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歩き遍路日記(ズルはせずに全部歩いています) 西国三十三カ所 桧原越えday2 西相谷バス停から三番札所粉河寺経由 JR西笠田駅まで(2022年5月24日)
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2024-09

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西国三十三カ所 桧原越えday2 西相谷バス停から三番札所粉河寺経由 JR西笠田駅まで(2022年5月24日)

ここ数日、真夏のような暑さですが、今日は札所があるので白衣は欠かせません。
今日は三番札所の粉河寺にお参りしてから、明日の山越えのスタートJR西笠田まで歩きます。
今日は時間に余裕があります。
ちょっと回り道をして根来寺や華岡青洲記念館に立ち寄る予定です。

JR紀伊駅からバスに乗って昨日の終点、相谷バス停に向かいます。
実は今回の計画を立てた時から、バス停の名前を相谷(あいだに)ではなくて祖谷(いや)だと思いこんでいました。
バスの車窓とgooglemapを見ながら降りるバス停の見当を付けていたのですが、”つぎは、あいだににし”という車内放送を聞いて、間違いに気が付きました。
そして、”あ、まずい”と思い、思わずボタンを押して降りてしまいました。
降りたバス停は予定していた相谷(あいだに)ではなくて、一つ前の相谷西でした。

バスが走っている県道は交通量が多く、暑くて埃っぽくて臭いので脇道に入ります。
道路わきの小さな緑地に大きなグミの木がありました。
真っ赤でいかにも美味しそうな実が沢山なっています。
子供の頃、家にあったグミの木は、妙に生臭くて美味しくない実が生りました。
何十年ぶりに食べたグミの実は、以前と変わらず食べたことを後悔する味でした。

50分ほど歩き、根来寺大門に着きました。
普通のお寺なら大門をくぐると、塔、金堂などが見えます。
ところが、根来寺の大門は二車線の車道の脇に建つ大きな門で、周囲には広葉樹の林とまばらな民家や畑以外になにもありません。
車道を10分ほど歩くと、ようやく石積白壁で囲われた大きな塔頭が見えました。

根来寺は平安時代末期に高野山を再興した真言宗の偉いお坊さんが作ったミニ高野山です。
高校の日本史では、お坊さんなのに仏教を疎かにして戦争ばかりしていたので、秀吉に滅ぼされた僧兵集団の本拠地と習いました。
創建当時、今見ている白壁の塔頭は学校だったそうです。

塔頭はありましたが、それ以外は相変わらず開けた林と畑ばかりです。
しばらく歩くとようやく畑の向こう側に根来寺の入り口が見えてきました。
正面入り口を入ると本堂の様に見える光明真言殿がありました。
江戸時代に紀州徳川家から拝領したお屋敷で、日本庭園や、役行者のお堂、土地の神々を祀る九社明神などと繋がっています。
九つの神様は高野山の丹生大明神からはじまって、吉野の蔵王権現、熊野三山や白山の神様など、そして地元代表の伊太祁曽大明神も祀られていました。

神様を大切にするのはお大師様からの伝統です。
しかし、どれも大きなお寺の中心らしくない施設ばかりなので不思議に思いました。

外に出てしばらく行くと、別の区域内にお寺の中心がありました。
区域内の中心に巨大な木製の国宝根本大塔が建っています。
根本大塔の内側は立体的な真言密教の曼荼羅です。
お遍路で行った高野山の根本大塔はコンクリート製で、太い柱には華やかな仏画が書いてありました。
こちらの内部は曼荼羅をそのまま木製の仏像に置き換えたもので、□(正方形)の建物の中に○形(円形)の建物を作り、さらに内部に□(正方形)の台を作ってその中心に大日如来を置き、周りに○形(円形)に仏像を配置しています。
同じ区域内にある大師堂と根本大塔はどちらも平安時代の建築です。
大師堂のお大師様はとても若々しい姿でした。


三番札所粉河寺の観音様にはこんな伝説があります。
病気の子供の家に男の子が訪れて、子供の病気を治します。
病気を治してもらった親がお礼をしようとすると、男の子は自分は紀州の粉河に住んでいると言い、病気の子供の衣服を持って消えてしまいます。
親は男の子を探しに紀州に行きますが、誰に聞いても”粉河”という場所はわかりません。
粉を流したような真っ白な河を見つけ、川沿いに歩いていくと、観音様の仏像が病気の子供の服を持って立っていたそうです。

粉河寺の大門を抜けて境内に入ると掘割のような小川が流れています。
昔は粉を流したような真っ白な水が流れていたのでしょうか。
川沿いには、男の子の姿をした観音様をお祀りする塔頭が並んでいました。

粉河寺の本堂は西国三十三札所中で一番大きな建物です。
当時はさきほど訪れた根来寺に続く大きいお寺で、戦国時代には根来寺同様こちらにも多数の僧兵がいたそうです。

普通、霊場の本堂には、”何々山何々寺””西国霊場何番”という大きな木札が掛かっています。
こちらには代わりに
”父母の恵みも深き粉河寺、佛の誓い頼もしの身や”
と御詠歌の札が掛かっていました。

明治生まれの祖母は御詠歌のサークルに入っていました。
母に尋ねると、”父母の恵みも深き粉河寺”という粉河寺の御詠歌だけが記憶に残っているそうです。
西国の一番から三十三番まで、順番に歌うのなら、一番青岸渡寺の御詠歌が一番記憶に残るはずなのに、なぜ三番目の粉河寺だけ覚えているのだろうと思いました。
御詠歌を歌う人たちの間では、粉河寺の御詠歌は特に人気があって、歌う機会が多かったのかもしれません。
本堂に掛かった御詠歌の木札を見てそんなことを思いました。

山門横の茶店に”うどん”という看板が出ています。
とても暑いので、冷たいキツネうどんが頭に浮かびました。
残念ながら、冷たい物は6月からだそうで、今ある熱くない食べ物は押しずしだけでした。
茶店の中を見回すと、フーテンの寅さんがロケをした時の写真が掛かっています。
エキストラの皆さんは白衣に菅笠の正装をしていました。
実際は四国の八十八カ所とは違い、私以外だれも白衣を着ていませんでした。

粉河から笠田までは旧紀州街道を歩きます。
街道沿いに、見学できる本陣があるのですが火曜は定休日です。
坂をしばらく上った先の道の駅に”華岡青洲の記念館”が併設されています。
残念ながらこちらも火曜定休日です。
それでは道の駅で冷たい物を飲もうと思ったら、道の駅まで火曜日定休日でした。
暑い中どこも定休日でかなりガッカリしました。

かなり汗をかいたので、和歌山ラーメンで有名な井出商店に塩分補給に行きました。
大盛りは二玉分というのでチャーシューが多い特製大盛りに煮卵をつけましたが、男性なら標準の量でした。
となりの現地風の男性は大盛りに加えて棒寿司を頼んでいました。
昼間の茶店といい、ラーメン店といい、和歌山は棒寿司が人気のようです。

バス 西あいだに 県道
JR紀伊駅
からバスに
乗ります
一停前の
相谷西で
降りました
すでに強烈
な太陽が
出ています
グみ1 2 紀州街道
道路わきの
大きなグミ
の木
美味しそう
に見えます
紀州街道は
立派な家が
並びます
僧兵鍋 大門 石垣
山菜僧兵鍋
どんな鍋
なのかな
根来寺大門
周囲は何も
ありません
道路わきの
石垣
塔頭 三部権現 2
当時は学校
だった塔頭
土地の神様
を祀る
三部権現
真言宗は
神様を大切
にしています
未舗装路 到着 説明
この日唯一
の未舗装路
でした
ようやく
根来寺の
鐘楼門到着
説明
鐘楼門 本坊 紀州庭園
鐘楼門 光明真言殿
本坊
紀州藩より
拝領の
紀州庭園
庭 光明真言殿内部 説明
本坊より
お庭を見る
光明真言殿
内部
説明
お経 役行者堂 根本大塔
理趣経や
法華経を
お供えする
役行者堂の
根来塗の
お厨子
国宝
根本大塔
参考 同じ角度 内部
(参考)
高野山の
根本大塔
同じ角度
から根来寺
の根本大塔
お寺の資料
より内陣の
写真
内陣 説明 大伝法堂
□の建物の
内部が〇の
構造です
説明 大伝法堂
ここも堂内
撮影禁止
内部 大師堂 お大師様
巨大な如来
が三体。
内部は撮禁
大師堂
ここも内部
撮影禁止
若いころの
イケメンな
お大師様
階段 不動堂 6km
階段を降り
外にでると
不動堂
ここは無料
でお参り
できます
粉河寺まで
あと6km
暑いです
街道 あやめ ねぎ
この曲がり
は昔の道
でしょうか
多分あやめ
黄色なので
黄あやめ?
ねぎ
暑いです
 
ため池 門前町 橋
この地域は
ため池が
多数あり
JR駅から
続く粉河寺
門前町
この橋の河
が粉河で
しょうか?
大門 説明 役行者道
粉河寺大門 説明 右粉河寺
左役行者道
粉河 童男堂 説明
この掘割の
ような河が
粉河でしょう
男子の姿の
観音様を
祀る童男堂
説明
出現池 説明板
白馬に乗っ
た観音様が
現れた池
説明板 蓮の形の
手水の出口
境内 中門 牧水
手水舎の
先に中門と
本堂がある
中門 牧水の時代
遍路が多数
居たようだ
庭園 本堂 御詠歌
縦に石組を
した本堂前
にある庭園
三番札所
粉河寺本堂
父母の恵み
で始まる
御詠歌の札
御詠歌の額 永代供養 植え込み
御詠歌の
古い額
江戸時代の
永代供養の
奉納額
変わった形
に刈り込ん
だ木々
土産物 柿の葉寿司 じゃこ
うどんの
暖簾がある
売店兼食堂
熱くない
メニューは
柿の葉寿司
川魚を
じゃこと
いうらしい
氷の看板 自然食品 八朔かき氷
大門の外に
かき氷の
看板を発見
自家製の
ジャムを
作っている
八朔ジャム
を載せた
かき氷
こうやみち 大和街道 和泉山脈
大師常夜灯
右高野道
左槙尾道
大和街道
右和歌山
左大和
明日越える
和泉山脈を
望みます
お遍路 旧名手本陣 休み
ここにも
お遍路の
矢印が!
旧名手本陣 残念ながら
火曜定休
紀州街道 バス停 青洲の里
紀州街道 青洲の里
バスは一日
三便
高台なので
和歌山朝夕
日百選です
西笠田1 2 3
西笠田駅
到着
井出商店 店内 ラーメン
井出商店
木曜定休日
店内の様子
メニューに
すしがある
特製大盛
味玉は
別添え
データ
2022年5月24日(火)
21.8km 7hr00min

0836 西相谷バス停発
0920 根来寺大門着
0925 三部権現着
0936 根来寺、庭園着
0957 発
1000 根来寺多宝塔、大師堂着
1020 発
1023 根来寺不動堂着
1034 菩提峠(140m)
1056 県道7号線(最初の車道)にもどる
1120 紀伊街道(旧道)発見
1249 粉河寺山門着
1308 粉河寺本堂着
1319 かにい土産物店(お昼)
1340 発
1345 観光特産センター こかわ着
1400 発
1456 旧名手宿本陣(火曜定休)
1510 華岡青洲顕彰記念公園
道の駅 青洲の里(火曜定休)
1536 西笠田駅着

sefukuji1
0814 和歌山駅発
JR阪和線 紀州路快速 京橋行き
0823 紀伊駅着

0828 紀伊駅前発
和歌山バス那賀25 近畿大学ゆき
0835 相谷西着

1552 紀伊発(510円)
JR和歌山線 普通 和歌山行き
1636 和歌山着


スケジューリングで考えたこと
明日はいよいよ和泉山脈を越えて大阪府にはいります。
明日のコースは西国三十三箇所中の難所の一つ桧原越えです。
ネットにも情報がほとんどなく、何時間かかるのか全く見当がつきません。
山の中で暗くなる事態は避けたいので、できるだけ朝早くから歩きたいと思いました。
そのための宿泊地は二つの選択肢があります。
一つは粉河寺付近に泊まって徒歩で桧原越えにアクセス、もう一つは和歌山に泊まりJR西笠田から歩きだすルートです。
どちらから出発しても最終的には国道480号線に合流します。
最初のトイレがある道の駅くしがきの里までの距離を比較してみます。
粉河寺ーくしがきの里 9.5km
JR西笠田ー串柿の里 5.8km
3.7kmの差なので歩けば1時間かかりません。
和歌山駅始発が0530発で西笠田着は0616。
和歌山に泊まっても、粉河に泊まっても、朝五時半に宿を出るなら大差はないようです。
荷物を移動する手間を考えると、和歌山にもう一泊するほうがよさそうです。
大阪側に降りた後は、粉河よりも和歌山に戻る方が便利です。

<前日の日記へ><翌日の日記へ>

テーマ:寺巡り - ジャンル:旅行

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38G

Author:38G
運動が少し好きな普通のおじさんの歩き遍路日記です。

お遍路をしようと思い、スケジュールを立てる際、ネットにアップされている先輩方のブログがとても参考になりました。

私も後から来る人のためにデータを残そうと思いブログを始めました。

「ズルはしていません」というのはバスや電車でワープはしていませんから、ポイント間の所要時間や一日の歩行距離は大体あてになりますよ、という意味です。

長い文章は、お遍路に行きたくても行けない母親のために書いています。

歩き遍路って、札所のない所は何をしているんだろうか、毎日歩いていて飽きないだろうか、など疑問に思った方も、本文を読んでいただけると、疑問の答えの一部が見つかるかもしれません。

 

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