2024/02/05 - 2024/02/06
31位(同エリア484件中)
ローマ人さん
この旅行記のスケジュール
2024/02/05
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JR唐津線
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この旅行記スケジュールを元に
昨年11月に実施された2024年2月分のJAL国内航空券タイムセールで、美味しいものが食べたいということで、とりあえず羽田―福岡便往復を確保していました。
そこで、食べ物の他に何処を観光するか検討し、福岡県は何度も訪れたことがあるので決め兼ねていたのですが、まだ旅行記にしていない佐賀県が福岡空港から近いということで、1泊2日の短期間ですが佐賀県を訪れることにしました。
唐津市で活イカに舌鼓を打ち、唐津城を訪れた後、県庁所在地の佐賀市に向かいました。
佐賀市では、県庁展望ホール、佐賀城本丸歴史館、与賀神社、佐嘉神社、松原神社、佐賀市歴史民俗館訪れました。
*飛行機運賃
16,360円(内訳:航空券14,000円、国内線施設使用料960円、
消費税1,400円)
*宿泊費
アパホテル佐賀駅南口シングルルーム6,713円(Booking.com経由)
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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唐津の街巡りを終えて唐津駅に戻ってきました。
これから佐賀市に向かいます。唐津駅 駅
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14:49発、JR唐津線佐賀行きに乗車。
2両編成の列車は、スクウェア・エニックスの人気RPG「ロマンシング・サガ」と佐賀県によるコラボプロジェクト「ロマンシング佐賀(ロマ佐賀)」の一環としてゲームキャラクターのラッピングを施した「ロマ佐賀列車」です。 -
15:58、佐賀駅に到着。
佐賀駅 駅
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ホームから改札口へ下りる階段の上部に「ロマンシング佐賀」の表示がありました。
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「ようきんしゃったね~佐賀へ」。
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佐賀駅南口です。
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駅前に建っている像は「面浮立勇姿」。
「面浮立」とは、鬼面を着けた踊り手が勇壮な姿で群舞する、佐賀を代表する民俗芸能の1つだそうです。 -
佐賀駅南口から徒歩5分、宿泊するホテル「アパホテル佐賀駅南口」が見えてきました。
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エントランスです。
アパホテル 佐賀駅南口 宿・ホテル
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奥にレセプションががありますが、チェックインは少し手前の自動チェックイン機でします。
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客室です。
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ベッドはやや広めです。
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広めのテーブルがあって便利です。
テレビが大画面なのも良いです。 -
バスルームです。
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時間が無いので、ホテルで休憩する間もなく街巡りへ。
最初の目的地の県庁まで、歩くのには少し距離があるのでバスを利用します。
バス停に向かう途中に「駅前まちかど広場」があり、佐賀県が生んだ、近代日本の礎を築いた賢人の像が建っていました。 -
中央の像が佐賀藩第10代藩主「鍋島直正」です。
藩校「弘道館」の拡充や洋学を学ぶ「蘭学寮」を設置したほか、国防のための兵器の必要性を感じ、鉄製大砲鋳造のための反射炉を築いたり、理化学研究所の「精煉方」や海軍伝習機関「三重津海軍所」を設置するなどし、佐賀藩を幕末の雄藩となしました。
その結果、佐賀藩の軍事力と多くの人材は、明治維新期に大きな役割を果たし、日本の近代化を推進する原動力となりました。 -
「弘道館で学んだ若き賢人たち」。
東京専門学校(のちの早稲田大学)を創設し、第8・17代内閣総理大臣を務めた「大隈重信」(左側)と明治政府の外務卿(外務大臣)を務めた「副島種臣」(右側)です。 -
駅南本町バス停からバスに乗車し、県庁前バス停で下車。
乗車時間は約5分で、料金は160円です。
バスを降りると、県庁新館のビルが見えます。 -
県庁は堀に囲まれた旧佐賀城内にあり、堀に架かる「くすの栄橋」を渡って進みます。
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堀と県庁新館。
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こちらは県庁旧館です。
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県庁新館1Fのホールです。
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ホールに佐賀県物産コーナーがあり、佐賀県が誇る磁器「有田焼」の色絵花鳥図大花瓶が展示されていました。
素人の私でも惹かれるような美しさでした。 -
新館に来たのは、展望ホール「SAGA 360」に上って佐賀平野を眺めるためです。
写真は、展望室専用エレベーターへの通路です。 -
展望ホール行のエレベーターです。
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9Fの展望ホール「SAGA 360」に到着。
佐賀県庁 展望ホール 名所・史跡
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東方向の眺め。
手前に建物が旧館。
三日月型に見える特徴的な建物は「市村記念体育館」です。 -
北東方向。
中央に、先に渡ってきた「くすの栄橋」が見えます。 -
南方向。
左が「サガテレビ」、右が「佐賀西高校」です。
遠くには有明海が見えます。 -
南西方向にお城らしき建物が見えます。
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ズームアップ。
佐賀城の遺構「鯱の門」です。
後で行く予定です。 -
南西方向。
何処までも平坦で遮るものがない佐賀平野です。
遥か遠くに見える山々は雲仙でしょうか? -
360度の展望が売り物の展望ホールですが、一部工事中で北側の眺望はできませんでした。
これで展望ホールは終了。 -
県庁の旧知事室・旧来賓室・展示室を公開中ということなので、予定外ですが見に行くことにしました。
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県庁旧館です。
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階段で2Fへ。
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2Fホール。
頑丈な造りで年季が入っています。 -
2F案内図。
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通路の突き当りが入口です。
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県知事のパネルがお出迎え。
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最初の部屋は展示室です。
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数字で見る佐賀県。
人口は、私が住む世田谷区(約91万人)よりも少ないです。 -
旧来賓室です。
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豪華なソファーです。
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旧知事室です。
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片隅に知事が使っていたデスクがあります。
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ズームアップ。
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知事の椅子に座ってみました。
記念写真を撮りたかったのですが、見学者は私一人でスタッフもいませんでした。 -
昨年、人気漫画「島 耕作」の連載40周年とタイアップして、佐賀県の副知事に就任した漫画の主人公「島 耕作」の執務室として公開していたようです。
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挨拶文や担当公務まで設定する念の入れようです。
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スタンプカードです。
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県庁を後にして佐賀城の史跡が残る「佐賀城公園」に向かいます。
道路の傍らには風情がある掘割があります。 -
ここは、かつての「馬洗場」で、蛍の人工飼育をしているそうです。
確かに水が澄んでいます。 -
道路のマンホールの蓋のデザインは、有明海に生息する珍魚「ムツゴロウ」です。
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タイルにも・・・。
愛嬌のある姿です。 -
そして「佐賀城公園」に到着。
「佐賀城公園」は、旧佐賀城の内堀で囲まれた地域に設定された公園で、佐賀城本丸天守台、佐賀城本丸歴史館、県立博物館・美術館、、市村記念体育館などがあります。
この辺りは旧佐賀城の空堀があった場所で、正面に天守台、左に展望ホールから見えた「鯱の門」があります。 -
ズームアップ。
現存する旧佐賀城の遺構「鯱の門」です。 -
「鯱の門」の傍らに立像があります。
この辺りは旧佐賀城の「二の丸」だった場所です。 -
佐賀藩第10代藩主「鍋島直正」公像です。
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ズームアップ。
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像の後ろには、「鍋島直正」公の偉業を讃えた石碑が4基あります。
左から築地反射炉建設、金属精錬、三重津海軍所、種痘実施(跡継ぎに接種)。 -
「鯱の門」です。
屋根の両端に鯱がのっていることから、この名で呼ばれているそうです。
天保6(1835)年から始まった本丸再建に伴い、本丸の門として天保9(1838)年に完成した門で、左側の続櫓と共に国の重要文化財に指定されています。
江戸時代後期の建築なので、防備よりも装飾に重点を置いた門になっているそうです。
確かに、続櫓には防御に不利な「犬走」(石垣と櫓の間の空間)があります。佐賀城鯱の門及び続櫓 名所・史跡
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佐賀城公園の本丸周辺案内図です。
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「鯱の門」から見る「天守台」です。
左側は北側の土塁石垣です。 -
「鯱の門」を潜って中へ。
旧佐賀城の「本丸」跡です。
広々としたスペースがあります。 -
24ポンドカノン砲(複製)があります。
「鍋島直正」公は、嘉永3(1850)年、築地に反射炉を築き、日本で最初の鉄製大砲の鋳造に成功しました。
更に幕府から注文された50門の鉄製大砲を品川の台場に設置しましたが、残存例は現在のところ確認されていません。
この大砲は、1820年頃アメリカで製造されて幕末に輸入され、かつて東京都渋谷区の旧鍋島邸に置かれていたものを原型とする複製品です。
*説明文より -
振り返って見る「鯱の門」です。
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「佐賀城本丸歴史館」です。
天保期の佐賀城本丸御殿の遺構を保護しながら復元された施設で、2,500㎡の規模があります。 -
正面から。
佐賀県立佐賀城本丸歴史館 美術館・博物館
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出入口になっている「御玄関」です。
開館時間は9:30~18:00。
休館日は12月29日~1月1日。
入場料は無料です。 -
「御玄関」を入って正面です。
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正面にあるのが「御式台(おんしきだい)」です。
かつては応接間、いろいろな情事を行う場所として使われていたそうです。 -
台の上に置かれているのは幕末に使われた銃です。
1番左が旧式の燧石式ゲーベル銃(前装滑腔式)、右側に順に新型となるエンフィールド銃(前枝施条式) 、スナイドル銃(後装施条式)、スペンサー銃(後装施条連発式)です。 -
「北廊下」です。
「外御書院」の脇の廊下で45mの長さがあります。
「外御書院」を挟んで反対側に「南廊下」があります。 -
「外御書院」です。
お世継ぎのお披露目など、藩の公式行事が行われました。
奥から「一之間」、「二之間」、「三之間」、「四之間」があり、両側の畳敷きの廊下を合わせると320畳の大広間になります。 -
「一之間」です。
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掛け軸(複製)は、「鍋島直正」書の「先憂後楽」。
「国を思う者は、人に先立って天下のことを憂えて安楽を後に得る」という意味だそうです。 -
「御三家座」です。
佐賀藩の支藩「小城家」、「蓮池家」、「鹿島家」の控所でした。 -
「御三家座」は、佐賀城の変遷や復元過程を紹介するコーナーになっています。
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写真は、佐賀城本丸御殿の復元模型です。
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江戸時代の佐賀城絵図です。
赤丸で囲った場所が現在地です。 -
「御三家座」のもう一方です。
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江戸時代後期の本丸御殿の礎石が展示されています。
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江戸時代後期の本丸御殿の礎石です。
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「屯之間(たむろのま)」です。
家臣の控の場所として使われていました。 -
休憩、映像のコーナーになっています。
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廊下を進みます。
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「御小書院」です。
御三家との面談や側近たちとの会議が行われていました。
展示替えのため、お休みでした。 -
「御座之間」です。
「鍋島直正」公の居室でした。
「鯱の門」と同じく、現存する天保期の建物だそうです。 -
「石垣張り」の障子です。
当時は大きな和紙を漉く技術が無かったので、障子戸には必ず紙と紙の繋ぎ目がありました。
その繋ぎ目を「石垣」のように張ってあるそうです。 -
「御座之間」です。
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ズームアップ。
「鍋島直正」公のパネルが置かれています。 -
「御座之間」です。
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「南廊下」です。
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鍋島侍の行き方を説く「葉隠(はがくれ)」。
「葉隠」は、「鍋島家に仕える侍として太平の世をいかに生きるか」を説いた書で、「武士道といふは、死ぬことと見付けたり」の一節で知られています。
「難局には死ぬ気でことにあたる覚悟を平素からもっておくこと」という意味だそうです。 -
「御料理の間」です。
家臣や藩外の人たちとの対面や、家臣の食事場所として利用されていたそうです。 -
「鍋島直正」公の人となりや、幕末に佐賀藩が推進した科学技術の成果を紹介するコーナーになっています。
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「近代化を支えたリーダーたち」。
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「佐賀藩の科学技術」。
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日本で初めて鉄製大砲の鋳造に成功。
大砲を製造するために「反射炉」を建設しました。 -
「反射炉」の模型。
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「海軍伝習館の練習艦」。
佐賀藩士が長崎で始まった海軍伝習に参加し、オランダ人の教官から直接、造船法や蒸気船の構造を学だことにより、佐賀藩の技術が向上しました。 -
「佐賀城本丸歴史館」の見学を終えた後、天守台へ。
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天守台は、高さ約9m、南北31m、東西27mと、大規模なものです。
天守は、享保11(1726)年に焼失して現存していませんが、かなりの規模のものだったことが想像できます。 -
振り返って見る「鯱の門」です。
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「天守台」への入口です。
L字型の「食違虎口」になっています。 -
天守台に続く石段です。
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石段と「天守台」です。
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石段を上って場所からの眺め。
西側の土塁石垣があり、「天守台」との間に「佐賀城本丸歴史館」の西門があります。
「佐賀城本丸歴史館」にあった江戸時代の佐賀城絵図によれば、写真の右側辺りは、かつては内堀だったようです。 -
最後の石段を上ると「天守台」です。
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天守台です。
佐賀城跡 名所・史跡
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天守台です。
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天守台の石碑。
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天守台からの眺め。
「佐賀城本丸歴史館」です。 -
天守台からの眺め。
「鯱の門」。 -
天守台からの眺め。
「鍋島直正」公像。 -
天守台からの眺め。
北方向。 -
ズームアップ。
先に訪れた県庁です。 -
最後に「天守台」と「鯱の門」。
辺りは暗くなってきましたが、佐賀市の滞在は今日だけなので街巡りを続けます。
次は、与賀神社に向かいます。 -
旧佐賀城の四方を囲む外堀の1つ「西堀」です。
北方向の眺め。
堀の幅はとても広いです。
60~70mあるということですが誇張はありません。 -
「西堀」に架かる「西の御門橋」を渡って堀の外側に出ます。
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「西堀」の外側からの内側の眺め。
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「西堀」の南側。
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堀の傍らに建つ「島 義勇(しま よしたけ)之像」です。
江戸時代末期(幕末)から明治にかけての佐賀藩士、明治政府官吏。札幌市の建設に着手し、「北海道開拓の父」と呼ばれる。佐賀の七賢人の一人。江藤新平と共に佐賀の乱を起こし刑死した。
*Wikipediaより -
「西堀端」を歩いてやってきたのが「与賀神社(よかじんじゃ)」です。
ライトアップされた「楼門」が掘割の水面に映えて美しいです。 -
「楼門」の前の「三の鳥居(肥前鳥居)」と「石造反橋」です。
与賀神社 寺・神社・教会
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「楼門」です。
室町時代後期(16世紀後半)に建立されたものだそうです。 -
「楼門」と「石造反橋」。
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「石橋」を渡って境内の中へ。
「手水舎」です。 -
「拝殿」です。
欽明天皇25(564)年の創建と伝わる神社で、御祭神は与止日女神 (よどひめのかみ)です。
鍋島氏の時代には、佐賀城の鎮守、産土(うぶすな)神社として崇敬されたそうです。 -
扁額です。
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徒歩で移動の途中、ライトアップされた県庁旧館の前を通りました。
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「佐賀バルーンミュージアム」です。
バルーンのライトアップが可愛いです。佐賀バルーンミュージアム 美術館・博物館
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「徴古館」です。
徴古館 美術館・博物館
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「佐嘉神社」です。
「佐嘉神社」の御祭神は佐賀藩第10代藩主「鍋島直正」・第11代藩主「鍋島直大」です。
新しく買ったカメラの説明書をよく読まなかったので、フラッシュの焚き方が分かりません。
なので、以下、見づらい写真が続きますがご容赦をお願いします。佐嘉神社 寺・神社・教会
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拝殿です。
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「松原神社」の鳥居です。
松原神社は佐賀藩第八代藩主鍋島治茂公により藩祖鍋島直茂公を御祭神として安永元年(1772年)に「日峯社」として御創建されました。(直茂公の法号「日峯宗智大居士」に因んで日峯さんとも呼ばれる)
文化14年(1817年)直茂公の祖父清久公、直茂公の正室彦鶴姫を合祀。さらに明治5年(1872年)初代藩主鍋島勝茂公を合祀。明治6年(1873年)神殿北側に松原神社北殿を造営し、龍造寺隆信命、政家命、高房命の御霊を合祀し、松原神社と改められました。
*松原神社HPより抜粋松原神社(日峯さん) 寺・神社・教会
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鳥居を潜って中へ。
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境内社の「松原稲荷神社」です。
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扁額です。
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境内社の「松原恵比須社」です。
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ズームアップ。
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境内社の「佐嘉荒神社」です。
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「松原神社」の拝殿です。
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扁額です。
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「松原神社」の参拝を終えて、「長崎街道」を辿って行くと・・・。
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街道の両側に「佐賀市歴史民俗館」があります。
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ズームアップ。
佐賀市歴史民俗館 美術館・博物館
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旧古賀銀行。
旧古賀銀行 (佐賀市歴史民俗館) 美術館・博物館
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旧中村家住宅。
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旧古賀家。
旧古賀家 名所・史跡
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旧牛島家。
旧牛島家 名所・史跡
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旧三省銀行。
お腹がすいてきたので、バスでホテルに戻りました。旧三省銀行 名所・史跡
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夕食は、ホテルで教えてもらった「とも蔵」へ。
佐賀駅近くのビルの3Fにあります。 -
カウンター席です。
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メニューです。
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メニューです。
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メニューです。
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メニューです。
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メニューです。
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メニューです。
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メニューです。
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メニューです。
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生ビールはプレミアムモルツ。
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「酢もつ」。
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「お刺身三種盛」。
海が近いので地元の鮮魚を期待していたのですが、まさかのサーモンが・・・。
鯛とシマアジは新鮮で美味しかったです。 -
日本酒は、地酒の銘柄が沢山揃っています。
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その中から「鍋島」をチョイス。
美味しいお酒です。 -
折角なので佐賀牛を。
「佐賀牛あぶりおろしポン酢」です。
サシが入った柔らかい肉で、とても美味しかったです。 -
締めは佐賀ラーメンで。
佐賀駅北口の駅前にある老舗ラーメン店「ビッグワン」です。ビッグワン グルメ・レストラン
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カウンター席です。
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メニューです。
食券制なので、店内の販売機でチケットを購入します。 -
注文したラーメンです。
麺はもちろんですが、見た目よりはすっきりとしたスープが美味しかったです。
食後、ホテルに戻りました。
本日はこれで終了です。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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この旅行記へのコメント (2)
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- nichiさん 2024/03/20 13:00:55
- 佐賀~~
- ローマ人さん
こんにちは。
いつも「いいね」ありがとうございます。
佐賀、いらっしゃったのですね。
夫婦ともに九州は福岡に出張したことがあるのと、長崎や鹿児島に旅行したことがあるぐらい。
歴史好きシニア夫婦はぜひ行ってみたい場所が盛り沢山の九州です。
タレントのハニワさんが、数年前にベース弾きながら、「エス・エー・ジー・エー・サガ!」と歌っていたのを思い出します。
鍋島直正の銅像で、もうテンション上がります!
佐賀が生んだスーパースターですよね。
幕府も、薩摩も、長州も、鍋島直正には意見が言えず黙ってしまう。
弘道館で江藤新平や大隈重信を育てたり、幕末に力を持った鍋島藩の才人で、明治維新の礎を作った才人ですよね~
幕府は「肥前の妖怪」と言っていたとか。。。
島耕作が副知事に?
知らなかった~~
ちゃんと部屋があるのですね。。。
これにはビックリ!
課長島耕作は、ずっと愛読していて、相談役島耕作までは読んでいたのですが、そのあとは読んでおらず、副知事になっていたとは。。。
佐賀城鯱の門が、昔のままで残っているのですね。
「かちがらす 幕末を読み切った男」という本を読んだことがあるのですが、ローマ人さんの旅行記を拝見して改めて読み直したくなりました。
どこにあるかな~?
実家かな~?
佐賀、是非行って鍋島の凄さを感じたいです!
- ローマ人さん からの返信 2024/03/20 15:13:47
- コメントをいただきありがとうございます
- nichiさん、こんにちは。
いつも「いいね」をいただき、またこの度はコメントまでいただきありがとうございます。
私は、高校生時代の3年間、佐賀市から遠くない福岡県柳川市に住んでいたことがあるのですが、その当時はあまり関心が無く、今回初めて訪れたのでした。
訪れて思いを新たにしたのは、佐賀藩が明治維新に果たした役割です。
明治維新の立役者の4藩を表す「薩長土肥」の文字の順のとおり末席に連なっている程度と思っていましたが、大きな役割を果たしていたことを知りました。
特に10代藩主の鍋島直正が時代の先を読んだ施策を打っていたことが、佐賀藩が人材・技術で明治維新に大きく寄与する原動力となった訳ですが、私はこの名君の名前をこれまで認識していませんでした。
他にも「佐賀城本丸歴史館」で佐賀藩の歴史に触れることが出来て良かったです。
佐賀県庁旧知事室公開「県庁CLASS」は、県庁訪問時に初めて知ったイベントでついでに立ち寄ったのですが、「副知事 島耕作」には驚きました。
佐賀城の鯱の門、天守台も素晴らしいので是非訪れてみてください。
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