先週計画していた塔丸。お昼前後の天気予報が怪しかったので予定を変更して里山歩きを
したら、これがバテバテの熱中症寸前で暑さにやられてしまった。しかもずっと蜘蛛の巣
に悩まされて、安易に考えたのが間違いだった。
そうこうしているうちに土曜日にエントツ山さんやreikoさんらがサクッと歩いていた。
ルートは往復ではなく山頂から名頃へ下っての縦走で、少し雨にも降られて急な下り坂に
女性陣が苦戦している様子だった。
里山の暑さや虫たちからは解放されて、とにかく稜線に吹き上げてくる爽やかな風の中を
快適に歩きたいと思って、今日も昼過ぎから少し下り気味の天気予報だったが、早めにス
タートすれば問題ないと考えて出かけてきた。
ちょうど8時に登山口に着いたらもうすでに何台もの車が停まっていた。
登山口の道標には『塔の丸』と書かれているが、地形図には『塔丸』と載っている。山頂
の三角点も『塔丸』と表記されているが、個人的には『塔ノ丸』がシュッとしていていい
のになんて、どうでもいい事を考えながら歩き始める。
登山口からは、ダケカンバやウラジロモミの自然林の中を緩やかに登って行く。
この林の中の道、不思議と鳥の鳴く声も一切なく、遠く上空を飛んでいるジェット機の音
と、自身の足音と吐く息の音が聞こえてくるだけの静かな静かな道。あ!そう言えば先週
に続いて今日も奥様たちのいない独り歩きだった。
しばらくすると道はトラバース道になり、一カ所だけザレた場所を通過する。(以前より
は随分と歩きやすくなっていた)
左手に木々の間から明るい日差しが差し込み、稜線の奥にチラチラと太郎さんと次郎さん
の姿が見え始めると、間もなく尾根に出た。
尾根に出てもしばらくは低木の木々の間を歩いて行く。すると今度は木々の間からはっき
りと太郎・次郎さんの姿が目に飛び込んできた。
東塔丸の三角点辺りからは樹林帯から笹尾根へと変わり、遠く塔丸山頂、そして少し雲の
かかった三嶺の姿が望めた。
暫くは道の両側は萱原だったが、このルートのシンボルの白い巨岩を過ぎると周りはいよ
いよ笹原尾根になる。すると前を一戸団体のグループが歩いていた。CLとSLを男性が、
その間に女性陣。どこかの山の会だろうか?軽く挨拶をして先に行かせてもらう。
笹原尾根になると樹林帯ではなかった風が吹いてきた。歌詞の内容は少し難しそうだが、
とにかくBlowin' in the Windのメロディが頭の中に流れてきた。そのメロディに合わせた
わけではないが、気持ちよさそうにススキの穂が揺れている。
北側を見ると白骨林の向こうに一字の大宗・赤松の天空の集落が見える。ここから見ると
かなり上の方まで集落があるのが見て取れる。高低差500m、1k㎡にわたって広がる
国内でも最大の山岳斜面集落だ。
しばらく歩くと尾根の右手に剥皮の被害にあった一本の木。一瞬『クマ?』と思ったが、
この辺りでクマが出た話はつい聞いたことがない。シカによる角こすりだろうか?
足元には小さなリンドウがあちらこちらで咲いていた。この花を見るとやはりそろそろ夏
が終わる・・・・そんな気持ちになる。稜線上には時折大岩が転がっている。先ほどの白
い巨岩とはまた色の違う岩がゴロゴロ。
この稜線は笹原と岩と白骨林、そして今の時期は揺れるススキの穂。先週の顔にまとわり
つく蜘蛛の巣ロードとは雲泥の差。イメージ通りの風に吹かれて快適な笹原ロード!
リンドウと共に対照的な色をしたアキノキリンソウもけっこう目に付く。
次第に山頂部だけが笹原の塔丸が近づいてきた。北側には矢筈山から寒峰への稜線もくっ
きりと見えている。以前歩いた時は天気が悪く見通しが効かなかったので、この間の小ピ
ークを塔丸山頂だと何回か勘違いしてその度『偽ピークに騙された~!』と声をあげてい
たが、今日はこの天気だ山肌の違う塔丸山頂を間違えることはない。
山頂の手前にあるワンワン岩を過ぎ、低木の樹林帯を登りつめると 三等三角点 塔丸
1713.01m。 山頂標の文字は消えかかっている。すぐ横にいた男性が『マジック持って
きて塗らんといかんな~』と。
すると別の男性から『ウメバチソウを見なかったですか?』と尋ねられた、この山頂から
二つほど手前の小ピークの岩を指さし、『去年はあの岩の辺りにたくさん咲いていたのに、
今日はまったく見当たらないんです』と。『花音痴の私に・・・?』と思ったが、どうや
ら一眼レフカメラを肩から下げていたので、花好きだと思われたのかもしれない。
残念だったが『ちょっと分からないですね~』としか答えられなかった。
山頂から三嶺はすぐ目の前だが、残念雲がかかって顔を覗かせてくれていない。
取りあえず山名標で写真を撮り、南の平らな岩に腰掛けてチュロスと水筒に入れたカフェ
オレで軽食。途中で追い越したグループはまだ到着していなくて、名頃のダムを見下ろし
ながら静かな山頂でまったりとした時間を過ごす。
剣山から三嶺の稜線には雲がかかり始めていた。天気も気になってきたが、朝来た時にス
キー場跡から先が舗装工事のためも時間通行止めになっていた。時間通行止めはどこでも
そうだが、1時間の内10分しか通行できないので、通行止めの時間に引っ掛かると50
分時間をつぶすことになる。ただお昼休みは1時間あるのでその時間を狙って行けば、通
過するのに時間の余裕がある。時間はまだ10時過ぎなので最後にゴクリとカフェオレを
飲んで腰をあげる。
山頂直下の樹林帯では剣山やこの山域でも多く見られる、鹿の食害防止のネットで木の幹
が囲われている。
一旦鞍部まで降り小ピークへと登り返す。相変わらず気持ちよさそうにススキの穂が揺れ
ている。
小ピークからはまた快適な笹原歩きが始まる。1682mの標高点を過ぎ、二つ目の小ピ
ークを過ぎた辺りで昨年秋に小島峠から周回した時に下った場所に出た。ルート的にはま
だ先の地形図に載っている町境から下るのだが、前回はショートカットでこの斜面をトラ
バースした。
地形図の町境の分岐にはよ~く見ると背の低い白骨林に赤テープが巻いてあった。
登山口には12時過ぎても時間通行止めのお昼休みには十分間に合う。天気も意外ともち
そうで丸笹山に並んで剣山と次郎笈の雲も流れてしまっていた。
気持ちのいい笹原をのんびりゆっくりと戻って行く。途中の岩の上で一眼レフを三脚に固
定して初めて動画を撮ってみる。
カメラの設定がまだまだよく分かっていなくて、小さい花を写すのがなかなか難しい。
振り返るといつの間にか三嶺も顔を出していた。
笹原が終わり樹林帯に入る。時間的に余裕があるので往路とは違う尾根筋を歩くことにす
る。以前にREIKOさんが歩いたレポートを見た記憶があり、今回エントツ山さんは往路で
他の人たちと分かれて独りで歩いていた。
YAMAPでは道外れの警告がしきりにアップしてくるが、尾根はしっかりとした踏み跡
というかちゃんとした登山道になっていた。
途中尾根の左手は窪地が続いていて、何カ所もの大きなヌタ場になっていた。テープも時
々巻かれているが、境界杭も続いているし道もしっかりしているので必要なのかななんて
思いながら歩いて行く。
尾根道に入ってから35分ほどで夫婦池から続く舗装路が正面に見えた。
この道を選んだのは時間的なこともあったが、もう一つは登山口からラフォーレつるぎ山
との間の線を繋げるためもでもあった。
これで丸笹山山頂から見ノ越トンネルの上まで繋ぎ、塔丸山頂から名頃まで繋いだら、ぐ
るっと剣山・三嶺・塔丸・丸笹山の周回ルートが完成する。
尾根道から降りて国道へと出て舗装路をラフォーレつるぎ山へと歩いて行く。これで一応
塔丸、丸笹山間はつながったことになる。
木々に囲まれた夫婦池は風もなく、湖面に青空を映し出していた。
予定通り舗装工事の時間通行止めを難なくクリアして、次の目的地の天磐戸神社へと向か
う。第一ヘアピンカーブを過ぎて案内板の立つ脇道へと国道から入って行く。
一軒だけあった民家を過ぎると道は少し荒れ始めたが、10分ほどで鳥居の前に着いた。
不整形な崩れかかった石段を登り拝殿を参拝した後、左奥にある案内版に沿って登って行
くと、次第に周りの景色も何となく霊気を帯びてきたような気がした。
すると石灯篭の先に、三頭峠にもあった猿田彦大神と天字受売命の石像が立っていた。
三頭峠のものとは違い、猿田彦大神の鼻はお折れずに長く、天字受売命の胸は開けていな
かった。
二体の石像からさらに上へと登って行くと以前に神楽を舞っていた広く平らな神楽石。そ
してさらに上に石段が続き大岩の下に祠が祭られていた。その祠の奥は大きな洞窟が続い
ていた。この中に天照大神が隠れ籠ったのか?そしてすぐ下の神楽石の上で天字受売命が
上半身裸で踊ったのだろうか?
天磐戸神社をあとに今日の次の目的地の一字の高根資料館へ立ち寄る。駐車場には車が3
台停まっていて停められず、すぐ下の一字中学校跡の入り口に停める。いつも見ノ越に向
かう途中で見る校舎は5階建て地下一階の大きな校舎だった。高松市内の中学校でもなか
なか見られない大きさで、こんな山間部で当時は学生たちで賑わっていた風景が目に浮か
んでくる。
最近急に興味を持ちだした剣山のアーク伝説の資料が展示されている高根資料館では、住
職が違う部屋で別の方に説明しているらしくて、代わりに奥さんが少し説明をしてくれた。
次は粟飯原住職の話を是非聞いてみたい。
その資料館の坂の上からは向かいに塔丸から見えた、大宗・赤松の集落が見えた。
天空の集落とは果たして・・・・?そう思ってついでに車を走らせた。
集落の坂道をどんどん登って行く。まだ裾野の赤松の集落には住む人の姿は見られたが、
最上部に近い大宗の集落にある民家は、ほとんどが廃屋になってきていた。
かつてはどれほどの人の暮らしがここにあったのだろう。今も残る立派な石積みだけがそ
の当時の旺盛を物語っている。
おそらくその当時の人も眺めていたであろう南に広がる風景の中に、遠く稜線の奥に次郎
笈が見えた。板金で覆われていた茅葺の大きな屋根も、人が住まわなくなると痛み方が激
しい。この大宗の集落だけでなく徳島の山間部の集落は同じような道を辿りつつある。
少し南にある十家の集落は、車道がなくモノレールだけが荷物を運ぶ手段で、道を歩けば
小一時間かかるという不便な場所に今はもうすでに一人しか住んでいないという。
何故?そんな場所に・・・と思うのだが、住んでいる人にとっては・・・・。そんな話を
是非一度聞いてみたいと思い、また次は十家の集落を訪ねてみたいと思う。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます