昨日は1週間ぶりに実家の父のもとへ。
実家の周りの桜並木もそろそろ見ごろは終わりそう。
ほとんどがソメイヨシノだけれど、家のすぐ横に立派な枝垂れ桜が2本。
今年は咲き始めが早かったようで、もう葉桜。
花が咲いていなくても、この樹の下を通るたびに思いだす。
2018年のこの季節、とてもお天気が良かった日、両親とたまたま来ていた弟と家族4人でお花見がてら散歩にでかけ、満開の枝垂れ桜の下で両親と私が並んだ写真を弟が私のスマホで撮影してくれた。
母が杖をつきながらも一緒に歩くことができた最後の日。
母が着ていた服、美容院にいったばかりの髪… 覚えています。
この数日後に腰椎圧迫骨折、その数ヶ月後には脳幹出血で入退院。
リハビリも頑張ったけれど、自宅に戻った時には車椅子での生活になっていた。
この枝垂れ桜を見る度に思い出さずにはいられない。
きっとこれから先も桜が咲いて、ただただ綺麗だとは思えないのではないかと思う。
私が子どもの頃、桜が咲くと自分の部屋から眺めては死ぬまでにあと何回見られるのだろうと考えるチョット変な子だった。
そしてそれは自分のことだけでなく、両親があと何回見られるのかも考えることになり、その回数に恐れをなしたこともあった。
これからも桜が咲くと微妙な心持ちになるような気がします。
それは私だけでなく、桜とともに人それぞれ、思い出もさまざまにあるのでしょうね。