海峡レトロ通りの写真。
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明治から昭和初期にかけ栄華を誇った街、門司港。
近代日本を支えた港町として歴史に名を刻んでいる。
明治二十五年に石炭の特別輸出港に指定され、貿易港としての地位を確立した門司港。
その後、日清戦争、日露戦争の勃発と共に、ますます栄えていくことになる。
中国大陸が近いこともあり、軍需品や兵士たちを送り出す重要な港となり、米、兵器、軍服などの品物を扱う商業が目覚ましく発展していった。
大正三年には門司駅新駅舎(現在の門司港駅)が完成。
この年の八月に日本は第一次世界大戦に参戦。十一月には中国の青島を攻略し、門司港は大戦景気にわいた。
その後、欧州航路の寄港地にもなり、港は莫大な利益を得ることになる。
大陸貿易も盛んで満州などへの貿易船、大陸航路の客船で大変にぎわっていた。
この頃には、日本三大港(神戸、横浜、門司)の一つとして数えられ、重要な国際貿易の拠点となっていた。
大商社や銀行が先を争って門司に支店を出そうとし、地下が暴騰したのもこの頃であった。
大陸貿易の発展とともにもう一つにぎわったものがあった。
花街である。
門司港には馬場遊郭という有名な歓楽街があった。
桜並木をはさんで数十件の鼓楼が立ち並び、妖艶な雰囲気を醸し出していた。
その後、この馬場遊郭は公娼廃止例によって歴史に幕を閉じることになる。
このように、終戦前までは栄えていた門司港だが、終戦とともに大陸貿易が縮小され石炭も減り、港として低迷し次第に衰退していくことになる。