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熊野古道 紀伊路 day4 JR紀伊宮原駅から 二番札所 紀三井山 金剛宝寺 (紀三井寺)まで (2022年4月15日)
夜の間に雨が降ったようです。
とりあえず止んでいるので、予定通りに西国三十三カ所二番札所の紀三井寺を目指します。
今日スタートする紀伊宮原から途中の海南市までは、海側に山がせり出しています。
JRも国道も大きく迂回していますが、古道は拝ノ峠(はいのとうげ)、藤白坂と2つの峠を超えてまっすぐ北上し、海南市に向かいます。
海南市は和歌山平野の入り口です。
ここまでくれば二時間ほどで紀三井寺に到着するはずです。
紀伊宮原の駅から歩き始めてすぐ、よく田舎で目にする、和菓子の入ったガラスのショーケースと袋菓子が並んだスチールの棚ある、お菓子屋さんがありました。
一旦通り過ぎましたが、なんとなく只者ではない雰囲気を感じて戻りました。
手書きの”旬の味、田植え餅”と書いた張り紙が気になったのです。
「田植え餅を一つください」と言うと、「今日の分は全部売れてしまいました」と言われました。
田植え餅を買うお客さんは、昔なら田植え、今ならミカンの手入れをする人たちで、この時期仕事に行く前にお店に寄るそうです。
こんな田舎町のお菓子屋さんで、朝8時半に売り切れになる大人気の田植え餅ってどんな物なんでしょう。
予約で取り置きしてある餅を見せて貰いました。
30✕20cm、楕円形の白い巨大な餅で、きな粉が付属しています。
見た目は100%餅米ですが、小麦粉を加えてあるので、さくっと噛みきれるそうです。
塩分補給を兼ねて食べるおやつなので、塩味のついた餅の中には何も入っていません。
「それは食べたかったな〜」と言うと、「余った餅があるから、持って行き」、と小さい餅ときな粉をくれました。
30分ほど歩いて、山道に差し掛かったころ、今日最初の山口王子神社がありました。
おやつには早いのですが、待ちきれずに田植え餅を食べました。
お店の人の言う、”さくっと噛みきれるという食感”は豆の入っていない豆餅の食感です。
お餅自体も薄い塩味ですが、黄な粉にも砂糖が入っていないので、全く甘味はありません。
本当に食塩とカロリー補給が目的ですね。
この辺りは峠越えの熊野古道を舗装して、県道やミカン栽培用の農道にしています。
もともと古道なので、急角度に曲がる、ものすごい急坂でも軽トラ1台分ほどの幅しかなく、ガードレールもありません。
そしてあまり通る人がいないので、舗装に苔が生えています。
昨日の雨で路面が濡れていて、とても滑りやすく、なんども転びそうになりました。
最初の峠は標高327mの拝の峠です。
途中に”太刀の宮”という小さな神社があります。
大阪夏の陣が終わり、逃げて来た落ち武者が疲れて眠っていると追手がかかります。
すると寝ている間に、持っていた刀が動き出して、追っ手を切り倒したそうです。
社の中にはビニールの刀が奉納されていました。
拝ノ峠頂上に着きましたが、霧のため何も見えません。
雨雲に追いつかれないよう、急いでミカン山を抜け、舗装された激坂を滑らないように注意して降りていきます。
傾斜がゆるくなったころ、泣き相撲の土俵のある山路王子神社(一壺王子)がありました。
中辺路と違い、紀伊路の王子社跡は、村々の神社の中に祀られているところが多いようです。
さらに降りていき、橘本(きつもと)という、山の中にしては大きな集落にでました。
舗装された狭い古道の横に、日本中どこにでもあるような小さい神社の入り口があります。
石段脇に、大正時代に皇太子(昭和天皇)が植樹した木がありました。
皇太子がわざわざ植樹をしにくるとは、ここはどんな神社なのでしょうか。
石段を上がると、所坂王子社跡の横に、柵で囲われた橘の木がありました。
説明には「今から1900年前に田道間守(たじまもり)が垂仁天皇の命を受けて常世の国から持ち帰った橘の木です」と書いてあります。
なるほど皇室と御縁があったのですね。
境内には、大祭で奉納した会社の名前を刻んだ石碑が並んでいます。
奉納者を見ると、明治、ロッテ、不二家、ブルボンなどのメーカーから始まって、両口屋是清、とらやなどの和菓子屋さんまで、日本中のお菓子関係者の名前がありました。
橘本神社はお菓子の神様を祀る神社でした。
砂糖が貴重品だった時代、甘いミカンは果物ではなくお菓子として扱われたそうです。
こちらには、ミカンの元になった橘を日本に持ち帰った田道間守がお菓子の神様として祀られています。
集落を過ぎると、今回最後の登り坂です。
みかん山を抜ける幅40cmほどの狭い古道を登り切ると、頂上付近は小さな集落になっています。
巨大な石造り地蔵がある地蔵峰寺に藤代塔下王子がありました。
さらにお寺の裏に回ると御所の芝と呼ばれる白河上皇が熊野行幸した時の行宮跡があります。
御所の芝からは和歌山県西側の海が見渡せました。
ここからの下りは地道の古道、藤白坂です。
お地蔵様を刻んだ舟形丁石がいくつも残されていて、それぞれ生花がお供えされていました。
無事に海南市の藤白神社に到着しました。
熊野三山の神様と、それぞれの本地仏を祀った神仏習合の特別な神社です。
日本の神様は仏様や菩薩様が姿を変えて現れたという考え方から、目に見えない存在の神様を目に見える形にしたものが本地仏の仏像です。
ここは熊野の入り口で、近くには熊野の入口を示す「熊野一の鳥居」の跡もあります。
大鳥居跡と刻まれているので、本宮のような巨大な鳥居だったのかもしれません。
お参りをしていると、
「おにいさんは信心深そうだから、仏像を見ていくかい?」と声をかけられました。
巡礼者の正装をしていると良いことがありますね。
神社の一室に案内していただくと、熊野三山の本地仏三体に加え藤白王子の本地仏なども安置されていました。
こちらで、なぜ藤白神社に熊野三山の本地仏が祀られているかを説明をしていただきました。
京大阪から山を越え、熊野の入り口までたどり着いた参詣者には、この先まだまだ幾つもの峠が待ち構えています。
そんな参詣者の中には、もう体力的に無理だと思った人も多数いたそうです。
この神社には、そんな方たちのために、熊野の神様や本地仏が用意してありました。
熊野まで行かなくても、ここでお参りすれば同じ功徳があるのです。
帰り際に売店を見ると熊野三山の各種御札に牛王神符も売っています。
今でも、当時と同様に、こちらで熊野のお土産が揃えられるようになっていました。
午後四時少し前に、西国三十三所第二番札所金剛宝寺(紀三井寺)に到着しました。
紀三井寺とは境内に三種類の湧き水がある、紀伊の国にあるお寺という意味だそうです。
まっすぐに登る231段の石段があり、脇に湧き水や小さいお堂があります。
近年、石段早登り競争をしているそうで、優勝タイムが書いてあります。
何段か駆け上がってみましたが、足に力が残っていません。
怪我をする前に止めました。
今回歩いた紀伊路は見どころが豊富で楽しい反面、とても迷いやすいルートでした。
前回歩いた中辺路には和歌山県が作ったわかりやすく、統一された道標がありました。
間違えやすい道には、”この道は熊野古道ではありません”という道標もありました。
紀伊路には県が建てた道標はなく、かわりに各町や地元ロータリー、老人会などがそれぞれボランティアで用意してくれた道標が立っています。
地域毎に特徴があって面白いのですが、地域によっては数がとても少なくて、迷いやすい場所に何も無い地域もありました。
次回から熊野古道を離れ、ほとんど歩く人のいない西国三十三所巡礼路に向かいます。
データ
2022年4月15
22.3km 7hr48min
0830 紀伊宮原駅(標高8m)発
0910 山口王子(63m)
0915 爪がき地蔵
0949 太刀の宮
0957 蕪坂塔下王子
1007 拝の峠頂上(327m)
1044 一壺王子
1120 所坂王子(40m)
1142 橘本王子
1221 藤白塔下王子、御所の芝着(257m)
1238 発
1317 有馬皇子の墓
1320 藤白王子着(14m)
1348 発
1427 春日神社着
1549 紀三井寺山門着
1553 着
1619 紀三井寺駅着
0710 紀伊田辺駅発
JR紀勢本線 普通 和歌山行き
0826 紀伊宮原駅着
1629 紀三井寺駅発
JR紀勢本線 普通 御坊行き
1724 御坊着
1727 御坊発
JR紀勢本線 普通 紀伊田辺行き
1810 紀伊田辺着(1690円)
スケジューリングで考えたこと
田辺に荷物を置いて、軽装で歩いてきましたが、宿のある紀伊田辺駅まで、JRで1時間40分(1690円)もかかる所まで来てしまいました。
そろそろ次の街に宿を移さないといけないので、帰宅して出直します。
次回は和歌山市に宿を取り、県境のある和泉山脈を越えて大阪に抜ける予定です。
とりあえず止んでいるので、予定通りに西国三十三カ所二番札所の紀三井寺を目指します。
今日スタートする紀伊宮原から途中の海南市までは、海側に山がせり出しています。
JRも国道も大きく迂回していますが、古道は拝ノ峠(はいのとうげ)、藤白坂と2つの峠を超えてまっすぐ北上し、海南市に向かいます。
海南市は和歌山平野の入り口です。
ここまでくれば二時間ほどで紀三井寺に到着するはずです。
紀伊宮原の駅から歩き始めてすぐ、よく田舎で目にする、和菓子の入ったガラスのショーケースと袋菓子が並んだスチールの棚ある、お菓子屋さんがありました。
一旦通り過ぎましたが、なんとなく只者ではない雰囲気を感じて戻りました。
手書きの”旬の味、田植え餅”と書いた張り紙が気になったのです。
「田植え餅を一つください」と言うと、「今日の分は全部売れてしまいました」と言われました。
田植え餅を買うお客さんは、昔なら田植え、今ならミカンの手入れをする人たちで、この時期仕事に行く前にお店に寄るそうです。
こんな田舎町のお菓子屋さんで、朝8時半に売り切れになる大人気の田植え餅ってどんな物なんでしょう。
予約で取り置きしてある餅を見せて貰いました。
30✕20cm、楕円形の白い巨大な餅で、きな粉が付属しています。
見た目は100%餅米ですが、小麦粉を加えてあるので、さくっと噛みきれるそうです。
塩分補給を兼ねて食べるおやつなので、塩味のついた餅の中には何も入っていません。
「それは食べたかったな〜」と言うと、「余った餅があるから、持って行き」、と小さい餅ときな粉をくれました。
30分ほど歩いて、山道に差し掛かったころ、今日最初の山口王子神社がありました。
おやつには早いのですが、待ちきれずに田植え餅を食べました。
お店の人の言う、”さくっと噛みきれるという食感”は豆の入っていない豆餅の食感です。
お餅自体も薄い塩味ですが、黄な粉にも砂糖が入っていないので、全く甘味はありません。
本当に食塩とカロリー補給が目的ですね。
この辺りは峠越えの熊野古道を舗装して、県道やミカン栽培用の農道にしています。
もともと古道なので、急角度に曲がる、ものすごい急坂でも軽トラ1台分ほどの幅しかなく、ガードレールもありません。
そしてあまり通る人がいないので、舗装に苔が生えています。
昨日の雨で路面が濡れていて、とても滑りやすく、なんども転びそうになりました。
最初の峠は標高327mの拝の峠です。
途中に”太刀の宮”という小さな神社があります。
大阪夏の陣が終わり、逃げて来た落ち武者が疲れて眠っていると追手がかかります。
すると寝ている間に、持っていた刀が動き出して、追っ手を切り倒したそうです。
社の中にはビニールの刀が奉納されていました。
拝ノ峠頂上に着きましたが、霧のため何も見えません。
雨雲に追いつかれないよう、急いでミカン山を抜け、舗装された激坂を滑らないように注意して降りていきます。
傾斜がゆるくなったころ、泣き相撲の土俵のある山路王子神社(一壺王子)がありました。
中辺路と違い、紀伊路の王子社跡は、村々の神社の中に祀られているところが多いようです。
さらに降りていき、橘本(きつもと)という、山の中にしては大きな集落にでました。
舗装された狭い古道の横に、日本中どこにでもあるような小さい神社の入り口があります。
石段脇に、大正時代に皇太子(昭和天皇)が植樹した木がありました。
皇太子がわざわざ植樹をしにくるとは、ここはどんな神社なのでしょうか。
石段を上がると、所坂王子社跡の横に、柵で囲われた橘の木がありました。
説明には「今から1900年前に田道間守(たじまもり)が垂仁天皇の命を受けて常世の国から持ち帰った橘の木です」と書いてあります。
なるほど皇室と御縁があったのですね。
境内には、大祭で奉納した会社の名前を刻んだ石碑が並んでいます。
奉納者を見ると、明治、ロッテ、不二家、ブルボンなどのメーカーから始まって、両口屋是清、とらやなどの和菓子屋さんまで、日本中のお菓子関係者の名前がありました。
橘本神社はお菓子の神様を祀る神社でした。
砂糖が貴重品だった時代、甘いミカンは果物ではなくお菓子として扱われたそうです。
こちらには、ミカンの元になった橘を日本に持ち帰った田道間守がお菓子の神様として祀られています。
集落を過ぎると、今回最後の登り坂です。
みかん山を抜ける幅40cmほどの狭い古道を登り切ると、頂上付近は小さな集落になっています。
巨大な石造り地蔵がある地蔵峰寺に藤代塔下王子がありました。
さらにお寺の裏に回ると御所の芝と呼ばれる白河上皇が熊野行幸した時の行宮跡があります。
御所の芝からは和歌山県西側の海が見渡せました。
ここからの下りは地道の古道、藤白坂です。
お地蔵様を刻んだ舟形丁石がいくつも残されていて、それぞれ生花がお供えされていました。
無事に海南市の藤白神社に到着しました。
熊野三山の神様と、それぞれの本地仏を祀った神仏習合の特別な神社です。
日本の神様は仏様や菩薩様が姿を変えて現れたという考え方から、目に見えない存在の神様を目に見える形にしたものが本地仏の仏像です。
ここは熊野の入り口で、近くには熊野の入口を示す「熊野一の鳥居」の跡もあります。
大鳥居跡と刻まれているので、本宮のような巨大な鳥居だったのかもしれません。
お参りをしていると、
「おにいさんは信心深そうだから、仏像を見ていくかい?」と声をかけられました。
巡礼者の正装をしていると良いことがありますね。
神社の一室に案内していただくと、熊野三山の本地仏三体に加え藤白王子の本地仏なども安置されていました。
こちらで、なぜ藤白神社に熊野三山の本地仏が祀られているかを説明をしていただきました。
京大阪から山を越え、熊野の入り口までたどり着いた参詣者には、この先まだまだ幾つもの峠が待ち構えています。
そんな参詣者の中には、もう体力的に無理だと思った人も多数いたそうです。
この神社には、そんな方たちのために、熊野の神様や本地仏が用意してありました。
熊野まで行かなくても、ここでお参りすれば同じ功徳があるのです。
帰り際に売店を見ると熊野三山の各種御札に牛王神符も売っています。
今でも、当時と同様に、こちらで熊野のお土産が揃えられるようになっていました。
午後四時少し前に、西国三十三所第二番札所金剛宝寺(紀三井寺)に到着しました。
紀三井寺とは境内に三種類の湧き水がある、紀伊の国にあるお寺という意味だそうです。
まっすぐに登る231段の石段があり、脇に湧き水や小さいお堂があります。
近年、石段早登り競争をしているそうで、優勝タイムが書いてあります。
何段か駆け上がってみましたが、足に力が残っていません。
怪我をする前に止めました。
今回歩いた紀伊路は見どころが豊富で楽しい反面、とても迷いやすいルートでした。
前回歩いた中辺路には和歌山県が作ったわかりやすく、統一された道標がありました。
間違えやすい道には、”この道は熊野古道ではありません”という道標もありました。
紀伊路には県が建てた道標はなく、かわりに各町や地元ロータリー、老人会などがそれぞれボランティアで用意してくれた道標が立っています。
地域毎に特徴があって面白いのですが、地域によっては数がとても少なくて、迷いやすい場所に何も無い地域もありました。
次回から熊野古道を離れ、ほとんど歩く人のいない西国三十三所巡礼路に向かいます。
今日は遅め の電車で 紀伊宮原へ |
天気も 回復基調 と思ったら |
段々と こんな感じ になって |
駅上空の 雲行きも 怪しい |
今から行く 北側の峠も 嫌な感じ |
この街は 有田ミカン 発祥の地 |
こんな街並 の中にある |
変哲もない 菓子屋さん 福寿堂 |
柏餅と田植 え餅が押し らしい |
取り置きの 販売用の 田植え餅 |
頂いたお餅 黄な粉も 頂きました |
この地方の 道標 |
伏原の墓 行き倒れた 巡礼者の物 |
熊野の巡礼 にも行き 倒れがあり |
山口王子に 到着 |
説明板 | 山口王子 | 薯蕷饅頭が 美味しい! |
山口王子を 抜けると みかん山へ |
続く曲がり くねった 古道 |
次第に 山道に なってくる |
この舗装は 危険!雨で ツルツル |
落ち葉が 積って危険 度がアップ |
爪書き地蔵 説明板 |
ただの石に 見えるが 写真だと |
阿弥陀如来 | 地蔵菩薩 |
山中の集落 の道標 |
太刀の宮 に到着 |
太刀の宮 |
寝ている間 に刀が 戦って二つ |
に折れた お侍さん |
おもちゃの 刀が奉納 されている |
蕪坂下王子 | 説明板 | 畑の中を 通る県道 の表示 |
糸我峠到着 何も見えず |
万葉歌碑 | 南無観世音 菩薩 |
竹林の 猪防護柵 |
車両進入 禁止の県道 |
ツルツル道 再度登場 |
集落にでる と激坂 |
激曲がり | (危険なの で下から 撮影) |
どの家も とても立派 |
一壺王子 到着 |
山路王子 神社 |
泣き相撲の 土俵 |
泣き相撲の 写真と 説明 |
また少し 川沿いを 歩いていく |
橘本神社 | 昭和天皇 皇太子時代 お手植えの木 |
常世の国か ら伝来した ミカンの元祖 |
何故か 橘本王子 ではなく |
・・ここは 所坂王子 |
橘本神社 境内 |
大祭時の 奉納者 |
こちらも 奉納者 |
橘本王子は 別の場所に あり |
橘本王子 | 説明板 | 山を抜ける 舗装された 古道 |
最初の内は 民家がある |
このあたり までは舗装 |
ようやく 待望の 地道 |
すばらしい | 古道が排水 溝になった のかも |
シャガの 群落もあり |
ずいぶん上 まで上が ってきた |
ミカン畑の 端っこが 古道 |
地蔵峰寺 | ご本尊の 巨大石造り 地蔵菩薩 |
藤代塔下 王子 |
御所の芝は 和歌山朝日 夕陽100選 |
和歌山マリ -ナシティ と工場 |
裏のお花 |
下りの古道 がスタート |
おそらく 今回最後の 地道古道 |
お地蔵様 |
十五丁 丁石だけ |
硯石 | 十四丁 |
十三丁地蔵 | 竹林を 抜ける古道 |
十二丁地蔵 |
古道も 残り少なく なりました |
これを降り たら終わり です |
七丁から 生けてくれ ているよう |
五丁地蔵 | 説明板 |
一丁地蔵 | 有馬皇子 の墓 |
皇子はここ で殺害され たそう |
藤代神社 到着 |
門のような 建物の奥 が社殿 |
熊野三山の 神様が祀ら れた社殿 |
熊野一の 鳥居跡 |
大鳥居遺跡 と刻まれて いる |
熊野三山の 本地仏仏像 |
左紀三井寺 寛政十二年 |
ここから先 熊野古道を 離れて・・ |
旧熊野街道 を歩きます |
ついに 和歌山市に 到着 |
天照大神 伊勢遷座前 の御座所跡 |
二番札所 金剛宝寺 紀三井寺 |
231登段 最速は元 100m日本一 |
ケーブルカ -ができて いました |
三つの湧水 の一つ 清浄水 |
ケーブル の駅は こちら |
紀三井寺 本堂 |
和歌山市を 眺めます お疲れさま |
紀三井寺側 の黍団子 素朴で美味 |
最後の夜は イタリアン |
竜神村の 巨大椎茸 のアヒージョ |
美味しい 柑橘類 3種類 |
くろしおで 海を見つつ お弁当 |
紀三井寺の 納経印 |
データ
2022年4月15
22.3km 7hr48min
0830 紀伊宮原駅(標高8m)発
0910 山口王子(63m)
0915 爪がき地蔵
0949 太刀の宮
0957 蕪坂塔下王子
1007 拝の峠頂上(327m)
1044 一壺王子
1120 所坂王子(40m)
1142 橘本王子
1221 藤白塔下王子、御所の芝着(257m)
1238 発
1317 有馬皇子の墓
1320 藤白王子着(14m)
1348 発
1427 春日神社着
1549 紀三井寺山門着
1553 着
1619 紀三井寺駅着
0710 紀伊田辺駅発
JR紀勢本線 普通 和歌山行き
0826 紀伊宮原駅着
1629 紀三井寺駅発
JR紀勢本線 普通 御坊行き
1724 御坊着
1727 御坊発
JR紀勢本線 普通 紀伊田辺行き
1810 紀伊田辺着(1690円)
スケジューリングで考えたこと
田辺に荷物を置いて、軽装で歩いてきましたが、宿のある紀伊田辺駅まで、JRで1時間40分(1690円)もかかる所まで来てしまいました。
そろそろ次の街に宿を移さないといけないので、帰宅して出直します。
次回は和歌山市に宿を取り、県境のある和泉山脈を越えて大阪に抜ける予定です。
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