大雪の夕方、朝除雪した通路はまた埋まってしまいました。 なんとか日の暮れる前に再度除雪をしないと、明日の朝家から出られなくなります。
この危機を解決すべくよもちゃんが立ち上がりました。
よもちゃんはアルプスを越えてローマへ進軍するハンニバルの如く勇ましく雪に立ち向かいます。
進め、ローマへ!! この雪の壁の向こうに勝利が待ている!!
頑張れ! カルタゴ軍!!
ああ、雪が!! この壁はいつまで続くのか? ああ、兵士と戦象が次々と倒れていく。 戦象は?? 同居人は??
しょ、将軍、もうダメです。 撤退しましょう。
同居人、それが良いよ。 撤退しようよ。 もう寒いし、疲れたし、ワタシ家に入りたいよ。 家でネットしたいよ。
ダメ!! アルプス進軍中、戦象は37頭中33頭が倒れたけど、ハンニバルは進んだの!
ああ、何と言う冷酷無情!! 猫をここまでこき使うなんて!! 動物愛護協会は何をしているんだ?
ほれ!! つまらない愚痴を言っていないで、しっかり働きなさい! でないと猫缶上げないからね。 働かざる者食うべからず!!
同居人はヤッパリ、象よりスターリンが向いているよ。
そう、悪かったわね。 私の中学時代にシベリア抑留の経験のある先生がいて、その先生が授業中にその時の体験話して下さったのよ。 それはすざましい話だったわ。
収容所の宿舎の側に衰弱死した人の死体が、山のように積んであるけれど、でも地面が凍り付いて春まで埋葬できないの。 毎日朝夕仕事の行き帰りにそれを見て暮らしたとか。
でもそんな話して日教組が怒らなかったの?
完全に共産主義にハマっていた先生もいたわ。 でも私が中学生だった時代はまだ出征経験のある先生も大勢いたし、それに生徒の父親もほとんどが元皇軍兵士よ。 赤教師がヘンな事を言ったら父兄が黙っていないわ。
それっていつ頃の話?
昭和40年代の始めね。 私のお父さんはインドシナ半島を転戦したけど、友達のお父さんにはノモンハンで重傷を負った人とか、海軍にいた人とか・・・・・。
それからお母さんのお友達で一番美人だった人は、海軍のテストパイロットと結婚したんだって。 もう最高にカッコイイ相手だから皆凄く羨ましがったんだけど、すぐに戦死して同級生で最初に未亡人になったとか。
そうなんだ。 それじゃあ、いつから今みたいな自虐史観が普通になったの?
それは1980年以降だと思うわ。 その頃から戦中派の人達、つまり私の父の世代が定年退職するようになって、社会の中心から退いていったのよ。 そしてその後の世代がそこを埋めたのよ。 それが大江健三郎のように、戦後教育を受けて、戦争には飢えの記憶だけを持つ人達よ。 石毛直道 - Wikipediaが言っていたけど「戦争への恨みは自分達の世代の方が強い。 兵隊として戦った人達には正義も目標もあっただろうけど、自分達はただ訳もわからないまま飢えていただけだった」。 これは確かにその通りよ。
ああもう!! こんな話なんかどうでも良いから、早く除雪しなさい!!
かかれ!!
わ、わかりました。 それではよも一等兵除雪します。
破竹の進軍を期待したのですが、途中で雑談に陥り、行軍速度はがた落ちです。 このままでは除雪が終わらないうちに日が暮れるではありませんか。