実業の世界 「戦後レジーム」の幻想
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2014-02-22 21:21

「戦後レジーム」の幻想





この話は極めて違和感があるのです。
戦後のマッカーサーのGHQの日本が悪いという教育が浸透して、それが今でも強固で選挙に負けた・・・というのは違うでしょう。
GHQの教育が行き届いて、国民が「日本は悪いことをした」と思い込んだと言うなら、下の4つの決議は行なわれるはずがない。

1952年6月9日参議院本会議にて「戦犯在所者の釈放等に関する決議」
1952年12月9日衆議院本会議にて「戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議」
1953年8月3日衆議院本会議にて「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」
1955年7月19日衆議院本会議にて「戦争受刑者の即時釈放要請に関する決議」


そもそも「戦後レジーム」なるものは幻想だと思う。
私は戦後の日本経済の驚異的な成長は、戦中レジームが残っていたからだと思っています。
戦中に形成された「一億火の玉」の強力な国家意識が戦後も継続したから、あの驚異的な成長が実現したのです。
その戦中レジームを破壊しようとしたのが、
教育・文化面では1970年代以降の朝日新聞などのマスコミによる工作
政治面では新自由クラブ、新党さきがけ、日本新党などの、お困りの国の手先新党。
ビジネス面では新自由主義、グローバリズム、規制緩和。
この3方面攻撃で戦中レジームは壊された。

この戦中レジームというのは明治維新以降の近代日本の集大成であり、
まさに瑞穂の国の資本主義なのです。


日本が取り戻すべきは戦中レジームであり、
強く、明るく、礼儀正しい大日本帝国の時代なのです
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コメント

久しぶりにコメントさせていただきます。毎日訪問させていただいていますが、FC2に慣れないせいかなんとなくコメントしにくくて・・

戦中レジームが瑞穂の国の資本主義というのは目からうろこです。
私の子供時代は確かに戦前戦中を思わせる空気が家庭にも周りにもありましたが、それがどんどん消えていきました。
ただ、私の実感としては、戦中レジームの破壊はやはり敗戦直後から始まっていたのではないかと思います。それがじわじわ進行して、おっしゃるように1970年になってはっきりしてきたのではないかと。
戦中レジームを取り戻すにも25年かかるのかもしれません。
  1. 2014-02-22 22:04
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  3. akira #-
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1940年体制という言葉はありましたよね。
そして日本を成長させたのは満州国の官僚の残党たちでしたからこれが一種の戦後体制だったはずです。

日本のマスゴミがおかしくなったのは1965年前後、新左翼が暴れ始めた頃からだったんじゃないでしょうか。
基本これも戦後体制の変態なんでしょうが、これは昭和20年代生まれの本当の戦中を知らない連中が表に出た頃と一致しますよね。サヨクの教師が本格的に教壇に立ち始めたのはこの頃からなんじゃないでしょうか。

この頃からマスゴミもイカれたのだと思ってます。70年安保の敗退は連中を逆にとことんおかしくしたのかという気もします。というかこれって旦那の世代じゃないですか。

安保体制を戦後レジームというならば1960年代までは国力に見合った居心地のいいものだったはずです。
おそらく日本が米国の地位を脅かしかねない力を持ち始めた頃からそれが変質したんじゃなかろうかという気がします。

その後はいわゆる瓶のフタなどと言われる締め付けの道具に変わってきたのだと言う気がします。
本当はベトナムが終わり70年安保の後にでもきちんと憲法問題を精算し枠組みを変えておかねばいけなかったはずなのですよね。

しかし、アカ共は困ったものです。ソビエトが消滅した後は特亜の手先になっているのだから本当に馬鹿としか言えません。70年代に韓国を誹謗し北を地上の楽園と言い、文化大革命を礼賛した連中です。

それの後継者共が特亜の手先になってるのはグロテスク以外の何物でもないような気がします。
小生などは戦前の狂態を知りませんが、それでもこの40年間の変態ぶりを見ると全く信じられる輩ではないということだけは本当によく分かります。
  1. 2014-02-22 22:23
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  3. kazk #-
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具体的にお話しますと戦争中の配給制度ですが、これはメーカー、問屋、商店が力を合わせて国民のために平等に供給するシステムです。この残滓は1960年代まで残ってました。
米穀通帳がないと米が買いにくい現実があった。そして業界別の商工組合も戦中レジームで、これは小泉構造改革まで健全であった。これらの組合は競争ではなく相互扶助の原則で動いていたが、それは消費者の利益を尊重した上での話となるための意識付けが国民のための供給と言う意識で、集会は国旗に敬礼し、君が代を歌い始まった。官庁から役人が呼ばれ挨拶し、業界エゴに陥らないよう指導された。これが米国を恐れさせた「鉄のトライアングル」です。
日本のGDPが世界第二位になってから、これを壊すための新自由主義の工作が行なわれたわけです。
  1. 2014-02-22 22:25
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  3. 友遊 #-
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日本のマスゴミがおかしくなったのは1965年前後、新左翼が暴れ始めた頃からだったんじゃないでしょうか。
基本これも戦後体制の変態なんでしょうが、これは昭和20年代生まれの本当の戦中を知らない連中が表に出た頃と一致しますよね。サヨクの教師が本格的に教壇に立ち始めたのはこの頃からなんじゃないでしょうか。

この部分は相当入り組んでわかりにくいのですが、新左翼というのは共産党の分派でして、国際共産主義運動の分裂により日本も分裂したので、海外からお金が出ているのです。100%雇われた工作者です。
1968、1969年の学園紛争というのは工作者がやったもので普通の学生がやったものではない。普通の学生がやったのは1970年以降のべ平連です。同じ時代に現れたが全く異なるものです。全共闘の黒ヘルは殆どべ平連のセンスです。黒ヘルは極めて人数が少なく軟弱です。それは資金が出ている工作者ではないからです。
この2つの違いがわからないと、単に思想にかぶれただけという判断になるのです。金にならないのに続くわけが無いのです。
  1. 2014-02-22 22:41
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  3. 友遊 #-
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これは昭和20年代生まれの本当の戦中を知らない連中が表に出た頃と一致しますよね。サヨクの教師が本格的に教壇に立ち始めたのはこの頃からなんじゃないでしょうか。

これも認識が違います。昭和20年生まれの子供たちは戦争中とそんなに変わらぬ教育を受けております。先生が戦争中と同じですから。その進歩的でない教師が皆、老教師なのです。若ければ戦争に行っていたからで、1970年には引退してしまうのです。そこに、戦争中は刑務所に入っていた共産党系の教師の影響を受けた火炎瓶闘争時代の教師が入れ替わるのです。彼等は異邦人です。
それが1970年代以降です。それ以降は急激に教育が左傾化していきます。

2014/02/22(土)
  1. 2014-02-22 22:57
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  3. 友遊 #-
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