季節のたより
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鶴見川③

前回(→こちら)の終点、大綱橋から鶴見川歩きを再開する。

地図③その2完成

①橋のたもとに「ラジウム霊泉湧出記念碑」がある。
1914年の温泉湧出を機に綱島は温泉地として栄えたが、
いま温泉は2軒の銭湯と日帰り湯施設くらいとなってしまった。

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②2023年3月、東急東横線・綱島駅の東側に東急新横浜線・新綱島駅が開業した。
その駅前に建つ古民家の周りで開発事業が進められている。
名主だった池谷家の古民家を中心とした交流施設にするらしい。

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江戸時代の当主は鶴見川の氾濫対策を時の老中にご法度の直訴。
明治後期以降、日月桃という早生の桃の栽培で綱島を桃の産地とした。
現在は綱島唯一の桃農家で、日月桃は並んで買うほどの人気。


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③堤防上の道路がサイクリングロードになっている。
ここは大曾根陶板広場。
近くの小学生らが制作した陶板でベンチが飾られている。

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④大倉山から続く丘陵が鶴見川に迫り、川の流れが90度曲がる。
その丘の上に太尾見晴らし公園がある。
紅白の梅が咲き誇っている。

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公園の端部からは今来た新綱島の高層ビルを遠望できる。

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⑤この辺り、川は南から北に流れる。
それに並行してよく手入れされた太尾堤緑道が続く。

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⑥日産スタジアムに近い亀甲橋から見た鶴見川。
横浜北線の出入口を遠望できる。


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⑦この辺り、河川敷が真ん中の越流堤で仕切られている。
洪水時は川の水を越流堤の南側に設けたエリアに導入する。
川の水位が下がったら、エリアの水は水門で川に排水する。

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⑧遊水地エリアは普段は野球場やスポーツ広場として活用する。
日産スタジアムも高床式となっていて遊水機能を受け持つ。


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⑨国の遊水地管理センターがエリアの西端にある。
鶴見川の洪水対策を学ぶ展示施設が併設されている。

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鶴見川の大きな氾濫は1982年を最後に起きてない。
流域での遊水地や河道の整備などが功を奏している。

かまくら下道歩きの際(→こちら)、新綱島付近がこんなに変わるとは思わなかった。
池谷家の古民家周辺がどんな施設に生まれ変わるのか見守りたい。

旧根岸競馬場の一等馬見所

開国時の殺傷事件(→こちら)を契機に外国人用の競馬場が設けられた。
それが根岸競馬場であり、戦後は米軍に接収された。

1977年、馬場などが日本に返還され根岸森林公園となっている。
公園の木立越しに三つの塔が頭を覗かせている。


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3月下旬ともなれば、桜との不思議な競演をみせる。
そのあとはケヤキが葉を茂らせ塔の姿は見えにくくなる。
(写真:2020年4月)

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1981年、この塔があるエリアも返還が決まった。
国から横浜市に払い下げられたが現在も米軍の管理下にある。
5年ほど前は守衛が居て、内部にカメラを向けるなと言われた。


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塔の建築物は旧根岸競馬場一等馬見所と呼ばれる。
塔はエレベーター用のもので、手前が階段状の観覧席となっている。
(写真:2,019年11月)

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1929年の建築、J.H.モーガン(→こちら)の設計。
現在の大成建設が施工した鉄骨鉄筋造りで日本初の洋式競馬場。
米軍が維持管理を止めて40年以上が経ち、痛みは激しい。

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裏側のエリアまで森林公園の区域は続く。
こども用の遊具もおかれた芝生の広場となっている。

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西側の立ち入れるギリギリから見た様子。
南に面する階段状の観覧席の様子はうかがい知れない。
観覧席からは横浜港を一望できるという。


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広場には昔の競馬場の解説板がある。
写真左が一等馬見所で観覧席の上に架かる庇は取り壊された。
右の二等馬見所は全体が取り壊されている。

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まだ米軍が接収していた1960年代の二等?馬見所前での米軍と根岸消防との共同訓練の様子。
(写真:ブログ読者の提供)


きーさん 競馬場1960年代の根岸消防署

横浜市は当初、馬見所を取り壊すとしていた。
これに幾多の団体が反対の声をあげた。
近くの高等学校にて横浜青年会議所主催のシンポジウムも開催された。
(写真:2021年10月)


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そうした声が稔り、横浜市はやっと馬見所を保存し活用すると発表した。
(写真:本年2月4日付神奈川新聞)

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馬見所や森林公園の西側には米軍住宅があった。
このエリアも返還が決まり、ここ数年をかけて住宅は取り壊された。
フェンス越しにみなとみらいの建物が見える。

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一等というだけあって建物内部は豪華なものだった。
耐震補強を施し、お化粧直しするには数十億かかるだろう。
住宅跡地には市大医学部が移転してくるとも聞く。
みどりと文化に満ちた根岸台地の未来を見てみたい。

鶴見川②

今回の鶴見川歩きは、鶴見川橋から綱島橋まで。
地図を見ると鶴見川の東側まで鶴見区が広がっている。
幾多の蛇行で川が西側に動いたのだろうか。


歩き②地図原図 最終2

① 京急線・鶴見市場駅近くに旧東海道の一里塚碑がある。
碑には当時の村名をつけ、「市場村一里塚」とある。


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② 旧東海道を鶴見川橋で西岸に渡る。
この日は強風。水鳥たちはみな風上を向き間隔を保っている。
赤褐色の頭と白い背中なので、ホシハジロの雄。


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③ 鶴見川橋のたもとに「旧東海道鶴見橋」の木柱がある。
昔は鶴見橋と呼ばれていたが、現在はその名は第一京浜(国道15号)に譲っている。
ここには明治初期の外国人殺傷事件(→こちら)を受けて関所があった。

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④ すぐ上流に鉄道橋が何本も架かっている。
東海道本線、京浜東北線、横須賀線、相鉄・JR直通線と賑やかだ。


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⑤ 東岸にある下水処理場への下水道橋の耐震補強工事が行われている。
埼玉のような大事故になる前の予防措置が大切と感じる。

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⑥ この辺りの堤防の高さは3メールほどある。
大雨の時はおちおち寝ていられないのでは?
奥に天辺が見える斜張橋は通り過ぎてきた森永橋。


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⑦ 第二京浜(国道1号)の新鶴見橋を過ぎると環状2号の末吉橋。
こちらも改修工事中で、上下線とも大渋滞となっている。

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⑧ 鷹野大橋のところで、北からの支流・矢上川が合流する。
この辺りから河原に立木が多くなる。

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⑨ 少し寄り道して鶴見園芸を覗く。
昨年閉店したサカタのガーデンセンター(→こちら)に匹敵する品ぞろえがある。


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⑩ 水鳥を模したものなのか立派な親柱の樽綱橋。
高校生の一団が談笑しながら橋を渡ってゆく。


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⑪ 土手の上、楽し気に踊っている女子高生がいる。
それを先生?が写真を撮っている。
卒業アルバムに使うのだろうか。


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⑫ 綱島街道の大綱橋上流側を東急東横線の電車が過ぎてゆく。
鉄橋奥の河川敷に自動車教習所のコースが見える。

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天気予報通りのひどい強風、それも向かい風という最悪の日。
次回は穏やかな日に歩きたい。

カーリング in BUNTAI

2024年、旧横浜文化体育館を建て替えた「横浜BUNTAI」が開館した。
丸みを帯びた外観、大波を思わせる迫力に圧倒的される。


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2階入口への階段の雰囲気は旧文体を思い起こさせる。

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数字が彫られた石が階段上まで続いている。
旧文体が落成した1962年から現在に至る”年”を意味している。
なお、この石は旧文体の階段で使われていた昔の市電の敷石。


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数字の横にその年の旧文体でのイベント名が添えられている。
1962の横には「力道山 VS シャープ・ブラッシー」とある。

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2月9日までは日本カーリング選手権大会が開かれた。
冬季オリンピックの日本代表選考会を兼ね、入場券は売り切れた。
入場券不要の「モグモグ横丁」だけ覗いてみた。

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モグモグ横丁の全景。
競技の合間に選手がお菓子をモグモグ食べる姿が話題になった。
訪ねたのは昼過ぎで、お菓子は大部分売り切れていた。


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大型ビジョンで競技の様子を観戦できる。
でも、音声が出ないので迫力に欠ける。

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子供向けにカーリングのまねごとを楽しめるコーナーがある。
氷の上でないので円盤(本物はストーンという)はうまく滑らなかった。

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実際の競技は4つのエリア(シートという)で競われる。
的(ハウスという)までの距離は約45メートル。
単純そうに見えるが結構体も頭も使う競技です。


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BUNTAIの隣りには2020年に横浜武道館が開館している。
武道館は500席の武道場と3000席のアリーナ(体育館)を備えている。


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旧文体は、小学校の体育館をだだっ広くした感じだった。
こども会で紙飛行機大会をやったことがある。
新しいBUNTAIは、立派すぎて恐れ多い感じがした。

豆まき

立春前日に行う節分の豆まき行事は謂れがよくわからない。
一年を健康で過ごすため、豆をまいて悪いものを追い出すというのだが。


8年前に近所の金蔵院(→こちら)の豆まきに参加したことがある。
境内にあふれかえる人々が、まかれる豆を夢中になって取り合っていた。
(以下2枚の写真:2017年2月3日)


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今年の節分は2月2日。
今年の参加者は前回よりやや少ないか。
小学生は頂戴!頂戴!と叫んでいたが、前回に比べると熱気はそれほどでもない。

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近所の森浅間神社の豆まきに、こちらは初めて参加した。
社殿の中で地元保存会によるお囃子が奏でられていた。


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社殿の中で「鬼は外、福は内」の掛け声が数回聞こえ、豆がおしるし程度まかれ、
直後、参加者に豆やお菓子が配られた。
こども達には持ちきれないほどのお菓子を受け取っていた。

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今年、いただいた豆やお菓子(左は神社、右は金蔵院)

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前回、磯子観音の別名がある金蔵院でいただいた豆。
これだけ大きな袋でまかれたのか記憶にない。
袋によっては浜マーケットの金券も入っていたようだ。
(以下2枚の写真:2017年2月3日)

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いつからなのか、節分に恵方巻を食べるのが流行っている。
福や縁を巻き込むために巻きずしなのだそうだ。

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大きな寺社では有名人を呼んだ派手な豆まきが行われる。
都会の片隅でのささやかな豆まきもいいものだ。
拙宅では妻が「鬼は外」と豆を庭だけにまいた。
プロフィール

Shige Haru

Author:Shige Haru
●小学校3年生のときの理科の宿題が「季節のたより」
●何の花が咲いた、何の鳥が鳴いていた、初カツオを、あるいはイチゴを食べた・・・と日記風に書き記した。今と違って食材にも季節が感じられた。
●そんな季節を感じられる便りを、横浜からお伝えしていきます

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