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熊野古道 紀伊路 day3 JR紀伊内原駅から鹿ヶ瀬峠、湯浅、JR紀伊宮原駅まで (2022年4月14日)
春先は周期的に天気が変わります。
予報は降雨確率60%、雷雨の可能性もあるようです。
今日は未舗装古道があるので、雨の場合は歩かずに、田辺周辺を観光しようと思っていました。
でも、レーダーを見た感じでは、なんとか午後まで持ちそうです。
雨が降り出す前に、歩き終えてしまおうと思い、6時25分の田辺発で昨日の終点、紀伊内原に向かいました。
今日の見どころは、熊野古道で最も長い500mほどの石畳道がある鹿ヶ瀬峠です。
パンフレットには平安時代に法皇のお供をしてこの峠を越えた藤原定家が「崔嵬の険阻(さいかいのけんそ)と嘆いた」と書いてあります。
崔嵬とは初めて聞いた単語です。
”鬼が出るような山という意味”に違いないと思って調べてみると、単に岩がゴロゴロしている場所のことでした。
”崔嵬の険阻”とは恐ろし気な単語ですが、岩がゴロゴロした急な山道くらいの意味です。
藤原定家は峠道があまり好きではなかったのでしょう。
中辺路の大雲取り、小雲取りでも、大変な峠越えだったと日記に書いています。
実際は輿に乗っていたので歩いていません。
紀伊内原は和歌山に向かう国道42号線にある街です。
すでに朝の渋滞が始まっている国道に沿ってしばらく歩いていくと、幾つかの王子社がありました。
標高25mほどの場所にある内原王子を過ぎると、道幅の狭い、川沿いの舗装路を少しずつ登りはじめます。
道の両側は斜面で、ほぼすべてがミカンの果樹園です。
特産の黒竹を使った民芸品店のある村を過ぎ、歩き始めて約2時間、標高120mの金魚茶屋跡に到着しました。
舗装路はここで終点行き止まりです。
鹿ヶ瀬峠越えの古道入口の横には、黒竹で作った杖やキーホルダーを売る無人販売がありました。
古道は山桜と黄色い花が咲く、芝生に覆われた緩い登りからはじまります。
地道が終わるとすぐに、世界遺産最長の石畳路がありました。
世界遺産の石畳は、20cm✕10cmほどの丸い石が敷き詰めてあります。
ヨーロッパの街にある石畳をちょっと大きくしたような、意外と歩きにくい路でした。
本物の世界遺産を過ぎると、大きくて角張った、平らな石を隙間なく敷き詰めた、歩き易い石畳の路になりました。
この石畳は今までに何度も歩いてきました。
石畳なので歴史的なトレイルだと思っていましたが、実は新しい物でした。
新旧の石畳路を登り、鹿ヶ瀬峠の最高点、標高340mの大峠を過ぎると、開けた山頂の広場にでました。
江戸時代には、この辺りに茶店が何軒も並んでいて賑わっていたそうです。
広場への最後の登りは、何人もが横に並んで歩けるような幅広い石段でした。
今は誰もいない広場で花を見ながら、おやつを食べました。
ここから標高10mの河瀬王子まで一気に下ります。
和歌山は野生動物の生息に適した場所なのでしょう。
鹿ヶ瀬峠を越える間に3回蛇を見ました。
案珍清姫伝説が生まれたのも、蛇が多いからでしょうか。
動物が入らないように作った柵には、”まむしに注意””ハチに注意”と看板がでています。
私は一人で山に入っているので、熊避けの鈴を付けています。
この辺りには熊はいないのかなと思いつつ歩いていると、”熊に注意”の看板もありました。
峠を降りると湯浅の街です。
中世の頃、この街の人が金山寺味噌から醤油の醸造を考え出したそうです。
醤油蔵の並んだ町並みは、和歌山唯一の重伝建に指定されています。
残念ながらコロナで醤油蔵の見学はできませんでしたが、明治時代の銭湯を見学できました。
昼食は名物生しらす丼を食べました。
今日のメインは鹿ヶ瀬峠越えでしたが、この先目的地の紀伊宮原駅までには、もう一つ峠越えがあります。
ミカン山の中を抜ける標高167mの糸我峠越えです。
山の中の細い古道も収穫用にすべて舗装されていました。
峠を越え、今日最後のスタンプを押そうとしたら風が吹いて来て、パタンとページがめくれました。
いよいよ低気圧が近づいてきているのでしょう。
力いっぱいスタンプを押すモーションに入っていたので止まりません。
明日押すページに押してしまいました。
ここのスタンプは白い紙に押して張り付けることにします。
データ
2022年4月14
26.9km 8hr23min
0720 紀伊内原駅発
0736 内原(高家)王子
0831 西の馬留王子
0859 沓掛王子
0909 金魚茶屋跡
1002 大峠着(標高340m)
1010 発
1100 河瀬王子
1210 かどや食堂着
1240 発、湯浅町並み散策
1340 湯浅発
1407 逆川王子
1433 糸我峠(標高167m)
1504 糸我王子
1543 紀伊宮原駅着
0625 紀伊田辺駅発
JR紀勢本線 快速 和歌山行き
0706 御坊着
0716 御坊発
JR紀勢本線 普通 和歌山行き
0719 紀伊内原着
1557 紀伊宮原発
JR紀勢本線 普通 御坊行き
1623 御坊着
1626 御坊発
JR紀勢本線 普通 紀伊田辺行き
1709 紀伊田辺着
スケジューリングで考えたこと
紀伊内原駅から湯浅駅(16.9km,所要時間6時間50分)と湯浅駅から紀伊宮原駅(7.0km,所要時間3時間45分)を組み合わせて1日のコースにしました。
紀伊内原から最終目的地の紀三井寺までは50kmほどです。
丁度、紀伊宮原で2分割になります。
予報は降雨確率60%、雷雨の可能性もあるようです。
今日は未舗装古道があるので、雨の場合は歩かずに、田辺周辺を観光しようと思っていました。
でも、レーダーを見た感じでは、なんとか午後まで持ちそうです。
雨が降り出す前に、歩き終えてしまおうと思い、6時25分の田辺発で昨日の終点、紀伊内原に向かいました。
今日の見どころは、熊野古道で最も長い500mほどの石畳道がある鹿ヶ瀬峠です。
パンフレットには平安時代に法皇のお供をしてこの峠を越えた藤原定家が「崔嵬の険阻(さいかいのけんそ)と嘆いた」と書いてあります。
崔嵬とは初めて聞いた単語です。
”鬼が出るような山という意味”に違いないと思って調べてみると、単に岩がゴロゴロしている場所のことでした。
”崔嵬の険阻”とは恐ろし気な単語ですが、岩がゴロゴロした急な山道くらいの意味です。
藤原定家は峠道があまり好きではなかったのでしょう。
中辺路の大雲取り、小雲取りでも、大変な峠越えだったと日記に書いています。
実際は輿に乗っていたので歩いていません。
紀伊内原は和歌山に向かう国道42号線にある街です。
すでに朝の渋滞が始まっている国道に沿ってしばらく歩いていくと、幾つかの王子社がありました。
標高25mほどの場所にある内原王子を過ぎると、道幅の狭い、川沿いの舗装路を少しずつ登りはじめます。
道の両側は斜面で、ほぼすべてがミカンの果樹園です。
特産の黒竹を使った民芸品店のある村を過ぎ、歩き始めて約2時間、標高120mの金魚茶屋跡に到着しました。
舗装路はここで終点行き止まりです。
鹿ヶ瀬峠越えの古道入口の横には、黒竹で作った杖やキーホルダーを売る無人販売がありました。
古道は山桜と黄色い花が咲く、芝生に覆われた緩い登りからはじまります。
地道が終わるとすぐに、世界遺産最長の石畳路がありました。
世界遺産の石畳は、20cm✕10cmほどの丸い石が敷き詰めてあります。
ヨーロッパの街にある石畳をちょっと大きくしたような、意外と歩きにくい路でした。
本物の世界遺産を過ぎると、大きくて角張った、平らな石を隙間なく敷き詰めた、歩き易い石畳の路になりました。
この石畳は今までに何度も歩いてきました。
石畳なので歴史的なトレイルだと思っていましたが、実は新しい物でした。
新旧の石畳路を登り、鹿ヶ瀬峠の最高点、標高340mの大峠を過ぎると、開けた山頂の広場にでました。
江戸時代には、この辺りに茶店が何軒も並んでいて賑わっていたそうです。
広場への最後の登りは、何人もが横に並んで歩けるような幅広い石段でした。
今は誰もいない広場で花を見ながら、おやつを食べました。
ここから標高10mの河瀬王子まで一気に下ります。
和歌山は野生動物の生息に適した場所なのでしょう。
鹿ヶ瀬峠を越える間に3回蛇を見ました。
案珍清姫伝説が生まれたのも、蛇が多いからでしょうか。
動物が入らないように作った柵には、”まむしに注意””ハチに注意”と看板がでています。
私は一人で山に入っているので、熊避けの鈴を付けています。
この辺りには熊はいないのかなと思いつつ歩いていると、”熊に注意”の看板もありました。
峠を降りると湯浅の街です。
中世の頃、この街の人が金山寺味噌から醤油の醸造を考え出したそうです。
醤油蔵の並んだ町並みは、和歌山唯一の重伝建に指定されています。
残念ながらコロナで醤油蔵の見学はできませんでしたが、明治時代の銭湯を見学できました。
昼食は名物生しらす丼を食べました。
今日のメインは鹿ヶ瀬峠越えでしたが、この先目的地の紀伊宮原駅までには、もう一つ峠越えがあります。
ミカン山の中を抜ける標高167mの糸我峠越えです。
山の中の細い古道も収穫用にすべて舗装されていました。
峠を越え、今日最後のスタンプを押そうとしたら風が吹いて来て、パタンとページがめくれました。
いよいよ低気圧が近づいてきているのでしょう。
力いっぱいスタンプを押すモーションに入っていたので止まりません。
明日押すページに押してしまいました。
ここのスタンプは白い紙に押して張り付けることにします。
田辺駅の上 は怪しげな 空模様 |
0625発 和歌山行 快速 |
御坊で普通 に乗換ます |
国道は渋滞 が始まっ ています |
高家王子 の別名は 内原王子 |
別名の方で 神社になっ ています |
内原王子 神社は お百度を |
するための 道が整備 されてます |
田舎道 |
田舎道を 通学の学生 |
さんたちが 通り抜けて いきます |
ブロック塀 の中にある 一里塚跡 |
内ノ畑王子 は立札のみ |
田舎道の脇 は石段が |
積まれて います |
西馬留王子 ここも石碑 だけ |
後鳥羽上皇 が休んだ石 歩き嫌いの |
藤原定家 の日記に出 てくるそう |
水をかける と見える 爪書き地蔵 |
黒竹の里 | 沓掛王子 |
沓掛王子は 花いっぱい |
の綺麗な 王子社 でした |
道標の先は 舗装路が 終わりそう |
金魚茶屋跡 川で金魚を 飼ったそう |
舗装路最後 のトイレ |
黒竹製品の 無人販売 |
いよいよ 鹿ヶ瀬峠 |
南無妙法 蓮華経の室 町期の板碑 |
室町時代は 法華経が 人気かな |
最初は こんな感じ |
夢の様に 美しい 花いっぱい |
トレイルが 続きます |
おもむろに 世界遺産の 石畳が登場 |
丸い石で 接地面積が すくなくて |
見た目より 歩きにくい |
説明板 | 世界遺産を 登ると いつの間に |
歩き易い 石畳になる |
今まで歴史 的な道だと |
信じていた こんな道は 全部偽物 |
...だが 歩き易い |
馬頭観音 観音様の上 に馬の顔 |
説明板 | 小峠地蔵 道標 |
もうすぐ 峠で石垣が 見えて来た |
江戸時代の 茶店の図 |
最後は幅の 広い石段を 登って広場 |
説明板 | おやつ | 桜と黄色い 花の間を 抜ける石畳 |
下りは地道 からスター ト |
おなじみの 新しい石畳 |
こちら側は すこし木が まばら |
マムシと蜂 に注意 |
さっそく蛇 登場 |
見晴らし |
西馬留王子 | 説明板 | 熊注意 |
石垣の上に も蛇 |
後半は河沿 いの道 |
湯浅側の 古道登り口 |
河瀬王子跡 | ここにも 藤原定家の 説明書き |
右紀三井寺 左不動高野 |
南無阿弥陀 仏の大きな 道標 |
案内板 | 松下幸之助 建立の紀伊 国屋文左衛 門の記念碑 |
JR湯浅駅 | 市内案内図 | お昼ごはん 生シラス丼 |
天保9年の 道標 右伊勢高野 東紀三井寺 |
すぐ熊野道 | 江戸町屋の 観光案内所 立石茶屋 |
五月人形の 展示中 |
嘉永9年の 大地震記念 |
説明 |
幕末創業の 銭湯甚風呂 |
昭和中頃に 廃業 |
脱衣所と 浴槽 |
ボイラー | 1階は 五月人形の 飾り付け |
二階 |
民俗資料の 展示 |
突き当りは 醤油の工場 |
醤油工場の 煙突 |
醤油発祥の 地と書いた 店裏の運河 |
表通りの店 コロナで 全部お休み |
道標 | 逆川王子跡 の逆川神社 |
川の水が 逆流する川 なので逆川 |
湯浅を過ぎ 糸我峠への 道標 |
峠道 |
ほぼ頂上 からの眺望 |
降りきった 辺りにある 四阿 |
説明 |
春の紅葉 | ミカン畑 | ミカン畑 |
糸我王子 | 説明板 | 紀伊内原の 熊野古道 案内図 |
データ
2022年4月14
26.9km 8hr23min
0720 紀伊内原駅発
0736 内原(高家)王子
0831 西の馬留王子
0859 沓掛王子
0909 金魚茶屋跡
1002 大峠着(標高340m)
1010 発
1100 河瀬王子
1210 かどや食堂着
1240 発、湯浅町並み散策
1340 湯浅発
1407 逆川王子
1433 糸我峠(標高167m)
1504 糸我王子
1543 紀伊宮原駅着
0625 紀伊田辺駅発
JR紀勢本線 快速 和歌山行き
0706 御坊着
0716 御坊発
JR紀勢本線 普通 和歌山行き
0719 紀伊内原着
1557 紀伊宮原発
JR紀勢本線 普通 御坊行き
1623 御坊着
1626 御坊発
JR紀勢本線 普通 紀伊田辺行き
1709 紀伊田辺着
スケジューリングで考えたこと
紀伊内原駅から湯浅駅(16.9km,所要時間6時間50分)と湯浅駅から紀伊宮原駅(7.0km,所要時間3時間45分)を組み合わせて1日のコースにしました。
紀伊内原から最終目的地の紀三井寺までは50kmほどです。
丁度、紀伊宮原で2分割になります。
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