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歩き遍路日記(ズルはせずに全部歩いています) 2024年02月
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2024-02

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西国三十三カ所 中山道 day3  近江鉄道 尼子駅 からJR東海道線 醒ヶ井駅(中山道2)

今日は近江鉄道尼子駅からスタートです。
旧中山道沿いに高宮宿、鳥居本宿、番場宿の三宿場を通り、JR醒ヶ井駅まで19km歩きました。
この区間は、国道8号線と旧中山道が比較的離れています。
旧街道を抜け道として利用する車も少なく、一日を通して静かな旧中山道でした。

尼子駅から中山道に戻り、琵琶湖に沿って2kmほど北に向かいます。
葛籠町の外れを流れる犬上川に架かっている橋が無賃橋です。
増水した時も河を渡れるように、彦根藩と数名の豪農が、クラウドファンディングで資金を集めて架けたそうです。
当時から無料で渡れたので無賃橋と呼ばれました。
現在の橋は昭和の初めに架けられたものです。

無賃橋を渡ると高宮宿です。
昨日通って来た愛知川宿とは違い、木造の商家建築が比較的よく残っています。

高宮宿のほぼ中央に街道と直角に大きな石の鳥居が立っていてます。
多賀大社、一の鳥居です。
横にある巨大な常夜灯の裏には、火を点しに行くための立派な石段が付いています。
多賀大社の口コミを見ると、門前の和菓子店で売っている糸切り餅がとても繊細で美味しいと書いてあります。
名物の餡子餅を買おうと、中山道から神社の方に向かって歩き始めたのですが、参道の先の方を見ても神社の気配がありません。
もう一度地図をよく見ると、ここから3km以上離れています。
あきらめて引き返しました。

宿場の北側出口付近に、彦根道と中山道の分岐を示す道標があります。
ここから彦根城まで1里です。
当時は彦根への入り口として栄えたそうです。

彦根道への道標から30分、2kmほど歩くと日本一の大太鼓と書かれた原の八幡神社があります。
太鼓倉庫らしき建物まで行きましたが、中は見られませんでした。
原八幡宮の手前、旧中山道の頭上を越えて名神高速道路の彦根インターが通っています。
彦根の市街地にも近く、旧街道沿いにも新旧の民家や会社が並んでいました。

原八幡を越えると旧中山道と国道8号線は全く違うルートになります。
旧中山道の通る山間の狭い隙間に名神高速道路と東海道新幹線が並んで通っています。
今までも交通量の少ない道でしたが、ここから先は全く車が通らなくなりました。

高宮宿から1里1丁ほぼ4kmで次の鳥居本宿に着きました。
鳥居本宿は軒の低い二階だての商家が並ぶ雰囲気のある宿場町です。
この辺りの商家は二階部分が白壁、縦格子はベンガラで塗られています。

宿場に入ってすぐ、宿場の南端に、彦根道との分岐を示す「右彦根道、左中山道京いせ」と刻まれた道標がありました。
彦根城は高宮と鳥居本の中間地点にあります。
江戸から彦根に向かってきた人たちは、ここで中山道を離れたのでしょう。

”鳥居本宿交流館さんあか”という資料館があります。
”三赤(さんあか)”は鳥居本名物の三つの赤で、スイカと赤い合羽、赤玉神教丸のことだそうです。

合羽は鳥居本宿の特産品でした。
合羽は雨合羽だけでなく、雨合羽に使われていた防水紙全体を指しました。
防水紙はレインコートとしてだけではなく、荷物や駕籠に被せて雨よけに使われたそうです。

交流館の展示資料によると、紙の中に糸を挟んで貼り合わせて強度を高め、さらに紙を湿らせて赤い柿渋をしみこませて防水にし、最後に荏(えごま)油を塗ったそうです。
合羽を製造販売していた店が合羽所です。
店の前に雨傘のような看板がでています。

旧中山道が90度向きを変える桝形に赤玉神教丸の暖簾を下げているのが有川薬局です。
江戸時代から続く伝統薬を製造販売する薬局は店舗の裏に工場があります。
間口が狭くても見かけよりも大きな店舗が多いのですが、 こちらの薬局は大きな店舗の多い鳥居本宿のなかでも特に大きく目立つ場所にありました。

宿場が賑わった時代に店舗だった土間は展示室になっています。
生薬の原料や昔の包装などと並んで、江戸時代にこの辺りの風物を描いた近江名所図会のコピーが展示してあります。
今と全く同じ店舗の同じ位置に同じ看板がありました。
土間にはお客様にお茶をふるまった当時のコンロがそのままの状態で置かれていました。

お店の方に、昨今の話を伺いました。
今は店舗内で赤玉神教丸を手作りしているのではなく、伝統的な処方をもとに工場で委託をして作っているそうです。
剤型も正露丸のような丸薬から、糖衣錠に変わりました。
東京では代々続いた薬局は、オリジナルの伝統薬を作るのをあきらめ、広い土地でマンション経営をしているところが殆どです。
こちらは江戸時代そのままの形で店舗を残し、伝統薬を作り続けています。
記念に赤玉神教丸を買って店を出ました。

鳥居本宿を出ると、北国道と中山道の分岐点に建つ道標があります。
ここを越えるとすぐに、これから向かう摺針峠に建つ茶店の石碑があります。
明治天皇、弘法大師の二大著名人が訪れたと書かれているので、明治以降に建てられたようです。

このあと、旧中山道がさらに二本に分かれます。
そのうち一本は建物の裏にあるフェンスの横を通る、ごみ置き場に続きそうな一見汚そうな道ですが、中山道の立札が立っています。
そのまま進んでゆくと杉林を抜ける本物の中山道になりました。

江戸時代の道はほぼ峠の頂上まで続きました
舗装路に合流するとすぐに摺針峠です
当時は琵琶湖を見下ろす中山道随一の絶景で有名だったそうです。
徳川将軍も食べた名物の摺針餅をだす望湖堂という茶屋がありましたが、焼失してしまい碑だけ残っています。
当時よりも峠が低くなっているらしく、少しだけ琵琶湖が見えました。
それよりも、進行方向に見える伊吹山がますます近くなってきてとても綺麗に見えます。

次の宿場、番場宿までは一里4kmです。
山間の街道沿いに民家が並んでいますが、宿場町の雰囲気は殆どなく、よくある普通の田舎町です。

番場宿から3.5kmでJR東海道線醒ヶ井駅に到着しました。
ここは醒ヶ井宿の入り口です。
明日は醒ヶ井の宿場からスタートして中山道を東に向かいます。

近江八幡 尼子バス 尼子駅
学生さんで
賑わう朝の
近江八幡駅
JR河瀬駅
からバスで
尼子駅へ
近江鉄道
尼子駅から
出発します
畑 松並木 つづら
畑の中を
抜けて中山
道に戻る
街道松の
並木がある
中山道
この辺りは
つづら町と
いうらしい
むちんばし1 2 3
無賃橋
つづら町側
昭和に架け
られた橋の
隣の歩道橋
高宮宿側に
ある無賃橋
地蔵堂
高宮 明治天皇 脇本陣
高宮宿は
商家が結構
残っている
明治天皇
行宮跡
高宮宿
脇本陣跡
芭蕉 2 1
芭蕉が一晩
泊まり絵を
描いた家
高宮宿の
商家
倉庫の様な
大きな家
鳥居 常夜灯 裏側
多賀大社
一の鳥居
寛永年間造
巨大な
常夜灯
裏側の
石段
町並み 提灯街並み 提灯
高宮宿の
町並み
提灯の
製造販売店
ウインドウ
分岐 道標 石清水
彦根道への
分岐点
道標は
すり減って
よく見えず
小高い所に
ある石清水
神社
道標 大太鼓 倉庫
はらみち
五百羅漢の
道標
日本一太鼓
原八幡神社
の看板
太鼓収納庫
らしき建物
中は見えず
高架 古町塚 小町地蔵
中山道は
新幹線の
高架を潜る
小野町
という所に
ある小町塚
小野小町
地蔵尊
八幡神社 といれ 鳥居本
新幹線が
八幡社参道
を横切る
汲み取り式
の古い公衆
トイレ
鳥居本宿の
入口に到着
中山道 彦根 町並み
中山道 彦根道 鳥居本宿の
町並み
成宮家 三赤 引き札
江戸時代に
庄屋だった
成宮家住宅
鳥居本
交流館
さんあか
合羽の
引き札
糸 渋 えごま
張り合わせ
糸を入れた
ところ
柿渋を
しみこませ
たところ
区別できな
いが油を塗
った完成品
合羽や松屋 2 駅
合羽所松屋 小さい屋根
が合羽所の
看板
JRの
鳥居本駅
本陣 木綿や 看板
ブォリーズ
建築の本陣
合羽所
木綿屋
看板
旅籠 町並み 桝形
旅籠だった
建物
町並みの
突き当りが
桝形
道が直角に
曲がる桝形
薬局 昔 店舗
神教丸の
暖簾がある
有川薬局
店舗全景 胃薬の赤玉
と止瀉薬の
有川神教丸
浮世絵 看板と原料 丸薬
浮世絵の中
神教丸の
看板と店先
同じ看板と
製剤原料の
生薬
丸剤を作る
ための機械
こんろ 天皇
お茶を出す
為に使った
コンロ
糖衣でなく
セルロース
の外皮です
明治天皇が
休憩した
店舗離れ
出口 またおいでやす 8号線
鳥居本宿の
道標
出口です
またおいで
やす、の
旅人の石像
200m
だけ8号線
と合流
北国 すりはり 中山道
左北国米原
きの本道
右中山道
焼失した
摺針峠茶屋
の石碑
二本の
旧中山道
緑の看板 汚い塀1 2
小さい緑色
の立札に
中山道
汚い塀の
横の道です
ゴミ捨て場
なのではと
不安です
1 2 3
突然
江戸時代に
なりました
枯れ葉で
フカフカの
峠道です
緩い傾斜で
歩き易い
道です
1 2 すりはり
最後は階段
を登ると
西国徒歩
サポートの
道標もあり
摺針峠に
でました
茶屋跡 絶景 下る
摺針茶屋の
説明
中山道随一
の絶景は今
一つでした
先に進み
ましょう
一里塚 ばんばんさめがい
摺針一里塚
跡の石柱
中山道
番場醒ヶ井
の道標
名神高速の
すぐ横が
旧中山道
祠 伊吹 あっぷ
旧道なので
お地蔵様の
祠があり
伊吹山が
前方に
見えます
アップに
しました
民家 茅葺
番場宿
到着
民家の並ぶ
山間の宿場
資料館も
以前は茅葺
の古民家
民家 宿場 地蔵
大きな農家
の様な民家
が並びます
番場宿の
町並み
架空の人物
番場忠太郎
のお地蔵様
番場淑 忠太郎 天皇お休み
中山道
番場宿石碑
番場忠太郎
小説中の
人物の銅像
明治天皇
ご休憩所跡
米原 山の中 赤い実
米原汽船
汽車道
の道標
もう一度
林の中を
抜ける道
赤い実を
付ける玄関
前の植木
米原jc ひぐち 20
名神高速
米原JCT
を潜ります
中山道
ひぐち
中山道は
国道20号
になります
宿場の地図 電車
JR醒ヶ井
駅に到着
中山道
醒ヶ井宿の
案内図
東海道線で
戻ります
1 2 3
夕食は
近江牛に
しました
揚げたてで
有名な肉や
さんです
満腹に
なりました

データ
2024年01月10日(水)
18.9 km 5hr20min

0829 尼子駅発 
0843 旧中山道 葛籠町
0907 無賃橋
0911 無賃橋北詰 高宮宿
0922 大鳥居
0937 ホームプラザナフコ彦根店
1030 原八幡神社
1037 発
1050 小野小町塚
1110 鳥居本宿道標
1118 鳥居本宿交流館さんあか
1127 発
1128 鳥居本駅
1135 有川薬局
1145 発
1152 摺針峠望湖堂碑
1154 旧中山道 未舗装路入口
1211 未舗装路区間終わり
1214 摺針峠
1217 摺針一里塚跡
1417 発
1243 番場宿石碑
1305 番場宿跡
1349 醒ヶ井駅

0754 近江八幡駅発
JR東海道本線 各停 米原行き
0809 河瀬駅着

0815 河瀬駅東口発
近江鉄道・湖国バス  富之尾行
0821 尼子駅着

1411 醒ヶ井駅発
JR東海道本線 各停 米原行き
1417 米原駅着

1429 米原駅発
JR東海道本線 快速 網干行き
1456 近江八幡着

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西国三十三カ所 中山道 day2 JR東海道線 安土駅から第三十二番 繖山 観音正寺経由 近江鉄道 尼子駅 (中山道1)

今日はJR安土駅からスタートです。
まず安土城址の横にある繖(きぬがさ)山(観音寺山)に登りました。
山頂近くに第三十二番 繖山 観音正寺があります。
下山した後、中仙道沿いに近江鉄道の尼子駅まで歩きました。

雲一つない青空です。
ホテルの周りには殆ど雪は残っていませんが 夜中は冷え込んだかもしれません。
路面凍結が怖いので、少し遅めの出発にしました。

安土駅を出て5分も歩くと、畑の中に民家が建つ農村地帯になりました。
土が露出している面積が多いからか、近江八幡よりも寒く感じます。
歩道の水たまりに氷が張っていて、畑には一面の雪が残っています。
織田信長が作ったセミナリオ跡の水路も凍っていました。

全く根拠がないのですが、天下人の作った安土城は大阪城のような平城だと思っていました。
実際の安土城は滋賀の平野の中にある小さな山全体に広がって建っていた山城でした。

徒歩で観音正寺へ行くルートは幾つかあります。
巡礼者が通ったのは、北腰越という低い峠を越え、桑実寺境内を通り観音正寺に至る、800段の石段を登るルートのようです。

北腰越に、”勧進西国三十三所”と彫られた古い道標があります。
道標は遍路地図とは違うルートを示していますが、”きぬがさ山頂、桑実寺”と彫られています。
今は桑実寺の下に風土記の丘という観光施設ができています。
施設ができる以前は、こちらが桑実寺へ向かうルートだったのかもしれません。

桑実寺を抜けるルートは石段だそうです。
階段は嫌いではないのですが、日陰になっている石段が凍結していたら危険です。
目の前にある繖山への道は、石段ではなくて普通の山路です。
さらに陽が当たっていて、雪が溶け始めています。
この道のほうが安全かもしれません。

溶け始めた雪の上に、つい最近逆方向から山を越えて来た人の足跡が付いています。
靴底のパターンを見ると普通の軽登山靴で、アイゼンはつけていません。
石段を避けてこちらの山道を行くことにしました。

かなり雪は残っていますが、どこも溶け始めていてサクサクと良い感じです。
途中二回、桑実寺に下ってゆく道標がありました。
地図を見るとすでに250m程登っています。
折角登ったのにもったいないですし、頼りにしている足跡は 繖山の三角点から降りてきています。

地図によると、繖山山頂から観音正寺まではすぐそこです。
折角なので、繖山山頂の三角点を目指すことにしました。

繖山の三角点は432.7mです。
三角点から安土山と西の湖がよく見えました。

道標に従って観音正寺に向かって降りて行きました。
最初の分岐点で、二股に分かれます。
どちらの道も観音正寺に通じていて、距離も大差ありません。
いままで頼りにしてきた足跡のついた道を降りようと周りを探しましたが、雪が溶けていて見つかりませんでした。

適当に選んだ下山路に、頼りにしてきた足跡はありませんでした。
そしてずっと日陰で凍結していました。
階段が斜めに凍結している箇所はお尻と手足を突いて少しずつ滑っておりました。
後から考えると、たった5分ほどの距離でしたが、とても怖い下山でした。

第三十二番 繖山 観音正寺の納経所で、安全な下山ルートを尋ねました。
遍路地図には結神社を経由して五個荘へ降りるルートが書いてあります。
このルートは裏参道だけれど本物の山道ですよ、と言われました。
五個荘方面に行くルートはもう一つあって、そちらが千二百段の石段で有名な表口参道です。
裏参道を降りたいと言うと、入口が判りにくいので、と地図をかいてくれました。
入口まで行き、裏参道を見ると、日の当たるなだらかな地道です。
雪解けが進んでいて、楽しい下りになりました。

五個荘は重伝建に指定されている近江商人発祥の街です。
道幅の広い通りに面して、間口の広い商店と白壁の蔵が並ぶ様子を想像したのですが、ちょっと様子が違います。
確かに白壁の蔵なのですが、お客さんが来る店ではなくて、高い壁と水路に囲まれた屋敷町に似ています。
大きな門はなく、勝手口のような人が一人通れるほどの隙間の奥に入口がみえています。

重伝建のサイトで、どんな特徴があるのか調べてみました。
当然、商家町として指定されていると思っていたのですが、ここは農村集落でした。
純農村から発展したため、本宅だけがあり、店舗が無いのが特徴だそうです。

文化庁のサイトには
「敷地を取り囲む板塀越しに、主屋や土蔵の漆喰壁が、庭園の樹木を通して望見できる近江商人の屋敷街が広がる」
と書かれています。
なるほど、その通りで板塀越しに、樹木を通して覗き見るのです。
外から見ただけでは面白い町ではありませんでした。

邸宅内部を見学できる屋敷が数邸ありますが、どこも月曜祝日の翌日で休館中でした。
唯一開いていた、近江商人屋敷を改装したうどんやさんで昼食を取りました。

交通量の多い国道に合流してしばらく行くと、中山道愛知川宿の入り口がありました。
気が付きませんでしたが、いつの間にか中山道に入っていました。
旧中山道は、車が一台すれ違えるほどの道でした。

旧中山道に並行して、近江鉄道と新幹線が南北方向に走っています。
ここで不思議なことに気が付きました。
たった今、中山道の宿場を通ってきたのですが、すぐ横に東海道新幹線が走っています。
いつの間に東海道新幹線が中山道を走るようになったのでしょう。

次の宿場、高宮宿までは距離があるため、宿場の間の村が間の宿(あいのしゅく)となって、宿や食事を提供したそうです。
間の宿、豊郷村石畑に、丸紅と伊藤忠商事の創設者、伊藤忠兵衛の旧邸があります。
五個荘の近江商人住宅はすべて休館でしたが、こちらは無料で公開されていました。
大きい家ですが、全く華美な感じはなく、主人のプライベートな空間も狭い部屋です。
保存されている伝統家屋にはめずらしく、土間も板の間もピカピカに磨かれています。
当時使われていた竈のある台所にはガス湯沸かし器が取り付けられていて、今でも使える状態にしてありました。

ホテルに戻り、新幹線の謎を調べました。
明治政府が東京-大阪間の鉄道を計画した時、東海道経由と中山道経由の二案がありました。
当初は大阪から大垣まで中山道経由で建設していったそうです。
ところが、東海道経由のほうが建設費が安かったため、その後は東海道経由とし大垣でつなぎました。
大垣から大阪までは東海道線と言いながら実質は中山道線です。

駅 水たまり 車
朝遅いので
乗客の多い
近江八幡駅
安土の街
水たまりが
凍ってます
車の窓も
氷結して
真っ白です
道 お墓 畑
常夜灯があ
る街中は溶
けています
お墓はまだ
雪が残って
います
畑は一面
真っ白です
セミナリオ 掘 4度
セミナリオ
址の石碑
セミナリオ
前にある
4度C
凍結注意の
道路標示
正面 安土城址 安土山
右正面が
安土山です
左手が腰越
安土城址 正面の山
全体に城が
あったそう
腰越 風土記へ 山へ
腰越から
風土記の丘
へ向かう
風土記の丘
と桑実寺へ
続く遊歩道
入ってすぐ
古い道標が
ありました
最初 神社 せきぶつ
登り口は
積雪も
少な目です
古い道の
ようで鳥居
があります
石仏が多数
あります
竹林 登り 石仏
竹林を
抜けます
緩くカーブ
しながら
登ります
西国札所の
三十三観音
のようです
分岐点 景色 石済み
三角点まで
後800m
残り半分
視界が開け
下界が
見えました
石が積んで
あります
雪深く 次の山 西の湖
かなり雪が
深くなって
きました
一旦下って
次の登りで
頂上です
安土山の後
に西の湖が
見えます
三角点 きぬがさやま 分岐点
三角点
432.7m
に到着です
繖山頂上
きぬがさ山
両方とも
観音正寺に
行く分岐点
トレイマップ 足跡なし 400m
別方向から
も登れる様
です
凍結した
下山路には
足跡は無し
400mの
恐怖の下り
でした
本堂 境内 リュック
第三十二番
繖山
観音正寺
境内は
雪が片付け
られてます
装備一式を
外に置いて
お参り
38度 不思議な岩山 地図
四国西国を
38回廻った
方の奉納碑
謎の岩山 裏参道への
道順の地図
裏参道 緩やか おやつ
裏参道への
入口です
緩やかな
気持ちよい
下り坂です
おやつを
たべました
5丁 ゆき 3丁
裏参道は
丁石が
あります
溶けていて
歩き易い
雪です
こちらは
麓から三丁
約300m
石段 裏参道 いのしし
最後は石段
というより
石畳です
観音正寺
山道と書い
てあります
イノシシの
柵を開けて
外にでます
入口 結神社拝殿 結神社
裏参道は
十三丁で
約1.5km
結神社境内
に出ました
結神社
白壁 五箇荘案内図 2
近江商人街
五個荘に
入りました
五個荘金堂
町並みの
案内図です
白壁と白塀
に囲まれた
街です
鯉 茶色 農家と板塀
鯉が泳ぐ
水路のある
お寺
板塀の屋敷
杉板の屋敷
板塀の後ろ
に椿の木が
ある農家
水路 農家 畑
塀のすぐ
外が水路に
なってます
大きい農家
も沢山
あります
田畑と隣接
している
農村地域
外村邸 うどん店 うどん
外村邸
入口は板塀
の内側です
外村邸入口
の反対側に
あるうどん屋
混ぜご飯に
赤い蒟蒻が
入ってます
伊吹山 8号線 新幹線
伊吹山が
遠くに
見えます
交通量の
多い8号線
中山道
新幹線が
横を通って
行きました
愛知川宿 天王 路
中山道
愛知川宿に
入ります
明治天皇が
泊まった
旅館です
昔風の建物
は殆ど
ありません
銀行 絵地図 街灯
街角交流館
元は銀行
でしょうか
街道絵地図 街灯
一里塚 お地蔵様 出口
次の高宮宿
まで二里の
新しい道標
お地蔵様が
多数並んで
います
出口です
まあこんな
物でしょう
電車 駅 一里塚
近江鉄道が
すぐ横に
通ってます
愛知川駅 一里塚跡
伊東忠兵衛 説明 帳場
伊藤忠兵衛
旧邸
説明 入ってすぐ
帳場が
あります
蔵が3つ 廊下でつながる 蔵の中
蔵が3つ
あります
家の中と
蔵は廊下で
行き来可能
蔵の中で
生活資料の
展示
お風呂 台所 土間
お風呂場 台所 土間を通り
奥の蔵に
糸を運んだ
女中部屋 引き札 石畑
女中部屋 伊藤糸店
繊維問屋
の頃の引札
愛知川と
高宮宿の間
の宿、石畑
一里塚 石畑立てば 街道松
土を盛上げ
木を植えた
石畑一里塚
間の宿石畑
の立場址
街道松が
残っている
区間
入口 玄関 中
豊郷小学校
ヴォリーズ
建築です
アニメの
聖地で賑わう
そうです
休館日なの
で玄関から
写真だけ
新幹線 尼子 バス
新幹線が
畑の向こう
を走ります
近江鉄道
尼子駅到着
JR河瀬駅
経由の方が
安くて速い
河瀬 焼肉丼 っ朱印
東海道線
河瀬駅から
帰りました
夕食の
近江牛
焼肉丼
第三十二番
繖山
観音正寺

データ
2024年01月09日(火)
19.5 km 7hr38min

0826 安土駅発 
0838 フレンドマート 安土店
0845 セミナリヨ史跡公園
0904 安土城跡
0913 発
0922 北腰越(高度100m)
0933 桑実寺への分かれ道(170m)
0942 桑実寺への分かれ道(221m)
1012 繖山(観音寺山)(432m)
1022 分岐(427m)
1054 第三十二番 繖山 観音正寺(360m)着
1105 発(裏参道13丁)
1153 結神社(110m)
1205 五個荘塚本町
1215 五個荘金堂町
1218 うどん屋 いっぺき
1250 発
1330 愛知川 御幸橋
1345 中仙道 愛知川宿
1400 発
1406 近江鉄道 愛知川駅
1417 発
1450 伊藤忠兵衛記念館
1514 発
1528 豊郷小学校旧校舎群
1531 発
1604 近江鉄道 尼子駅着

0817 近江八幡駅発
JR東海道本線 快速 米原行き
0820 安土駅着

1618 尼子駅発
近江鉄道・湖国バス  河瀬駅東口行
1628 河瀬駅東口着

1639 河瀬駅発
JR東海道本線 各停 姫路行き
1653 近江八幡着


スケジューリングで考えたこと
週末、大雪の予報が出ているので今回は、関ケ原周辺で帰宅します。
中途半端に時間が余ってしまったので、二日間短めに歩く事にしました。
尼子から関ケ原の一つ先、垂井までは約36kmです。
うまい具合に丁度半分の18km地点に醒ヶ井駅がありました。
明日は醒ヶ井駅まで歩くことにしました。
<前日の日記へ><翌日の日記へ>

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プロフィール

38G

Author:38G
運動が少し好きな普通のおじさんの歩き遍路日記です。

お遍路をしようと思い、スケジュールを立てる際、ネットにアップされている先輩方のブログがとても参考になりました。

私も後から来る人のためにデータを残そうと思いブログを始めました。

「ズルはしていません」というのはバスや電車でワープはしていませんから、ポイント間の所要時間や一日の歩行距離は大体あてになりますよ、という意味です。

長い文章は、お遍路に行きたくても行けない母親のために書いています。

歩き遍路って、札所のない所は何をしているんだろうか、毎日歩いていて飽きないだろうか、など疑問に思った方も、本文を読んでいただけると、疑問の答えの一部が見つかるかもしれません。

 

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