以下のコメントへの所見です。
2013/05/19 23:58
Commented by kazk さん
論旨はよく分かるのですが自分の思考の確認訓練も兼ねて敢えて反論を展開してみようかと思います。
おそらく卸値で一物一価を決める法律があれば企業は、小売大手に叩かれて小売価格が低下する心配がないので、適正な品質に適正な値決めが出来るということだと思います。その結果、同一ブランドで品質価格に差がある多種の製品が供給されるのでディスカウントのような店から高級専門店に至るまでの住み分けが可能になるのだということでしょう。ウォルマートとティファニーあたりの高級店が両方あるんだという図式でしょうか。
最初に小売の多様化は果たしてよい物なのでしょうか。日本のような市場では値段の高いものであっても値段は叩かれることになります。これは結局低収入の消費者でも良い消費財を購入できる機会を増やすことになるでしょう。これは消費の多様化をもたらすでありましょう。
多様な市場が形成されてしまうと収入に見合った消費しかしなくなるのではないでしょうか。世の中は貧乏人のほうが多いのは当然ですし高級品も陳腐化すれば価格を下げて広い層に売らねばならぬはずです。これは商品開発力を上げ企業にも利益をもたらすのではないでしょうか。
消費者の側でも同一の小売で高級品を買えるというのは、基本中間層の増加という現象をもたらすのではないでしょうか。今日の消費財は基本大量生産品です。容易にコモディティ化し安値競争にさらされますが、総じて品質自体は向上するはずです。支那あたりの家電量販品を見ればその辺りは明白です。とするならば小売市場は多様化しないほうがよいのではないでしょうか。
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日本経済の貿易依存度は10%程度で、「物&サービス」だけで見た場合、輸出入プラスマイナス=ゼロというのが基調です。最近は反原発のためエネルギー輸入が急増して大幅なマイナスですが。
GDPは消費の集計であり、消費は生産の集計でもあります。基本的には消費を最大に引き出すのが優れた流通であり、この流通に支えられて生産が行なわれるのであります。
多くの流通図は生産者が一番上に書かれて、消費者が一番下に書かれていますが、これは戦時中の配給時代の図であります。
一番上が消費であり、一番下が生産。それを繋ぐものが流通であります。
そして生産、流通、サービスのそれぞれの業界に係わらない純粋の消費者というのは全人口の半分弱ありますが、その殆どが老人と学生と主婦であります。
残りの半分は働きながら一方では消費者でもある訳です。そして老人と学生は、勤労者に支えられているわけでありますので、重要なのは消費を最大化することであり、それにより生産が順調に行なわれ、充分な給料が支払われ、さらに消費に回ることになります。
消費を最大化すると言っても、現実には衣食住の範囲しか消費は発生しないので、それは人口に制約されると解釈されるわけです。すなわち1人は1日3食であり、10食や20食はしないのです。衣料も同様で1日に何回も着替えるわけではありません。
ですから人口の減少は消費の減少となり、生産の減少に直結すると言われるわけです。そこで移民1000万人というような発想が出て来るわけです。特に大手流通業者はそのような発想になるのは岡田フランケンを見れば分かるのであります。
欧州諸国が多文化共生思想にカブレタから移民を受け入れ社会秩序の崩壊を招いたのではありません。
それぞれの国の人口が少なく、消費がジリ貧となり、生産を支えられなくなったので、多文化共生なる思想が利用されたのです。
これを防ぐには収入に見合った消費が行なわれるよう市場を変えることです。それは戦前の世界に戻れば良いのです。
日本人の平等感覚というのは、本来は万葉集の平等感覚だと思います。
天皇から防人に至るまで、男女の差別なく、貴族、僧侶、平民の差別なく平等に扱われている、そして天皇は五穀の豊作を祈る宗教的なリーダーであります。
この平等感覚は金銭及び職業の差別は無いのであり、それが問題にならない社会であります。
すなわち日本では金銭に余裕のある者は、それを威勢よく使うことで、周辺の市場に金を回し、文化を育てて来たのであります。奈良から平安、鎌倉、室町、戦国、江戸から明治とこの伝統は続いて来た。
すなわち、金持ちが吉野家の牛丼並280円で3食を済ませ、金子を貯金していたのでは、金が周囲に分散しないわけです。また、投資に金を大量に使っても、丁半博打と同様に消えてしまう。
それぞれが所得に合わせて消費するには、商品にも松竹梅が必要なのです。全国民が100円ショップの食器を使い、一食280円で済ませていたら爛熟した江戸文化の華は咲かないのであります。
消費に対して変な平等感覚が出来たのは戦後の現行憲法が原因だと思います。
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この発想は地方のみならず都市近郊地域でも中傷小売の消滅という結果を招いています。しかし他方大型量販店の普及は大型店舗であることから一店で多様なニーズを満たすという利点もあるかと思います。これは激烈な競争を招きますが新規参入がある限り問題は少ないのではないでしょうか。
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日本の大型店舗の形態は米国のGMSをそのまま持って来たものであり、そのGMSというのは中間層の下の方をターゲットにしたもので、すでに米国では終わった形態です。凄まじいまでに閑古鳥が泣きわめいています。
大型店であるから多様なニーズを満たせる利点はありません。最大公約数的なマーケティングです。
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例えば今日でも日用品に関して年収200万と2000万の家庭でどれほどの差異があるでありましょうか。よいことかどうか知りませんがどちらも日本の大型スーパーで買い物をし、ディスカウントへ行き100円ショップにも足を運ぶのですよね。これの何処が問題なのでしょうか。
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年収200万円の家庭は問題ありません。
年収2000万円の家庭が消費の義務を果たしていない。
その要因は流通側にあります。
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2013/05/20 00:23
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Commented by kazk さん
更に続きます。
日本国においてはその収入と消費の水準は必ずしも大きな差があるようには思いません。年収数千万の家庭でも日々の生活はもっと低収入の家庭とそんなに目に見えて変わるわけではないでしょう。そういう成金趣味は嫌われるというのはまだ健在な発想だと思います。
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あの人は衣料も粗末で、粗食なんだが、陶器には凝っていて良いものを集めている・・というようなのは成金趣味なのでしょうか。
良いものが分かるというのは文化です。
世界で最も乞食の少ないのが日本です。
物価も安くて暮らし安い国です。
だからこそ豊かな文化が必要なのです。
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多様な市場はそれを奪うものはないでしょうか。今日のような多品種であれ大量消費の時代では、物の量産効果と相まってものは容易にコモディティ化するわけでしょう。
とすれば消費はほとんど手作り品としか言えない超高級品を扱う本当の専門店と現在の大量小売のような店と二分化するという方向しか無いのではないでしょうか。
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これでは、東南アジアとかアフリカと同じ発展途上国市場です。一部の金持ちが超高級品を所有し、後は低収入層向けの商品ばかり。これが日本の現状ですが。
日本の流通業者が米国から持って来たGMSやスーパーマーケット、会員制クラブ・・・これらは米国では低収入層の業態です。中間層向けではないのです。
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小生のような貧乏人はこのような発想に立ってしまうのでありましょう。消していいこととは思ってませんが、この流れは変えられるでありましょうか。
日本の消費者は馬鹿ではありませんので、大規模小売でも差別化しなければ製品は売れないでしょう。決して単なる低価格志向ではないということです。この発送がある限りは大丈夫ではないでしょうか。
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日本の大規模店舗の問題は、流通業者の都合で商品が並べられていることです。その中での選択です。店舗側に商品知識も提案力も誇りもありません。
あそこで買物をして心の底から満足した経験がありますか?
消費というのは崇高な自己実現の手段なんですよ。
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自動車の話ですが、日本には基本高級車市場というものはないのだと思います特定の層が特定の車を買うというのはそう見られるものじゃないでしょう。高額所得者がワンボックスのミニバンとセカンドカーで経を持つ。ベンツやレクサスを一台持つよりはるかに利口な消費をする消費者がいるだけでありましょう。
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しかし、一方で中古の輸入車などが良く売れているわけです。エコだけで個性が無い日本車より、デザインと走りにこだわりたい。
どうせ、土日にしか乗らないのだから。
流通は効率の問題ではありません。
人は何故に働くのか?
給料を得るため?
給料を得るのは、満足できる消費を行うため。
その消費は自己実現の手段。
個々人の「心」を如何に満足させるかの問題です。
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多様な小売がなければ消費も多様化しないし何よりも地方は疲弊する、というのがご趣旨であることはよく分かります。しかし地方は昔の地方を維持できるのでありましょうか。よくはわかりませんが人口数十万程度の都市に住民を集約させること以外に打つ手はないだろうという気がします。
それならば斯様な都市に於いても大規模小売や大型店で多様な消費自体は不可能ではなかろうという気がします。
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昔の地方を維持するというより、江戸時代のような地方色が濃い、郷土に誇りを持てる共同体づくりが必要でしょう。
内需を拡大するとは、その具体的な話です。
2013/05/20 00:25
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Commented by kazk さん
更に続きます。
小生のような発想は間違いでありましょうか。これは小規模零細小売に死ねと言ってるのと同じだと認識しています。だから何?というのは間違いでしょうか。いいか悪いかは知りませんがクォーツ時計は街の時計屋をなくしました。ワープロとコピーの普及は小規模印刷を壊滅させています。
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しかし、一方で昔のLPの音が見直されて静かなブームです。
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一物一価を最も守ってるのは書籍でしょう。それで小規模書店は守られているのでしょうか。
どうもこの辺りが小生にはよくわからないのであります。
この辺りの解決法も含めてご教示いただけたら幸いです
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書籍は独禁法の適用除外で定価の設定が許されているだけです。これは大規模店舗法の規制と同様に本末転倒ですね。一物一価は出荷段階の規制で、小売価格は自由であるべきです。
解決法は米国のロビンソン・パットマン法のような規制の導入です。これが導入されたら消費税率アップでも問題ありません。
これにより、あらゆる分野で小規模な専門店が多彩に出現するでしょう。