よもぎねこです♪ パヨクの世界
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2024-10-16 13:16

女性蔑視って何? ポリコレ

 ワタシは所謂ポリコレには全然賛同できません。 ポリコレとは「ポリティカル コレクトネス」つまり「政治的正しさ」の略語なのですが、しかし元来民主主義国家では思想・宗教・信条の自由は保障されており、思想・宗教・信条が違えば「何が政治的正しい」のかは、個人の思想・宗教・信条によりちがいます。
 ところが自称リベラリスト、所謂ポリコレ賛同派は、「多様性の尊重」とまで言いながら、彼等の仲間内で「政治的に正しい事」だけをポリコレとして強制しているようにしか見えないのです。
 
 先日こんなニュースを拾いました。

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 シュトラウスのオペラ「影のない女」は女性蔑視? 東京二期会が差別要素除いて公演 - 産経ニュース (sankei.com) 2024年10月12日

 本来の台本を大胆に読み替えることなどで常に物議をかもしてきたドイツの演出家、ペーター・コンヴィチュニー(79)が演出する東京二期会のオペラ「影のない女」が今月下旬に公演される。コンヴィチュニーは取材に「『影のない女』をオリジナルのまま上演すれば女性蔑視の形になります。このオペラには3人の女性が出てきますが、彼女たちは男性に従うだけなのです。これは今日では受け入れがたいことです」と話した。オリジナルから曲の4分の1をカットし、シーンを入れ替え、日本語のせりふを加えるなどコンヴィチュニーの本領発揮の舞台となりそうだ。

子供ができない皇后
「影のない女」は2022年に公演が予定されていたが、コロナ禍で延期されていた。コンヴィチュニーは初めてこのオペラを演出する。ドイツのボン歌劇場との共同制作で、東京が初演となる。

リヒャルト・シュトラウスが作曲、フーゴ・フォン・ホーフマンスタールの台本によるこのオペラは1919年に初演された。本来のあらすじは、東洋の島々に住む皇帝は、霊界の王(カイコバート)の娘を皇后にした。しかし彼女には影がなく、子供ができない。乳母は人間をだまして影を買い取ることができると、皇后と人間の世界に向かう。子供がいない貧しい染物屋、バラクの女房から影をもらい受けようとする。しかし、皇后は他人を犠牲にしてまで影の入手を望まない。「影を持たない皇后のため石と化す」という呪いのため皇帝は石となった。皇后の精神の尊さゆえに奇跡が起こり、皇帝は石からよみがえる。

大作だが「反社会的」
休憩を入れずに約3時間20分はかかり、楽器編成も大きい大作。また祝祭的なオペラであるため、初演はウィーン国立歌劇場の第1次世界大戦後の最初の公演として、1955年の同歌劇場再建記念、66年のメトロポリタン歌劇場落成記念などで上演されてきた。

 しかしコンヴィチュニーは「影のない女』は好まれている作品ですが、影を持つことで妊娠するという意味です。女性は子供を産むことで女性になれると言っています。反社会的です。私はいろいろと変えることにしました。シーンを組み替えることで分かりやすくしました。そしてオペラにユーモアを入れようと思いました。これが一番大事なことです。ドイツ語の作品に日本語のシーンが入ることもユーモアです。そして女性が男性をだますというユーモアを入れました」と作品が内包する女性に対する古い固定観念を問題視した。

コンヴィチュニーは1945年、フランクフルト・アム・マイン生まれ。父親の著名な指揮者フランツ・コンヴィチュニーがライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の首席指揮者だったため旧東ドイツで育った。劇作・演出家ベルトルト・ブレヒトゆかりのベルリナー・アンサンブルで助監督を務めた。80年からオペラ演出を手がけ、オペラを現代にも通用するドラマとして生まれ変わらせ、ドイツのオペラ雑誌「オーパンヴェルト」で何度も年間最優秀オペラ演出家に選出されている。

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 リヒャルト・シュトラウスのオペラが反社会的?
 ワタシはオペラに詳しくないのですが、色々とこのオペラについて検索しても、どこがどう女性蔑視なのかわかりません。
 演出家コンヴィチュニーは「『影のない女』をオリジナルのまま上演すれば女性蔑視の形になります。このオペラには3人の女性が出てきますが、彼女たちは男性に従うだけなのです。」と言うのですが、オペラのストーリーを見る限り、何でそういう解釈になるのか全然わかりません。

 オペラのストーリーは他を検索しても記事の通りです。

 東洋の島々に住む皇帝は、霊界の王(カイコバート)の娘を皇后にした。しかし彼女には影がなく、子供ができない。乳母は人間をだまして影を買い取ることができると、皇后と人間の世界に向かう。子供がいない貧しい染物屋、バラクの女房から影をもらい受けようとする。しかし、皇后は他人を犠牲にしてまで影の入手を望まない。「影を持たない皇后のため石と化す」という呪いのため皇帝は石となった。皇后の精神の尊さゆえに奇跡が起こり、皇帝は石からよみがえる。

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 ここで皇后が影を持たないと言うのは、妊娠できない事を意味します。 
 妊娠できないという事は、皇帝の世継ぎができないという事です。 

 キリスト教では一夫一婦制が非常に厳格なので、嫡出子にしか王位継承権がありません。 だから皇后は何が何でも子供を生まなければならないのです。
 このオペラもそういうヨーロッパの文化背景を元に作られているのでしょう。

 そして「「影を持たない皇后のため石と化す」という呪いのため皇帝は石となった。」のも、皇后が子供産めない為、皇位継承者を得られないなら、皇帝は帝位を追われる、或いは帝国が崩壊する事を意味しているのでしょう。

 但しこのオペラは上演時間が3時間半にもなる大作なので、乳母が人間の女を騙す為に使う姦計と、それに抵抗する染物屋夫婦の夫婦愛も描かれています。 

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 こういうストーリーですから、コンヴィチュニーの言う三人の女とは、女王、女王の乳母、染物屋の女房でしょう。 でもこの記事に出ているストーリーを見ても、他のサイトでストーリーを見ても、彼女達が「男に従うだけ」とは全く思えません。

 皇后はいかに自分に影が必要であっても、他人を犠牲にする事は拒否する。
 乳母は皇后に対して忠義を尽くし、何が何でも皇后の為に影を手に入れようとする。 
 染物屋の女房は貧しいけれど、夫を愛し女王の乳母が仕掛ける姦計に打ち勝っていく。

 勿論このストーリーの背景には、コンヴィチュニーの言うように「女性は子供を産むことで女性になれると言っています。」と言うヨーロッパの社会と文化があるのです。
 これは子供を生めない女性、生みたくない女性には大変厳しい物でした。
 しかしこのオペラの三人の女たちは、それぞれがこのような社会に抗って自分の意思を貫こうとしているのです。

 特にこうした状況の中で、それでも「他人を犠牲にしてまで影の入手を望まない」と言う皇后は大変気高く、女性として賞賛に値します。 
 彼女は女性として生きる事を放棄しても、人として恥じない生き方を選んだのですから。

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 子供を生むというのは女性にしかできない事で、非常に重要な役割です。
 だから「女性は子供を産むことで女性になれる」と言うのもわかります。
 しかし女性は女性である前に人間なのですから、女性として生きる前に人として生きるべきなのです。 所謂フェミニスト達の中にも「女性は女性である前に人間である」と言っている人が多数います。
 このような女性が主人公なのに、何でこのオペラが女性蔑視なのか?
 反社会的なのか?
 むしろ彼女達は「影を持つことで妊娠するという意味です。女性は子供を産むことで女性になれると言っています。」と言う理不尽な社会に、抵抗した英雄ではありませんか?

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 理不尽な社会に抵抗する人々は英雄です。 
 だからこうした人々を描いた芸術作品は多数あります。
  
 しかしオペラであれ、映画や演劇や小説であれ、こうした英雄を描く為には、その英雄が抵抗した社会を描かなければなりません。
 例えばネルソン・マンデラを描いた映画「インビクタス」では、当時の南アフリカ共和国の過酷な人種差別が描かれています。
 またガンジーを描いた映画では、イギリスによるインド独立運動への弾圧が描かれています。

 南アの人種差別もイギリスのインド支配も、現代では絶対に認められない話で「反社会的」と言えるのですが、その反社会的な行為を描かないと、何でガンジーやマンデラが英雄なのか理解できません。
 「影のない女」も同じではありませんか? 

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 勿論、ワタシはオペラには詳しくないので、ストーリーだけからはわからない女性蔑視があるのかもしれません。 またこの演出家が何とか原作を改変したいだけなのかもしれません。
 しかし長く愛されてきた作品を、現代の思想で問題化して改変するって、蛮行としか言えません。

 そもそも現在上演されているオペラの殆どが17~20世紀初頭までに作られた作品です。 だからそれぞれの作品が作られた時代の価値観を反映しています。 
 また暴君や奴隷など、現在では全く存在を否定されているキャラクターも出てきます。

 だからポリコレを振り回せば、殆ど全てのオペラが上映不能になるでしょう。 それでも上演しようとすれば作品を改変するしかありません。
 けれどもこれはもう蛮行と言うしかありません。
 ナチスドイツの時代にも、古典オペラのストーリーが問題になった事はありません。
 スターリン時代のソ連でも、古典オペラはそのまま上演されていたし、古典オペラや古典文学を題材にした映画も多数作られました。

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 ところが現在のポリコレ派は古典芸術を彼等の倫理道徳で改変するという蛮行を平然と行っています。
 ワタシはこれは人間の魂と文化の破壊だと思います。
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2024-07-24 10:53

左翼のセンスと昭和の扇子

 昨日、こんな記事を拾いました。


 評論家で作家の佐高信氏が2024年7月21日にXで、ハンディファンを持っている若年層を批判した。

■「団扇も扇子も同じ」「扇子持ってる人と何が違うんや」

 佐高氏はXで「一人で扇風機を持っている若者が嫌いだ」とハンディファンを持つ若者を批判。その理由について「自分だけよければいいという感じで社会が関係ない」と説明した。

 そこから佐高氏は、ハンディファン批判を「都知事選で石丸にイカれた人もそうなのだろう」と、7日に投開票が行われた東京都知事選で、次点となった石丸伸二氏の支持層に絡めて持論を展開する。

彼らは権力を知らない。石丸は市長として権力を持っていた。それに抵抗するのは簡単ではない。ところが権力の存在を感じたことのない者は石丸に同化してしまう

 この佐高氏のポストには、

「団扇も扇子も同じだけど」
  「飛躍ってレベルじゃないで...扇子持ってる人と何が違うんや」
  「扇風機から石丸批判に繋げる不思議理論」

という声が集まっていた。

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彼らは権力を知らない。石丸は市長として権力を持っていた。それに抵抗するのは簡単ではない。ところが権力の存在を感じたことのない者は石丸に同化してしまう

 なるほどね。 これが学生運動世代、団塊世代の権力観だったんですね。

 確かに石丸氏は安芸高田市の市長でした。 その意味では一般東京都民よりは権力者と言えます。
 だったら蓮舫にも同化したらダメだし、投票してもダメです。
 だって蓮舫は国会議員でした。 民主党政権時にはいくつも大臣職を歴任しています。 
 人口24600人の安芸高田市の市長なんか、指一本で吹き飛ばせるほどの大権力者でしょう?
 
 権力者だから同化してはイケナイ。
 権力者に投票してはイケナイ。
 そんなことを言っていたら民主主義は崩壊します。

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 佐高氏とお仲間が大好きな日本国憲法では、国民が自治体首長を選び、国会から地方議会までの議員も国民が選ぶのです。 
 つまり国民に選ばれた人が権力者になるのです。 
 それなの権力者に同化してはイケナイ、権力者に投票してはイケナイと言うなら、一期でも議員や首長を務めた人には、絶対投票してはイケナイことになります。
 しかしこれが結局、団塊左翼の政治センスだったのですね。

 この佐高信氏は1945年生まれですから、まさに学生運動真っただ中に生まれた左翼言論人です。
 ワタシは1954年生まれですから、安田講堂事件始め学生運動の最盛期には、まだ高校生でした。
 当時のマスコミはこぞって学生運動を美化し応援してたので、高校生にもそれに感化されて、学生運動をまねごとをする連中がいました。
 それで高校一年の時に、ワタシの高校でも全校集会とかがあり、授業が数日ストップした記憶があります。

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 で、当時の若者の間では「反体制」「反権力」が絶対正義だったのです。
 若者がこれに共感するのはわかります。 
 だって権力とか体制とかと戦うって、なんか凄くカッコイイです。
 それにそもそも反抗期が終わってない連中です。 親でも何でもとにかく目上の人間に反抗したい年頃なのに、テレビや新聞がその反抗を応援してくれるのですから。
 「評論家」とか「文化人」とか名乗る、エライ人たちが「反抗」を推奨してくれるんですから。

 しかしその「権力」とは何か?、「体制」とは何か? 
 でも佐高氏のツィートを見るとわかるんですが、彼等は結局この「権力」が何であるか、「体制」とは何かを全く考えていなかったのでしょう。
 だってホントに反権力・反体制なら、護憲なんて言えるわけないでしょう?
 ところがこの佐高氏と佐高氏のお仲間は、日ごろ「反体制」「反権力」を喚きながら、日本国憲法大好き!! 護憲派を自称しているのです。

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 しかし日本の体制も権力も、日本国憲法に定められた通りに作られているのです。
 これって中学公民で習いましたよね?
 中学公民で日本国憲法を習うんですけど、その時に日本の司法・立法・行政と言う日本の国家体制が、日本国憲法に基づいて構成されている事を教えられます。 
 だったら、反体制・反権力=反日本国憲法ではありませんか?

 これは全ての法治国家で同様です。
 だから革命やクーデターで国家体制を転覆した連中は、速攻で現行憲法を停止、更に憲法を改正するのです。
 例えば第一次世界大戦末期のドイツで革命が起きて、プロシャ帝国の体制が崩壊した時、革命勢力はプロシャ帝国憲法を改正して、ワイマール憲法を制定したのです。

 ウィキによる佐高氏は慶応義塾大学法学部卒との事なのに、憲法について中学公民レベルの知識もないのでしょうか?
 しかし結局、これが団塊左翼のセンスなんでしょう?
 何でも良いから「反体制」とか「反権力」とか言っていれば、皆から褒められる、誰にも咎められない、だから権力についても体制についても、何も考える事をしないままとにかく「反体制」「反権力」と言い続けたのでしょうね。

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 そしてそもそもそうやって考える事の出来ない人だったのでしょう。
 だからハンディファンを使う若者を「自分の事しか考えない」と言うのでしょう。

 しかしX上で佐高氏に反論している人たちの言う通り、ハンディファンと扇子や団扇はどう違うんでしょうね?
 佐高氏のお年なら、冷房が普及する以前、夏の外出時に扇子を持ち歩く習慣があった事を覚えていらっしゃるでしょう?

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 冷房がオフィスの常識になったのは1970年前後で、それまではデパートや銀行窓口など接客に関係しない職場では冷房は入っていませんでした。
 それで夏は男性も半袖の開襟シャツ一枚、ジャケットはなしでの出勤も普通でした。
 そして夏の外出には男女共にに扇子を持っていきました。
 
 当時の事ですから、扇子もジェンダーフリーではなく、紳士用と婦人用に分かれていました。 婦人用は紗やレースを使った華やかな物な物が好まれました。
 紳士用は婦人用より少し大きめで、絵柄も地味ですが、涼し気で上品な絵柄が好まれました。 
 こうした扇子はチョッとした記念品や贈答品としても使われました。
 それでワタシの父も扇子を何本も持っていました。  
 今、我が家にあるものだけで7本もありました。 中には一度も使った事がないらしい物もありました。 

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 お洒落な人なら扇子に凝るものわかりますが、父は全然お洒落なんかしない人でした。
 それでよく見たら柄に電話番号が入っている物が3本ありましたから、これはこの電話番号の会社からのもらい物だでしょう?

 因みに父の扇子は全部ワタシが持っています。 
 父の形見だし、ワタシは物を捨てられない病気だし、それにしまっておいても邪魔になるものでもありませんから。

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 で、この佐高氏の記事を読んで、箪笥から出してみましたが、どれも父の生前同様、綺麗なままでした。 
 前記のように父はお洒落をする人じゃないので、この扇子も殆どが記念品等のもらい物でしょうが、それでも皆それぞれに涼し気で上品なデザインです。
 これが昭和の紳士のセンスなんですね。

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2024-06-15 11:00

軍靴の足音 馬鹿左翼の化石脳

 対中戦争を想定した離島住民の避難ですが、やっぱり馬鹿左翼が騒いでいます。

 <社説>離島住民避難先提示 戦争準備認められない - 琉球新報デジタル (ryukyushimpo.jp)
 2024年06月09日 05:00

 政府は、「台湾有事」を念頭にした先島諸島5市町村の住民ら12万人の避難計画を巡り、九州北部・山口の県知事に避難受け入れを担当する市町村の案を示した。戦前の集団疎開をほうふつさせる計画だ。戦争への備えが進むことに危うさを禁じ得ない。

 沖縄が戦場になることを前提とした計画は受け入れられない。政府は、島々が標的になる南西諸島の軍事要塞(ようさい)化を止め、有事を回避する外交に全力を挙げることだ。

 政府が3日の九州地方知事会議で示した案では、宮古島市の住民は福岡、熊本、宮崎、鹿児島の4県、石垣市の住民は山口、福岡、大分の3県で受け入れる。竹富町は長崎県、与那国町は佐賀県、多良間村は熊本県としている。

 九州への避難が実行される時は、島々が戦火に巻き込まれ、土地や建物が破壊される危機に直面する。財産を手放し、仕事や学校を離れた住民たちがいつ島に戻れるかは分からない。避難先で生活基盤を確立できる保障もない。離島住民に対する過酷な想定が、「国民保護」の名によって覆い隠されている。

 避難先に指定された各県では避難者が滞在する施設の選定や食料の備蓄、医療体制構築が求められる。避難が長期化した場合の教育や就労支援も検討していくという。避難先となる地域に及ぼす負担や影響についても十分に共有されているか疑問だ。

 九州地方知事会長の河野俊嗣宮崎県知事が「積極的に取り組みたい」と語るなど、会議では前向きな声が相次いだという。沖縄県の窮状に手を差し伸べないわけにいかないという、人道的な立場からの各知事の協力表明だろう。

 だが、戦争は自然災害における救援・避難とは異なる。外交の失敗がもたらす人災だ。国の失政のツケを住民や都道府県に負わせるのは筋が違う。何より政府が計画の策定を急ぐのが、中国の「脅威」に対応した軍備強化の一端であることは見過ごせない。

 南西諸島で日米一体の軍事要塞化が進む。先島では宮古、与那国、石垣島にミサイル部隊を備えた自衛隊駐屯地を開設し、民間の空港・港湾を軍事利用できるようにする。自衛隊が米軍と軍事行動する態勢を整えながら、一般住民を前線から退避させる準備が九州への避難計画だ。

 しかし、住民保護が戦時下でいかに机上の空論に終わるかは歴史が証明している。沖縄戦を前にした集団疎開では、九州に避難する児童らを乗せた船が沈められるなど多くの悲劇を生んだ。疎開地でも食糧難に苦しんだ。疎開で住民を守れないことを沖縄県民は身をもって知っている。

 離島住民の生命、財産を本当に守るのであれば、万が一にも避難計画を発動させてはならない。緊張緩和に向けて平和外交を積み重ね、南西諸島の軍備強化を止めれば、住民の避難計画もおのずと策定の必要がなくなる。

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緊張緩和に向けて平和外交を積み重ね、南西諸島の軍備強化を止めれば、住民の避難計画もおのずと策定の必要がなくなる。

 なんとも懐かしいと言うか・・・・・ワタシがまだ中学生だった頃から言われ始めた、日本左翼独特の反戦平和論です。

 散々戦争の悲惨さを説いて、だから外交だけで解決しろ!!
 軍備は絶対に許さない!!

 左翼の脳内では時間が止まっているのでしょう。
 しかしそのころ、つまりワタシが中学生だった60年前なら、これでもそこそこ説得力がありました。
 だってそのころはパックスアメリカーナの時代で、米ソ冷戦ではありましたが、アメリカの力が圧倒的なのでソ連も中国も無分別なことはできませんでした。

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 だからアメリカは当時、朝鮮戦争・ベトナム戦争などもぐら叩きのように反米勢力を潰す為に戦争を続けていましたが、日本は黙ってそれを見て「戦争は悲惨だ」なんて言っていたら良かったのです。
 それにアメリカも日本の軍備増強は今一望んでいなかった節があります。
 どんな支配者もそうなんですが、ナンバー2は潰したいんですよ。 だからナンバー2になりそうな国はこまめに叩きます。 

 アメリカとすれば日本に軍備を増強させるより、軍備は全面的にアメリカに頼って、金だけ貢がせる方が便利でした。 そして日本は金に不自由していなかったので、これはこれで快適でした。
 だから当時日本で「憲法改正反対!!」「反戦平和!!」を喚く連中のバックにいるのは、共産勢力だけでなく、アメリカのジャパンハンドラーもいると言われていました。

 しかし今は完全に状況が変わりました。
 中国が化け物みたいに膨張する一方で、アメリカの力は相対的に落ちてしまいました。 そしてそれを見透かすように、ロシアのウクライナ侵略戦争やガザ紛争が起きています。
 けれども一番厄介なのは中国で、中国は90年代から共産主義市場経済なんてものを入れて、経済力だけは爆増したのですが、それをそのまま軍事力強化につぎ込みました。
 別に中国人がミリオタで、軍備が好きだからじゃないです。 明確に周辺諸国の侵略を意図しての軍事力強化です。

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 中国の異常さはこのような侵略の意思を全く隠さない事です。
 例えば1996年に李鵬首相がオーストラリアのキーティング首相と会談した時「30年もしたら日本はつぶれるだろう」と言っています。
 当時、日本と中国が険悪だったわけではありません。 むしろ非常に良好でした。 少なくとも日本側は中国が経済発展すれば、民主化も進み、より良好な関係になれると信じて、中国に多額の経済支援をしていました。
 勿論、当時日本社会や経済のどこを見ても「潰れる」ような兆候はありませんでした。

 李鵬の本心はわかりません。
 しかし一国の首相と言う立場で他国の首相との公式会談で、このような発言をする事がどれだけ異常か・・・・。
 首脳どころか全くの個人でも、友人同士で共通の友人の話をしているときに、「あいつはもうすぐ破産するぞ」なんて話をする人間と付き合えますか?
 でも中国はそういう国なのです。

 そしてその後の中国外交を見ているとこれは結構本心だったと思います。 勿論、日本が潰れる兆候は全くないのですが、しかし中国はこの少し前から際限もない軍拡を始めていて、周辺諸国全てと国境紛争を起こしています。
 その為、中国の周辺諸国全てが、対中防衛強化を図っています。
 それなのに日本だけは「緊張緩和に向けて平和外交を積み重ね、南西諸島の軍備強化を止めれば」中国は侵略を止めるんでしょうか?

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 例えば中国は今現在、南沙諸島を奪おうと、フィリピンを圧迫していています。 それでアメリカや日本もフィリピンを支援しています。
 日本はフィリピンの海上警察の職員の訓練を引き受けたり、巡視船を与えたり、非軍事での支援をしています。
 一方フィリピン政府も随分頑張って、自国領と漁民を守っています。
 このフィリピンの状況は、尖閣諸島と同じです。

 こうしてみると中国が軍事的な対応に出るのも、それに対して軍事で対応するしかないのも全世界共通としか言えないではありませんか?
 中国は広大な国なので国境線も長大で、実に様々な民族、様々な歴史や文化を持つ国と国境紛争を起こしているのですが、しかしどの国も結局、武力で迫る中国を武力を強化すること、中国に圧迫されている国々が団結して中国と対抗することでしか、対応できないのです。

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 ところが上記の琉球新報の記事は、このような現実を見ながら

緊張緩和に向けて平和外交を積み重ね、南西諸島の軍備強化を止めれば、住民の避難計画もおのずと策定の必要がなくなる。
 
 と言うのです。
 なるほど記事の前半にある通り、避難にも危険が伴うし、避難生活は大変でしょう。
 だから避難しないで済んだらそれが一番幸せです。
 でも現実にこんな事ができるんですか?

 そもそもフィリピンだってそのほかの中国の周辺諸国だって、元々中国との友好平和外交に努めてきたし、そもそも中国と比べたら軍事力と言えるほどの軍事力は持っていませんでした。
 フィリピンなんか態々国内の米軍基地を追い出したのです。
 ところがその途端に、中国がフィリピン領の南沙諸島を占領したのです。
 「軍備強化を止めれば」中国が侵略をしないなんて大噓ではありませんか?

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 明確に侵略の意思を持つ侵略者を、平和外交だけで止める事は不可能なのです。
 止める方法があるとすれば軍備を強化して、侵略してくれば「負ける」と「大変な損害を被る」と思わせるしかないのです。
 ところが琉球新報は、こうした現実を一切無視したまま、70年前で時間が止まっているのです。 これは「お花畑」と言うより「化石」と言うべきでしょうね。
 そして現実の問題対応への理論ではありません。

 「緊張緩和に向けて平和外交を積み重ね、南西諸島の軍備強化を止めれば、住民の避難計画もおのずと策定の必要がなくなる。

 この理屈が通るなら病院もいりません。
 なぜなら「健康管理に気をつけて、無暗に医者にかかったり、薬を飲んだりしなければ、病気なんかにならない」と言う人が結構います。 
 これはこれで一理あります。
 しかしだからと言って病院や医師をなくして良いんですか?
 
 どんなに健康管理に気を付けても、病気になる場合もあるのです。 だから国民の命が大切なら医者も病院も絶対必要です。
 ところが琉球新報の理論では、「入院生活は悲惨だから病院は作るな」と言うのです。
 こんな話は個人の心がけとしてはともかく、為政者がなすべき政策ではないでしょう?

 そして現在この理屈を持ち出して、住民避難に反対するのは、七転八倒する病人を目の前に「健康管理に気をつけて、無暗に医者にかかったり、薬を飲んだりしなければ、病気なんかにならない」と言っているのと同じです。
 こんな話聞く人がいるんですか?

 しかし琉球新報としては永遠にこの話を続けるのでしょうね。
 頭が化石化した読者へのサービスが必要だし、またこのプロパガンダを支援してくれる国もあるでしょうから。

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 因みに沖縄戦で多数の被害者が出たのは事実です。
 しかしこれは単純に沖縄が戦場になったからだけではありません。 当時の沖縄県知事が県民に迅速な避難を呼びかける代わりに、最後まで避難を放置した挙句に、自分だけ飛行機で逃げたからです。
 
 取り残された沖縄県民は、ただ恐怖に駆られて日本軍について歩きました。 米軍は米兵の人的被害を減らすために、空爆や艦砲射撃で日本軍を攻撃したのですから、日本軍と一緒に行動したら一緒に空爆や艦砲射撃に遭うのです。
 だから日本軍は自分達は北部で戦い、住民は南部へ避難させる計画でした。 しかし避難の指示や訓練ができていなかったので、最悪の事態になったのです。

 こういう事態を避ける為にも、迅速な住民避難体制の確保、そして島外への避難ができなかった場合も想定しての避難訓練は絶対に必要です。
 ワタシは政府と自衛隊が、この方向で動いている事を心強く思います。
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2024-01-19 11:16

リベラルは労働者の敵

 リベラルは労働者の敵です。
 因みにここで言うリベラルは岩波の「世界」や朝日新聞などが言うリベラルです。
 つまり共産党や旧社会党=現立憲民主党やれいわ新選組などの支持者です。 こうした政党は共産主義・社会主義を信奉する人々ですから、本来のリベラリズムには敵対する人々です。
 しかしソ連崩壊後、彼等はリベラルを僭称し始め、現在は全てのメディアがこれに従っている状態なので、ここではワタシもとりあえず彼等をリベラルと呼ぶ事にします。

 そのリベラルは労働者の敵なのです。
 リベラルは僭称であり、中身は共産主義・社会主義の信奉者であれば、労働者・農民の味方であるべきです。 
 実際、彼等は口先では「労働者の味方」だと言ってはいます。
 しかし現実の彼等の言動を見る限り、労働者の敵としか言えません。

 例えば彼等は外国人労働者の流入に一切反対していません。
 日本の賃金はバブル後、第二次安倍政権成立まで殆ど上がりませんでした。  
 このような状態では労働者の立場から言えば、外国人労働者の受け入れは絶対禁止するべきです。
 ところがリベラルは外国人研修生などの正規の外国人労働者の流入に反対しないばかりか、不法入国・不法滞在の外国人の排除は必死で妨害しました。
 
 不法滞在する外国人の殆んどは不法就労しているのですから、不法滞在者外国人を排除しない限り、外国人労働者を排除できません。 
 それなのに彼等は不法滞在外国人の排除は徹底的に妨害してきました。 
 失業率が下がらない状態で、外国人労働者が入り続けたら、日本人労働者の賃金が上がるわけもないし、失業率だって下がらないのです。
 しかしリベラル達は、日本人労働者の権利よりも、外国人の「人権」を優先しました。

 また失業率を下げ、賃金を上げる為の経済政策には全く無関心でした。
 例えば民主党政権下では、リーマンショックの後も緊縮・高金利政策を続けて、猛烈な円高を招き、これがまた失業を増やしました。
 これを解決したのが第二次安倍政権です。
 
 第二次安倍政権の所謂アベノミックスは、金融緩和・財政出動・規制緩和のミックスなのですが、このうち金融緩和と財政出動の組み合わせは、実は本来左翼政権・労働者側の政権の政策なのです。
 経済学では古くから、金融緩和と財政出動を組み合わせると、インフレになるのですが、2~3%程度の穏やかなインフレ下では景気が良くなり雇用が増える事が知られていたのです。
 だから労働者側の政権は、好んでこの政策を取ると言うのです。

 ところが日本では過去、共産党や旧社会党も、また急社会党の後継政党である民主党もこのような政策を一切取っていませんでした。
 それどころか民主党政権はリーマンショック時の不況下で、これとは真逆の緊縮高金利政策を行ったのです。
 そして労働組合側からも、財政出動や金融緩和を求める声が出た事もありません。
 
 そもそも日本の労働運動の関係者は、財政出動と金融緩和が失業率の改善や賃上げにつながると言う経済原則を知っていたのでしょうか?
 実はワタシはこの説は15~16年前にネットで高橋洋一や三橋貴明などの記事から初めて知りました。
 ワタシは低学歴だし、労働運動なんかには興味も関心もなかったからそうなのですが、日本の労働組合幹部と言うのは、実は東大卒に占められていて大変な高学歴なのです。
 
 ところがその彼等が、これまで一度も財政出動や金融緩和を提言してきた事がないのです。
 一方、彼等は非正規雇用の規制緩和など、非正規雇用の増加を促す政策は黙認しました。 この為、リーマンショック後など不況下では、新卒者の就職がより厳しくなりました。
  
 連合は、実は大企業と正社員と公務員の組合なので、それ以外の労働者の権利など全く興味がないのです。 それで大企業の正社員からすれば、自分達の雇用を守る為には、不況時に解雇しやすい非正規雇用を増やす事には反対しなかったのです。

 それでも民主党政権が日本中の原発を停止させると、さすがに大企業の組合もブチ切れました。 この中には電力会社は勿論、電力に大きく依存する企業の労働者も多数いましたから。
 しかし民主党政権はこういう労働者も切り捨てて、原発停止を続けました。
 お陰で日本製造業は大変な苦境に陥ったし、また電気料金の値上げは、労働者のみならず一般国民の生活も圧迫したのですが、しかしそれでも原発を止めようとしたのがリベラルなのです。
 
 こういうのを見ると、実はリベラルって、完全に労働者の敵です。
 彼等がひたすら守ろうとしているのは、不法滞在外国人やLGBT、生活保護受給者などです。
 そして彼等は実は、普通に働いて納税する労働者を憎んでいるとしか思えません。

 なぜなら普通に真面目に働いて納税しているような人々は、現在の社会の問題はその都度一つ一つ解決されて良くなる事は望んでいますが、社会全体をひっくり返すようなことは望みません。
 しかし彼等が夢見ているのは「革命」です。

 リベラルの中身は共産主義者や社会主義者なのです。
 彼等が共産主義や社会主義を信奉するのは、労働者の生活をよくするためではありません。 労働者の生活をよくするためなら、不況時には金融緩和や財政出動を行い、経済成長を促しながら、地道に福祉水準を上げていけば良いのです。
 
 日本は戦後、餓死者や路上生活者が激増するような状況はなかったのですから、労働者の生活向上の為に、敢えて革命など起こして社会を混乱させる必要などなかったのです。
 そして中国やソ連などホントに共産主義革命をやった国の結果を見る限り、革命なんて結局唯の大量殺人と大量破壊にしかならなかった事は明白なのです。

 それでも彼等は革命を夢見続けているのです。
 だから労働者の生活が向上しては困るのです。
 彼等は労働者が困窮したら、不満が爆発して革命を起こす事になっています。
 だから労働者の賃金が上がって、車や家や老後資金を持つようになっては困るのです。
 革命の為にはなんとしても労働者には困窮して貰わないとならないのです。

 こういう人達を労働者の敵と呼ばずして誰を敵と言うのでしょうか?
 
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2024-01-15 12:01

リベラルに希望はあるか? ないよ

 先日、近所の書店を覗いたら、岩波の「世界」と「文芸春秋」が平積みになっていました。
 文芸春秋はともかく「世界」が平積みになっているのは初めて見ました。
 で、その表紙に「リベラルに希望はあるか?」と書かれていました。

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 「世界」の言うリベラル、つまり「世界」に投稿している連中をリベラルと言うなら、リベラルには希望なんかありません。
 そもそもこの連中が「リベラル」を名乗るのは、全く僭称です。
 
 本来、リベラリズムと言うのは、自由主義を意味しました。 そして自由と民主主義はセットですから、例えばこれを標榜する政党の名前はLiberal Democratic Partiy言う事になります。 つまり自由民主党です。
 ところが「世界」と言う雑誌は、昔から徹底的に反Liberal Democratic Partyなのです。
 そればかりか世界中の自由・民主主義国家に敵対してきました。

 例えば1970年代は「K.T生からの手紙」なる記事を連載していたのですが、これは朴正煕政権の腐敗と独裁、国民弾圧をK.T生なる韓国人が告発する記事でしたが、実はこのK.T生は在日コリアンで日本に居住しており、告発の内容もほとんど全部インチキでした。
 勿論朴正煕政権は独裁政権で色々問題はあったのですが、しかしそれでも朴正煕政権下で韓国は「奇跡」と言われる経済成長を遂げ、国民生活は全面的に向上しました。 だから現在もなお韓国では朴正煕大統領を尊敬する人は多いのです。
 少なくとも朴正煕時代、韓国は北朝鮮よりははるかに自由で豊かな国になっていきました。 
 しかし「世界」は虚偽の記事を掲載してまで、韓国を攻撃していたのです。
 一方、北朝鮮や中国などの本物の独裁国家を批判する事は一切ありませんでした。

 自由と民主主義の総大将とでも言うべきアメリカには全面的に敵対していました。
 とにかく徹底的な反米でした。
 これは今も変わっていません。

 因みにこの当時「世界」など親北朝鮮・親中国勢力は「革新派」を自称していました。 彼等によればLiberal Democratic Partyは封建的で、社会党や共産党が革新なのです。
 
 ?? Liberal Democratic Partyが封建的かどうかは別として、社会党は社会主義、共産党は共産主義の政党でしょう?
 だったら「革新派」じゃなくて「共産派」とでも名乗るべきでしょう?
 でも当時彼等はなぜか「革新派」を名乗ったのです。
 そして「世界」だけでなく、大手新聞・テレビもこの表現を使っていました。

 ところが1989年にソ連が崩壊しました。
 そして更に共産圏が次々と崩壊しました。
 それで共産圏内が隠蔽し続けた問題が、次々と明るみに出てきました。 

 すると何と彼等は「革新派」の自称をやめて「リベラル」を僭称し始めたのです。
 しかし日本国内では反Liberal Democratic Partyを止めなかったのだから、何とも奇妙な話です。
 共産党や社会党の後継政党が、リベラルを自称しながら、Liberal Democratic Partyやリベラリズムの本場・総大将であるアメリカや、その同盟国を攻撃するのだから何ともヘンな話です。

 しかし大手新聞やテレビもこの僭称に従っているので、現在は日本では共産党や旧社会党の支持者を普通に「リベラル」と言っています。
 だからここで「世界」が言う「リベラル」とは、共産党や旧社会党の支持者の事です。

 で、この連中に希望はあるのでしょうか?

 リベラルに希望はあるか?

 ないよ

 だってコイツラは社会主義者や共産主義者であって、リベラリストではないのです。 
 で、ソ連の崩壊、共産圏の崩壊で、共産主義は失敗したことは証明されたのです。
 
 ソ連が崩壊し、共産圏が崩壊してから、これらの国々の国民生活は明らかに向上しました。
 民主主義の実践はそんなに簡単な物じゃないので、共産主義政権の崩壊後暫くはどの国も随分と混乱しました。
 ソ連崩壊から30年以上たった今では何とか落ち着いてきましたが、それでもどの国もそんなに立派な民主主義政権ができているわけでもないし、腐敗や汚職などの問題も抱えています。 それでも共産党政権下でいるよりは遥かに豊かに自由に暮らせるようになったのです。 
 これっても共産主義政権がいかにダメかと言う事の証明でしょう?

 一方、今も頑張って共産主義を続けている北朝鮮は、餓死者が続出する状態です。 更に日本人拉致も発覚しました。
 これだとやはり北朝鮮やソ連との連携を想像させる「革新」と言う呼び方は捨てて、僭称でも何でも「リベラル」を名乗るしかなかったのでしょうね。

 しかし僭称は僭称で中身はやっぱり、共産党と旧社会党です。
 これで希望があるわけないでしょう?

 だから「世界」の発行部数も激減しているようです。 「K.T生からの手紙」を掲載していた頃は、インテリを自認する若者の必読誌の感があったそうですが、今は「正論」始め極右誌にも遥かに及ばなくなったようです。
 
 ところでこの希望ない「世界」の二月号には、現在の自称リベラルを象徴する記事が掲載されていたようです。 
 「ルポ 暇アノンの肖像 安田浩一」です。






 これはColaboの不正会計問題への告発や非難を「ネット上での誹謗中傷」とすり替える記事です。
 Colaboの不正会計は暇空茜さんの住民監査請求と、その後の提訴により、内容が非常に明確になっています。
 住民監査請求の内容と、東京都からの回答も、また暇空さんによる提訴でのやり取りも完全に公開されています。
 この手の訴訟は原告・被告共に代理人つまり弁護士が出廷するだけで、しかも出廷しても弁護士同志が弁論を競うような物でもなく、お互いに書面を出して応酬するだけなんですね。 ところが暇空さん側がこの書面をネットで有料公開しているので誰でも簡単に訴訟の状況を確認できるのです。

 ところでこの訴訟は、暇空茜さんと言う個人が、東京都の不正を糺す為の物なのです。 被告は東京都です。
 自称でも「リベラル」が都民の側に立っているなら、彼等が応援するべきは、不正を追及する暇空茜さんであって、都税や国税を詐取しているColaboではないはずです。 
 少なくとも彼等が純粋に「より良い社会」や「権力の不正」を憎むなら、個人で東京都と言う巨大権力に立ち向かっている暇空茜さんを応援するべきなのです。

 Colaboは共産党とは近い関係にあるので、Colaboが詐取した公金の一部が共産党に回っている可能性はあります。 
 しかし「世界」の一般読者にはそんな事は関係ないでしょう?
 「世界」と言う名門誌が、幾ら共産党と親密な関係にあるにせよ、特定のNGOの不正会計隠蔽を支援する義理はないはずです。

 けれども「世界」は態々、Colaboの不正会計を支援する特集を掲載しているのです。
 こうなるとホントにリベラルに希望はありません。
 
 結局自称リベラルにとっては、この種の公金チューチューが目的になり、それが彼等の「シノギ」になっていると言う事でしょうか?
 そして「世界」の読者も殆ど皆そういう連中に限られていると言う事でしょう。
 これでは希望なんかあるはずもないのです。
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