
それから夕方の街へ出かけていった。
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旅行記グループ
10月のエジプト(ガチで暑い)
この旅行記へのコメント (2)
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- クラウディアさん 2024/12/05 18:35:24
- マジで暑かった
- こんにちは。
無事にアブシンベルお楽しみできたようで安心しました。奥さまも体調不良の中、よく頑張られました。ご無事で何よりでした。
アスワンから早朝出発しますと、連隊組んで走るのですか?道も良くないので大変でしたね。
アブシンベル神殿は、中に入るとホント日陰がなくて神殿前のお店くらいですよね。しかも店内冷房が効いてるの。
砂漠の中にポツンとあった水色の休憩所、私たちも寄りました。女子トイレに覚悟して入ったのですが、期待を遥かに裏切るとてもきれいなおトイレでした。
アスワンの市場、行ってみたかったです。
- 鯨の味噌汁さん からの返信 2024/12/05 20:52:14
- Re: マジで暑かった
- そうそう、ここも暑いこと暑いこと。
着いたの7時半だったのが救い。1時間もしたら歩くのがしんどくなりました。神殿の中はなんぼか涼しかったんで、意味もわからず壁に描かれたヒエログリフを眺めてました(笑)
あれは表意文字と表音文字の組み合わせなんですってね。世界中で表音と表意の両方を使ってるのは日本人だけなんで、習いやすい、なんてムチャな話を思い出してました。ラムセス2世のヒエログリフだけ覚えて帰ってきましたよ~
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