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歩き遍路日記(ズルはせずに全部歩いています) 2024年06月
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2024-06

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板東三十三カ所 神奈川県 day1 第1番 大蔵山 杉本寺から第4番 海光山 長谷寺経由 JR 東海道線 藤沢駅

西国三十三観音巡礼は2024年1月に結願できる予定でした。
この時は、琵琶湖東岸の長命寺港からスタートし、中山道を通り、岐阜県大垣の北にある谷汲山華厳寺まで、一気に歩く計画を立てました。
しかし大雪が降ったため、大垣手前で引き返しました。

折角、どこも空いていて歩き易い冬のシーズンです。
西国を結願した後で始める予定だった、板東三十三観音を歩くことにしました。
鎌倉から出発して、関東地方を廻る約1000kmの巡礼です。

観音様を巡る観音霊場は日本全国にあります。
中でも西国、秩父、板東の三か所は昔から人気があり、三か所合わせて日本百観音と言います。
観音様は三十三の姿に変身できるとお経に書いてあることから、三十三ヵ所のお寺をまとめて一つの霊場にしたと言われています。
しかし、区切りの良い百にするため、秩父は後から一つ増やして三十四観音にしたそうです。

昔から人気のあった板東ですが、四国お遍路や西国、秩父とはちょっと配置が違います。
四国、西国、秩父は札所番号順に回るとほぼ一筆書きになります。
板東は江戸を中心に同心円上に分布しています。
ちょっと見ただけでは、一番から出発して、どの道を歩くと一筆書きになるのか全くわかりません。

今まで歩いていた西国巡礼は四国に比べて歩く人が少なく情報が殆どありませんでした。
それでも第二十九番札所 松尾寺のご住職がまとめられた地図帳や巡礼日記があります。
インターネットには、西国古道ウォーキングサポートのウェブサイトがあり、松尾寺ご住職の作った地図と同じものを、公開してくれています。
実際の巡礼道では分岐点などに巡礼シールを貼ってくれています。

板東は西国よりもさらに情報がありません。
板東のルートを調べてみると、巡礼が一般的だった時代も、決まった歩き方というのはなかったようです。
それでも江戸時代にはオススメのルートを載せた旅行ガイドがありました。
市販されているガイドブックや地図帳は見つかりませんでしたが、ネットにすばらしいサイトがありました。
舞浜のおじさんさんの 「坂東巡礼歩きの道」です。

ご本人の書かれた詳しい推奨ルートに加えて、板東を歩かれた方々のブログがリンクしてあります。
私は特別歩きたいルートがあるわけではないので、一番札所からほぼ札所番号順に回って行く「舞浜のおじさん」さんの推奨ルートを歩く事にしました。

下の地図は「舞浜のおじさん」さんのWEBからお借りした推奨ルートマップです。
毎回、この地図の上に歩いた所を緑のマーカーで塗って行こうと思います。

第一日目の今日は、鎌倉駅から出発し、一番札所杉本寺から四番札所長谷寺を通り藤沢まであるきました。

朝9時に鎌倉に着きました。
いつもは大混雑の小町通りに観光客は一人おらず、地元の人たちの通勤路になっています。
若宮大路の両端にある商店も開店準備中です。
鶴ケ丘八幡宮に行くと、こちらも静かな雰囲気でした。

第一番札所 大蔵山 杉本寺は鎌倉から金沢八景六浦に向かう金沢街道沿いにあります。
鎌倉時代より450年前の天平時代に立てられたそうです。
狭い階段を登って行くと茅葺屋根の山門と本堂がありました。
総距離1000kmの板東三十三観音巡礼の一番札所ですが、発心や発願と書かれた手水などもなく、納経所に特別なグッズもありません。
静かなスタートになりました。

ここから源頼朝や北条政子が歩いたと言われる、巡礼古道に向かいます。
古道の入り口は竹林で有名な報国寺に向かう住宅街の中にあります。

報国寺の反対側の幅1mほどの路地の角に立つ電信柱に巡礼古道と張り紙がしてあります。
観光協会や市役所が作ったものでなく、素人が自宅のプリンターで印刷してラミネートしたような手作りの道案内です。
入って行くと、民家の裏のフェンスの脇です。
本当にこの先に古道があるのか心配になりました。
人が一人通れる位のフェンス脇の隙間を登ってゆくと、いつのまにか幅40㎝程の古道に入っていました。
古道沿いには岩窟の中にある石仏や庚申板碑がありました。

全長約1kmの古道を抜けるとハイランドという住宅造成地にでます。
宅地造成で古道が壊されてしまいましたが、以前は鎌倉時代の古道を通り一番札所から二番札所まで歩けたそうです。

第二番札所 海雲山 岩殿寺に向かう参道沿いには板東三十三観音御詠歌の新しい歌碑があります。
岩殿寺の新しい納経所で、これから向かう第三番札所への道を尋ねました。
納経所の若いお坊さんは運動がお好きな方で、ランニング仲間が最近板東歩き巡礼を始めたそうです。
私の服装を見て、「歩くのが好きそうなので」と、コピーした古道の案内図に赤ペンで推奨ルートを書きこんで渡してくれました。

教えていただいた道は鎌倉から三浦半島に向かう名越の切通しを通る古道です。
この道もハイランドの宅地造成で壊されていて、現在の入り口はさっき通って来た緑地の横にあったようです。

岩殿寺から名越に向かうには、日蓮宗の名刹、法性寺の境内を抜けていきます。
板東札所は七世紀から九世紀ごろ創建されたお寺が殆どです。
十三世紀鎌倉時代の新興宗教だった日蓮宗教祖の日蓮は在来仏教信者に襲われて、この山の中の洞窟に逃げたそうです。

岩殿寺のお坊さんから教えていただいた見どころをチェックして名越の切通しを抜けて、30分ほどで元の神奈川県道311号 鎌倉葉山線にもどりました。
この道は旧国道で、明治時代に作られた一方通行のトンネルが続きます。

第三番 安養院 田代寺は若宮大路まで500mほどの県道沿いにあります。
北条政子と所縁のあるお寺で、政子の墓が境内にあります。
十二世紀創建なので板東札所のなかでは新しいお寺です。

県道と若宮王子の交差点を過ぎると、一気ににぎやかになります。
沿道には観光客向けの店がならんでいます。
県道を20分ほど歩くと 第四番 長谷寺の入り口に着きました。

長谷観音は大人気です。
現金、電子マネー、クレジットカード、QRコードなどなんでも使える自動販売機で拝観券を購入します。
入口の側に「今月の御朱印は紙朱印でのお授けとなります」とお知らせがはってあります。
紙朱印とはなんでしょう。
まさか、朱印希望者が多く、書置きのみではと心配になりました。 

納経所は本堂の中、観音様の右手にあります。
私の前に並んでいた人たちは、誰も御朱印帳をもっておらず、好きなデザインの書置きを選んでいます。
やはり「紙朱印でのお授け」とは書置きのことなのです。

ダメでもともとと思い、「板東三十三観音」を廻っています、と納経帳を出してみました。
廻っていると言っても、板東は今日始めたばかりです。
納経所のお坊さんは、何も言わずに納経帳を受け取り、墨書きをしてくれました。
板東三十三観音を廻っているのは特別なのかもしれません。

鎌倉大仏高徳院をすぎると、あれだけいた観光客はだれもいなくなりました。
藤沢まで約5kmを歩いて、一日目は終わりました。
                                                                                                         
鎌倉駅ホーム 行けこみ 駅
鎌倉駅
到着
構内で
生けこみを
しています
鎌倉駅
小町通 若宮大路 八幡宮
通勤の人が
通る小町通
若宮大路は
だれも
いません
八幡宮も
人はまばら
です
一番へ 石段 梅
一番札所
杉本寺へ
向かいます
本堂に続く
狭い急な
石段を登る
紅白の梅が
綺麗です
山門 梅 本堂
山門も茅葺
です
苔の生えた
山門の屋根
と紅梅
さらに石段
を登ると
本堂です
本堂 路地 報国寺
第一番 大蔵山 杉本寺 巡礼古道は
住宅街の中
にあります
古道入口の
目標は
報国寺です
道標 アップ フェンス
路地の角に
立つ電信柱
に案内表示
アップです
手作り感が
あります
家の裏の
フェンスの
脇の石段
フェンス 坂 見晴らし
フェンスを
回り込んで
行き
古道の
雰囲気に
なりました
見通しの
良い箇所も
あります
金剛窟 切通し 板碑
金剛窟
地蔵尊
鎌倉以前の
小さい
切通し道
庚申信仰の
板碑が
並びます
幅狭い 木々 出口
幅20センチ
程の狭い所
道や
木が覆い
被さる箇所
もあります
古道出口の
舗装路が
見えました
古道出口 看板 造成地
古道入口
の案内板
この先に
古道が続い
ています
造成地の
ハイランド
を通り抜け
説明 青面金剛 帝釈天
鎌倉みち
と庚申信仰
の説明板
三尸の虫を
抑える
青面金剛像
庚申信仰に
関連のある
帝釈天石碑
二番 2 御詠歌歌碑
岩殿寺
岩殿観音
参道入口
板東三十三
札所御詠歌
歌碑
山門まで
参道沿いに
並んでます
山門 水栓 本堂
新しい山門 水仙が
生けてあり
ました
本堂の写真
を撮り忘れ
ました
四国 jr 地図
曹洞宗寺院
にある四国
巡礼記念碑
名越の切通
JRに沿っ
た道を行く
頂いた地図
によると
ここが入口
法相時 急坂
日蓮宗寺院
法相寺の中
を通ります
ものすごい
急坂です
日蓮が逃げ
て隠れた
洞窟
量山奥之院 お墓 サリーちゃん
池上本門寺
の奥の院
だそうです
お墓の中を
抜けて名越
に向います
サリーちゃ
んの家と
いう謎の家
古道 お墓 道標
お墓を抜け
古道に入り
ました
上の方から
お墓を見お
ろします
寄り道して
大切岸方面
に行きます
ほこら 大切岸 説明
古い祠が
あります
大切岸は
石切り場の
跡です
説明板
大切岸 切通し 2
住宅造成地
から直接
来られる
深い切通し
が連続する
古道
入口 1 2
まんだら洞
やぐら群
入口
横穴式の
埋葬施設だ
そうです
中に入れる
のは年二回
です
深い 道標 第一
切通しが
更に深く
なりました
名越第一
切通しの
道標
第一切通し
が見えて
きました
巨大な岩 通過 山を下り
巨大な岩の
間を掘って
道にする
切通しを
出口方向
からみる
古道を降り
県道に降り
て行く階段
旧国道 お昼 案内図
旧国道の
トンネルを
見下ろす
石段に座り
お昼ご飯
こちら側
からの名越
切通し案内
トンネル 田代観音 本堂
旧国道の
一方通行の
トンネル
第三番
安養院
田代観音
北条政子が
頼朝の為に
創建
政子 碑銘 説明
政子の墓 二位政子
安養院殿
大禅定尼
説明板
宝篋印塔 江ノ電線 庚申塔
鎌倉時代の
宝筐院塔
最古の物
若宮大路と
江ノ電線路
を通過
また庚申塔
があります
不 2 長谷寺
空腹になり
買い食いを
探しました
大好きな
麩饅頭を
買いました
第四番
海光山
長谷観音
34 自販機 おさずけ
四番の石柱
は見にくい
場所にあり
多機能の
自販機で
拝観券購入
御朱印は
紙朱印での
お授けです
本堂 入口 海
長谷寺本堂 入り口 境内からは
鎌倉の海が
見えます
お花 今日蔵 説明
花が綺麗
です
回転する
経蔵も
あります
西国三十三
で馴染みの
徳道上人
武器 石柱 看板
大仏前の
有名な武器
土産屋さん
大仏の石柱
の前を通過
します
道路標識も
daibutu
大仏です
トンネル モノレール 川
トンネルを
抜けると
観光客は無
江の島に
続く湘南
モノレール
江の島に
河口がある
境川
藤沢 23 3
大都会
藤沢市到着
藤沢駅 東海道線で
帰ります
地図2 地図1 1
岩殿寺で
頂いた
案内図
右:地形図
左:バス停
案内図
第一番
大蔵山
杉本寺
2 3 4
第二番
海雲山
岩殿寺
第三番
祇園山
田代寺
第四番
海光山
長谷寺

データ
2024年01月25日(木)
18.6 km 7hr02min

0859 JR横須賀線 鎌倉駅
0913 鶴岡八幡宮太鼓橋
0917 鶴岡八幡宮
0940 第一番 大蔵山 杉本寺
0958 発
1004 報国寺
1010 発
1012 巡礼古道入口
1030 ハイランド住宅地側出口
1104 第二番 海雲山 岩殿寺(岩殿観音)参道入口
1123 発
1145 法性寺 山門
1150 日蓮聖人ご避難の洞窟
1200 名越切通・法性寺口分岐点
1205 お猿畠の大切岸
1209 分岐点戻る
1214 まんだら堂やぐら群
1221 名越第一切通し
1230 小坪階段口 お昼
1259 第三番 祇園山 安養院 田代寺(田代観音)
1311 発
1330 若宮大路通過
1345 麩帆
1400 第四番 海光山 長谷寺(長谷観音)
1423 発
1434 鎌倉大仏殿高徳院通過
1513 湘南モノレール湘南深沢駅近く通過
1601 JR東海道線 藤沢駅
1


<西国三十三カ所最終日の日記へ><翌日の日記へ>

テーマ:歴史・文化にふれる旅 - ジャンル:旅行

西国三十三カ所 谷汲巡礼道 最終日 養老鉄道 美濃本郷駅 から 第三十三番 谷汲山 華厳寺 (満願)

熊野古道中辺路を歩き始めたのは2021年 の11月です。
3年間で合計10回西国に行き、延べ48日で結願しました。
歩いた総距離は1040kmです。
西国巡礼は1000kmと言われています。
観光地などに寄り道したので随分回り道をしたと思ったのですが、ほぼ同じ距離でした。

最終日の今日は、養老鉄道の美濃本郷駅からスタートし、第三十三番札所 谷汲山 華厳寺で結願した後、最寄り駅の樽見鉄道 谷汲口駅まで22km歩きました。

美濃本郷駅から谷汲巡礼街道に入ります。
農地の中を抜けるのどかな道で、前方には低い山が連なっています。
あの中のどれが谷汲山だろうと思いながら歩いて行くと、揖斐川を渡る三町大橋に着きました。
1988年に橋ができる以前は同じ場所を船で渡ったそうです。

橋をわたると、土手の上に谷汲山九十丁の道標があります。
これほど大きな数の丁石は高野山町石道で見た 百八十町の丁石以来です。
一丁が109mですから、九十丁は約10kmです。
普通なら二里半と書くところです。
九十丁を過ぎると、形も書体も違う丁石が巡礼路沿いに多数立っています。
”もうすぐ結願です、カウントダウンをしましょう”、と当時の人たちも、思ったのかもしれません。

峠を越える道にはいりました。
国土地理院地図を見るとこの先の小野坂峠に山道が書いてあります。
古道歩きを楽しみにしていたのですが、入口が見つからず、トンネルまで来てしまいました。
ウォーキングサポートのルートも、山道ではなくトンネルを抜けています。
地図を作った時に通れた峠道は、いまでは崩れているのかもしれません。

札所の華厳寺は濃尾平野の北にある妙法ヶ岳の中腹にあります。
地図で見ると、この辺りは平地ではなく、山地の色に 塗ってあります。
最後は厳しい山道を登るのだろうと思っていましたが、小野坂峠以外には大した傾斜はありませんでした。

小さな池の中に小さい地蔵堂があって赤い橋がかかっています。
花山法皇が谷汲山に参拝した帰りに念仏を唱えると湧き水が でて池になったそうです。
花山法皇が巡礼を再興した縁から、西国巡礼路には法皇に関係する名所がいくつもありました。
法皇に関するお寺は番外の札所にもなっています。
巡礼の初めに通る熊野古道には花山法皇が馬に乗った石像がありました。
もうゴールの華厳寺まで十五丁ほどしかありません。
法皇の名前の付いた名所もここが最後です。

山門の向こうにまっすぐ続く参道は桜の並木でした。
商店街の桜祭りがおこなわれていて賑わっています。
食堂や土産物屋が並ぶ中、数件の巡礼用品店があります。

満願になった納経軸の表装が主力商品のようで、多数の見本が並んでいます。
集印用の掛け軸は専用の筒に入っていて重くて嵩張ります。
バスや車の巡礼者が納経帳と軸をセットで持っていることが多いのですが、四国八十八カ所を歩いた45日間で、納経軸を持って歩いているお遍路さんに一回だけ会いました。
その方は軸のケースに紐を付けて背中に背負っていました。

特別意識せずに手元に集まっているのが、各札所で納経時に頂ける散華です。
結願した後で散華の台紙を買う人が多いのでしょう。
各種の台紙が展示してありましたが、なぜか特価になっています。

仁王門を抜けて第三十三番札所 谷汲山 華厳寺本堂に到着しました。
本堂の中にある納経所の中には墨書きをする方が三人座っています。
人気のあるお寺なので、御朱印の受付に行列ができています。
ここは、現世・過去・未来を表す本堂大慈殿・満願堂・笈摺堂の3カ所の朱印をセットで納めます。
三ヵ所の墨書きを一人で書いていては捌ききれないのでしょう。
三人で手際よく三ヵ所の朱印を書いています。

四国遍路を結願したときは第八十八札所大窪寺で結願証をつくってもらいました。
四国一周の後で再びお参りした一番札所霊安寺では満願証を売っていました。
秩父秩父三十四観音の札所三十四番、水潜寺では多すぎる結願者に対応できないので名前の入らない結願証を売っていました。
どこの結願寺でも、納経所に額に入った結願証の見本がかかっていました。

華厳寺の納経所は見本が見当たりません。
今回結願したので結願証はありますか、と尋ねると、名前を書く紙を渡してくれ、納経帳と一緒にお渡しするので少し待ってくださいと言われました。
結願証は表彰状のような紙なので、リュックに入れてしわくちゃになるのが心配です。
四国では紙筒に入れて渡してくれました。
こちらも紙筒に入れて渡してくれると良いがと思っていると、ドライヤーで乾かしてからラミネートフィルムに挟んでわたしてくれました。
値段は四国と同じ2000円でした

いままで納経帳を返してくれる時には、散華を挟んでくれましたが、なぜか散華が頂けません。
受付を見ると、三月末日で散華授与は終了しました、と書かれていました。
仏具屋さんの散華台紙が特価だった理由が判りました。
最後の一枚が揃わないので台紙を買う人がいないのです。

本堂の裏に結願した巡礼者が奉納した笈摺を納めた笈摺堂があります。
四国第八十八札所大窪寺のお杖堂はガラス張りで、今年一年間に奉納された金剛杖が一杯に詰まっていました。
華厳寺の笈摺堂は本堂に続いた小さなお堂です。
笈摺だけでなく、金剛杖や編み笠も奉納されています。
四国では歩き遍路だけでなく、観光バスや自家用車で廻っている人たちも白衣を着て金剛杖を持って車から降りて来ました。
西国では私服のままで廻られている方が多いように感じました。
奉納する人も多くはないようで、かなり以前に奉納された茶色に変色した笈摺の上に、新しい笈摺が積み上げられていました。

笈摺堂をでてさらに石段を登ると満願堂があります。
華厳寺では本堂でなくこちらでお札を納めるようで、見慣れたステンレス製の納札入がありました。

四国巡礼は最後に女体山を登って結願しました。
西国も同じように山道を予想していましたが、あっけなく終わってしまいました。
納経所に貼ってあったポスターによると、満願堂からさらに奥にハイキングコースがあり、その先に奥の院があるそうです。

奥之院に向かう道は本格的な山道でした。
岩を踏んで川を渡るところが数カ所あり、増水時は通れません。
危険なので、天気・体調・準備が整っていないときは引き返すように書かれた案内板が繰り返しでてきます。
距離は片道1.3kmでしたが、高度差が250mもありました。

午後二時前に華厳寺仁王門に戻ってきました。
仁王門をでるとすぐ、参道を挟んで向かい合わせに立花屋という料亭旅館と富岡屋といううどん屋さんがあります。
ガイドブックによると立花屋は食事をした人に無料で温泉を使わせてくれるそうです。
汗をかいたので食後の温泉を楽しみにしていたのですが立花屋は店じまいしていました。

そういえば、四国の大窪寺門前にはゆく年くる年にでるうどんやさんがあって、閉店時間に間に合わず店内の写真を撮って帰ってきたことを思い出しました。
こちらで満願そばを食べるのは何かの縁かもしれません。
富岡屋の満願そば定食は、にしんそばと白飯です。
ここから最寄りの谷汲口駅まで、さらに約4km歩く私にはありがたい炭水化物定食でした。

1 2 3
養老鉄道
大垣駅
切符売場
駅員さんは
スタンプを
持っている
逆方向の為
車内は
ガラガラ
美濃本郷 行く手 桜
美濃本郷駅
到着
畑の中を
抜ける巡礼
街道
桜並木
渡し 揖斐川 三町大橋
揖斐川河口
より54km
以前は渡船
で渡った
揖斐川
三町大橋
90丁 どて 谷汲
谷汲山
九十丁の
道標
土手を降り
東北方向
に向かう
谷汲山と
書かれた
道路標識
県道から 是より谷汲 石仏
国道263
から巡礼道
に入る
是より谷汲
の道標
石仏群
山 道 道標
行く手右側
に山が
見える
進行方向
にも山が
見える
左谷汲道
右志津山
牛洞山道
桜 道標 畑
桜の老木 すり減って
読めない
道標
田んぼ
、左白石赤坂 2 小野坂
左白石赤坂
従是谷汲の
大きい道標
反対側は
右揖斐赤坂
西京大阪道
道標を過ぎ
小野坂峠に
向かう
お寺 峠へ トンネル
道標のある
古いお寺
を通り
いかにも
峠路に続き
そうな予感
と思ったら
トンネルが
ある
ようこそ お地蔵様 しゃが
抜けると
ようこそ
谷汲へ
峠道沿い
のお地蔵様
シャガも
咲いている
2 34 貯水池
風化した
古い
谷汲道道標
谷汲山まで
三十四丁
の道標
貯水池
平地 春日日枝神社 谷汲へ
街道沿いの
桜並木
春日
日枝神社
峠の先は
盆地の様な
感じ
花木 源平 道標
街道沿いの
花木
源平桃 ガードレ―
ル越しに 見
る二十五丁
分岐 お地蔵様 道標
左側に狭い
昔の遍路路
があります
古い
お地蔵様
右:谷汲
十八丁の
丁石
足跡石 念仏池 説明
観音様の
足跡石
花山法皇
関連の旧跡
念仏池
説明板
右谷汲道 谷汲山十四丁 首新井石
右:谷汲道
の古い道標
谷汲山
十四丁の
丁石
意味不明の
首洗い石
12 温泉 11
門前町に
到着。新し
い十二丁石
閉館した様
に見える
立寄り温泉
十一丁石と
谷汲山まで
1kmの看板
到着 山門 参道
山門が
見えて来た
山門に
到着
約1kmの
桜並木の
参道
散華 特価 仁王門
巡礼用品店
店頭の散華
台紙見本
特価販売中
3月31日
までとある
仁王門到着
満願 造形物 境内
西国三十三番
満願霊場
山門を通る
と多数の竹
製の造形物
広い境内を
進んでいく
石段 本堂 annnaizu
本堂前の
石段
第三十三番
谷汲山
華厳寺
境内案内図
山の上に
奥の院あり
おいずる堂 おいずる 昭和39
両側に笈摺
が積んで
ある笈摺 堂
笈摺の奥に
金剛杖と
菅笠もある
昭和39年
バスツアー
の満願奉納
36 満願堂へ 境内をみる
昭和30年代
巡礼が流行
したのかも
満願堂に
向かう石段
満願堂から
境内方向を
眺める
たぬき 2 説明
満願堂の
周りに多数
の石彫り狸
狸の
見ざる
聞かざる
満願は他を
抜くという
意味がある
登り始め 危険注意 急坂
奥の院への
道は始めは
緩い登り坂
すぐに危険
注意の看板
がある
看板の後は
一気に急坂
になる
倒木 サワ 2
苔で緑色に
なった倒木
や・・・
沢の中の石
を踏んで
渡る・・
増水時には
通れない
箇所があり
2 奥之院 内部
ようやく
奥の院に
到着
谷汲山
奥の院の碑
無人なので
隙間から
中を覗き見
下 更に危険 近道
奥の院の前
から華厳寺
方向を見る
ここにも
この先危険
注意の看板
帰りは別の
道を通ると
近道とある
滝 溜池 仁王門
妙法ヶ滝を
通って来た
らしい
滝ではなく
溜池が
あった
仁王門に
戻って来た
立花や 富岡屋 お品書き
山門に一番
近い富岡屋
蕎麦店
廃業した
反対側の
立花屋旅館
富岡屋は
ウナギ丼も
あるようだ
満願蕎麦 バス 谷汲口へ
鰊蕎麦と
白飯の
満願蕎麦
予約者以外
は乗れない
バス時刻表
ビールを買い
4km先の
谷汲口駅へ
1 2 3
2001年に
廃線の名鉄
谷汲駅
切符売り場
や売店が
残っている
今にも走り
だしそうな
電車もある
観音巡礼 二種類の汽車 びーる
行先板には
西国三十三
観音霊場
汽車が二輌
保存され
ている
飲みながら
廃線跡を
歩く
丁石 谷汲口へ 三十丁
逆方向から
来る巡礼者
の為の丁石
静かな畑
を通る
幅の広い道
是より谷汲
三十丁の
古い丁石
水田 接近 駅舎
最後は水田
を抜ける
静かな道
丁度
前の列車
が発車する
樽見鉄道
谷汲口駅
到着
ホーム 廃車 到着
誰も居ない
無人駅の
ホーム
構内には
廃車の客車
がある
今度の汽車
は水色の
塗装
車内 大垣到着 大垣駅
樽見鉄道
の車内は
可愛い感じ
JR大垣駅
の改札を通
る為の切符
大垣駅の
運賃表示
1 2 3
散華
1番から
11番
12番から
22番
23番から
32番
33番は無
2 満願
第三十三番 谷汲山
華厳寺
左:笈摺堂
中:満願堂
右:大慈殿
満願証
下は大窪寺
の紙筒

データ
2024.04.05(金)
22.0km 7hr03min

0831 養老鉄道 美濃本郷駅発
0852 谷汲巡礼道に合流
0923 揖斐川三町大橋
0931 谷汲まで九十丁道標
1004 国道263号からの分岐、従是谷汲道標
1110 揖斐幼稚園
1009 左谷汲道、右志津山、牛洞山道道標
1035 右揖斐赤坂西京大阪道、左白石赤坂、従是谷汲道道標
1048 小野坂トンネル
1055 谷汲山三十四丁道標(圓立寺前)
1106 春日日枝神社
1130 谷汲山二十五丁道標(ガードレールの向こう)
1138 右たにくみ十八丁道標
1141 念仏池
1148 谷汲山十四丁
1153 華厳寺まで十二丁の新しい道標(駐在所前)
1156 華厳寺山門
1206 仁王門
1232 本堂・満願堂・笈摺堂の三堂参拝(140m)
1310 奥之院(398m)
1347 満願そば富岡屋(仁王門前)
1414 発
1430 山門横酒屋
1436 名鉄谷汲線旧谷汲駅(廃線跡)
1444 発
1535 樽見鉄道 谷汲口駅着

0806 大垣駅
養老鉄道養老線 普通 揖斐行き
0826 美濃本郷駅

1525 谷汲口駅
樽見鉄道 普通 大垣行き 
1606 大垣駅


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38G

Author:38G
運動が少し好きな普通のおじさんの歩き遍路日記です。

お遍路をしようと思い、スケジュールを立てる際、ネットにアップされている先輩方のブログがとても参考になりました。

私も後から来る人のためにデータを残そうと思いブログを始めました。

「ズルはしていません」というのはバスや電車でワープはしていませんから、ポイント間の所要時間や一日の歩行距離は大体あてになりますよ、という意味です。

長い文章は、お遍路に行きたくても行けない母親のために書いています。

歩き遍路って、札所のない所は何をしているんだろうか、毎日歩いていて飽きないだろうか、など疑問に思った方も、本文を読んでいただけると、疑問の答えの一部が見つかるかもしれません。

 

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