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歩き遍路日記(ズルはせずに全部歩いています) 2022年09月
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2022-09

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西国三十三カ所 桧原越えday2 西相谷バス停から三番札所粉河寺経由 JR西笠田駅まで(2022年5月24日)

ここ数日、真夏のような暑さですが、今日は札所があるので白衣は欠かせません。
今日は三番札所の粉河寺にお参りしてから、明日の山越えのスタートJR西笠田まで歩きます。
今日は時間に余裕があります。
ちょっと回り道をして根来寺や華岡青洲記念館に立ち寄る予定です。

JR紀伊駅からバスに乗って昨日の終点、相谷バス停に向かいます。
実は今回の計画を立てた時から、バス停の名前を相谷(あいだに)ではなくて祖谷(いや)だと思いこんでいました。
バスの車窓とgooglemapを見ながら降りるバス停の見当を付けていたのですが、”つぎは、あいだににし”という車内放送を聞いて、間違いに気が付きました。
そして、”あ、まずい”と思い、思わずボタンを押して降りてしまいました。
降りたバス停は予定していた相谷(あいだに)ではなくて、一つ前の相谷西でした。

バスが走っている県道は交通量が多く、暑くて埃っぽくて臭いので脇道に入ります。
道路わきの小さな緑地に大きなグミの木がありました。
真っ赤でいかにも美味しそうな実が沢山なっています。
子供の頃、家にあったグミの木は、妙に生臭くて美味しくない実が生りました。
何十年ぶりに食べたグミの実は、以前と変わらず食べたことを後悔する味でした。

50分ほど歩き、根来寺大門に着きました。
普通のお寺なら大門をくぐると、塔、金堂などが見えます。
ところが、根来寺の大門は二車線の車道の脇に建つ大きな門で、周囲には広葉樹の林とまばらな民家や畑以外になにもありません。
車道を10分ほど歩くと、ようやく石積白壁で囲われた大きな塔頭が見えました。

根来寺は平安時代末期に高野山を再興した真言宗の偉いお坊さんが作ったミニ高野山です。
高校の日本史では、お坊さんなのに仏教を疎かにして戦争ばかりしていたので、秀吉に滅ぼされた僧兵集団の本拠地と習いました。
創建当時、今見ている白壁の塔頭は学校だったそうです。

塔頭はありましたが、それ以外は相変わらず開けた林と畑ばかりです。
しばらく歩くとようやく畑の向こう側に根来寺の入り口が見えてきました。
正面入り口を入ると本堂の様に見える光明真言殿がありました。
江戸時代に紀州徳川家から拝領したお屋敷で、日本庭園や、役行者のお堂、土地の神々を祀る九社明神などと繋がっています。
九つの神様は高野山の丹生大明神からはじまって、吉野の蔵王権現、熊野三山や白山の神様など、そして地元代表の伊太祁曽大明神も祀られていました。

神様を大切にするのはお大師様からの伝統です。
しかし、どれも大きなお寺の中心らしくない施設ばかりなので不思議に思いました。

外に出てしばらく行くと、別の区域内にお寺の中心がありました。
区域内の中心に巨大な木製の国宝根本大塔が建っています。
根本大塔の内側は立体的な真言密教の曼荼羅です。
お遍路で行った高野山の根本大塔はコンクリート製で、太い柱には華やかな仏画が書いてありました。
こちらの内部は曼荼羅をそのまま木製の仏像に置き換えたもので、□(正方形)の建物の中に○形(円形)の建物を作り、さらに内部に□(正方形)の台を作ってその中心に大日如来を置き、周りに○形(円形)に仏像を配置しています。
同じ区域内にある大師堂と根本大塔はどちらも平安時代の建築です。
大師堂のお大師様はとても若々しい姿でした。


三番札所粉河寺の観音様にはこんな伝説があります。
病気の子供の家に男の子が訪れて、子供の病気を治します。
病気を治してもらった親がお礼をしようとすると、男の子は自分は紀州の粉河に住んでいると言い、病気の子供の衣服を持って消えてしまいます。
親は男の子を探しに紀州に行きますが、誰に聞いても”粉河”という場所はわかりません。
粉を流したような真っ白な河を見つけ、川沿いに歩いていくと、観音様の仏像が病気の子供の服を持って立っていたそうです。

粉河寺の大門を抜けて境内に入ると掘割のような小川が流れています。
昔は粉を流したような真っ白な水が流れていたのでしょうか。
川沿いには、男の子の姿をした観音様をお祀りする塔頭が並んでいました。

粉河寺の本堂は西国三十三札所中で一番大きな建物です。
当時はさきほど訪れた根来寺に続く大きいお寺で、戦国時代には根来寺同様こちらにも多数の僧兵がいたそうです。

普通、霊場の本堂には、”何々山何々寺””西国霊場何番”という大きな木札が掛かっています。
こちらには代わりに
”父母の恵みも深き粉河寺、佛の誓い頼もしの身や”
と御詠歌の札が掛かっていました。

明治生まれの祖母は御詠歌のサークルに入っていました。
母に尋ねると、”父母の恵みも深き粉河寺”という粉河寺の御詠歌だけが記憶に残っているそうです。
西国の一番から三十三番まで、順番に歌うのなら、一番青岸渡寺の御詠歌が一番記憶に残るはずなのに、なぜ三番目の粉河寺だけ覚えているのだろうと思いました。
御詠歌を歌う人たちの間では、粉河寺の御詠歌は特に人気があって、歌う機会が多かったのかもしれません。
本堂に掛かった御詠歌の木札を見てそんなことを思いました。

山門横の茶店に”うどん”という看板が出ています。
とても暑いので、冷たいキツネうどんが頭に浮かびました。
残念ながら、冷たい物は6月からだそうで、今ある熱くない食べ物は押しずしだけでした。
茶店の中を見回すと、フーテンの寅さんがロケをした時の写真が掛かっています。
エキストラの皆さんは白衣に菅笠の正装をしていました。
実際は四国の八十八カ所とは違い、私以外だれも白衣を着ていませんでした。

粉河から笠田までは旧紀州街道を歩きます。
街道沿いに、見学できる本陣があるのですが火曜は定休日です。
坂をしばらく上った先の道の駅に”華岡青洲の記念館”が併設されています。
残念ながらこちらも火曜定休日です。
それでは道の駅で冷たい物を飲もうと思ったら、道の駅まで火曜日定休日でした。
暑い中どこも定休日でかなりガッカリしました。

かなり汗をかいたので、和歌山ラーメンで有名な井出商店に塩分補給に行きました。
大盛りは二玉分というのでチャーシューが多い特製大盛りに煮卵をつけましたが、男性なら標準の量でした。
となりの現地風の男性は大盛りに加えて棒寿司を頼んでいました。
昼間の茶店といい、ラーメン店といい、和歌山は棒寿司が人気のようです。

バス 西あいだに 県道
JR紀伊駅
からバスに
乗ります
一停前の
相谷西で
降りました
すでに強烈
な太陽が
出ています
グみ1 2 紀州街道
道路わきの
大きなグミ
の木
美味しそう
に見えます
紀州街道は
立派な家が
並びます
僧兵鍋 大門 石垣
山菜僧兵鍋
どんな鍋
なのかな
根来寺大門
周囲は何も
ありません
道路わきの
石垣
塔頭 三部権現 2
当時は学校
だった塔頭
土地の神様
を祀る
三部権現
真言宗は
神様を大切
にしています
未舗装路 到着 説明
この日唯一
の未舗装路
でした
ようやく
根来寺の
鐘楼門到着
説明
鐘楼門 本坊 紀州庭園
鐘楼門 光明真言殿
本坊
紀州藩より
拝領の
紀州庭園
庭 光明真言殿内部 説明
本坊より
お庭を見る
光明真言殿
内部
説明
お経 役行者堂 根本大塔
理趣経や
法華経を
お供えする
役行者堂の
根来塗の
お厨子
国宝
根本大塔
参考 同じ角度 内部
(参考)
高野山の
根本大塔
同じ角度
から根来寺
の根本大塔
お寺の資料
より内陣の
写真
内陣 説明 大伝法堂
□の建物の
内部が〇の
構造です
説明 大伝法堂
ここも堂内
撮影禁止
内部 大師堂 お大師様
巨大な如来
が三体。
内部は撮禁
大師堂
ここも内部
撮影禁止
若いころの
イケメンな
お大師様
階段 不動堂 6km
階段を降り
外にでると
不動堂
ここは無料
でお参り
できます
粉河寺まで
あと6km
暑いです
街道 あやめ ねぎ
この曲がり
は昔の道
でしょうか
多分あやめ
黄色なので
黄あやめ?
ねぎ
暑いです
 
ため池 門前町 橋
この地域は
ため池が
多数あり
JR駅から
続く粉河寺
門前町
この橋の河
が粉河で
しょうか?
大門 説明 役行者道
粉河寺大門 説明 右粉河寺
左役行者道
粉河 童男堂 説明
この掘割の
ような河が
粉河でしょう
男子の姿の
観音様を
祀る童男堂
説明
出現池 説明板
白馬に乗っ
た観音様が
現れた池
説明板 蓮の形の
手水の出口
境内 中門 牧水
手水舎の
先に中門と
本堂がある
中門 牧水の時代
遍路が多数
居たようだ
庭園 本堂 御詠歌
縦に石組を
した本堂前
にある庭園
三番札所
粉河寺本堂
父母の恵み
で始まる
御詠歌の札
御詠歌の額 永代供養 植え込み
御詠歌の
古い額
江戸時代の
永代供養の
奉納額
変わった形
に刈り込ん
だ木々
土産物 柿の葉寿司 じゃこ
うどんの
暖簾がある
売店兼食堂
熱くない
メニューは
柿の葉寿司
川魚を
じゃこと
いうらしい
氷の看板 自然食品 八朔かき氷
大門の外に
かき氷の
看板を発見
自家製の
ジャムを
作っている
八朔ジャム
を載せた
かき氷
こうやみち 大和街道 和泉山脈
大師常夜灯
右高野道
左槙尾道
大和街道
右和歌山
左大和
明日越える
和泉山脈を
望みます
お遍路 旧名手本陣 休み
ここにも
お遍路の
矢印が!
旧名手本陣 残念ながら
火曜定休
紀州街道 バス停 青洲の里
紀州街道 青洲の里
バスは一日
三便
高台なので
和歌山朝夕
日百選です
西笠田1 2 3
西笠田駅
到着
井出商店 店内 ラーメン
井出商店
木曜定休日
店内の様子
メニューに
すしがある
特製大盛
味玉は
別添え
データ
2022年5月24日(火)
21.8km 7hr00min

0836 西相谷バス停発
0920 根来寺大門着
0925 三部権現着
0936 根来寺、庭園着
0957 発
1000 根来寺多宝塔、大師堂着
1020 発
1023 根来寺不動堂着
1034 菩提峠(140m)
1056 県道7号線(最初の車道)にもどる
1120 紀伊街道(旧道)発見
1249 粉河寺山門着
1308 粉河寺本堂着
1319 かにい土産物店(お昼)
1340 発
1345 観光特産センター こかわ着
1400 発
1456 旧名手宿本陣(火曜定休)
1510 華岡青洲顕彰記念公園
道の駅 青洲の里(火曜定休)
1536 西笠田駅着

sefukuji1
0814 和歌山駅発
JR阪和線 紀州路快速 京橋行き
0823 紀伊駅着

0828 紀伊駅前発
和歌山バス那賀25 近畿大学ゆき
0835 相谷西着

1552 紀伊発(510円)
JR和歌山線 普通 和歌山行き
1636 和歌山着


スケジューリングで考えたこと
明日はいよいよ和泉山脈を越えて大阪府にはいります。
明日のコースは西国三十三箇所中の難所の一つ桧原越えです。
ネットにも情報がほとんどなく、何時間かかるのか全く見当がつきません。
山の中で暗くなる事態は避けたいので、できるだけ朝早くから歩きたいと思いました。
そのための宿泊地は二つの選択肢があります。
一つは粉河寺付近に泊まって徒歩で桧原越えにアクセス、もう一つは和歌山に泊まりJR西笠田から歩きだすルートです。
どちらから出発しても最終的には国道480号線に合流します。
最初のトイレがある道の駅くしがきの里までの距離を比較してみます。
粉河寺ーくしがきの里 9.5km
JR西笠田ー串柿の里 5.8km
3.7kmの差なので歩けば1時間かかりません。
和歌山駅始発が0530発で西笠田着は0616。
和歌山に泊まっても、粉河に泊まっても、朝五時半に宿を出るなら大差はないようです。
荷物を移動する手間を考えると、和歌山にもう一泊するほうがよさそうです。
大阪側に降りた後は、粉河よりも和歌山に戻る方が便利です。

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テーマ:寺巡り - ジャンル:旅行

西国三十三カ所 桧原越えday1 JR紀三井寺駅から山口王子 相谷バス停まで(2022年5月23日)

5月連休も終わり、気温が上がってきています。
秋まで巡礼はお休みのはずでしたが、最高級のウォーキングシューズをテストする機会を頂きました。
せっかくなので巡礼の続きをしています。

ここまでの8日間、熊野古道と西国三十三カ所巡礼路は同じ道でした。
ここから二つの巡礼路は二本に分かれます。
地図
熊野古道は、二番札所紀三井寺には寄らず、藤白神社から、まっすぐ北に向かいます。
そして、和歌山と大阪の県境、和泉山脈の低いところを通り、山中渓(やまなかだに)を抜けて大阪に入ります。

一方、西国三十三カ所巡礼路は、紀三井寺から和泉山脈に沿うように東に向かい、三番札所の粉河寺に向かいます。
そして、ほとんど高野山の入り口、橋本の手前の笠田(かせだ)から北に向かい、和泉山脈の中にある四番札所施福寺に向かいます。

笠田から施福寺に至る峠越えは桧原越えという難所です。
この一帯では今でも葛城修験と言われる方たちが修行をしています。
また、ダイヤモンドトレイルというハイキングコースになっています。

私はこれまで和歌山県提供の紀伊路スタンプラリーを楽しんできました。
残り5か所で紀伊路スタンプ帳は完成です。
ちょっと遠回りになりますが、和歌山県内の熊野古道を完歩してから、粉河寺に向かうことにしました。

紀三井寺駅からスタートして、中央分離帯のある真っすぐな4車線の県道を小一時間ほど歩くと、なにやら由緒ありそうな森がありました。
森のいちばん端っこ、県道のすぐそばに宮内庁管理の陵墓がありました。
説明を読んでみます。
なんと神武天皇のお兄さん、彦五瀬命(ひこいつせのみこと)のお墓です。
私は不勉強で知らなかったのですが、神武天皇は4人兄弟の末っ子だそうです。
陵墓には鎖が掛かっていて入れませんが、少し歩くと神社がありました。
彦五瀬命を祀る竈山神社です。
社殿には大きな菊の御紋がついていました。

竈山神社からバイパスを離れ、和歌山電鉄と並行する小川沿いの小路を伊太祈曽まで歩き、熊野古道に合流しました。
和歌山電鉄は猫のタマを駅長にして、ローカル線の維持運営を目指している会社です。
河越しに見える、和歌山電鉄の車両も何やらカラフルで楽し気にみえました。

伊太祈曽神社は「木の神様」をお祀りする紀伊国一之宮です。
木の神様なので、二つある鳥居はどちらも木製です。
入口にある木製大鳥居の説明には伊勢神宮遷宮で出た古材を譲り受けて、平成二十九年に大修理をしたと書かれています。
力のある神様のようで、熱心にお参りされている方が何人もいらっしゃいました。

伊太祈曽神社のすぐそばに和歌山電鉄伊太祈曽駅があります。
四代目猫駅長の”よんたま”は週三日勤務です。
有名な猫駅長を見たかったのですが、この日はお休みでした。
ローカル線維持の助けになればと、タマ駅長のマグカップを買いました。

古道マップには、この先しばらく行くと山越えの矢田峠があると書いてあります。
入口が判らないまま、県道をまっすぐ行くと矢田トンネルについてしまいました。
しょうがなくトンネルを抜けてから入口を探すと、反対側からは古道入口の表示がありました。
せっかくの未舗装古道です。
後戻りして1.5往復することになりますが、峠に登って反対側におりました。
地元の歴史研究会が作ってくれた道標ですが、これがなければ全くわかりませんでした。

JR布施屋駅を過ぎると紀の川に架かる大きな橋にでました。
和歌山県で1番長い全長755.5mの川辺橋です。
先日、突然崩落して和歌山市一帯が何か月も断水になった六十谷水道橋はここから直線で6kmほど下流になります。

天手力男命を祀る力侍神社でスタンプを押すと、残りはいよいよ後一つです。
和歌山県内最後になる山口王子社跡には、他の王子社よりもちょっと大き目な石碑が建っています。
なぜか石碑もスタンプ台もガードレールを乗り越えた外側にありました。

ふじさん dc10 紀三井寺駅
今日も
富士山が
綺麗です
DC10が
未だ現役で
ビックリ!
紀三井寺駅
から再び
スタート
橋 御陵 2
巡礼道でも
熊野古道で
もない道
竈山の御陵
神武天皇の
お兄さん
陵墓なので
ここから先
立入り禁止
竈山神社 脇路へ 2
竈山神社は
菊の紋章が
付いてます
巨大な4車
線バイパス
から脇道へ
バイパスを
くぐり、川
沿いを歩く
川沿い 鉄道 お花
自転車しか
通らない川
沿いの小路
対岸には
和歌山鉄道
が走る
お花も
咲いてます
熊野古道に
合流した
ようです
伊太祁曽
神社に到着
木製大鳥居
伊勢神宮の
木材で修復
のいきさつ
神社由緒 二の鳥居 境内
神社の由緒
説明板
木製の
二の鳥居
丹塗りの橋
を渡って
境内へ
社殿 木の又くぐり 方法
拝殿 木の股を
くぐると
霊験がある
説明
お猿石 いたぎそ駅 執務室
お猿石を
触ると運が
つくらしい
伊太祈曽駅 4タマ駅長
今日は
お休み
まぐ プラットホーム せつめい
タマ駅長
グッズの
マグを購入
乗り場と
屋根が
文化財
説明
検査場 せつめい 梅干し電車
検査場も
文化財
らしい
説明板 梅干し電車
車内はどう
なんだろう
峠入口 2 古道
矢田峠
登り口の
案内板
未舗装の
古道です
祠のような
物もあり
ます
下にトンネル 竹林 フェンス
トンネルと
車道が下に
見えます
竹藪を
抜ける和田
峠の古道
なにやら
金網が出て
きました
石碑 こどう 舗装路
石碑を
囲って
あります
また古道
にでます
と思ったら
熊野古道の
矢印がある
舗装路 看板 南無大師
この先は
ずっと舗装
路でした
逆方向から
見えない
案内板
石碑は
南無大師
遍照金剛
案内板 花畑 旧中筋家住宅
熊野古道の
案内板
お花畑 旧中筋家
残念ながら
休館日です
住宅 ohenro 川端王子
見学したか
ったのです
が残念
これは四国
の遍路道
シール!
川端王子
説明板 熊野古道 迂回路
この地域
全域の
古道の説明
熊野古道の
道標
元は河渡し
で迂回路と
書いてある
橋1 2 きのかわ
川辺橋が
見えてきた
川辺橋 紀の川
力士神社y 説明板 スタンプ
天手力男命
を祀る
力侍神社
説明板 スタンプも
あと二つ!
きりん いのしし 山口王子
キリンを吊
る鉄工場
とか
猪とか鹿肉
の自販機
などもあり
ついに
山口王子に
到着
スタンプ 馬刺し定食
紀伊路最後
のスタンプ
をゲット!
夜は馬刺し
定食で乾杯

データ
2022年5月23日(月)
23.2km 5hr56min

1030 紀三井寺駅発
1120 竈山神社着
1126 発
1235 伊太祁曽神社(いたきそじんじゃ)着
1248 発
1250 和歌山電鉄 伊太祈曽駅着
1258 発
1340 矢田峠(86m)
1341 (峠で迷子になる)
1356 (元の場所にでる)
1411 旧中筋家住宅
1440 JR和歌山線 布施屋(ほしや)駅
1453 川辺橋
1517 力侍神社着
1528 発
1602 山口王子着
1610 発
1619 和歌山バス那賀 相谷(あいだに)バス停着


sefukuji1
1628 相谷バス停発
和歌山バス那賀F.B.Tゆき 
1638 紀伊駅前着
1644 紀伊発(180円)
JR阪和線 紀州路快速 和歌山行き
1654 和歌山着


スケジューリングで考えたこと
今回のスケジュールはいくつも難しい箇所がありました。
この日、最後のスタンプがある山口王子から最寄りの駅まで4km以上ありました。
山口王子に到着する時間を予想すると、午後4時半ごろです。
そこから街灯の無い田舎道を一時間以上、迷いながら駅まで歩くのはちょっと危険です。
時間が早くてもったいないのですが、午後二時ごろに途中のJR布施屋で止まるプランを考えていました。
ところが、翌日の立ち寄り先を検討していると、JR紀伊駅を中心にgoogleマップに載っていないバス路線があることがわかりました。
バス会社の時刻表を見ると1日1本のような過疎路線ではなく、朝夕は毎時五本ほどある生活路線です。
時刻表で見つけたバス停の名前からgoogleマップのストリートビューを県道沿いに探してみました。
山口王子から約1km離れた県道沿いにバス停が見つかりました。
これで一日目のスケジュールが完成です。

宿泊 ホテルシティイン和歌山
昭和40年代ごろに立てられたマンションを改装したようなホテルです。
当時の高級なマンションは、一階に商店街が入店していました。
このホテルもコンビニや食堂など、小さなお店が何軒か入っています。
安くて台数の多いコインランドリーもありました。
地下には何かの施設を改造したのでしょう。
男性用のみですが、快適な大浴場があります。
建物外見はかなりくたびれていますが、部屋は改装されていて快適です。
次回もJR和歌山駅近くに泊まるときは利用しようと思います。

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テーマ:寺巡り - ジャンル:旅行

熊野古道 紀伊路 day4 JR紀伊宮原駅から 二番札所 紀三井山 金剛宝寺 (紀三井寺)まで (2022年4月15日)

夜の間に雨が降ったようです。
とりあえず止んでいるので、予定通りに西国三十三カ所二番札所の紀三井寺を目指します。

今日スタートする紀伊宮原から途中の海南市までは、海側に山がせり出しています。
JRも国道も大きく迂回していますが、古道は拝ノ峠(はいのとうげ)、藤白坂と2つの峠を超えてまっすぐ北上し、海南市に向かいます。
海南市は和歌山平野の入り口です。
ここまでくれば二時間ほどで紀三井寺に到着するはずです。

紀伊宮原の駅から歩き始めてすぐ、よく田舎で目にする、和菓子の入ったガラスのショーケースと袋菓子が並んだスチールの棚ある、お菓子屋さんがありました。
一旦通り過ぎましたが、なんとなく只者ではない雰囲気を感じて戻りました。
手書きの”旬の味、田植え餅”と書いた張り紙が気になったのです。

「田植え餅を一つください」と言うと、「今日の分は全部売れてしまいました」と言われました。
田植え餅を買うお客さんは、昔なら田植え、今ならミカンの手入れをする人たちで、この時期仕事に行く前にお店に寄るそうです。
こんな田舎町のお菓子屋さんで、朝8時半に売り切れになる大人気の田植え餅ってどんな物なんでしょう。

予約で取り置きしてある餅を見せて貰いました。
30✕20cm、楕円形の白い巨大な餅で、きな粉が付属しています。
見た目は100%餅米ですが、小麦粉を加えてあるので、さくっと噛みきれるそうです。
塩分補給を兼ねて食べるおやつなので、塩味のついた餅の中には何も入っていません。
「それは食べたかったな〜」と言うと、「余った餅があるから、持って行き」、と小さい餅ときな粉をくれました。

30分ほど歩いて、山道に差し掛かったころ、今日最初の山口王子神社がありました。
おやつには早いのですが、待ちきれずに田植え餅を食べました。
お店の人の言う、”さくっと噛みきれるという食感”は豆の入っていない豆餅の食感です。
お餅自体も薄い塩味ですが、黄な粉にも砂糖が入っていないので、全く甘味はありません。
本当に食塩とカロリー補給が目的ですね。

この辺りは峠越えの熊野古道を舗装して、県道やミカン栽培用の農道にしています。
もともと古道なので、急角度に曲がる、ものすごい急坂でも軽トラ1台分ほどの幅しかなく、ガードレールもありません。
そしてあまり通る人がいないので、舗装に苔が生えています。
昨日の雨で路面が濡れていて、とても滑りやすく、なんども転びそうになりました。

最初の峠は標高327mの拝の峠です。
途中に”太刀の宮”という小さな神社があります。
大阪夏の陣が終わり、逃げて来た落ち武者が疲れて眠っていると追手がかかります。
すると寝ている間に、持っていた刀が動き出して、追っ手を切り倒したそうです。
社の中にはビニールの刀が奉納されていました。

拝ノ峠頂上に着きましたが、霧のため何も見えません。
雨雲に追いつかれないよう、急いでミカン山を抜け、舗装された激坂を滑らないように注意して降りていきます。

傾斜がゆるくなったころ、泣き相撲の土俵のある山路王子神社(一壺王子)がありました。
中辺路と違い、紀伊路の王子社跡は、村々の神社の中に祀られているところが多いようです。

さらに降りていき、橘本(きつもと)という、山の中にしては大きな集落にでました。
舗装された狭い古道の横に、日本中どこにでもあるような小さい神社の入り口があります。
石段脇に、大正時代に皇太子(昭和天皇)が植樹した木がありました。
皇太子がわざわざ植樹をしにくるとは、ここはどんな神社なのでしょうか。

石段を上がると、所坂王子社跡の横に、柵で囲われた橘の木がありました。
説明には「今から1900年前に田道間守(たじまもり)が垂仁天皇の命を受けて常世の国から持ち帰った橘の木です」と書いてあります。
なるほど皇室と御縁があったのですね。
境内には、大祭で奉納した会社の名前を刻んだ石碑が並んでいます。
奉納者を見ると、明治、ロッテ、不二家、ブルボンなどのメーカーから始まって、両口屋是清、とらやなどの和菓子屋さんまで、日本中のお菓子関係者の名前がありました。
橘本神社はお菓子の神様を祀る神社でした。
砂糖が貴重品だった時代、甘いミカンは果物ではなくお菓子として扱われたそうです。
こちらには、ミカンの元になった橘を日本に持ち帰った田道間守がお菓子の神様として祀られています。

集落を過ぎると、今回最後の登り坂です。
みかん山を抜ける幅40cmほどの狭い古道を登り切ると、頂上付近は小さな集落になっています。
巨大な石造り地蔵がある地蔵峰寺に藤代塔下王子がありました。
さらにお寺の裏に回ると御所の芝と呼ばれる白河上皇が熊野行幸した時の行宮跡があります。
御所の芝からは和歌山県西側の海が見渡せました。

ここからの下りは地道の古道、藤白坂です。
お地蔵様を刻んだ舟形丁石がいくつも残されていて、それぞれ生花がお供えされていました。

無事に海南市の藤白神社に到着しました。
熊野三山の神様と、それぞれの本地仏を祀った神仏習合の特別な神社です。
日本の神様は仏様や菩薩様が姿を変えて現れたという考え方から、目に見えない存在の神様を目に見える形にしたものが本地仏の仏像です。
ここは熊野の入り口で、近くには熊野の入口を示す「熊野一の鳥居」の跡もあります。
大鳥居跡と刻まれているので、本宮のような巨大な鳥居だったのかもしれません。

お参りをしていると、
「おにいさんは信心深そうだから、仏像を見ていくかい?」と声をかけられました。
巡礼者の正装をしていると良いことがありますね。

神社の一室に案内していただくと、熊野三山の本地仏三体に加え藤白王子の本地仏なども安置されていました。
こちらで、なぜ藤白神社に熊野三山の本地仏が祀られているかを説明をしていただきました。

京大阪から山を越え、熊野の入り口までたどり着いた参詣者には、この先まだまだ幾つもの峠が待ち構えています。
そんな参詣者の中には、もう体力的に無理だと思った人も多数いたそうです。
この神社には、そんな方たちのために、熊野の神様や本地仏が用意してありました。
熊野まで行かなくても、ここでお参りすれば同じ功徳があるのです。
帰り際に売店を見ると熊野三山の各種御札に牛王神符も売っています。
今でも、当時と同様に、こちらで熊野のお土産が揃えられるようになっていました。

午後四時少し前に、西国三十三所第二番札所金剛宝寺(紀三井寺)に到着しました。
紀三井寺とは境内に三種類の湧き水がある、紀伊の国にあるお寺という意味だそうです。
まっすぐに登る231段の石段があり、脇に湧き水や小さいお堂があります。
近年、石段早登り競争をしているそうで、優勝タイムが書いてあります。
何段か駆け上がってみましたが、足に力が残っていません。
怪我をする前に止めました。

今回歩いた紀伊路は見どころが豊富で楽しい反面、とても迷いやすいルートでした。
前回歩いた中辺路には和歌山県が作ったわかりやすく、統一された道標がありました。
間違えやすい道には、”この道は熊野古道ではありません”という道標もありました。
紀伊路には県が建てた道標はなく、かわりに各町や地元ロータリー、老人会などがそれぞれボランティアで用意してくれた道標が立っています。
地域毎に特徴があって面白いのですが、地域によっては数がとても少なくて、迷いやすい場所に何も無い地域もありました。

次回から熊野古道を離れ、ほとんど歩く人のいない西国三十三所巡礼路に向かいます。

電車 海 2
今日は遅め
の電車で
紀伊宮原へ
天気も
回復基調
と思ったら
段々と
こんな感じ
になって
駅 山 みかn
駅上空の
雲行きも
怪しい
今から行く
北側の峠も
嫌な感じ
この街は
有田ミカン
発祥の地
町並み 和菓子 ケース
こんな街並
の中にある
変哲もない
菓子屋さん
福寿堂
柏餅と田植
え餅が押し
らしい
取り沖の餅 おまけ 道標
取り置きの
販売用の
田植え餅
頂いたお餅
黄な粉も
頂きました
この地方の
道標
伏原 2 山口王子
伏原の墓
行き倒れた
巡礼者の物
熊野の巡礼
にも行き
倒れがあり
山口王子に
到着
説明板 山口王子 おやつ
説明板 山口王子 薯蕷饅頭が
美味しい!
1 2 3
山口王子を
抜けると
みかん山へ
続く曲がり
くねった
古道
次第に
山道に
なってくる
つるつる 山道 爪書き地蔵
この舗装は
危険!雨で
ツルツル
落ち葉が
積って危険
度がアップ
爪書き地蔵
説明板
爪がき地蔵 阿弥陀如来 地蔵菩薩
ただの石に
見えるが
写真だと
阿弥陀如来 地蔵菩薩
道標 太刀の宮到着 太刀の宮
山中の集落
の道標
太刀の宮
に到着
太刀の宮
説明 お侍 奉納品
寝ている間
に刀が
戦って二つ
に折れた
お侍さん
おもちゃの
刀が奉納
されている
蕪坂下王子 説明 畑の中を通る県道
蕪坂下王子 説明板 畑の中を
通る県道
の表示
 
糸我峠到着
何も見えず
万葉歌碑 南無観世音
菩薩
竹林 車両進入禁止 ツルツル
竹林の
猪防護柵
車両進入
禁止の県道
ツルツル道
再度登場
集落1 2 3
集落にでる
と激坂
激曲がり (危険なの
で下から
撮影)
家 一壺王子 神社
どの家も
とても立派
一壺王子
到着
山路王子
神社
土俵 なきずjもう 路
泣き相撲の
土俵
泣き相撲の
写真と
説明
また少し
川沿いを
歩いていく
橘本神社 お手植え 橘
橘本神社 昭和天皇
皇太子時代
お手植えの木
常世の国か
ら伝来した
ミカンの元祖
説明 所坂王子 境内
何故か
橘本王子
ではなく
・・ここは
所坂王子
橘本神社
境内
奉納者名簿 2 橘本王子
大祭時の
奉納者
こちらも
奉納者
橘本王子は
別の場所に
あり
1 橘本王子 古道
橘本王子 説明板 山を抜ける
舗装された
古道
1 2 3
最初の内は
民家がある
このあたり
までは舗装
ようやく
待望の
地道
1 排水溝 しゃが
すばらしい 古道が排水
溝になった
のかも
シャガの
群落もあり
1 2 3
ずいぶん上
まで上が
ってきた
ミカン畑の
端っこが
古道
地蔵峰寺 石像 蕪下塔坂王
地蔵峰寺 ご本尊の
巨大石造り
地蔵菩薩
藤代塔下
王子
御所の芝 和歌山の海 花
御所の芝は
和歌山朝日
夕陽100選
和歌山マリ
-ナシティ
と工場
裏のお花
1 2 お地蔵様
下りの古道
がスタート
おそらく
今回最後の
地道古道
お地蔵様
15町 硯石 14町
十五丁
丁石だけ
硯石 十四丁
13町 竹林 12町
十三丁地蔵 竹林を
抜ける古道
十二丁地蔵
1 3 2
古道も
残り少なく
なりました
これを降り
たら終わり
です
7町 一丁 一丁地蔵説明
七丁から
生けてくれ
ているよう
五丁地蔵 説明板
1町 有間皇子の墓 説明板
一丁地蔵 有馬皇子
の墓
皇子はここ
で殺害され
たそう
藤代神社 事務所 社殿
藤代神社
到着
門のような
建物の奥
が社殿
熊野三山の
神様が祀ら
れた社殿
熊野一の鳥居 大鳥居遺跡 本地仏
熊野一の
鳥居跡
大鳥居遺跡
と刻まれて
いる
熊野三山の
本地仏仏像
紀三井寺路 1 2
左紀三井寺
寛政十二年
ここから先
熊野古道を
離れて・・
旧熊野街道
を歩きます
和歌山市 天照大神 紀三井寺
ついに
和歌山市に
到着
天照大神
伊勢遷座前
の御座所跡
二番札所
金剛宝寺
紀三井寺
早登り ケーブルカー 清浄水
231登段
最速は元
100m日本一
ケーブルカ
-ができて
いました
三つの湧水
の一つ
清浄水
ケーブルカー駅 紀三井寺本堂 和歌山市の眺め
ケーブル
の駅は
こちら
紀三井寺
本堂
和歌山市を
眺めます
お疲れさま
黍団子 イタリアン1 2
紀三井寺側
の黍団子
素朴で美味
最後の夜は
イタリアン
竜神村の
巨大椎茸
のアヒージョ
みかん おべんとう 御朱印
美味しい
柑橘類
3種類
くろしおで
海を見つつ
お弁当
紀三井寺の
納経印

データ
2022年4月15
22.3km 7hr48min

0830 紀伊宮原駅(標高8m)発
0910 山口王子(63m)
0915 爪がき地蔵
0949 太刀の宮
0957 蕪坂塔下王子
1007 拝の峠頂上(327m)
1044 一壺王子
1120 所坂王子(40m)
1142 橘本王子
1221 藤白塔下王子、御所の芝着(257m)
1238 発
1317 有馬皇子の墓
1320 藤白王子着(14m)
1348 発
1427 春日神社着
1549 紀三井寺山門着
1553 着
1619 紀三井寺駅着

#4_15
0710 紀伊田辺駅発
JR紀勢本線 普通 和歌山行き
0826 紀伊宮原駅着

1629 紀三井寺駅発
JR紀勢本線 普通 御坊行き
1724 御坊着
1727 御坊発
JR紀勢本線 普通 紀伊田辺行き
1810 紀伊田辺着(1690円)


スケジューリングで考えたこと
田辺に荷物を置いて、軽装で歩いてきましたが、宿のある紀伊田辺駅まで、JRで1時間40分(1690円)もかかる所まで来てしまいました。
そろそろ次の街に宿を移さないといけないので、帰宅して出直します。
次回は和歌山市に宿を取り、県境のある和泉山脈を越えて大阪に抜ける予定です。


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38G

Author:38G
運動が少し好きな普通のおじさんの歩き遍路日記です。

お遍路をしようと思い、スケジュールを立てる際、ネットにアップされている先輩方のブログがとても参考になりました。

私も後から来る人のためにデータを残そうと思いブログを始めました。

「ズルはしていません」というのはバスや電車でワープはしていませんから、ポイント間の所要時間や一日の歩行距離は大体あてになりますよ、という意味です。

長い文章は、お遍路に行きたくても行けない母親のために書いています。

歩き遍路って、札所のない所は何をしているんだろうか、毎日歩いていて飽きないだろうか、など疑問に思った方も、本文を読んでいただけると、疑問の答えの一部が見つかるかもしれません。

 

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