163 ドゥアール戦争((4)英国軍の撤退とトンサ・ゾン)

(前回からの続き)

英国軍のデワンギリ撤退
英国軍は、不慣れなブータンの丘陵地を、大混乱のうちに撤退して行きました(*1)。

その中で病気や負傷した兵たちは、置き去りにされてしまいました。
そして何人かの英国兵が、ブータン軍に捕えられたと伝えられています。

(96)-5r英国軍がデワンギリ要塞に据えたハウザー.jpg


ところで、英国軍はデワンギリ要塞に、ハウザー(榴弾砲)と呼ばれる大砲を、2基据えていました。
山岳地帯向けのハウザーは評判が良く、当時、世界各地で使われた貴重な兵器です。

これらがブータン軍に奪われるのを恐れ、英国軍は大砲の1基を崖から落としてしまいました。
しかし、ブータン軍は2基とも見つけ出し、勝利の証(あかし)としてトンサに持ち帰りました。

トンサ・ゾンとドゥアール戦争
トンサ・ゾンは、当時ブータンの実質的支配者だった、ジグメ・ナムゲルの城塞です。
背後斜面には強固な石造りのタ・ゾン(見張り塔)があり、トンサ・ゾンを見守っています。

(96)-5arブータンの実質的支配者だった、ジグメ・ナムゲルの城塞トンサ・ゾン.jpg


このタ・ゾンの地下には、地下牢がありました。
ドゥアール戦争で捕虜となった2人の英国兵も、ここに捕われていたと伝えられます。

英国軍から奪った2基の大砲も、きっとこのゾンの何処(どこ)かにあったのでしょう。
しかし、英国の度重なる要求にも拘わらず、勝利の証である大砲は、なかなか返還されませんでした。

なお、ここまでのお話しは、ドゥアール戦争における一場面、「ブータンのデワンギリ逆襲」 をご紹介したものです。
ドゥアール戦争全体としては、圧倒的な戦力を誇る英国が勝利しています。

(終わり )
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(注記)
(*1) Kesang Choden Dorji(1997): The Emergence of Modern Bhutan, Jigme Namgyal's Life and Career, 1825-1881.


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