カテゴリ:絵画 の記事一覧
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- 気分はアルマ・タデマ
- 上村松園的心
- Giuseppe Archimboldo “Flora Still Life” 1591
- アンチンボルドの遺構
- アンチンボルドの絵の転載の件で問い合わせ戴いた方へ
- 病める子
- 月柱
- 日本人の冷たさと八百屋のおばさん(再掲載)
- 轆轤首の聖母
- アーニョロ・ブロンズィーノの誘惑
- 放蕩息子の帰宅
- ビザの斜塔にいたずらする神と応急処理をする聖アントニウス
- 透明な水の中で
- Veronica
- Simon of Cyrene
- 人々は別の方向を見ているが秩序は保たれている
- デルボーの夜
- 貨物列車のある風景
- オルセー美術館展2010
- アンリ・ルソーの日々
- 横浜美術館で「ポンペイ展」を見る
- キューピットを諌めるヴィーナス
- 今年の美術展
- 奇妙な絵(3)全部
- 奇妙な絵(3)
- 奇妙な絵(2)
- 奇妙な絵(1)
- 燃える麒麟 氷山を運ぶ象
- グラスリッツェン(写真追加)
- 秋の読書
- こころよ こころよ しづまれ しのびて しのびて しのべよ
- ジャン・デルヴィル (Jean Delville)
- 死都ブルュージュ
- フェルナン・クノップフ
- William DEGOUVE DE NUNCQUES
- これが不正の画像である
- ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス
- ホドラーの描く「湖」
- フェルディナント・ホドラーの世界
- Lifting the Skin of the Water 海の皮膚を持ち上げる
- 至福の時 Sir Lawrence Alma-Tadema
- カッソーネの蓋の裏に書かれた絵画・ウルビーノのヴィーナスを見に行く(2)
- ウルビーノのヴィーナスを見に行く(1)
- 透明な水の中で
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バベルの塔
これが一番、有名な絵で建設途中の働く土木関係の人達を丁寧に活写している。
こちらは上の絵よりも小型であるが、より完成に近いものである。
この2つの作品は「偽物」ではないようだ。
ブリューゲルの工房には多くの弟子達が居て、師の死後に同じテーマの絵を多く残している。
気分はアルマ・タデマ
最近の東京の夏は、子供の頃に帰ったように、とても暑くて嬉しい。
昭和30年代の夏は、このように暑かった。
クラーなるものは、まだ普及しないで、電気冷蔵庫もまだ一般化してなかった。
氷屋に、氷を頼み、それを上段に入れる、電気ではない冷蔵庫はあった。、
明るい朝と灼熱の午後が、私は好きである。
こうした季節は、海も綺麗だろう。朝の散歩も最高だ。
・・・・・という訳で、今日は私が大好きな、
Sir
サー・ローレンス・アルマ=タデマ(1836-1912)はオランダに生まれ、後にイギリスに移住した画家。
以前、ラファエロ前派の絵を調べていて、偶然、見付けた画家である。
でも、ラファエロ前派とは、ちょっと違う気がする。
この画家は、新婚旅行で地中海を旅して、古代ローマ風の世界に魅せられ、明るく、写実的で、かつ官能的な絵を書くようになったという。
地中海的ナ世界が好きで、書いているだけのようだ。
建物、大理石、人々の服装、木々や花など、徹底的に写実的に描きながら、クールベのように暗くならない。
後世となり評価された天才画家ではなく、現世において画家として成功し、幸福な人生を送ったようである。
アンチンボルドの絵の転載の件で問い合わせ戴いた方へ
いつもお世話になっております。
さて、絵画の著作権ですが作者の死後、50年を経たものについては、著作権は無くなります。
人類共通の財産となります。
アンチンボルドは1593年に死去しており、すでに著作権は消失しています。
なお、アンチンボルドの絵を写真で撮影し、印刷した場合に、そのカメラマンに著作権は発生しません。
絵画の写真に関しては、「創造性がない」 との判断から、著作権は発生しません。
彫刻については、撮影方法によりカメラマンの創造性が働く場合があるため注意が必要です。
著作権情報センターに古典の絵の著作権について問い合わせた結果が以下に掲載されています。
http://art.pro.tok2.com/L/Lists/Useage.htm
この他にも古い絵画の著作権について論じたものはいくらでもあり、すでに著作権は無いという事で一致しています。
アンチンボルトについては海外の絵のホームページに多数掲載されています。
http://www.wikipaintings.org/en/giuseppe-arcimboldo/portrait-of-adam-1578
すでに著作権フリーですので、転載は自由です。
http://q.hatena.ne.jp/1206619727
以上
なお、こうした問い合わせは直接、コメント欄にお願いします。
IZAのサポートに問い合わせ戴くと、今回のように当該エントリーが法律に違反していると判断され削除されてしまいますので。
コメント欄は、まずIZAに登録してからコメントし、その後、即座に退会すれば良いのです。
アンチンボルドのエントリーが非表示となったため、せっかく戴いたコメントも非表示になりました。よもぎねこさん、ごめんなさいね。確か、実物をウイーンの美術館で見たとのことでしたね。
病める子
ムンクの初期の作品。
ムンクの子供時代に母は病死し、続いて姉も病死した。
ムンクがフランスの絵の修行に出発した後、父も死去している。
病気と死は弱められた生ではない。
余りにも健康すぎると病気になるのである。
逆に健康といわれる人達は、薄められた病気のような生涯を送る。
日本人の冷たさと八百屋のおばさん(再掲載)
ムンクの叫びが史上最高値で落札されたニュースを聞いて、以前のエントリーを思い出した。
2006年10月25日のエントリーである。
この時期、海外出張から成田に帰ると、日本人の顔が仮面のように見えたものだ。
大震災を経て、日本人は変わっただろうか?
少し変わったと思えるのだが・・・。
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ノルウェイの画家、エドワルド・ムンクに「村の大通り」と言う絵がある。
この絵には、塊のような人間の集団が描かれている。
本来、大通りは多くの人がバラバラに歩いているはずである。
ところが、この絵は、人が塊となり、さらに後方の人には顔が無い。
「この絵は実に良くわかる」と言う女性がいた。
彼女は少女時代に、ひき逃げにあった。
クルマは逃走し、彼女が一人で路上に倒れていると、
周囲に人がどんどん集まって来たという。
しかし、人々は見ているだけで、何もしてくれない。
「可哀想にねえ」という言葉は、人々の群れから聞こえて来るが、
誰も彼女に駆け寄り、助けてくれない。
それから長い時間が過ぎた。
彼女は、自分を取り巻く人の群れが、黒い塊のように見えたと言う。
すると、突然、人垣をかき分けて、一人の女性が飛び込んできた。
遠くの商店街から走ってきた八百屋のおばさんだったと言う。
おばさんは、彼女に駆け寄り、顔色を見て、傷の状態を聞いて、
がんばるように励まし、救急車を呼び、助けてくれたのである。
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最近は、この八百屋のおばさんのような人間が、
激減しているように思う。
見ているだけの人、評論するだけの人、
思っているだけで、行動できない人が増えている。
観念的で「しなやかな感情」を失っているようだ。
私は、最近の日本人は、とても冷たくなったと思う。
官僚主義、事なかれ主義、唯物史観、非武装中立等の観念論に精神が毒されたのではないか。
もちろん、インド人のように全員が「八百屋のおばさん状態」なのも閉口するが、最近の日本人は冷たすぎる。
海外から成田に帰ってくると、人間の顔に仮面が見える。
電車に乗ると、さらに仮面の群れである。
もっと感情を現そうよ。そして、人生を楽しもうよ、日本人。
轆轤首の聖母
パルミジャニーノの「長い首の聖母」である。
何故に首が長いのか?
不自然なまでに幼児が大きいのは何故か?
椅子の上に座っているのに、横の人物より聖母の背が高いのは何故か?
後方にあるデ・キリコ風の煙突みたいな塔は何か?
塔の前に居る男はダリだ?
パルミジャニーノはルネッサンスの後のマニエリズムの代表的な画家。1503年、イタリアのパルマの生まれ。
なお、下の絵は同じくパルマで活躍したルネッサンスの画家、コレッジオの「聖ヒエロニムスのいる聖母」。
アーニョロ・ブロンズィーノの誘惑
アーニョロ・ブロンズィーノ Agnolo Bronzino 1503年 - 1572年
マニエリスム期のイタリアフィレンツェの画家。
メディチ家のフィレンツェ公コジモ1世の宮廷画家として活躍する。
マニエリズムとは手法主義と言うことで、ルネッサンス後期のさらに後に出てきた画家達を指す。ルネッサンスとバロックの中間。
古典的でありながら奇妙に長い手足など不思議なアンバランスの上に成り立つ絵画が多い。
乳房が小さくて、二の腕が太い女性像も、この時期の特徴。
放蕩息子の帰宅
放蕩息子の帰宅は聖書の「ルカ伝」に納めらている逸話である。
ある人に息子が2人いた。
ある時、弟が父に「おとうさん。私に財産の分け前を下さい」と言った。生前贈与の要求である。
父は、財産を分けてやった。
それから、幾日もたたぬうちに、弟は、荷物をまとめて遠い国に旅立った。
そして、そこで放蕩して湯水のように財産を使ってしまった。
何もかも使い果たしたあとで、その国に大飢饉が起こり、彼は食べるにも困り始めた。
それで、その国のある人のもとに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって、豚の世話をさせた。
彼は豚の食べる豆で腹を満たすほど困窮した。
しかし、我に返ったとき彼は、こう思った。
父のところには、パンのあり余っている雇い人が大ぜいいるではないか。
それなのに、私はここで、飢え死にしそうだ。
父の家に帰り、こう言おう。
「おとうさん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。 もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」
こうして彼は自分の父のもとに帰った。
ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、走り寄って彼を抱き、口づけした。
息子は言った。
「おとうさん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません」
ところが父親は、家来に言った。
「急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。 そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか」
そして彼らは祝宴を始めた。
・・・で、この話は、ここからが面白い。
この放蕩息子の兄は、この時、畑で働いていた。
すると家の方から楽しそうな音楽が聞こえる。
何事か?と家来に聞くと「貴方の弟が帰宅したお祝いをやっているのだと」
彼は父親に抗議する。
私は貴方に従い、貴方の言うとおりに真面目に、この家を守り、常に貴方と一緒に暮らした。
それなのに、私は一度も貴方に祝宴などして貰ったことはない。
何故、貴方に背き、遊び歩いていた弟を叱らないで祝福するのか?
すると父は、こう言った。
「お前は私の傍に居て、いつも満たされて居たではないか。この息子は、知らぬ土地を彷徨い、飢えて死んだと思っていたのが、今、生き返ったのだ。だからお祝いするのだ」
この話にはキリスト教的な解釈があるが、
普通に考えても兄弟が2人生まれると、どちらかが家を出ようとして、残された者が家を守ろうとする。
放蕩息子の帰宅は祝宴となり、
孝行息子は苦労ばかりで祝福されない。
親は、言う事を聞かない子供は気に掛ける。
親に従う子供は気に掛けない。
不思議なものである。
Veronica
ヴェロニカはエルサレムに住む女性。
彼女は、十字架を背負いゴルゴタの丘へと歩くキリストを憐れみ、額の汗を拭くよう自身の身につけていたヴェールを差し出した。
キリストは彼女の申し出を受けて汗を拭き、ヴェールを彼女へ返した。
すると、奇跡が起こった。ヴェールには、キリストの顔が浮かび上がっていたのである。
この伝承から、絵画や彫像の聖ヴェロニカは、聖顔布を手にした姿で表される。
ボスのキリスト磔刑をテーマとした絵にも、左下に布を持ったVeronicaが描かれている。
Simon of Cyrene
そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父で
シモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、
兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた。
「マルコによる福音書」15章21節
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キレネは、リビアのある古代都市。
シモンはエルサレムへの旅行中に、偶然、そこを通り掛かったということだ。
人々は別の方向を見ているが秩序は保たれている
ルネッサンスの後期3大画家(ダ・ビンチ、ミケランジェロ、ラファエロ)の中で、私はラファエロが好きである。
ラファエロはローマ近郊のウルビーノの出身。父は宮廷画家である。若い頃にフィレンツェの勉強に行ったが、25歳以降はローマに戻り、ヴァチカンの宮廷画家を勤めた。
現世においてたいへん成功した画家であるが、37歳で死去してる。美術史家によると「性愛に熱心過ぎたため」とされている。ダ・ビンチやミケランジェロが男好きであったのと異なり、かなりの女好きだったようである。
古典派とバロック。ニーチェの言う「アポロ的」なものと「デオニソス的」なもの。静と動。
この2つの対立する流派の一方の始祖がラファエロだと思う。ルネッサンス後期の3大画家の中で、後世に最も影響を与えたのはラファエロというのが私の持論である。
バロックは秩序を破る大きな力の放流である。
しかし、古典的なもの、秩序ある世界は、決して安寧なものではなく、力と力のバランスの上に築かれている。
それは「平和」が、各国の戦力と戦力のバランスにより生まれるのと同様の真理である。
絵画全体を覆う静かさは、各部の力のバランスにより生まれている。
後方の建物と前方の人の群れのバランス。
後方に見える人の群れの微妙な位置とバランス。
そして前方の人の群れも、中央の3人(ヨハネ、マリア、牧師)以外は、それぞれが全く別の方向を見ている。
これが古典主義の世界観なのである。
バラバラでありながら、秩序は保たれている。
いや、バラバラにように見えて、実は大きな力によりバランスが保たれているのだ。
企業も全員が同じ方向を見て、同じ考えで行動するのは危険である。それは秩序が保たれていない状態であり、そのままではいつか自壊する。とはいえ全体の調和を考えない批判者ばかりでも自壊する。
古典的であることは、極めて難しい。
貨物列車のある風景
子供も頃、父の転勤により東海地方のある町に引っ越した。物流会社の社宅に住むことになるが、その場所は駅の裏手であった。
そこには、いつも貨物列車が止まっていた。
ポール・デルボーの絵には駅が良く出てくる。
この絵は、私の子供時代の原風景でもある。
オルセー美術館展2010
渋谷から銀座線で最初の駅が表参道。
そこで千代田線に乗り換えて最初の駅が乃木坂。
乃木坂の駅から美術館は繋がっている。
渋谷から正味2駅なのである。
駅を出て美術館へのエントランスは美しい。周囲を取り囲むのは青山墓地と都立青山公園の緑である。
国立新美術館は、コレクションを持たない貸出スペース提供の美術館として2007年に開館した。
全国の美術団体に展示スペースを提供するのが目的。
さて、オルセー美術館展。
日本人は印象派がお好きなので、混むとは思っていたが、すでに8月2日の段階で60万人を突破している。
金曜日の午後4時頃であるが、30分待ちの状態。
中に入っても、じっくりは見れない。
私も娘も印象派は好みではないので、一番、混んでいたセザンヌとゴッホはカット。ついでにロートレックもカット。
アンリ・ルソーなど好みの画家を集中して見て出てきた。
<娘との対話>
・・・印象派は?
ボケボケした感じで好きではなかったが、原画を見るとまるで違った。
印刷では分からない。やはり実物を見ないと駄目である。
・・・・特にイメージが変わったのは?
モネの睡蓮は綺麗だった。原画で見ると奥行きがはっきる分かる。
ロンドン国会議事堂の絵も良かった。
・・・・その他は?
シスレーが実に良い。
あと点描はスーラだけかと思ったら、そうではなくてボール・シニャックが良かった。
・・・・シニャックはスーラの弟子みたいなものだが、今回の展示で見直した。
この他はベルナール、ルドン、モロー、そしてアンリ・ルソーが素晴らしい。
ベルナール「森のマドレーヌ」
ルドンの「キャリバンの眠り」
オルセー美術館展のメイン(セザンヌ、ゴッホ)をカットしたので時間が余った。
珈琲を飲んでから、娘の希望で同時開催の「マン・レイ」展を見た。こちらは空いており、じっくり見られた。
アンリ・ルソーの日々
アンリ・ルソーの「蛇使いの女」が、六本木の国立新美術館に来ているので、明日は下の娘と見に行く。
アンリ・ルソーは日曜画家である。
ルソーは1844年にフランスのマイエンヌ県ラヴァルに生まれる。
高校中退後、一時法律事務所に勤務するが、
1863年から1868年まで5年間の軍役を経て1871年、パリの入市税関の職員となる。
それから22年間、税関に勤め、日曜になると絵を描いていた。その後。1893年に退職し、年金生活をしながら絵を書いた。
ルソーの絵は南国のジャングルを舞台にしたものが多いが、ルソーは一度も南国を旅したことはない。
詳細に描かれた南国の植物は、すべてパリにある植物を描写したものだ。
パリのありふれた植物を詳細に描いたら南国のジャングルになってしまったということなのだ。
ジャングルになったからには、何も無いと寂しいので蛇使いを描いたり、豹に襲われる人間を描いたりしたのだろう。
ルソーの絵を見ていると、メインに画かれているのは植物なのだ。それに比べて人と動物は、あまりにリアリティが無いのである。
横浜美術館で「ポンペイ展」を見る
本日は横浜の桜木町で所要があった。
予定より早く終わったので、「ポンペイ展」を開催中の横浜美術館まで足を伸ばした。
ポンペイは一世紀に南イタリアの、ナポリの近くにあった町である。当初はローマと対抗していたが、戦争に破れローマの植民地となった。その後、ベスビオス火山の爆発により、火山灰で地中に埋もれた。
1日に5メートルもの灰が積もり、町を埋め尽くしたという。
18世紀に発掘が開始された。
一瞬にして火山灰で埋まったために、当時の町がそのまま残っていた。
爆発のとき、逃げ遅れた人々は火山灰の中に埋もれて死んだ。後に発掘されたとき、遺体部分だけが腐ってなくなり、火山灰の中に空洞ができていた。考古学者たちはここに石膏を流し込み、生き埋めの様子を再現した。
今回の展示でも、2体の遺体が紹介されていた。
1人は奴隷で、足に鉄製の枷が付けられていた。
今回の展示の見処は、家々に残された壁画である。
フライパンのような調理道具や、テーブル、椅子なども面白い。
テーブルの足は猫足(というより獣足)で、このデザインは古代ローマから引き継がれていたことが分かる。
温水浴と冷水浴の両方が用意された浴場。
食用にするヤマネを飼うための壷なども展示されていた。
装身具のコレクションも実に素晴らしい。
キューピットを諌めるヴィーナス
ラファエロ・ヴァンニ 1528 メトロポリタン美術館
どうも、この絵には何か秘密が描かれているようである。
キューピットが、カーテンを開けて中を見ようとするのだが、ヴィーナスが「見ては駄目よ」と、諌めている。
ヴィーナスの右腕には蛇が巻き付いている。
キューピッドの足元には鏡がおかれている。
この絵は2008年に上野の西洋美術館で開催された、ウルビーノのヴィーナス展で見たが、どうも気になる絵である。
で・・・・何でこの絵を載せたかというと
私のツィーター用のアイコンに使ったからです。
今年の美術展
東京都美術館
ラファエロの一角獣がやってきた。
横浜では、必ず見るぞ。
http://www.ntv.co.jp/pompei/index.html
このレンビッカというのも興味あり。
http://www.bunkamura.co.jp/museum/lineup/shosai_10_lempicka.html
グラスリッツェン(写真追加)
先週、有楽町で知人の「グラスリッツェン作品展」が開催されていた。
発祥の地といわれるベネチアから数百年前より伝わるグラスリッツェンは
鉛筆を持つようにダイヤモンドペンを持ちガラスの器に描く装飾技法である。
・・・彫るのはクリスタルガラスですか?
クリスタルガラスは彫りやすいです。少し粘りもあって・・・
これに比べると一般のガラスは硬くて彫りにくいのです。
・・・・私もクリスタルガラスが大好きです。透明で美しく、乾杯の時も。とても良い音がしますね。
それは鉛の音なのです。
・・・ええ・・・鉛ですか???
クリスタルガラスは、珪砂、カリウム、ソーダ灰というガラスの主成分に、酸化鉛を添加して形成される鉛ガラスの一種です。
ガラスの製造時に酸化鉛等を添加することでガラスの透明度と屈折率が高まり、その輝きから水晶のように透明なガラスになるのです。
・・・・ひええ、鉛とは知りませんでした。
クリスタルガラスを通常の使用条件で利用している限り、問題になる程の鉛成分溶出はないのですが、製造過程・廃棄後の処理等で鉛の害が問題になり、欧州では製造禁止になってきました。
今、あるクリスタルガラスを割ったら、次が無いかも知れません。
・・・・ほええ・・・先日、割ってしまいました。
チエコのクリスタルガラスですけど。
北欧では製造禁止ですけど、まだ、チエコでは残っているようですね。
次第に伝統的な工芸品が消えていくのは残念です。
今日から、クリスタルのワイングラスは割らないでくださいね。
・・・ほえええ・・・気を付けます。
「2001年宇宙の旅」の最終場面で、木星にてクリスタルガラスが割れる。
私の場合は、2009年、我が家の台所にて、クリスタルガラスを割る。
こころよ こころよ しづまれ しのびて しのびて しのべよ
ベルギー象徴派の絵画展を見て、私は青年期に熱中した詩集を思い出した。
萩原朔太郎の最初の詩集「月の吠える」である。
この詩集の装丁を担当したのが、田中恭吉氏であった。
しかし、田中氏は病床にあり「月に吠える」の挿絵は未完に終わった。
朔太郎は以下のように書いている。
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雑誌「月映」を通じて、私が恭吉氏の芸術を始めて知つたのは、今から二年ほど以前のことである。
当時、私があの素ばらしい芸術に接して、どんなに驚異と嘆美の瞳をみはつたかと言ふことは、殊更らに言ふまでもないことであらう。
実に私は自分の求めてゐる心境の世界の一部分を、田中氏の芸術によつて一層はつきりと凝視することが出来たのである。
その頃、私は自分の詩集の装幀や画を依頼する人を物色して居た際なので、この新らしい知己を得た悦びは一層深甚なものであつた。
まもなく恩地孝氏の紹介によつて私と恭吉氏とは、互にその郷里から書簡を往復するやうな間柄になつた。
幸にも、恭吉氏は以前から私の詩を愛読して居られたので、二人の友情はたちまち深い所まで進んで行つた。
当時、重患の病床中にあつた恭吉氏は、私の詩集の計画をきいて自分のことのやうに悦んでくれた。
そしてその装幀と画のために、彼のすべての「生命の残部」を傾注することを約束された。
とはいへ、それ以来、氏からの消息はばつたり絶えてしまつた。
そして恩地氏からの手紙では「いよいよ恭吉の最後も近づいた」といふことであつた。
それから暫らくして或日突然、恩地氏から一封の書留小包が届いた。
それは恭吉氏の私のために傾注しつくされた「生命の残部」であつた。
床中で握りつめながら死んだといふ傷ましい形見の遺作であつた。
私はきびしい心でそれを押戴いた。
(この詩集に入した金泥の口絵と、赤地に赤いインキで薄く画いた線画がその形見である。この赤い絵は、劇薬を包む赤い四角の紙に赤いインキで描かれてあつた。恐らくは未完成の下図であつたらう。非常に緊張した鋭どいものである。その他の数葉は氏の遺作集から恩地君が選抜した。)
恭吉氏は自分の芸術を称して、自ら「傷める芽」と言つて居た。
世にも稀有な鬼才をもちながら、不幸にして現代に認められることが出来ないで、あまつさへその若い生涯の殆んど全部を不治の病床生活に終つて寂しく夭死して仕舞つた無名の天才画家のことを考へると、私は胸に釘をうたれたやうな苦しい痛みをかんずる。
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以下は田中恭吉氏の作品である。
ジャン・デルヴィル (Jean Delville)
ジャン・デルヴィルも奇妙な画家である。
日本の明治元年に生まれ、1953年に没した、この画家は、クノップスと共に、ベルギー象徴派を代表する。
しかし、神秘主義の「薔薇十字展」に出品するなど、クノップスよりも、徹底して妙である。
そして、この奇妙さは現在のサブカルチャーに通じるところがある。
死都ブルュージュ
クノップスは幼年期に、父の仕事の関係で、北海に臨む港町「ブルージュ」で過ごした。
このブルージュの町は、ベニスのように運河と水路が縦横に走り、13世紀に金融・貿易の拠点として栄えた。
しかし、15世紀以降は衰退した。
日本では下関や小樽のような感じではなかろうか。
クノップスは、この衰退した、人影の少ない街路を好んで描いた。
今のブルージュは観光都市として栄えている。
William DEGOUVE DE NUNCQUES
今日は臨時休業にして、渋谷の文化村に「ベルギー幻想美術館」を見に行く。
美術展は平日に行かないと混みますので・・・。
ベルギーからやってきた展覧会かと思ったら、兵庫県の姫路市からであった。
姫路市立美術館がベルギーの絵画を収集しており、
そのコレクションを渋谷に持って来たのである。
だから、姫路市の住民は、この美術展を見てはいけない。
「同じじゃないか(怒)」と言うことになる。
様々な絵があったが、最初に気になったのが
ウィリアム・ドゥグーヴ=ド=ヌンク(1867~1935)。
ベネチアの中庭に集まる人々。陰謀との題名が付いている。
実物の絵は、もっと暗くて、中央の人影が闇に溶けている。
ウィリアム・ドゥグーヴ=ド=ヌンクの絵は、これだけだが、
ネットで探してみると・・・・夜を画家であるようだ。
これが不正の画像である
暑くなってきたので、プロフィールの画像を変えようと思ったのだが・・・・
「不正な画像パスが存在します。再度ご確認ください。」となり変更できません。
海辺のテラスで至福の昼寝。
ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス
ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス
Jhon William Waterhouse ( 1849-1917 )
ローマ生まれのラファエロ前派の画家。
父親は英国生まれの画家で、ローマによく滞在していた。
父親のアトリエで絵を勉強して、1870年にアカデミー美術学校に入学した。アルマ・タデマの影響もあって、古代史に題材を取った絵が多い。
シャルロット姫。毎日、タペストリばかり編でいた。
シャルロット姫。彼の声を聞いて船で出かける。
The Soul of the Rose, 1908
ホドラーの描く「湖」
スイスの面積は、日本の九州とほぼ同じ。
そこに、約1500の湖がある。
山の上に無数に点在する小さな湖は、鏡のような湖水に雄大な山の姿を映しとる感動的な美しさである。
トゥーン湖
Landscape on Lake Geneva 1906
レマン湖
トゥーン湖
フェルディナント・ホドラーの世界
「わかり過ぎて怖いぐらいね・・・」
会場に入るやいなや彼女が呟いた。
確かに会場内にはピリピリした空気が感じられる。
それは画家の研ぎ澄まされた感性から発しているように思われた。
スイスの画家、フェルディナント・ホドラーの展覧会が国立西洋美術館で開催されたのは、1975年の6月7日から7月20日である。
それ以降、ホドラーの展覧会は日本では開催されていない。
ムンクと共に、表現主義の先駆者と目されながら、ホドラーの名は、あまり知られていないように思う。
私の連れの彼女は、病み上がりであった。
彼女は神経科の病院に数年間入院し、退院後のリハビリ中であった。
病院ではハイデッガーやサルトル、ニーチェ等の哲学書を読みあさっていたらしく、
また、多くの患者と様態を見、彼らと様々な議論をして来たため、まだ20歳になったばかりなのに、老成した印象を与えた。
そして、私が一番、驚いたのは、その健康さであった。
人は衰弱して病気になるが、また、健康すぎても病気になる。
肉体的な健康はもちろん、私は彼女の、しなやかな知性、明晰な分析力に舌を巻いていた。
しかし、その明晰さゆえに現実の世界の中では生きにくいこともある。
この世界は、ゆるやかな衰弱と、いくらかの蒙昧を持っていた方が生き易いのである。
フェルディナント・ホドラーの世界は極めて明晰である。
それは、スイスの高地の空気のような透明感を持っている。
「夢」1978年
「秋の夕べ」1897年
「生に疲れし人々」1892年
「昼」1904年
ホドラーは1853年にスイスの首都ベルンで、非常に貧しい職人の家の、6人兄弟の長男として生まれる。
彼の兄弟は幼少の内に結核で全員が死去。
さらに父が死に、母が死に、14歳で彼は天涯孤独となる。
最初は看板職人や観光客相手に絵を売る路上の画家を経験。
小銭をためて、ジュネーブまで歩いて行った。
ジュネーブの美術館で、展示された絵画の模写をしていた時に、美術学校の校長に見出され、彼の学校に入り基礎を学んだ。
その後スペインに渡り、マドリードのプラド美術館に通い巨匠達の絵を見て学ぶ。
その後、ジュネーブに戻るが、貧しい生活が続く。
しかし、50歳を過ぎた頃、その特異な作風は注目されるのである。
ホドラーは50歳までは名も無い貧しい画家であり、その人生の殆どをスイスで過ごし、他の画家達や様々な画壇の運動とは没交渉であった。
ジュネーブ湖
ホドラーの絵は、一部の特徴的な人物画を除くと、その殆どが風景画であり、さらに、スイスの湖を描いたものが圧倒的に多い。
しかし、ホドラーの「湖の絵」の色彩は、印刷物での表現は不可能である。
例えば上の絵の、明るい空と雲を映す湖面は、極めて平面的に広がってみえる。
しかし、この絵の本物を目の前にすると、明るい湖面の下に存在する圧倒的な水の量と、その深さが描かれているのである。
その下に深く冷たい水があるから、水の表は明るく穏やかなのである。
冷徹に死を見つめる目があるからこそ、生の喜びも描けるのである。
あの日に購入したホドラー展のカタログに、何枚かの湖の絵がカラーで収められているが、実物を見た印象とは全く異なっていた。
Lifting the Skin of the Water 海の皮膚を持ち上げる
Dali at the Age of Six,
when he Thought he was a Girl,
Lifting the Skin of the Water to see a Dog
Sleeping in the Shade of the Sea
何と長い「絵の題」であろうか?
「海の影の中で眠る犬を見るために、海の皮膚を持ち上げる少女である6歳のダリ」
he was a Girl というのも・・・
ダリの絵は、外にも海の皮膚ガ出てくるのがある。このテーマが好きなようだ。
ところで、↓の海の皮膚も、持ち上げたい気がするのだが・・・
カッソーネの蓋の裏に書かれた絵画・ウルビーノのヴィーナスを見に行く(2)
カッソーネとは、結婚する時にお嫁さんが必ず持参した家具の一つ。大きな長い櫃であり、頑丈な木で作られる。
ウルビーノのヴィーナスの後方に描かれているのが、そのカッソーネである。
このカッソーネの裏蓋は、開かないと見れない。
そこに、エロスを主題とした絵が描かれていたらしい。
今回の展示で、何点かのカッソーネに描かれた絵が展示されていた。
ヤコポ・デル・セッライオ『愛神の凱旋』『羞恥の凱旋』も板絵であるが、これもカッソーネに描かれたもの。
縛られた男女が荷車に載せられ引き回されていうる。
これが愛の力で束縛から自由になる・・・という奇妙なテーマの絵である。
おそらく、寝室で夫婦がプライベートに見る絵だったのである。
ウルビーノのヴィーナスは、かなり特殊な作品だ。
今回の展示では、様々な「横たわるヴィーナス」の絵を同じ場所に並べられていた。
その比較で、ウルビーノのヴィーナスの特徴が際立つようにしている。
・ヴィーナスなのに、なぜ、ごく普通の寝室に寝ているのか?
(他の絵はバックに自然があり、キューピットや、牧神などが描かれ神話的な世界の中にある)
・なぜ、この絵を見る人の方を、まっすぐに見ているのか?
(他の、横たわるヴィーナスの絵は、眠っていたり、他の方を見ている)
・なぜ、シーツに乱れがあるのか?
(このシーツと枕は実に写実的に描かれている)
なぜ、お腹がもっこりしているのか?
(明らかに意識的に描かれている)
この絵はカッソーネの蓋の裏に描かれた秘密の絵のように、夫婦が水入らずで見る絵のような気がする。
この絵は、ウルビーノ公の注文でティツィアーノが描いたものであるが、ウルビーノ公には若い妻がいた。
さらに、ウルビーの公の家系は、子供が出来にくいという悩みがあったらしい。
この絵の女性は、ウルビーノ公の妻であり、
犬がベットで眠たままで吠えないのは、この部屋に入って来たのは彼のご主人だから。
女性が、まっすぐ、こちらを見ているのは、妻だから・・・という解釈が出来る。
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なお、他のヴィーナスの絵は「神話的な世界で」の中で描かれている。
アレッサンドロ・アッローリ「ヴィーナスとキューピッド」
シモーネ・ペテルザーノ「ヴィーナス、キューピッドと二人のサテュロス」
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補遺<APPENDIX>
①ウルビーノ公国は1443年から1631年までイタリアのマルケ州北部に存在した国家。
②この絵の注文者であるグイドバルド・デラ・ロヴェーレは、ウラビーノ公になる前、24歳で結婚した。相手は当時14歳のジュリア・ダ・ヴァラノ。この絵の納品は1538年である。
③グイドバルド・デラ・ロヴェーレは1514年生まれで、1574年に死す。父が暗殺され、1539年にウルビーノ公となる。
④ジュリアは一人の子女をもうけるが1547年に死別。ウルビーノ公は翌年、再婚する。
ウルビーノのヴィーナスを見に行く(1)
実は先週、休みを取って上野の美術展に出かけた。
最近は美術展も混雑して、土日は落ち着いて見れない。
平日に休暇を取るのがベスト。
それに、残業時間を代休で消化するのは会社の至上命令でもある。
この日は「薬師寺展」が本命だったが、
雨が降る寒い日で、日光・月光菩薩様と再開(昨秋、奈良の薬師寺でお会いした)する気分ではなく、急遽、西洋美術館に変更した。
今回の展示はテーマを「ヴィーナス」に絞り、古代からルネッサンス、バロックまで多彩な作品を集めていた。
一人の画家の作品を集めた美術展、あるいは欧米の美術館の所蔵品の一部を展示するスタイルが多い中で、テーマを前面に打ち出した企画展は珍しく、とても楽しめた。
ヴィーナスはローマの神だが、その前身はギリシア神話の美と豊穣の女神アフロディテ。
彼女はオリンポス12神の一人です。
・ゼウス
・ヘーラー
・アテーナ(ミネルバ)
・アポロン
・アフロディテ(ヴィーナス)
・アレス
・アルテミス
・デーメーテール
・ヘーパイストス
・ヘルメス
・ポセイドン
・ヘスティア
以上がオリンポス12神。
アフロディテはへーバイトスの妻であり、キューピットの母。
また、アレス(軍神)と浮気をしてエロスを産んだとも言われる。
今回の展示で、最も魅了されたのは古代ギリシア、ローマの彫刻。
例えば「メディチ家のアフロディナ」。
紀元前1世紀の大理石像であるが素晴らしい造形美。
この像を見ていた時間は、ウルビーノのヴィーナスより長かった。
もう一つ、素晴らしい作品がある。
ドイダルサスのアフロディナ。
紀元前3世紀の作品の模刻とのことだが、この自然で雑念が無いリアリズムには圧倒される。
プロフィール
Author:友遊
団塊世代の中小零細企業の代表。現場と市場視察が大好き。政財官の鉄のトライアングル、中央集権、日本的経営を支持する守旧派。既得権益死守。相互扶助を基盤とする協同組合支持。実業の世界とは、金融経済に対する実体経済の世界を意味する。
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