なんて便利な時代なんでしょう! 無料のアプリを使えば、それまで1時間ほどかかっていた「集字」作業が、たった、2~3分程度で済んでしまうじゃないですかー。
ちなみに、「集字」とは、古典(古人の書跡など)から、作品制作の素材となる「書」を集めることをいます。
字典アプリの使い方についても教えたりしますが、操作の仕方はいたってシンプル。どなたでも、すんなり使えるようになります。文字の切り貼りはもちろん、字形や紙の大きさなどまで、指先一つで編集もできます。
もちろん、無料のアプリでは、信頼性に乏しい面があったり、パラパラめくりながら様々な書に触れる機会も失われたり、古典の全体像を捉えにくかったりするなどのデメリットがありますが、
やはり、その手軽さや情報量の多さが絶大すぎて、各種出版社の「字典」が絶版にならないか心配なほど…。
ただ、古典の書を通覧できたり、部首などで整理することで漢字の知識が深まったり、なんといっても信頼性が高いなどの理由から、生徒の皆さんには、正式な「字典」を少なくとは一冊、手元に置いておくことはおススメしています。
重たい字典を持ち歩かなくても、指先一つで集字できる便利さー。操作も簡単で、小学生の生徒さんでも、一瞬で、集字作業が完了します。
書法道場では毎月、手本冊子をもらえて、集字をしなくても構わないのですが、「他人に与えられた手本」を見て書くか、それとも「自分で集めた手本」を参考に書くかは、外山滋比古さんの「グライダー人間」と「飛行機人間」のように、別次元の稽古です。
どうも、日本の書道や習字教室では手本に頼りすぎて、いつまでたっても「手本なしでは美しく書けない」という残念な状態に陥りがちです。
もちろん、手本を与えることを不要だとは思いません。むしろ、質の高い手本に出合うことこそが、上達の起爆剤です。
しかし、いきなり手本を与えても、そのポイントが見えてくるはずはありません。いきなり、見知らぬ土地の地図を渡されてても、自分の行きたい場所がどこなのか、見えてこないのと同様です。
手本の与え方には「順番」というものが存在します。まずは「自分で手本をつくる」という過程を経るかどうかでは、手本の見え方(活かし方)そのものが全くもって違ってくるのです。
・・・それにしても、便利な時代になりました。日本文字(和様と仮名)についても早くアプリが充実しますようにーと贅沢な願いをしながら、重たい字典を丁寧にめくってみるとします。