免疫力が上がるアルカリ性体質(その1)
著者は歯科医で、患者の唾液のpHを測定し、歯だけでなく全身の健康との関係を調査してきました。その結果、酸性体質には以下の多くの問題があることが分かったそうです。
なお、ヨーロッパの医学界では、食事によってpHは変化するという考えが支持されていて、その一環として歯科クリニックで唾液のpH計測が一般的に行われているそうです。
1 唾液のpHと健康との関係
①虫歯との関係と対策
pHが低くて酸性になると虫歯ができやすくなるが、アルカリ性の食事療法を続けると、虫歯を自然治癒させます。アルカリ性の食品とは、そのもののpHでなく、食べてから体内でのpHで、本書の「アルカリ・酸性食品表」を最後に示します。
②酸性で歯の金属が脳に障害
金属の入れ歯やインプラント(人工歯根)は、唾液が酸性になると、ガルバニック電流による電磁波を発生しやすくなり、頭がクラクラしたり、食べ物の味が分からなくなる味覚障害になることがある。
③酸性で免疫力低下
酸性体質になると、白血球の働きが悪くなって免疫力が低下します。風邪をひきやすかったり、病気になりがちな人は、その可能性があります。
④ 酸性で慢性的な疲労感
体をハードに動かすと糖質が分解されて疲労物質である乳酸が生成されます。この乳酸はミネラルで中和されますが、酸性体質ではミネラル不足になるので、中和されずに慢性的な疲労感が残ります。
⑤ 栄養素の吸収不全による問題
酸性体質では中和するために体内のミネラルを大量に消費します。そうすると、ミネラルと一緒に働く栄養素がうまく働かなくなり、問題を引き起こします。例えば、皮膚炎や口内炎、眼の角膜炎、子供の成長障害、骨粗鬆症などの発症につながることがあります。
⑥ 栄養バランスの乱れによる生活習慣病
前記⑤による栄養バランスの乱れにより、様々な生活習慣病を発症させるリスクが高まります。具体的には2型糖尿病、通風、腎臓結石、脳卒中、動脈硬化、がん、認知症を引き起こす可能性があります。
⑦ その他の症状
眠気、気だるさ、便秘、下痢、頭痛、低血圧の症状は、酸性体質に起こりやすいと言われています。
2 酸性体質とがんとの関係
ドイツの生理学者のオットー・ハインリッヒ・ワールブルク(1883年~1970年)が、細胞内で低酸素濃度下や酸性条件下(恐らく、低酸素濃度下でグルコースを積極的に乳酸発酵させること)で、がんが発症あるいは増殖することを発見し、1931年にノーベル生理学・医学賞を受賞しました。
著者の唾液pH検査では、pH6.2以下ではがん患者が増え、pH5以下ではほとんどの人ががんを患っています。唾液pH検査でがんの誤診を見付け、無意味な手術を防いだこともあるそうです。
酸性環境でないと細胞内に入れないウィルス、カビ菌、細菌が多いそうです。例えば、C型肝炎ウィルス、インフルエンザウィルス、コロナウィルス、歯周病菌などです。
したがって、自身の身体を酸性体質からアルカリ性体質に変えることが、ウィルスや細菌の予防対策として重要になります。
3 アルカリ性体質になる食事術
アルカリ性体質になるには、食べて体内に入ったらpHが7以上になる食品を、50%以上摂ることです。なお、梅干しはpHを測ると酸性ですが、体内に入るとアルカリ性に変わります。ヨーロッパでは酸性食品は20%、アルカリ性食品は80%の摂取が理想とされています。
基本的には、炭水化物と動物性タンパク質を減らし、野菜と果物を増やすことを心がけて欲しいと、著者は書いています。
体内での「アルカリ・酸姓食品表(pHチャート)」を次に示します。
アルカリ性体質になるには、本書では食事以外の要因も上げています。長くなるので、次回にご紹介します。私には初めて知る情報が多く、健康対策としてきっとお役に立つと思います。
日本文化も作った驚きの中国僧・蘭渓道隆
大隅半島には、鎌倉時代中期に中国の南宋から日本にやってきた禅僧・蘭渓道隆(1213~1278年、嘉定6年~弘安元年)が開いたという禅寺・道隆寺がありました。蘭渓道隆は、日本にやってきて禅を伝え弘め、門弟を育成した最初の中国僧です。なお、死後に朝廷(天皇)から我が国初の禅師号「大覚禅師」の号を賜っています。
道隆寺は薩摩藩の過激な廃仏毀釈で完全に破壊され、地中に埋もれました。それを発掘して、きれいな道隆寺跡として蘇らせて、観光地にもした発掘者について、本ブログで「大隅にあった日本初の禅寺と献身的な発掘者!」と題して紹介しました。
この蘭渓禅師はどういう人であったかを調べました。幸いにも、蘭渓禅師が書いた『蘭渓録』の日本語訳が2020年に出版されましたので、購入しました。蘭渓の語録は小生には難解で、字面の意味は分かっても、禅師が伝えたい真意までは分かりません。
しかし、『蘭渓録』の巻末にある館 隆志氏の「解題」(本書の説明)と翻訳者の彭丹氏の「道の辺の花 ー 蘭渓和尚と日本文化」は分かりやすく、蘭渓禅師の生涯と日本の禅と文化に及ぼした功績が理解でき、驚きました。以下の文は、主にこの二人の資料を参考にしました。以下の写真には、後述の本『墨美 蘭渓道隆』も入れました。
2 蘭渓禅師の性格と指導法
蘭渓は厳格な人でした。峻厳にして孤高であり、修行法と指導は厳しかったそうです。だが、蘭渓はまた情の篤い人でもあった。異国の地における多難な人生体験は、蘭渓を人のあわれがよくわかる人にしていったそうです。
日本での多難な体験例としては、蒙古襲来(元寇)の際、元からの密偵の疑いをかけられて、甲州や奥州の松島、伊豆国に移されたり、讒言(目上の人に悪く言うこと)により甲斐国(現:山梨県)に配流されたことがありました。
末木文美士『日本仏教史 ー思想史としてのアプローチー』によりますと、「鎌倉時代(1185~1333年)から、一方で武人として生死の覚悟を必要とし、他方で新たな支配階級としての主体性を必要とした武士によって、禅は支持されてきた。」とあります。戦乱に明け暮れ、いつ死ぬか分からない不安な戦国時代にあっては、禅が武士の心の安らぎをもたらし、心のよりどころとなったのでありましょう。
しかし、中国から来た蘭渓禅師が、日本の武士に禅を教える苦労は大きかったようですが、彭丹氏によると画期的な指導方法を考え出しました。
「禅とはなにか。禅のことをまだ知らない、喫茶にもまだ馴染まない、刀剣で勝負することしか知らない鎌倉武士を前に、蘭渓は日常の喫茶を通して禅を伝えようとした。淡々と無心に生きる禅の真髄を一杯の茶に溶け込ませた。堅苦しい経典の教義より、足が痛くなる長時間の座禅より、ああでもないこうでもないという難解な公案より、一杯の茶のほうが言葉の壁を乗り越えて、ずっと広く深く、人々の心に染みこんでいった。」
3 蘭渓禅師の日本文化への影響
彭丹氏によると、蘭渓禅師が武士に禅を教えるために茶を用いたことから、以下のような新たな日本文化をもたらすことになったそうです。
「蘭渓の来日は禅宗が日本に根づく大きな契機となり、禅僧が文化の担い手となる時代をもたらした。蘭渓が禅の真髄を伝えるための方便として一杯の茶を用いたことから、それまでの遣隋使や遣唐使から伝えられた唐の文化と異なる宋の文化が新たな日本文化として、中世日本の土壌に生まれ変わり、そして育ってゆく。茶の湯、唐物、書道、水墨画、漢詩漢文学、生け花、能楽など、いずれも蘭渓和尚が切り開いた茶禅の道の辺に咲いた花々である。」
なお、わび茶(草庵の茶)の完成者である千利休(1522~1591年)は蘭渓禅師が亡くなってから244年後に生まれました。また、池坊専応が生け花の基礎理論書を著し、その技術を体系化した(1542年)のは264年後です。
4 蘭渓禅師は能筆家
蘭渓禅師の書の多くは、我が国の国宝や重要文化財になっています。
その書を集めた本の『墨美 蘭渓道隆』(1972年 No.226 墨美社)の最後にある「編集室」に、蘭渓禅師の書の特徴が以下のように記してあります。
「その書の透明さ、みずみずしい潤い、清くふくいくたる香り、そしてさわやかな空間に、私は一瞬射すくめられた思いがした。眼をこらして細部を見てゆくと、これほどの細字であるにもかかわらず、筆が実によく行き届いていてしかも苦渋の跡がない。無理がないのである。かといって軽く流しているのでは決してない。筆はまともに紙にひっかかって刹那刹那を充実している。」
「一般に禅僧の墨跡といえば、気迫、気合の書と思われやすいのが普通だが、ここではそれらが表面に生まに飛び出してはいない。意志的なものが表面に見えることの多い宋代の書の一般からも抜け出て、より深く純化されているようにも思う。
写真でもいいからもっと長くこの書に親しみたい。(略)さらに部分を思い切り大きく拡大してみた。おのずからにして成るという自然さと筆格の正しさはやはり揺るがず、筆のもつれ、乱れもごまかしの跡も見出されないばかりか、このかなりな倍率の拡大にも堪えて、線は豊かにうるおいかつこまやかな密度を保っている。」
私は、蘭渓禅師は大隅半島に禅寺・道隆寺を、次に鎌倉幕府第5代執権の北条時頼に請われて鎌倉へ赴き、現在の臨済宗建長寺派の大本山である建長寺を開山した人としか知りませんでした。
今回の調査で、蘭渓禅師が武士に禅を教えるために茶を用いたことから、中世に茶の湯、唐物、書道、水墨画、漢詩漢文学、生け花、能楽などの日本独特の文化を花開かせることに繋がり、本人も書道の達人であったことを初めて知りました。このことを多くの日本の方々に知っていただきたいと思い、ご紹介しました。
素人の野菜作りの新体験
1 スイカの半空中栽培
スイカの苗を棚の下に植えて、小玉スイカの実を棚の上で育てました。土の上より、棚の上に咲く雄しべと雌しべの判別と受粉は容易です。出来たスイカが雑草に埋もれて足で潰されたり、見失ったりすることもありません。甘くて美味しい小玉スイカが穫れました。しかし、小ツルと孫ツルの判別、収穫時期の判定が不明であったのが反省点です。
2 床下から生えたミニトマト
家の床下にミニトマトが自然に生えていました。ミニトマトも沢山収穫できました。雨が当たらないので、ハウスに植える必要もなく、トマト栽培にこれはいいと思い、普通のトマトの苗を床下に植えたら、実がなりませんでした。植える時期が遅かったのも影響したかもしれません。
3 課題が残るムクナ豆栽培
ムクナ豆を栽培してから6年目になります。ここ3年は毎年、台風で豆棚が倒れて全壊したり、カメムシに葉の根元を食べられる災難に困っています。そこで今年は、鉄パイプで豆棚を作り直しました。カメムシはコードレスクリーナーで吸い取るようにしました。
先日の強大な台風10号で、パイプで作った豆棚の天井のパイプの一部が外れましたが、今までのような全壊は免れました。豆棚にはもう一工夫が必要です。
カメムシはコードレス掃除機で捕捉率が格段に上がったので、カメムシによる被害は大幅に減少しました。
今年は新たな問題が2つ発生しました。台風が来る前に、実が着くようにさせようと、例年、3月中にムクナ豆の苗を豆棚に植えています。そのため3月中旬に豆をビニールポットに植えましたが、今年は発芽しませんでした。気温が低かったせいかと思い、時期をずらしたら徐々に発芽率が上がり、4月22日に植えたら発芽率が100%になりました。
問題はこれだけではありません。例年は6月に花が咲き始めるのに、今年は8月末にも花が咲きません。これから咲くのを期待するだけです。
今年はムクナ豆で母の認知症が治ったと話したことから、多くの知人からムクナ豆を栽培したいと言われたので、彼らにムクナ豆を提供しました。提供した豆から、果たして花が咲くか心配でなりません。
毎年、自然相手の農業の難しさと怖さを実感しています。失敗の多い小生は、プロの農家でなくて良かったと思っています。
古い『大隅』誌に九州年号を発見!
1 38年前の論文中に新発見!
最近、古い『大隅』誌をめくっていたら、珍しい年号がたくさん書かれた論文がありました。それは、昭和63年の『大隅』第31号に掲載された、篠原 亮氏の「田代之宝光寺古年代記の研究」です。
この篠原氏の論文中に31の「九州年号」が記録されていました。ただし、一般的な九州年号の最後にある「大長」は無く、一般的な九州年号には少ない「聖徳」と、まだ見出されていない「白頭」があります。また年号には転記ミスと思われる誤字が多いです。
篠原氏はこれらの年号を「当時仏教界に於て用いられた私年号」としていますが、現在では、九州年号の使用例が全国で約四百件も発見されているので、それらと照合することで、「田代之宝光寺古年代記」に記載されている「善記」から「朱鳥」(「朱鳥元」は誤記であろう)までの年号が、九州年号であることが容易に分かります。念のために、古代史研究科の内倉武久氏に、「田代之宝光寺古年代記」に記載されている年号が、九州年号であることを確認していただきました。
2 九州年号とは何か
内倉武久氏の『大隅』誌の第64号の論考によると、「大和政権」は奈良時代、701年に発足した新しい政権であり、それ以前は福岡県朝倉市に都していた「九州倭(いい)政権」(「九州王朝」と呼ぶこともある)が全国を支配していました。九州倭政権が制定していた「九州年号」には、継体天皇16年(522年)の「善記」から始まり、「大長」で終わる31の年号があります。九州年号の使用例は、鹿児島から青森まで全国で約400件も発見されています。なお、「大和政権」が初めて建てた年号は701年の「大化」です。このことは『日本書紀』の次に作られた『続日本紀』に書かれています。
なお、海外では『海東諸国紀: 朝鮮人の見た中世の日本と琉球』 (岩波文庫)にも、九州年号の記録があります。 古いデータですが、九州年号が見つかった全国の分布図を以下に示します。
内倉武久氏のブログ『うっちゃん先生の「古代史はおもろいで」』には以下のように書かれています。
”「九州年号」を創始したとされる「継体天皇」(袁本杼)は、筆者の調べで後に、九州は宮崎、鹿児島に本来の根拠地を持っていた「熊曾於族」の出身であったことが判明している。”
3 大隅半島は「熊曾於族」活躍の出発地
さらに、ブログ『うっちゃん先生の「古代史はおもろいで」』には、以下のように書かれています。
”『古事記』によれば「継体天皇」は、本名を「袁本杼」という。国史学者らは名前を「おほど」と読み、『日本書紀』の「継体」と同一人物だとする。
だが「袁氏」は、その名を中国・紹興の鏡作り工人、そして日本で作られた「三角縁鏡」などに「袁氏作鏡真好」と、その名を残している。中国の名門一族の一人だ。
袁氏は『古事記』に前代の天皇「顕宗、仁賢天皇」(袁礽)としても名を遺す。おそらく二世紀前後に南九州、志布志湾などに漂着した中国からの「難民」だ。火山島・九州の鉄や銅など豊富な鉱物資源を利用して勢力を増大させ、最後は九州一円から全国に勢力を伸ばした。
そして「姫(紀)氏」勢力の「最後の天皇」であったろう「磐井」天皇を急襲してその地位を確実にしたと考えられる。”
なお、継体天皇の跡を継いだのが安閑天皇であり、その足跡の肝等屯倉(かとうのみやけ)跡が南九州の大隅半島にあることを、本ブログで以前に報告しました。
”『日本書紀』に息子の「安閑天皇」は、「犬養部」を全国に設置したと記録される。熊曾於族の「犬祖伝説」に基づいた施策だろう。「犬祖伝説」は生活に欠かせない飼い犬と結婚したお姫様を「民族の始祖」とする。中国の少数民族を始め、多くのチベット系族が持っていた説話である。
また「継体」を担いでいたのは同じ熊曾於族の「三島氏」だった(京都大学・日本地理志料)。さらに熊曾於族の墓である「地下式横穴墓」や「横穴墓」とまったく同じ墓が、中国各地で「偏室墓」や「崖墓」などと称して今、数多く発見されている。”
なお、下図のように、大隅半島を中心にピンクで囲った地域に地下式横穴墓が沢山確認されています。これも中国南部から逃れてきた熊曾於族が、この地域に住んでいた証拠の一つでとされています。
内倉武久氏によると、鹿児島県内の九州年号・発見例は、従来の「開聞古事縁起」に記載されているものを含めて70個近くとなり、全国一となりました。
鹿児島県の大隅半島が、大和政権の前の「九州倭(いい)政権」を作った「熊曾於族」の出身地であれば、当然のことです。
超硬水によるミネラル補充と脚のツリ解消
YouTubeの執行草舟チャンネルの【頭の回転が良くなる?運勢が上がる?性格が明るくなる?○○○○が必要!】を観て、日本の水はミネラル分が少ないので、日本人の骨は細く、冷え性、控えめな性格であると知りました。
一方、欧米人はミネラル分が多い水や野菜や肉を飲食するので、骨が太く、火照りや多汗症の陽体質があり、積極的で多弁な傾向があるそうです。
また、骨が細い日本人にはインプラント手術が向かないことや、筋肉を付け過ぎたり、水泳をし過ぎると健康を害することが分かります。
欧米では、陽体質の幼児が熱を出すと、幼児を氷水に浸けることがあるとは驚きでした。日本では考えられないことです。以下の絵は、私が無料の作画ソフトで作ったものです。
2 軟水と硬水の分類
硬水と軟水の違いは「1Lに含まれているカルシウムイオンとマグネシウムイオンの量」です。
カルシウムイオンやマグネシウムイオンの含有量が多ければ硬水と呼ばれ、含有量が少なければ軟水となります。具体的な数値は国によって異なり、日本の水道水は軟水がほとんどだと言われています。
硬水、軟水の条件として用いられているのが、WHOの飲料水質ガイドラインです。同ガイドラインでは次のように分類されています。数値の単位は mg/L です。
主に「軟水と硬水って何が違うの?特徴やメリット・デメリットについて徹底解説」をもとに、
まずは軟水のメリットとデメリットから以下に説明します。
① 日本人の口に合う美味しい水である。
② 洗剤の泡立ちが良く、洗濯、シャンプーやスキンケアに適している。
③ 内臓への負担が少なく乳幼児でも飲める。
4 硬水のメリットとデメリット
① 日本人の口に合わない不味い水である。
② 日本ではほとんどの地域で水道水として軟水が用いられており、慣れない人が急に硬水を飲むと、腹痛や下痢などの症状を引き起こす可能性がある(個人差がある)。
③ ミネラルが豊富な硬水は、美容や健康に良い。含まれる多量のカルシウムは、脂肪の燃焼を促進する効果があり、ダイエット中に不足する水分とミネラルを補給できるためである。
④ 渋みが気になるお茶や紅茶に硬水を使うと、癖を減らして飲みやすくできる。
⑤ 便秘解消になる。硬水は、軟水に比べてマグネシウムを多く含んでいる。マグネシウムは体内で吸収されにくく、腸内にとどまって水分を集めることで便を柔らかくする効果が期待できる。
⑥ カルシウムやナトリウムが多く含まれているため、過剰摂取による嘔吐や腹痛等に注意が必要である。
⑦ 食材との相性によって素材を引き立たせる。例えば、肉の煮込み料理に合う。硬い米の食感やコシのある麺に仕上がる。渋みが気になるお茶や紅茶には合う。お酒の味わいを変えたいときにもおすすめである。肉の煮込み料理に合い、臭みを減らしつつ軟らかく仕上げられる。
⑧ 腎臓に負担がかかる。硬水を過剰に摂取すると、腎臓のカルシウムのろ過が追いつかずに過剰となる場合がある。カルシウム過剰になると、ひどい場合には尿路結石といった症状を引き起こす可能性もある。
5 超硬水を飲んだ小生の体験
超硬水は脚のツリ(こむら返り)に効くと聴いたので、アマゾンからフランス産の超硬水「コントレックス」を買って、1日にコップ1杯くらい飲んでいます。
飲み始めてから2ヶ月になります。その結果、以下のことを確認しました。
① 飲水としては軟水より不味い。
② 脚のツリ(こむら返り)に効いた。
③ 体が火照るような気がする。
④ 便通が良くなった。
⑤ オナラがよく出る。
⑥ 焼酎に加えるとまろやかな味になる。
超硬水を過剰に摂取すると、腎臓に負担がかかるなどの問題が出そうなので、程々に摂るようにしています。