2022/11/06 - 2022/11/06
62位(同エリア198件中)
ベームさん
東京の川は隅田川、江戸川、多摩川など大きな川は別として、都民(都民でもない私が言うのも変ですが)や全国的に知られているのは神田川だと思います。歌や映画にも取り上げられているようです。
去年の今頃隅田川の橋巡りをしました。今回神田川の橋巡りをしてみようと思い立ちました。
神田川は三鷹市の井の頭公園にある井の頭池を源にして、隅田川の両国橋近くで隅田川に流入する全長24.6キロの1級河川です。以前は時代と流れる場所により、平川、江戸川、神田上水、神田川などと呼ばれていましたが、1970年に全域神田川に統一されたそうです。途中で善福寺川と妙正寺川を合流し、日本橋川を分岐しています。
隅田川の橋が産業道路として堂々とした橋梁を持つのに対し、川幅せいぜい10mの神田川の橋は、下流域を除くと利用するのは地元の住民がほとんどで、簡素な生活道路です。
神田川に掛る橋の数は全部で140あるそうですがとても全てを歩けませんので、高田馬場駅から下流の橋を訪ねることにしました。
表紙の写真は肥後細川庭園。表紙にするような橋の写真が無いもので。
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神田川の地図です。
井之頭池から流れ出た神田川は途中で善福寺川、妙正寺川を合流し、飯田橋の先で日本橋川を分岐して最後に隅田川に流れ込みます。
神田上水は面影橋と江戸川橋の間にある大滝橋付近の大洗堰から取水され、神田川の北をぐるっと回って水戸藩上屋敷(今の小石川後楽園)の池に落とされ、さらに今の水道橋の先を懸樋で神田川を渡り江戸市内に送られていました。 -
神田上水。
神田上水の跡は今は巻石通りとなっています。 -
今日のスタートはJR高田馬場駅。9時15分。
天気予報では1日晴天、気温最高18度。 -
高田馬場駅早稲田口駅前。
早稲田大学の学生が多く乗り降りするので、大学行きのバスが停まっています。 -
神高橋。
駅を出てすぐ左の横道に入るとある何の変哲もない橋です。変哲もないと言えば神田川の橋は殆どそうなってしまいます。 -
かみたかはし。
神田川に掛る橋では幅員の大きい方で、自動車も通ります。 -
神田川。
結構綺麗です。かっては度々氾濫を起こした神田川。いまは全域コンクリートで護岸されています。 -
横を走るのは西武新宿線。
昭和33年の狩野川台風、平成5年の台風11号、平成17年の集中豪雨など、神田川流域で1000軒以上の家屋浸水の被害は昭和30年以降だけでも20回以上ありました。 -
すぐ下流に高塚橋。
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高塚橋
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戸田平橋(とだひらはし)。
短い間隔で橋が続いています。 -
橋のそばに古めかしい石柱が建っていますが判読できません。
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戸田平橋。この辺りの橋、高とか田、戸とか塚の文字を使うのが多い。
おそらく地名の高田、戸塚の字を組み合わせたのでしょう。したがって橋の名前からは何の歴史も関興も浮かばない。 -
源水橋(げんすいはし)。
神田川は桜で有名ですが、この辺りから下流の江戸川橋にかけての堤防沿いに桜並木が続きます。 -
この橋の欄干は面白いです。
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水車と花の装飾があります。
殺風景な神田川の橋のなかでは一番綺麗でした。 -
昔この付近水車でもあったのでしょうか。
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高田橋。
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上を新目白通りが走っています。
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高田橋。
妙正寺川分水路吐口があります。高戸橋の上からの写真。 -
妙正寺川はここで終わりです。
洪水対策の一つが分水路です。川の拡幅が困難な個所では、上流部に取水口、下流部に吐口を設けて本川の水をある区間分流させるものです。
高田馬場分水路、以下江戸川、水道橋、お茶の水分水路があります。 -
高田橋とL字をなして高戸橋(たかとばし)。
これも高田と戸塚の合成ですね。命名争いを避ける賢明かつ無責任な方法です。 -
上を明治通りが走り、新目白通りが交差する大きな橋です。
神田川はまず新目白通りが通る高田橋をくぐり、すぐ明治通りが通る高戸橋をくぐっています。 -
目を上げると大正製薬の本社と、
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医療・家庭用介護衛生用品の大手、白十字社の本社ビルが建っています。
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明治通り沿いに高戸橋の横を都電荒川線が走っていて、ここで90度大きくカーヴしています。
丁度早稲田行きの電車が来ました。 -
反対から三ノ輪行きが来ました。
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車体は全面コマーシャル。
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すれ違って。
遮断機もありませんが一応踏切なんでしょうね。 -
荒川線はこの先面影橋駅、終点早稲田駅まで新目白通りと神田川と並行します。
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曙橋(あけぼのばし)。
ようやく地名と無関係の名前。かといって公募か何かで決めたようなどこでもあるような名前。 -
隣りは水道管かガス管か。
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この辺りから下流にかけて両岸は桜の木の密度が濃くなります。
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ちょっと川から離れます。
左岸を少し奥に歩くと真言宗南蔵院があります。 -
14世紀の開山のようです。
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六地蔵。
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本堂。
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隣りあって氷川神社。
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高田総鎮守。
創設は清和天皇の時代、9世紀中ごろと謂われる。祭神は素戔嗚尊(スサノオノミコト)。 -
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摂社高田姫稲荷神社。
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先の方に面影橋が見えます。
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ここら辺一帯は昔川から砂利が獲れたので砂利場といわれました。両岸は低地で、大雨が降ると一帯は泥水に浸かってしまいました。
随筆の名手内田百聞に「砂利場大将」という一文があります。彼は借金取りに追われてこの付近の安下宿に数年間潜んでいたことがありました。昭和の初めです。抄出すると:
「砂利場の奥の、どぶ川のほとりに高等下宿を見つけて・・・三四年の間、世間との交渉を断っていた・・・。」 -
面影橋
「大雨が降ると、すぐにあたり一面泥海になった。終点で電車を降りてから、砂利場に近づくに従い、水は段々深くなって、下宿の玄関に入るには、股の辺りまで水に漬けなければならない。・・・水の引いた後も、中々道が乾かなかった。」 -
思わせぶりな橋の名前ですがイメージが湧いてきません。
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この橋は於戸姫(おとひめ)伝説や在原業平の故事から、俤(おもかげ)橋とか姿見の橋とも呼ばれていたそうです。
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上流にあった源水橋のように、欄干に少し装飾でも施せばいいのにと思いました。せっかく面影という名とか山吹の里伝説、於戸姫伝説を持つ場所柄ですから。
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橋の袂には山吹の里伝説の碑がありました。
昔この地は山吹の里と呼ばれ鷹狩りの名所でした。ある日太田道灌はこの付近で鷹狩りをしている最中突然の大雨に逢いました。 -
道灌は一軒のみすぼらしい農家に立ち寄り蓑を乞います。
農家の娘が庭に咲いていた山吹の一枝を差し出しました。
「七重八重 花は咲けども山吹の 実のひとつだに なきぞ悲しき」
実のを蓑にかけたのです。
娘の名は「紅皿」といい、大聖院という寺に墓があります。その墓を訪ねたブログがあります。
https://4travel.jp/travelogue/11323148 -
安藤広重の名所江戸百景に描かれた面影橋と砂利場です。
「高田姿見のはし俤の橋砂利場」
手前の橋が俤橋(面影橋)、橋の左上の緑の所が砂利場、黄色の所は早稲田田んぼ、中央右屋根が点在するのが南蔵院と氷川神社。川は神田川。 -
この辺りでかなり強烈な脚の引き攣りに襲われしばしベンチで休みました。
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神田川でも一番の桜の名所だそうです。
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面影橋の上から。
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里程標。
足すと丁度24.6キロです。
みなもととは井之頭池でしょう。水源から3分の2下ったところです。 -
近くに都電荒川線の面影橋駅があります。駅というべきか、停留所というべきか。
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ホームを横から。
手前の通りは新目白通り。 -
すぐ先に都立甘泉園公園の入り口がありました。
徳川御三卿の一つ、清水家の下屋敷の跡です。 -
名前の由来のお茶に適した水の湧き出る回遊式の大名庭園だったそうですが、今は湧水は枯れているそうです。
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賑やかな電車が通りました。
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面影橋の次は三島橋。
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三島橋。
神田川の橋の中でも一番ひっそりとした橋のように見えます。名前の謂れは分かりません。 -
車が通らないのでお花見にはいい場所でしょう。
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この辺りは西早稲田、神田川の左岸です。
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神田川。
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仲之橋。
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この辺りの雰囲気、樹影が濃く薄暗いです。
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仲之橋
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川沿いに「東京染ものがたり博物館」というのがありました。
かってこの辺り染色業が盛んで、東京染小紋や江戸更紗が染められていたそうです。
今日は休館日でした。 -
豊橋。
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早稲田大学が近くにあるやや大きな橋です。
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この辺りも桜の樹影が濃い。
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橋の南、新目白通りを渡ると都電荒川線の終点早稲田駅があります。
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まだ私は都電には乗った事がありません。いつか乗ってみたいものです。
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30という数字は、三ノ輪橋駅を起点とした駅数です。
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ホーム。
終点だけあって、長く、屋根がある立派なものです。 -
駅(停留所)から南に早稲田大学に続く大隈通りがあり、学生で賑わっていました。
通りは学生向きの食べ物屋が連なっています。 -
丁度時間なのでここで昼にしました。客は若者たちばかりでした。混んでいたのに注文したらすぐ出てきたのにびっくり。もりそば600円。
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大隈講堂。
学生の多いのもなるほど、学生祭の最中でした。今ちょうど6大学リーグの野球をやっている。スポーツに精出す学生がいれば、エレキを鳴らして歌や踊りに熱中している輩もいる。 -
混雑を抜け出て神田川に戻ると駒塚橋です。
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駒塚橋(こまつかばし)。
昔馬に縁があったのでしょう。 -
細川庭園とか椿山荘、芭蕉庵などのある椿山の麓の明るく開けた橋です。
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おっ、飼い亀が。
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袂にある水神社(すいじんしゃ)。
社殿はずっと上にあり、登りません。 -
近くにあった関口水門の守護神だそうです。
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水神社の横に急こう配の胸突坂があります。
目白通りに抜ける坂です。 -
肥後細川庭園と椿山荘の間の65mほどの坂です。
昔、石段の無かったときは雨の日はどうやって上り下りしたのでしょうね。文京区本郷の方に炭団坂というのがありますが、急なことではいい勝負でしょう。 -
関口芭蕉庵。
坂の途中には関口芭蕉庵とか永青文庫があります。 -
芭蕉庵に入ってみました。無料です。
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ここは芭蕉が神田上水の改修工事に携わった1677年から1680年の3年間ほど住んでいたところとされています。芭蕉が俳諧の師匠として大成する前のことです。
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勿論建物は当時のものではありません。
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古池や蛙飛び込む水の音、の句碑がありますが、この句は深川の芭蕉庵で作られたものです。
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しかし御誂えに古い池がありました。
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安藤広重「せき口上水端はせを庵椿やま」 名所江戸百景より。
神田上水。右の斜面は椿山、小屋が芭蕉庵。中央平らな所は早稲田田んぼ。 -
これは山本松谷が描いた「明治東京名所図会」の「目白台下駒塚橋の景」です。
画面中央、大きな松の樹の下に芭蕉庵が描かれています。画面右端に駒塚橋。
明治40年頃の風景ですが、隔世の感があります。 -
胸突坂を上ります。
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上から見下ろす。昔は早稲田田んぼが広がっていたのでしょう。
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上り詰めた所に永青文庫(えいせいぶんこ)があります。
ここら辺は文京区目白台です。 -
細川家屋敷地跡にあります。
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肥後熊本の54万石の大名細川家と細川家16代当主細川護立(もりたつ)の集めた美術品、調度品を保存展示しています。
昭和25年に細川護立により設立されました。 -
下には広大な肥後細川庭園が広がっています。
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徳川御三卿の清水家や一橋家の下屋敷を経て幕末に肥後細川家の下屋敷になったそうです。その後所有者は幾つか替わり、今は文京区の管理となっています。
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池は大池で小さな中島があります。
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椿山の傾斜を利用した景観は昔と変わっていないそうです。
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ししおどしとコスモスの花。
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園内の松聲閣の側面。
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見飽きませんね。
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松聲閣(しょうせいかく)。
細川家の学問所として使われていた。 -
もっぱら貸室、集会所として使われています。
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休憩室からの眺め。借景とでも言うのでしょうかとても綺麗です。
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休憩室、椿の間。
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郷土玩具。
人吉のきじ馬と肥後まり。
きじ馬は子供の成長を願う縁起物。 -
これも人吉地方の花手箱。肥後椿が描かれています。
人吉地方の郷土玩具は平家の落人が造り始めたと言われるそうです。 -
抹茶とお菓子。600円です。
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加勢以多(かせいた)。
マルメロ羹を使った肥後の南蛮菓子。 -
2階からはさらに広い眺望が得られます。
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正門。
私は裏の方、永青文庫の方から入りました。 -
再び神田川へ。
川に面した先ほどの芭蕉庵の正門、今は使われていません。 -
川沿いに椿山荘の塀が続きます。
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この辺りの神田川と桜の木。
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大滝橋に来ました。レンガ造りの親柱です。
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徳川家康入府後の天正18年(1596年)、井之頭池を水源とする川をこの辺りで大洗堰という堰を造り堰き止めて、水位の上がった水を取水し水戸藩上屋敷(今の小石川後楽園)まで流して江戸の住民の飲料水としたのが神田上水です。
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明治34年(1901年)水質悪化などにより飲料水としての用途は終わり、あと東京砲兵工廠の工業用水として使われましたが、最終的に昭和8年(1933年)廃止となり取り壊されました。
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関口大滝。
堰が大きな段差となって流れ落ちています。これは堰で取水された残りの水で、江戸川となって流れています。流れ落ちる水音が終日鳴り響くので、住民は堰のことを「どんどん」と呼びました。隅田川から神田川をさかのぼってきた船もここまででした。
文化庁の写真より。 -
大滝橋。
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この辺りから下流の江戸川橋にかけての左岸は江戸川公園となっています。
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大洗堰の神田上水取水口の遺構があります。
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一休橋です。
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あの一休さんとは関係ありません。
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一番小さな橋かな。
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江戸川公園時計塔。
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父兄の方でしょうか、水を遣ったり手入れをしていました。
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江戸川公園の入り口に来ました。
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公園の入り口に建つ大井玄洞(おおいげんどう)胸像。大正年間に江戸川(今の神田川)の治水に功績のあった人だそうです。
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江戸川橋です。
江戸川と言えば東京都と千葉県の境を流れる川ですが、なぜここに江戸川という名が付いているかと言えば、以前大洗堰から飯田橋付近までの流れを江戸川と称したからです。 -
橋の上を首都高が縦横に走っています。
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音羽通りと新目白通りが交差する大きな橋です。
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ここで力尽きました。ここに来るまで何回も足の引きつりを起こし休み休み歩いてきたのです。
この5月から運動不足を補おうとスポーツセンターに通い始めているのですが、まったく効果ないようです。足の故障の原因は他にあるようです。 -
まだ2時前ですが切り上げます。次回はいつになるか分かりません。数日たった今でも足の変調は収まっていないのです。
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