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西国三十三カ所 大和路day3 近鉄御所駅から第六番 壷阪山 南法華寺(壷阪寺)へ
昨日から何度も安全ピンで肉刺に穴をあけていますが、上手く水が抜けませんでした。
偶然に反対側に突き抜けたらスカッと抜けました。
そういえば四国遍路をしているとき、どこかの遍路宿の女将さんが、針に化膿止めの軟膏を塗った糸を通して抜くと良い、と言ってたのを思い出しました。
近鉄阿倍野駅のホームに山伏の白衣を着た人がゾロゾロ歩いています。
彼らは私と同じ車両に乗ってきて、同じ尺度駅で乗り換えて、同じ御所駅で降りました。
新しいウエアを着た新人っぽい人は登山靴を履いていますが、ベテランは白い地下足袋を履いています。
尺度駅で乗り換えを待つ間、動物の毛皮や天狗の様な黒い帽子などのグッズをジャラジャラと付け始めました。
山伏の集団はとても非日常的で、遍路装束の私が普通の人に見えてしまいます。
次の駅で乗ってきたお客さんは、山伏がずらっと並んで座っているのを見て、びっくりしています。
御所駅で降りると、駅前にはさらに大勢の山伏が集まっていて、お久しぶりなど挨拶をしています。
葛城山で山伏の競技会があるのかもしれません。
全く知りませんでしたが、御所(ごせ)は江戸時代の区割りに古い町家が立ち並ぶ、「御所まち」という美しい町でした。
街をでてしばらく行くと畑の中に、目立たないお寺があります。
修験道開祖の役行者が開いた吉祥草寺です。
ここは役行者誕生の地とされていて、産湯の井戸があります。
役行者の像を祀る行者堂の中には、ほら貝の展示販売がありました。
練習しないと吹けない物なのでしょう。
棚にほら貝教室のアドレスを書いたポスターが貼ってありました。
御所から真っすぐ東に向かうと明日香村です。
この辺り一帯に、これまで見て来た古墳よりも新しい、6世紀から7世紀にかけて作られた小型の古墳が並んでいて、石室を見学できるところもありました。
一つ目はヨラクカンジョウ(与楽乾城)古墳です。
特別な案内板も無く、周りにだれもいません。
石室まで行っておどろきました。
一辺30mほどの方墳ですが、石室は幅と高さが10m位あります。
古墳の大きさに対して、内側の石室がとても大きいのです。
石室の構造や巨石の形は石舞台古墳そっくりです。
石舞台古墳の周りに土を薄く盛り付けたら、こんな形になるのだと思います。
このあたりに多数ある無名の方墳の中は、どれも石舞台古墳のような巨石が埋まっているのかもしれません。
明日香村に入ると、牽牛子塚(けんごしづか)古墳の入り口があります。
新しく観光資源として整備された八角形の古墳で、こちらには観光バスが来ていました。
古墳のある丘は、芝生が植えられ、遊歩道が付いています。
丘からの見晴らしは素晴らしいのですが、肝心の石室には予約が無い人は入れません。
ゲートからは石室の入り口だけが見えました。
本来は葺き石と呼ばれる丸い石で外側が覆われていたそうですが、要塞のようにコンクリートで固められていました。
日本最強の城、高取城は標高583mの高取山山頂にあります。
街道沿いに城下町があり、観光客で賑わっています。
城下町を過ぎ、お城に向かって緩い坂を上っていくと、すれ違う人が皆”こんにちは”と挨拶をしてくれます。
最初は、私がお遍路のスタイルで歩いているからだと思っていました。
実はこの先で舗装路が終わり、山道になります。
先ほど挨拶をした人たちは、山から下りて来たハイキングの人たちでした。
たかがお城と思っていましたが、一気に300m登るなかなかの急こう配です。
そんな山の頂上に、平地のお城と同じような石垣が積み上げてあります。
築城の際には石材が足らず、明日香の古墳から石が運ばれました。
古墳から持って来た石材の中に、飛鳥古代文明の猿石が入っていました。
猿石は石垣には使わず、追手門の側に立てたそうです。
第六番札所 壷阪山 南法華寺 (壷阪寺)は登ってきた道とは反対側の、標高300mほどの場所にあります。
拝観が5時までなので、4時前にお寺に到着しました。
入口から観音堂が見えないほどの大きいお寺です。
観音様の場所を尋ねた後、駅まで徒歩でどれくらいかかるのか尋ねました。
”車道経由で4kmくらいですが、山道を通るともう少し短くなります。
でも、もうすぐ暗くなりますよ”、と教えてくれました。
”夜道は危険なのでバスで帰ろうと思います。
バス停はどこですか”、と尋ねると、
”バス停は目の前ですが、最終バスは4時5分です”、と言われました。
最終バスまで15分しかありません。
急いで階段を駆け上がり、早口で般若心経をお供えし、ぐるっと観音様の周りをまわって、納経を済ませた後、急いで階段を降りて入口に戻りました。
眼病治癒の力がある観音様は写真撮影もOKです。
残念ながら、ゆっくり写真を撮る時間はありませんでした。
白衣の集団 グッズ装着 前の様子 |
御所の町並み | この通りは 行者街道 と呼ばれる |
畑の中を 進むと 吉祥草寺 |
山門の中 は広い境内 |
本堂の前に どんど焼き の設備あり |
役行者の 座った石 |
役行者の 産湯の井戸 |
売り物の 各種ほら貝 約5万円 |
秋の花と柿 | 水平社運動 の博物館 がある |
御所は人権 運動発祥の 地らしい |
紅葉が 始まって います |
東の飛鳥へ 真っすぐな 道が続く |
カンジョ古墳 の上が白い のは何故か |
白いのは 修復時の コンクリート |
後ろ側は もともとの 盛り土です |
石室の床 真ん中にも 巨石がある |
天井の巨石 は石舞台 そっくり |
(参考1) 石舞台古墳 の床 |
(参考2) 石舞台古墳 の天井 |
牽牛子塚 古墳の徒歩 専用入口 |
歩道沿いの コスモス |
近くに寄れ ない真弓 鑵子塚古墳 |
歩道は丘の 上に到着 |
牽牛子塚 古墳 |
石室入口 |
説明板 | 石室 | 丘の上から 眺める |
バス駐車場 に向かう道 から眺める |
正面の山 の山頂が 高取城跡 |
昼食に カレーを食 べたくなる |
城下町は 土佐街道と いうらしい |
土佐街道 | 児島寺山門 は高取城の 遺構 |
漢方薬店 | 医院 | 酒牛乳店 |
カレー屋さん は古民家 再生 |
味変を するスープ カレー |
助産院 |
酒屋さん | 道標 | CGで お城の様子 を再現 |
植村家 長屋門 |
街はずれ まだ傾斜の 緩い舗装路 |
お城まで 後2km まだ舗装路 |
随分森の中 に来たけど まだ舗装路 |
後1.9km ここより 山道 |
最初のうち は舗装した 山道が続く |
史跡 高取城址 の石柱 |
ここから 階段が スタート |
熊野古道の ような苔が 生えた道 |
工事で割増 手当を出し た一升坂 |
飛鳥から 持って来た 猿石 |
二の門跡 | 水堀 |
国見櫓跡 から大和国 |
国見櫓 説明 |
松の門跡 |
宇陀門へ | 千早門 | 大手門 |
日本三大 山城の説明 |
この石段を 登ると本丸 |
本丸の石組 |
本丸より 眺める |
本丸の 高取山 三角点 |
本丸説明 |
紅葉 | 大手門から 見た高取城 再現CG |
下りの 大淀古道 |
こちら側は 土が掘れて 歩きにくい |
所々 舗装路と 交差する |
こんな所で 自転車の レース大会 |
古そうな 線彫りの 五百羅漢 |
お寺の屋根 が見えて きた |
大きな石像 や伽藍が 見えてくる |
第六番札所 壷阪山 南法華寺 |
礼堂 | 三重塔 |
ご本尊 目の観音様 |
納経印にも 眼鏡の印 |
壺阪山駅 |
データ
2022年11月02日(水)
17.6km 6hr55min
0906 近鉄御所駅発
0910 新地商店街
0930 吉祥草寺着
1000 発
1030 水平社博物館
1040 明日香への道
1100 与楽カンジョ古墳
1110 発
1119 牽牛子塚古墳裏口(アグリステーション飛鳥)
1138 牽牛子塚古墳
1156 飛鳥駅横
1211 高取城下町土佐街道入口
1215 小嶋寺
1222 壺阪山駅前
1230 カレー事変着
1310 発
1315 植村家長屋門(ここから上り坂:高度130m)
1340 宗泉寺入口(ここから地道:高度263m)
1407 猿石(高度471m)
1412 国見櫓(高度510m)
1435 高取城大手門(高度563m)
1450 高取城天守(高度582m)
1508 高取城壺阪口入口(高度484m)
1532 五百羅漢像(高度390m)
1536 高取城登山道入り口(高度365m)
1547 壷阪寺着
1605 壷阪寺前バス停
0734 桜川駅発
大阪メトロ千日前線 普通 南巽行き
0735 なんば着
0740 なんば発
大阪メトロ御堂筋線 天王寺行
0747 天王寺着
0751 大阪阿部野橋発
近鉄南大阪線準急 橿原神宮前行き
0848 尺度着
0856 尺度発
近鉄御所線 普通 近鉄御所行き
0904 近鉄御所着
1605 壷阪寺前
奈良交通バス20 壺阪山駅行
1616 壺阪山駅
1622 壺阪山
近鉄吉野線 急行 大阪阿部野橋行き
1712 大阪阿部野橋駅
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