品川プリンスホテルのバーに誘われたが、早く帰って寝ないと、明朝の福岡行きの飛行機に乗り損ねる・・・と帰って来た。
ホテル内の道路のイルミネーションが綺麗だ。
三菱自動車は、2008年4月25日に公表した2008年度第2四半期連結累計期間(2008年4月1日~9月30日)の連結業績予想を修正すると発表した。
販売台数の減少により、売上高は前回予想より360億円少ない1兆2140億円(前回予想比2.9%減)と見込んでいる。
しかし、前回予想時に2008年度の為替レートを1ドル=100円と見込んでいたが、予想より円安だった影響などにより、営業利益は100億円の予想が250億円に修正。
経常利益は、100億円の予想が205億円に。
4半期純利益はゼロの予想が125億円に修正した。
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売上高は7400億円で変わらないものの、為替レートと売上構成が想定と実際の状況に差があったため、営業利益は当初予想の80億円が183億円に、経常利益は60億円が181億円に、四半期純利益は0の予測が43億円へと上方修正した。
2008年度通期の業績予想は、金融危機による販売への影響や、為替動向、原材料高騰などの状況が及ぼす影響を精査中で、現時点での変更はない。
上期の貯金を、下期はどこまで守れるか?
マツダは北米で2010年代前半の稼働を目指していた車両工場の建設計画を凍結した。
米新車販売の急減に加え、筆頭株主で合弁生産を検討していた米フォード・モーターの経営不振を受け、建設時期や車種選定を抜本的に見直す。
金融危機と景気低迷で日本の自動車メーカーが海外戦略の再構築を迫られている。
マツダにとって北米2カ所目となる予定だった新工場では低燃費の中型車などを生産し、フォードとの合弁か同社の閉鎖工場の活用を検討していた。
米新車販売の回復が見込めないうえ、フォードが保有するマツダ株(33.4%)の一部売却を検討しているため、建設地を含め当初計画をいったん白紙に戻す。 (日本経済新聞)
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当社では、2007 年3 月に公表した2010 年度までの中期計画の内容を一切変更しておらず、その内容と進捗状況につきましては、適切なタイミングに説明してきました。
同計画にともない、当社はあらゆる可能性を検討の上、国内生産能力の増強を実施、現在、タイで新工場の建設を進めていますが、北米に工場を新設する計画は立てていません。
なお、北米での生産拡張を計画しなかったことは正しい経営判断であったと確信しております。(マツダ)
先々週は2泊3日、先週は3泊4日の出張を終え、昨日の午後11時に東京駅に帰ってきた。
今週も九州と名古屋と関西に行く。
訪問先が用意してくれたホテルは高級過ぎて、ベットがやわらかく長期出張には向かない。肩が凝る。
自分で用意したホテルは、スーパーホテル、東横イン。
安くて、ベッドがちょうど良い硬さ。熟睡できる。
なお、スーパーホテル、東横インとも食堂が無く、朝食は無料サービス。
東横インは久々に利用したが、朝食がお握りにかわっていた。
米の消費拡大に貢献。大いに結構。やはり米が美味しい。
出張で様々な人に合ったが、元気なのは、勉強熱心な小規模なインデペンデント。無借金で内部保留をしっかりやって、常に人材育成に注力している会社は、どのような情勢下でも対応できる。
一方、こうした経済の変動期は、規模の大きな企業は苦戦する。
それでも、調子が良いのは、社内管理体制がしっかりしている。
営業戦略はバランスが良く(一つの商品、一つの販売先に特化しない)、環境変化に対応した軌道修正が可能な会社である。
そして、どうでも良い話だがホテルのバーは安全で安い。
これは銀座でもニューヨークでも、そのようになっている。
地方出張の時も、地元の人のお誘いが無い時は、ホテルのバーが一番、安全で後悔しない。
若い頃は、これが分からず、様々な失敗を重ねました。
実態経済のプレーヤーにとっては、
テレビで勝手な自説を吹聴する丁半博打の予想屋達の戯言よりも、
原油価格の値下がりの方が重要である。
ガソリンの価格が下がり、潤滑油も下がった。
銅も、鉛も、アルミも下がっている。
すべては投機による高騰であった。
資源の高騰が新興国の経済を押上げ、
わが国の製造業も過去5年以上も2桁成長が続いていた。
しかし、それも収束し、全ては秩序に戻りつつある。
市場を回れば、その効果があちこちに現れている。
金融経済が崩壊し、実体経済の秩序が戻るとは・・・。
世界中の余った金は、普通預金への貯金を義務付けなばならない。
ニューヨーク/WTI原油先物価格、続いてロンドンの銅、アルミニウム
上野駅は、日本最初の私鉄「日本鉄道」の駅として建設された。
日本鉄道の創業が1981年で、1983年には、上野-熊谷間が開通した。
その後、1906年の鉄道国有化法により「国鉄」となる。
上野駅の広小路口から入る一階部分は車止が並び、始発駅の雰囲気が濃厚だ。
中央に朝倉文夫の彫像がある。
石川啄木の歌碑もある。
16番線に停車中の特急「水上」と、17番線の「スーパー日立」。
親子丼の発祥の店、「玉ひで」は一回だけ入った。
それも、かなり以前。結婚した頃だから30年前の話だ。
そのころの店の感じは、忘れてしまったが、今のように立派なものではないように思う。
現在のように行列が出来ていたかも不明。
無理なく入店できたように思う。
味は、かなり甘かった。
好みもあろうが、「まあ、一度食べれば良いか」という印象であった。
「玉ひで」は1760年創業の老舗。最初は、鷹匠の夫婦が始めた店であった。
その後、軍鶏鍋専門店となり、現在も夜は軍鶏鍋、軍鶏のすき焼きが中心である。
親子丼は、明治になり、近所の兜町の金融街、穀物先物取引所に働く、持ち場を離れられない相場師などへの出前として「親子丼」が考案されたのである。
丼飯というのは、高級・上品な食べ物ではない。
そもそも、日本は「お代わり」の文化があり、一杯で終わりというのは、下品な上に縁起が悪い。
仏様に出す飯は茶碗一杯で、一杯だけは縁起が悪い。
ご飯は必ずお代わりするものであった。
その、一杯飯に何かを載せ、汁までかけるとは・・・・
これは、多忙など止むを得ない場合の非常食。
下世話な食べ物であり、店で出すものではなかった。
現在は、こうした事は忘れられ、外食のメインは丼飯となっている。
「玉ひで」の親子丼は、11時半から午後1時まで並んだ人が食べられる。昼だけの特別メニューである。
ここも行列ができる店。創業大正5年、人形町甘酒横町の有名な店。
ここの鯛焼きは、あまり甘くなく、素朴な味。
ただ、私が小学生の頃に食べた鯛焼きとは違うのです。
一匹5円の時代の鯛焼きは、何処に????
東京名物「人形焼」の発祥の地は人形町である。
特に大通りを隔て、水天宮の向かいにある重盛永信堂総本店は、人形町のシンボルでもある。
商品は人形焼とゼイタク煎餅のみ。それも一個から売ってくれる。
水天宮の境内に、かつての重盛永信堂総本店の写真が飾られている。
かつては、この表通りを都電が走っていたのである。
水天とは、仏教における天部、十二天の一である。水の神であり、竜を支配する。
古代のインド・イランの神話共用時代における始原神のヴァルナである。
後にイランで拝火教が起こった時、ヴァルナは最高神のアフラ・マズダーとなる。
拝火教の神学では、世界の歴史は、善神と悪神との戦いの歴史である。
しかし、世界の終末の日に最後の審判を下し、善なるものと悪しきものを再び分離するのがアフラ・マズダーである。
彼は善悪の対立を超越して両者を裁く絶対の存在。善悪の彼岸に立つ神である。
水天宮の祭神が、イランの拝火教最高神というのも、感じるものがある。
日本橋蛎殻町の水天宮はビルの谷間に入りつつある。
それでも、境内には不思議な安らぎが支配している。
ここは安産と子授かりの神社である。
境内には麻の葉柄に産着を売る店もある。
Author:友遊
団塊世代の中小零細企業の代表。現場と市場視察が大好き。政財官の鉄のトライアングル、中央集権、日本的経営を支持する守旧派。既得権益死守。相互扶助を基盤とする協同組合支持。実業の世界とは、金融経済に対する実体経済の世界を意味する。