実業の世界 2009年07月09日
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2009-07-09 22:02

Stevie Wonder太陽の当たる家

保育器の中での酸欠で盲目となったスティービー・ワンダー。そのハンデを乗り越えて、あらゆる楽器をマスターした。

彼の音楽との出会いは1966年のA Place In The Sun

日本では「太陽の当たる家」と訳された。

とにかく、やたらと「前向き」の歌であった。

 

Like a long lonely stream
I keep runnin' towards a dream
Movin' on, movin' on
Like a branch on a tree
I keep reachin' to be free
Movin' on, movin' on

'Cause there's a place in the sun
Where there's hope for ev'ryone
Where my poor restless heart's gotta run
There's a place in the sun
And before my life is done
Got to find me a place in the sun

 

 

しかし、彼の音楽は日々、進歩していった。

1976年に出た Songs in the Key of Life 2枚組のLP、頑張って買いました。 

 

長期に歌手で有り続けるためには、不断に自分を超えていかねばならない。

これは全ての仕事に言えることである。

マンネリはただ消え去るのみ。

 

 

 

 

 

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2009-07-09 12:35

素晴らしき中央集権国家

日本の自動車生産は年間1156万台(2008年)である。

欧州は、1900万台、米国は1300万台程度である。

中国はそろそろ日本を抜いたと発表するだろう(もう発表したかも知れないが・・・)。

 

問題は台数ではなく効率である。

欧州は、あの広い地域に分散する多数のメーカーの生産台数をプラスして1900万台である。

米国も、デトロイト周辺だけで生産しているのではない。

南部の諸州から西部のカリフォルニア州まで、広い地域の分散して生産して1300万台なのだ。

中国も欧州と同様の広さを持つ地域に分散して生産している。

日本の1156万台はカリフォルニア州とほぼ同面積の狭い国土の中で生産される。

 

日本は南北に長いが国土は極めてコンパクトである。

言葉が100%通じる。

同一の経済圏である。

中央集権国家である。

内部に深刻な民族的、宗教的対立が無い。

これが日本の効率性の源泉である。

 

このような地域は、あるようで、実はあまり存在しない。

日本では、中央集権は悪の権化であり、地方分権が正しいとする教育が、長く続けられて来た。

 

しかし、世界で地方自治が認められている地域は、すべて、そうならざるを得ない理由がある。

米国の場合は「広すぎてどうにもならんわ」という事情がある。

州ごとに法律が違うし、消費税も異なる。

規制も州ごとにバラバラである。

連邦政府が雛形を提案するが、それに従う必要は無い。

しかし「広いのだからしょうがないよね」と言えば納得する。

欧州は民族のモザイク模様のような地域である。

スペインなどは同じ国であっても地域により言葉が違う。

アンダルシア、カステリア、カタロニア、バスク、アストーリア・・・それぞれ別の経済圏を作っている。

当然、物価も異なる。

これは、イタリアでも、ドイツでも、バルカンでも同じような事情がある。

内部に深刻な民族的、宗教的対立があるが、それなりに調和を取ってやってきた。

そこに、移民を受け入れたものだから対立が激化し、テロが頻発する地域になってしまった。

中国も同様にモザイク模様である。

漢民族と少数民族の対立はあるが、漢民族とされている人々の間でも言葉が通じない。

それぞれ地域により別の言葉を話している。これで本当に同じ民族なのか?

こういう状態だから、地方分権を認めるしかないのである。

 

カリフォルニア州より狭い日本で、道州制は必要なのか?

地方自治を推進する必要があるのか?

国民にそのようなニーズがあるとは思えない。

 

日本を分断させて、国力を削ぐためには有効な手段では有るが。

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