Archive2014年11月 1/3
銘菓 ひよ子
「ひよ子」のふるさとは福岡県飯塚市です。シュガーロード(長崎街道)にそって砂糖が長崎から小倉まで運ばれ、街道筋では沢山のお菓子文化が発展しました。特に筑豊飯塚は、明治初期から炭坑で栄え肉体労働が続く炭坑で働く人たちのエネルギーとなる甘いものが好まれ、それが、お菓子づくりが発展した要因ともいわれています。そのため、「千鳥屋」や「さかえ屋」という菓子店も飯塚から生まれました。その飯塚を代表する銘菓が「...
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宮島「あなごめし」
宮島の名物と言えば、もみじ饅頭、牡蠣、そして「あなごめし」。ということで、宮島を訪問した際に「あなごめし」を食べに行きました。うかがったのは「食事処 和田」さんです。平日でしたが、開店時間から10分過ぎたくらいに到着したら既に満席でした。紅葉シーズンだから多かったのでしょうね。今回で2度目の利用ですが紅葉シーズンではなかった前回は、土曜日なのに客は2組だったから。満席だったので待つことにして、店の近く...
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宮島ロープウェイ
宮島ロープウェイは宮島の弥山登山が楽しめるよう建設されたロープウエーです。紅葉谷駅から榧谷(かやたに)駅までのロープウェイ神域とされ手つかずの自然が現存する弥山原始林は1996年に世界遺産に登録されましたが、その原生林を眺めながら2つのロープウェイで弥山に上っていきます。最初のロープウェイは約10分間で榧谷駅に到着。そこから別のロープウェイに乗り換えて約5分で、獅子岩(ししいわ)に到着します。榧谷駅榧谷駅...
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藤い屋の「もみじ饅頭」
宮島に訪れると商店街に沢山のお土産物屋さんがあります。そして宮島といえば、「もみじ饅頭」ですね。買う気はなかったのですが、「藤い屋」さんの前を通りかかったのが運のつき、買ってしまいました。何故かというと、僕はこの藤い屋さんのもみじ饅頭が一番美味しいと思っているからです。藤い屋さんのもみじまんじゅう昔はもみじ饅頭の餡は「こしあん」だけだったのですが、いつ頃かカスタードクリームやチョコレートなども販売...
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宮島の紅葉
一週間前に行った秋の、いや、安芸の宮島の紅葉です。当時の紅葉情報では、「色づき始め」でしたが、部分的には散りかけている紅葉もありました。この22日からの3連休は宮島は観光客でごった返していただろうなと思います。訪問した日は日本全国冬型の気圧配置で寒い日でした。そのため、宮島の鹿の数も少なく、紅葉と鹿を一緒に撮ることができなかったのが残念です。そういえば、花札では10月の札は「紅葉(モミジ)」です。そし...
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久住ワイナリーで石窯焼きピザ
11月の2度目の三連休、小春日和に誘われて久住ワイナリーへピザを食べに行きました。久住ワイナリーは九重連山のすそ野に葡萄畑が広がっています。九重連山と葡萄畑ワイナリーに隣接する石窯工房でピザをいただけます。入り口メニューこのほかに本日おすすめもあり到着したのが営業開始から10分くらい過ぎた頃でしたがすでに先客がありました。すいていると思ってましたが、この後すぐにこれらの席も客で埋まっていきました。店内...
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宮島(厳島)神社
世界遺産そして国宝の厳島神社です。世界遺産の碑から見る大鳥居大鳥居厳島神社は、1168年、平清盛の厚い信仰のもとに造営されました。朱塗りの社殿が 平安時代を思い浮かべさせます。国宝の一部出る床板の上を土足で歩けるというのは感動ものですね。訪問した時は干潮だったので普通の神社のような感じでしたが、朱色の回廊は潮が満ちてくると海上に浮かんだように見えます。訪問したのが紅葉シーズンとはいえ、平日の午前9時前だ...
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出雲蕎麦 「八雲庵」
松江城見学のために城山西駐車場から塩見繩手を歩いていたらお蕎麦屋さんがありました。まだ11時前だったけど営業していたので入店。それが、「八雲庵」という店です。武家屋敷を改装してできた八雲庵は庭にもいろいろ趣向を凝らしているみたいです。入り口からして美味しい蕎麦がいただけそうな雰囲気。メニューを見ると「鴨なんばん」がおすすめと書かれていました。割子そばも食べたいので迷いながらメニューを見ていたら、「鴨...
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松江城
1611年に完成して今もなお、その姿を見せてくれている松江城です。明治初期に公布された廃城令で、天守を除く建造物は当時の貨幣価値で4円から5円で払い下げられすべて撤去されてしまいました。天守もまた、180円で売却されることになったのですが、出雲の豪農の勝部本右衛門や元藩士の高木権八が資金を調達して買い戻され、保存されることになりとなり、現在に至っています。ちなみに当時、米一俵が3円弱といわれていたそうです。...
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小泉八雲旧宅
松江を訪問した時、「小泉八雲旧宅」に行きました。1890年、39歳の時に英語教師として松江に赴任したそうですが、松江の風物、人情が大変気にいって、武家の娘小泉セツと結婚しこの家に住んでいたんですね。松江に「へるん通り」とか「へるんの小径」とか「へるん」が付くのが多い(多くないかな?)ですが、「へるん」って小泉八雲のことだそうですね。 「へるん」と呼ばれるきっかけになったのは、小泉八雲がが英語教師として赴...
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