2022/11/16 - 2022/11/16
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chiaki-kさん
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ハクソー・リッジとは、沖縄戦において、アメリカ軍がつけた呼称(ハクソー=弓鋸、リッジ=崖)で、浦添市の浦添大公園内にある。戦時中は北側の急峻な崖地を利用して「前田高地」と呼ばれた日本軍陣地が築かれ、日本軍と米軍の激戦地の一つとなった。2017年に日本公開されたメル・ギブソン監督の映画「ハクソー・リッジ」で一躍有名になった戦場跡だが、訪れる日本人は少ない。
表紙の写真は浦添大公園にあったハクソー・リッジを示す簡単な看板。
2024/03/15 一部改修
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- レンタカー スカイマーク 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
イチオシ
11/16
瀬長島ホテルの部屋から眺めた早朝の那覇空港。滑走路はまだ静かだ。 -
眠りから目覚め始めた那覇の街とホテル駐車場。おや、石造りの神社が左下に見える。
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瀬長島竜宮社という社のようだがネコが集まって餌を食べていた。どうやら地域猫のようで、左の方が餌やりをしているようだ。
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7時を過ぎて、旅客機が飛び立ち始めた。
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行ってらっしゃい。
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第2滑走路の方では自衛隊機と思われる輸送機がタッチ&ゴーの訓練をやっていた。
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これはAWACS(早期警戒管制機)だね。沖合に見える島は神山島と思われるが、沖縄戦ではここに米軍が砲台を設置して那覇を砲撃した。
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きりが無いので最後にパノラマを一枚UPします。
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朝食は海の見える1Fレストラン。3段重ねの重箱に和食が入ってきた。これは献立表。
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夕食のような内容で、美味しかったです。
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ペロリでございます。
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朝食後はレストラン前のテラスに出てみた。
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イチオシ
ちなみに今の気温は22℃で、まるでハワイのよう。夏は北海道、冬は沖縄で暮らせたら最高だね・・無理だけど。
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自衛隊機がまだ訓練中。
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そしてネコ・・
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チェックアウト後、玄関で記念撮影。正式名は「琉球温泉瀬長島ホテル」。
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そういえばレンタカーの紹介がまだだったね。今回タイムズレンタカーさんから借りたのは、ニッサン・ノート・e-パワー。25,000kmほどの極上車で沖縄の道を静かに、そして元気に走ってくれた。ちなみに今回の走行距離は234.9km、燃費は21.85km/Lと優秀だった。
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国道331号線(以降R331と表記)を北上するニッサン・ノート。目下、朝の渋滞にハマり中。
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これはノートに付いていたナビだが、目的地の設定も地図上で簡単に出き、指示された交差点を無視しても、すぐに新ルートを案内してくれる、お利口なナビだった。
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ただ、このシフトスイッチ?と、電動パーキングブレーキだけは3日間走っても、なじめなかった。
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ホテルを出発して40分ほどで浦添大公園南駐車場(無料)に到着。
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ここがハクソー・リッジ(前田高地)がある公園。前方から体格の良い団体さんが降りてきた。
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坂道の途中で米軍関係者と思われる団体さんとすれ違う。ここは日本人よりアメリカ人の方が訪れる場所なのね。
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ここは浦添市なのだが、ゆいレールがここまで来ているとは知らなかった。左に見えて居る駅は浦添前田駅。一つ先のてだこ浦西駅が、今のところ終点。
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首里城が見えるらしいがビルが多すぎて解らない。ちなみに、ここを取られると日本軍司令部が置かれた首里城が丸見えとなるので、日本軍も必死で戦ったのだろう。
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公園の一番高い場所がここ。東屋の左側にあったサインボードは・・・
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ハクソー・リッジの説明板だった。(表紙写真再掲)
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信教上の理由から銃を持たない衛生兵として戦争に参加したデズモンド・ドスは地獄のような戦場に取り残された兵士を一人、また一人と崖下へロープで降ろして75人の命を救った。
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この写真はハクソー・リッジをよじ登る米軍を撮影したものだが、崖の上にいる米兵がデズモンド・ドス本人だと言われている。
この映画は実話に基いて製作されたが、住民が登場するシーンは無く、実際より高すぎる崖や、日本軍の戦い方などに、おかしな所もある。しかし負傷兵を救出するシーンは、なかなかの感動ものです。あのメル・ギブソン監督作品ですから、戦闘シーンはハードな場面もありますが、一度はご覧になってみてください。 -
ハクソー・リッジ北側から眺めた宜野湾市方面。
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ハクソー・リッジの北側に嘉数(かかず)高台公園が見えた。当初は上陸地点での戦闘を予定していたが、前年11月に第9師団25,000人を大本営の命令により台湾に移動されてしまい、持久戦に作戦変更となった為、1945年4月1日に抵抗らしい抵抗も受けずに上陸した米軍に最初に大損害を与えたのがここ嘉数である。
当時、日本軍には制海権も制空権も無く、兵の数だけでも5倍以上の敵と戦うため、日本軍は高台の反対側に迷路のような壕を備えた反斜面陣地を構築、砲爆撃が止んでから壕から出て戦う戦法をとった。4月5日から始まった戦闘では、1日で米軍戦車22両を撃破するなど、激しい戦闘が2週間続き、米軍の死傷者は12,000人以上に及んだが、日本軍もその倍以上となり、4月24日ついに後方陣地へ後退する。 -
宜野湾市にある在日米軍・普天間飛行場も見えた。
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前田高地を東へ移動すると・・
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前田高地平和の碑がある。これは、前田高地で戦った第24師団歩兵第32連隊第2大隊所属の戦没者のために建立された慰霊碑。
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志村大尉を大隊長とした同部隊900名は、ハクソーリッジとともに激戦となったワカリジー(ニードルロック)で戦闘を行い、多くの被害を出した。なお、志村大尉ほか29名は奇跡的に前田高地を抜け出すことに成功し、北部山岳地帯で遊撃戦を行っていたが、日本の敗戦を知り9月3日に自ら武装解除を行い投降する。前田高地での死傷者数は不明だが嘉数より多かったと想定されている。
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再びハクソー・リッジに戻って来た。
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この狭い高地の上で何千人もの人々が亡くなったのだ。
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30分ほど移動して着いた所は道の駅嘉手納。
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エレベーターで4Fへ登ると目の前には・・・
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在日米軍、嘉手納飛行場が見えた。
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最近増築したと思われる道の駅展望台は修学旅行の生徒や何処かの放送局のTVカメラなどで大賑わい。
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手前の県道脇の階段はかつての「安保が見える展望台」跡。登ることは可能だが、今は樹木が生い茂っていて何も見えない。
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飛行場と県道の間のネコの額のような土地で畑をたがやしている方もいる。
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展望台の人の動きで離陸があることがわかる。
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あれは・・・
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MD・C-17グローブマスターⅢ、と思われる輸送機がテイクオフ。
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UPで撮影。
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続いて離陸したのはロッキード・C-130Jと思われるレシプロ輸送機。
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ずらりと並んだ戦闘機を収納する掩体壕。
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後で写真を拡大して見たらF22又はF35と思われる戦闘機がタクシング中。
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コントロールタワーの前にはC-130やC-17が駐機中。
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カメラを右に振ると東シナ海が見えた。
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騒音計も設置されていた。この後、道の駅を出て駐車場に向かう途中で頭上から大爆音。戦闘機が離陸したようだが、アフターバーナーの威力で120db位は行ったかも知れない。
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道の駅嘉手納は混み混みだったので昼食は先送りとして、次ぎに向かったのはお隣の読谷村。写真は読谷村役場。役場が建っている場所は以前、米軍読谷補助飛行場だった。
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イチオシ
正門前には、こんな綺麗な花が咲いていたが、デイゴとも違うようなのでNETで調べてみるとトックリキワタという南米の花だった。
トックリキワタを日本で最初に栽培したのは、当時まだアメリカ軍の軍政下にあった沖縄である。琉球政府の農業技術者であった天野鉄夫が、1964年、沖縄県民が多数移住したボリビアのオキナワ移住地で開かれたボリビア移住10周年記念式典に参加した際に、ボリビアから種子を持ち帰ったことによる。(Wikipediaより) -
戦争が終わってからも続く沖縄の皆さんの苦労が忍ばれる。
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読谷村役場の手前にあった「ゆんた市場」に寄ってみた。
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フードコートを発見。
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seafood Ryukyuさんに着陸。
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ソーキ蕎麦を注文。堅めの細うどんに豚の角煮を載せたような料理だが、沖縄のソウルフードだね。美味しかったです。
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ちなみに、ここはかつての日本軍北飛行場、米軍占領後は読谷補助飛行場の滑走路跡。ちなみに読谷補助飛行場は2006年に日本に返還された。
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不慣れなナビの設定を間違え、こんな場所に連れてこられてしまったが、そこはとんでもない貴重な場所だった。
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雑なコンクリート造りの掩体壕(えんたいごう)は沖縄戦に備えて日本軍が急遽造った北飛行場で戦闘機などを爆撃から守る建物だが、よくこんなものが残っていたものだ。
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少し色あせた説明書きがあった。
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1945年4月1日に米軍を主力とする連合軍は読谷、嘉手納、北谷の浜辺に上陸するが、日本軍は耐久戦にシフトしたためほぼ無血上陸だった。米軍の上陸前には鉄の雨と呼ばれる猛烈な爆撃・砲撃が何日も続けて行われ、住民はガマとよばれる天然の洞窟等に避難したが日本軍による住民保護は、ほぼ無かった。
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掩体号の前にある碑は何か、家に帰ってから調べたら驚くべきことがわかった。
制海権を失った日本軍は海からの援軍を諦め、特別攻撃隊を組織して体当たり攻撃を行った。主目標は敵艦隊だが、米軍の管理となった読谷飛行場、嘉手納飛行場に強行着陸し地上の戦闘機などを攻撃したのが、義烈空挺隊(ぎれつくうていたい)である。
5月24日に陸軍熊本健軍飛行場を出撃したのは九七式重爆撃機12機で、乗員・戦闘員併せて168名だったが4機はエンジン故障の為引き返し、7機は対空砲により撃墜(98名死亡)、1機だけが読谷飛行場滑走路の強行着陸に成功する。着陸後は訓練どおりC-47輸送機、F4U戦闘機、燃料貯蔵庫などを襲撃、米兵10名を殺害するが、まもなく駆けつけた海兵隊により14名全員死亡する。 -
掩体壕から5分ほどの移動で着いたのは座喜味城(ざきみじょう)。座喜味城は読谷村にあるグスク(御城)の城趾で、築城家として名高い護佐丸などによって築かれたといわれる15世紀初頭の城。
沖縄戦では日本軍の高射砲陣地が置かれた為、米軍の砲爆撃を受け瓦礫となってしまったが、現在は再建された城壁が優雅な曲線を描く続日本100名城にも選ばれている。2000年12月2日、中城、今帰仁城、勝連城、首里城などとともに、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。 -
世界遺産を示す石碑
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解説看板あり。興味のある方は拡大してお読みください。
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最初の城門。手入れが行き届いた庭だね。(内側城壁から撮影)
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次ぎの城門。(内側城壁から撮影)
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建物の跡。城壁の上にいるのは修学旅行の生徒達。
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城壁から見た読谷村方面。
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前撮り撮影隊発見。
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残波岬方面か?
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トトロが傘がわりに使っていた大きな葉っぱ。(名前は失念)
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イチオシ
座喜味城から一気に北を目指す。名護市もトンネルでパスして、今走っているのは古宇利島へ渡る古宇利大橋の上。曇りがちなお天気が残念だが、雨よりはまし。なお、この写真は妻撮影。
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橋を渡りきって立ち寄ったのは古宇利島ふれあい広場。
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おっぱ乳業でソフトクリーム購入。
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港と古宇利大橋を眺めながらソフトクリームをいただく。
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古宇利大橋のUP。手前の防波堤が残念。
当初の予定では、この後本部半島を一周、美ら海水族館にも寄る予定だったが、時間がきつくなってきたので次回(あるのか?)として、今夜の宿泊先である恩納村のホテルを目指すことにした。 -
InterContinental - ANA Manza Beach Resort, an IHG Hotelという長い名前のホテルに到着。要するに少し前のANA万座ビーチホテル。駐車場がシャトル往復なのでバタバタしていたら外観の写真を撮り損ねた。という訳で、部屋から撮影した万座毛方面を最初にUP。
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こちらはホテルのプライベートビーチ。子供が喜びそうなビーチだね。尺が長くなってきたのでホテルの詳細は下記口コミをご覧ください。
https://4travel.jp/dm_hotel_tips/14863292 -
万座毛に沈む夕日は残念ながら拝めなかった。
これで「2022年 沖縄旅行記2:浦添大公園、道の駅かでな、読谷村、座喜味城、古宇利島&ANAビーチホテル」は終了です。本日も少し重い旅行記を最後までご覧いただきありがとうございます。
2024/03/15 一部修正
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