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歩き遍路日記(ズルはせずに全部歩いています) 2023年07月
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2023-07

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西国三十三カ所 日本海へday4 JR播但線 福崎駅 から JR播但線 生野駅

中国山地縦断の二日目です。
まず初めに、播但線福崎駅から、JRに沿って鶴居駅まで行きます。
その後巡礼マップ通りに、JRと離れて旧道を北上します。
鶴居駅から四駅先の生野駅でJRに合流して終了です。
ここから先、日本海側に出るまで、札所はありません。
山城で有名な竹田城と生野銀山の他になにか見どころはあるのでしょうか。
あまり期待せずに出発しました。

福崎駅から鶴居駅までは巡礼路ではありません。
どこを歩いても変わりないので、播但線のすぐ横の道を選びました。
播但線が通った時に畑の中に道を作ったのでしょう。
線路の脇に昔の農業用水車や江戸期の供養塔などがありました。

鶴居駅で書写山からの巡礼路と合流しました。
ここからしばらく川沿いの道を歩きます。

鶴居駅に「日本遺産:銀の馬車道・鉱石の道」というサイクリスト向けのポスターがはってあります。
日本遺産は観光振興が目的です。
道そのものが観光資源なのでしょうか。
「道の達人」とあり、いかにも、歩き遍路好みです。
そして鶴居駅から竹田駅まで、私がこれから歩く巡礼路にぴったり重なっています。

駅のトイレにも案内板があります。
「銀の馬車道案内板」と書いてありますが、馬車や道の案内ではなくて、この界隈の名所が書かれています。
銀の馬車道とは一体なんでしょうか。

県道沿いの路肩には銀の馬車道の案内板が、車道に面して立っています。
高さ的にも、サイズ的にも、車に乗っている人には見にくい大きさです。
やはり「日本遺産・銀の馬車道」が狙っているお客さんはサイクリストなのでしょう。

依然として、銀の馬車道とはなんだかわかりません。
しかし、馬車道とは関係なく、縄文弥生時代の竪穴住居群や、崖に彫られた弘法大師厨子など面白いものがあります。
江戸時代、この辺りに福本藩という一万石の小藩がありました。
小藩なので時代時代で藩の扱いになったり、参勤交代をする旗本の扱いになったりしています。
道沿いに徹心寺という藩主の菩提寺があります。
本堂は入母屋造りの茅葺きです。
降雪地方の豪農の家のようです。
境内には韓国の石像のような不思議な像がありました。

しばらく行くと、神河町粟賀町という地域に入りました。
旧道の路面は石畳のような雰囲気です。
古い民家が並んでいて、重伝建に指定されているような素敵な家並です。

粟賀驛の道標があります。
播但線から4kmほど離れているので鉄道の駅ではありません。
「驛」の字は馬を乗り継いだ時代の宿場を表しているのでしょうか。
説明板がありました。
やはり粟賀は江戸時代の宿場でした。
そして明治になって銀の馬車道を通る乗り合い馬車の駅ができたそうです。

ようやく銀の馬車道の説明をみつけました。
生野銀山と姫路の飾磨港間に作られた日本で最初の馬車専用路だそうです。

丁度お昼時です。
古民家再生のイタリアンレストランがあります。
最寄りのJR駅から4kmも離れているのですが人気店のようです。
ほぼ満員でしたが、運よく一席空いていました。

隣のテーブルから英語が聞こえてきました。
銀の馬車道をサイクリング中に知り合ったらしい、日本人と外国人の二人が話しています。
外国人は銀の馬車道を何度も走っている様で、この店は美味しいので紹介したかったと言っています。
そういえばお店横の駐車場にはスポーツ車用のラックがあって、自転車が掛かっていました。
この辺りの観光地はJRから距離があり、見どころも点在しています。
徒歩で周るのは非現実的なので、サイクリングが一番良いのでしょう。
店を出るときにも、新しく数人のサイクリストが入ってきました。

道沿いに「銀の馬車道X鉱石の道」という幟がかかっている資料館があります。
ここでようやく銀の馬車道の全貌がわかりました。

銀の馬車道は正式名を「生野鉱山寮馬車道」と言います。
明治になり日本政府は生野銀山を近代化します。
そして物資輸送の為、姫路の港から生野銀山まで高速馬車専用道路を計画し、フランス人の土木技師を雇います。
完成した日本初の高速道路は、水はけをよくするため、ヨーロッパの舗装道路と同様に、大きさの違う石を三層に積み上げる工法が使われていました。

銀の馬車道は生野鉱山が終点です。
「鉱石の道」はもう少し北側にある明延鉱山の周囲にある道のようです。

粟賀の宿場を抜け、旧道を歩いていくと、「現存する銀の馬車道」と書かれた案内板があります。
三層の砂利で固めた道を期待していきましたが、普通のアスファルト舗装になっていました。

銀の馬車道は切れ切れに残っています。
もともと馬車専用道だったので、森の縁や畑の中を通る道です。
旧道のように家があることもなく、普通の田舎道になっていました。

標高361mの生野峠は播磨と但馬の国境です。
書写山の置塩坂で、「左たんご道」の道標を見た時には、「たんご」まではどの位遠いのだろうと思いました。
「はりま」から「たじま」の国境を越えて、一瞬ですがもう「たんご」に着いたのか、と錯覚しました。
「たんご」も「たじま」も馴染みのない国名なので、同じ場所のように感じたのです。
まだまだ先は長いです。

ホテルに戻り、今日の記録を見ると標高50mからスタートして361mの生野峠まで、一日中登り坂です。
実際はとても緩い登りなので、最後の1kmを除いて全く平地を歩いている感じでした。


改札 ホーム バス乗り場
播但線は
改札が二回
あります
福崎駅に
到着
大きめの
郊外の駅
です
街中 播但線 畑
線路のすぐ
横の道を
選びました
播但線 左側は線路
右側は畑
です
水車 慰霊塔 河
昔の農業用
水車
江戸明暦の
日蓮宗の
慰霊塔
川の横を
歩くように
なりました
鶴居 恩返し ポスター
鶴居駅到着
巡礼路に
合流します
鶴の恩返し
の伝説があ
るそうです
自転車向け
銀の馬車道
のポスター
2 トイレ 河
トイレ外の
案内板
馬も道も
無い銀の馬
車道案内板
河を渡り
反対側に
行きます
屋形橋 ランプ
県指定
近代化遺産
屋形橋
説明 戦時中供出
されたラン
プを復元
看板 立壁大師 祠
銀の馬車道
自転車向け
の案内板
立壁大師の
入口は台湾
の廟の様
この上の岩
の中に廟が
あるらしい
福本遺跡 2 3
福本遺跡
とても広い
遺跡です
説明板 復元された
竪穴式住居
中から 瓦 池
家の中から
外を見ます
飛鳥時代に
瓦を焼いた
広い遺蹟に
池もあり
ます
徹心寺 人物 牛
徹心寺本堂
茅葺の
入母屋造
韓国の石像
のような
人物像
お寺には
珍しい
牛の石像
蝋梅
蝋梅 お地蔵様 説明
あわがの街 駅の道標 説明
神河町
粟賀町
の町並み
粟賀驛道標 説明板
武内家 説明 山車
竹内家住宅
元は山師の
家を移築
説明板 山車の倉庫
に見える
建物
お店 黒板 料理
古民家再生
の人気イタ
リア料理店
黒板の
メニュー
前菜の野菜
盛り合わせ
資料館 生野の解説 鉱石の道
銀の馬車道
鉱石の道
資料館
生野銀山
と生野の
説明
鉱石の道の
説明
大橋の石碑 説明 河
大橋の石碑
旧丹後街道
大きな木造
の橋だった
そうです
川が随分と
狭くなって
きました
いぼじぞう 五輪の塔 古戦場
いぼ取りの
祈願をした
いぼ地蔵
山際の洞窟
の中に
五輪塔
応仁の乱
山名・赤松
の古戦場跡
チェーン装着 現存する馬車道 馬車
冬は大雪ら
しくチェー
ンの装着場
現存する
銀の馬車道
原寸大の荷
馬車の模型
があります
道標 ヨーデル 動物
右:姫路
左:丹波
の道標
何だか判ら
ずヨーデル
の森入口へ
有料の動物
ふれあい
施設でした
朝来市 生野峠 但馬
生野峠
ここから先
朝来市です
標高
361m
ようこそ
但馬へ
下り 綾部家 河
生野峠を
生野に向か
って下る
有形文化財
幕末の民家
綾部家住宅
生野の街を
流れる市川
レンタサイクル 生野駅 ホーム
観光案内所
のレンタサ
イクル
生野駅到着 ホームと
跨線橋

データ
2023年03月04日(土)
27.0 km 7hr37min

0825 福崎駅発(75m)
0855 水車
0916 甘地駅
1009 鶴居駅
1015 屋形橋
1040 立壁大師
1105 福本遺跡
1114 発
1128 ローソン 神崎 南インター店
1132 発
1138 徹心寺
1150 ラ・ミア・カーサ(150m)
1257 発
1310 銀の馬車道・交流館
1320 ローソン 夢前塩田温泉店
1350 道の駅 銀の馬車道 神河
1400 発
1405 大年神社(200m)
1509 ヨーデルの森(310m)
1521 生野峠(361m)
1603 生野駅(306m)


0751 姫路駅発
JR播但線 普通 福崎駅行き
0815 福崎駅着

1625 生野駅発
JR播但線 普通 寺前行き
1642 寺前駅着

1646 寺前駅発
JR播但線 普通 姫路行き
1734 姫路駅着


スケジューリングで考えたこと
今回の中国山脈縦断は生野駅から17km先の播但線の竹田駅で一旦ストップして、ホテルを移動します。
西脇からスタートして、竹田までの前半部分に一日予備日を作ってあります。
全日程天気が良く予定通りに歩ければ、予備日に有名な山城、竹田城に登る計画でした。

今日の終点生野駅に職員の常駐する素敵な観光案内所がありました。
パンフレットを見ると、ここから竹田までの間、生野銀山だけでなく、「鉱石の道」関連の近代産業遺跡がいくつもあります。
折角なので、竹田城も、生野銀山も、「鉱石の道」も全部見たいと思います。

「鉱石の道」関連の近代産業遺跡の最寄り駅は一駅先の新井駅ですが、駅からのアクセスがありません。
観光案内所の方によると、レンタカーかタクシー以外では行けないそうです。
新井を通る時に、現地のタクシー会社で往復の値段などを 確認しようと思います。

生野銀山までは生野駅からバスがありますが、本数がありません。
こちらは観光案内所で自転車をレンタルするのがよさそうです。

明日も天気はよさそうです。
とりあえず、明日は生野から竹田まで歩き、竹田城に登って、明後日の計画を考えることにしました。

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テーマ:寺巡り - ジャンル:旅行

西国三十三カ所 日本海へday3 JR播但線 野里駅 から 第二十七番 書寫山 圓教寺経由 JR播但線 福崎駅 

いよいよ中国山地縦断のスタートです。
今日は姫路市内の播但線野里駅を出発し、西国三十三所の西南端、姫路市の書写山圓教寺でお参りをして、二駅先にある福崎駅まで行きました。
以前観光で書写山を訪れたときは、姫路駅前からバスに乗ってロープウェイ乗り場に行きました。
書写山は姫路駅のすぐ近くだと思ったのですが、もよりの野里駅からでも5km以上離れています。

書写山ロープウェイ駅に近づくと、案内板の上に運行休止のお知らせが貼ってあります。
よく見ると、「西国27番札所の納経、御朱印について。待合所にて出開帳がございます」
と書いてあります。
納経と御朱印はロープウェイが止まっていても大丈夫なのです。
歩いて回っている私はどうなるのでしょう。

普段は観光客で賑わっているだろうロープウェイの駅に到着しました。
もちろんロープウェイの入り口辺りにはだれもおらず、周りにある売店も営業していません。

待合所内には、小さい観音様をお祀りしたお厨子があります。
横に特設の納経所が作られていて、御朱印を書く方が二人座っています。
誰もいないと思って入っていくと、お遍路の正装をして先達のバッチをつけた人達が納経所に並んでいます。

西国の先達さんは、周回数で昇進します。
普段ならロープウェイを降りてから本堂まで、西の比叡山と言われる広い山の中を歩かなければなりません。
そして納経料の他に、1420円のロープウェイ代と、500円の入場料が必要です。
周回している先達さんたちには、ロープウェイ運休は却ってありがたいのかもしれません。

せっかくここまで歩いて来たのです。
歩いて本堂まで登り、ご本尊にお参りした後で納経したいのですが、先にこちらで納経しないといけないのでしょうか。
行列が切れたタイミングで聞いてみました。

「食堂も売店も全て閉まっているけれど、歩いてお参りする人のために本堂と納経所だけは開けてありますよ」
と、登山道への入り口を教えてくれました。

歩いて登る人は、外国人の方が多いのでしょう。
案内図もありますよ、と渡された地図には英語も併記されています。

「私は西国三十三カ所を徒歩で周っています。
お参りした後は、登った道ではなく、昔の巡礼道を通り、山の反対側に降りたいのです。
昔の巡礼道は今でもありますか」

と、巡礼マップを見せて尋ねました。

「その道は置塩坂ですね。
ちょっと入口が難しいけど通れますよ」

と地図を書いて教えてくれました。

第二十七番 書寫山 圓教寺の上り口は住宅街の中にあります。
入口は判りにくいのですが、登山道に入れば一本道です。
とても綺麗に整備されていて、一丁目から始まる丁石も全て残っていました。

ロープウェイ山麓駅から見ると普通の山に見える書写山は岩の塊です。
岩の塊を刻んで石段が作ってあります。
この辺りでは人気のあるコースのようです。
山を下りてくるグループや一番急な石段を上り下りしてトレーニングする人などや、数組の登山者とすれ違いました。

ロープウェイの山頂駅は十三丁石の少し上にありました。
少し行くとお寺の料金所があります。
ロープウェイで来る人も、歩いて登る人もお寺の境内に入るには料金所を通ります。
お寺の人が料金所の周りで作業をしています。
今日は料金所も休みなので、そのまま通ってくださいと言われました。

ハイキングの人たちは境内には入らずにロープウェイの辺りで引き返すのでしょう。
広いお寺の境内には、作業をしている人たち以外は誰も居ません。
代わりに参道横の森から鹿がでてきました。

誰も参拝客のいない本堂でお参りした後、お堂の中にある納経所に行きました。
納経所には若いお坊さんが座っています。
まだ修行中なのでしょう。
今まで頂いた墨書きのなかで一番下手な墨書きでした。
普段はロープウェイの駅にいた方たちが書くのでしょう。
良い記念になりました。

映画ラストサムライのロケ地だった三つのお堂も全て閉まっています。
お堂に囲まれた広場にはだれもおらず、一組の参拝客がベンチでお昼を食べていました。
結局、境内で会ったのはこの二人だけでした。

納経所で書いて頂いた地図を見ながら、本堂の下にある売店の横を入って、置塩坂の入り口を探します。
そちらに行くと、古い小さい木の案内札がかかっています。
知っている人だけが通れる道のようです。

登ってきた登山道は綺麗に整備されたハイキングコースでした。
こちらは、これまで通って来たような、忘れられかかっている本物の古道です。

道沿いには古い石仏や道標が多数残されています。
道標には次の札所、第二十八番成相寺ではなく、「左:たんごみち」と刻まれています。
ここから成相寺までは200km以上あります。
目的地が余りにも遠いので、札所の名前ではなくて地方名を刻んだのでしょうか。

古道出口手前にはイノシシ柵もありました。
登山口は県道沿いにあります。
古いお地蔵様の横に書写吹登山口と書かれた柱が一本立っていました。
こちらから登ると料金所の内側にでます。
簡素な案内ですが、お寺の案内図には書いてない道なのでそれでよいのでしょう。

まだ三月のはじめだというのに、強烈な日差しです。
県道沿いに、いちご狩りの観光農園があります。
即売所でいちごを買おうと思い、建物に入りました。
残念ながら本日の販売用は売り切れです。
冷たい物が欲しいので、ソフトクリームを注文しました。

お金を払おうとすると、店番の若い女性から
「お遍路さんは歩いて回られているんですよね。
四国も歩かれましたか」
と聞かれました。

女性は書写山円教寺が主催する四国八十八カ所ツアーに参加するそうです。
「いつか歩いて四国遍路をするのが夢なので、歩き遍路をしている人たちがとても羨ましい。
がんばって結願してください」、
とソフトの上に大きなイチゴを二つ載せて渡してくれました。


野里 2 街
野里駅
反対側は
賑やかです
今降りた
電車が出発
すぐに
住宅地に
なります
書写山 道標 説明
書写山への
現代の
道路標識
書写山と法
華山の道標
明治29年
昨日の道標
は江戸末期
から明治期
古道 夢前 到着
県道と古道
が分かれる
地点です
今日行く
地名が書か
れています
ロープウェ
イが見えて
来ました
おしらせ バス停 顔
運休のお知
らせを見て
ビックリ!
バス停周り
にも誰も
いません
顔出し看板
にも誰も
いません
ロープうえぃ 境内みとり 案内
ロープウェ
イの駅も
無人です
書写山境内
の見取り図
納経所で
案内図を
貰いました
みながら 常夜灯 道案内
地図を見な
がら登山道
に向かう
本来の参道
なので常夜
灯がある
登山道の下
にhiking
roadの表示
道標 東坂 入口
住宅街の中
の天保年間
の道標
この登山口
は東坂と
いうらしい
民家の裏に
登山口が
あります
道 一丁 イノシシ
岩を掘って
作った切り
通しの石段
一丁石
(109m)
と石仏
イノシシ避
けのネットを
くぐります
二丁 赤松 三丁
二丁石 赤松の説明
自然探求の
コースです
三丁石と
石仏
池 羅漢岩 2
日本一小さ
い池は干上
がってます
羅漢岩は
昔の観光地
でしょうか
見晴らしの
良い場所に
ある羅漢岩
五丁 七丁 石
五丁展望台
姫路方向が
見えます
七丁で
緩やかに
なりました
と思ったら
岩を掘った
石段です
八丁 10丁 ロープウエイ
八丁から先
は急な登り
が続きます
十丁の岩場
で訓練をし
ています
ロープウエ
イの下を
通ります
平地 12丁 山頂駅
ようやく平
らな場所に
出ました
十二丁石を
超えると
ロープウェ
イ山頂駅が
あります
運休 14 15
運休と貼っ
てあるのは
誰の為?
山の上でも
丁石は続い
ています
ここは
十五丁。麓
より1.6km
展望台 鹿 17
姫路方面の
展望台です
静かなので
鹿が出て
来ました
十七丁
まだ着きま
せん
仁王門 18 まだ
ようやく
仁王門に
到着
従麓十八丁
三帝親臨之
霊場の石柱
お寺の聖域
に入り参道
は続きます
一丁 法華山 本堂
この一丁石
はかなり昔
の丁石です
右法華山
左本堂
坂の下に
本堂の石段
が見えます
本堂 入口 扁額
第二十七番
書寫山
圓教寺 
入口は石段
を上り本堂
の右側
本堂
摩尼殿
の扁額
本堂解説 33 33解説
本堂解説 西国三十三
観音様を
集めたお堂
三十三所堂
の解説
三つの堂 参拝者 手書き
映画ラスト
サムライの
のロケ地
三つの堂に
一組だけの
参拝者
麓の納経所
で書いても
らった地図
置塩坂 石仏 丹後道
置塩坂入口
の小さい
案内板
道標の様に
見えるが読
めない石仏
右:
たんごみち
の道標
山路 とうぼく そねかんのん
すり減った
石仏が多数
立ってます
危険のない
倒木は放置
してある
左そま観音
どこの観音
様でしょう
切通し 石仏群
切通しに
なってい
ます
古い石仏
が多数
あります
五輪塔
虎ロープ 五輪塔 線画
この辺から
斜面が崩落
し始めます
虎ロープ
の横に
五輪塔
珍しい
線描きの
五輪塔
チベット風 置塩城 説明
石仏の上に
五色の幕が
あります
目前の山は
置塩城址
です
説明板
赤松氏の
居城
倒木 虎ロープ いのしし
倒木と
虎ロープ
多数あり
こちら側は
崩れたの
かも
イノシシ
避けの柵
です
登山口 お地蔵様 県道
書写吹
書写山登口
書写吹石仏 広い県道に
出ました
夢前川 1
夢前川に
沿って北上
します
河川敷に
梅が咲いて
います
イチゴ農園
即売所の
ソフト
置塩 何か かかし
置塩城址 川沿いに
何か並んで
います
かかし
でした
河 福崎 夢前IC
綺麗な河と
ここで別れ
ます
ICを抜ける
には福崎
方面へ
歩行者は
複雑な抜穴
を通ります
ひのみ 鶴居 円教寺
道を間違え
たのでその
まま直進
播但線で
二駅先の
福崎駅到着
第二十七番
書寫山
圓教寺

データ
2023年03月03日(金)
26.1 km 7hr59min

0836 野里駅発
0856 道標と解説
0955 書写山ロープウェイ山麓駅着
1008 発
1020 登山道入り口(44m)
1032 五丁展望台
1050 書写山ロープウェイ山上駅着(245m)
1057 料金所(290m)
1114 第二十七番 書寫山 圓教寺 摩尼殿
1140 三つの堂(334m)
1156 奥之院
1205 摩尼殿
1210 置塩坂入口(325m)
1251 置塩坂参道入口(50m)
1330 夢街道farm67
1443 ローソン 夢前塩田温泉店
1510 中国自動車道夢前IC
1635 福崎駅


0715 姫路駅発
JR播但線 普通 寺前行き
0706 野里駅着

1645 福崎駅発
JR播但線 普通 姫路行き
1714 姫路駅着


スケジューリングで考えたこと
書写山から置塩坂を下り県道67号線に入ります。
遍路地図によると、この後は川に沿って置塩城跡の西側を北上します。
中国自動車道と交差する夢前ICを抜けて、さらに北上し、前之庄で右折し、北東に山越えをして鶴居駅にでます。
野里駅から書写山経由で鶴居駅までは長めの行程です。
書写山往復と境内の所要時間は行ってみるまでわかりません。
遅くなるようなら、鶴居駅まで行かずに、前之庄からバスに乗る予定でした。
夢前ICまでは福崎方面に向かうのが正しい方向ですが、ICを抜けた後は福崎ではなく何も書いてない方向が正解でした。
それまで、福崎福崎と歩いて来たので、夢前ICを抜けた後も福崎方向に歩いてしまいました。
道を間違えたと気が付いたときには、かなり福崎の近くまで来てしまいました。
ここから一旦戻って、前之庄まで歩いてもバスが無いと困ります。
予定を変更して鶴居駅の二つ手前の福崎駅に行くコースを取りました。
福崎駅から鶴居駅までは翌日、播但線にそって北上します。

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テーマ:寺巡り - ジャンル:旅行

西国三十三カ所 日本海へday2 JR加古川線 社町駅から 第二十六番 法華山 一乗寺経由 JR播但線 野里駅

今日からが本番です。
今日は加古川線の社町駅からスタートし、第二十六番 札所の一乗寺でお参りをして、姫路市内にある播但線の野里駅まで行きました。

社町駅を出ると、すぐに巡礼道に合流しました。
畑の中を抜ける幅2mほどの素敵な旧道です。
しばらく行くと背丈ほどもある、大きな道標が立っています。
左:清水寺、右:法華山( 一乗寺)の他に、姫路や加古川などの地名も読み取れます。
加古川線の踏切を渡ると、今度は低い丘を越える、森を抜ける古道です。
古道の脇には天明七年の石仏や供養塔などもあります。
さらに、集落を抜ける旧道に入ると庚申堂の前にはまた大きな道標があります。
どこも素晴らしい道で、今日は良い日になるとおもいました。

歩き始めて1時間、加東市と加西市の市境を越えました。
ここで、今まで歩いてきた旧道と国道327号線が合流しました。
特に山が迫っている様な地形ではありませんが、最低限に拡幅された元の旧道です。
道幅の狭い対面二車線で、歩道が無いだけではなく、路肩も殆どありません。
そんな狭い国道を切れ目なく大型トラックが通ります。
臭くて埃っぽいだけではなく、常に後ろを気にしていないと撥ねられそうです。

原因はすぐにわかりました。
道沿いに西濃運輸、福山通運、ヤマト運輸などの大手から、名前を知らない中小の運送会社の流通センターが並んでいます。
どこの営業所も広大な駐車場に大型トラックが並んでいて、ひっきりなしに出入りしています。
近くに工業団地でもあるのでしょう。
ついさっき、今日は良い道を歩けると思ったのですが、これは最低の道です。

恐怖の区間は1km続きました。
なぜか運送会社が無くなると、道幅が広がって歩道も付きました。
この辺りは鶉野という地名です。
川西航空機の工場と日本海軍の飛行場の広い跡地があって、資料館には川西が作った「紫電改」が展示されているそうです。
巡礼路から数百メートルしか離れていないので、寄り道するつもりでした。
しかし、恐怖の道を無事に通過して、ほっとしたのでしょう。
巡礼シールに沿って歩いてきたら、いつの間にか通り過ぎてしまいました。
途中にとても広いまっ平な畑がありました。
雲の白、野菜の緑、空の青がとても綺麗で何枚も写真をとりました。
後で地図を見ると、広い畑の向こう側が飛行場だったようです。

線路の向こうに五重塔が見えます。
小さいので遠くにあるような気がしますが、それにしては細かいところまでよく見えます。
なんとなく縮尺がおかしい感じです。
北条鉄道の法華口駅まで行くと、駅舎の横に高さ7mの一乗寺三重塔の模型が建っていました。
大正4年建築の木造駅舎では、パン屋さんが委託されて改札をしています。
鶉野や一乗寺の観光案内もありました。

法華口駅から30分ほど歩いた県道沿いに、黒い杉板張りの造り酒屋らしき建物があります。
反対側に”ふく蔵”とだけ書かれた矢印があって、見ていると一般の車が中に入っていきます。
”ふく蔵”とは何だろうと思って敷地内に入っていくと、ぐるっと建物を回り込んだ反対側に、オシャレな売店と食堂がありました。
平日昼間だというのにレストランは予約のお客さんで賑わっています。

お遍路中は、ほぼ毎日コンビニのおにぎりとパンを昼 食にしています。
遍路路は住宅街を抜ける旧道が多いので駅前以外に食事のできるところは殆どありません。
食堂にはいれば、どんなに早くとも最低30分はかかります。
それなら、歩きながらおにぎりを食べる方が良いのです。
前回、美味しいお昼を食べたのはいつだったろうと思いながら、ふく蔵で利き酒セットと松花堂弁当を頂きました。

第二十六番 法華山 一乗寺のある坂元町に着きました。
徒歩近道、自動車道と二本の矢印が書かれた看板のでている分かれ道があります。
徒歩近道は道標や石仏などが多数残されている古道です。
舗装路が終わると、イノシシよけの柵があります。
柵を越えて未舗装の山道にはいると、一乗寺の常夜灯がありました。

旧参道を登り切ると山門があります。
ここから舗装路に合流します。
山の方を見あげると、少し上のほうに古い道が見えました。
距離を書いた道標や東門コースと書いた案内板もあります。
山門から先も未舗装の古道が続いているのかもしれません。
登ってみると最近使われていないようで倒木がたくさんあります。
さらに進むと、崩れかけた古い神社の上で道がなくなりました。
マップを頼りにお寺の方向に藪漕ぎしつつ降って行くと本堂に続く道がありました。

本堂の天井に古い木の板が花の様な形に打ち付けてあります。
納経所のお坊さんに、こういうわけで山の中で迷ってようやくたどり着いたという話をした後で、花の様な板について聞いてみました。

「あれは昔の木札の様ですが、なんで花のような形で打ってあるんですか」

今の巡礼者は「奉納西国三十三カ所霊場巡拝」と印刷された紙のお札に名前や住所を書いて納札入に入れます。
昔は、木の板に同じようなことを書いて、本堂の梁などに釘で打っていました。
なぜ天井に、花の様な形で打ってあるのでしょう。

「昔は誰でも巡礼に来れるわけではなくて、村の代表者が数名で巡礼したんだよ。
来れなかった村の人たちから、木札を預かってきて、村単位で花の形にして打ったんだ」

最後に、一乗寺の見どころを尋ねました。

「国宝の三重塔があるんだよ。
下からだけじゃなくて、上からも、横からも見えるので結構有名なんだよ。
料金所から真っすぐ階段を登って来ると、すぐ横にあるからだれでも気が付くんだけど、山から降りて来たので見てないんだね」

そして、出口の料金所でお金を払って行ってね、と言われました。
料金所の人に道を尋ねた後、そんな話をしてお金を払うと、そういえばお遍路さんが通って行った覚えが無いけど、山から来たんですか、と驚かれました。

一乗寺から先、ゴールの野里駅のすぐ手前まで、畑の中を抜ける静かな道が続きました。
この地域は古い道標を大切にする文化があるのかもしれません。
かなり多くの道標が残されていました。

約13kmあるいて残り2km、大きな川を渡る橋にでました。
橋の上から夕陽で輝いている姫路城が見えます。
昔の人たちも、ここで姫路城を見て、もうすぐ目的地に到着と思ったのでしょうね。

社町 いなか 道標
加古川線
社町駅から
スタート
畑の中を
抜ける
素敵な道
身長よりも
大きな道標
は珍しい
加古川線 山道 天明のおじぞうさん
加古川線の
踏切を渡る
低い丘を
越えていく
古道
天明年間
のお地蔵様
空地 社 供養塔
刈り入れが
終わった
田んぼの様
中に古い
祠がある
古そうな
供養塔
しゅほうだいしs 稲荷神社 大窪喜一郎
大正十五年
建立の
修法大師
高岡稲荷
神社
享保8年に
新田開発を
した人の像
東 北西 田んぼ
東すぐ
清水社
西 すぐ
法華山
姫路
銅像の人が
開拓をした
田畑かも
加西市 トラック 2
国道に合流
して加西市
に入ります
最悪の道路
歩道が無く
臭くて怖い
トラックの
列が途切れ
ません
西濃 福山
最悪の原因
は狭い国道
に運送会社
・・の流通
センターが
並ぶこと
のどか サイクリング 説明
のどかな
田舎道に
戻りました
大規模な
自転車道が
あります
自転車道の
案内図
石仏 集落 おいなりさん
小さい石仏
があります
古道は集落
を抜けて
行きます
稲荷神社も
あります
鶉野 2 鳥
鶉野
向こう側が
飛行場跡
広々と
しています
鳥がいます
が鶉で
しょうか?
道標 塔 法華口駅
右法華山
左清水口
の道標
線路の向こ
うに塔が
見えます
法華口駅の
高さ7mの
三重塔模型
説明 鶉 見どころ
北条鉄道の
説明
鶉野飛行場
の説明
法華口駅
近隣の
観光名所
一乗寺 酒造 福蔵
一乗寺の
案内板が
出ました
冨久錦
株式会社
謎のふく蔵
への矢印
ふく蔵 利き酒セット 松花堂弁当
ふく蔵入口 利き酒
セットと
突き出し
地元の食材
で作られた
ふく蔵弁当
梅 直行 道標
梅が咲いて
います
畑の中を
直交する道
法華山と
清水の
道標
分かれ道 距離表示 五輪塔
車道と古道
の分かれ道
距離表示の
道標も
ありました
五輪塔が
固まって
あります
おはな 仁王般若 いのしし
椿の生垣 仁王般若経
と書かれた
石仏
イノシシ柵
を通ると
古道です
常夜灯 参詣道 山門
常夜灯が
一対ある
参詣道入口
坂を登った
先に山門が
見えます
一乗寺山門
ここで車道
と合流する
700m 東門 お地蔵様
見上げると
距離表示の
ある道標
東門コース
と書かれた
道案内板
上の方に
お地蔵様も
ある
山道 倒木 神社
荒れている
山道
倒木が多数
ある
崩れかけた
古い神社の
上にでる
道が無い 神社 2
道が無くな
った斜面を
降りて行く
神社の一部
のように
見える
古い神社の
入口の
鳥居
銅像 道 お寺
意味不明の
銅像もある
お寺の方向
広い道が
続いている
ようやく
お寺らしき
建物を発見
天井 2 三重塔
本堂天井の
木札
花の形に
打たれて
いる
本堂を出ると
目の前に
ある三重塔
本堂 三重塔 2
石段途中より
第二十六番
一乗寺本堂
石段途中に
ある三重塔
石段の一番
下から見あ
げた様子
一乗寺 右清水 説明
入口に到着 右:清水寺
左:書写山
の道標
一乗寺説明
遊歩道 2 総門
お寺から
惣門に続く
遊歩道
法華山
一乗寺
惣門跡
普通の道 法華山 書写山
普通の
畑を抜ける
直(すぐ)
法華山
直書写山
集落 道標 道
静かな集落
を抜ける
すり減った
道標
遠くに高速
が見える
住宅 サイクリング 住宅
広い畑が
続きます
自転車専用
道路も
あります
少しづつ
住宅が増え
てきました
城跡 橋 姫路城
城跡の様で
すが全く
判りません
川を渡る
大きな橋
姫路城が
輝いて
見えました
野里 電車
JR播但線
野里駅到着
昭和の頃
の電車が
走る播但線
第二十六番
法華山
一乗寺

データ
2023年03月02日(木)
29.8 km 8hr52min

0759 社町駅発
0812 大きな石の道標
0814 加古川線踏切
0840 高岡稲荷神社(大久保喜市郎像)
0847 庚申堂(すぐほっけ山道標)
0853 国道352号に合流、加西市市境
0901 ファミリーマート 加西繁昌店
0916 歩道の無い区間終了
1042 北条鉄道、法華口駅
1050 発
1117 富久錦酒造ふく蔵
1230 発
1250 一乗寺古道分岐
1300 一乗寺古道イノシシよけ柵
1310 一乗寺山門
1340 第二十六番 法華山 一乗寺
1356 一乗寺料金所
1405 一乗寺川沿いの遊歩道出口
1407 西の惣門跡
1417 道標
1432 山陽自動車道くぐる
1458 ここまで山陽自動車道
1635 高木橋
1651 野里駅着

0656 姫路駅発
JR山陽本線 新快速 長浜行き
0706 加古川駅着

0715 加古川駅発
JR加古川線 普通 西脇市行き
0757 社町駅着

1705 野里駅発
JR播但線 普通 姫路行き
1714 姫路駅着


スケジューリングで考えたこと
今回のお遍路は前半に予備日が一日作ってあります。
この先天気がよく、順調に歩けたら、予備日に観光ができます。
竹田城に行く予定ですが、鶉野飛行場も候補地に加えました。
最寄り駅は北条鉄道の法華口駅で、ここからレンタルサイクルです。
姫路と法華口を結ぶバスは2時間に一本です。
結局、時間が足りずに鶉野にはいけませんでした。

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西国三十三カ所 日本海へday1 JR加古川線 新西脇駅からJR加古川線 社町駅

七回目の西国三十三巡礼は全区間最長の11日間です。
これまでずっと太平洋側を歩いてきましたが、ここから中国山地を越えて日本海側に入ります。
全体
スタートは前回の終点、兵庫県西脇市です。
ここから南西方向に向かい、第二十六番 札所の一乗寺を経て、第二十七番札所の圓教寺のある姫路市まで行きます。
太平洋に面した姫路市が西国三十三所の西側の端になります。
その後、JR播但線と付かず離れずしながら北に向かい、竹田まで北上します。
竹田から播但線を離れ、北東に14Km歩いた山陰本線の上夜久野駅が最後のJRの駅になります。
ここから、さらに北東方向に山を越え、天橋立にある第二十八番  成相寺に向かいます。
天橋立からは日本海に沿って東に向かいます。
舞鶴市の東側にある第二十九番 松尾寺をすぎ、福井県に入ったところが今回の終点です。
7回目
西国三十三巡礼は四国遍路に比べて札所と札所の間が離れています。
今回は11日間で230km歩きましたが、その間に札所は4カ所しかありません。

姫路市にある圓教寺から天橋立の成相寺までは約120kmあります。
この区間を地図で見ると、竹田城址のある竹田以外には宿が全くありません。
宿を一回だけ移動して、全区間歩けるスケジュールを組みました。

今日は東京からの移動日なのであまり歩く時間がありません。
前回の終点、兵庫県西脇市の新西脇駅からJR加古川線沿いに南下して社町駅までの9km歩きました。
この区間は本来のルートではありません。
前回の最終日に、暗くなりそうだったので古道とは違うルートを通って札所から一番近い、公共交通のある西脇市で終わりにしました。
明日歩く社町駅から先が本来の巡礼道になります。

東京から西脇市までは5時間以上かかる大移動です。
せっかく、遠くまで行くのですから、どこかちょっとした観光地はないのかと探してみました。
今回降りる予定の新西脇駅から二駅北側に、”日本へそ公園”という駅を見つけました。
こんな名前の駅があるんですね。
明石市を通る標準子午線の東経135度と北緯35度が交差している、”日本のへそ”がある公園の最寄り駅だそうです。
わざわざ行くような場所ではないので、この機会を逃したら次は無いと思います。
二駅足をのばして、日本へそ公園に行くことにしました。

この辺りの加古川線は西脇駅を除いて、無人駅です。
東京からの連続した切符が買いたかったので、出発前、JRみどりの窓口で
”乗車券は、東京から日本へそ公園まで”と言って乗車券を買いました。

JRの方は、聞き返しもせず、
”へそ公園ですね。往復乗車券だと安くなりますよ”
と教えてくれました。
私は初めて聞いた名前ですが、東京からはるばる日本のへそに行くための切符を買う人は、実は結構いるのかもしれません。

日本へそ公園駅は一日10本、昼間は3時間に一本しか列車がとまらない無人駅です。
ワンマン運転の乗務員さんに、東京からの切符を手渡して降りると、見たことのない立派な無人駅がありました。

もともとここには陸軍参謀本部陸地測量部が大正時代にたてた「東経135度北緯35度交差点海抜63米標識」の石柱がありました。
なぜか字を書いたのは陸軍関係者ではなく、呉鎮守府司令長官・鈴木貫太郎海軍大将です。
戦後は特に意味の無い物なので、しばらく忘れられていたそうです。

昭和52年にこれを使って村おこしをしようと考えた人がいたそうで、昭和60年に加古川線が延長される時、「日本へそ公園駅」を作りました。
石柱は加古川線と加古川の間の狭い緑地にあります。
へそ公園駅から石柱まで歩けるように加古川線の線路をくぐるトンネルが作ってあります。

平成になって、竹下内閣が各自治体にばらまいた一億円を使い、西脇市がGPSを使って再度測量をしました。
すると大正時代の石柱から400m程度ずれた古墳の上に正しい交差点がありました。

このあたりには、古墳時代初期の古墳がたくさんあります。
”平成のへそ”は、この辺りで一番大きい唯一の前方後円墳の頂上近くの斜面にあります。
いかにも、山の上の見晴らしの良い場所です。
GPSで測量したと言いながら、実は見晴らしの良いところを選んで適当に決めたんじゃないの、と勘繰りたくなります。
へそまで登ってみると、”平成のへそ”の周りは、立入禁止で黄色いテープが張ってあります。
フランス人彫刻家に依頼してつくった”へそ”は崩落の危険があるのだそうです。

JRで西脇市に戻り、加古川に沿って社町駅まで歩きました。
土手が綺麗に舗装されていて、広々としていい感じでした。

歩き始めたのは4時前です。
12月なら暗くなり始めるころです。
3月に入り、かなり日が長くなってきています。
5時半ごろ社町駅に到着しましたが、この時間でも暗くて危ない感じはありませんでした。

切符 加古川駅 列車
東京から
へそ公園
行の乗車券
加古川駅
到着
加古川線
てっちゃん へそ公園駅 2
加古川線は
てっちゃん
が多数乗車
へそ公園駅
に到着
無人駅
に見えない
駅舎
駅舎 トンネル 横の案内板
立派なのは
壁だけで
中身は無い
線路を潜る
ふれあい
トンネル
昭和期に
作られた
案内板
駅舎 モニュメント 大正のへそ
へその近く
の線路越し
に見る駅舎
昭和期の
へそのモニ
ュメント
大正のへそ
北緯東経
交差点石柱
石 説明板 へそ公園
経緯度交差
の測量点
昭和の
説明板
ここからは
へそ公園
の内部
ひろびと 新旧へその説明 モニュメント
こちらは
広々とした
公園
新旧の
日本のへそ
の説明
同じような
感じのモニ
ュメント
35度線 ポール 山
北緯35度線
を示す赤い
ライン
・・の先は
金属製の
ポール
・・の先は
山の斜面に
続いている
1 2 3
ジグザグに
山を登って
行くと
4本の
ポールが
立っている
真ん中に
へそがある
が立入禁止
上から 設計図 古墳分布図
こんなに
登ったのに
立入禁止
設計図
崩落を防ぐ
ためらしい
この辺りの
古墳分布図
美術館 2 3
待ち時間に
駅前の西脇
市美術館へ
いくつも
不思議な
部屋がある
休止中の
瞑想室も
すごいそう
横尾忠則 単線 新西脇
もとは横尾
忠則の展示
だったそう
単線の
加古川線で
新西脇駅へ
到着
ここも無人
駅舎 トンネル 加古川
新西脇駅の
駅舎
トンネルを
抜けて
加古川を
渡る
土手 加古川線 社町駅
幅の広い
土手は桜の
並木
加古川線 社町駅に
到着

データ
2023年03月01日(水)
9.1 km 1hr52min

1540 新西脇駅
1548 西脇トンネル
1601 板波橋
1632 滝駅
1651 滝野駅
1733 社町駅


0903 東京駅発
ひかり505号 
1220 西明石駅着

1227 西明石駅発
JR山陽本線 新快速 姫路行き
1237 加古川駅着

1242 加古川駅発
JR加古川線 普通 谷川行き
1349 日本へそ公園着

1533 日本へそ公園発
JR加古川線 普通 西脇市行き
1542 西脇市駅着

1801 社町駅発
JR加古川線 普通 加古川行き
1835 加古川着

1839 加古川
JR山陽本線 新快速 播州赤穂行き
1849 姫路着


スケジューリングで考えたこと
今回は太平洋側から日本海側に抜けるので、途中で宿を移動します。
前半6泊は姫路に泊まります。

姫路から60km北上し、播但線の竹田駅から14Km歩くと、山陰線の上夜久野駅です。
この区間は歩いても3時間です。
すぐ近くなのですが管轄が違うようで、二つの駅の間のJRが上手く接続していません。
姫路に戻ろうとすると、乗り換えに何時間も待たされます。
竹田までは姫路に泊まり、上夜久野から先は、日本海側にある山陰本線沿線に泊まるのがよさそうです。

問題は後半の宿泊地です。
この辺りで宿が多数あるのは天橋立か舞鶴です。
観光地の天橋立は宿代が高そうなので、舞鶴に泊まる予定で検討してみました。

上夜久野駅を過ぎると、丹後鉄道 与謝野駅まで鉄道駅はありません。
マップを拡大すると、道沿いにバス停が幾つかあります。
バス会社の路線図を見ると、天橋立や宮津と福知山を結んでいます。
福知山といえば、福知山線の終点です。
京都との間に山陰本線もあります。
さらに上夜久野駅からも一時間に一本列車があります。
天橋立や舞鶴の宿をさがしてきましたが、福知山という新しい候補がみつかりました。
調べてみると今回区切りになる、上夜久野、天橋立、舞鶴のどの駅からも福知山行の列車が出ているうえ、丁度よい時間にバスが出ています。
後半の宿は福知山に決めました。
乗車時間は短いのですが、日本海側からは距離があるので、運賃は高めです。

宿泊
ホテルクラウンヒルズ姫路
全国旅行支援対象のホテルの中から、安くて、大浴場があって、無料のコーヒーサーバーと漫画文庫のあるこちらを選びました。
姫路駅は姫路城側に飲食店が多く、ホテルのある側はオフィス街で食事をするところが殆どありません。
駅まで徒歩8分と少し離れていますが、毎日駅近くまででて食事をしました。
駅まで行き、反対側にでて朝夕の姫路城を眺めました。

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プロフィール

38G

Author:38G
運動が少し好きな普通のおじさんの歩き遍路日記です。

お遍路をしようと思い、スケジュールを立てる際、ネットにアップされている先輩方のブログがとても参考になりました。

私も後から来る人のためにデータを残そうと思いブログを始めました。

「ズルはしていません」というのはバスや電車でワープはしていませんから、ポイント間の所要時間や一日の歩行距離は大体あてになりますよ、という意味です。

長い文章は、お遍路に行きたくても行けない母親のために書いています。

歩き遍路って、札所のない所は何をしているんだろうか、毎日歩いていて飽きないだろうか、など疑問に思った方も、本文を読んでいただけると、疑問の答えの一部が見つかるかもしれません。

 

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