-▼今日のChoke Point▼-
1:南シナ海の「地政学」
2:リベラル派の理論が抱える本質的な「欺瞞」
3:ダークサイドに潜むヘビ
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#チョークポイント - Wikipedia ( http://goo.gl/z1J9z )
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今回は、この原稿を書いている今まさに、
現在進行形で、ホットな話題を元に論を進めてみたいと思う。
その話題とは、最近の南シナ海での紛争における
中国とフィリピンやヴェトナムとの関係である。
▼フィリピン艦船と中国監視船にらみ合い、南シナ海領有問題が緊迫化 | Reuters
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYE83A05B20120411?rpc=122
▼黄岩島 - Wikipedia
http://goo.gl/aNcZc
▼南シナ海の領有権問題 - Yahoo!ニュース
http://goo.gl/7YKta
一般的な報道だと、これは単なる中国の資源に対するワガママと、
それを奪わせまいとするフィリピンやヴェトナム側の、
意固地な態度の対立という風にも見て取ることも出来る。
そして、更にそこに「太平洋の覇者」であるアメリカが仲介者風に
(実際はフィリピン/ヴェトナム側に加担しているのであるが...)介入してきて、
結果として、事態が更に複雑化しているという構図である。
この問題についての一般的な解説や分析は、
もはや私がここで述べるまでもなく、
「アメ通」読者の皆さんならば、既にご存知だろうと思うので、
ここでは単に上記のURLを紹介するに留めて、
いつものように本誌なりの視点で、このトピックを考えてみたい。
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唐突だが、今回のテーマはいつもよりやや重いものとなる
ということをまず読者の皆さんに、予めご理解頂きたい。
正直なところ、私はこの話題については、
できることならば触れずにおきたいと考えていたのであるが、
冷酷な「リアリズム」という理論を語る上では、
どうしてもこれからお話する要素を避けて通ることは出来ない。
その「チョークポイント」が、
いわゆる「人種」問題である。
国際政治学の領域において、この問題を持ち出すことは
強烈な「タブー」となっており、
実際にそういう因果関係が強烈に見て取れるような局面であっても、
「別の要素が原因だ」とお茶を濁してしまうことが多い。
しかし、いわゆる「人種」問題というものが
なぜここまで「タブー」視されねばならないのであろうか?
それは、先の第二次大戦での勝敗、つまり、
どちらの側が勝利を得たのか、という点が大きく影響している。
実は第二次大戦の参戦国の中で、
最も熱心に「人種」に関する研究を行なっていたのは、
あのドイツだった。
そして、その「人種」研究の一端を担っていたのが、
「ドイツ地政学」(ゲオポリティーク)なのである。
ご存知のように、戦後すぐのニュルンベルグの裁判において
ナチス・ドイツはユダヤ人をはじめとする
少数派民族(マイノリティー)を迫害したかどで断罪された。
反対に連合国側は、
自らもかなりの人種差別的な行為を行なっていたにもかかわらず、
「人種差別と戦った」という「神話」を作り、
倫理面で枢軸国(独・日・伊)側より優位に立とうとしたわけである。
つまり、第二次大戦後に
戦勝国の都合によって形成された世界秩序では、
「人種差別はよくないことだ!」という倫理観が
スタンダードになってしまい、あからさまに
人種問題を扱っていた学問である(ドイツ式の)「地政学」は、
その研究者もろとも、表舞台からパージされてしまったのである。
だが、如何に臭いものに蓋をしようとしても、
この世界には、存在するものは存在するのである。
そして、国際関係をできる限り論理的に捉え、
国際政治を真剣に研究しようとすればするほど、
そもそも人間が持つ、
このようなネガティブな感情を誤魔化すことはできない。
例えば、「アメ通」読者の皆さんにはお馴染みの
「リアリズム」(現実主義)という学派の理論では、
この矛盾をどのように処理しているのかというと、
「パワー」という概念を設定し、その中に半ば強引に、
「いわゆる人種差別的なもの」を一緒くたにして処理してしまっている。
更に、リベラル系各派の理論では、そもそもの建前上からして、
「人種差別はあってはならない」という前提になっており、
たとえ、そのような「邪悪な」ものが存在していたとしても、
その作用をかなり軽視したり、あるいは完全に無視してしまう。
端的に言ってしまえば、これは恐るべき「欺瞞」である。
否定しようない人間の感情を、無理矢理見ないようにしているからだ。
ちなみに、広く「戦略学」全般にまで目を向けると、
この学問の基本的な目的として、
「如何に軍事力で相手をコントロールするか?」
ということが主眼にあるため、
そもそもこの学問が想定している大前提に、
「人種差別」的なものがごく自然に溶け込んでいるとも言える。
よって戦略学では、根本的なところで矛盾は発生しないのだ。
あえて身も蓋もない言い方をしてしまえば、
「差別があるからこそ人間は戦う」
という前提を持つのが、戦略学なのだ。
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この「人種」という問題だが、
それぞれの国ごとに異なる事情によって、
その捉え方はかなり違ってくる。
例えば意外なことだが、アメリカでは「人種」のみならず、
「文化の違い」を強調するだけでも非常にデリケートな問題となる。
私が実際に体験したことなので間違いないのであるが、
イギリス留学時代に親交を深めたアメリカ人のコースメイトが、
この「文化」というものの存在さえも拒否するかのような発言を
くり返していたことが強く印象に残っている。
彼らのロジックは以下のようなものである。
曰く、アメリカのような多民族国家を成立させるためには、
「人種の違いはない、どこの国の人間も人間としては変わらない」
という美しい大義名分が絶対に必要となる。
よって、特定の国(の人種)が、別の国(の人種)
とは違う行動様式を持っている、という意味合いの議論は、
口が裂けても言えないのである。
やや極端かもしれないが、
アメリカでは「あの国とこの国は、違う文化を持っているね」
などと言おうものなら、
それだけで人種差別主義者(レイシスト)などという
あまりありがたくないレッテルを貼られてしまう可能性大なのである。
ところが、これが同じ英語圏の国家でも、
イギリスはアメリカほど「文化」(=人種)
の違いを否定することは少なく、伝統的に、
粛々と「文化の違い」や「人種の違い」などを研究し、
その知的成果を積み上げていくという文化・習慣をもっている。
少々妙な言い回しになるが、
アメリカとイギリスでは「文化」にたいする態度や考え方に
「文化」の違いが存在するのだ。
そして、我が日本国はイギリスの在り方に近く、
さらに日本の場合は厄介なことに、
この「文化」というものに対する執着が強すぎる傾向がある。
目下、巷で話題の小沢一郎氏が、かつて
「アメリカ人は単細胞なところがある」という発言をしたことがあるが、
これなどは人種問題に無頓着で脇が甘い日本のエリートの典型的な例である。
曲がりなりにも先進国の国政に参画する、有力な国会議員の発言としては、
これは非常に危険なものであり、これがアメリカなどであれば、
あっさり「人種差別主義者」として認識されてしまう危険性がある。
実際に海外の報道でも、そのようなニュアンスで論じたものが多かった。
▼アメリカ人は単細胞だしイギリス人は紳士面
...そんな小沢氏の「逆襲」に(gooニュース・JAPANなニュース)
http://goo.gl/osmN
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さて、だいぶ話を脱線させてしまったが、
ここで私が冒頭で紹介したトピックを思い出して頂きたい。
この問題において、「アメ通」読者の皆さんに
今回、ぜひ認識しておいて頂きたいのは、
中国側とフィリピン/ヴェトナム側双方には、
ここまで私が論じてきたような意味での、
互いへ「差別」感情を元にした「人種問題」が存在している、
ということなのである。
更にアジア地域の中で、近年勃興目覚ましい国と言えば、
インドと中国であることは間違いないのだが、
この二国の躍進の原動力となっているのは、巷間言われているような、
「西側へ追いつき追い越せ」といった単純な動機だけでなく、
過去数世紀にわたって西洋の白人がアジアで繰り広げてきた、
「差別」感情に基づいた植民地化の汚名を晴らす、という極めて感情的な、
つまり「人種問題」的な側面が、色濃く含まれている。
そして、私のような完全に戦後世代の人間にとっては、
なかなか実感としては分かりづらいところでもあるだが、
日本でもこのような「西洋に植民地化されたくない、差別されたくない」
というリアルな危機感が、
すくなくとも昭和の時代まではくっきりと残っていた。
しかし、バブル期を経て平成に入り、
「西洋に乗っ取られてしまう」という切実な恐怖感を抱いていた世代が
日本社会の一線から退き始めるのと期を同じくして、
広く日本社会一般から、リアルな危機感がすっかり失われてしまったのである。
情報テクノロジーの進化によって、我々現代人は、
これまでの人間よりもより多くのコミュニケーション手段を入手したが、
「人種の違い」といったものの「壁」をも楽々と乗り越えてゆける
という麗しき錯覚に陥ってしまったのだ。
しかし、人間が存在する限り、「人種問題」というネガティブな側面は、
冷厳と存在し続けるのであり、そもそも国際政治のうねりの中から
この問題を取り除くことなど、出来るはずがないのである。
とかく綺麗事を好む、日本の教育現場や大手マスメディアなどでは、
この種のデリケートな話題が取り上げられることはほとんどないが、
今後グローバル化が更に進む世界では、
このような「現実」だけは見落とさずにしっかりと認識しておくことが、
致命的に重要になってくるのだ。
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元CIA長官であるジェームス・ウルジーは、
冷戦終了後に連邦議会の公聴会で、
「アメリカはソ連という巨大なドラゴンを倒したが、
今は小さな毒ヘビだらけのジャングルにいる」
▼Chapter Twelve - Central Intelligence Agency
http://goo.gl/EG6kw
という主旨の言葉を残しているが、
この印象的なフレーズは、今回、論じてきた「人種問題」にも援用できる。
つまり、アメリカは国際政治に関する学問の中で
「ドイツ地政学」という巨大なドラゴンを倒したが、
人種差別という「小さな毒ヘビ」の存在までは根絶できなかったのである。
ではなぜアメリカは「小さな毒ヘビ」を根絶やしにできなかっただろうか?
「アメ通」読者の皆さんならば、もうおわかりであろう。
「ヘビ」は、われわれ人間の「本質」からは不即不離の存在であり、
それを完全に切り離すことなど出来ないからだ。
これが国際政治の「現実」である。
(おくやま)
戦略を語れない人生は奴隷だ
技術を制するのは高度な技術ではない。より上流階層からルール決めには対抗できない。
今こそ日本人は「戦略の階層」を学び、その全体像を理解しなければならない。
このサイトはリアリズムについて学ぶ人を増やすためのサイトです。
さて、早速ですが、・ネオコンをはじめとする勢力が狙ってきた米国の世界一極覇権支配は、長くは続かない。・中国が膨張し、アジアの覇権をねらい、世界は多極構造になる。 90年代から上記のように予想し、米国内でも論争してきたのがリアリスト学派です。
リアリスト学派は、国家のパワー(軍事力、政治力、人口規模、経済力等)がもっとも大事な要素と考え、
「正義やイデオロギー、理念は関係ない。国際関係はパワーで決まり、パワーを予測し戦略を立てよう」
と考える学派で、19世紀の英国の行ったバランス・オブ・パワーを活用した大戦略を信条とします。
ところが「リアリスト」を自認する日本の親米保守派は、
「経済中心主義」で「安保無料(だだ)乗り」をし続けていますが、
実は、彼らは、以下の2点で決定的、かつ、致命的な誤りを犯していたのです。
そして、そうした日本の政策は、冷酷な米国のリアリストから、
単なる「バンドワゴニング」に過ぎない、と足元を見透かされているのです。
その2点とは、
(1)日本はアングロサクソン(米英)についていれば大丈夫。
(2)米国は「民主制度」と「法治」、「人権」を重んずる日本を信頼し、
一党独裁の共産主義中国を嫌っている。
ということです。
まず、(1)については、
日英同盟時も上手くいった。だから、これからも米国についてゆけば大丈夫!
万事問題ないというものです。
しかし、我が日本が戦後60年間、幸いにして戦争に巻き込まれなかったのは、
ほとんど偶然の産物であったということは、強く認識しておく必要があります。
米国は国益に係わることならば、いとも簡単に「友達」を切り捨て、裏切る国である。
国論が変われば友好国をあっさり切り捨ててきたことは、これまでの歴史の事実が証明しています。
・日中戦争では、蒋介石を応援しつつも、途中から毛沢東支援にまわった。
・ソ連打倒のためには台湾(中華民国)を切り捨て、中華人民共和国と国交を結んだ。
・ベトナム戦争では出口がみえなくなり、結局南ベトナム支援からあっさり撤退した。
・米国が支援していた南ベトナムは崩壊し、大量の難民があふれ出た。
・イラン・イラク戦争の時、イランが戦争に勝って影響力が拡大することを恐れた米国は、
サダムフセインに(イラク)に軍事的な支援をした。
しかし、支援した米国は干渉してこないと思ったフセインは、その後クウェートに侵攻し、
湾岸戦争、イラク侵攻と2度の戦争で米国に打ちのめされ、最後は米軍に捕まり処刑された。
如何でしょうか?
これでもまだあなたは、アメリカはずっと「友達」でいてくれる!
と思えますか?
次に、(2)についてですが、
欧米メディアなどの報道によれば、米国内における中国の工作員の数は激増しています。
更には、人民解放軍には「政治工作条例」なるものまであります。
彼らは世論戦、心理戦、法律戦からなる「三戦」の任務を与えられ、
まさに今、中国は国策として、米国内で「世論戦」を仕掛けている、というのが冷酷な事実です。
正義や真実でなく、ウソでも現実をつくれると考える中国の
カネも人員もかけたまさに「人海戦術」的な、この国家戦略が功を奏し、
すでに米国世論では「尖閣は日本が強奪した島だ」ということに傾き始めている・・・
この危険な状況を皆さんはご存知でしょうか?
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例えば、韓国との従軍慰安婦問題をみるまでもなく、
日本国内で、いわゆる「保守派」といわれる人達が、
どれだけ「真実」を主張しても、
同じ日本人であるはずの国内左翼勢力がこの外患に呼応するという、
典型的なパターンに陥っている事例は、枚挙に暇がありません。
白州次郎は「日本をプリンシプルのない国」と言いました。
しかし、残念ながら、この分析は現在の日本にも今だに当てはまっているのです。
これらの冷酷な事実を踏まえ、
本サイトで皆さんとともに真剣に考えていきたいのは、以下の2点です。
・日本はいかにして「パワー」を獲得すればいいのか?
・どんな国家像を描き、グランド・ストラテジーを立てればよいのか?
この二つの質問を念頭に据えて、米国のリアリスト思考を学び、
日本におけるリアリスト思考を広げ、リアリスト学派をつくっていく。
これが、このサイト、www.realist.jpの目的です。
あなたも是非議論に加わって下さい。
リアリスト思考を最初に日本にもたらした、
シカゴ学派、元フーバー研究所上席研究員、故・片岡鉄哉先生に捧ぐ
日本がこのままの状態でいけば、
少なくとも十年以内に、二流、三流の地位まで確実に堕ちていくことになる。
現在の日本の状況を冷静に見れば、
どう考えてもそういう結論しか出てこないのだ。
しかし、日本はそのまま堕ちっぱなしというわけではない。
何年後になるかわからないが、日本はしぶとく復活するはずである。
国家というのはいつまでも堕ちっぱなしということはなく、
反省して自覚した国民が生まれ、それが国を復興することになるからである。
そのときに、決定的に必要となつてくるのが「理想」である。
地政学の祖であるマッキンダーは、
「人類を導くことができるのは、ただ理想の持つ魅力だけだ」
と言っている。
しかし彼は、同時に現実を冷静に見る目を
忘れてはならないことを鋭く警告している。
それが地理と歴史を冷静に分析した、
地政学という学問が与えてくれる視点なのである。
彼が一九一九年に発表した『デモクラシーの理想と現実』
という本の題名は、このような理想と現実のバランスの大切さを訴えている。
世界はこれから「カオス化」していく。
これはつまり、世界はこれからますます複雑化した
先の見えない場になるということである。
日本人は自分で責任を持って戦略を考えるという思考を捨ててしまい、
安易に平和的な解決だけを求めるという体質が染みついてしまった。
たとえば、外交における戦略も「善か悪か」で判断するため、
善を探そうとするあまり、次の一手がどうしても遅くなる。
しかも、日本が「善かれ」と思って世界に主張したことは、
まずもって善として見られていない。
他国はリアリズムの視点で「日本が何を狙っているのか」
と冷酷に見ているのだ。
だからこそ、わが国も外交戦略を「善悪」ではなく、
「強弱」で見るように訓練しなければならない。
「強弱」とは、現在わが国にとって、
この政策は他国と比べて立場を強めてくれるのか
弱めるものかという冷静な判断である。
弱いのであれば、より強い政策を打ち出さなければならないし、
強いものであれば、政策をより国益に近づけなければならない。
こうしたリアリズムの思考を身につけることは、
むしろ「国際的なマナー」なのである。