1969年の芥川賞を受賞した庄司薫「赤ずきんちゃん、気をつけて」は、1968年の学園紛争で東大の入試が中止になったので、一年浪人することに決めた青年が主人公であったが、実は私も、そうであった。
ただし、浪人中に読書と恋愛に忙しくて、遊び呆けていた上、それ程、優秀ではないらしくsonoさんと同じ学校には入れなかった。
しかし・・である。
1969年入学と1970年入学とでは、卒業時に、どえりゃー違いがあった。
1969年入学組の就職活動はセーフ
1970年入学組はアウトなのである。
原因は1973年の石油ショックである。
1年先輩の就職率はほぼ100%
我らは60%程度。
第二次石油ショック時と比べても、就職戦線は異常ありだった。(レマルク)
なにせ、企業にとって初めての体験じゃけんのう。
メーカー、大手商社は求人制限(人を取らんぞなも)を行ったが、この時期に求人してたのは流通業界。卸売業と小売業。
そこで、私も最初の就職は流通業界となった。
しかし、最初に入社した会社は半年もせずに辞めた。
冷静に考えても、この会社は合わないと思った。
その後、中小企業にバイトで入った。
最初の仕事は配送であった。
それも、都内を自転車で配送する。
東京都内は、坂が多く、自転車の配送はキツイ。
心臓破りの坂があちこちにある。
それでも、自転車で見る街の風景は面白くて、商店街の裏通りは人情があり楽しかった。
なんで大学を出て、こんなことやってるんだとは思わなかった。
こうして、4ヶ月が過ぎた頃に、社長に呼び出された。
正社員にならないか?という話であった。
是非、お願いします。
と答えると、明日からは配送の仕事ではなく、他の仕事をやってもらいたい・・・との事。
そして、翌日より開発及び企画の重要部署に配属された。
人は一月も働きぶりを見れば判断できる。
欲しい人材は早く声を掛けたいが、選ぶのは会社ではなく、働く本人だ。そこで、本人が会社に慣れた4ヶ月過ぎの時期に、声が掛かるのである。
これは今でも同じだと思う。
我が家の長女も、厚生年金、健康保険は加入しているが、待遇は非正規社員である。
中途採用の上に、異業種からの入社なので仕方がないと本人も言っている。
しかし、昨年末に人事部より正社員の打診があったという。ちょうど4ヶ月目である。
正社員になりたくて、4ヶ月経っても声が掛からなかったら、他の職場を探した方が良い(なりたくない場合は別)。
なお、長女によると去年入社した新卒も、非正規社員も、今年に入り辞める人は辞めているとのこと。