実業の世界 2009年10月16日
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2009-10-16 22:32

戦いの放棄が時代を閉塞させる

やはり大学と言うところは、高校を出て入ってはいけませんな。

今日は労働法の研修会に行ってきました。

先生は某大学の先生で、この分野の専門家。

でも、大学時代なら、この種の授業は「ねむいが・・・・」と一言に付きます。

条文の解釈と判例。

ねむい・・・ねむい・・・早く終われ・・・・

 

ところが、今日はまるで眠くない。

実に興味ぶかい話でした。

大学時代と、どこが違うか?

それは経験前と経験後の違い。

説明される事例の殆どが、常に起こっているモメゴトなのですから、これが法的には、どのように解釈されるか?

それを知ることは、とても有意義です。

 

ところで、日本の労働法規というのは、日本では珍しいことに判例主義なのです。

条文には明確な判断基準も無いし、判断理由も書かれていない。

 

 使用者は、労働者に、休憩時間を除き1週間について40時間を超えて、労働させてはならない。 

使用者は、1週間の各日については、労働者に、休憩時間を除き1日について8時間を超えて、労働させてはならない

 

 このような数字は明確に決まっているが、それ以外の部分は、当事者間のトラブルを裁く過程で決めて行く、英米の法規にような形式なのです。

これは、社会が変化するのだから、その時々の裁判所の判断に任せようという事で、それは、それで良いのだが、問題は日本人の性格。

 

時として一審で、トンでも判決が出ることがあるのだが、これも二審、三審と争う中で是正される。

 

ところが、トンでも判決が出ると、経営者が戦いを放棄して、和解してしまう。要するに金で解決してしまうのである。

その、結果、この判決が確定されてしまう。

 

和解した本人は自業自得であるが、可哀想なのは、その後の裁判。同じ事例があれば判例があるので、経営側は即座に負けることになる。

 

戦いを放棄した者は、生きてゆくことはできないのだ。

 

今の日本の労働法規の情況を見る限り「もう日本で人を雇ってはいけないだよ」との結論に達する。もう、そこまでに至っているが、民主党マニフェストどおりに実行されると、完全に終わるだろう。 

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