「部長の様子がおかしいので、雑談でもしに来てくれせんか?」
取引先の女子社員から電話があった。
「どうしたのです?」
「〇〇新聞の記事、読まれましたか?」
「新規事業に参入という記事ですね。一面に出たので目立ちました。さすがは御社の宣伝力は素晴らしい」
「あれは、全くの出鱈目なんです」
「えええ・・・それは無いでしょう」
「記者と対応したのが部長なんです。それで責任を追及されているんです。ゆうさんの励ましが必要です」
「なに、禿げ増し・・」
「禿げ増しじゃなくて、励ましです」
「マブシカーノフと呼ばれているので、つい僻みが・・・」
「とにかく、早く来てくださいマブシ様」
・・・とうことで某社の某部長と会う。
「いやあ、あの記事が出てから、毎日が針の筵(むしろ)だよ」
確かに元気が無い。
「記事が出た時、妻に、この件で会社を辞めることになるかも知れないので覚悟しておけ」と言ったんだ。
悲愴な覚悟である。
「広報を通して合ったのではないのですか?」
「ウチは広報と言う部署がなくて、取材など話は営業にまわってくるんだよ」
「それで受けてしまった」
「そうなんだ」
「記事は出鱈目ですか?」
「不思議なんだよ。こちらが話したことは一行も記事になってなくて、話した覚えの無い事がバーンと記事になっている。何故だか、さっぱり分からないのだ」
「記事の反響は?」
「電話が鳴りっぱなしだよ。今でも続いている。掛かって来た電話は、全部、私の方に回すようにと言ってある。私の責任だからね。支店に掛かって来た電話も、私の方で対応している」
「電話の内容は?」
「抗議が多いね。あの記事の内容では、怒るのも当然だ。だから、私があんな話をするわけが無い。その後、親会社と大手取引先からも説明に来るように連絡があった」
「取材を受けたために、大変な騒ぎになりましたね」
「もう、辞めたいよ」
「自殺しないで下さいよ」
「月曜日が辛いんだよ。会社に行きたくなくてね。朝の通勤電車に飛び込む男の気持ちが分かったよ。私と同じ境遇で自殺した部長が何人もいるんだろうな・・・と思うよ」
「記者には抗議したんですか?」
「直ぐに連絡したよ。でも、記事は間違っていないと言うんだよ。訂正記事を載せてくれと頼んだんだが、間違ってないのだから訂正する必要は無いと・・・それで終わりだ」
「・・・やっぱり、そうですか」
「私は新聞記者というのは尊敬すべき人達なのかと思っていたが、この事件の後、色々と聞いてみると酷い連中のようだね。良い勉強になったよ」
「もう、新聞記者には近づかないことです」
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部長と会った後に、社長室に寄ってみた。
この会社の社長は、世界的にも有名な大手企業の営業担当重役であった人物である。
「新聞記事で大変な騒ぎになりましたね」
「私も、前の会社にいた時の2回インタビューを受けた。
写真も掲載される囲みの記事だから、私が話した内容に沿った記事になるのかと思い、最初の1回目は期待していたのだ。でも、内容は話した事と大幅に違っていた。
この時も、お前はそういう考えか?と問い合わせが、猛烈に来たよ。でも、私は記者のレベルが低かったか、調子が悪かったのかと思い、愚かにも2回目のインタビューも受けてしまった。結果は同じだった。
新聞記者というのは、そういうものなんだ。それで、もう新聞記者は二度と近づけるなと言ったんだ」
「社長も、そのような体験をしてたのですね」
「私と同じ思いの経営者が多いと思うよ」
「記者への対処法はないのですか?」
「無いよ。取材時に広報が間に入り、徹底的にメモを取る。これを取材報告として文書にして、早めに関係先に配ってしまう。今日、このような記者が来て、このように質問して、このように答えた。
その後に記事が出て、内容が違っていても、取材者は正しく答えたのだと社内と関係先には証明される。こうした防御策を取っているのが現状だ。ここまでやっても、記者は誤りを認めることはない。」
「今回の部長の場合は、このメモも無いので、自分は言っていない・・・・と叫んでも、説得力がないですね」
「そこに問題があったと思うよ」
「なるほど、私はある事を考えてしまいましたが・・・」
「それは、当たってるかもしれないねえ」
これは、何年か前の実話である。
新聞記者は広告スポンサーの意向に左右されないのである。
彼らは第四の権力者なのだから。